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今日はワイキキのビーチでのんびり1日過ごすことに。(写真多めです)
せっかくだからとカタマランのヨットに乗船して、プチクルーズを楽しもうということになった。
最初は人数も少なくて、ロコのかっこいいお兄さんと、その飼い犬と数人のゲストしか乗船していなかった。なので、海友も颯友も広々とした空間で楽しめると喜んでいたのだけど・・・・。
出発直前になって、一気に若い女性客が10数人ほど乗り込んできた。
船はあっという間にガールズのパーティー船状態?
しかし、その状態に露骨に不満気な表情を見せる男が一人・・・
颯友だ。
「おいらは犬と一緒に海に出航したかっただけなのに」
こっちにも、
そして、こっちにも
「女の人ばっかりで、も〜うんざり・・・」
一方、兄海友の方は父と仲良くクルーズを楽しんでいた?
やっとビーチに戻り、父と一緒に砂に穴掘って遊ぶ。
しかし、そこにも犬を連れた可愛いロコの女の子が登場。
「アロ〜ハ!わお、大きな穴ね〜」
「あの、犬はいいんだけど・・・・・・女の人はだめです」
フィクションです。
今日は、DOLEプランテーションの巨大迷路に行ってきました。巨大迷路を制覇した直後くらいから雨が降ってきました。体調が完全で無い海友は、疲れたのと、寒さでまた熱が出てしまいました。
・・・・・、なんか子供の日記みたいだな。
ということで、ワイキキのコンドに戻り、とにかく海友は、後半のメインのホテルで体調を戻す事に専念した方が良いと伝えて、早々と睡眠。
パワーを持て余してる颯友は、僕と一緒に屋上のプールへ。しかし、風が強くて、早々に引き上げる。それでもまだパワーが有り余っている。何かやらせなくては、と思いついたのが、KOKOROKOINOBORIプロジェクトの手描きの鯉のぼり作成。
颯友の幼稚園のパパ友にも、何流か渡して、作成してもらう事になっている。僕らがハワイにいる間に集まって作成してくれるのに、自分たちは、そこに参加できないので、何流か、こちらにも持ってきて、家族で描くつもりでいた。
本当は、海友も元気なときに、全員で描きたかったのだけど、パワー有り余る颯友に早めに描かせることにした。
あんなに落ち着きない颯友だったのに、「被災地の子供たちにプレゼントするんだよ。バハマでも大きいの描いたでしょ」と伝えると、相当に真剣になって描き続けた。
絵も字もへたくそだけど、とにかく何故か字を書きたがった。「がんばれにっぽん・はやと」と書いり、とにかくまとまりは無いけど、一人だけで、一生懸命描いていた。もう寝ればいいのに、「あともうちょっとかこうかな」「あともうちょっとかこうかな」とぶつぶつ言いながら描き続けていた。
夜11時過ぎ、気がついたら、そのままテーブルの横で眠ってしまっていた。
この手描きの鯉のぼりは、多くの人が描いてくれた、大小合わせて、約200の手描きの鯉のぼりと一緒に、5月4日、5日に、岩手県の大船渡市で開催されるけせんフェスの会場で空に舞う予定。
コンドの屋上のプールで朝早くから遊び過ぎて、長男の海友が熱を出した。3月のワイキキは、天気は良くても、風も水温もまだまだ冷たい。特に今年は寒いそうだ。
翌日には、熱も下がってきたのだけど、まあ遠出しないで近くでのんびりしようということになった。
たまたま同じ時期に合わせて、ミナ(妻)のおじさんが、ハワイに遊びに来ていた。というのも、おじさんの息子、ミナの従妹が、ハワイのイタリアンレストランで、エグゼクティブシェフとして働いているからだ。お店の名前はワイキキビーチウォークにある「タオルミーナ」。 相当人気のレストランらしい。
しかし、大変だったのは、そこに行き着くまでの二男、颯友の暴れっぷり。体調もまだ完全でない兄は、さすがに、しっかり母親について歩くのだけど、二男はとにかく寄り道したがるし、どこかに逃走しかねない勢い。
スキあらば、「大人しくしろ!」と注意する僕にパンチと蹴りを入れてくる。一度なんかマジで金的に直撃して、「うっ」という鈍い悲鳴とともに、一瞬しゃべれなくなった。でも、周囲には気づかれないようにしていたけど。映画で、子役が大の大人に金的蹴り入れたくらいで、大した事ないだろうって思っていたけど、入りようによっては、5歳の子供の蹴りでも、相当に効く事を実感した。
どうにか、お店の前でおじさんと合流。店内で従妹のヒロ君と出会って、ランチを食べた。前回に会った時は、まだイタリア修行中だった頃。今はさすが料理長になって、貫禄も出て来た感じ。料理はパスタ中心に。自分はネットでも話題になっていたウニのパスタをオーダー。美味しかった。デザートは、ライチのシャーベットがおすすめ。
ランチ後、また海友の体調を考えて、コンドに戻ることにした。しかし、「ビーチを歩きたい」という二人の要望で、途中からビーチへ。相変わらず、ビーチのかさ上げ工事をしていて、波打ち際には、大きな段差ができている。
息子たちは、海と波を見ただけで、「きゃ〜〜〜!」と歓声を上げて、その段差の下へ。
何か嫌な予感・・・「おい、水着持ってきてないんだから気をつけろよ!」
「きゃ〜〜〜〜!」 ざっぱ〜〜〜〜ン!!!
「・・・・・・・・」
ごろごろごろ・・・・。その後も周囲で見てる人が心配になって、「おい、両親、ほっといて大丈夫なのか?」という不安そうな顔を僕らに向けるくらい、服のまま波に飲まれまくる二人。
途中で颯友が、「砂が入って気持ち悪いから、全部脱いでいい?」と聞いてきたけど、さすがに、ここでマッパはやめてくれと懇願。さすがに、海友はもう恥ずかしいらしく、脱ごうとはしなかったけど。
結局砂だらけになり、ビーチの冷たいシャワーを浴びて、で、着替えるものも、タオルも無く、そのままコンドへ。
戻ったところで、ハワイに住む友人から電話が入った。僕らがハワイに着く直前に、二人目の子供が産まれて、バタバタしてるから、会えないかなと思っていたのだけど、今日なら時間作れるから大丈夫なら会いましょうって事になり、迎えに来てもらって、ローカルに人気の(というか友人が好きで良く行く)BIG CITY DINNERへ、連れて行ってもらった。ただの大衆食堂かと思いきや、「ベストレストランアンダー$20」という賞も受賞している人気店だった。っていうか、前に来た時にも連れて来てもらったな。
しかし、すでに遅めのランチでたらふくイタリアンを食べていた僕らは、このボリューム満点の美味しい、早めのディナーを堪能できる程の胃袋は残っていなかった。はずなのに、ロコモコとフライドライスを頼んで、結構食べれてしまった。おまけに最後にデザートのアイスとケーキも。
ということで、この日1日で、お気に入りのTシャツが着れなくなるくらいに体重が増量した感じ。
その後、もう一件行こうと思っていた場所があったのだけど、子供たちが眠くなってしまったので、そちらに行くのは諦めて、コンドに戻った。しかし、そこでも何故か眠りから目覚めた二男は暴れ回る。
あまり触れてはいないけど、あまりの傍若無人な奴を反省させるために、5分間の黙祷を課した。
しかし、空手で慣れているせいか、あっさり5分をクリア。しかもベッドの上だし。あまり効果の無いまま、終了し、そのまま暴れ続けたのだった。
3月20日、息子たちが春休みに入った翌日、家族でハワイに到着。実は、新聞社を辞めてから(つまり結婚してから)、全く仕事が絡まずに、家族で海外旅行するのは、今回が初めてだった。結構色々な場所に連れて行ってはいるけど、全て仕事が絡む(と言っても、端から見ると、ただ、楽しそうに写真撮ってるだけって思われるかもしれないけど)旅行。
で、今回は「絶対仕事用のカメラ持っていかない!」と心に決めていた。確かに、いつも仕事でメインで使っているカメラは一台も持って来なかった。だけど、これも実は出発間際まで、どうしようか相当に悩んだ。だって、今まで海外に行くのに、メインのカメラを持っていかなかった事なんてなかったから。
直前まで、カバンから出したり、入れたりを繰り返していたのだけど、最後の最後に、断腸の思い(大げさ)で、全てカバンから取り出した。
もちろん、家族との時間をのんびり過ごしたかったって言うのもあるのだけど、実は、この旅行直前に、某メーカーのタフモデルのコンデジのサンプル撮影を頼まれたからというのもある。某メーカーって言っても、下の写真見ればどこのカメラかは一目瞭然だけど。
過去にも何度か頼まれたことがあったのだけど、だいたい「メインの撮影の合間に撮る」って感じで、どうしてもベストの撮影環境の時に撮影することができていなかった。それがいつも気になっていたので、今回は、基本全部このカメラで撮影するって決心するためにも、持って来るのをやめた。・・・・・とか言いながら、同じメーカーのミラーレス一眼は2台持って来ちゃったけど。でも、とにかく軽いのは嬉しい。息子たち暴れ回るし。
息子たちの写真も基本LUMIXのDMC-FT4で撮影。・・・・、ということで、サンプル撮影をするので、結局まったく仕事無しにはならなくなってしまったのでした。
ちなみに、出発日間違えたのは、21日の午前12時20分発のフライトだったから。羽田空港に遅くに到着して、眠そうな二男、颯友。
妻の話によると、初日、プールで遊び、ビーチで遊び、食事して、かき氷食べただけで、「いいな〜、ハワイいいな〜、プールや海で遊べるし、暖かいし、楽しいし、かき氷食べれるし、ハワイで産まれてたら良かったのにな〜」と嬉しそうにしていたらしい。「じゃあ、生まれ変わったら、ハワイに産まれてくればいいね」と妻が言ったら、「あ、でもいいんだ、そのうち、仕事で来れるようになるから」とえらく自信満々に言ってたらしいけど、いったい、どんな仕事に着く気なのか。ちなみに、颯友にとっては、今回が初ハワイ。
ワイキキのビーチで、ロングボードを持った男性とすれ違う、長男、海友。海友は、1歳になりたての頃、一度だけマーシャル諸島からの帰りにハワイに来たことがある。本人はもちろん覚えていないけど、奴が歩けるようになったのは、このオアフ島だった。
海友も、大喜びしながらも、写真でもわかるよに、何かメモしながら、ビーチを徘徊していた。どうやら、気になった事とか、感じた事を忘れないようにメモしているらしい。まあ、書いてあることは、「海がきれい」とか、「裸足で歩くと砂が気持ち良い」とか、そんな感じだったけど。
自分が気になったのは、ワイキキのビーチに沢山の砂が積み上げてあったこと。どうやら、海岸の砂が浸食してしまって、そのかさ上げ工事用の砂らしい。景観は悪くなるので、ちょっとがっかり。最初は津波の影響なのかと思っていた浸食は、このサイトを見て、長年の浸食の結果だと知った。
まあ、取りあえず、滞在も長いので、仕事も多少抱えているけど、基本的には、家族の時間を大切にしたいと思います。
岩手から深夜に家に戻った。子供たちはすでに眠っていた。
妻から、岩手に行っている間に、長男の海友が、寝てる間に嘔吐して大変だったと聞かされていた。「いれなくてごめんね」と言うと
「いた方が大変だったよ。だって、パパが寝る方に一気に吐いたから、寝てたら大変な事になってたよ」と笑った。
すでに体調は回復していて、朝になって、真っ先に起きた海友の後を追って、リビングに行くと、「パパ、おかえり〜、おはよう」と眠そうな声で挨拶をしてきた。
「体調大丈夫か?」と訪ねると
「うん、大丈夫。それより、大変だった?」と自分の事よりも僕の事を心配してくれた。その直後に思い立ったかのように、立ち上がって何かをランドセルから取り出して、僕に渡した。
「パパ、これ、学校で書いたんだ。何人かの人に感謝のお礼の手紙を書くってのがあったから、パパに」と渡してくれたのは僕への手紙。
「●●さんへ ありがとうございます」というコピーのところに、「おとうさんへ ありがとうございます」と書かれたその手紙の内容は、 「いつもいっぱい、いろんな国につれていってくれてありがとう。 3月12日 海友より」という短いものだった。
疲れて帰ってきたところで、息子からこんな手紙を渡されると、本当に嬉しい。
「ありがとう」と伝えると、
海友が、「どういたしまして。ねえ、岩手の仕事大変なの?寒いの?水冷たいの?」と質問してきた。「うん、寒いし、冷たいよ。でもそれでも、頑張ってる人がいるんだよ」と伝えると、「ふ〜ん、今度、僕も行って何かお手伝いしたいな」とボソっと言った。
まだ8歳の息子が、その気持ちを持っているだけでも嬉しかったし、意外だった。
妻と二男が起きて来た。「これおみやげ」と言って渡したのは、被災地陸前高田の人たちが、ガレキで作った「瓦Re:KEY HOLDER(ガレキーホルダー)」。
「これ何?」って二人が質問してきたので、どういういきさつで作られているのかとか、大切にしないんだったら、あげないからなと伝えて二人見せると、欲しいキーホルダーを真剣になって決めていた。
妻が、「私や子供たちも、一度岩手に行ってみたいなって思うんだけど、どうかな」と言ってきた。
次に行こうと思っているのは、5月。あまり長くは行けないのだけど、そのときに、連れて行こうかなと、ちょっと考えた。ただ、はたして、息子たちが、ボランティアの役に立つだろうか。そこがとっても心配だ。