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その一
最近、次男のハヤト(4年生)と二人でよく風呂に入る。昔は、お風呂のおもちゃで暴れて、終わりだったんだけど、最近は、お風呂に入っているときが一番話をしてくる。「ねえ、今度、パパと二人でフィリピン行くでしょ」。「うん、行くね」。「フィリピンの大統領さ、名前なんだっけ?がさ、この前まで、アメリカのこともう、仲良くしないとか言ってたのにさ、トランプが大統領になったら、もうアメリカの悪口言わないとか、仲良くするとか言ってるんだよ、あの二人似てるからやばいよね〜(笑)」、「そ、そうだね。やばいかもね。でも、仲直りできるんならいいんじゃない」。(な、なんだよ、急に政治の話かよ。そんなの興味あったのか?)。「それとさ、大阪の八尾市、親の意見無視して、25ある幼稚園や保育園を5個にしちゃうのって、どうなのかな〜、いくら待機児童?・・が減るからって言ってもさ、通うのが大変になったら、その市自体に、子供のいる家族は住みたくなくなっちゃうんじゃないかな〜、パパどう思う?」。「えええ?何そのニュース、知らないけど」。「あ、パパ、知らないのか、ままいいや」「・・・・、パパ、雑草べたことある?」「え?あるかな〜、な、なんで、急にそんな話に」。「え、こういう話の方がパパはいいのかなと思って」。・・・・・・
その二
二人でフィリピン行くので、友好関係(親子関係?)を深めるために、今日も颯友と一緒に風呂に入った。最近、学校で絶滅危惧種、ウミガメのことをやっているらしく、フィリピンでは、見れるだけウミガメが見たいし、写真も撮りたいと言っている颯友。風呂場で、「ねえ、ちょっとお尻見てくれる?」と奴が言うので、「なんで?」と聞き返す間もなく、お尻の穴を俺の顔に押し付けてきた。「おい!やめろ!気持ち悪いな〜!第一近すぎてみえないじゃんか!」と払いのける。「なんでお前の尻見ないといけないんだよよ!」と言うと、「急いでて、慌ててトイレットペーパーで思いっきり吹いたからか、いたいんだよね〜」とのこと。そう言いながら湯船から少しお尻を突き出して見せようとするので、「まあ、周りが赤いっちゃ赤いかもしれないけど、普段まじまじと見てないから、これが普通より赤いのか、よくわからん」と冷たくあしらった。「ところで、学校でうんことかおならとかするの?」と聞くと、「え、しないよ」との返事。(ここで小学生と友好を深めるには、やはり、うんこやおなら、おしりネタだな)と思い、「そんなことないだろ〜、斎藤さんみたいに、ぷっぷっぷ〜とかやってんじゃないの?」と聞くと、「それは、ぺっぺっぺ〜でしょ」と言われたので、「ぷっぷっぷ〜もぺっぺっぺ〜も、あるいはぶっぶっぶ〜も一緒だろ」と言い返す。きっと吹き出して笑ってくれると思ったら、「ふっ」と遠くを見ながら嘲笑された上に「それよりさ、最近道に釘がばらまかれた事件とか、車や自転車とかに連続で放火する事件多いじゃん、あれって、やっぱりストレスがたまってるんだろうね。・・・・パパ、ストレスたまってない?大丈夫?」・・・・・お前のその反応がストレスだ。なんで、最初にお尻見せたんだよ。そのまま、同じノリでいけると思ったのに。
その三
最近、お風呂に一人で入るのが怖くて、母親や自分と一緒に入りたがるハヤト(小学校4年)。何かがきっかけで、そういう時期があるので仕方ないとは思うのだけど、自分にはおばけとか怖いと思っていた時期があまりなかったような気がする。二人で湯船に浸かっているときに、「お前、お風呂一人で入るの怖いんだろう〜、ふふふふ」と意地悪に聞くと、「え、まあ、ちょっとだけ」。「ふ〜ん・・・・・どわっ!!」と驚かしたら、一瞬マジでびびっていて面白かった。その後、ハヤトがシャンプーを頭につけて、頭泡だらけになったので、両目つぶらなければいけなくなったのを見計らい、「あ、なんか後ろにいる、ハヤトの後ろに〜〜!」というと、「ええええ、いるわけないじゃん」と言いながらも片目を開けて、後ろを振り返る。当然何もいないので、こちらに振り返り、また両目閉じるんだけど、「あ、でた、!まじでた!後ろ!」と言うとまた辛そうに片目を開けて後ろを振り返る。もう、目をつむってるのが怖いのか、早々にシャワーでシャンプーを流そうとするのだけど、その間も、「でたー!う、う、うしろに〜、ううううう〜、怖い〜」とか言ってたものだから、とにかく片目が閉じれなくなったハヤトは、右側の頭流すときには、左側の目を開けて、左側の頭を流すときには、右側の目を開けて、少し体を斜めにして、うしろの様子を伺っていた。シャンプー終わってから、「ハヤトちゃん、怖かったでちゅか?」と聞いたら、「うるさい!別に怖くない」。と言うので、「じゃあ、次から一人で入りなちゃいねハヤトちゃん。あの天井のところから、何かでてきそうじゃない?」と追い討ちをかけて、「パパは出るけど、一人で入ってる?入ってられまちゅか?」と聞くと、「入れるよ!」と言うので、「じゃあ、出るね〜」と湯船から出ようとすると「俺ももういいや」と言って、先にお風呂から飛び出して行った。(やっぱこわいんじゃん、ふふふふふ勝った!これで、明日からも怖いから一緒に入りたいって言うな)と勝ち誇った翌日、ママに「ハヤト、パパと一緒にお風呂に入りな」と言われると、「いい、一人で入る」と言って、一人でお風呂に入っていった。きっと、「パパ〜、一緒に入ろう」と言ってくると思ったのに、しばらくたっても、呼んでくれない。そわそわして、お風呂に、様子を見にいくと、普通に一人で湯船に浸かって、「何?」とこちらを斜めにするどい目線で見上げるハヤト。「ハ、ハヤトちゃん、大丈夫でちゅか?一緒に入ってあげまちょうか?」と尋ねると、「いい、もう一人で大丈夫だから」とあっさり。「え〜〜、こわいんじゃない?一緒に入ってあげるよ〜」というと、「いい、一人で大丈夫」と拒絶された。・・・・「一緒に入ってあげるよ〜〜」。「パパが一緒に入りたいだけなんじゃないの。俺はどっちでもいいけどね」。と言われながら、一緒に湯船に浸かる父。その日は二人静かにお風呂での時間を過ごしました。
その四
また、性懲りもなく、二男ハヤトと、風呂に入った。この日は、まあ、普通に二人で入っていたんだけど、基本自分は烏の行水なので、すぐに出たくなる。くつろいでいるハヤトに、「もう、でるね」と言って湯船からでようとすると、足を絡めてきて、出さないようにする。「離せよ!」とその足を払いのけてでようとしたら、ハヤトが「べっ、べっ、べっ!」と唾を吐きかけるフリをした。「あ、お前、そんなことしたらいけないんだぞ!」と言うと、また「べっ、べっ、べっ!」とやってきたので、「あ!また!マ〜マ〜、ハヤトがね〜、唾を「べっ、べっ、べっ!」とかするんだよー」と妻を呼ぶと、やってきた妻に「ハヤト、そういうのは、良くないよ!」と注意され、ハヤトも「はーい」と少しバツか悪そうに返事してたので、「へへ、おっこられたー!」と言ってやったら、ハヤトが吹き出し、「パパ、こどもじゃん!なにその言い方(失笑)。ママ、聞いた?今の言い方、俺の友達と変わらないよね、対応が」と、言うと、妻が何も聞いてなかったたかのごとく、「はいはい、まじめに相手にしないの」と笑いながら言い、「そうだね」と答えるハヤト。「...でも、お、おっこられたー」と小声で言い返す。「また...、こどもだね 本当に、明後日から、フィリピン大丈夫かな?」と、心配するのは、父では無くて、息子のハヤト。
フィリピンのアニラオフォトコン(4th Anilao Underwater Shootout)の期間中、取材のアシスタントとして10歳の次男・颯友を連れて来ていた。何をやらせたのかと言うと、1・自分が審査員なので、動き回って撮影できないから、イベントやジャッジの様子を撮影させる。2・荷物番、3・シャイな自分の代わりに交友関係を広げてもらうと言った感じ。最初から「遊びじゃなくて、仕事だからな」と言っておくと、10歳でもそれなりに役に立とうと頑張ってくれるものだ。
しかし、初日に審査員が乗るダイビングボートに一緒に乗せてもらって出かけたものの、ダイビグできるわけでもなく、私たちが潜っている間は、船上で留守番。ボートクルーはいるけど、一緒に遊んだり、あまり話すでもなく、ボ〜ッとしていたようだ。水面休息中に一緒にスノーケリングはしたものの、待ってる時間が長くて、リゾートに戻って来てからも、「暇だ〜、暇だ〜」と連呼してるし、リゾートもフィリピンにありがちな、外から隔たった狭い敷地内にあり、ダイビングに特化している。プールはあるけど、遊ぶところも無いからすぐに飽きてしまっていた。
審査員が滞在するフォトコンのメイン会場になっているACASIA DIVE & RESORTのゼネラルマネージャーには、事前に日本人、あるいは日本語を話せるインストラクターがいれば、滞在中ジュニアオープンウォーターを取らせたいので、見つけてもらえないかと相談していたけど、「なかなか見つからない」との返事だったので、アニラオには、日本人ダイビングサービスは無いのかなと思っていた。
しかし、到着2日目の夜に開催されたウエルカム・カクテルパーティーで、アニラオにある、日本人ダイビングリゾート、アニラオ・ヴィラ・マグダレナ・ダイブリゾートのオーナー、大沢義生さんと出会い、息子のことを話すと、「何なら、私がJr OW講習しますよ」と言ってくれた。「フォトコンに参加されてるのに、いいんですか?」と聞くと、「大丈夫です。プールは無いけど、ハウスリーフが穏やかだから、そこで限定水域もできるし」ということで、次男に、「どうする?」と尋ねると、二つ返事で、「やる!」との回答。
お言葉に甘えて、早速、翌日からJrOW講習をスタートした。
長男の海友も、10歳の時にJrOWを取得している。奴の時には、一緒に受講する仲間がいたからか、タイのシミランクルーズで、楽しそうに講習を受けていた記憶がある。
https://oceana.ne.jp/webmagazine/201308_thai_family
<機材の扱い方を学ぶ>
<海洋実習では、余裕な感じで、フィンを脱いで砂地の感触を楽しんだりしていた>
さて、次男颯友のJrOW講習は・・・
基本、最大深度が12mまでと、18mまでの違いはあるとはいえ、ほとんどがOWと同じ講習内容。とは言いつつも、インストラクターによって、あるいは、子供のその時の様子によっても、厳しさはそれぞれな印象もある。
今回は、まずは約3時間の教材ビデオを観た。重要な部分は、同じ内容を何度も繰り返す内容でもあるし、大人の自分が付き合っていても長いと感じる。10歳が一人で、3時間このビデオを見続けるのは、かなり退屈だったに違いない。
ビデオを観たあとは、BCDやレギュレーターなど機材のセッティング、取り扱い方を学ぶ。
準備完了!
実際のスキルを実践で学ぶ、限定水域。通常は、プールだけど、今回はハウスリーフで行った。
<水中スクーバユニットの脱着>
<マスク脱着>
<中性浮力>
上記の他、マスククリア、レギュレーターリカバリー、中性浮力で泳ぐ、ホバリング、水中でのウエイト脱着など、30以上のスキル講習を行った。
2日目には、ハウスリーフの水深の深いエリアに移動して、同じスキルを繰り返したあと、周囲をファンダイブ。2ダイブ目には、ノーマスクで1分間泳ぐなんてのもやっていたけど、通常は10歳の子だとなかなかできないんじゃないかなと心配したけど、それなりにこなしていたのには、感心した。
「すごいじゃん!普通大人でも、怖くてなかなかできないよ」とエキジット後に声をかけると、「マスク取るのは大丈夫なんだけど、マスククリアした後が目がしみて痛いんだよ」と余裕な発言も出るほど。最初に少し耳抜きができなかった以外は、ほぼ順調にこなして行った。
午後には、筆記テスト。とは言っても、大沢先生が説明をしてくれて、4択から答えをチェックして行く感じ。ダイビングコンピュータの使い方も教えてもらっていた。
3日目には、ボートダイビングで、バックロールエントリー。これも最初は怖がるかなと思ったけど、躊躇することなく、1回でオッケー。
海中では、たくさんの魚たちに遭遇し、ファンダイビングを楽しんだ
これで、JrOW講習終了。最後に仮の認定証を大沢先生から渡されて、本当の認定証用の顔写真を撮影して無事終了!
<本認定証用の写真撮影>
最後は、お世話になった、大沢先生と奥さん、それにスタッフたちと一緒に記念撮影をして、滞在先のリゾートに戻った。
その後、リゾートでファンダイビングを2本。フィリピン人ガイドが一緒に潜ってくれたので、自分はその横で撮影。
もう耳抜きも問題なくて、ガイドも側で見守っているだけ。ガイドがたまに指差す魚も、しっかり見えているようで、「あの青い、小さい細長いのはウツボの仲間?」「あの灰色のと、白とオレンジのと黒い生き物は何?え?オオモンカカエルアンコウ?なんで全部同じなのに、色が違うの?」と沢山の魚たちに興味津々。ガイドも「取ったばかりとは思えないよ。本当に上手」と褒められて、少し嬉しそうにしているハヤト。ダイビング中に、ゲージやダイブコンピューターを確認しながら、まだちょっと大きめのフィンで一生懸命にダイビングしてる姿に、思わず涙がこみ上げてきた。
長男の時は、まわりに沢山応援して、思いっきり褒めてくれる母がいて、一緒に潜る仲間がいた。でも、こいつの場合は、全部が一人。先生はいるけど、ついているのは、褒めるのが苦手な父親のみ。
一人黙々と講習を続け、父が心配していた耳抜きも、マスククリアも、バックロールエントリーも淡々とこなしていた。
アニラオに来る前とJrOWライセンスを取得して、ファンダイビングを楽しむようになってからのハヤトの顔つきは、明らかに違った。ダイバーになったというだけではない、何かを成し遂げたという、大きな自身に繋がっているのだろうということは、表情を見れば一目瞭然だった。
思いがけない旅先での次男のJrOW取得は、僕にとっての、今年の重大ニュース、いや、ここ数年の重大ニュースになった。
オーストラリアに出発の日の朝、ZIPで、「今年の私の重大ニュース」を、街頭インタビューで聞いていたのを観ていて、妻が、「今年の母の重大ニュースはね〜、海友が中学生になったことと、颯友がダイバーになったことだよ〜」と朝ご飯を食べている颯友に伝えた。同感しながら頷いてみる。もちろん颯友本人もそうだろうと思っていたら、「え、俺はね、友達が道で派手にすっ転んだことかな」。「え〜、そんなこと?ダイバーになったことは?」「ん〜・・・まあ2番目くらい?」と相変わらずクールなのでした。まあ、何はともあれ、おめでとう!これからまた色々一緒に潜りに行けるといいな。
長男の海友が小学校卒業して、今年から中学生になる。小学校卒業という節目に、過去一緒に過ごした思い出を振り返り、これから先どんな生き方してくれるのかな、と思いを巡らせたりもするのだけど、正直なところあまり過度な期待はしていない。どっちらかといえば、自分が本当に好きでやりたいことをやって生きていってくれれば、いいんじゃないかなと思っている。人に対しての思いやりはある方だとは思う。でも、かなりのんびりした性格だから、一般社会の荒波についていく器用さは持ち合わせてはいないかもしれない。
お腹の中にいるときから、撮影旅行に連れていき、バハマのイルカたちとは、母親のお腹の中にいるときから一緒。自宅で水中出産。赤ちゃんのときにも、フロリダのマナティ、バハマのイルカたち、パラオやヤップ、タイ、マーシャルなどあちこちの海を見て、沢山の生き物と触れ合って、多くの人たちに優しくしてもらった。でも、そうしたからって、自分が理想とし、期待しているような成長をしてくれているかって言ったら、正直なところ「う〜〜ん」と思うところも多々ある。ちょっとぽっちゃりしちゃって、ベイマックスって言われることもあるし(笑)。
勉強の要領も良いとはいえないし、スポーツがメチャクチャできるわけでもないし・・・。
それでも、今日この日まで元気に生きてきてくれて、はにかんだり、ときにはちょっとイタズラな、そして優しい笑顔を僕らに見せてくれると、もう、それだけで十分だなと思う。
でも、この日、調子に乗った海友の、母子食事会での、妻に対する言動を聞いて、つい頬をひっぱたいてしまった。目を潤ませながら僕の顔を見上げる海友の顔を見ていると、胸が締め付けられる思いがした。でも、海友は僕がなぜ厳しくしかったかを、ちゃんと理解してくれただろうか。
そう思いながらスリランカに向かう。成田までのリムジンバスの中で母親のIphoneを使って「カイトだよ。昨日はゴメンなさい。パパお仕事頑張ってね」というLINEのメッセージとスタンプが送られてきた。もしかしたら、母親に言われて書いたのかもしれないけど、正直、本当に嬉しかった。
どうか人に対しての思いやりの気持ちをけっして忘れないで、そして自由に生きていってください。12年間生きてきてくれて、いつも優しい笑顔を見せてくれて、本当にどうもありがとう。卒業おめでとう。
2015/12/8
晩御飯たべてたら、次男の颯友が、「なんかさ〜、クラスでやたら誕生日聞いてくる子(女の子)がいるんだよね。でも、「教えない」って言って教えなかったんだ」というから、「え〜なんで?」(それはもしかしたら、お前のこと好きで、誕生日にプレゼントとかくれようとしてるんじゃないのか?)と口に出して言いそうになったけどやめておいた。で、「なんで、それくらい教えてもいいんじゃないの?」と再度尋ねると、「いや、やっぱ個人情報あまり簡単に人に教えちゃまずいじゃん」。
・・・・「なんだそれ?小学3年生の分際で個人情報は教えたくないって」
「最近、回りの大人が個人情報、個人情報って色々言うから子供達の間でも、「個人情報」が流行ってるみたいだよ」と妻。
「いいじゃん、それくらいの個人情報〜。そっちの個人情報提供は、もしかしたら、いいことの方が多いかもしれないぞ」と再度息子に絡む父
「いや、でも、もう過ぎちゃったし」
どこまで女子に興味ないんだ、お前たちは。興味無い素振りしてるだけかもだけど。娘のいない父としては、ガールフレンドの話とか、そろそろしてもらいたいんだけど。なんなら家に連れてきてもらってもいいんだけど。
長男の海友が、「ただいま〜」と学校から帰ってきたすぐ後に妻が帰ってきた。そしたら、海友に「下でお母さんたちが、海友君挨拶ちゃんとしてて、かわいいわね〜って言ってたよ」と言いながら、海友にハグしていたら、海友が、「ちょ、ちょっとやめてよも〜」と軽く抵抗していた。さすがに小学6年生になると、少し恥ずかしくなってきたのかも。
「それに、最近ますますお父さんに似てきたとも言われてたよ〜」と妻
んんん?それは、つまり、俺も可愛いってことかな?
2015/12/9
旅の間、海友に読んで欲しいからと妻が用意した本は、ミヒャエル・エンデの「ネバーエンディングストーリー」、ウルグアイのムカヒ前大統領の「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」、それにマララ・ユスフザイさんの国連演説から考える石井光太さんの「ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか」。ただ、読むだけでなく、この本を読んで何を感じたかを、海友から聞くことが、旅でのぼくの役割の一つでもある。
想像力で満たされていれば、自分でどこまでも広げることができる空想の世界。「わたしは、自分を貧しいとは思っていない。いまあるもので満足しているだけなんだ」と語るムカヒさんの生き方。「学校へ行きたい」と言ったら、頭を銃で撃たれたマララさんの決意。
正直、あまり大きな期待はしていないけど、そんな話を読んで、海友はどんな思いを持ち、そして語ってくれるのかな。
サン・テグジュペリの「星の王子さま」は次男の颯友が大好きな本。図書館で何度も借りてきていた。兄の旅支度用にと本を買いに行ったら、「これ買って欲しい」と母に懇願して買ってもらったそうだ。
「次は、パパとぼくで二人旅だからね」と兄が小学校卒業だからと、二人旅の権利を兄に譲った颯友。いろいろな本を読んで、すでに一緒に行きたいところは決まっているみたいだから、いつか実現させてやりたいな。
僕は、また「アメリカインディアンの教え」でも、読み直そうかなと、本棚から、カバーのちょっと千切れてしまった、その本を引っ張り出した。
すでに、2ヶ月近くが経過してしまったけど、家族での石垣島旅行part3。竹富島を訪れたときの写真と、海友が石垣島でダイビングしたときの様子。
レンタルサイクルを借りて家族で島巡り。
竹富島といえば、牛車に乗って、石垣のある民家をのんびりと観光するイメージしかなかったんだけど、タイミングが良かったのか、ビーチに行くと潮が引いていて、広々とした砂州が出現していて、とても幻想的だった。
そして最後の観光は、MOSS DIVERSでダイビング。森くんファミリーも一緒で、子供たちが多かったので、生憎風が強くて、湾の外に出ないでダイビングも楽しめるポイントでスノーケルや釣り、ダイビングを楽しんだ。水中写真は、コンデジ借りて撮影。
おもちゃみたいな釣竿で釣りをしていた颯友。ダイビングしていて、これじゃあ釣れないだとうなと海中を見回して思っていたのだけど、ちゃんと釣れてびっくり。
夜には、森家に呼ばれてファミリーパーティー。
森くん、えりちゃん、クロちゃん、お世話になりました。天気はイマイチだったけど、久し振りに会えて楽しかったよ。また行ければいいけどね〜。
11月21日、今日は息子たちの通う小学校の学校祭を見学に行ってきた。愛想のなくなってきた息子たちより、友人の可愛い娘たちと一緒に見学できたのが楽しかった父。と言ってたら、珍しく颯友がいい顔で写真に収まってくれた。いつもそういう感じでお願いしますよ〜颯友さん〜。
11月7日、浦安市の作品展に、カイトが作成した「将来の夢」が入選していた。素潜りで、魚を撮影する、未来の自分。「この前、プラグラマーになりたいとか言って無かったっけ?」と尋ねたら、「そうだよ、でも、水中カメラマンにもなりたいんだよ。今は、仕事一つに決めなくてもいい(時代)でしょ?」...確かに、そうだよね。「それに、プログラマーだと、地味な感じ(の作品)になるでしょ」...た、確かに。5歳の誕生日の時に「大人になったら、カメラマンになりたい」と、誕生日カードに書いてあったときのような泣きそうになるほどの感動は無いけど、「なるほど、ちゃんと成長しているなー」と思わせてくれた。欲を言えば、できれば、被写体、イルカかアシカくらいにしてほしかったな。まあ、父を作ってくれたわけじゃないか。あと、できれば、もー少し丁寧に、作って...、あ、いや、十分うれしかったよ。ありがとう。ラバウル行って来ます。
ハヤトは、今日(11月3日)誕生日。どこ行きたい?とたずねたら、友達の車椅子テニス大会に行きたいというので、茨城で開催されてる、テニス大会へ。昼休みには、介助犬のデモンストレーションがあり、デモンストレーション体験にも、積極的に参加。午後からは、ニューミックス大会に参加予定。ニューミックスって?
浦安市の作品展に、カイトが作成した「将来の夢」が入選していた。素潜りで、魚を撮影する、未来の自分。「この前、プラグラマーになりたいとか言って無かったっけ?」と尋ねたら、「そうだよ、でも、水中カメラマンにもなりたいんだよ。今は、仕事一つに決めなくてもいい(時代)でしょ?」...確かに、そうだよね。「それに、プログラマーだと、地味な感じ(の作品)になるでしょ」...た、確かに。5歳の誕生日の時に「大人になったら、カメラマンになりたい」と、誕生日カードに書いてあったときのような泣きそうになるほどの感動は無いけど、「なるほど、ちゃんと成長しているなー」と思わせてくれた。欲を言えば、できれば、被写体、イルカかアシカくらいにしてほしかったな。まあ、父を作ってくれたわけじゃないか。あと、できれば、もー少し丁寧に、作って...、あ、いや、十分うれしかったよ。ありがとう。ラバウル行って来ます。
今日(11月21日)は息子たちの通う小学校の学校祭を見学に行ってきた。愛想のなくなってきた息子たちより、友人の可愛い娘たちと一緒に見学できたのが楽しかった父。と言ってたら、珍しく颯友がいい顔で写真に収まってくれた。いつもそういう感じでお願いしますよ〜颯友さん〜。
今日(11月25日)は、ヤップの大ちゃんと会議中
一昨日メキシコから帰国して、昨日家で息子たちと話してて、カイトが最近体重が少し減った話しになった。何でかきいたら、最近「腹八分目」という言葉を知ったらしく、「なるほど」と思い、実践してるらしい。「いままで、お腹いっぱいになるまで、食べちゃってたけど、腹八分目っていいよね」とか言ってる。もっと早くに「腹八分目」を教えておけば良かった。ハヤトは、「最近どう。学校で流行ってる遊びとかある?」と訪ねたら「死体ゴッコ」っていうから、「何それ?」て聞いたら「休み時間中、ずっとどこかに倒れてるんだよ」とのこと「で、誰かが心配して、大丈夫かって声かけてきたら、わ!って脅かすんだよ〜」。「ふーん、で声かけてこなかったら?」、「休み時間中、ずっと死体」。「流行ってるの?」。「流行ってるっていうか、おらが考えたんだよ。皆でやるときもあるよ!」。「へー、楽しい?」。「んん〜、別に」だそうです。 ヤップ行ってきます。(2015年2月10日)
妻は、若い頃から、まったく化粧をしないんだけど、最近、お肌の保湿のために、市販されてる数百円のニベアをたま〜に顔に塗ったりしているそうだ。で、最近友達ママから「チョット、チョットミナちゃん、なーんか最近やたら肌にうるおいでてきたんじゃな〜い?化粧品、何使ってるの?」と聞かれて、「え?ニベアだけど」と答えたら、「え?ニベア?ニベアの特別な化粧品?」と聞かれてたので「いや〜、どこでも売ってる数百円のだよ」と答えたら、「チョット、チョット、勘弁してよー、あたしなんか、(NASAが開発した、数万円もする)ドゥラメール買って頑張ってるのよ!何でニベアでそのうるおい?ゆるせない」みたいな事言われたと、成田に向かう前に歯磨いてた僕の隣でニベアペタペタ塗りながら、妻が楽しそうに話していた。(2015年2月10日)
流星ワゴンの録画見たあと、息子たちに、「イジメとか無い?」と尋ねたら、「無いね。決闘ならあるけど」とまじめに答える次男、颯友。(2015年2月10日)
ヤップから帰国して、家で録画したテレビ番組を観ていたら、学校から次男颯友が帰ってきた。しかも、「あはははは〜、ただいま〜!」と何故か大笑いしながら。玄関に迎えに行った妻が、「おかえ!や〜、ハヤト、何その格好は〜?」・・・何が起きたのかと思ったのだけど、リビングで待っていたら、ハヤトがコートのフードをかぶってランドセル背負って入って来たんだけど、何故かズボンとそれにパンツまでずり下ろしてる。「なんだよ、トイレ?」と聞くと、「ちが〜う、走ってたら、脱げてきた」とハヤト。「どこからその格好だったんだよ、この寒い中?」と尋ねると、「ん?エレベーターの中から」と答えるハヤト。それじゃあ、年齢が年齢なら、露出狂の変質者だろ〜と思ったんだけど、妻は、「あはは、よかったね〜、学校からじゃなくて」と笑ってる。それにしても、どんだけ細いんだよ。と思っていたら、「遊びに行ってくるね〜」と言って、刀のおもちゃを持ってあっという間に出かけていった。同じズボンとパンツで。(2015年2月18日)
次男颯友がズボンとパンツをずり下ろて帰ってきた同じ日、兄の海友は、何故かズボンの内股に大きな穴を作って帰ってきた。「それどうしたの?」と妻が尋ねると、「あれ〜?本当だ〜何この大きな穴?いつできたんだろう〜?」ってお前、これ相当大きな穴じゃん。本当に気づかなかったのか?この寒い中、まったくスースーしなかったのか?鈍感にもほどがあるだろう。と思っている横で、二人して大きな穴をみて、大笑いしてる、長男と妻なのでした。(2015年2月19日)
朝食を食べていたら、次男颯友が、「足が痛い、足が痛い」というので、「どうしたんだよ?」と聞いたら、「え、蹴られた」というので、「誰に?」と聞くと、「え、複数の女子に蹴られた、何回も」。それはいじめなのか?でも、女子にやられるとは情けないと思いながらさらに聞いていると、「他の男子もやられそうになっていたけど、木に登って逃げてたりしてた」と聞いて、颯友だけがターゲットじゃないことをがわかったのだけど、「そんなに何度もやられたら、蹴り返せばいいんじゃない?」と言ってみたら、「え、でも男の方が強いからさ、蹴られてマジ痛かったんで、つい蹴り返しちゃったんだけど、すごく痛そうにしてたから、これはマズイなと思って、その後は我慢してたんだよ」と颯友。「えらいじゃ〜ん、颯友〜、意外と男気あるじゃん」と感心した。「でもさ、なんで女子は蹴ってきたの?」と尋ねると、「え、え〜とかんちょ〜とかしてたからかな」・・・・、そりゃあ、蹴ってくるだろう。(2015年2月20日)
海外にいるからトンガの番組観れないので、LINEで妻に「皆、トンガの観た?」ってメッセージ送ったら、「観てたよ、すごろくしながら〜」と写真が送られてきた(涙)。バハマに一緒に行った、みうちゃんとまなちゃんは、おばあちゃんから「3人で今テレビを見ています。クジラはたかじに会いに来てるんだから〜と何故か怒っています。」ってfacebookで嬉しいメッセージが届いたっていうのに・・・。「海友と颯友、なんか言ってた?感想?」と妻に尋ねたら、「カイトは番組終わるとプール行っちゃったよ」とのこと。「あ、そうなの・・・、ハヤトは?」と尋ねると、「パパずるい〜」って言ってたよ。でも、「すごかった。けど、知ってることも結構あったよ」だって。 ハヤト君、至極冷静な感想、ありがとうございま"す"た。
先日のトンガのテレビ番組の感想を息子たちに聞いたんだけど、次男の颯友は、「パパずるい〜!」とか、「すごかったけど、(クジラに関して)知ってることもけっこうあった」って感じの感想だったんだけど、あとで長男の海友の感想を妻が送って来た。「パパ、すごく沢山しゃべってるね」とか、「それにすごく楽しそうに笑ってるね」だったそうだ。そりゃあ、テレビだから、しゃべってるところとか、表情のあるシーンを使うよって思ったけど、少し反省した。颯友がママっ子なだけに、自分がいないときには、いつも弟に対して我慢してる海友。それに颯友に比べて、甘えるのがすごく下手。だから、自分が家にいるときは、「(颯友はママと寝るから)パパ、一緒に寝ようよ」と言ってくるのに、「ちょっとこの仕事終わらせてから」って結局一人で寝かすことも多かった。忙しくて仕事部屋に籠もったり、部屋に様子見にきて絡んできても、「忙しいからちょっと向こう行ってて」って言っちゃうことも多かった。今年もあまりいれなんだけど、もうそろそろ親に甘える年齢でも無くなるだろうから、いる間は、沢山話ししたり、笑ったり、ふざけたりしよう。
お正月を、家族と離れてメキシコで過ごすのは、今年で4年目。メキシコから帰国すると必ず家族と一緒に行くのが、氏神様の清流神社。
僕がいないので、お正月は毎年母子3人でお参りに行っている。今年は、実家から清流神社まで徒歩で出かけたそうなのだけど、長男の海友は「車がいい」とちょっと面倒くさがったんだけど、なぜか次男の颯友は万歩計を持って意気揚々と出かけたそうだ。なぜ万歩計なのか? 歩いて行ったおかげで、獅子舞に遭遇。
そして、今年息子たちが神社で購入したものを妻が写真で送ってきた。
海友はひつじのおまもり、そして、颯友は、破魔矢。
海友のひつじのおまもりは、「かわいいから」と、まあ、普通の理由なのだけど、颯友の破魔矢は、映画「ホビット2」でオーランドブルームが矢を放ってるシーンを直前に観て、それがかっこよかったからか、「矢が欲しかった」らしい。
「破魔矢買ったあとで、背中とコートの間に(破魔矢を)入れて、シュッて抜いて構える真似を何度もしてたよ」とのこと。
「ふ〜ん。そんなことより、なんか子供たちの面白いネタない?」
と妻に尋ねると
「子供たち?元気だけど・・・・面白い話は思いつかないよ〜」との返事。
なんだか、ちょっとがっかりしてると、
「すまん」と続いてメッセージが送られてきた。
まあ、しょうがないか。とりあえず、年始は元気にしてる報告だけでよしとしよう。
と思っていたら、
「あ、そういえば今年は3人とも大吉だったよ!いいはじまりだよ」
とまたメッセージが送られてきたので、
「すごいじゃん!」と話を続けようとしたら。
間髪入れずに「おやすみ〜」とのメッセージ。
「あ・・・、おやすみ〜」
時差が14時間もあると、なかなか会話が進みません。
そして、年始最初の息子ネタは、おみくじの結果とは裏腹に、個人的にイマイチな始まりでした。
仕事部屋でスライド作ってると気が滅入ってくるので、リビングのソファーに移動して作成を続けていると、なぜか隣でゲームを始める海友と、肩車状態でそのゲームに見入る颯友。別に、こっち(写真)に興味がないのであれば、他でやってもらいたいんだけど・・・、あるいは、もう寝るとか。(11月27日)
妻に颯友のれんらくちょうを見せられた。「今ね〜先生の描いてくれるこのぶた丸が欲しくって、字を丁寧に書いてくる子が多いんだって。二重丸より、ぶた丸の方が上なんだって。友達のS君は100回以上連続でぶた丸なんだぞって、まるで自分が取ったみたいに颯友が自慢してるんだよ」。「へ〜、で颯友は?」「たま〜にもらうくらいかな〜。なんか、おらは別にぶた丸に興味ね〜とか言ってるけど」「へ〜」ここからそばにいる颯友に聞こえないように小声で(でも、これ、ただの丸に自分でぶたの絵描いたんだよ)颯友作、一番下の写真の偽ぶた丸 ぶた丸、欲しいんじゃん (11月27日)
今日は家族で神奈川の実家へ。子供たちは、おじいちゃんとおばあちゃんにおもちゃ買ってもらう気満々。仕事部屋に来て後ろから、「ねえ、早く行こうよ、早く行こうよ〜」と急かす海友。「わかったよ、ちょっと待って」と振り返ると、セブで買ったライト付きメガネをこんな風にかけてた。「あ、それ面白いからちょっと撮らせて」というと、「え〜、早く行こうよ〜」と海友。お前がそんな面白いことしてるから、また出発が遅くなるんだぞ。と、なかなか出かけられないのを子供のせいにする父。(12月6日)
実家に帰って、買ってもらったのは、海友がWiiの大乱闘で、颯友がLEGO。家に戻って早速リビングでゲームを始める海友と、LEGOを組み立て始める颯友。別にいいんだけど、リビングにLEGOの細かいパーツが散乱して、うっかりしていると、踏みつけてしまい、足痛めるし、録画していた番組見れないし。リビングでくつろぎたい父としては、まったく何のメリットもない。海友が「パパ、大乱闘一緒にやる?」とか言ってきたけど、前にちょっとやってみたけど、海友どころか、颯友にも、全然勝てないから、まったく面白くないので、「やだ」と言って、「ね〜、それより録画したワンピース見ようよ〜」と言ってみたが、まったく賛同を得ることができなかった。まあ、別にいいんだけど。・・・・・それよか、颯友、お前のその髪型、伸ばしたいのはわかるんだけど、最近マッシュルームカットみたいで、女の子にしか見えないからそろそろどうにかしたら?(12月7日)
たったいま、たったったと、子供の走る音が聞こえてきた。近所の子が家に来て、外のインターフォン押して、「はやと〜あそべる?」と言ってるのが聞こえてきて、間髪入れずにインターフォン越しに「あそべない!」と颯友が返事しているのが聞こえてきた。おまえ〜、もう少し「ごめん、今日出かけるから遊べないんだ」とか、「あそびたいんだけどさ〜、出かけるんだ」くらいの配慮はないのかと思った直後に、「は〜い」と返事してその子もたったったっと足早に去って行った。配慮もへったくれも無い、この潔さ。見習いたい。(12月8日)
一昨日くらいから、右足首に激痛が走り、昨晩はとうとう、何もしなくても激痛が止まないし、寝れない。もちろん、まともに歩けないので、今日病院に行った。その間相談していた人からは、痛風の疑いが濃いのではないかと言われていたのだけど、医師の診断結果は、アキレス腱付着部症というもの。痛風は40~50歳台の特に男性に多いんだけど、アキレス健付着部症は、10〜30歳台のアスリートに多いとか書いてあった。つまり、運動のしすぎで、アキレス腱の骨液包なるものが炎症化しているのだという。
それを読むと、痛風よりは、アキレス健付着部症の方が嬉しいような。同じ激痛なのに、ちょっとドヤ顔で病院から帰ってきた。しばらく安静にしていれば治るらしいのだけど、明日、鴨川シーワールドでオーシャナのクリスマスパーティがあって、結構動かなければいけないので、松葉杖を借りてきた。まあ、すぐに返すことになると思うけど、明日は松葉杖。・・・・で、それを家に置いておいたら、学校から帰ってきた海友と颯友が、「お〜〜〜!松葉杖じゃん、パパ大丈夫なの?」と心配してくれて、「うん、まあ、大丈夫だよ。痛風じゃなくて、アキレス健付着部症って言って、若い人がなる病気なんだぞ」と、多分言っても意味を理解しない息子たちにまで、自慢してみたりした。当然、息子たちは、「ふ〜ん」と返事しながら、「ちょっと松葉杖かして〜」と言って遊び始めた。自分は、スライド作る作業してて、しばらくして、さあ、ちょっと移動しようと思い、松葉杖を掴んで移動しようとしたら、倒れそうになった。長さがメチャクチャ短くなっていていたのだ。
そう、自分が作業してる間に、海友と颯友が、松葉杖で遊んで、自分サイズに合わせて短くしていやがったのだ。おかげで、さらにひどい怪我をするところだった。
どうにか、倒れずに踏みとどまったけど。
松葉杖、二度と貸してやんない。 (12月12日)
ヌーヌー作りの他にも、ワチュラブ村ではこんな事もしました。
潮が満ちて、海に行けるよういなるまでは、ヤシの木に作ったターザンブランコで遊んだり
ヤップの酋長に頼んで、パチンコを作ってもらいました。
まずは、その辺にある木から、パチンコに適した枝分かれした木を切ってきて、樹皮をはいぎ、ナイフで形を整えます。
弾を込める部分は、パサンちゃんが、自分の革靴を提供してくれて、ゴムの部分は、町に出かけたときに、買ってきたものを使いました。
完成したら、ビーチにターゲットを設置して、
皆で、ターゲットを狙う練習。
上手く当てられたかな?ヤップの人は、これで、実際にフルーツバットや野生化した鶏を仕留めたりするんですよ。自分も持ってるけど、なかなか当たりません。
りょう君、そう君のお父さん、お母さんは、余った木の枝で箸を作ってましたよ。
颯友は、ヤップに来る前からやりたかった、実験を行いました。海水を濾過して、真水を作る実験。
まずは火を起こしてもらい
大きな鍋の中に海水を汲んできて、その真ん中に、空き缶を入れます。ちょっと長かったので、缶は半分に切り、軽くて浮いてしまうので、缶の中には、拾ってきた石を入れて固定しました。
アルミホイルをフタフタの下に敷いて、真ん中に石を乗せて、凹みを作ります。そして、フタをして、鍋を慎重に焚き火の上に敷いた網の上にのっけます。
あとは、沸騰した水から出た蒸気がアルミホイルを伝って、冷やされて、真ん中に置いた缶の中に溜まればオッケー・・・・
のはずが、火が消えかけたりして、網を何度も動かして、火が消えないようにしたりしたので、中の缶がずれてしまったようです。
まあ、それでも、少しは溜まっていたけど。石を洗っていなかったからか、溜まっていた水はちょっと茶色っぽくて、飲む気にはならなかったみたい。
トラックの荷台に乗って、町にも出かけました。
日差しが強いので、バナナの葉っぱで、日陰を確保して、出発!
がたがた道では、スピードが遅くて、暑さにばて気味な子供たちも
舗装道路に出て、スピードが出ると、風が気持ちよくて、爽快!
風を受けて、幸せそうなOちゃんの笑顔。
町では、誰もまったく写真撮りませんでした。
皆が海賊船のレストランで食事してる間、僕と大ちゃんとパサンちゃん、チョメは、大きな木の上に巨人が巨岩を乗っけたと言われる伝説の岩を探しにジャングルへ。
しかし、2時間探しても見つからず、しかもジャングルで道に迷っていました。
後半からは、小学1年生と1歳の男の子と女の子が合流。親も合わせて総勢17名に。
それでも、朝は、当然のように宿題から始まる。
皆、遊びたくて、宿題終わらすのは相当苦労していたみたいだけど。
小学1年生のOちゃん。2010年には、海友、颯友と一緒にヤップに来ていた。そのときのかわいらしい印象が強く残っていた海友にとって、小学1年生になり、スーパー悪ガキ2年生の颯友とそう君に負けず劣らずのマイペースぶりに、「なんか、Oちゃん、性格変わった・・・」と一言。
これに加えて、当然の事ながら、さらにマイペースな1歳児のOちゃんの妹のことはちゃんと、同じく1歳なんだけど、やたら貫禄のあるはるたかさん(貫禄があるので、自分は1歳だけど、さん付けで呼んでました)というメンバー。
Oちゃんのお母さんは、小学生になったOちゃんが、楽しんでくれればと思って連れてきていて、ことはちゃんは今回おまけみたいに思っていたらしいのだけど、思いのほかことはちゃんが楽しんでいたのを見て感動していました。1歳だろうと、自然の中で、何にも気にする事無く、自由に動けるのは気持ちよいものなんだよね〜。
ということで、皆でできる事をって事で、ヌーヌー(花輪)作りをすることに。まあ、一番真剣になっていたのは、ここでもお母さんたちだけど。
続く
リゾートは、バリヤフリーでもなんでもありません。部屋は高床式。なので、りょう君が車いすを下りずに昇り下りできるように、ヤップ人スタッフのチョメが木を組み合わせて即席のスロープを作ってくれました。
大人たちで、完成したスロープを運びます。マホガニーで作ってるから結構重い
階段部分に設置。これで、車いすを下りなくても、大丈夫になりました。
洋服のまま海に入ることもしばしば。びしょ濡れになると、颯友は、素っ裸になって、部屋に着替えを取りに戻ります。
最初は裸になることを少し、恥ずかしがっていたそう君。颯友のあまりの脱ぎっぷりと、素っ裸で気持ち良さそうに走り回っているのを見て、徐々に脱ぎたい衝動にかられていったようです。
夜、停電になったときには、懐中電灯とカメラを使って、光の絵を作って、それが何を描いているのかを当てるゲームをして盛り上がりました。
あんまり上手にはできなかったけど、皆楽しくてしょうがなかったみたい。何度もチャレンジしていました。
隣村を訪れて、ストーンマネーバンクや伝統的な、メンズハウス見学。
大ちゃんの奥さんのナミちゃんが、世界ふしぎ発見のミステリーハンターみたいにクイズを出してくれました。実際、ナミちゃんは、ミステリーハンターだったんだけどね。
問題の出し方が上手いのか、皆一生懸命、クイズに答えていました。
見学の後には、パサンちゃんが作ってくれたローカルフードのランチ。ココナッツジュース、タロイモ、パンの実、陸ガニ、魚のスープ、などなど。
苦手な子もいたけど、どれも美味しかった〜。りょう君は全部美味しい!と言って、おかわりまでしていたよ。
どこかから戻ると、子どもたちはすぐに海へ
ターザンロープで遊んだり
伝統的カヌーに乗らせてもらったり
毎日自然の中で色々な経験をさせてもらいました。
続く
ヤップに来たのだから、当然皆が行きたいのが海。
早速、海にも出かけることにしました。でも、他のリゾートとちょっと違うのは、海に行くのに子どもたちが乗船したのは、手作りの筏。
子どもたちだけでオールで漕いでいたら、スノーケルポイントに着くまでに、かなりの時間がかかってしまって、到着するまでに疲れてしまうので、ボートにロープで括り付けての移動だけど。
それでも、子どもたちは大喜び。スノーケルポイントに到着したら、早速皆で海に飛び込んでスノーケルを楽しみました。
りょう君はヤップ人のパサンちゃんに連れられて浅瀬をお散歩。
奇麗な貝を拾ってもらって大喜び。りょう君、本当に楽しかったみたいで、この後リゾートに戻ってからも、暗くなるまでビーチの浅い海で泳ぎ続けていました。
ヤップ人のチョメが、大きなヒトデやシャコ貝を沢山拾ってきてくれました。シャコ貝は、リゾートに戻ってから、刺身で食べたけど、美味しかった〜。
そして、一度筏を戻して次に向かったのは、マンタの出るダイビングポイント。
スノーケルポイントよりは、当然深くて底が見えない場所もあります。
それでも気にせず、スノーケルする子どもたち。でも颯友は、スノーケルが「うざい」と言って、フィンもスノーケルも付けづに、マスクだけ。
Jr オープンウォーターライセンスを持っている海友は、僕と一緒に、マンタポイントにマンタを探しにダイビング。もう慣れたものです。
りょう君は、ガイドの大ちゃんにフォローされて、体験ダイビングにトライ。
耳抜きが大変だったみたいだけど、初めての経験ができて、本当に嬉しそうでした。
帰りには、下の子たち(颯友とそう君)がボートの操船をちょっとだけやらせてもらったり。
別の日には、ボートで釣りも楽しんだり
りょう君は大きなカスミアジを釣り上げました
もり突きもトライしたけど、なかなか難しくて、結局子どもたちは誰も一匹もつれなかったけど、良い体験になったと思います。
続く
ヤップでは、テレビを見ることも、ゲームをする事も無く、毎日外で遊びまくっていた子どもたち。
しかし、学校を休んで来ていたので、朝はまずは宿題をすることから毎日がスタート。日の出とともに、ベランダで宿題をしました。
日差しが強いときには、部屋のベッドで二人仲良く宿題をしていた颯友とそう君・・・・。と思ったら、いつのまにかプロレスごっこです。当然、親に叱られます。
朝食を終えると、ストーンパス(ヤップに古くからある村と村をつなぐ石畳の小道)見学へ。
途中で、巨大なガジュマルの木を見学。沖縄では、キジムナーという妖精が住んでいると言われるガジュマルの木。根が無数に張り出した、ガジュマルの木の姿、ジャングルで見ると本当に妖精の住処のようです。
木登りの練習もしてみた。ヤシの木には、ナタでステップを作ってもらいそこに足をかけて登ります。ビートルナッツの木の場合は、ビートルナッツの枯れた葉を結んで輪っかを作り、それを足にかけて、ビートルナッツの幹をしっかり固定してよじ登る。ヤップ人はするすると登っていくのだけど、正直僕らはまったく登ることができなませんでした。
ジャングルを歩き回って喉が渇いたので、取れ立てのヤシの実のジュースを飲ませてもらいました。
魚を突くもりを作成。ヤシの実をターゲットに練習。ヤシの実にはしっかり刺さっていたけど、本番では、上手くいくかな〜。
そして、ヤシの葉っぱで作るバスケット作りにもチャレンジ。このバスケットは、隣村に行くときに、「戦う気はありませんよ」という平和の印でもあるので、隣村に行くときには、必ず持っていかなければいけません。
続く
2014年10月14日
ヤップに持って行くので、颯友が公民館に忘れたらしき水筒を、朝から取りに行かせた。妻と兄は、病院に行ってしまって、いない。「颯友、水筒探して来いよ!ヤップに持って行くんだろ?」。「あ!そうだった」。「じゃあ、早く行って来い」。「・・・・・パパ、一緒に来て」。「なんで?」。「だって、エレベーター怖いんだもん」。「な〜に〜?朝で明るいんだから、何も出ないよ」。「違うよ、出るとか、出ないとかじゃなくて・・・、なんか、機械じゃん」。「え?機械だけど、それがどうしたんだよ」。「だって、落ちそうじゃん、お願い!だから一緒に来て!」。「はぁ?」
何故か色々なサバイバル本を持って、ヤップに乗り込む二人
今回は、小学校のクラスメートも一緒に現地に入る。2年生の颯友と、同じクラスのそう君。
5年生の海友と、同じクラスのりょう君。
ヤップで遊びまくりたくて、行きの機内で宿題を終わらそうとする、颯友とそう君。
しかし、当然の事ながら、ほとんど宿題は終わらず、二人でくっついて早々に眠りにつく。
グアムで機体トラブルが発生。夜9時頃にグアムに到着して、1時間ちょっとのトランジットで、ヤップに夜中に到着の予定が、朝8時まで飛行機が飛ばず。しかも、徐々に出発時刻が延期していくので、ホテルにも行けず。
飛行機の中から大量にブランケットを持ち出して、グアム空港内のベンチをくっつけて、ベッドを作り、子どもたちはそこで眠る・・・はずが、合宿状態で大はしゃぎ。結局ほとんど眠らずに過ごす。
遅延してラッキーだったのは、普段は夜中のフライトしか無くて、ヤップを空からまともに見たことが無かったんだけど、今回は、日中のフライトになり、ヤップ島を空から眺めることができたこと。
ハード型の島も見れました。
空港に降り立ち、早速子どもたちの記念写真。しかし、まったくまとまり無し。
海友が逆側から撮った、僕ら両親の写真。親ばか振りが伺えます。撮影は一人でいいんじゃね、的な写真。
ワチュラブ村のリゾートまでは、車で40分くらい。早速、荷物を乗せるトラックの荷台に「のりた〜い!」ということで、子ども4人と僕が荷台に乗る事に・・・。頼むから、暴れるなよ・・・。ドライバーは、ヤップの酋長。
舗装道路では、結構スピード出して移動。
未舗装道路になり、スピードがゆっくりになると、皆前が気になり身を乗り出し始める。「お〜い、危ないからあまり身を乗り出すなよ」と言っても、聞くわけもなく。
最後は、ジャングルを通って、ワチュラブ村へ到着!
台風が通過したので、多分ヤップ行って来ます。久しぶりだな〜。また思いっきり好きな事して遊びまくるんだろうな。久しぶりに、ヤップに子どもたちが集まります。でも、今度は、海友が最年長。大丈夫かな?
YAP RIZE KIDSは、年齢の違う子どもたちが集まって、色々な体験をした事を記事にまとめています。
https://oceana.ne.jp/wordpress/wp-content/uploads/wm_pdf/201010_yap_kids.pdf
2014年9月26日
トンガ王国、ババウ諸島でのホエールスイム継続中テレビロケも終わり、Week7のゲストとスイム中。そして、明日は長男海友の誕生日。一緒にはいれないんだけど、誕生日のお祝いのちょっと長い手紙を妻に送っていて、明日、手渡してもらうことになっている。いつも、周りの人から、「優しい」と言われる海友。この前、家庭科のテストで、100点満点を取ったと妻からメッセージが届いた。「でさ、最後の問題にこんなのがあったんだよ〜」と。「あなたの家で、整理・整とんが必要なところはどこですか?また、その理由を書きましょう」という最後の質問に、海友が書いた答えは「場所」=おとうさんのへや。「理由」=色んな機材が落ちているから。だった。で、先生からの採点は、「丸」だった。・・・わかったよ、帰国したら、掃除すればいいんでしょ。
2014年10月1日
トンガから帰国。早速息子たちと会話。「海友、水泳とか、テニスどう?」って聞いたら、「うん、テニスは楽しいよ。水泳は、4種で1種50mのタイムだから、大変なんだよ〜」。「そうか〜・・・・、で、学校は?」「うん、楽しいよ」
「颯友は?学校は」「何?」「何?じゃなくて、学校はどう?楽しい?」「おらね、2年で多分今一番けんか強いよ」「え?けんかが強い?それは、口げんかか何か?」「口もだけど、全体的に、けんか負けないよ。泣いた事ないもん」「へ〜、家では良く泣いてない?」「でも学校では泣いた事ないんだよ」「けんかって、いじめとかじゃなくて?」「いじめじゃないよ、弱い奴とは戦わないもん。今のところ、ちょっと大変なのは、□□と、▲▲、それに●●くらいかな」「へ〜、お前弱くないの?」「弱くないよ。●●なんかさ、かかって来いって言ったら6人で来たこともあるんだよ。ずるいでしょ。1対6だよ」「それじゃあ、負けたろ」「負けて無いよ、ちょっと泣きそうになったけど、引き分けだったよ」「え?6人に対して、一人だったのに、引き分け?」「うん!すごいでしょ」「そりゃすごいわ」「まあね」と言う会話した直後に、兄にやられて泣いていた。颯友、これは本当の話なのか?
2014年10月2日
トンガから帰って来る前の日の息子たちのやり取りを妻から聞いた。「パパ明日帰って来るんだって」「え〜、まずいな、お菓子食べられちゃうから、隠すか、食べちゃった方がいいよ」「特にアイスはあっと言う間に無くなるからね〜」・・・・、あ〜、そうかい、それならお前らの期待に答えて食ってやるよ。
2014年10月3日
今日、久しぶりに日本に帰国した報告も兼ねて、父と電話で話していて、途中で海友と交代したのだけど、今までは「うん」とか「そう」、「ちがうよ」って口調で祖父と話していたと思っていたのに、今回は横で聞いていたら、「お久しぶりです」とか、「はい、そうです」とか、「いえ、違います」、「元気です」とかバリバリ敬語使っていて驚いた。父も、「いつの間にか中学生みたいにしっかりしたしゃべり方になってたな。きっと、お前がいないから、自分がしっかりしなきゃと思ってるんだろうな」と感心していた。
そして、夜、妻の体調が悪くて自分が息子たちに夕食を作ったのだけど、海友は、「うん、美味しいよ」と全部食べてくれて、おかわりまでしてくれて、おまけに、次男の颯友が、「辛くて食べれない〜」と残してるのを見て、「パパが作ってくれたんだから、残さず食べな。もし、どうしても食べれなくなっても、あと一口ずつ食べなよ」とさとして、気がついたら颯友も全部食べてくれていた。
「食器洗いは、二人でするからいいよ。パパまだ疲れてるでしょ」って言って、二人で交代で洗ってくれた。
こんな優しい二人なのに、期待に答えてアイスを全部食べてしまって、ごめんなさい。
2014年10月6日
台風で外に出れなくて、長男の海友と二男の颯友が、家でおもちゃのヌンチャクの取り合いで喧嘩。結局兄には勝てず、泣きながら寝室へ駆け込んでドアを締めた颯友。しばらくして妻が様子を見に行くと、颯友が、「どうせオラなんか、どうせオラなんか、まだまだケツが青いんだよ〜!」と叫びながら突っ伏していたと聞かされる。お前、本当に泣いているのか?
「ケツが青い話」関連。ちなみに、颯友、こんなに武器持ってるのだから、ヌンチャクくらいは兄に持たしといても良いのではないか・・・・、と思うのが父としての見解でした。まあ、だからって、目の前で喧嘩してたからって、「やめなさい」とか「仲良くしなさい」とかも言わなかったけど。言わなかったって言うか、呆れて何も言う気にならなかっただけだけど。・・・・・体力持て余してるなら、もう晴れたから外に遊びに行きなさいよ。父を室内でのかくれんぼにつき合わせるな!それにしても、何であんな所に隠れられるんだ?あ、ちなみに学校は休校でした。
2014年10月9日
夏休み、山賊キャンプなるものに参加した、カイトとハヤト。そこで、ハヤトが興味持ったのが、火おこし。だって自分で火おこせるなんて、かっこ良く無い!それに、何かあった時に、火おこして、ママに、何か作ってあげれるしね。奴の思考は、常に、非常時。
2014年10月12日
14日から家族でヤップに行く予定だけど、台風微妙・・・。今日水筒を持って外に遊びに行った海友と颯友。颯友が先に戻ってきんだけど、水筒を忘れて帰ってきた。「買ったばっかりなのに!ヤップにも持って行くんだから、持って帰ってきなさい!」っと母に叱られ、取りに行くのかと思ったら、泣き叫んで拒絶。なんでかと思ったら、暗くなってから一人でエレベーターに乗るのが怖いらしい。まじか!と言うことで、自分が一緒に探しに行かなきゃいけなくなりそうだったんだけど、丁度タイミング良く兄の海友が戻って来たので、と〜ても優しい声で、「海友〜颯友につき合って、水筒探しに行ってくれない」と頼む。兄は、「しょうがないな、いいよ」と言って、「ほら、颯友、行くぞ!」と言って出ていった。後ろから絶叫しながら、兄に着いて行く弟は、どや顔で「おら、学年で一番喧嘩が強いよ」と言っていた自信の微塵も感じられない。
息子たちから、誕生日のお祝いの絵と、7月にバハマに一緒にいった、ミウちゃんとマナちゃんからメーッセージが届いた。最高!の誕生日プレゼント。ありがとう〜。
明日、トンガへ出発する。いつも長期でいなくなる前には、自分しか食べない物を冷蔵庫に残していかないように、ちょっと無理してお腹に詰め込んでいたのだけど、最近は、そういう暴食も控えないと、と思っている。
・・・なんだけど、この日も夕食で「ちち、キムチ食べちゃってよ。ちちしか食べないから」と妻に言われて、もう結構お腹いっぱいだったんだけど、「わかったよ・・・」と言って、冷蔵庫からキムチを持ってきて、食べることにした。
その食卓での会話?。
妻が、まったく勉強したがらない二男の颯友(小2)に、ちょっとは宿題とかしなさいよねとか、チャレンジ(赤ペン先生)しなさいと、言っただけで、颯友がキレた。
キレた、と言っても、「いやだ〜!勉強いやだ〜!」と床に突っ伏して号泣しはじめるだけなんだけど。
好きな事はとことんやるけど、嫌いな事はとことんやらない。それが奴の主義のようで、まあ、他の子もそんななのかもしれないが、兄の海友は、たとえ嫌いでもこんなに拒絶する事は無かった。
最初は苦笑していたのだけ、あまりにも、「いやだ〜!いやだ〜!」と叫び続けるので、さすがに親として、なさけなくなり、近寄って、颯友の顔をあげ、「お前、いい加減にしろよな、勉強しろ!」と言うと、泣き顔で、「は〜い」と返事をするのだけど、どうも嘘泣きっぽい。
「それから、男なのに、そんな事でいちいち泣くな!」とさらに顔を近づけて、続けて言うと、「は〜い」と返事をした後に、「うぇ、うぇ〜」と急に、吐きそうな様子。
やっぱり本気泣きで、泣き過ぎて、嘔吐しそうなのかと思って、一瞬躊躇したが、「うぇ、キ、キムチ臭い〜、パパがキ、おぇ、ううぇ〜〜、キム、キムチ臭い〜」と口を押さえてマジで吐きそうな様子。
「こいつ、冗談か」と言うと、妻が、「子供たち、本当に匂いに敏感だから、まじで吐くかもよ」。
「おいおい、泣きながら、そんなところで、吐くなよな〜」。
「おぇ、うぇ〜〜。キ、キムチ臭い〜、キムチだめ〜、うぇ、うぇ〜」と泣き叫びながら、キッチンにいた妻の後ろに逃げ込む。
やらなければいけない赤ペン先生は、僕が座ってるテーブルのすぐ側に置いてある。
「もう、いいから、早くチャレンジやりなさい!」と妻がしかるのだが、渋々こっちに少し近づいただけで、
「だ、だめだ〜、キムチがキムチが〜、パパがキムチが、臭い〜、おぇ〜、うぇ〜ん。ママチャレンジ取ってきて〜」とキッチンに逆戻りして、また突っ伏して泣き叫ぶ。
あまりの泣き叫び具合に、叱っているにも関わらず、こっちも、もうおかしくて笑わずにはいられなくなってしまったのだけど、(いかん、いかん、ちゃんと叱らないと)と思い席を立ち、颯友に接近すると、
「ぎゃ〜〜!!キムチ〜、パパキムチ〜!」と言って逃げ出す。
(こ、こいつは〜)と思っていると、
「さすがに、ママも腹立ってきたよ!」と妻。(そりゃあ、そうだろ、そうだろう。言ってやって)と同意していると、
「パパはキムチ臭いかもしれなけど、キムチ好きな人は沢山いるんだからね!いい加減にしなさよ〜!キムチに失礼よ!」
(ち、違うだろ〜)
と言っても逃げ回るのをやめない颯友に、兄の海友が、「き〜むち〜だぞ〜」と言って、僕が食べ終わったキムチを乗せていた皿を近づけようとする。つまり、キムチ臭いパパと、キムチの匂いのする皿に挟まれる状態に。
「やだ〜!やだ〜!うぇ〜、おぇ〜!」
「もう、いいから、お前もやめろ!」と海友を制止して、「とにかく、離れるから、早く、赤ペン先生やれよ」と言ってる目の前で、海友が
「パパ、見て、オレ奇麗にブリッジできるようになったんだよ、ほら!」と言ってブリッジをし始める。「お〜、す、すごいじゃん」とその突飛な行動に一瞬ひるむ僕。しかし、それに気づいた颯友が、急に泣くのをやめて、ブリッジする兄のお腹をくすぐろうとする。
「おい!やめろよ!」と海友。くすぐろうとした颯友は、ついさっきまでキムチ臭い〜と泣き叫んでいた事を完全に忘れているかのように、「きゃは〜!」とか言いながら、ブリッジしようとする兄に全力でちょっかい出そうと夢中になっている。
颯友、・・・・どんだけ、気持ちの切り替えが早いんだよ。そこで、急にブリッジする海友も海友だけど、まあ、おかげで落ち着いて、急に勉強始めたから良かったけどさ。
明日からトンガ行ってきます。
バハマから戻ってきて、すぐに神子元ロケに出かけた。長男の海友が、バハマから帰る前に行ってきた、林間学校で、まぶたをアブに刺されて、腫れ上がって大変だったという話をいの一番に聞かされてから、神子元へ向かった。
神子元ハンマーズに到着したら、オーナーガイドの真君に、「ご家族も連れてきて弓ケ浜で遊んでもらえば良かったですね」と言われたけど、まあロケ期間中に海友はジュニアリーダー合宿というのがあって、日程的には来れなかったんだけど。
これは、その神子元ロケから戻ってきてから、最初に聞かされた話。
アブに刺された箇所の腫れもひいて、僕が神子元に出かけた翌日、テニススクールに出かけた海友。で、何故か刺されたまぶたが、また腫れ上がってしまった海友は、テニスのコーチに連れられて、スクール半ばで家に戻ってきた。それが6時少し前。
「もしかしたら、アブの針が残っているかもしれないから、一応、病院に行って見てもらった方がいいですよ」とコーチに言われた妻は、急いで眼科医を探すが、どこも6時で診療を終了するという告知だったので、慌てて一つの病院に電話して事情を説明すると、「じゃあ、すぐに連れて来て下さい。待ってるから」と言われたので、海友を連れてい急いで病院に行こうとしたときに、車は僕が神子元に乗って行ってるということに気がついた。
慌てて、海友に、「自転車で一緒に行くよ!」と言い、二男の颯友に、「颯友はお留守番してて」と言うと、
「おらも行く〜!」と颯友も着いてくる事になった。
そのため、全力疾走で病院まで自転車をこぐ3人。先頭にまぶたを腫らした海友、真ん中に妻、そして後ろから二男の颯友が着いて行く。しかし、その時妻の後方から突然「ママ〜、鼻血でた〜」という颯友の声。
振り返ると、鼻から血を流し、それを止血するために、交互に鼻を拭いていた手は血だらけ状態で、自転車をこぐ颯友の姿が。
「きゃ〜!何でもっと早く言わないの!」と慌てて自転車を止めて颯友にかけより、ティッシュで止血する。
「だって、急いでるから」と鼻血を出しながら答える颯友。
前方からは、まぶたを腫らした海友が「ママ〜、病院しまっちゃうんじゃないの〜」と不安気な声で呼びかけてくる。
妻は鼻血の処理をしながら、「海友はいいから、そのまままっすぐ病院に突き進みな!」と指示を出す。言われた通りに真っすぐ自転車を漕ぐ海友は、しかし、実は病院がどこにあるかわからない。
「颯友の鼻血の止血を済ませて、どうにか海友に追いついて、病院にも間に合ったんだよ。針も残ってなくてほっとしたよ〜。でも、あの瞬間は、ほんとコントみたいだったよ。ね、颯友」と笑いながら報告する妻。
僕の家庭には、なぜ、こう、もっと、「すごいじゃ〜ん!」と感動できるような、オレはいい成績取ったんだぜ的な、・・・オレ頑張ったんだぜ的な報告が無いのだろうか。
まあ、そんな妻と息子たちの話を聞きながら、「すごい(面白い)じゃ〜ん!」とは言ってるんだけど。
今日はジュニアリーダー合宿から、長男の海友が戻って来る。
まぶたの腫れ、再発してなければいいけれど・・・。
ちょっと前に、使っていないカメラを、海友と颯友に渡して、好きな物を撮影してみろって言ったんだけど、しばらくして颯友のカメラの画像確認すると、写っているのは、LEGOばっかり。
確かに、「好きな物」とは言ったけど、LEGO ばっかり撮影しなくても・・・。
と思って悲し気な顔で眺めていたら、「ねえ、パパ、これホームページに載せてよ」と颯友。・・・・・「え?こ、これを?どの写真を?」
「うん、これとか良くない?ジャングルの中のミクセル!気に入ってるんだ〜」。
「何?ミクセルって」。「ん、この黄色いLEGOの名前」
「ふ〜ん・・・」
「あと、これ、テレビに写った砂漠の中を進む、ラクダに乗った探検家」
「なるほど・・・・わかりました。載せればいいんですね」
「載せたらさ〜、どんな人が見るの?」
「どんな人って、パパの友達とか、ママの友達とか・・・」
「オ〜〜、やった、じゃあ、よろしくね」
自信満々だけど、これじゃ〜な〜。LEGO だけだしな〜・・・・と思って、兄の海友に、
「おい、海友、お前も載せたい?」
「いや、オレは別に」
「いいじゃん、いいじゃん、気に入ったカット選んで持って来いよ〜」
「え〜〜〜」
・・・・・、しばらくして、颯友の写真を処理してる僕の所に、やって来た海友
「じゃあ、これと、これと、これ」
「どれどれ〜、・・・・これと・・・」
「これと・・・・」
「・・・・・これ・・・・」
「あ、あとこれも!」
「・・・どれ?」
「これ!」
「お、お前も・・・・・LEGOだらけやん・・・」
「最初のがね〜、サメに襲われてるところ、次が、そのサメを格闘の末、捕獲して『とったど〜!』って言ってるところ、あ、バックはパパの南の島の写真ね。で、次がイルカに乗ったミクセル。で、最後がジャングルに迷い込んだミクセルたち!」
「・・・・、発想まで一緒やん・・・」
追記、打ち合わせ終わって、家に帰って息子たちに、
「今日は何してたの?」と訪ねたら、
「僕は英語で、颯友はテニスだよ!」と海友。
「テニスか〜、で、どうだった?」と訪ねると、
「テニスを〜、一文字変えると〜ペニス!!」
「ペニス!ペニス!ペニス!」
「黙れ!!」
1/短縮系?
GBRでの長期ロケ中。妻からたまに息子たちの近況などが送られてくる。今は、Spirit of Freedom号でリボンリーフへと移動中。SOFは、船内でFree Wifiがつながっているので、いまだネット環境有り。で、「これで正解でいいのか?」という妻のコメントと一緒に送られて来た写真は、二男颯友の算数の小テストらしき、答案。どうして、その部分で名前書くのやめるのか。あと、「や」と「と」書けばいいだけなのに。先生もちゃんと指摘してやって下さい。 ・・・・・とfacebookにアップしたら、「そういえば、カイト(長男)も同じ2年生のときに、「おちかい」って書いたことがあったよ。なんで「と」を書き忘れるんだって呆れたけど...。ハヤトは2文字書き忘れてるね(涙)」とまた妻からラインでメッセージが届いた。
・・・一文字とか二文字とか、そういう問題じゃないと思うんだけど。
2/SASUKE好き
5月のセブから、久米島、バハマ、GBRと続いたロケが終わり、帰宅。長期ロケから戻って、最初にするのは、ソファーに寝転んで、ロケ中に妻が録画してくれたテレビ番組を観ること。「今回はSASUKEが面白かったよ」というので、早速観ていたら、「颯友もSASUKE出たいんだって」と妻。「へ〜、そうなの、じゃあ、身体もっと鍛えないと、な颯友。今じゃガリガリ過ぎるだろ」と二男の颯友に言うと、「おれ、ウンテイいつもやってるからクリフハンガー得意だよ。あと、パパちょっと来て、これも得意なんだ」とテレビ観てくつろいでるのに、呼び出されたので行ってみると、「見て、スパイダーウォーク!」と言いながら、壁をよじ上り始めた。「す、すごいじゃん、颯友〜」・・・・「このSASUKE見て感化されたの?」と妻に聞くと、「違うよ、いつもやってるんだよ」とのこと。そうだったのか...、知らなかった。で、「颯友、もう一回やって、写真撮るから」と言うと、これに関しては嫌がらずもう一回やってくれた。でも、妻が、「あ、ちょっとまって」と言うので、パンツ一枚の颯友ではまずいと思って何か着せようとするのかと思ったら、玄関で散らかっていた靴をそろえ始めた。・・・そこか、気になるところは。
3/漢字は苦手なの
今日は打ち合わせだらけ。疲れて家に帰ると、息子たちの漢字テストがテーブルに・・・・。長男の海友が、「パパ!オレすごくね〜!ほら!」と言って自信満々の顔で答案見せてきた。50点・・・「ん?これは50点満点なのか?」とよ〜く見ると、100点中50点・・・・。「お前、これの何が凄いんだよ、何が!」と言うと「だって、ぴったり50点、ぴったり半分だよ!すごくね!」とマジで嬉しそうに自信満々に答える。アホかお前は・・・。「で、颯友は?ええっ・・・・24てん〜〜〜?」・・・「お前ら、漢字まじでまずくないか」と言うと、「でもね〜●●君は100点だったんだよ!すごいだろ!」・・・「お前が凄いんじゃないし、えらそうにすんな!」。「でも、反対から見たら、ほら42てん〜!」とどや顔。・・・・・「それも全然すごくないし」。どうしたら、そんなに前向きになれるんだ、お前ら。一体誰に似たのか・・・。
4/ストレスで目がつり上がった?
日本にいても、打ち合わせや、やること沢山有り過ぎて、身体休めることもできずに、もう明日からまたバハマです。さて、台風は大丈夫か?朝ご飯食べてて、テレビに関根勉とまり親子が出てたので、「そういえば、最近颯友、関根勉に似てるって言われなくなったんじゃない?」と妻に言うと、「そうだね〜、髪の毛伸ばしてるからかな?」と言うので、「いや〜、最近、目がするどくなって、男らしくなってきたからじゃないかな」と僕が言うと、長男の海友が、「颯友、何かストレスとかあるんじゃない?」とぼそり。「え?ストレス?」・・・・。「だって先生が今までバスケの部活やってて、楽しんでた子が、急に沢山塾行かなければいけなくなって、遊べなくなった子の顔がきつくなって、目がつり上がってきたって言ってたよ。だから、颯友もストレスで目がつり上がってきたんじゃない?」・・・・・「ほ〜〜、その子の話は理解したが、で、お前らのどこに、ストレスを感じる要素があるんだ?好きな事しかしない、勉強もできていなくても、たいして怒られない。怖いパパもほとんど家にいない。・・・どっちかって言うと、もう少しストレス与えられた方がいいくらいだお前らは!」
と言った後に、食後の腕立てしようとしたら、食事してた二人が急に椅子から下りてきて、颯友は、下に潜り込み、海友は、背中に乗っかろうとする。「邪魔するな!邪魔を〜!せ、せめて、颯友が背中で海友が下に潜り込むくらいにしろよ!海友もうかなり重いんだからさ〜、腰がダメになるだろ!」と言うと、言ったとおりに、海友が下に潜り込み、颯友が背中に乗っかってきた・・・・。「うざ〜いい!!お前らのどこにストレスがあるんだ!ストレスが〜〜!」と言うことで、腕立てをやめて、仕事部屋に戻った。
今日は、今から息子たちの小学校の運動会。二人の親子競技にも参加するのだけど、それに加えて海友の友達の4つ子ちゃんとこの女の子一人の父親役としても競技に参加しないといけないことになってるので、けっこう忙しそう。別のお父さんと競技に参加する上での、その子のリクエストは「かっこいいお父さんがいい」との事だとか・・・・・。オレでいいのか?
運動会の親子競技に出ようと、集合場所に行って、レースの順番とコースを書いた大きな表が貼り出されているのを見て、二男颯友の順番とコースを探したが、見つからない。友だちパパや妻に「颯友いないけど?」と尋ねると、「この空欄でバツ印がついてるのが颯友なんだよ〜。誤植だって」と妻。なんで颯友だけ無記名でバツ?とちょっと思ったのだけど、「颯友、これみて、『なんでオレだけバツなんだよね〜』って大喜びしてたよ」とこれまた嬉しそうに笑いながら話す妻。
運動会で、明らかに必死に走らない颯友を見て、「お前なんでマジで走らないんだよ?」とたずねると、「追いかけられないと、やる気にならないんだよね〜。オレ、逃げ足は、誰にも負けないんだよね。多分学校一だよ」と、どや顔で意味のよくわからない返事を返してきた。父としては、できれば、徒競走で学校一になって欲しい。
運動会は、今年もてっきり9月だと思っていて(昨年までは9月だった)本当は、今朝のフライトで久米島へ出発する予定だった。しかし、取材先のEstivant の川本さんに事情を説明したところ、「それは絶対運動会に出てあげて下さい」と言って頂き、夜羽田発、沖縄行きのフライトに変更してもらった。那覇で一泊して、翌朝のフライトで久米島に入ります。川本さん、家族のイベントを優先させて頂き、本当ありがとうございます。久米島ロケ、頑張らないと。
新学期になり、5年生と2年生になった海友と颯友に質問をしてみた。
「ねえ、新しいクラスに可愛い女の子とかいた?」
間髪入れず(多分、1秒もたたないで)
海友「いない!」、颯友「しらな〜い!」
父「・・・・(何こいつら、つ、つまらな過ぎる)」
父「ま、まあ2年の颯友は許すとして、海友、5年にもなったら、好きな子の一人もいるもんじゃないの?」
海友「だっていないんだも〜ん!」
父「もしかして、男の子とか好きとかじゃないよな?」
海友、颯友「え、それは無い」
父「じゃあ、好きな子の一人や二人はいるだろ〜」
海友、颯友「いな〜い!」
父「・・・・。じゃあ、まあ今はいないとして、大きくなって、結婚するとしたら、男、女、さあどっち?」
海友「それは女だよ。決まってるじゃん」
父「結婚の選択肢には、男は無いと?」
海友「あたりめ〜じゃん!」
父「なるほど、なるほど、(と言いながらちょっとにやける父)」やっぱり、大きくなって、つきあってる人紹介しにきて、それが男だとちょっとがっかりだからな、父としては、うんうん。
父「で、颯友は?」
颯友「でもさ〜、男同士だと何も家事とかやりそうにないじゃん。だから女だな」
父「え、男だってやる人はやるって」
颯友「まあ、ちゃんと一緒にやってくれるなら誰でもいいけど、まあ、やっぱ女でしょ」
父「まじで?男って選択肢は無い?」
颯友「無いって!」
父「なるほど、なるほど、それじゃあ、そういう風に男が好きとかじゃなくて、女に興味が無いように振る舞ってる奴の事をどう言うか知ってる?」
海友、颯友「え、知らない。何ていうの?」
父「そういう奴はな〜、硬派君って言うんだよ」
海友「え、紅白歌合戦?」
父「違う、硬派君」
海友「僕は、紅白歌合戦で〜す!お風呂入ろ」
父「違う!硬派君!」
母「二人はね〜、母から見たら、いけめんなんだからね」
颯友「いけめんじゃね〜!!」
母「あ!ソファーにチョコレートアイスがついてる!誰!?父〜、父でしょ!もうソファーでアイスは禁止!ちゃんと自分で奇麗に拭き取ってよね!」
父・・・無言
自分たちと同レベルで、母にしかられている父を見て、嬉しそうにする海友と颯友。
父「やっぱ結婚するのは女の子・・・なんだよな〜、お前ら」
颯友「でも、結婚しないって選択肢もあるよね」
父「なるほど!」それにしても、こいつは、今、父親の叱られ具合を目の前で見て、咄嗟にそんな事を思いついたのだそうか・・・・。
という意味の無い会話で盛り上がる、パラオ出発前夜。
パラオ行ってきます。
ラジャから戻ってきて、息子たちが、今気に入っているカードなど見せてくれた。海友と颯友は今の子供たちの間で超人気の「妖怪ウォッチ」の妖怪メダル。なかなか手に入らないらしくて、近くのデパートのおもちゃ売り場で販売されても、一人限定一個までで、あっと言う間に売り切れるらしい。
そういうのに目をつけたヤフーオークションなどで販売してる人とかが、大量に買い占めているという話も・・・・・・。
なので、一人一人のメダルというよりも、今は、二人の共有メダルのようになっている。
そんな中、颯友が嬉しそうに見せてくれたカードがこれ。友だちの中学生のお兄ちゃんに連れて行ってもらった、"不思議な"駄菓子屋さんで見つけたらしい。
「何これ?なめネコじゃん」と言うと、
「え、パパ知ってるの?」と颯友。
父:「当たり前じゃん、これパパとかが子供の頃に流行ったキャラクターだよ」
颯友:「へ〜、そうなんだ、1枚20円なんだよ、安いでしょ」
父:「パパの頃は、多分1枚10円だったよ」
颯友:「え、そうなの!へ〜!」
と、父が思いのほか理解を示してくれた事を喜んでいるようだった。
そんな話をしていたら、妻が、「この前外で遊んでいて、颯友が転んだんだよね、で、皆が大丈夫?って声かけたら、『にゃ〜』って言いながら立ち上がったんだよ。あれはどう考えてもなめネコの影響だと思うよ」と笑いながら教えてくれた。
今、なめネコが再度流行っているのか知らないけど、自分も、その中学生のお兄ちゃんおすすめの不思議な駄菓子屋に行ってみたくなった。
最近、二男の颯友(7歳)が、やたらと「パパと二人で旅に出たい」と言い始めた。長男の海友とは、5歳のときに、二人でバハマに1ヶ月半でかけた。だから、同じく5歳のときに、「颯友、一緒に旅に出る?」って尋ねたら、「やだ、ママも一緒じゃなきゃ行かない」と拒んだので、無理に連れていかなかった。食事のときなんかに、弟が「行きたい!」と言うと兄も「おれも行きたい!」と言うのだけど、やっと颯友が、二人で行く気になってくれたので、その熱が覚めないうちに、どこかに連れていこうと思っている。でも、「ねえ、アフリカは?アフリカがいい」と言い出したので、どうにか予定が組めるか思案中。でもアフリカはな〜・・・。遠いしな〜。
ということで、ライオンとかキリンとか、カバとか見たいのかと思ったので、「で、アフリカで何が見たいの?」と尋ねたら、
「え、すごい砂漠とね〜、あとラクダが見たいんだよね。それに砂漠の砂とか掘ってみたい。恐竜の化石とか出て来るかもしれないじゃん。あとはね、ピラミッドと〜、何だっけ,スフィンクス!ピラミッドって中は入れるの?」。
「入れるよ。パパ入ったことあるよ。ラクダも乗ってみたい?」
「じゃあ、入りたい!ラクダも乗ってみたい!」
ということで、行きたいのは、アフリカでもエジプトということなので、
「じゃあ、行きたいならさ〜、エジプトの事調べて、ノートにまとめてみてよ。何があるかとかさ。それ次第で連れて行ってやるよ」
と伝えると
「わかった、じゃあ、調べる!」と言いながら、「世界こども図鑑」を見始めた。
「ピラミッドはさ〜、機械使わずに作られたんだよね〜。人も沢山死んだんでしょ」
「世界のビルと比べると、ピラミッドちいせ〜な〜。スフィンクスちっちゃ!」
とか言ってる。
こいつの興味の対象は、いまだに良くわからない。まあ、建築家になりたいってずっと言ってるから、エジプトの古代遺跡とか見せるのはいい刺激になるのかも。と、思ってみたりもする。
スリランカ、オーストラリアと転戦して、次のバハマまでの2日間、帰宅した。
いない間に、授業参観があり、長男の海友は小学4年生、10歳ということで、「2分の1成人式」というのを行ったと妻から聞かされた。
その席で、子どもたちが将来なりたい職業を発表したのだそうだけど、やはり一番人気はサッカー選手だったり、お医者さんだったり、女優だったり。
そんな中で、海友は「水中カメラマンになりたいです」と発表したそうだ。
幼稚園の年長、5歳の誕生日のときに、幼稚園の先生に作ってもらった絵本に、「おおきくなったらカメラマンになりたい」と書いてくれた海友。
2012年、8歳のとき、にキッザニアに行ったときに経験した仕事の中でも、「カメラマンが一番お気に入りで、たのしくて、大好き」とお仕事カードに沢山シールを張ってくれた。
大きくなったら、きっとなりたいものも変わると思うのだけど、いまだにそう言ってくれるだけでも、本当に嬉しく思う。少なくとも、父の職業を「将来なりたいもの」と言ってくれてるってことは、ほとんど家にいない父親である僕の事を「好きだよ」と言ってくれているのと同じ事だと思うから。
でも、本当は、他になりたいものはあるはずなのも知っている。それなのに、そう言うのは、海友が「父親である僕に気に入られたい」から、というよりも、たまにしか帰って来なくて、家族と離れていて寂しい思いをしてるであろう、父である僕を気遣っての発言だって事も知っている。
僕が家にいれるのが短期間だから、「ちょっと写真撮らせて。暗いから、動かないで」と頼んだら、プールに行く前で慌てていたのに、「ほら、颯友、パパが撮りたいんだって、動くなよ」と動き回る弟をたしなめてくれた。
寝るときも、まだ母親と寝たがる二男とは別に、子ども部屋の「2段ベッドで寝ようよ」と言ってきた。自分が上段、海友が下段。しばらくすると、「寒いから一緒に寝ていい?」と言って布団に潜り込んで来た。
10歳で、もう結構大きいから、なんとなく照れるのだけど、こうして狭いベッドに二人で寝ていたら、5歳のとき、海友と二人でバハマのドルフィンクルーズに1ヶ月半乗船したときの事を思い出した。大人ばかりのクルーズで寂しくなる事も多かったみたいで、ベッドに入ると、「パパ、ぎゅってして」と何ども言われた。きっと母親に逢いたくなった事も何度もあったに違いない。
でも、小さな息子との初めての二人旅に、ちゃんと対応できずに、戸惑い、不甲斐ない父に対して「お家に帰りたい」、「ママに逢いたい」って言葉は一度も発する事は無かった。
それどころか、5歳なのに、船酔いして、横になってるゲストに「大丈夫?」と優しく声をかけていたり、僕のアシスタントとしての役割を一生懸命果たそうとしてくれていた。
父子でバハマ、ディズニーワールドでスカイプで会話する息子たち
近所のお母さんたちからも、「海友くんは優しい」と言われることが多く、学校でも皆の輪に入れない子に声をかけたり、海友の回りにはいつも笑顔があると先生に報告されたりしたとも妻から聞いたことがある。
勉強ができるとか、スポーツができるとか、そういうタイプでは無いのだけど・・・、最近ちょっとぽっちゃりしちゃって、大丈夫かな、このままどんどん横に大きくなっていかないかな・・・・と親として、色々悩みや心配事もあるのだけど・・・・・。
たまにしか遭えないから。
だから、たまには、こんな事書いても許されるかな。
最近、ロケに出かけると、家族とのやり取りはLINEでの事が多い。今週は暇だったので、たまに連絡取っていたのだけど、最近おもちを食べ過ぎなのか、長男の海友が前にも増してぽっちゃりしてきた。
「カイトはまたふとってるよね?」
「カイトはぽっちゃりだよ。空手の先生にも、また大きくなったって言われたよ〜。ははははは〜」との陽気な返事。自分は空手、重量級にならないか不安。
そんな話はさておき、海友は、今LEGO教室に通っている。
LEGOを使って、様々なものを作ったりするのだけど、今は、フューチャー・イズ・ワイルドってテーマで、生物が、今後どんな風に進化していくかを自分で想像して、LEGOで未来の動物を作っていくそうだ。
人類滅亡後、どんな生物が地球上で栄えるか、学者がシュミレーションした話題の本が元になっているとか。
「カイト、すごく楽しいって言ってるよ。ハヤトもきっと大好きだよ」
「こういうこと考えながら自分で生物進化を想像して、LEGOで創るのは楽しいよね!」
妻が話すと、息子が太った話でも、やってる事でも、全部楽しいことに思えてくる。
ちなみに、数年前にハヤトが女の子モノのおもちゃとか少しだけ好きになってた時も、
「わたしは、みとめるよ。ハヤトがそっちの方向に進むことになっても、わたしはみとめるよ〜あはははは(笑)」と笑っていたのを思い出した。
どこまでも陽気でプラス思考
昨日は、学校祭の振り替えで、子供たちが休みだったので、朝からお台場にある、Diver Cityの「スポッチャ」に行ってきた。本当は、ある程度早めに切り上げて、午後他の場所に移動するはずだったのだけど、同じように遊びに来る学校の友だちとかにも偶然遭遇したりして、結局7時くらいまで、スポッチャで遊び続けた。
ここには、ガンダムフロント東京というガンダムおたくには、たまらないガンダムミュージアムがある。自分は入った事無いけど。
とは言うものの、自分も初代ガンダム世代。中学校の頃、友だちへの年賀状に、モビルスーツや、アムロやシャー、セイラなどの登場人物などを、一人一人に違う絵を手描きで描いたりしていた。それがあまりに上手いと評判になり、冬休み明けに、友だちが僕の描いた年賀状を学校に持ってきて、見せっこしてたくらいだった。
今考えると、相当に面倒くさい作業だったと思うのだけど、あの頃は点描画にもハマっていて、全紙(457mmX560mmくらい)サイズの画用紙に、安彦良和の「アリオン」の1シーンを、点描で絵を描いて、楽しかった記憶があるくらいだから、絵を描くのは、本当に好きだったのだろう。
まあ、そんな話はともかく、このDiver City のフロントに等身大のガンダム像があるのは有名な話のようだけど、自分は昨日まで知らなかった。で、友だち家族とフードコートで食事するときに、外のガンダムがイルミネーションで奇麗だと教えられ、外に出てみると、夜空の下で、ライトアップされているガンダムの勇姿に、つい少年の頃の思い出がフィードバックしてきた。
(うわっ!すげ〜!でけ〜!)と内心興奮するも、息子たちだけでなく、友だちやそのパパ、ママもいる手前、あまりこの年で興奮できなかったのだけど、もう写真撮りまくりである。本当は子供たちを撮るために、持ってきたカメラなのに、最近写真撮られるの嫌がる息子たち。撮れない欲求不満も手伝って、40代後半のおじさんが、ライトアップ・ガンダム激写!!
後で、友だちのパパに、「たかじさん、ガンダム100カット以上撮影してた」と笑われた。
だって、ライトアップで色が変って、緑や青のガンダムになったり、シャア専用機みたいに、真っ赤に染まったり、おまけに排気口(?)から、煙まで出て来るんだよ。そりゃあ、撮りまくるに決まってるじゃん!ちなみに、100カットではなく200カットです。
で、妻が「子供たちとも一緒に撮影してよ」って言うし、この時ばかりは、息子たちもガンダムと一緒に撮影して欲しそうだったので、少し撮影したのだけど、やはり興奮していたのでしょう。ピントは全て子供たちではなくて、ガンダム。一カットたりとも、子供たちにピンがあっている写真がありませんでした。
す、すまぬ。
11月26日は、長男海友にとって、嬉しいことが二つ。空手の昇級試験に合格して、新しい色の帯を空手教室からもらって帰ってきた事。同時にPADI オーストラリアからJr OWのCカードが送られて来た事。「すごいじゃ〜ん、海友、おめでとう」と伝えると、「うん」と答えて、鼻の穴を広げて、嬉しそうにしてた。自分はというと、2016年11月まで有効のパスポート、一度増刷したけど、もうスタンプ押すスペースが無くなったので、新たに申請しに行った。なんか、もったいないな。鼻の穴もしぼむ。
翌日の27日は、水泳教室の水チャレという、昇級テストがあった。二人ともだったのだけど、海友は残念ながら、次の帽子に進めなかったが、颯友の方は、次のクラスに昇級した。プールを見学できる場所から見ていたのだけど、昇級が決まった後の颯友の喜びように、思わず吹き出してしまった。「小躍りする」とはまさにあんな感じなのだろう。水泳帽子を被り、指定の海水パンツを履いて、細い身体で満面の笑みで小躍りする颯友。
自分は、奴があまりあんなに嬉しそうにしてるの見たこと無かったから。嬉しくなった。
その姿を見て、あ〜やっぱり子供たちの前では、自分ももっと笑顔でいてあげるのがいいんだよなと反省した。
海友は残念ながら落ちちゃったけど、Cカード届いたし、空手の新しい帯ももらえたし、颯友は、水泳教室で進級できたし、「良かったな〜」と濡れた二人の頭をくしゃくしゃにしてやった。
プールから戻ってから、リビングでテレビ観てると、二人がネコみたいにピッタリくっついて来て、ちょっとうざかったけど、でも、それ以上に幸せだったので、好きにさせておいた。
帰国したら、生リースが届いていた。
成田到着。今リムジンバスの中。東京ディズニーランドホテルで下車なのだけど、到着時間と、妻が、二男颯友を英語塾に送って行く時間が被っていたので、「しょうがない、早く帰りたいから、ホテルからタクシーで帰るよ」と妻に伝えて電話を切った。しばらくして妻から電話がかかり、「颯友、行きは自分で行くって。だから迎えに行くよ」とのこと。「颯友にありがとうって伝えてね」と妻に言うと、側にいた颯友に、すぐに伝える。「パパがありがとうだって」・・・「ああ」というぶっきらぼうな二男の声。まだ、小学校1年生。でも、もう高校生みたいな返事。
翌日は、学校から帰って来た小4の長男の海友が、「キャッチボールしたい」というので、暗い中、チャッチボールしてきた。夕食のときに、「今度、歴代の仮面ライダーがいるところができるらしいんだけど、パパ行きたい?」と聞いてきた。海友が行きたいから、一緒に行って欲しいのかと思い、「え?海友は行きたいの?」と聞くと「え、別に」という。「じゃあ、颯友?」というと、小1の弟の颯友も「え、全然」という。「え〜、本当は行きたいから、聞いてきたんじゃないの〜」と言うと、「違うよ、パパ歴代の仮面ライダー好きかと思ったからさ」と海友。「1号とか2号とかもいるらしいよ」と颯友。「だから、お前らが行きたいなら一緒に行ってもいいよ」と再度聞くと「え、別に」。「え、全然」と答える二人。そして、「パパが行きたく無いなら、別に僕らは行かなくていいんだ。パパが行きたいとこでいいんだ」。息子たちの、その発言。とっても嬉しいのだけど、「パパの行きたいところ=歴代仮面ライダーのいるところ」と思われている自分ってば、息子たちに相当オタクと思われていないのだろうか。
11月3日は、二男颯友の7歳の誕生日。ハロウィンでスパイダーマンの仮装をしたのを知って、本物のスパイダーマンが、スパイダーマンのケーキを持って、お祝いに駆けつけてくれた。ちなみに、颯友のおじいちゃんも今日が77歳の誕生日。二人ともおめでとう〜
歴代、二人のハロウィーンコスチューム。
そして、昨日はディズニーのハロウィーンに行って、中抜けして自宅マンションのハロウィーンパーティーに参加して、再度ディズニーに戻って夜まで・・・・。本当はディズニー諦めてたけど(自分が人ごみ苦手だから)、ディズニー大好きJames family(James本人は「好きだけど、そんなに好きじゃない」と言ってたけど)に、昨日は付き合ってみました。僕は撮影担当。
「ディズニーのハロウィーンに出かける前に、宿題終わらせときなさい!」というママの一言で、宿題に取り組む、ダースベーター・・・、もとい、二男の颯友。さっきまで、素だったのに、いつのまに・・。
「宿題終わったら、急いでご飯たべちゃいなさい!」とママに言われて、「へーい」と返事をして、ゆっくりとご飯を食べるマイク・ワゾウスキー・・・、さっきまでダースベーダーだったじゃんか!そんな余裕があるなら、さっさとやること終わらせてくれ。
Jamesが、兄海友用の仮装コスチュームを完成させて持ってきてくれた。で、試着中。Jamesの娘たちは、シンデレラとか、やっぱりお姫様系。そして颯友は、モンスターズ・インクのマイク・ワゾ・・・・、あれ?スパイダーマン?颯友、朝ダースベーターで、そのあと、マイク・ワゾウスキーだったじゃん。いつの間にスパイダーマン?お前は怪人20面相か?
そしてディズニーへ、で、ディズニーは、・・・・マイク・ワゾウスキーだらけ・・・・
Jamesのオビ・ワンは、注目の的。「あ、ジェダイ!オビ・ワン!ピクチャー、オッケー?」と羨望の眼差しで、皆が声をかけてくる。すごいな〜。去年は一緒に写真撮りたい人たちで行列ができたそうです。
ディズニーを中抜けして、自宅マンションで行なわれたハロウィーンイベントに参加。仮装もディズニーキャラから衣装替えして、海友ミニオン&颯友スパイダーマン!ここでは、Jamesの作ってくれたミニオンが大人気!
再び、ディズニーへ。新たに、もうone family 合流し、子どもたちのテンションMax!、結局夜10時まで・・・・。
今日は、いつも取材でお世話になっている、ediveの平川恭ちゃんファミリーと、お出かけ中。雨なので室内で遊べる場所へ。恭ちゃんとこのちいさな子供たちの面倒を一番みてあげてるのは、やっぱり、妻と、長男の海友。
その間、奥さんの和江ちゃんは、一人で食材などのお買い物。こういう時間が、子育てママには、貴重らしい。取材の疲労が未回復の僕は、座って荷物番。目の前には、妻が小さい子供たちに買ってきた、たまごぼーろが...。モグモグ、モグモグモグモグ、モグモグ...、モグモグ...!あ、やべ!全部食べちゃった!....、アー、きっと海友に、パパ、ダメだよ〜って叱られるんだ。
ediveは、タイ、シミラン諸島へのファミリークルーズを企画しています。
台風一過のこの日、海友も颯友も、遠足だった。もうすぐハロウィン、二人とも、すでにカボチャでおばけを作ってたんだけど、手伝ってくれたのは、ジェームス。いつもありがとね。
颯友が、「ねえ、ママ〜、パパ今度はどれくらいいれるの?」と訪ねてる。妻が、「今度はね〜、結構長くいれるんだよ」と答える。
颯友「え?やった!颯友の誕生日までいれる?」
妻「いれるよ、だからハロウィンもいれるんだよ」
颯友「わかってるよ〜、誕生日よりハロウィンの方が先だもん」
海友と颯友は今一緒にお風呂に入ってる。風呂場から、オペラ歌手のような颯友の歌が聞こえてくる・・・。
バハマ、フロリダ、メキシコの2ヶ月間の撮影旅行を終えて帰国。しかし、次のトンガGBRの2ヶ月近くに及ぶ旅まで、日本にいれるのは、1週間。昨日はバハマのリピーターファミリーが家に遊びに来てくれた。
1週間の間には打ち合わせが沢山入っている。本当は昨日も打ち合わせを入れてしまっていたのだけど、妻から「この日は皆が集まってくれるって前に伝えてあったでしょ」と言われた。だけど、はっきり言って、このハードなスケジュール状況で、全てを把握しておけるはずもなく、最初は「もう断れないよ」とは言ったものの、なんとか日程を合わせて頂いていた、打ち合わせ先の方にお願いして、日にちを変更してもらった。本当に申し訳無いことをした。
9歳から生後数ヶ月まで、11人の子どもたちが集まったバハマリピーターのホームパーティー。総勢24人。
しかし、せっかく集まってくれたのに、自分が起きていられたのは、最初の2時間くらい(?)で、後は皆が帰る直前まで極度の時差ボケと疲労蓄積(?)で爆睡。断片的に、ママチームの悲鳴のような盛り上がりと、子どもたちのドタバタ走り回る音が記憶にあるだけ。最後に「皆帰るよ〜」と起こされて、「あ、じゃあ集合写真撮りましょう」と撮影だけして皆とお別れの挨拶。皆さん、すみませんでした。
やはり長期で撮影旅行に行った場合、1週間は元の感覚に戻らないですね。でも、その1週間後には、トンガとGBRに2ヶ月近く行くことになるのですけど・・・。
今回のジンベエスイムスペシャルトリップには、今年3月のタイのediveの企画したファミリークルーズで一緒だった、菊池ファミリーも参加した。
お父さんの暁君は、以前タイのタオ島にある、ブッダビューというダイビングサービスで日本人マネージャーをしていて、取材で何度かお世話になったことがある。
彼等の子どもたちは、小学校4年生の長女、海ちゃん、2年生の遥君、そして、3歳の空君。僕らの息子の海友が4年生で、二男の颯友が1年生なので、タイのファミリークルーズでも意気投合していたことから、話が盛り上がり、丁度お互いに、こちらの方面に来る機会があったので、スケジュールを合わせて、ムヘーレス島で合流した。
INTO THE BLUE +ocean+αでチャーターするジンベエザメのスペシャルトリップ。結構ファミリーからの参加の問い合わせもあったのだけど、ほんのちょっと見たいだけなら、デイトリップの船が沢山出てますよ。とアドヴァイスしていた。
何故なら、僕らのチャーターは、長く泳ぎたい人、沢山撮影したい人をメインのゲストにと考えていたからだ。
どの船よりも早く出港して、どの船よりも遅くまでいてくれる。だから、ジンベエと泳げる時間は、1日で長くて6時間以上になる。それだけ撮影に集中できるし、沢山泳げるわけだ。
デイトリップの船だと、現場に2時間もいない場合も多い。しかも、泳ぎ慣れていない人の参加が多いから、ガイドと2〜3名のゲストが一緒に入っている間は、他のゲストは船上で待っていなければいけない船が多い。
こちらは、基本的にプロフェッショナルな人を中心にしているから、自己責任ではあるけど、ほとんどの場合、皆、好きにエントリーして泳いでもらっている。
たまたま、現地で仲良くなった日本人ファミリー(上の子が4年生、下の子が1年生)が、「参加させて欲しい」と言ってくれたのだけど、どうしても人数的に無理があったので、デイトリップの会社に参加してジンベエザメを見に行ったのだけど、やはり、順番で入らなくてはいけなくて、しかも、入れるチャンスが2回だけだったとか。それに、ガイドが付きっきりで手を引いているから、思うように動けなくて、下の子はかなり海水を飲んで大変だったそうだ。
海に慣れていない子どもだと、船酔いの心配もあるから、早く帰れるデイトリップの方がおすすめかと思っていた。しかし、今回、自分の子どもや、暁君たちの子どもを乗船させてみて感じたのは、船酔いなどしているのに、少ないチャンスで、順番が来たからと言って無理矢理入れて、ぱっと見ておしまい。
みたいな感じより、長く現場にいて、船酔いが回復したり、僕らや周囲の人が泳いでいるのを見て、徐々に泳ぐ決心をしたり。そういう意味で、子どものペースに合わせられる事は、チャーターのメリットだと感じたこと。
あとは、一人で躊躇していたのに、友だちが入っていると、競争心と安心感が芽生えるのか、結構平気で泳げるようになっていたりとか。
同じ海域で、冬の時期泳ぐバショウカジキは、海が荒れていることが多いからできないけど、このジンベエスイムの夏の時期は、海も穏やかな日が多いから、それも可能だなと感じた。
そして、今回3歳の空君が、ジンベエスイムに初挑戦。4日間のうち、空君が乗船したのは、最後の1日だけ。しかし、その前にお兄ちゃん、お姉ちゃんがジンベエやマンタと泳いだ話を聞いたからか、「僕も泳ぐ」と決意も固く、最終日に船に乗り込んだ。でも、前夜には、「サメが大きいし、ソラは小さいから食べられちゃうかも・・・」と若干弱気になっていたらしいのだけど、いざ船に乗ると、その顔は3歳ながら、「ボク、がんばるぞ!」という気合いで満ちあふれているようだった。
まずは、ボートの上からお父さんに抱っこされて、世界最大の魚、ジンベエザメがどれくらい大きいかを確認。びびるかと思ったけど、意外と平気。
最初は両腕にフロート、ライフジャケット、それにゴーグルを付けて、お父さんに連れられてエントリー。
でも、お父さんが気合い入れて速く泳ぐものだから、呼吸のタイミングが合わず、海水を沢山飲み、鼻からも海水がいっぱい入ってしまって。しばらくダウン。
途中、海に入るのを嫌がっていたけど、他の皆が泳いでいるのを見て、再度入ることを決意。
今度はお姉ちゃんのマスクとスノーケルを借りて、再び、お父さんに抱っこされながら、やって来るジンベエザメにアプローチ。そして、念願のジンベエザメとマンタに遭遇!といっても、3歳で念願だから、贅沢だけど。でも、親としては、そんな小さな息子が、なかなかできない体験をできるは嬉しいもの。僕もなんとか好ポジションに回り込んで撮影を試みた。最初のアプローチでは、暁君が邪魔で空君が見えない。「もう1回!」とチャレンジ、今度は良いタイミングで、ジンベエとそれを水中で見る空君を撮影できた。
「やったね!」とお父さんと空君がハイタッチ。しかも、今まで使った事のなかっらスノーケルもその時に、何も教えていないのに使えるようになっていた。
「空君、ジンベエ、どんなだった?」の質問に
「おおきかった!でも怖くなかったよ」と満面の笑み。
ジンベエザメを見終わって、島に戻ってからの空君、なんかちょっと大人っぽくなった感じだったな。いっつもお姉ちゃんの海ちゃんに、「赤ちゃん」と呼ばれてるのに対しても、「赤ちゃんじゃない!」と抵抗してみたり、遥君や颯友に闘いを挑んでみたり。それまでは、一人マイペースで遊んでいたのに、お兄ちゃん、お姉ちゃんたちの走り回るのに、一緒について行くようになったり。
ジンベエと泳いだ経験は、3歳の空君にとっては、ちょっとお兄ちゃんになった事への大きなステップだったのではないかと感じた。
こういう経験を通して、子どもの心が成長していくのを目の当たりにするのは、大人である自分にしても、本当に嬉しくて、何ものにも代え難い経験だと思った出来事だった。
今は家族でメキシコのカンクン沖にあるムヘーレス島に滞在して、ジンベエスイムを行なっている。
昨日は、ゲストと家族一緒にセノーテとマヤ遺跡を訪れた。
セノーテでは、海友とミナの良い感じの写真が撮れた。
遺跡は、海岸にあるトゥルム遺跡。ガイドから海で泳げると聞いて、あまりに暑いので、遺跡に入るなり、「海行くぞ〜!!」と駆け出した二人。
「おい!一緒に行くぞ!」という僕の声を振り切って海の方へ。
妻も仕方無く付いて行く。
僕は、ゲストと一緒にメインの遺跡の方へ。
その海側に、唯一、海に降りれる階段が・・・。
先走った海友と颯友は、海にたどりつけず、しばらくの間茫然自失。
やっと自分が見つけて海に連れて行くと、狂喜乱舞。
本当に単純で分かり易い。
そして、その日の夜・・・・・。
相変わらず暴れ回る海友と颯友。
「お〜い!」
「え?な〜に?」
・・・・・・、ひ、一人増えている・・・・。
「カ、カートに乗って帰るぞ!」「オレたち、荷台に乗る〜!」
・・・・・、も、もう一人増えている・・・・。
翌日、「海で遊ぶぞ〜!!」
父「その前に記念写真撮ろう!」
子どもたち「は〜い!」
・・・・・・、さ、さらにもう一人増えている・・・・。
ということで、今年の春休み、タイで一緒に遊んだ菊池ファミリーの子どもたちが合流。
増々騒がしくなりそうだ。
それにしても、海友色黒過ぎるぞ。
・・・・・あ、人のこと言えないか。
バハマのドルフィンクルーズ下船後、ウエストパームビーチでレンタカーをして、車で約2時間半。フロリダ半島中央部にあるオーランドへと向かった。
ほぼ毎回、家族でドルフィンクルーズに乗船した後には、このオーランドを訪れる。目的はもちろん、ディズニーワールド。
今回は、色々な事があったので、どれだけブログに書けるかわからない。
まずは、子どもたちに買ってあげるおもちゃに関して。
毎回、特にディズニーキャラクターのおみやげは買わない。奴ら自身、それほど興味を示さない。日本でも買えるからってのもあるみたいだ。その息子たちが、毎回必ず買うことに決めているのが、Build a Dinoという、恐竜のぬいぐるみ。中に何も詰まっていない外側に綿を詰めてもらって、♡を入れて完成させる。日本でもBuild a Bearっていうお店がお台場かどこかにあるらしいのだけど、それの恐竜版で、ダウンタウンディズニーのT-REX cafeの中で販売している。
これは、舞浜のイクスピアリ内にある、Rain forest cafeの恐竜版のレストラン。
そこの恐竜のぬいぐるみは、二人ともかなり好きならしく、海友は今回で3匹目、颯友は2匹目を購入した。
それ以外には、「あれが欲しい、これが欲しい」と言われても、どうせすぐに飽きるだろうし、基本的には「高いからダメ」と拒絶する。
ただ、もう一つ、購入を認めているのが、LEGO ブロックの詰め合わせ?
最初にこれを見つけたのは、ハワイのアラモアナショッピングセンターの中にあった、LEGO ショップ。
透明の容器に、自分が欲しいLEGOブロックを詰めれるだけ詰めれるというもの。
すでに、何を作るか決まっている高いLEGO商品を買うよりも、色々なブロックを自分で選んで、好きなものを作れるので、創造性を養うにもとても良いと思う。何より、子どもたちが、設計図のある商品を作るよりも、そっちの方が楽しいというので、今回も、それを購入することはオッケーした。
フロリダのLEGOランドでは、透明の容器に詰めるだけ詰めるのではなくて、ジップロックに詰める重さによって値段が決まってしまうスタイルだったから、あまり詰める楽しさは無かった。
でも、ダウンタウンディズニーのLEGOショップでは、このハワイのスタイルと同じで、透明の容器にいくらでも好きなだけ詰めて同じ値段。
Largeで15ドルくらい、Smallで8ドルくらい。子どもたちは、自分が欲しいものを選んで詰めていくのだけど、見てると容器に空間が結構できてて、親としては「この空間がもったいない」と思い、そこに入る小さなブロックなどをさらに詰めていく。
結局最終的には、僕と妻とで必死になって、ギリギリまで詰める。締めるフタの方にも詰める。僕は、ちゃんとフタが絞まる程度しか詰めないけど、妻はフタがしまらない状態まで詰める。
「それ、大丈夫なの?」と聞くと、「あとは笑顔でお願いするよ」と妻。
こういうときって、やっぱり女性の方が良い意味で図々しくなれると思う。
まあ、そんな事はともかく、日本のLEGOショップやLEGOランドでは、こういうバラ売りブロックの詰め合わせってのは、まだ無いらしい。日本でもこういうスタイルのものがあればいいのにと思う。
ホテルの部屋に戻るなり、早速二人で買ってきたブロックで、色々なオリジナルの乗り物などを作っていた。
Week4には、日本から家族が合流して乗船、息子たちは、ゲストやクルーとの船上生活を体験して、野生のイルカたちと泳いだ。
乗船するDOLPHIN DREAM号の柱には、海友と颯友が乗船した年の身長を計った印が刻まれている。海友が最初に乗船したのは、生後6ヶ月、まだ前の船、DREAM TOO号のときだ。DOLPHIN DREAM号のサロンにある棚の側面には、海友が生後18ヶ月、颯友が生後20ヶ月のときに初乗船したときの身長から、9歳と6歳になった今年の身長までが刻まれている。最初はこんなに何年も連れて来れるとは思っていなかったけど、すでに10年も経って、まだ家族一緒にこの海に帰って来れる事は、本当に幸せな事だと思う。
2年前には、僕が浮き輪とカメラを持って、浮き輪の周囲をちょろちょろしながらイルカと泳いでいた長男の海友(9歳)は、もう他のゲストと同じように、マスクとスノーケル、フィンを装着して、普通にイルカの群れを追いかけるようになった。そんなに深くは潜れないけど、たまに、素潜りしてアプローチを試みることも。瞬発力はそれなりにあるけど、まだ自力ではなかなか追いつけないので、イルカが移動を始めると、すぐに僕の手に捕まってくる。だから、やっぱりまだまだ完全に自由に撮影に集中できるわけではない。
手をつないでいれば、当然僕の泳ぐスピードは落ちるし、かなりパワーがいるので、イルカに追いついた時には、もう潜る気力が失せている。まあ、4週間もドルフィンクルーズ船に乗って泳ぎ続けていれば、それだけで相当に疲労がたまっていて、足首は痛むし、足はパンパンになっているから、息子のせいだけではないのだけど。
<ゲストがイルカたちと泳いでいるのを見て、素潜りで接近を試みる海友>
撮影には、正直邪魔になるけど、それ以上に息子たちになかなかできない体験をさせたい。そういう思いがあるから、シャッターチャンスを逃す結果になっても、しょうがないと諦められる。それが、「写真に対しての情熱の無さ」を感じさせてしまうのかもしれないのだけど、写真に対して情熱が無ければ、最初からこんな生活は続けていない。
これでも、5歳くらいのとき、今の颯友(6歳)が身につけていたライフジャケット入りのスーツを着て背中に乗っかられていた時の事を考えると、本当に楽になった。
二男の颯友は、妻が担当して一緒に泳いだ。目の前で一人で泳ぐ兄を見ているからか、奴は妻に手を引かれながらも、基本的にはその手を振りほどき、自力で泳ごうとする。妻が潜ってイルカと泳いでいて少しはぐれたときに、僕が手をつなごうとしても、すぐにその手を振りほどいて、イルカに向かって行った。もちろん泳ぎは遅いけど、誰にも頼らずに自力でイルカに追いつこうと懸命になっている姿は、見ていてちょっと滑稽だけど、感動させられた。
今回のクルーズ乗船で、颯友は、自分がやりたい事をいくつか決めていたようだ。
イルカと泳ぐことはもちろんの事だけど、「釣りがしたい」、「操船したい」、「イルカに触りたい」そして、「トップデッキから飛び込みたい」などなど。
操船は、タイミングを見計らって、スコット船長にお願いしてほんの少しだけさせてもらった。最初は、真剣にやっていたのだけど、「最終的には足で操船できるようにしなとね」とまたノーテンキな妻が笑いながら言うものだから、元来が悪戯好きの颯友、早速足で操船を始めてしまった。
<念願の船の操船をさせてもらい、ご満悦の颯友。後ろはスコットキャプテンとロビンキャプテン>
一番難しいと思っていた、「トップデッキから飛び込みたい」という願望。多分船のトップデッキに登ったら、高過ぎて躊躇するのではないかと思っていた。大人でも少し躊躇する高さだ。しかし、長男の海友が「恐え〜恐え〜、高過ぎ!」とか言いながらも嬉しそうに何度も飛び込む(本人曰く10回)のを見たせいか、ほとんど躊躇することなく、飛び込んだのには、驚いた。
<ランチ休憩の度に、トップデッキから何度も海に飛び込んだ海友>
船上結婚式では、二人とも皆と一緒に船内の飾り付けをしたり、お祝いの絵を描いたり。颯友は、「飾り付けしてる間は、二人に気づかれないように、僕が二人に満天の星を見せて時間かせぎするからね」と作戦を立てて気合いを入れていたけど、明るい間に飾り付けをする事になり、二人にも最初からバレバレだったので、ちょっとがっかりしていた。
ウエディングパーティーでは、自らケーキに顔を押し付けて、ケーキまみれに。
ビミニ島に上陸して、ゴルフカートをレンタルして妻の思い出の場所を巡った。ここは、17年前に妻が数ヶ月住んでいた島。僕はその頃に取材で2週間程訪れた。撮影が終わると、夜な夜なバーに繰り出して、地元の人たちや、観光客と仲良くなり、いつまでも飲み続けた。
そんな二人の思い出の場所の一つが、END OF THE WORLDという名前のバー。別名サンドバー、アンダーウェアバーとも呼ばれていた。掘っ建て小屋のようなバーの中は床が無くて、ビーチの砂がそのまま敷き詰められている感じで、バハマビールのカリックを飲みながら、いっつも素足になって、砂の中に足を埋めていた。ひんやりして気持ちよかった。
でも、昼間なので開いていなくて、たまたま隣のバーのおじさんが顔を出したので、話をしていたら、そちらも閉まっているにも関わらず僕らだけのために店を開けてくれて、ビールとコーラを出してくれた。
<20年髪を切って無いという、レゲエのお兄ちゃんの髪を触らせてもらう母子>
自分で取ったというコンク貝(カリブ海周辺の人にとっては主食のような貝)で新鮮なコンクサラダとコンクフリッターを作ってくれた。息子たちには、釣りをさせてくれて、釣った魚をフライにして食べさせてくれた。おかげで、念願の釣りができて、颯友も大喜びだった。
以前、「老人と海」や「海流の中の島々」の著者、アーネスト・ヘミングウェイの小さなムージーアムがあった、コンプリートアングラーという小さなホテルは、かなり前に全焼して無くなってしまっていた。そのことは日本の新聞記事で読んで知っていたのだけど、実際に訪れてその渋いホテルが暖炉の煉瓦だけを残して無くなっていた。
妻のミナが住み込みでベビーシッターをしていたダイビングサービスのオーナー家族は数年前にフィジーに引っ越していた事もfacebookで知っていた。住んでいた家を訪れると、空き家になっていた。ピンク色の可愛らしい家だったその家が廃墟になっているのを見た妻は、時の流れの早さを感じていたようだった。
クルーズ下船後、長男海友の書く旅行日記を読んでみた。「〜した。楽しかった」「〜した。嬉しかった」「〜した。面白かった」・・・う〜んボキャブラリーが少ない。「〜した。楽しかった」「〜した。嬉しかった」「〜した。面白かった」「〜した。楽しかった」「楽しかった」「楽しかった」・・・。
まあ、何をしても楽しんでいるようなので、良し。そう、子どもたちには旅を通して、世界には色々な出会いがあって、色々な人が生きているということ。地球上には、人間だけじゃなく、多くの生き物たちが住んでいることを実感しててもらえれば、といつも思っている。
それが彼らの世界感を広げる学びの場になれば、それで充分と感じている。人間として、面白い大人に成長してくれるきっかけになれば良いと思っている。
自分がバハマにいる間の息子たち。最近は、頻繁に同じマンションに引っ越して来た友人のジェームスの家を訪れる。
そこでジェームスと一緒に作ったのは、ドナルドのケーキとカップケーキ。男の子だけど、こんな遊び心満載のお料理教室なら、きっと楽しいはず。
で、これは小学校の課題なのかわからないのだけど、二人ともミシンを使って裁縫してるらしい。
で、作ったものはというと、海友は、ワンピース柄の袋
颯友は、タイトル「シロイルカたち」だそうです。
あれ?颯友、彼女できたのか?
今日、子供たちは、僕が鴨川シーワールドで泊まり込みで撮影している間、一緒に宿泊して、シーワールドを見学させてもらった、お礼の絵を描くことになった。
好きな生物の中心は、やっぱり、イルカ、シャチ、ベルーガ、それにカメやエイ、クマノミの幼魚などなど。
海友の描く絵は、ミナ(ママ)が描くイルカにどことなく似ている。そして、颯友の絵は、そんな兄の描く絵に似ている。特に、二人が描いてるピンクのイルカは、完全にミナ(ママ)の描くイルカそのものだ。
「一番気に入った生き物は何?」と訪ねると、「やっぱイルカが好きだけど、今回はベルーガだったかな〜」と海友。
「どれも好きだけど〜、しいてあげるとすると〜、ベルーガがかわいかった」と颯友。
二人ともベルーガを気に入るとは、ちょっと意外。
そんな気持ちを反映しているのか、海友の絵は、シャチよりベルーガの方が大きく描かれていた。
ちなみに、颯友は、アルビノのエイも気になっていたようだ。
感謝の気持ちは、鴨川シーワールドでお世話になった、皆に届くかな?
昨日、4人の娘のいる友達の一番下の女の子のクレアちゃんを預かった。上の3人のお姉ちゃんたち(といってもまだ小さいんだけど)をママが新体操の教室に連れて行き、パパが仕事から帰って来るまでの数時間。クレアちゃんは、写真撮影してあげたり、引っ越した後に家に遊びに行ったときにも会っていて、だっこしたりしてたから、その話を聞いて、家で仕事していた僕は、「早く来ないかな〜。だっこしたいな〜」とわくわく。
妻が「じゃあ、行ってくるね〜」と家を出て、「連れてきたよ〜」と帰って来ると、「わ〜い!」と早速カメラを持って、リビングへ
お、いるいる、ク〜レアちゃん。いらっしゃ〜い。とGH3のモニターを見ながら、笑顔の苦手な自分としても精一杯の笑顔で、近づきながら、シャッターを切る。
ク〜レアちゃん。・・・・の様子がおかしい。
僕の顔を見るなり、な、なんか泣きべそ。そして、視線をそらせたと思ったら・・
「うぎゃ〜〜〜!!」とツップして泣き出した。「あああああ〜〜れれれれ〜〜〜(汗)」
「クレアちゃん、大丈夫?」と妻が慌てて抱きかかえる。
その間も撮影を続ける僕。「パパの事忘れちゃったかな〜。はいはい」と笑顔であやすも、泣き止まない。
泣き止まないので、妻から、「パパ、ちょっとクレアちゃんから見えないところに行って!」と笑顔で言われ、しぶしぶ、仕事部屋へ引き返す。
そうこうしているうちに、海友と颯友が帰宅。「クレアちゃ〜ん!」と駆け寄るのに便乗して、再度リビングに行ってみる。
「クレアちゃん、パパ見ると泣いちゃうから、パパがいること気づかれないようにしてくれる?」と海友と颯友に告げる妻。りょうか〜いと息子たち。複雑な心境の僕。
早速颯友が、自分たちが小さい頃遊んでいたぬいぐるみの詰まった袋を持ってきて、クレアちゃんの目の前に、ぬいぐるみを「うぉりゃっ!」とバラバラとぶちまける。
クレアちゃんがこっちを気にしないように、優しい海友がクレアちゃんの顔をのぞき込んで、話しかける。
ちらっ。「うっ、気づいた?」
すかさず、妻がクレアちゃんの視線を遮るように、前に出て、難を逃れる。
ここで、動かずにいればいいのに、カメラマンの性ってやつで、(撮りたいものが見えないんじゃ、位置変えるしかないだろ〜)と無意識の内にクレアちゃんの顔が見える位置に回り込み、ぱしゃぱしゃ。
ちらっ。「うう、しまった、気づかれたか!(当たり前だろ)」
機転を聞かせて、海友が、「クレアちゃん、ぬいぐるみいっぱいあるよ〜」と目の前にぬいぐるみを積み重ね始める。
海友、な〜いす! 「ほら、まだまだあるよ〜」とさらにぬいぐるみを積み重ねる海友
しかし、今度はぬいぐるみが邪魔で顔が見えなくなってきた。
ここで、動かずにいればいいのに、カメラマンの性ってやつで、(撮りたいものが見えないんじゃ、位置変えるしかないだろ〜)と無意識の内にクレアちゃんの顔が見える位置に回り込み、ぱしゃぱしゃ。
ぬいぐるみと優しい海友の顔とを見ながら、安心しきったクレアちゃん。か〜わい〜〜。パシャパシャ。
ちらっ。「う、気がついた。近寄りすぎたか?(だから当たり前だろっつ〜の!)
とっさに、父を見えなくするために、目隠しする海友。
しかし、時すでに遅し。「うぎゃぎゃ〜〜〜!」とまたもやツップして、泣き始めるクレアちゃん。
「大丈夫だよ、パパは怖そうだけど、怖くないよ」と何となく納得のいかないなだめ方をする海友。
しかし、結局泣き止まないので、「パパ、ちょっと見えないところ行って」と言われ、退場。
その後、パパのジェームスが迎えに来るまで、僕は仕事部屋、出禁になりました。
言い訳するようだけど、ジェームスと、ママの愛子ちゃん、お姉ちゃんたちがやって来てからは、泣かなくなって、ずっと抱っこしてました。ほら、これがその証拠しゃしん。あ〜良かった。
昨日の夕焼けは奇麗でしたね。
僕が鴨川シーワールドで撮影をしている間、数日間は家族が一緒にホテルに泊まり込んで、海友と颯友は、シーワールド内での動物との触れ合い体験を楽しんだり、僕の撮影中の様子を見学したり、色々な事をトレーナーの人に質問したりと、充実した日々を過ごしてくれた・・・はず。
今まで何カ所かの水族館に連れて行った事があるけど、だいたい動物たちを見て終わったり、アトラクションに乗ったりだけだったりで、息子たちが、これだけ色々な体験をさせてもらったのは初めての事だったと思う。
ベルーガの撮影をしているとき、同じ水槽に入れられたネズミイルカを見て、「パパ、あのイルカは、水温の低い海にいるから、ベルーガの水槽が一番水の温度が冷たいからいいんだって。他のイルカの水槽だと暑過ぎるんだよ。あの子はね、房総沖の定置網にかかちゃって弱ってたところを保護されたんだって」と教えてくれた。
他にも、「イルカの眠り方って知ってる?片方の目をつぶって泳ぎながら眠ったり、水面に浮いて眠ったりするんだよ」。
「トレーナーの人が吹いてる笛は、シャチが上手に芸ができたときに鳴らすんだよ。こっちに行きなさいとか、飛びなさいっていう指示を出すために吹いてるんじゃないんだよ」。
「カクレクマノミは、一回に300個くらい卵生むんだって、知ってた?」。「エイはね〜、餌が欲しいと水面をバシャバシャやって、知らせて来るんだって」。「水族館に来たばっかりの生き物や、生まれたばっかりの生き物は、予備の水槽に入れて、大丈夫かチェックしてから、お客さんに見せるんだって」。
「ベルーガは、透明度が悪くても、超音波みたいので、どこに物があるかわかって、それでぶつからないで泳げるんだよ!」
「エイとかサメのオスは、ちんちんが二つあるんだよ!」
「イルカが擦り傷あるときにつける薬は、紫色なんだよ」
「カメは小さい時は、検査しないとオスかメスかわかんないけど、大きくなるとオスのしっぽが長くなるんだって」
「アルビノは肌の色が白くなる病気だけど、ここにいるアルビノのエイは、元気なんだよ」
「タカアシガニは大きいけど、世界で一番じゃないんだって、多分日本では一番大きいと思うんだよね。本では世界で一番大きいって書いてあったけど」
・・・などなど。
見ていて一番印象的だったのは、鴨川シーワールドホテル宿泊客だけが体験できる「夜の水族館探険」のときの二人の行動。
係の人が夜眠りについている動物たちの前で、色々説明してくれた事を必死になって、メモしてる姿だった。
特に颯友は、まだまだ文字を書くのに慣れていないために、皆が次の動物のところに移動した後も、黙々と何かを書き続けていた。
ベルーガやイルカにタッチしての記念撮影。自分はちょっと微妙な気持ちだけど、「ベルーガの頭はぷよぷよしてたよ。イルカにも触れて嬉しかった」と素直に喜んでいるのを見ると、こうして、海の生き物たちに興味を持っていってくれればいいなと感じた。
僕が水槽に入って撮影しているのを見て、「凄い!いいな〜。シャチの水槽、パパだけ入れてずるい。自分も入りたい!」って二人ともずっと思っていたり。
色々な生き物たちと触れ合い、見て、学んで、感じて、生き物に対しての自分なりの考え方を持ってくれればいいな。
スリランカから帰国した。
シャトルバスのバス停まで車で迎えに来てくれた妻が、
「今颯友の髪型、凄いことになってるんだよ」
と報告を受ける。
何何?どういうこと?と帰ってみると
「ただいま〜」
と玄関を開けるなり、
「あちょお〜〜!」とか言いながら、二人が襲いかかってきた。
「いて!何すんだよ!!」と声を荒げるが、まったくその攻撃は終わらない。
いい加減にしろよ!とさらに声を荒げてやっと落ち着く。
で、落ち着いて颯友の髪型を見てみると・・・・・
確かに不良っぽい。「でも、こっちの方がかっこいいんじゃない?何、おしゃれさんだから、この年でパーマでもかけちゃった?」と訪ねたら、
「違うよ、ただの寝癖だよ。寝起きはもっと凄かったんだよ」と妻。そして、自分のiphoneで撮影した、起きて来た直後の颯友の画像を見せてくれた。
・・・・・、確かに、爆発してる。てか、すごく不機嫌そう。ますます不良っぽい・・・。
そんな二男と比べて、長男は相変わらず明るく、子どもっぽい。今回も漫画を見せてきて、「パパ、これ面白いよ、読んでいいよ」と勧めてくれる。(ありがとう、息子よ。でもコロコロコミックは、相当暇で無いと、こんな父でも読まないから。そんな嬉しそうに勧めないでね)。
スリランカにいる間の子どもたちの様子を知りたいとメールしてしばらくして、妻からこんな写真が送られてきた。
あの手こ、の手を使って、甲斐甲斐しく可愛い妹の面倒見る、兄二人の図
・・・・・ではなくて、4人姉妹の娘がいる友人が、同じマンションに引っ越してきて、その引っ越しの間、一番下の女の子を家で預かっていたときの様子だそうだ。
クレアちゃんは、前に僕が写真を撮影してあげた事のある可愛い赤ちゃん。
長男の海友が赤ちゃん好きなのは、前々から知っていたので、まああまり驚かなかったのだけど、なんと今回、あまり年下の子にそれほど興味を示さなかったと思っていた弟の颯友が、エプロンシアターをクレアちゃんに披露。
妻曰く、「動画で撮影して見せたかったよ」というくらいの奮闘ぶりだったらしい。見たかったな〜。
しかし、二人のあまりの溺愛振りに、クレアちゃんは、すでに二人が見向きもしなくなった、自分たちのぬいぐるみで、覆われて、少々困惑気味な表情?
これから、頻繁に家で預かりそうな予感。
今日は颯友の入学式だった。この日は日本にいれるように、ロケ日程も調整していた。
幼稚園から、一緒だったお友達。
幼稚園は別だけど、空手の道場や水泳教室で一緒だったお友達。
兄、海友と同級生のお兄ちゃんがいて、一緒に良く遊んでたお友達
マンションが一緒で、遊んでいたお友達
初めて出会うお友達
色んなお友達と、一緒になって、これから小学校生活がスタートします。
なんか初日から、仲の良さそうに暴れていたこのメンツ。意外とアイドル系?かな。1年生不良グループを形成しそうな雰囲気ムンムン。
そして、颯友の座席は、名簿順とはいいながらも、廊下側の一番後ろ。う〜ん、やっぱり不良の位置。ちなみに、兄海友は、真ん中の一番前だった。
自分もどんなに席替えして、前の席になっても、机ごとこの位置、あるいは窓際の端っこに勝手に移動してたな〜。不良ではなかったけど。
仲良しの男の子とだと、看板の前での記念撮影も、まともには、撮れない。まあ、それぐらいが良い感じだけど。
とにかく、おめでとう。
カオラックから車で2時間のカオソックという観光地撮影から戻ってきて、いよいよ、今日からediveのスミランファミリークルーズに乗船します。何故ファミリークルーズかというと、3ファミリー、子どもは系7人が乗船するクルーズだからです。
このクルーズで、長男の海友と、同じ年の海ちゃんが海洋実習して、Cカードを取得する予定です。
それに先立ち、ediveのショップ内で、学科講習、そして、隣の欧米人ダイビングショップにある、講習用プールでプール講習を行ないました。
学科はともかく?プール講習の方は、二人ともかなり楽しんで進めることができたようです。
ということで、クルーズ行ってきます〜。
バハマのタイガーシャーククルーズから帰国した3月16日の翌日、17日の朝、二男の颯友は、幼稚園を卒園した。
長男の海友のとき以上に、なかなか幼稚園の催しに参加してあげることができなかったから、「卒園式と入学式だけは、なんとしても出る」と、ちょっと前に、颯友と男の約束していた。
前にもこんな事があったから
「うそつきんこ」と言われた日
前日、飛行機もスケジュール通り無事に到着して、時差もあり、ほとんど寝ずにリビングで作業していたら、寝室から妻が起きてきた。
妻「チチ、明日さ〜、海友を病院に連れて行ってくれないかな〜」
自分「え?どうしたの?」
妻「なんかね、怪我してそのままにしていた指がね、結構腫れてきちゃってるんだよね。もうすぐタイに行くし、一度お医者さんに見といてもらった方がいいと思って。忙しいし、時間も無いから、チチがいるときに分担して行っといた方がいいと思って」
自分「え?でもオレ、明日颯友の卒園式の後、すぐ寺山君が来て、オーシャナロケで鳥取だけど」
妻「うん、だからね卒園式行かないで、病院連れて行ってもらえないかな」
正直、一瞬返答に窮した。「男の約束」を二男としたのに・・・・。でも、長男が楽しみにしているタイロケ(旅行)で、もし指が化膿して潜れなくなるのは可哀想だし。
妻はこの卒園式の後、「さよならの集い」みたいなのが、先生と子どもたちと、お母さんたちだけであって、その卒業対策委員会の担当者だったから、この日のために、ほぼ母子家庭状態にも関わらず、徹夜で色々な作業をしてきていて、こと卒園式に対しての思い入れが強い。
長男を病院に連れて行ったら、自分は間違いなく、二男の卒園式にはまったく出れない。
しばらく葛藤した挙げ句、妻にこう提案してみた。
「オレが卒園式でて、ミナが病院連れていけば。それでも、さよならの集いは間に合うでしょ。もし、病院が長引くようなら、卒園式終わったら、交替するし・・・」
しかし、この発言は、車登園が禁じられていて、今まで雨の日も風の日も、そして雪の日も、大震災のときも、一緒に幼稚園に自転車と徒歩で通い続けた二男の晴れの舞台を、当然見るものと思っていた妻を呆れさせてしまった。
でも、自分には、これが最善の方法だと思った。、「颯友との約束を守ること」、「海友がタイで海に入れなくなっては可哀想だということ」、「卒園式にかける妻の思い」。
自分が帰国したばかりで、フラフラで、卒園式が終わったら、その直後に車で鳥取にロケに行かなければいけないという、ハードな状態であるということは、その葛藤の中には、入れる余地も無かった。
こんな些細な事でも、全ての事を完全に全員が満足行く結論を出すことがなかなかできないな〜と感じた。
大げさかもしれないけど、家族や身近の人とのこういう約束事すら守れない、ちゃんと対処する事を避けて、「面倒くさい」と逃げ出しているようでは、社会に出ても同じ事をしてしまうような気がするんです。
自分「じゃあ、わかった。自分が海友を病院に連れていくよ。卒園式出れないのは残念だけど」
そう答えると、しばらくして、妻が「やっぱ卒園式出ていいよ。さよならの集いが終わるのが、病院が閉まるギリギリ前だから、何とかダッシュで帰ってきて、海友病院に連れて行くよ」と言ってくれた。
そして、晴れて?僕も卒園式に出ることができ、先に家に戻り、海友が小学校から帰ってきたのを確認して、寺山君が車で僕を迎えに来て、鳥取まで9時間かけてたどり着いた。
移動中、気になって妻に電話してみた。「海友の病院は間に合った?」
「結局、間に合わなかったよ。でも、いいよ、そんな痛がってないし。明日か明後日、ちょっと学校行くの遅くして病院に連れて行くよ」
単純に合理的に考えれば、「なんだ別の日に行ける余裕があるんじゃん」って事なんだけど、そうじゃない部分が人との関わりには沢山あるのだということも、考えなければいけないって事ですね。
颯友、卒園おめでとう。そして、もうすぐ小学校の入学式。
facebookに書いた家族の小話シリーズ。facebookだけに載せてると、見つからなくなってしまうので、昨年11月、12月のつぶやき小話シリーズに続き、こちらにも載せておこうと思います。
パート1
「ドラえもんの寝床」
年末年始実家に戻っていたミナ(妻)から届いた今年最初の息子の写真とメッセージ。「ハヤトが実家の押入れを見て「ドラえもんみたいにココで寝たい!」って言い張って押し入れにお泊まりしたよ」。今年も相変わらずマイペースです。
パート2
「13時間睡眠」
昨日メキシコから帰国して、眠れず、妻に録画してもらった1ヶ月分のドラマとかアニメ(ワンピース)とか、逃走中とか観てたら、朝に。で、眠くなったのは、朝7時過ぎ。で、目覚めたのは、夜8時・・・。13時間寝てた。
パート3
「母子のちょっとした変態プレイ」
二男、颯友が目の前に靴下を脱ぎ散らかしたので、「おい!これちゃんと冷蔵庫に入れろよ!」と間違えて言っちゃったら、嬉々として戻ってきて、「冷蔵庫に入れちゃうぞ!」と言って、まじで冷蔵庫に入れた。「やめなさい!」と言う妻に取り出した靴下をくっつけて、「ねえ、冷たい?冷たい?」と迫る。「きゃ〜、やめてよ〜!」と言ってるけど、まざらでも無さそうに見える。母子のちょっとした変態プレイだ。そんな父母弟のバカなやり取りの間中も、長男海友は、ずっと本を読み続けてる。
パート4
「クチが悪過ぎる納豆」
セブ滞在中。朝御飯のとき、ハヤトが納豆のパックを見て、ゲラゲラ笑いながら「ママ見てよこれ~!『あけろ』だって~。クチが悪すぎだよね~。」ってすごく嬉しそう。
と妻から写メが届いた。
パート5
「バブルリング17回連続」
北海道ロケから帰宅。録画してあった、イッテQを家族で観てたら、イモトがベルギーでバブルリング作る映像が出てきた。妻が、「そういえば、海友バブルリングすごいんだよ〜。お風呂だけど沢山つくれるんだよ」と言うので、海友(小3)に「すごいじゃん、どれくらい作れるの?」って訪ねたら、「息しないで、最高17個」だって。い、いつのまに、そんなに・・・。
パート6
「バブルリング17回連続は難しい」
朝風呂で、昨日帰宅したときに、長男の海友がお風呂でだけど、バブルリング最高17回連続(もちろんちゃんとできてないときもあるけど)できたって言われたので、試しに一人で入ってるときに、トライしてみた。・・・・・17回連続って、バブルリング云々より、普通にぼっ、ぼって息は来出すだけでも、大変だということに気がついた。
パート7
「寂しがりやは、パパ」
昨日、夜長男の海友が、9時前に「パパ、一緒に寝よう」と言ってきた。妻と二男の颯友はまだ寝ないので、きっと一人では寂しいんだなと思って「ん、いいよ」と答えてベッドに行こうとしたら、「パパ、結構寂しがりやだもんね。だから一緒に寝てあげるよ」と言われた。・・・・俺か、寂しいのは(笑)。
パート8
「"イケメン"は、悪口?」
人から「イケメンだね」と言われるのは、僕らの世代では、褒め言葉で、自分は言われること無いのだけど、きっと「イケメンですね」って言われたら、悪い気はしなくて、「うれしかね〜ぞ!このやろ〜」とチョッパーみたいな反応をして照れそうなのだけど、息子たちの世代では、「イケメン」は悪口ならしく、もし言われたら、「ふざけんな、このやろ〜!」と巻き舌気味に対抗してしまうくらいムカつく言葉だそうだ。
パート9
友だちの4番目の女の子の写真撮影を頼まれました。生後3ヶ月のクレアちゃん。かわいい〜な〜。最近悪ガキになってきた息子たちを思うと、なんか、こんな可愛い赤ちゃん、また欲しくなるな〜。
ちなみに、クレアのパパは、颯友の運動会に帰国できなかった、僕の代わりに、騎馬戦に出てくれた。今回はそのお礼。
http://takaji-ochi.com/kids_diary/2012/10/post-22.html
パート10
友だちの赤ちゃん、クレアちゃんを撮影し終わって、ほっこりしているところに「ただいま〜!」と帰ってきたのが、チビッコギャングの颯友。この前転んだ時にできたスリ傷もかさぶたになって、直りかけ中。久しぶりに、カメラを向けると、「とるんじゃね〜!」と巻き舌ですごむ。
あ〜、こいつでは、もうあんな平穏な癒しは感じられないよな〜。
パート11 「誰がパパ?」
昨日は妻が友だちと夜遅くまで会うので、「後子どもたちのこと、よろしくね。ちゃんと寝かせてね。大丈夫?」と言われて「大丈夫」と答えておきながら、疲れてリビングのソファーで寝入ってしまっていたら、9時過ぎに長男の海友から「パパ、そんなところで寝ちゃうから、疲れが取れないんだよ。ちゃんとベッドで寝なよ。あ、その前にちゃんと歯磨くんだよ」と起こされて、「ふぁ〜い」と言って歯磨いてベッドに入ったら、「眼鏡も外して、布団もちゃんとかけなよ」と布団をかけられた。当然、ベッドルームの電気をしっかり消したのも、長男だった。
パート12
「おとといまえのことです」
卒園する二男、颯友が幼稚園で描いた、絵本などをもって帰ってき、読んでみてと、差し出して来た。
おとといまえのことです。
じんべいざめもうみのせいぶつです。
いるかもみました。
しかもさ、
くらげもみました。
さかなもみました。
おしまい。
パート13
「ガリガリ君」
乗車するリムジンバスの時間が決まったので、妻に連絡して、そこまで迎えに来てもらおうと思ったら、運転中だったらしく、二男の颯友が出た。「あ〜、ぱぱ〜」、「あ、はやと〜。ただいま〜」、「今ね、イトーヨカドーにむかってんの〜。何かほしいものある〜?」、「う〜ん、とくには・・・」、「ガリガリ君?」、「え?」「ガリガリ君でしょ、欲しいの〜」、「う、うん、じゃあ、ガリガリ君買っといて〜」、「うん、わかった〜、じゃ〜ね〜」ガチャ。・・・・到着時間を伝えるの忘れた。 ちなみに、明日は颯友の卒園式。
パート14
「泣くな、はらちゃん観る?」
バハマのタイガーシャーククルーズから家に戻ってきた。ロケから帰宅してすぐに、妻に録画してもらっている番組を息子たちと観るのが毎回の楽しみなのだけど、いままでは「パパ、ワンピース観る?」と真っ先に聞いてきていた二人。だけど、ここ最近、颯友は「パパ、泣くな、はらちゃんとってるよ」と言ってくる。あの漫画から飛び出したキャラクターたちの反応が奴にはとても、ハマるらしい。ガリガリ君食べながら、「泣くな、はらちゃん」観ながら、一人で「にゃはははは〜」と楽しんでいる。成長したな〜。
北海道から戻ってきた翌日の土曜日、妻が風邪気味ということもあり、二男颯友を幼稚園に送りに行った。颯友の通う幼稚園では、土曜日登園のときに、たまに「すくすくパパ」というプログラムがあり、園児たちとパパだけが園内で遊べる。ママは入れない。
忙しかった事もあるのだけど、3年間の幼稚園生活で自分がすくすくパパに参加できたのは、過去に一回だけ。
「今回が、颯友が幼稚園にいる間の最後のすくすくパパだよ。行ってくれば、颯友もきっとよろこぶよ」と妻に言われたこともあり、行くことにした。
自転車の後ろに颯友を乗せて幼稚園に行くと、沢山のおとうさんたちが園庭にいた。パパ飲み会で顔なじみになった人も多く、子どもたちとドッジボールしたり、缶蹴りしたり、はじめの一歩したり遊び回った後に、女の子対パパで障害物競走、男の子対パパで障害物競走が園庭全体を使って行なわれた。
男の子のとき、うみぐみとそらぐみ、それにパパチームの3チームで競争したのだけど、うみぐみの一番手が颯友だったので、パパチームの一番手で一緒に走ることにした。
手を抜いたところで、当然一番なので、手加減して走っていた。ゴールに近づいて、颯友の姿が見えないことに気がついた。どうやら、園庭後方にあるの山の裏側で転倒したらしく、ヒザを擦りむき左足を引きづりながら、顔の右目の横を擦りむいているのを隠しながら、姿を見せた。
「大丈夫か!?」と声をかけた途端、顔がくしゃくしゃになり、泣き始めた。皆から「はやとがんばれ〜!」「はやと君がんばって〜!!」と声援が飛ぶ。颯友は、余計に悔しくなって、さらに顔をくしゃくしゃにした。僕は、手をかす事なく、颯友がゴールして、次の子にタッチするまで見守った。
走った後、隣に座って「良く頑張ったな」と言って、頭を撫でた。放心したように前を見つめる颯友の身体は小刻みに震えていた。
何人かの女の子が近よってきて、「はやと君だいじょうぶ?」と言って、スパッツについた泥をはたいてくれたり、頭を撫でてくれたりした。「やさしいね。ありがとうね」とお礼を言ったけど、こういうのって、やられる本人にとっては、余計に悔しかったりするだろうなと颯友を横目で見る。颯友は、何も言わず、放心したように前を見つめたままだった。
「きっとパパに良いとこ見せたくて頑張ったのに失敗しちゃったのが悔しかったんだね」。家に戻ってから妻に言われた。
幼稚園の運動会も参加できたのは、3年間で一回。一緒に遊べることが少なかったからか、ロケから帰ると、執拗に肩車して欲しいとせがんだ事を思い出した。
肩車してやると、決まって長男の海友に、「かいと〜!見て〜!いいだろう〜!!」と自慢していた。
今日の朝、リビングのソファーに座っていたら、起きてきた颯友が僕の側にピッタリとくっついてきた。
「颯友、昨日パパがすくすくパパに参加して嬉しかった?」と訪ねると、ちょっと恥ずかしそうに頷いた。
「もっと沢山来て欲しかったんだよ。だけどさ・・・・」そう言ったまま黙り込んだ。
幼稚園の頃、ストレートに嬉しさを表現していた長男に比べて、二男はおちゃらけて、自分の思いをはぐらかそうとする性格だなと分かっていた。損な性格だな。そんなところは、自分にそっくりだ。
「ごめんな。でも、卒園式と小学校の入学式には絶対出るからね」と言うと、照れた笑いを見せながら「うん」と頷いた。そして、「パパ、一緒にレゴやろう」と珍しく一緒に遊ぼうと自分から言ってきた。
ディズニーでマイナーだけど、何故か海友、颯友が好きなキャラがいる。本人たち名前も知らないらしいんだけど。いっつも、アドベンチャーランドで遭遇するジャングルブックに出て来る悪戯不良サル軍団。
どうも、似た匂いを感じるのか、ディズニーキャラの中でも一番に絡みたがる。
この日は、いつにも増して、数が多くふてぶてしい感じで登場したサル軍団。見つけるなり、海友は、森君とこのゆうた君を連れて記念撮影をしようと近よるのだけど、重くてこける。その横で、颯友は、嬉々として早速サルのしっぽをわしづかみでゲット。
他の子どもたちの記念撮影のリクエストに答えている間も、しっぽを握り続けて、嬉しそうにしている颯友。
で、当然、見つかる。
「あ、お前何やってるんだ、ウキー!悪戯好きの俺たちに悪戯するとは見上げた根性だ!ウキー!、ウキー!」と悪戯で注目された事が相当嬉しそうな颯友。
「おい、こいつ、どうする?ウキー!」
「そうだな〜、俺たちと同じサルにしてやろうか、ウキー!」
「そうだ、二度と人間には戻れないぜ!ウキー!」
と相談されている感じ。
で、颯友は、
「是非、そうして下さい、ウキー!」と答えてる感じ。
facebookに書いた家族の小話シリーズ。facebookだけに載せてると、見つからなくなってしまうので、こちらにも載せておこうと思います。
パート1
「誰も手鏡持ってない」
妻から聞いた話。二男颯友の幼稚園の友だちママたちとの、トリムバレーの練習中、一人のママのコンタクトレンズがずれた。「だ、誰か鏡持ってない〜?」と皆に訪ねるが、「ゴメン、持ってない」、「私も、持ってない」、「私も」、「私も〜」。
・・・・誰も持ってない。女性なのに・・・。
「あの、お尻拭きならあるけど・・」、「あ、あたしも、お尻拭きならある!」、「あたしもある!」「私も!」、「私も!」
今、お尻拭きはいりません。
パート2
「く、空気が・・」
今、長男海友が学校に出かけた。玄関を開けるなり、顔に当たる冷たい空気を受けて、思わず口に手を当てて一言、「う!空気が・・・・」 母「冷たい?」 海友「う、うすい」。
パート3
「なぜ、そんなに礼儀正しい?」
昨日、自宅でocean+αの二人とmeeting したのだけど、二人が来るなり、長男の海友が玄関まで出迎えて、「いらっしゃいませ」と深々と頭を下げたのに、まず「え〜〜〜」と驚き。テーブルに着くなり、二人に、何故かお手拭き用にティッシュを「はい、どうぞ」と渡したので、「ど、どうしたんだよ」と怪訝に思っていると、極めつけは、妻がお茶を入れようとしていたら、「ママ、僕がお出しするよ」と・・・・・、「お出しする」だ〜?
おい、お前、何をたくらんでいる?
<追記>
今朝、自分のブログを読んだ妻が、「チチ、あのおもてなしは、お小遣いのためじゃないよ。あの後、海友は、お小遣いちょうだいなんて、一言も言ってこなかったよ。あれは、海友が、本当に二人をもてなそうとして、やってたんだよ」と言われた。
う・・・・・、海友、疑ってごめんなさい。来てくれた二人も、「ダシ」だなんて言ってごめんなさい。
結局、自分が一番懐疑心があったってことですね。反省・・・・。
パート4
「幼稚園の帰り道」
昨日は午後から雨。風邪を引いてる妻の代わりに、二男颯友の幼稚園の送り迎え。行きは曇りだったので自転車だけど、帰りは雨。車での送り迎えは禁止の幼稚園なので、家から10分くらい傘さして歩いてお出迎え。行きは徒歩10分なのに、二人で歩くと、帰りは徒歩30分。雨で寒くても、寄り道しそうになるのを、「ほら、行くぞ!」と何度も方向修正しながら歩く。でも、しばらく前向いて歩いてて、後ろ振り返ると、あっという間に姿が見えない。しっかり飛行編隊組んでるつもりが、すぐに無言で離脱していく。僕の背中を見ながら、「にや」っと笑う颯友の顔が目に浮かぶ
パート5
「平和な我が家」
朝、長男が小学校に出かけるのを見送った後、テレビを付けると「次は、ブラッド・ピットの登場です!」みたいなコメントをアナウンサーがした直後、聞いていなかったように別の事をしていた妻が、片足挙げて「きゃっ!ブラピ!」と裏声で叫んだ。その後もアナウンサーが「ブラピ」と発言する度に、「きゃっ!」、「きゃっ!」って反応するので、呆れて何も言えないでいると、最後に、「やっぱり、ブラプと比べるとモコミチは若造だな」とボソっと一言。・・・平和です。
<追記>
「やっぱり、ブラピと比べるとモコミチは若造だな」と言っておきながら、気づくと「MOCO`Sキッチンを録画していた妻
パート6
「もんじゃに興奮する妻、怒る二男」
テレビで、月島のもんじゃの特集を観ていた妻が、「いや〜ん、たべた〜いん!」「いきた〜いん!」と場面が変る度に言うのを見て、どう考えても、ブラピやモコミチより、熱望している感が出ていると思っていたら、幼稚園から帰ってきた二男が、「いや〜ん、じゃね〜!もんじゃ、もんじゃって、うっせ〜んだよ!」と叫んだのを聞いて、妻が「も〜!母親に向かって、何て口の聞き方するの!」と言うのだけど、説得力も迫力も無く、黙って見ていた自分も案外、二男に同感だったりしていた。
パート7
「チョッパーみたいなどや顔」
空手の昇級試験後、家では、3人で型などの復習をしている。通常の型は教えられるのだけど、棒術(大城の棍)は、自分が子どものときに習ってなかった。なので、順番を覚えるのに戸惑っていると、幼稚園児の颯友に、「そこ、順番が違うよ。こうやって、こうやって、それからこうだよ」と棒を奪われ、指導を受ける。
「こうで、こうで、こう?」とやってみせると、「まあ、そんな感じ」と偉そう。「ありがとうございます。颯友先生!」と言うと、下を向いたまま、にやりと笑う。鼻の穴が大きくなっていて、ドヤ顔してるのがわかる。
「次は、どうですか、颯友先生?」とさらに追い打ちをかけると、もう満面ドヤ顔で見上げて来る。おかしくてかわいい。まるでチョッパーみたいだ。
パート8
「一人でMacで大富豪してて、家族に責められる父」
今年の取材の画像チェックしてたら、紛失しているカットとかが何点かあって、作品的には問題無いのだけど、ocean+αの記事内容的に必要なカットだったりして...。探しまくったのだけど、見つからず、復旧ソフト使って、今SDやCFを復旧しまくってます。時間かかるし、頭おかしくなる。しょうがないから、原稿書いたり、MAC上で「大富豪」をしたりして待ってると、必ず、「大富豪」してるときに、妻や息子たちが部屋に入ってくる。で、「パパ、また一人で遊んでる〜」と言われる。
パート9
「大富豪で息子に負けてムッとする」
「コンピューターで一人でゲームやってるくらいだったら、一緒に大富豪やってよ〜」と息子たちにせがまれるので、しょうがなく、リビングに行って、一緒に大富豪をする。でも、海友はともかく、幼稚園児の颯友は、プレイ時間よりも、配ったあとのカードを整理する時間の方が長過ぎて、いらいらするし、眠くなる。そのくせ、カードが良くて勝ちやがる。それはいいのだけど、勝ち誇ったように、どや顔で勝利のダンスを踊るから、ちょっとムカつく。
パート10
「負けず嫌いの二男、出来過ぎた対応の長男、ダメ親父」
今日、オーシャナ忘年会に行く前に、家族4人で大富豪をした。6歳の二男颯友のカードがよくって、大富豪で上がれそうだったのに、妻が革命して、大貧民になり、ショックのあまり、寝室に駆け込んで布団を被り、号泣。続きやりたいので号泣する颯友を抱き上げて、リビングに連れて来て、ちょっかいを出してたら、長男海友に、「今、泣きたいんだから、少しそっとしといてあげなよ」と、たしなめられた。何、その大人な対応!
パート11
「モノマネ大会に出たいでげす」
昨晩、芸能人のモノマネ大会をテレビで観ていたら、二男颯友が、何を思ったのか、急に「この番組に出たい!」と言い始めた。妻が、「モノマネできないと出れないんだな〜」と言うと、
「だって、颯友、あいごっちゅべいべ〜、あいにっじゅべいべ〜、あいわんちゅべいべ〜、らいおんっ!って歌えるでげしょ〜」と自信満々に主張。・・・・・上手くないし、似てないし、第一それ、近藤真彦のぎんぎらぎんにさりげなくじゃん。一体いつそんな古い歌覚えたんだよ。それに、「でげしょ〜」って何だよ。って思っていたら、「そうでげ〜すか〜?」と普通に答える妻、それに「そうでげす」と受ける颯友。・・・・家はいつから、怪物君のドラキュラ語が流行り出したんだと訪ねたら、「これは、カービーのキャラのエスカルゴンでげす」という答えが返ってきた。知らないし。
追記
しばらくして、fbに「今、気づいちゃったんですけど。でげすってドラキュラじゃなくて狼男の口癖ザマス(^◇^)」というコメントをもらったざます。
パート12
「小学3年生の息子に朝食を作ってもらう父」
朝早くから、リビングで仕事してたら、真っ先に起きてきた長男海友。「おはよう〜」って言った後、仕事続けてたら、気づくと自分で食事の準備して、一人で食べてた。「あ、いいな〜?」ってなんとなく言うと、「パパも欲しいの?」と言うので、「欲しい〜」と答えると、「じゃあ、作ってあげる」と言って、父の朝食を作り始めた。「海友、料理作るの好きなの?」って訪ねたら、「ん、普通」との返事。普通は小学生の子どもが起きて来たら、親が何か作ってあげるもんだと思うけど、家では、こんな感じ。「ダメ親父は、子どもを成長させるな、フムフム」と、朝から自分を正当かしてみた。
今日は、海友と颯友と3人でイクスピアリに映画を観に行った。観たのは「ONE PIECE Z」。
映画の後で、二人にちょっとお洒落な帽子でも買ってやろうかと思って、何個か被せてみたのだけど、あまり気に入らないらしく「ねえ、もう帰ろう〜!!」ということで、イルミネーションも見ないで、そそくさと帰宅。
すると、そこに届いていたのが、上の写真のパイレーツとモンスターの帽子。普段被るかどうかわからないけど、「帽子買ってあげたいな〜」と思いながら帰宅したら、プレゼントの帽子が届いていたのって、ちょっと「お〜!」と感動する。
家に戻る途中、車内で二人にサンタからのプレゼント、何が欲しいのか聞いてみた。海友は前々から言っていた、人気のゲームソフト。まあ、定番だ。「で、颯友は?」と訪ねると、「オレは、本物のトナカイ!」と嬉しそうに言う。もっと現実的かと思ったんだけど、この答えには驚いた。「え?何で、トナカイ?」と聞くと、「だって、空飛べるし」とマジで言う。
「チョッパーじゃだめなの?チョッパーもトナカイだよ」と聞くと、「チョッパーは本物じゃないでしょ。本当にはいないでしょ」という回答。
もう生意気になってきたけど、空を飛べるトナカイは実存し、チョッパーは架空の生き物だという区別をしているところが、まだまだ子どもだな〜と、微笑ましく思うのでした。
もちろん、サンタも信じてます。
ということで、メリー・クリスマス!!
今日の夕食時、二男颯友に、何故歯医者さんに歯を抜きに行ったのかを訪ねてみた。
帰ってきた回答は・・・・・
「だって、ぐらぐらするとさ〜、空手のときに集中できなくて、歯に手を当ててて注意されちゃうんだよ。だから、抜いてもらったんだよ」
・・・・お前はマジで6歳か?
そんなに空手のために、気合いが入っているなら、上手くなってくれよな。
八幡野ロケから帰宅して、帰って来るなり海友と颯友が、「パパ目をつぶって、手出して」と言うので、目をつぶって、両手を出していたら、その手に載せられたのは、八幡野に行っている間に、二人が受け取ったオレンジ色の空手の帯。
もしかしたら、本人たち以上に自分が嬉しかったかもしれない。「すごいじゃん!よかったじゃん!かっこいいじゃん!二人とも〜!おめでとう!これからも頑張れよ!」と二人の頭を撫でると、直後に型の練習を始め出した二人。
男の子は単純で素直で可愛い。
そんな様子を見ながら、食事してると、妻がいない間に幼稚園児の颯友が歯医者さんに行ってきた話を始めた。
「颯友、上の前歯、2個無くなってるでしょ」
それには気づいていた。行く前には、「乳歯ががたがたする」なんて全然言ってなかったのに、たった3日間の間に、いつの間にと思っていたのだけど・・・。
「なんか、ちょっとぐらぐら、本当にちょっとぐらぐらするからって、歯医者さんに連れて行って欲しいっていうから、連れて行ったんだけど・・・」と話を続ける妻。
一人診察を受けて、母親の待つ待合室に出てきた時には、あったはずの2本の歯が抜かれていたそうだ。そして、妻は、先生から「息子さんチャレンジャーですね」と言われたという、以下、診察室での先生と颯友のやり取り。
どうやら、ちょっとでもぐらつくのが嫌で、先生に「抜いちゃって下さい」と告げる颯友。
しかし、2本の歯はまだ根がしっかりとついていて、「麻酔をして、抜歯しないといけないから、痛いかもよ」と告げる。しかし、その意味を理解していたのかどうか・・・・。
それでも、「抜いちゃって下さい」と主張する颯友に、先生は、「お母さんに聞いてみないと」と言うと「ママに言うと止められるから、いいから抜いちゃって下さい」とあくまで言い張ったそうだ。
で、麻酔して抜歯して、母の元へ。
で、先生の「いや〜、息子さん、チャレンジャーですね〜」の一言に。いくら多少ぐらついている乳歯とはいえ、一気に2本。幼稚園児が自らの意思で、「麻酔して抜歯して下さい」と言うのは初めての経験だと先生。しかも、それが親の意思ではなくて、完全に自分の意思によるもの。
妻も正直驚いたと言う。
空手の型を終えて、紙のブーメランで遊んでいた颯友に、「お前、痛くなかったの?」と訪ねると、「別に」との返事。「本当に?全然?」とさらに訪ねると、「最初にちょっとチクっとしただけ。それだけだよ」という回答。
先生もさぞかし慎重にやってくれたんだと思うけど、何なの、意味不明なこの度胸?
と感心していたのだけど、なんかしばらくして、よくよく考えると、いくら本人が「ママに言うと止められるから、いいから抜いちゃって」と主張する6歳児の意見を尊重して、待合室にいる妻に一言も声をかけずに、抜歯した先生も相当にチャレンジャーだなと、思うのであります。
親が僕らみたいな性格だから、二人して笑い話にしてるけど、もしかしたら、「何で言ってくれなかったんですか?」って言う親もいるんじゃいかなと、先生のその判断を心配してしまう。
颯友の心意気に感動したのか、それとも、あまり前例の無いことに、冷静な判断を忘れてしまったのか定かでは無いにしても、八幡野ロケで後悔の念を引きずって帰ってきた自分に、笑いを提供してくれた颯友と先生の行為に多いに感謝した。
颯友が、幼稚園で誕生日のお祝いメッセージの入った絵本を持って帰ってきた。
これって、海友が幼稚園の時も年少、年中、年長と毎年持って帰ってきていた。
海友が6歳の頃、丁度今の颯友と同じ年長の時の「おおきくなったらなにになりたい?」という欄には、「カメラマン」と書かれていた。長男でもあるし、こんな事を6歳の息子に書かれたことに、正直感動して、涙腺がゆるんだ。
なので、颯友がその欄に何て書いているのか、すごく気になった。
でも、もし「カメラマン」って書いてあっても、きっと今回は泣かないだろうなと思っていた。2度目ということもあるけど、それ以上に奴のキャラクターによるところも大きい。過去に、颯友の行動に笑わせられた事は何度もあるのだけど、海友と違って、そ〜んなに感動させられた事が無い。
なので、どちらかと言うと意外な職業とか期待していた。
どれどれ・・・
・・・、か、からてのせんせい〜?
確かに意外だった。でも、笑えない。面白くはない。
それにしても、そんなに気合い入れて空手やってるようには見えないのだけど。何故空手の先生なのか?かなり低姿勢になって、「お願い、何でか教えて!」と何度か訪ねてみたけど、まったく教えてくれない。本人はただ単にウケを狙ったつもりなのか、それとも真剣なのか?ちゃんと理由を聞いてみたい。
あ!もしかして、棒術をオレに指導したので、得意になっちゃったかな?
以下、数日前のfbへの書き込み
空手の昇級試験後、家では、3人で型などの復習をしている。通常の型は教えられるのだけど、棒術(大城の棍)は、自分が子どものときに習ってなかった。なので、順番を覚えるのに戸惑っていると、幼稚園児の颯友に、「そこ、順番が違うよ。こうやって、こうやって、それからこうだよ」と棒を奪われ、指導を受ける。
「こうで、こうで、こう?」とやってみせると、「まあ、そんな感じ」と偉そう。「ありがとうございます。颯友先生!」と言うと、下を向いたまま、にやりと笑う。鼻の穴が大きくなっていて、ドヤ顔してるのがわかる。
「次は、どうですか、颯友先生?」とさらに追い打ちをかけると、もう満面ドヤ顔で見上げて来る。おかしくてかわいい。まるでチョッパーみたいだ。
先日、家族4人でキッザニアに行った。1部(午前9時〜2時)、2部(午後3時から〜9時)両方を続けて仕事して、体験した仕事の数は二人とも、合計で10以上。すでに4回目くらいなので、どう仕事していけば、数多く仕事をこなせるかの要領も心得てきているみたいだ。
で、それぞれの仕事体験をすると、その仕事の体験をした証として、カードがもらえる。4回も行っていて、毎回10個以上の仕事をこなす訳なので、カード枚数も相当に多くなったため、今回帰る前におみやげ屋さんに寄り、海友と颯友が欲しがったのが、仕事カードフォルダ。
1個500円。二人とも自分のお小遣いで買うという約束で購入した。
まあ、沢山溜まったから、カードフォルダに入れて整理したいってのは、当然の事だなと思ったけど、別に中を見せてもらうつもりは無かった。興味無いから。
数日経った今日、妻が「ねえ、これ見て」と嬉しそうに長男海友のカードを仕事部屋まで持ってきた。海友は小学校に行っている間の事だ。
妻「全部、カードが入ってるでしょ」
僕「うん」
妻「でね、気に入った仕事には、『うれしい』とか、『楽しい』とか『大好き』のシールが貼られているの」
僕「なるほど」
妻「でね、この前宅急便のお仕事のときに、海友すごく誉められてたんだよね。それが嬉しかったのか、シールが沢山貼ってあるんだよ」
と見せてもらった、カードには、「がんばった!!」、「お気に入り!」、「たのしい!」のシールが。
僕「なるほど〜、確かに誉められたって喜んでたもんね。へ〜」
妻「でもね、もっと沢山シール貼ってあるのがこれなんだよ〜」
と妻が見せてくれたのは、カメラマンのお仕事カード。そこには、「お気に入り!」シールが2つ、その他に、「たのしい!」、「大好き」、「No1」、そして「燃える!」
僕「ははは、すごいね」
妻「ね〜」
キッザニアでカメラマン体験しているときに、カメラのホールドの仕方なんか教えた事も無いのに、縦位置で、ぶれないように片膝付いて、しっかり撮影している姿を見て、ちょっと驚いた。
「カメラマンがね、一番体験したかった仕事なんだ」と海友がぼそっと言ってくれた一言が嬉しかった日。その数日後に、こんなシールの沢山貼られたカードを見せられると、「カメラマン」という仕事に失望しないように、しっかり仕事しないとな、と改めて心を引き締められた。
短い時間の中で、真剣に被写体を探していた海友の気持ちを、父親としてしっかり受け止めなければいけないよな。
さあ、そろそろ仕事モードに戻らなきゃ。
家の息子たち、特に二男の颯友は、他の子に比べて、明らかに内股だ。
写真を撮れば一目瞭然。ポケットに手を突っ込んで、不良っぽいのに、内股。
「誰に似たんだろうね〜?」と妻に聞くと、
「チチじゃない?」と即答。
「え?オレ?」
「そう、だってチチ内股だよ」
「オレのは、昔空手やってたから、その影響じゃない」
といつも、自分の内股は、空手のせいで、生まれつきではないと主張してきたけど、まだそんなに空手してない息子たちが内股ということは、生まれつき内股で、それが息子たちにも遺伝したってことなのでしょうか?
ちなみに、妻は内股で無く(がに股でもないけど)、一緒にいる男3人が内股なのは、ちょっと嫌かも。
まあ、内股の方が、空手するには良いという持論があるので、いいんだけど。確かに颯友の内股はかなり重度のような気がする。将来大丈夫だろうか・・・・。
昨日は午後から雨。風邪を引いてる妻の代わりに、二男颯友の幼稚園の送り迎え。行きは曇りだったので自転車だけど、帰りは雨。車での送り迎えは禁止の幼稚園なので、家から10分くらい傘さして歩いてお出迎え。行きは徒歩10分なのに、二人で歩くと、帰りは徒歩30分。雨で寒くても、寄り道しそうになるのを、「ほら、行くぞ!」と何度も方向修正しながら歩く。でも、しばらく前向いて歩いてて、後ろ振り返ると、あっという間に姿が見えない。しっかり飛行編隊組んでるつもりが、すぐに無言で離脱していく。僕の背中を見ながら、「にや」っと笑う颯友の顔が目に浮かぶ。
海友も、颯友も、結構習い事をしている。小学3年生の海友は、空手、水泳、ラグビー、そして英語。自分は小学生のときに習っていたのは、剣道、野球、英語、絵画教室。まあ、似た様なものと言えば、似た様な感じだ。しかし、小学生3年生の海友はともかく、まだ幼稚園児の颯友の習い事は、今現在、空手、水泳、テニス、そしてラグビーとスポーツ系ばっかり4つ。
自分が幼稚園の頃は、絵画教室だけだった事を考えると、多過ぎる気がするのだけど、父親である自分がいない事が多いので、一緒に遊んであげれないから、家でだらだらするより、少しでも外で身体を動かして欲しいという妻の希望でもある。
水泳、テニスは、それなりの月謝なのだけど、空手とラグビーは「え?そんな金額でいいんですか?」というくらい安い。ラグビーなどは、ラグビー好きのお父さんたちが集まって、ボランティアで教えてくれているので、1月の月謝は1000円以下。習いに来る子どもが100人を越えてるのは、それだけではなくて、校長(監督)を始め、ボランティアで教えてくれるお父さんたちが、とても熱心で情熱的でもあるから。先日初めて見学に行ったけど、学年別に別れて練習しても、十分なくらいの人数。
颯友が本当に楽しそうにしてるのが印象的だった。
新浦安は、同世代の子どもたちが多くて、子どもたちの習い事に関しては、本当に様々な種類があって、親も子どもたちも、「これも習いたい、習わせたい、あれも習いたい、習わせたい」という選択肢が多くて大変。
今は本人たちが「やりたい」と言いだしたものをトライさせてみるようにはしてるけど、できればいつかその中から本当にやりたい物を見つけ出していってくれればいいなと思っている。
正直、海友などはおっとりしていて、遠慮がちなので、今はスポーツには向いているようには見えないのだけど、まあそれはそれとして、好きなものを取捨選択できる環境にいるだけでも、ありがたい事だと思う。
12月2日には、二人とも空手の昇級試験がある。その日、パラオロケに出発なので、見に行けないのが残念だけど、頑張って欲しいな。
「オレがやる!」「オレがやる!」「ずるい!今度はオレがやる!」「ハヤトはちゃんとできないからダメだよ!オレがやる!」「え〜!何で〜!昨日もカイトがやったじゃん!ずるいよ〜!」・・・・・海友と颯友が言い争う声が聞こえる。
何を争っているのかと妻に訪ねたら
「トイレ掃除をね、自分がやるって取り合いしてるの」との返事。
「え〜、トイレ掃除争奪戦なの?」と僕
「そう、ここ最近ね」と妻。
何て感心な、と思ったが、絶対に裏があるに決まっている。で、妻に、「何で、トイレ掃除争奪?」と再度訪ねた。
「お手伝いをした、お駄賃がね、他は10円なんだけど、トイレ掃除だけ20円にしたの」
「20円・・・・、まあ、確かに倍だけど・・・」20円のために、争奪戦か〜。
しかし、確かに、自分が帰って来てからというもの、トイレ掃除以外にも何かと手伝っている二人。どうやら、お駄賃を集めることを競争しているようだ。
二人の財布を見せてもらったが、海友はもうすぐ5000円、颯友は1000円ちょっと。その差は歴然としているのだけど、一体何がそんなに二人をお手伝いに駆り立てているのか?
それにしても、10円や20円で1000円貯めるには、100回くらい何か手伝わないと行けない。5000円だと500回、まあたまに50円とか100円とかもらってることもあるだろうけど、それにしても300回くらいは何か手伝わないといけないよな〜と単純計算。
1日に何かを5回手伝ったとして、それなりの日数はかかる。ニューカレドニア行く前は、そんなに顕著にお手伝いしているようには見えなかったけど。
よくよく考えると、海友、颯友、お互いの誕生日のときに、600円と1000円くらいのプレゼントをこのお手伝いしてためたお駄賃の中から出して、それぞれ、買ってあげてたわけだから、まあそれは感心なことだなと思った。
で、先日、会社のmeetingを自宅でしたときに、一緒に仕事してる二人が家に来たのだけど、玄関に二人が姿を見せるなり、海友が玄関までやってきて、「いらっしゃいませ」と言って深々と頭を下げた。(何、何?この礼儀正しい挨拶は?)と驚いたのだけど、その後も、席に着いた二人に、お手拭きように、ティッシュ渡したり、妻が出そうとしていた、お茶を「ママ、僕がお出しするよ」と、言って、持ってくるし。
何、この子?どうしちゃったの?
くらいに驚いたのだけど・・・・
要するに、お客さんに対して、そういう対応をしていたのも、どうやら、「お駄賃」をもらいたいがためだったようだ。
なるほど、(言い方悪いけど)二人は、お駄賃をもらうためのダシに使われたってことだな。
それにしても、見事なまでに、あからさま過ぎるな。どこで覚えたんだよ「僕がお出しする」なんて葉が浮きそうな言い方。
で、二人が帰った翌日、海友が小銭だらけの財布取り出して、お金を計算しながら、
「あ、これで、100円になるよね」と10円玉10枚を100円にかえてっと
「これで、1000円になるよね」と100円玉10枚を1000円にかえてっと
「え〜っとこれも、50円になるし、こっちの50円と足して、残りの900円で1000円で〜、1000円が1、2、3、4、5・・・!やった!これで、5000円札一枚と交換できる!
ママ〜、交換して〜!!」
「はい、5000円」と母親に渡されて、
「やった、5000円札〜!颯友、見て5000円札〜(嬉)!」と弟に自慢気に見せつける。
それを見て、颯友は号泣。「だから、トイレ掃除さしてって、言ったのに〜、やらせてくれないからじゃん〜!!」
兄がいる時はトイレ掃除できないから、いないときを見計らって、颯友なりにトイレ掃除してたらしいのだけど、海友が帰ってきたら、また海友も掃除してたらしい。そんなに1日何回もしなくてもいいんだけど。
で、5000円札を手に入れた海友はというと、どうやら満足したらしく、今日はまったく何かを手伝う姿を見ることがなかった。
目標を持って何かに取り組みことはいいことなんだけど、できれば「お手伝い」はエンドレスで続けてもらいたいんだけど。トイレ掃除争奪戦は、またしばらく見れないのかな。自分も今日からセブに行っちゃうし。
追記1>
早くに起きて来た海友に、「5000円貯めたから、もうお手伝いは終了なの?」と訪ねた。すると、「ううん、するよ」と答えた。「でも、昨日はあんまりしてなかったんじゃない?」と聞くと、
「それは、颯友が、お手伝いして、お小遣い貯めたがっているから、全部譲ってあげてるんだよ。しばらくは、そうすることにしたんだ」との答え。
う、・・・・・海友、颯友の事をちゃんと考えていたのか〜・・・
追記2>
今朝、自分のブログを読んだ妻が、「チチ、あのおもてなしは、お小遣いのためじゃないよ。あの後、海友は、お小遣いちょうだいなんて、一言も言ってこなかったよ。あれは、海友が、本当に二人をもてなそうとして、やってたんだよ」と言われた。
う・・・・・、海友、疑ってごめんなさい。来てくれた二人も、「ダシ」だなんて言ってごめんなさい。
結局、自分が一番懐疑心があったってことですね。反省・・・・。
ニューカレドニア、バヌアツ、岩手と1ヶ月続いたロケから帰ってきて、この2日間は、はっきり言って、廃人のように眠り続けた。何かをする気力も無いくらいだった。
お気に入りのソファーで横になりながら、ぼ〜っとしていると、最初に長男の海友が起きてきて、静かに「おはよう」と言って、側にピッタリくっついてくる。自分がかけているブランケットをかけてあげて、二人でくっついてしばらく話をしている。
その30分後くらいに、母親に抱きかかえられた颯友が起きてきて、自分の足下に置かれる。当然のように、ブランケットの中に潜り込む。最初のうちこそ、眠たくてまだぼ〜っとしているのだけど、徐々に蘇生し始めると、モゾモゾと足の方からブランケットの中を移動して、僕の顔の方に顔を出してくる。それくらいはいいのだけど、その後、顔を這い上がって、頭の上に。
「何してんだよ〜」と言うと、「いいから、肩車しろ〜!」と上でゆさゆさと揺れ始める。それを見ていた、海友が、「やめろよ!パパ疲れてるんだから!」と止めに入るが、
颯友は、「やだ!やだ!」「このやろ〜!肩車しろ〜!」とぐるんぐるんとさらに回転を強める。
最後には、海友に引きづり下ろされて、押さえつけられるのだけど、「いいから、もういいから」と言って、二人を引き離すと、あっという間にまた肩の上に登ってきて、暴れ出す。
頼むから、あと1日、あと1日だけ寝かせてくれ〜と思うのだけど、颯友にとっては、すでに一ヶ月、遊んでいないわけで、ハロウィンも誕生日もいなかったんだから、家にいるなら遊んで欲しいと思うのが、まあ当然の事だろう。
でも、正直、今回は本当に身体が動かなかった。立ち上がると少しフラフラする。だから、お願い、あと1日ちょうだい。
スリランカと次のニューカレドニア&バヌアツロケの合間、颯友の運動会と、海友と颯友二人の空手演武会があった。
当初の予定では、両方とも参加できると思っていたのだけど、スリランカロケの帰国日を自分が勘違いして、1日前に帰国できるはずが、運動会当日の帰国になってしまって、運動会には参加できず。颯友が楽しみにしていた親子騎馬戦は、友だちのジェームスが代わりに参加してくれて、颯友は大活躍できて大喜びだったそうだ。
前にも子育て日記にも書いた事があるのだけど、ジェームスは震災直後、妻がやっと開いたスーパーに買い出しに出かけたときに、財布を忘れてレジで困っていたら、離れたレジにいて買い物をしてたのに、わざわざお金を貸しに来てくれたのがきっかけで仲良くなった。ジャームスもそのとき、奥さんと、小さな3人の娘を連れての買い出しで大変だったろと思うのだけど、そういう優しさのある人たちだった。
今回も、一番上の女の子は違う幼稚園に通っていて、運動会に来る必要の無い立場であるにも関わらず、家族皆でやって来てくれて、ジェームズはしっかり助っ人役を果たしてくれた。
そんな頃、自分はスリランカから日本へ向かう飛行機の中。「雨降って、運動会延期になってないかな〜」と少し思ったりもしていた。帰宅してから、嬉しそうに騎馬戦の話をする颯友を見ていると、嬉しいような、残念なようなちょっと複雑な気持ちではあったけど、こういうのを快く手伝ってくれる友だちがいてくれた事に感謝した。
そして、その翌日は、雨。「雨が降るの1日遅かったな〜」と思いながらも、今日の空手の演武会は、何が何でも見にっいてあげないと、と思っていた。場所は、代々木体育館。子どもたちが通う礼心会は、極真からの分派なので、その極真の全国大会で披露する演武会だった。
久しぶりに、実践空手の組み手を見学して、自分も楽しめた。いつか海友や颯友もこんな実践組み手の大会に出たりする事があるのかな。できれば、途中で止めないで頑張ってもらいたいけど。
皆が緊張してる演武会のステージの上でも、余裕な表情の海友。
追記
後で聞いた話なのだけど、この演武が終わった後、空手の先生は、涙を流していたそうだ。自分は目の前にいたのだけど、体育館内が暑いから、汗かいてるのを拭いているだけなのかと思っていた。
何で泣いていたかと言うと、キッズクラスで、いっつも暴れ回っていたり、ダラダラしてまとまりの無い、ちびっ子たち、つまり颯友のような幼稚園児たちが、想像以上にしっかり演武を成し遂げてくれた事に感激していたのだそうだ。
確かに、たま〜に見学に行く道場では、だらだらしてる事が多くて、先生はとにかく声をからして、叱っているシーンを良く目にした。
望遠ズームで覗いていた海友も、颯友も、いつも以上にしっかりと演武しているのに、自分も感心した。・・・・だけど、普段からあれだけしっかりやってくれてれば、いいことなんだけどね。
颯友、28日はテニススクールの見学に行って、沢山遊んで楽しかったらしい。正式に申込してきて、来週から通う事になった。リビングのソファーで仕事とかしてると、最近いっつもこうやって、上に乗っかってくる。今日はテニススクールで暴れ回って疲れたのか、そのまま眠ってしまった。嬉しいんだけど、そろそろ足がしびれてきたし、29日のロケの準備しないと・・・・。
29日。今、成田に向かうリムジンバスの中。今日、スリランカに向かうのだけど、先日の旅行会社での打ち合わせの時に、初めて帰国日が10月5日でなくて6日だってことに気がついた。
普通なら1日くらいの誤差は気にしないのだけど、その日は、二男颯友の幼稚園の運動会の日。
前々から親子競技で騎馬戦に出るから、ママだと弱いので、パパ絶対来てねと言われていたのに。「大丈夫、行けるよ」と返事していたのに、いつも適当さが、こんなところで、家族の中での大問題になってしまうとは・・・。
この騎馬戦、騎馬と言っても、お父さんかお母さんが、子どもをおぶって闘うので、僕が行けなければ、妻が騎馬をやらなければいけない。しかし、昨年年長さんだった子のお母さんで、同じようにお父さんが出れないから、しょうがなく参加した人の話では、「女性だから、手加減してくれるかな〜なんて浅はかな考えで、気楽に参加したんだけど、まったく容赦なかったわよ。あっというまに、撃沈」と嘆いていたと妻に聞かされていた。
だから、僕が参加できると聞いて、颯友も俄然張り切っていたわけだ。
「なんでもっと早くに気づかなかったの?」と妻に言われた。確かに確認しなかった自分が悪いのだけど、5日に帰国ってリクエストは出していた。「5日に帰国です」って言われてたし。確かに、現地を発つのは5日だけど、深夜で、日本に着くのは6日の午前中。
これだけロケに出ていると、飛行機の日程も、バスや電車の乗るような感覚になっていて、当日まであまり確認しなくなっている。
でも、もうしょうがない。出発間際に、颯友に「颯友、ごめん、運動会出れなくなっちゃった」と告げると、「え〜、何で?」と聞かれた。「ロケから帰るのが5日じゃなくて、6日だったんだよ。ごめんな」と言うと、ちょっと悲しそうに笑いながら「うそつきんこ」と言われ、心が痛んだ。
しかし、その直後、食べようとして持っていた氷を上にあげて「ねえ、この氷、天井にテープで貼付けたい」と言い出した。何?どういうこと?と思っていると、「これ天井に貼付けて、人工の雨を部屋の中に降らせて、その雨に当たりたいんだ」。
・・・これが何を意味するのか、分からない。颯友にしてみれば、残念な気持ちを表現したのかもしれないし、気を紛らわした発言だったのかもしれない。
結局騎馬は女の子のお友達のお父さんに頼むことになった。
スリランカ行って来ます。
今日は、長男海友の誕生日。夜、家で家族だけでお祝いをしたのだけど、当の本人、ケーキが苦手なので、ロウソクを並べるのは、毎回の事だけど、クリスピードーナッツ。そして、おじいちゃん、おばあちゃんからは、プレゼントもらったのだけど、今特に欲しいものが無いから、僕らからのプレゼントは欲しいものが見つかってからでいいという。
まあ、それはそれで本人の希望なので、欲しいものが見つかったらいつでも言ってきていいからということになった。でも、数日前から、一人だけ「どうしてもカイトに自分でプレゼントを渡したい」という男が。弟の颯友だ。
しかも、海友に知られないように、こっそりと買ってきて渡したいと、今日兄が英語塾に行っている間に、買ってきたのが、ポケモンカード、約600〜700円分。
兄に無用のちょっかいばっかり出して、いっつも喧嘩ばかりしてる二人なので、そんな兄に「誕生日プレゼントしたい」と言いだした弟の気持ちを「何意外な事を」と感心していた。
しかし、それ以上にもっと驚いたのは、これは今日、妻から聞いたことだけど、そのプレゼントのお金を母親にせびったのではなくて、これまで、トイレ掃除や、ベランダの掃除などして自分でコツコツためていた、自分のなけなしの小遣いの中から、買ってきたと聞かされたことだ。
5歳なのに・・・。果たして、自分が5歳のときに、兄や弟にそんな事考えてあげていただろうか。それとも、今の子どもたちは、そんな風にするものなのだろうか。ましてや、いっつも喧嘩ばかりしている兄に対して。
こういう話を聞くと、兄弟ってやっぱりいいな。打ち合わせばかりで疲れたけど、何かその話を聞いて、とても幸せになれた1日だった。
そして、海友、9歳の誕生日おめでとう
トンガから帰国した翌日、妻と子どもたちは、ケーキ作りの教室に行き、ピカチュウのケーキを作って帰ってきた。
型にはめるだけみたいだったから、簡単に作れたようで、そのまま食べても良かったのに、二人ともパパと一緒に分けて食べると、家まで持って帰ってくれた。
家族4人で分けて食べる、子どもたち手作りのピカチュウケーキは、どんな高級で美味しい食べ物より美味しい!・・・・とは言わないまでも、疲れて帰ってきた身には、何よりも励みになることは間違いないな。
一昨日は、リムジンバスで、ディズニーランドホテルまで戻ってきて、妻に車でそこまで迎えに来てもらった。車内でいつものように息子たちの話を聞くと、11月に予定していた家族でのヤップ旅行が、微妙になっていることに触れた。
今、中国資本が参入して、ヤップ人の大工さんたちと、自分たちで建てた小さなコテージのあるヤップのワチュラブ村に、巨大リゾートホテルを建設する話が進んでいて、僕らのコテージの真上にそのホテルが建つ予定になっているらしい。4000室の大ホテル。僕らの1階と2階に一部屋ずつの山小屋のようなコテージとは到底比べ物にならない。
今現在、推進派と反対派に別れて、色々な衝突が続いているらしく、反対派から、推進派の議員や中国関係者が襲われたりしているのだそうだ。
当初の予定では、僕らが家族で1年前から11月に行く予定を建てて飛行機のチケットも購入していたんだけど、その頃には、僕らのコテージは取り壊されて、工事が始まっている予定だったらしい。しかし、そうした両派の小競り合いから、着工が先送りになったりもしているとか。
このコテージは、子どもたちと壁のペンキを塗ったり、僕がベッドやテーブルを作ったり、妻と玄関の敷石を作ったり、皆で木を植えたり、そして村の人たちが作るの手伝ってくれた思い出のコテージだから、自分としては、残っていて欲しいと思うのだけど。
それに、巨大リゾートホテルが建てば、子どもたちの楽園だった、楽しくて、小さくて、手つかずの自然が沢山残っていた村は無くなってしまって、すごく快適ではあるのだろうけど、僕個人的には、何の魅力も感じないどこにでもある、高級リゾートに変わってしまう。
直接的では無いにしろ、まさか自分たちが、そういう問題に関わる事になるとは思いもしなかった。でも、日本にいて、いや、ましてやほとんどロケでどこにいるか分からない自分にとっては、現地にいるライズダイビングセンターのオーナーガイド、大ちゃんに任せるしか方法が無い。傍観するしかない。
妻が子どもたちに、11月はヤップ旅行を見合わせることになったと告げると、ずっと楽しみにしていた、大好きな「ヤップ」への旅行だっただけに、二人の失望は大きかったようだ。海友は、小学校の夏休みの自由仮題のテーマを「ヤップ島」にして、色々調べて、提出していたくらいだ。
颯友などは、その理由が、中国が大きなリゾートホテルを建てるからだと聞かされると、「あんなに自然が豊かなのにね〜!」と憤慨していたそうだ。たった5歳なのに。
ヤップのワチュラブ村は、僕だけで無く、僕ら家族にとっても、どんな高級で美味しい食べ物よりも、疲れを癒してくれる、子どもたちが手作りで作ってくれたピカチュウのケーキみたいなものだと思った。
そこに関わった人にしかわからない、大切な物。せめて、ピカチュウのケーキを家族で分けて食べたみたいに、一度くらい、家族で一緒にそのコテージで寝泊まりしたかったな。
ヤップ人の伝統的文化を尊重し、守って行く風習も、失われていくのかな。いずれにせよ、選択するのは、彼ら自身だ。
ここ数日、暑いので、プールに行きたいと言う海友と颯友を連れてプールに通っている。
プールの休館日とかもあるので、いつも同じプールにい行けるわけでもなく、ルールが厳しかったり、緩かったりで、その状況によって、二人から絶対離れてはいけない場合もある。
最初に行ったプールでは、別れて行動してても、それほど厳しく言われなかったのだけど、まあ、やっぱり5歳の颯友の方に付きっきりになっていた。
海友も颯友も水泳教室に通っているので、どれだけ泳げるようになったかを見てみたかった。まず颯友がどれだけ泳げるのか試してみると、泳ぎ方はめちゃくちゃだけど、15mくらいは足着かずに泳げていた。だけど、顔上げるたびに、中途半端に口を開けて、水飲みながら「ウォー!」とか「ぎゃ〜!」とか叫び声を上げるし、手足バタバタなので、どうみても、溺れているようにしか見えないから、極力側にいないと、監視のお兄さんお姉さんたちに不審がられた。
「ウォー!」とか「ぎゃ〜!」って聞こえるようなんだけど、実際には、「き〜もちいい〜!ぶくぶく」と叫びながら、泳いでいるということは、奴が早口過ぎて、多分僕にしかわからない。
でも、顔を着けているときは、明らかに、キックがドルフィンキックになっている。っというよりはカエルっぽいけど。
呼吸するときに、あんなに叫ばなければ、きっとあの変な泳ぎもで25mは完泳できそうだった。
一方、もう普通に25mは泳げるクラスにいる小学三年生の海友。とりあえず、颯友に安全な場所にいるように伝えて、海友と一緒に25m泳ぐ用に仕切られたコースに入り、一緒に泳いでみた。
フォームはまだまだ奇麗とは言えないし、時間もかかるけど、初日は2往復、100mはクロールで泳ぎきった。僕はそれだけでも感心して妻に「結構泳げるね〜」と報告したら、「もっと泳げるわよ」。との返事。
ということで、次にのプールの時に、もう少し泳がせてみた。
休み休みではあるものの、500m泳げればと思って泳いでいたら、数え間違いで、600m泳いでしまった。これには感心して、「すごいな、600mも泳いだよ。今日は十分だから、これで終わりにしようか」と伝えると、「え、600?なんか中途半端だから、1000にしたい」と自分から申告してきた。
普段あんまりやる気を見せない、どちらかと言うと、"ぽわ〜ん"とした子なので、この発言には正直驚いた。
「お、おお〜、自分でそう言うんなら、じゃあ、1000m泳ごうか」そう言うと、また泳ぎ始めた。
「無理しないで、自分のペースで休みながら、泳げばいいよ」と伝えると、
「疲れたらさ、疲れたら、別の泳ぎ方してもいいの?」と訪ねて来たので、
「いいんじゃない。それに、本当に疲れたら途中で足着いてもいいよ」と伝えたけど、実際には、そのプールは海友が立つことのできない水深だった。
結局、相当疲れた時に、25mだけ背泳ぎしただけで、ほとんど休まずに、後は全部クロールで泳ぎ切った。
最近、あまり家にいなくて、息子たちが、どれだけ成長しているかをあまり感じることができていなかったし、家にいても、僕と一緒にゴロゴロしてるところしか見ていなかったから、正直この結果は嬉しかった。
そして、この日、颯友も、めちゃくちゃフォームながら、なんと兄に触発されて、100mも泳いだことにも驚かされた。まあ、相変わらず息継ぎのときに、「うぉ〜!!」って叫んでたけど。
息子たちの成長を感じることができた、嬉しい1日になった。
この日ばかりは、「お前ら、すごいな!!やればできるじゃん!!」と大声て誉めて、ご褒美に、帰りにソーダアイスを買って、デパートの100円ゲームを一回づつやらせてあげた。と言っても、自分も一緒にソーダアイス買って、ゲーム1回やっちゃたんだけど。
あまり前回と変わらない、対して意味の無い内容の子育て日記です。
友だちが遊びに来ると、かならず10分だけWiiをやる日が続いた後は、パン作り。
そして翌日には、クッキーを手作りで作っておやつに食べる海友と颯友。なんかこういうの作るの二人とも大好きみたいだ。色々な形のクッキーを作って、嬉しそうに食べてた。僕にもお裾分けしてくれた。
う〜ん、確かにほぼ母子家庭状態だったから、母親の様子を見て、息子たちが料理とかに目覚めるのは、自然の事なんだろうな。それにしても、夏でも、風通しが良いのでほとんどクーラーをつけない我が家。
なので、相変わらず、裸でいることが多い息子たち。でも、最近はおパンツは履いてることの方が多いけど。
問題なのは、昼、息子たちが水風呂に入るとき。海友は、普通に「わ〜!」とお風呂に直行するのだけど、颯友は、僕がシンクでヒゲそったり、歯磨いてると、後ろから接近してきて、背後でパンツを脱いで、素っ裸のお尻を僕の足に押し当てて、「あ〜ぷりぷりぷりぷり、ぷりぷりぷりぷり!」と左右に腰を振ってこすり始めることだ。
もちろん、その度に、僕の電気按摩を食らう事は、奴には想定内なはずなのだけど。まあ、素直な表現の苦手な、あいつなりの、愛情表現なんだと思って、なかば諦めながら受け入れることにしている。
あ、そこで僕がムキになって電気按摩をしなければいいだけなのかな?
バハマ出発前日の夕方
午後3時頃、「ねえ、パパと外に遊びに行きたい」と二男の颯友が言い出した。
出発までにやらなければいけないことは沢山あるのだけど、息子たちとの交流も、当然その中の一つ。
頭の中で、時間のやりくりの計算を思い描きながら、1時間か2時間ならいいかと思い「よし!じゃあ行くか!何処行く?」と訪ねると、
「向うのね、海の近くの公園からこ〜う回って、回って、探険するんだよ」
そう行って、でかける準備をしていると、兄の海友が英語のクラスから返ってきた。
「僕も行く!」と行って合流。
最初は、探険のはずだったのだけど、颯友は、背中にサッカーボールの入ったビニール袋を、そして何故か海友は、ぽこぽこ?を持ち出してきた。颯友が幼稚園から持って帰ってきたものだ。
自分も、新たにDLしたアプリ、instagramを試したくて、奴らの行動を撮影しながら一緒に探険をすることにした。
探険の始まりは、何故かこれ。
しかし、その間に颯友は、どんどんと海の方へ
海友と一緒に追いかける「お〜い!颯友〜」
追いついた海友は、一緒に海へと向かう。僕は、ズームで二人を撮影
何で自転車乗ったまま、こんな草むらに入り込む?
海岸の公園で遊んだ後、「もう帰ろう」って言ってるのに、「やだ!」と言って逃走
さらに先へと進んで行く
おいおい、せっかく草むら抜け出したんだから、また戻るのはやめようよ
じゃあ、今度は川だ〜!
「ちょっと待て、もう暗いんだから帰ろうよ!」「やだ〜!」
斜面を滑り台にして遊ぶ
やっと公園まで戻ってきた。海友はそのまま先に一人で帰る。
しかし、颯友は、「パパとサッカーやりたい!」と言ってきかない。
しょうがない、やってやるよ。辺りはもう真っ暗。時間は7時を回っていた。
ゴールを決めて1対1で対戦。
早く帰りたくて9対1で負けてあげた。颯友は自慢気。
「もう帰ろうよ〜」
「これで帰るから、パパ自転車持ってて」
「それで帰られたら、困ります」
結局家に帰りついたのは、8時過ぎ。
今日、海友と颯友の友だちが家に遊びに来た。
子どもたち「ねえ、パパ〜、ひみつきち作るの手伝って〜」
父「よっしゃ〜!」
数分後
父「完成!」
子どもたち「すげ〜!!オレここ、オレはここ!」
父「ふふふふふ」
父「・・・・・あっ」
で、出られなくなった。
セブから帰国。次のバハマまでの1週間。家にいる。今年に入って、1週間も家にいれるのは、初めての事だ。できれば、少しでも海友や颯友たちと遊ぶ時間を作りたい。
今回は、颯友の幼稚園のお迎えなどの時間と重なったので、ミナ(妻)は空港まで車で迎えに来れなかったので、リムジンバスで帰宅。ディズニーランドの停留所で降りて、タクシーで家まで帰り着く。
今、子どもたちは、それぞれに習い事してて、長男の海友は、水泳、空手、英語、それにラグビー。二男の颯友も、水泳、空手、体操、そして兄と一緒に最近ラグビーを始めた。まだ数回しか行ってないのだけど、以前習っていたサッカーより、今のところ「楽しい」そうだ。
せっかく明るい間に帰って来れたので、「外で何かする?キャッチボール?サッカー?それともラグビー?」と訪ねると二人とも「ラグビー!」と答えたので、おもちゃのアメリカンフットボールを持って、近くの公園へ。
嬉しいのは、颯友が、完全に自転車に一人で乗ってどこでも行けるようになったので、移動がすごく楽になったことだ。自分もマンションのレンタル自転車に乗って、移動途中に写真を撮影してみた。
自転車に乗っていて気がついたのは、まだまだ新浦安も地震による被災の痕跡が至る所に残っているということだ。少しずつ直していってるとはいえ、所々、こんな感じでつぎはぎだらけ。でも、子どもたちは当然そんな事、まったく気にしてないけど。
そして、公園で習い立てのラグビーの練習方法を教えてもらいながら、3人で試合した。
家に帰ってからの夕食時、海友が「パパ次はいつ行っちゃうの?」と妻に訪ねた。
妻が、「今度はね、7日間家にいるよ。そのあとバハマ」と答えると、
「やった!え、でもオレもバハマ行きたい。イルカと泳ぎたい。カバンの中に隠れていっちゃおうかな」と話しているのを聞いて、(今年も連れていければ良かったな)とちょっと後悔した。
食事が終わってから、ソファーで横になって、テレビ観ていたら、海友と颯友が上に乗っかってきたので、「重いって」と言ったけど、二人とも、どこうとしなかった。
我慢してそのままの状態でいたけど、気がついたら、二人ともそのまま眠ってしまっていた。確かに重いけど、自分にとっては、幸せの重さ。成長して大きくなって行く二人を感じることができる心地よい重さだな。
5月6日の朝3時、GWの帰省ラッシュを避けて、岩手を出発。3人で運転を交代しながら、朝8時30分頃には、新浦安の自宅に到着。思いのほか、早く帰宅することができた。
子供の日、息子たちと遊べなかった分、近くの公園で一緒に遊ぶ。去年の秋頃、補助無し自転車を乗りこなせるようになった二男の颯友。最近は自転車に乗るのが、楽しいようだ。
転倒して転んで、膝擦りむいたけど、泣かずに笑顔で走り続ける颯友。相変わらず痛みには強いみたいだな。
明後日から、またロケで石垣島と西表島へと出発する。
パラオから帰国して、久々に家に帰る。息子たちは、パラオに行く前に小学3年生と幼稚園の年長に。新しいクラスの事、友だちの事、色々な話を妻と息子たちから聞いた。やらなければいけないことは山ほどあるのだけど、話したい事は沢山あるようだったし、実際自分も仕事とは関係の無い、そんな話を沢山聞きたかった。
息子たちは、ソファーに横になって疲れを癒す僕にくっついたり、ずっと側にいて遊んだり、僕の身体の上に乗っかたりしながら過ごした。二男はフィリピンに行く準備をする僕に肩車しようとよじ上る。「これが一番やりたかったんだよな〜」とぼそぼそ言いながらよじ上られると、重くて荷物の詰め込み作業ができなくなるんだけど、少し我慢しようと思ったり。
本当はゴールデンウィークは仕事を入れないで、息子たちと一緒にいたかったな。
フィリピンのツバタハへの出発日の今日は、颯友の幼稚園のパパ友たちが主催して行なわれるファミリーバーベキューパーティー。全てをパパが取り仕切り、参加するパパの家族が招待される。本当は自分も家族と一緒に参加する予定だったのだけど、残念ながら僕だけ不参加で、妻と息子たちだけの参加。
もう少し、息子たちの成長を近くで見ていられる時間が持てるようになりたいな。そう思った、1日だけの帰宅だった。
ハワイから戻ってきて、翌日から3日間、池袋のサンシャインで開催されている、マリンダイビングフェアに、新統合サイトocean+α(オーシャナ)のブースを出展しているために、連日会場へと通っている。
2日目の土曜日、マリンダイビングフェアの会場に行く前に、二男颯友の通う幼稚園のパパ友数名が集まって、子供たちと一緒にKOKOROKOINOBORIプロジェクトで、5月4日、5日と、東北の空にあげる予定の鯉のぼりを描いてくれた。すでに、手描きの鯉のぼりの数は約200流集まっていて、今は、現地での設置、撤去作業をどのように行なうか、かかる費用などに関しての見積もりなどを行なっています。
鯉のぼりの作成に協力してくれた皆さん、ありがとうございました〜。
連日のように、リゾートのプールと目の前の海で暴れ回る二人。何かあっては、と付いて回ったのは、2日目くらいまでで、それ以降は、ライフガードの人も沢山いることだし、特に迷子になるほどの広さって訳でもないし、自分たちで僕らのいる場所まで戻ってこれるし、部屋にだって戻れるってことで、ほとんど野放し状態に。 (今回も写真多めです)
8歳の海友はともかく、5歳の颯友も大丈夫なの?って思うかもしれないけど、奴には、ライフジャケット入りの上下がセットになった、ラッシュを着せているので、万が一にも溺れる心配は無い。まあ、唯一心配なことと言えば、トイレに行くときは、背中のジッパーを下ろしてやらないといけないので、もよおした時に、即効で僕らのところに戻って来れるか、あるいは、奴が誰かに頼めるかってことだ。今のところ、問題はおきて無さそう。
二人で遊んでいるときもあれば、それぞれ単独で好き勝手に遊んでるときもあるし、同じように長い滞在で友だちになった子と遊んでる時もある。
しかし、昨日くらいから、海友が始めた事があった。それがバブルリング作り。自分がバハマで船を停泊しているときに、素潜りで作ってみせていたのを思い出して、見よう見まねで練習していた。
その様子をちょっと撮影してみたんだけど、近づくと恥ずかしがって止めてしまう。
夕食の時に、「明日は少しやり方教えてやるよ。だからちょっと一緒に練習してみよう」と伝えると、ちょっと恥ずかしそうに「うん」と返事が返ってきた。
そして翌日、午後はノースショアにウミガメの甲羅干しを見に行く事にしていたから、午前中に練習してみることに。
最初にやってみせて、口の形や、「もう少し優しく、空気を丸めるように出してみて」とか、「プールの手すりに捕まって、水底に水平に寝そべって、落ち着いてからやってみな」と伝えて、何度かやってみた。
最初は、ゴーグルも着けずに、やっていたので、自分の出した空気が、ちゃんと丸くなってるかどうかもはっきり確認できなかったみたいだったけど、おしい感じのが何回か作れた。
「ゴーグルつけてちゃんと確認しながらやってみな。優しくね優しく出すんだよ」そう伝えて、ゴーグルをつけてトライしてみた。何度目かに、何個かちょっといびつだけど、奇麗な輪になったバブルを作ることができた。
「すごいじゃ〜ん!海友、あともうちょっとで、奇麗にできちゃうんじゃないの!」と誉めてたら、5歳の二男の颯友が、「はやともやる〜!はやともバブル作る〜!」と言い始めた。
「え、お前が?まだ無理なんじゃない」と冷静に言うと、「やる〜、やる〜!」と襲いかかってきたので、「わかった!わ〜かった、じゃあ見ててやるから、やってみな」と言って、マスクつけて、潜って待っていたら、プールの階段の手すりに捕まって、水中に入ってきた。
「・・・・・」傍観する父
「ぷっ!」
颯友:「ぷぷぷぷぷ〜〜!」
父:「だ、だめだって、空見上げるみたいに、上見ないと、バブルは作れないよ」
颯友:「やっぱゴーグルつけてやる」
父:「おし、じゃあ、もう一回な」
身体を横にして、水中に入ってくる颯友。
父:(お、良い体勢、そんな感じ、そんな感じ。いいぞ〜)
父:(あ、身体が立ってきてる、もっと倒して、もっと〜)
颯友:「かはっ!」
父:「えっ!?」
颯友:「かはははははは〜〜〜〜〜!」
父:「かはかは言いながら沈むな〜!」
水面に戻ってから、
颯友:「おい、とうちゃ〜ん、どうだった〜(くれよんしんちゃん風に)?」
父:「やる気だけは認める。だから、特訓だな」
颯友:「じゃあもう、やめる〜」
今回の旅行は、フリーになってから初めてのまったく仕事抜きの家族旅行のはずだった。しかし、来る直前に、コンデジのサンプル撮影の仕事を依頼されたと前に書いた。だから、今回撮影している写真は全て、このコンデジで撮影している。
基本は、水中での撮影。しかし、ハワイでは、海に入ってダイビングする事は当初から予定していなかったので、プールで遊ぶ息子たちとか撮影してみた。はたして、これが、サンプル撮影用として、活用できるのかどうか定かでは無いけど。まあ、楽しそうだからいいか。
で、今そのコンデジの様々な撮影モードを使って撮影をしている。ちなみに、画像クリックすれば大きな画像で見れます。普段はあまり大きな画像にしていないですけど。
これが、ジオラマモード。
まあ、今となっては、このモードは普通にコンデジに着いてたりする機能なのかな。あまり使ってないから良くわからないけど。もう一台、愛用しているリコーのGXRにもついている。他のは使ってないから知らない。
それから、これはパノラマモード。
パノラマモードって、昔はただ、フィルムのセンター部分しか写らないようにしてただけだけど、デジタルでは、何枚もの写真を連射してつなぎ合わせて1枚の写真にするため、こんな写真も撮れる。
上手くやらないと、移動途中のこんな映像が合成された写真が撮れてしまう。まあ、これはこれで面白い。
という感じで、コンデジでの撮影を楽しんでいる。
今日はワイキキのビーチでのんびり1日過ごすことに。(写真多めです)
せっかくだからとカタマランのヨットに乗船して、プチクルーズを楽しもうということになった。
最初は人数も少なくて、ロコのかっこいいお兄さんと、その飼い犬と数人のゲストしか乗船していなかった。なので、海友も颯友も広々とした空間で楽しめると喜んでいたのだけど・・・・。
出発直前になって、一気に若い女性客が10数人ほど乗り込んできた。
船はあっという間にガールズのパーティー船状態?
しかし、その状態に露骨に不満気な表情を見せる男が一人・・・
颯友だ。
「おいらは犬と一緒に海に出航したかっただけなのに」
こっちにも、
そして、こっちにも
「女の人ばっかりで、も〜うんざり・・・」
一方、兄海友の方は父と仲良くクルーズを楽しんでいた?
やっとビーチに戻り、父と一緒に砂に穴掘って遊ぶ。
しかし、そこにも犬を連れた可愛いロコの女の子が登場。
「アロ〜ハ!わお、大きな穴ね〜」
「あの、犬はいいんだけど・・・・・・女の人はだめです」
フィクションです。
今日は、DOLEプランテーションの巨大迷路に行ってきました。巨大迷路を制覇した直後くらいから雨が降ってきました。体調が完全で無い海友は、疲れたのと、寒さでまた熱が出てしまいました。
・・・・・、なんか子供の日記みたいだな。
ということで、ワイキキのコンドに戻り、とにかく海友は、後半のメインのホテルで体調を戻す事に専念した方が良いと伝えて、早々と睡眠。
パワーを持て余してる颯友は、僕と一緒に屋上のプールへ。しかし、風が強くて、早々に引き上げる。それでもまだパワーが有り余っている。何かやらせなくては、と思いついたのが、KOKOROKOINOBORIプロジェクトの手描きの鯉のぼり作成。
颯友の幼稚園のパパ友にも、何流か渡して、作成してもらう事になっている。僕らがハワイにいる間に集まって作成してくれるのに、自分たちは、そこに参加できないので、何流か、こちらにも持ってきて、家族で描くつもりでいた。
本当は、海友も元気なときに、全員で描きたかったのだけど、パワー有り余る颯友に早めに描かせることにした。
あんなに落ち着きない颯友だったのに、「被災地の子供たちにプレゼントするんだよ。バハマでも大きいの描いたでしょ」と伝えると、相当に真剣になって描き続けた。
絵も字もへたくそだけど、とにかく何故か字を書きたがった。「がんばれにっぽん・はやと」と書いり、とにかくまとまりは無いけど、一人だけで、一生懸命描いていた。もう寝ればいいのに、「あともうちょっとかこうかな」「あともうちょっとかこうかな」とぶつぶつ言いながら描き続けていた。
夜11時過ぎ、気がついたら、そのままテーブルの横で眠ってしまっていた。
この手描きの鯉のぼりは、多くの人が描いてくれた、大小合わせて、約200の手描きの鯉のぼりと一緒に、5月4日、5日に、岩手県の大船渡市で開催されるけせんフェスの会場で空に舞う予定。
コンドの屋上のプールで朝早くから遊び過ぎて、長男の海友が熱を出した。3月のワイキキは、天気は良くても、風も水温もまだまだ冷たい。特に今年は寒いそうだ。
翌日には、熱も下がってきたのだけど、まあ遠出しないで近くでのんびりしようということになった。
たまたま同じ時期に合わせて、ミナ(妻)のおじさんが、ハワイに遊びに来ていた。というのも、おじさんの息子、ミナの従妹が、ハワイのイタリアンレストランで、エグゼクティブシェフとして働いているからだ。お店の名前はワイキキビーチウォークにある「タオルミーナ」。 相当人気のレストランらしい。
しかし、大変だったのは、そこに行き着くまでの二男、颯友の暴れっぷり。体調もまだ完全でない兄は、さすがに、しっかり母親について歩くのだけど、二男はとにかく寄り道したがるし、どこかに逃走しかねない勢い。
スキあらば、「大人しくしろ!」と注意する僕にパンチと蹴りを入れてくる。一度なんかマジで金的に直撃して、「うっ」という鈍い悲鳴とともに、一瞬しゃべれなくなった。でも、周囲には気づかれないようにしていたけど。映画で、子役が大の大人に金的蹴り入れたくらいで、大した事ないだろうって思っていたけど、入りようによっては、5歳の子供の蹴りでも、相当に効く事を実感した。
どうにか、お店の前でおじさんと合流。店内で従妹のヒロ君と出会って、ランチを食べた。前回に会った時は、まだイタリア修行中だった頃。今はさすが料理長になって、貫禄も出て来た感じ。料理はパスタ中心に。自分はネットでも話題になっていたウニのパスタをオーダー。美味しかった。デザートは、ライチのシャーベットがおすすめ。
ランチ後、また海友の体調を考えて、コンドに戻ることにした。しかし、「ビーチを歩きたい」という二人の要望で、途中からビーチへ。相変わらず、ビーチのかさ上げ工事をしていて、波打ち際には、大きな段差ができている。
息子たちは、海と波を見ただけで、「きゃ〜〜〜!」と歓声を上げて、その段差の下へ。
何か嫌な予感・・・「おい、水着持ってきてないんだから気をつけろよ!」
「きゃ〜〜〜〜!」 ざっぱ〜〜〜〜ン!!!
「・・・・・・・・」
ごろごろごろ・・・・。その後も周囲で見てる人が心配になって、「おい、両親、ほっといて大丈夫なのか?」という不安そうな顔を僕らに向けるくらい、服のまま波に飲まれまくる二人。
途中で颯友が、「砂が入って気持ち悪いから、全部脱いでいい?」と聞いてきたけど、さすがに、ここでマッパはやめてくれと懇願。さすがに、海友はもう恥ずかしいらしく、脱ごうとはしなかったけど。
結局砂だらけになり、ビーチの冷たいシャワーを浴びて、で、着替えるものも、タオルも無く、そのままコンドへ。
戻ったところで、ハワイに住む友人から電話が入った。僕らがハワイに着く直前に、二人目の子供が産まれて、バタバタしてるから、会えないかなと思っていたのだけど、今日なら時間作れるから大丈夫なら会いましょうって事になり、迎えに来てもらって、ローカルに人気の(というか友人が好きで良く行く)BIG CITY DINNERへ、連れて行ってもらった。ただの大衆食堂かと思いきや、「ベストレストランアンダー$20」という賞も受賞している人気店だった。っていうか、前に来た時にも連れて来てもらったな。
しかし、すでに遅めのランチでたらふくイタリアンを食べていた僕らは、このボリューム満点の美味しい、早めのディナーを堪能できる程の胃袋は残っていなかった。はずなのに、ロコモコとフライドライスを頼んで、結構食べれてしまった。おまけに最後にデザートのアイスとケーキも。
ということで、この日1日で、お気に入りのTシャツが着れなくなるくらいに体重が増量した感じ。
その後、もう一件行こうと思っていた場所があったのだけど、子供たちが眠くなってしまったので、そちらに行くのは諦めて、コンドに戻った。しかし、そこでも何故か眠りから目覚めた二男は暴れ回る。
あまり触れてはいないけど、あまりの傍若無人な奴を反省させるために、5分間の黙祷を課した。
しかし、空手で慣れているせいか、あっさり5分をクリア。しかもベッドの上だし。あまり効果の無いまま、終了し、そのまま暴れ続けたのだった。
3月20日、息子たちが春休みに入った翌日、家族でハワイに到着。実は、新聞社を辞めてから(つまり結婚してから)、全く仕事が絡まずに、家族で海外旅行するのは、今回が初めてだった。結構色々な場所に連れて行ってはいるけど、全て仕事が絡む(と言っても、端から見ると、ただ、楽しそうに写真撮ってるだけって思われるかもしれないけど)旅行。
で、今回は「絶対仕事用のカメラ持っていかない!」と心に決めていた。確かに、いつも仕事でメインで使っているカメラは一台も持って来なかった。だけど、これも実は出発間際まで、どうしようか相当に悩んだ。だって、今まで海外に行くのに、メインのカメラを持っていかなかった事なんてなかったから。
直前まで、カバンから出したり、入れたりを繰り返していたのだけど、最後の最後に、断腸の思い(大げさ)で、全てカバンから取り出した。
もちろん、家族との時間をのんびり過ごしたかったって言うのもあるのだけど、実は、この旅行直前に、某メーカーのタフモデルのコンデジのサンプル撮影を頼まれたからというのもある。某メーカーって言っても、下の写真見ればどこのカメラかは一目瞭然だけど。
過去にも何度か頼まれたことがあったのだけど、だいたい「メインの撮影の合間に撮る」って感じで、どうしてもベストの撮影環境の時に撮影することができていなかった。それがいつも気になっていたので、今回は、基本全部このカメラで撮影するって決心するためにも、持って来るのをやめた。・・・・・とか言いながら、同じメーカーのミラーレス一眼は2台持って来ちゃったけど。でも、とにかく軽いのは嬉しい。息子たち暴れ回るし。
息子たちの写真も基本LUMIXのDMC-FT4で撮影。・・・・、ということで、サンプル撮影をするので、結局まったく仕事無しにはならなくなってしまったのでした。
ちなみに、出発日間違えたのは、21日の午前12時20分発のフライトだったから。羽田空港に遅くに到着して、眠そうな二男、颯友。
妻の話によると、初日、プールで遊び、ビーチで遊び、食事して、かき氷食べただけで、「いいな〜、ハワイいいな〜、プールや海で遊べるし、暖かいし、楽しいし、かき氷食べれるし、ハワイで産まれてたら良かったのにな〜」と嬉しそうにしていたらしい。「じゃあ、生まれ変わったら、ハワイに産まれてくればいいね」と妻が言ったら、「あ、でもいいんだ、そのうち、仕事で来れるようになるから」とえらく自信満々に言ってたらしいけど、いったい、どんな仕事に着く気なのか。ちなみに、颯友にとっては、今回が初ハワイ。
ワイキキのビーチで、ロングボードを持った男性とすれ違う、長男、海友。海友は、1歳になりたての頃、一度だけマーシャル諸島からの帰りにハワイに来たことがある。本人はもちろん覚えていないけど、奴が歩けるようになったのは、このオアフ島だった。
海友も、大喜びしながらも、写真でもわかるよに、何かメモしながら、ビーチを徘徊していた。どうやら、気になった事とか、感じた事を忘れないようにメモしているらしい。まあ、書いてあることは、「海がきれい」とか、「裸足で歩くと砂が気持ち良い」とか、そんな感じだったけど。
自分が気になったのは、ワイキキのビーチに沢山の砂が積み上げてあったこと。どうやら、海岸の砂が浸食してしまって、そのかさ上げ工事用の砂らしい。景観は悪くなるので、ちょっとがっかり。最初は津波の影響なのかと思っていた浸食は、このサイトを見て、長年の浸食の結果だと知った。
まあ、取りあえず、滞在も長いので、仕事も多少抱えているけど、基本的には、家族の時間を大切にしたいと思います。
岩手から深夜に家に戻った。子供たちはすでに眠っていた。
妻から、岩手に行っている間に、長男の海友が、寝てる間に嘔吐して大変だったと聞かされていた。「いれなくてごめんね」と言うと
「いた方が大変だったよ。だって、パパが寝る方に一気に吐いたから、寝てたら大変な事になってたよ」と笑った。
すでに体調は回復していて、朝になって、真っ先に起きた海友の後を追って、リビングに行くと、「パパ、おかえり〜、おはよう」と眠そうな声で挨拶をしてきた。
「体調大丈夫か?」と訪ねると
「うん、大丈夫。それより、大変だった?」と自分の事よりも僕の事を心配してくれた。その直後に思い立ったかのように、立ち上がって何かをランドセルから取り出して、僕に渡した。
「パパ、これ、学校で書いたんだ。何人かの人に感謝のお礼の手紙を書くってのがあったから、パパに」と渡してくれたのは僕への手紙。
「●●さんへ ありがとうございます」というコピーのところに、「おとうさんへ ありがとうございます」と書かれたその手紙の内容は、 「いつもいっぱい、いろんな国につれていってくれてありがとう。 3月12日 海友より」という短いものだった。
疲れて帰ってきたところで、息子からこんな手紙を渡されると、本当に嬉しい。
「ありがとう」と伝えると、
海友が、「どういたしまして。ねえ、岩手の仕事大変なの?寒いの?水冷たいの?」と質問してきた。「うん、寒いし、冷たいよ。でもそれでも、頑張ってる人がいるんだよ」と伝えると、「ふ〜ん、今度、僕も行って何かお手伝いしたいな」とボソっと言った。
まだ8歳の息子が、その気持ちを持っているだけでも嬉しかったし、意外だった。
妻と二男が起きて来た。「これおみやげ」と言って渡したのは、被災地陸前高田の人たちが、ガレキで作った「瓦Re:KEY HOLDER(ガレキーホルダー)」。
「これ何?」って二人が質問してきたので、どういういきさつで作られているのかとか、大切にしないんだったら、あげないからなと伝えて二人見せると、欲しいキーホルダーを真剣になって決めていた。
妻が、「私や子供たちも、一度岩手に行ってみたいなって思うんだけど、どうかな」と言ってきた。
次に行こうと思っているのは、5月。あまり長くは行けないのだけど、そのときに、連れて行こうかなと、ちょっと考えた。ただ、はたして、息子たちが、ボランティアの役に立つだろうか。そこがとっても心配だ。
26日にパースから帰ってきた。でも、29日にはフィリピンに行く。その短い滞在期間中、息子たちは、一緒に遊びたくてしょうがないのだが、こっちはこっちでいる間にしなければいけないことが沢山あって、ちゃんと遊んでやれない事が本当に申し訳ない。
「だったら、どうしても一緒にしたいことがあるんだ」と特に5歳の二男の颯友に懇願されたことがあった。
「何?」と訪ねると、
「鬼のお面作ったからこれ被って」と僕の顔にはどう見たって、明らかに小さいお面を差し出した。
(え〜、また豆とか当てられるのかよ)と躊躇した。決して今年の豆まきをしなかったわけではなくて、ちゃんと節分に終わらせていた。しかも、そのときに相当思いっきり豆ぶつけられていたので、ムカついて、つい僕も息子たちに思いっきり豆をぶつけ返したりしてた。だから、もう鬼はやりたくなかった。
でも、「お願い!これ被るだけでいいから」と執拗に頼まれたので、しぶしぶお面を被った。どう見ても小さすぎる。
で、投げやりに、「それで、どうするんだよ」と訪ねると、
「今回は、マジ蹴りだよ」と言う二人。
「何?マジ蹴りって?」と訪ねる間も無く、二人が回し蹴りを入れてきた。
「とりゃ!とりゃ!」
「いて!いて!」
まだ白帯とは言え、マジ蹴りを連打してくるとそれなりに痛い。
おい、たった3晩しかいない父とどうしてもやりたい事がこれかよ・・・。
しかも、二男の颯友は、「なんかこのズボンはいてると、蹴りにくいんだよね〜」
と言って、パジャマの下を脱ぎ、パンツ姿でまた蹴りを入れてきた。意味わかんない。
「とりゃ!」
(何言ってるんだよ・・・)「もうやめろって・・・」
そして、案の定、最後には、
「やっぱ、フルチン蹴りが効くでしょ、パ〜パ〜」「とりゃ!」
効くよ、精神的に、かなり効く。
「お前、これ皆が見るブログに載っけてもいいんだな!」と訪ねると
「うん!全然いいよ!」と答えたので、じゃあ絶対載せてやるとブログへの書き込み作業を始めたら、妻が小声で「モザイクしてね」と言ってきた。
・・・・母親として、「やめてね」じゃなくて、「モザイクしてね」でいいのかよ。
14日にフィリピンから帰国して、18日の今日、オーストラリアのパースへとし出発。忙しなく短い日本滞在の間で、バレンタインデーの他に、妻の誕生日というイベントがあった。誕生日と言っても、不在だったりして、いつもほとんど何もしてあげれてないのだけど、誕生日の前日の朝、長男の海友と相談して、内緒でプレゼントを買いに行こうかということになった。
海友は大喜びで買い物ルートを作り始めた。子供に「ママには内緒な」と言ったところで、その行動で何をしようとしているかはバレバレになる。この日も僕に聞けばいいものを「ねえ、ママ、イクスピアリ行って、ヨーカドー行って、ダイエー行って、MONA行くにはどういうルートを取ればいい?」と訪ねている。
(あ〜あ、バレたな)と内心思う僕。
「え?何で?」と妻が海友に訪ねると、「うん、ちょっとね、パパとお買い物に行ってみようかなと思って」。
(完全バレたな)と確信する僕。
ハハ「え、パパと二人だけで?ママと颯友は?」
海友「う〜ん、颯友は行くかどうか、後で聞いてみるよ。ママは留守番してて。とにかく教えて!」
チチ(だから、オレに聞けよ!)
と、ここで完全にバレてしまったことは明白なんだけど、午後、二男の颯友(5歳)が幼稚園から帰ってきたタイミングで、颯友に、「明日ママの誕生日だけど、パパと海友、プレゼント買いに行くけど颯友も行くか?」と訪ねると、「うん!行く!」と即答。一応「ママには内緒だぞ」と念を押し、「うん!」と元気な返事をもらう。
海友が小学校から戻ってきた兄に、小声で「海友〜、今日パパと一緒にママの誕生日プレゼント買いに行くよ」と伝える。海友は「わかってるよ!」と小声で嬉しそうに答えてる。しかし、その真横に妻が立っている。
妻より離れてる僕に聞こえてくるひそひそ話だから、当然妻には、さらに良く聞こえてるのは間違いない。
まあ、バレバレでも、妻は当然気づいてない振りをして僕らを送り出した。
で、イクスピアリで、海友はママにネックレスを買いたいと言って、お店に入った。母親が普段あまりそういうものを身につけない事を気にしていたのかもしれない。購入したのは、写真の天使の羽のシルバーのネックレス。先端がピンクに染められてる。
店員さんに、「ママへのプレゼント」ということで、ラッピングしてもらった。店員さんが、「ママには内緒なの?」と訪ねてきたので「はい!」と答える二人その横で、「バレバレですよ(笑)」と答える僕。
「え?バレバレ?!」と驚く二人。
「あ、いや、バレてないかな〜なんてちょっと心配なんですよ〜はははは〜」と慌てる父。
妻にバレバレな上に、バレてないと思いながら買い物してる子供たちにまで水を刺しそうになる、最悪の父。
海友のプレゼントは決まり、二男の颯友の番。「お前も一緒でいいか?」と訪ねると、「嫌だ!」答える二男。
「じゃあ、何買う?」と訪ねて他の店で「これをプレゼトする!きっとあけてびっくりだよね〜」と持ってきたのは、ガラガラ蛇のぬいぐるみだった。
(お前、自分が欲しいだけなんじゃないの?)
そう思ったが、まあ二人が決めたプレゼントだし。普段こんな事めったにないし。ということで、プレゼントが決定した。
ちなみに、最初に入ったお店で、僕が気に入ってしまった、ペアのネックレスがあった。ドラゴンとフェニックスのペアで、合わせるとハートになる。自分と妻で付けるには、ちょっとなと思ったいたので、大きくなったときの息子たちへのプレゼントとして購入してしまった。男兄弟で合わせるとハートになるのも、ちょっとどうかと思うけど、まあいいや。
これで、息子たちへのネックレスのプレゼントは、マッコウクジラの歯で作った、トンガで購入したネックレスに着いで、2組目だ。いつか、気に入ってつけてくれれば嬉しいけど。10年くらい先の話かな?
セブから帰国した日は、バレンタインデー。毎年送られてくる仕事関係の人からのチョコレート、それに妻とお義母さんからもらったチョコレートを食べた。
息子たちは、「チョコレートは自分で作りたい」と妻に主張し、買ってきてもらったチョコレート手作りセットで、妻に手伝ってもらって、作成。「はい、パパあげる」と一個譲ってくれた。女の子からではないけど、今もらえて一番嬉しいチョコレートだったかも。
それにしても、学校や幼稚園の女の子からは、もらっていないのかこいつら。
まあ、それはいいんだけど、帰ってきて1日くらいは、身体を休めたい。妻もそう思ってくれているから、「チチ(妻は息子たちの前では、僕の事を「チチ」と呼ぶ)の好きそうなドラマ録画しておいたよ。韓国版のシティーハンター。面白いから見てみれば」。ということで、ソファに横になって観ていたら、案の定、二人が飛びかかってきた。しかも、奇声を発しながら、僕の上で身体を前後に揺すり始める。
「いや〜!ほわ〜!いや〜!ほわ〜!」「いや〜!ほわ〜!いや〜!ほわ〜!」
この奇妙な奇声に合わせてテレビを観る僕の身体の上で二人して、身体を前後させるから、当然テレビの音、聞こえないし、ストーリーなんてわからない。
「なんだよ、そのいや〜!ほわ〜!って〜」と上に乗ってる二人に訪ねると
ばばばばばばん!と連打されて、さらに
「いや〜!ほわ〜!いや〜!ほわ〜!」「いや〜!ほわ〜!いや〜!ほわ〜!」
と二人仲良く声を合わせて奇声のトーンを上げる。
「ちょっとやめろよ!」と言うと、また、ばばばばばばっん!と連打され
「いや〜!ほわ〜!いや〜!ほわ〜!」「いや〜!ほわ〜!いや〜!ほわ〜!」
とさらに奇声が大きくなる。
「ちょっと、ママ〜、ここは猿の檻の中なの?」と妻に助けをもとめると。
「ええ」と当然でしょと言うような顔をして、冷静な返事を返す妻。
こうなったら、意地でもテレビ観てやると心に誓い、「テレビ観てないで、隠れんボしよ〜」と息子たちに要求されるも、「これ終わってから」と第1話を見終える。そのタイミングで息子たちが、別の事してるので、「今だ!」と思い、第2話に突入。
しばらくしてそれに気づいた息子たちが、「あ、終わったら隠れんぼするっていったじゃん〜!」と文句を言いに来ると「ん、これ終わってから」と返すと、上に乗っかられてまた「いや〜!ほわ〜!いや〜!ほわ〜!」「いや〜!ほわ〜!いや〜!ほわ〜!」を繰り返される。
そうこうしているうちに、夕食の時間。
その後隠れんボして、(と言っても自分は鬼の役ばっかりだけど)、また3話目を観てるうちに、睡魔に襲われ始めるので、「ベッドで寝なさい〜!」と言う妻の一言で、歯磨いて息子たちと3人でベッドへ。
そこで「パパ〜、小人探ししょう!」と提案されて、部屋の電気消して小型のLEDライトもって、布団の中に隠れて小人探しする。
しかし、小人探しのストーリーを作らなければいけない僕が、布団を被ると眠ってしまうので、「つまらない」と主張され、「絵本読んで」と予定を変更。
絵本の主人公を、かいと君、はやと君に変えて読んでみたら、事の他二人からのウケが良く、二人とも大笑い。「次はこれ読んで!、名前変えて!」と立て続けに主人公を二人と僕に変更して読み続けた。どんな内容だったかは、また改めて書くとして、小人探しがつまらないと言われて、迂闊にウケを狙ったのが不味かった。
結局、眠いのに、この日、トータルで10冊絵本を読まされて、やっと眠ることができた。
セブロケももう、後残すところ2日間。しかし、帰国したら、すぐに西オースラリアのパースに移動して、アシカスイム。それから帰国して、またセブへ逆戻りする予定。
今年も、すでに年末まで結構スケジュールが決まってしまっていて、忙しい1年になりそうだ。
いつもは、仕事先に家族を連れて行くのだけど、今年3月、まったく仕事抜きで家族をハワイに連れていく。まったく仕事関係無しで家族を海外旅行に連れて行くのは初めての事だ。
自分も仕事の事を気にせず、のんびりできたらと思うけど、結局は家族の写真とか沢山撮ることになるんだろうな。
家にいるとまとわりついてうざったいって思う息子たちも、しばらく会わないでいると、毎回「あ〜早く遊びたいなー」と思う。前にも書いた事があるけど、そんな時には、マックに保存してある、奴らの元気に暴れている写真や動画を眺めながらニヤニヤしている。
セブロケ前、最後に撮影した奴らの写真は、お風呂にフタをして、テーブルにしてそこでヨーグルトを食べてるところだった。
普通の家庭なら、「そんな義行悪いことしちゃいけません!」っていうことになるんだろうけど、どうやら、メキシコのジンベエスイムに家族で出かけたときに、毎日プールで食事していたのが楽しかったのかもしれない。
ハワイ行く前には、時間を作ってディズニーランドにも行こうって話もしている。でも、気になることが一つ。パレードが好きな二人。しかし、場所取りして並ぶより、ギリギリまで遊んでたい方なので、だいたい、後方で立ち見が多い。そうなると、当然二人はそのままでは見れない。じゃあどうするかって言うと、肩車だ。
でも二人いるので、父と母に一人ずつで肩車してくれればいいのだけど、二人とも、こういう時だけ、そろって「パパ〜!肩車〜!!」なのだ。
一瞬「え〜〜〜」とか思うけど、一人だけだと不平等になるので、「重いんだから大人しくしてくれよ」と伝えて、二人の「うん!!」というどうも怪しい元気な返事を聞いてから渋々二人を肩に載せるんだけど、さっきの「うん!!」という元気な返事はあっと言う間に忘れ去られて、上で喧嘩を始める。
「せまい〜!かいと、もうちょっと向う行って!」、と二男が長男にクレームつければ、「はやとが暴れすぎるから、危ないんだろ〜!」と行って小突く。僕の肩の上では、パレードの間中、小競り合いが続く。
髪の毛はぐしゃぐしゃ、メガネはずれても直す手が塞がれている。「ママ〜、ちょっとメガネ落ちる!」と言っても、妻は後ろでニヤニヤしながら写真を撮っている。周囲の人たちはそんな様子を見て失笑している。
そんな状態が、パレードの間中続く訳だ。しかも、1日2回くらい・・・。もう、肩も腰も痛くなって、体力的にも、精神的にもボロボロになる。
そして、遊び疲れた子供たちは、当然のように途中で力つきて二人とも車に戻る前に爆睡状態。そんな二人を抱えて園内を汗だくで車まで戻る。腕は千切れそうになる。
・・・・・・、あ、やっぱ行くのやめようかな。ディズニー
昔、ミナ(妻)はちょっとした漫画本を1冊だけ出したことがある。原作はミナのお姉さん、そして漫画がミナ。
タイトルは、「R太郎、またやっちゃった!?」。お姉さんの子供(Rちゃん)が自閉症児なのだけど、日常にその子が巻き起こす様々なトラブルに前向きに、ノウテンキに接するお姉さんと家族の話を漫画にしたものだ。
たま〜に、自分も登場する。真っ黒でメガネかけてるから、誰だかはすぐにわかる。何故、この本を出版することになったかは、今となっては思い出せないのだけど、今まで一度も漫画なんか描いた事無いミナが、良く描く気になったなと思うけど、同時に彼女に漫画の執筆を任せた編集者も編集者だと、当時は感心したものだ。
ミナと知り合った当時から、結婚して間もなくまで、彼女がイルカに強く興味を持ち、色々な場所で、野生、キャプティブを問わず、イルカを見に行った理由の一つには、そのRちゃんをイルカと泳がせることで何かできることが無いだろうか、という彼女の思いもあった。最終的に自閉症児を野生のイルカと泳がせるプログラム(ドルフィンセラピー)を行なっている、アメリカのパナマシティに行き着いて、そのプログラムのボランティアの活動に何度か参加したこともある。結局遠過ぎて、Rちゃんをそのプログラムに参加させる夢はかなわなかったけど。今でもその活動に関わっていた人たちとの親交もある。
昨日、そのRちゃんの通う養護学校で、野菜を沢山作ったり、木の椅子を作ったり、手編みのティッシュケースなんかを作ったものの販売会が近所のデパートで開催されて、ミナが、彼らが作った野菜や商品を買いにでかけた。
自分はいまだに時差ぼけで、明日からのフィリピンロケや,その日の打ち合わせなどもあり、ぼ〜っとしていた。昼食のときに、ミナが買って来た野菜や、手作りのティッシュケースを見せて、「これ、全部手作りなんだよ。凄いでしょ!」
という説明にも、なんとな〜く、「へえ〜、凄いね〜」と抑揚の無い返事を返していた。
すると、横に座って食事をしていた海友が、「何で、子供たちが一生懸命作った物を見て、そんないい加減な反応なの?もっと、子供たちの事考えて見てあげてよ!」と言って、僕が軽く流していた手作りのティッシュケースを母の手から受け取り、「え、これ全部自分たちで縫ったの?すごい!上手だよね。これが100円なんて、もっと高くてもいいのに」と母親に笑顔で話しているのを聞いて、いくら眠いとは言え、自分の取った心ない反応に対して、小学2年生の息子が指摘した事に、返す言葉も無かった。
何か、出来過ぎ君にしかられてる、のび太みたいだ。
そして、海友と反対側に座っていた、5歳の二男の颯友も、責めるように、テーブルの下で僕の足に、何度も何度も蹴りを入れてきていた。
良く知り合いなどから、「越智家は、ママと男3人兄弟だね」と言われることがしばしばあるのだけど、まあ、それでも一応自分が「長男」みたいに言われているけど、この時は、明らかに、長男=海友、二男=颯友、三男=僕だった。
そして、その後、僕が取った行動はと言うと・・・・
その販売会で買ってきた野菜や椎茸などを使って、固焼きそばの具を作って食べていたのだけど、実は海友も颯友も今、椎茸が苦手で食べられない。だから、椎茸を僕やミナのお皿に移していたのをめざとく見つけた僕は、
「そんな事言うなら、お前らだって、擁護学校の皆が頑張って作った椎茸、ちゃんと食べろよな〜」と8歳と5歳の子供にムキになって言い、二人を呆れさていた。
え?大人気ない?。ええ〜、よ〜くわかっていますとも。別に3男でもいいです。
でも、子供というものは、大人に「すごいね!よくやったね!」って心の底から感心して誉めてもらえるのが一番嬉しいのだと思います。それは、自分の息子たちに対してだけではないんです。どんな子にも共通すること。だから、自分は感情を表に出すのは苦手な方なんだけど、本当に頑張っている子がいたら、どんな子にも、「偉いね!すごね!上手だね〜!」と言うように心がけてはいるつもりです。言うの、ドキドキするけど。
フィリピン行ってきます。
また長男、海友の話。
ある朝、普段は好きで食べるホウレンソウのおひたしを、何故か二男の颯友が食べるのを拒んだ。何故かと言うと、この日は、オクラのおひたしが食べたかったからだ。
自分からすれば、颯友はホウレンソウも、オクラも好きなんだから、今日はホウレンソウを食べとけよ。と思うのだけど、妙な所にこだわりのある二男は、この日は何が何でも「オクラを食べる日」に決めていたようだ。
どうやら、前の日に妻と約束していたらしく、しかし、妻はうっかりオクラでなくてホウレンソウのおひたしを作ってしまったのだ。(後で聞いたら、妻はホウレンソウのつもりだったそうだけど、どこでそう行き違ったのか、もう颯友の中では、「朝はオクラ」になっていたらしい。)
もう、号泣である。
床に突っ伏して、顔を上げない。あまりにしつこいので、さすがに「いい加減にしろ!。出されたものをちゃんと食べろ!」と叱るが、まったく納得が行かないらしい。食べず嫌いではなく、ホウレンソウも好きな訳だから、とにかく約束を反故にされた事が許せなかった訳だ。
もう、こうなると最近の颯友は頑固極まりない。てこでも食べない。顔を上げない。本人としては、自分は悪く無いという主張もあるわけだ。
それでも、"好きなオクラ"が"好きなホウレンソウ"に変わっただけで、"好きなオクラ"が、"嫌いなホウレンソウ"に変わったわけではないのに。
もう、この世の終わりかのごとく、泣き叫ぶ。
説得する父と母に対して、「僕が何とかするから、二人は別の部屋に行ってて。こっち見ないで」と急に兄の海友が、僕らが颯友を叱るのを止めた。
何するのかわからなかったのだけど、僕は呆れて仕事部屋に行ってしまっていたのだけど、こっそり覗いていた妻の報告では、僕らがいなくなると、颯友のお皿に盛ってあった、ホウレンソウのおひたしを、海友が全部食べて、そこに颯友を座らせて、妻を呼んだのだそうだ。
「ママ、颯友、ちゃんとホウレンソウ全部たべたよ!ほら!」とそう母親に伝えて、お皿を見せたのだそうだ。
ミエミエだったけど、妻は「颯友、ちゃんと食べれたじゃない。偉いね」と颯友を誉めて、そのあと、海友を「海友は優しいね」と誉めて、改めてオクラのおひたしを作ってあげていた。うっかりとはいえ、オクラを食べたいという二男の約束を守れなかったのは、妻のせいでもあったわけだから。
海友も、ホウレンソウ好きだから、要は自分がホウレンソウ沢山食べたかっただけなのかもしれないと思ったりもしたけど、でも、小学2年生で、引くに引けなくなった5歳の二男の男のメンツを守って上げようとした取った、意外な行動には、少し感心させられた。
妻は、息子たちにずっと、実年齢より10歳くらい年のサバを読んで教えていた。息子たちもそれを信じ込んでいた。自分は別にそんな年齢詐称をする理由もメリットも無いので、実年齢を教えていたのだけど、そうなると、相当に年の差夫婦な感じになる。でも、息子たちにしてみれば、それは少しでも若いママの方が良いわけだ。
以前、ヤップのダイビングサービスのオーナーガイドで、僕ら家族とも仲の良い、とてもいい加減な性格の大ちゃんが、「オレのおふくろ、10歳も年のサバ読んでオレに年齢偽ってたんだよ〜。結構大きくなるまでオレ信じててさ、それを知った時は、結構ショックだったよ〜。うん。はっきり言って、そのときは、このくそばば〜!とか思ったね」と言うのを聞いていたので、息子たちははたして大丈夫だろうかと、ちょっと心配していた。
時々、長男の海友が何かのタイミングで「ママ、今何歳だっけ?」と訪ねる度に、「マ、ママはね〜、今、にじゅうまる歳になったんだよ〜」と言うのを聞く度に、心の中で(嘘つき)と思いながらも顔には出さないでいた。で、「パパは?何歳?」と聞かれるので、実年齢を素直に答えると、「じゃあ、じゅうまる歳違うんだね」と計算して答える海友に、「そ、そうね〜」と答える妻。
自分は(じゅうは余計だけどね)とまた心の中で思いながらも、顔には出さないでいた。
もともとほとんど化粧しない、童顔の妻は、まだお互いが知り合った頃から、すでに10歳は若く見られるのが普通で、妻が2●歳くらいのときに、一緒に世界中放浪してた時なんか、妻がレンタカー借りに行き、僕が外で荷物番してると、そのレンタカー会社の人に、「君は借りれないから、お父さん呼んできて」と僕が指差されたりした事があったりした。ちなみに、そのときは中学生に間違われていたらしい。
じゃあ、13歳くらいか。・・・じゃあ、13歳の娘の父親だと間違われた自分は、少なくとも33歳以上くらいに思われていたわけだ。怒る気はしない。当時それが実年齢だったから。
前置きが長くなってしまったけど、最近小学校で「自分の生い立ち」を研究発表しなければいけない長男が、妻に自分が産まれたときのことや、弟の颯友が産まれた時のことを色々質問していて、自宅水中出産をしたことや、妊娠中にバハマにイルカと泳ぎに行ったことが掲載されてた雑誌の記事を渡したのだそうだ。
すると海友は、隅から隅まで一生懸命にその記事を読み、そこに当時の僕と妻、それに海友、颯友の年齢が書かれていたのを見つけてしまった。
そこには、まだその年齢に到達していないはずの数字が妻の名前の後ろの()の中に記されていた。そして、僕や自分、颯友の年齢を見比べて、明らかに、自分の母親が「年齢詐称」を行なっていたことに、気がついてしまった。
しかし、そこからが、意外に大人な一面を見せた海友。
妻に、「ねえ、ママ、僕が優しくて良かったね」と一言。そしてその雑誌の年齢の部分を静かに見せたのだそうだ。
それを見て、「だって〜、ママがおばさんじゃ嫌かな〜と思って・・・」と8歳の息子に妙な言い訳をする妻。(おばさんで嫌なのは、海友じゃなくて、おまえだろう)と少し思いながらも、早期に年齢詐称が息子にバレて、これで妻の年齢に関して、気を使うことも無くなったと、少しホッとしてた。
「ママがおばさんじゃ嫌かな〜と思って」という妻のその言葉に対して、海友は「ママはおばさんじゃないよ!ママはかわいいよ」とまったく怒らずに、優しく言ってくれた事に、妻はえらく感動したそうだ。
その話、ブログに書いていい?って聞いたら、「また大げさに書いたり、間違ったこと書いたりするの嫌だから、アップする前に見せて」と言われたのだけど、妻は颯友の幼稚園に送りに行っちゃってしばらく帰って来ないし、自分も今から出かけるので、とりあえずアップして、後で訂正を言われたら訂正することにしよう。
ちなみに、二男の颯友は、今だに「とても若い」ママだと思っている。
昨晩、無事帰国。
帰って来るなり、真っ先にした事は、ルチャリブレのTシャツを海友と颯友に着せてみることだった。
海友には少しサイズ小さいかなと思ったけど、まあ大丈夫かな。
でも、最初は僕のドスカラスTシャツと一緒な感じなので、喜んで着ていた二人だったけど、最後にはその辺に脱ぎ散らかされてました。まあ、そんなもんだよね。子供のにしては地味目だし。どっちかって言うと、ミスティコの方が良かったみたい。
ちなみに、妻には、「スーパーパヤッソ」とかどう?
とすすめてみたが、「い〜や〜!!、その毛の部分がや〜。洋服ダンスでは、少なくも手前から3番目より奥に締まってよね」と意味不明な拒絶反応。
ということで、手前から4番目に締まってみた。
とりあえず、無事帰国ということで。
ちなみに、後ろはこんな感じになります。
近所のデパートが主催(?)する、僕らの住む地域の小中学校の子供たちの絵画展に、長男海友の描いた「海の絵」が入選したと妻から写メが送られてきた。
海の絵で絵画展に入選と聞いて、イルカやジンベエザメの絵なのかなと思っていたのだけど、送られてきた写真には、そういう大物系でなくて、炭を吐くタコやイカ、カメ、フグ、それに得体の知れないどちらかと言うとダンゴウオ系みたいな魚?などの絵が描かれていた。
妻に、「え、これ海友の絵なの?」と確認メールを送ったが、まだ返事無いので、もしかしたら、違ったりして・・・と思いながら、掲載。
まあ、絵の実力はともかくとして、こういうのに選ばれて入選することで、絵を描くことに興味を持ったり、興味の幅を広げてくれればいいかなと思う。
先日、Skypeで会話したときにも、空手の型が出来ているのは、海友だけだと先生に誉められていたと妻から聞いた。画面に写る長男に、「すごいじゃ〜ん!海友〜!」と声をかけると、ちょっとにやけて、そしてちょっと鼻の穴を大きくしていた。
その横で、二男の颯友は「へん!」と相変わらず反抗期的な態度を取っていたけど。
ちょっと前に、妻が良く当たると評判の占い師の方に家族の事を見てもらったときだったか、「あなたたちの息子は、誉めて伸びるタイプだから、沢山誉めてあげなさい」と言われたそうだ。
二人とも根が単純で素直なので、まあ基本しばらくはそれで良いと思う。帰っても、まだ絵画展やってるようなら、展示を見に行きたいな。なんか、自分の写真展よりも、楽しみだな。
〜追記〜
妻からメールの返信と、絵のアップ写真が届いた。
そうなの。上のが海友の絵なんだけど...。幼稚園児の女子の方が上手いような。。。
でも単純な絵ではなくて、絵の具を溶かした色水に石鹸?をいれて、ブクブク泡を作って。泡をつぶさないように手でそっとすくって画用紙にのせて色をつけてるから、ちゃんと見ると泡模様でかわいいんだけどね(^^;;
海友曰く、オレンジと赤の魚を30匹かいたのがポイントらしいよ!
ちなみに、浦安市の小中学校作品展だよ。
今日は、海友と颯友の通う空手道場の鏡開きだったそうです。新浦安の高洲海浜公園で青空の下、稽古を行ないました。
メキシコから戻ったときに、どれだけ上達できているか、楽しみです。
クリスマスイブは、息子たちがデコレーションを担当した手作りクリスマスケーキでした。
すでに、サンタさんには、プレゼントのお願いを出していたのですが、困ったことが一つ。
直前になって、二男の颯友が、「やっぱ、クリスマスプレゼント、ルフィーのむぎわら帽子がいいから、お願い事、書きかえるね」
と言って、妻にサンタさんへのお手紙を書くのを手伝ってもらっていた。
妻は、「サンタさん、もうフィンランド出ちゃったから、今年は無理かもよ」と伝えてはいたようだけど。
その手紙に、「ママ、サンタさんは、僕のヒーローですって書いて、ねえ、書いて!」と言われ、妻が代筆した手紙も見せてもらった。ちゃんとよいしょすることも忘れない。この年からそんな処世術まで身につけているとは、と感心したが、まあ、絶対に今からじゃ無理なんだけどね。ということで、ワンピースキャラを演じていて、奴が倒しちゃったクリスマスツリーの下には、当初の予定通りのクリスマスプレゼントが飾られていました。
ケーキは美味しかったです。メリークリスマス!
最近、息子たちは本当にOne Pieceにハマっている。
昨日、テレビを観ていたら、二男の颯友が「ねえ、写真撮って」というので、「何するの?」と訪ねたら、刀のおもちゃを構えて、
颯友「はなうたさんちょう〜、やはずぎり!ズバ!」
父「あ〜、ブルックね〜」
颯友「次、ちょっとまっへへね」
と言いながら、その刀を口にくわえ、ディズニーで買った、海賊の剣を両手に持ち、
颯友「おにぎり!」
父「お、ゾロだね。すぐにわかるな。でも、足は内股だね」
颯友「コリエ!!」
父「サンジね」
颯友「それで次はね〜、ゴムゴムの〜」
颯友「てっぽう!!」
父「ルフィね、楽しそうだね〜」
「えっと。次は〜、かえんぼし!!!」
父「ウソップの技も覚えてるんだ。やるな〜。じゃあ、ロビンは?」
颯友「え、わかんない」
父「ここまで来たら、全員やろうよ」
颯友「え〜、んと、こんな感じ?」
父「そうそう、クラッチ!って感じ?」
颯友「でね、チョッパーがね、こくていロゼオ!」
父「やるね〜、次、ナミは?」
颯友「ナミは棒が無いからできないよ。あ!空手の棒があった!」
と言って、空手の棒術の稽古のときに使う、棒を持って来る。
母「危ないから振り回さないよ。少し前に出なさい」
颯友「サンダー!チャージ!!」 ぼこっ
父「あ!」
母「ほら〜、言ったでしょ。もっと前に出なさいって〜」
颯友「ごめんなさい〜」
父「あ〜、もう終わりにする?」
颯友「あと、フランキー、あとフランキーだけだから!!フランキーだけは絶対やらせて!」
父「じゃあ、やってみな」
颯友「いくよ〜!フランキーニップル〜ライト〜!!きゃはははは〜」
父「・・・・もしかして、その前のは、ここまでのフリのつもりだったのか?であれば、長過ぎる・・・。しかもニップルライトは乳首が光るライトであって、技じゃないような・・・、まあ一応技か」
どうでもいいんだけど、KARAの歌、全然効聞けなかったんだけど。
昨日は、ここに住む前に住んでいた所で子供たちのクリスマスパーティーがあり、妻と海友と颯友ででかけた。
夜8時過ぎに、帰ってきたのは、妻と5歳の二男、颯友だけだった。プレゼントと一緒に抱きかかえられて戻ってきたから、二人とも遊び疲れて眠ってしまって、車で起きないから、先に颯友だけ連れてきたのかと思ったら、海友はお泊まりだとのこと。
颯友は、朝起きて、早速そのパーティーでもらったプレゼントを開けて遊び出した。なんか暗闇でお化けを撃つシューティングゲーム。かなり気に入ったらしく、何度も何度も繰り返し遊んでいた。
「良かったじゃん、サンタさんからもらっただろ、それ〜」
と訪ねると、「違うよ、ニセサンタだよ」との返事。
「え〜、本物じゃないの〜?でないとニセのサンタさんが颯友にプレゼントくれる理由が無いじゃん」
と言うと、
颯友「違うよ、誰かが、ニセサンタのおじさんに先におもちゃ買って渡したんだよ!」
父「でもさ〜、何でニセってわかるの?第一誰がその人にプレゼント渡したのさ?」
颯友「だって、あのサンタ洋服の下に別の服着てたよ。本物なら、別の服なんか着てないよね〜。誰がプレゼント渡したかはわからないけど、あれは絶対本物じゃないよ!」
5歳で、もうサンタを信じなくなっているのは、兄や年上の友だちがいるからなのかとちょっとがっかりしたのだけど、その直後に、
颯友「本物のサンタさんはね〜、見ちゃいけないんだよ。見えないんだよ!」と語気を荒げて言うのを聞いて少し嬉しくなった。
まあ、偽サンタのプレゼントであろうとも、相当に気に入って遊んでいるから、それはそれで良かったのかな。
ちなみに、これは今日の東京湾
曇天だけど、こんな空も悪く無いですね。
震災後、多くの方から援助物資を送って頂き、宮城県の石巻や、福島県の相馬市、岩手の大船渡の方へ転送した。こちらで留める事の無いようにしていたのだけど、唯一、送り先がなかなか決まらない物資があった。それが、大量に送られてきた、ミニカーや車や昆虫のフィギアだった。大きな段ボール箱にして、20数個くらい。
亡くなられたお兄さんのコレクションだったというそれらの物を、妹さんたちが、「被災地の子供たちが喜んでくれるのであれば」と送ってくれた。最初聞いたときには、せいぜい段ボール箱数個くらいだと思っていたので、まさかこんなにあるとはと途方に暮れた。
震災直後などには、「絵本を送って欲しい」という問い合わせはあっても、「ミニカーはいりませんか?」と訪ねても、「ミニカーはちょっと。。」と言われてしまうことが多くて、どうしようかと悩んでいた。
石巻に物資を届ける人に何箱か持って行ってもらったり、岩手に送ったりはしたものの、大量に送り届けて迷惑にならないかと気兼ねもした。
中を開けてみると、相当年代もののコレクションもあり、「これはオークションとかに出品して、お金にかえて義援金にして寄付した方が良いかもしれません」と送り主に伝えると、「それでも構いません」との事だったので、オークションに数十点出してみたところ、すごい勢いで買い手が着いた。そのお金は義援金として、寄付した。
しかし、ロケの続く忙しい合間をぬって自分でオークションの対応をするのはあまりに厳しかったので、こちらも途中で挫折してしまった。
「被災地でなくても、欲しいという子にあげてもらえればいいです」としばらくしてからまた返事を頂いたので、自分の知りうる限りの、ミニカーで遊びたがる世代の子供に小さな箱に詰めてミニカーを送った。
そして、クリスマス前、再度何カ所かに問い合わせしてみたら、クリスマスのプレゼントにもなるから送って下さいと言われて、相当な数を送ることができた。
一つ感心したことがある。海友と颯友、特に5歳の颯友はミニカーで遊びたい年齢。家の中に山積みになっているミニカーの箱を覗き込んでは、遊びたそうにしていたけど、「これは地震や津波でおもちゃ無くなっちゃった子供たちにあげる大事なおもちゃだから、さわっちゃだめだよ」という父と母の言葉を理解して、一切手をつけなかったことだ。
ずっと我慢していたから、皆へ送るミニカーの中から、二人の気に入ったものを選んで渡してあげた。颯友は、兄のお下がりの古い自分のミニカーと一緒に、新品のミニカーを何度も何度も並べて遊んでいる。相当嬉しかったみたいだ。
オークションにかけるのも、「手伝います」と言ってくれる人が現れたので、段ボール箱に整理して送った。送れずに一つの部屋に山積みになっていたミニカーの段ボール箱もかなり少なくなってきた。
12月17日土曜日と18日の日曜日には、パーティーが続いた。一つは、岩手のガレキ撤去作業を続けている、くまちゃんと、三陸ボランティアダイバーズの忘年会。熱海の温泉宿で泊まりで開催された。40人程のメンバーが集まり、仮装大会?やビンゴゲームなどをして盛り上がった。
後半、津波後の活動を綴ったビデオでは、感激して涙を流す人たちも。それに、最後の挨拶では、三陸VDをNPO法人として、認可させた立役者の早乙女君(副理事)が、くまちゃんを信じて、ここまでやってきた事、活動に参加してくれた人たちに涙を流しながら、感謝の言葉を述べた。
自分は、お酒を沢山つがれて、早々に顔赤くしていただけだったけど(これでも一応理事になっている)。おまけに、ずるしてビンゴの景品を2つもらい、宴会で皆が残したみかんを、「子供が好きだから」と紙袋に沢山いれて、持ち帰ったりしてた。
宴会が終わった後も、それぞれの部屋で2次会とかが行なわれたのだけど、翌日も家の方でホームパーティーがあったので、別の部屋に行って、早めに寝かせてもらった。
朝5時に起きて、熱海6時30分発の新幹線に乗り、新浦安の家に帰り着いたのは、8時くらい。2時間弱で帰れちゃうんだな〜と感心。でも、せっかくの温泉宿なのに、温泉に入らずに帰ったのは、ちょっと残念だったかな。
で、日曜日には、近所の赤ちゃんのいる家族とホームパーティー。しかも、双子2組。海友と颯友がお兄ちゃんになった日。
と言っても、海友は、近所のお母さんたちにも感心されるくらい、赤ちゃんや小さい子の面倒を見るのが好きなので、この日もこんな感じで赤ちゃんを抱っこしたりしていた。でも、あまりに赤ちゃんが多過ぎて、誰の面倒を見れば良いのかちょっと途方に暮れていた感じでもあった。
今日家に遊びに来てくれたご家族は、震災の後、妻がマーケットで物資を購入し、レジでお金を払おうとしたら、財布を忘れていて、途方に暮れていた。それに気づいて、わざわざ離れたレジにいて、お姉ちゃんと双子の赤ちゃんを連れていたにも関わらず、お金を貸しに来てくれたのがご縁で、仲良くなった。自分も子供たち連れて物資購入に来ている大変な時でさえ、災時とはいえ、まったく知らない他人の事を思いやってくれたその気持ちに、妻は本当に感謝していた。
三陸VDの人たちとも、このご家族とも、あの地震をきっかけに知り合いになった人たち。「誰かのために、何かをしてあげたい」と心と身体が自然に動いて、それを当たり前のようにできる人たち。
色々な人たちとの、色々な出会いがあるけど、こういう縁は、いつまでも大切にしていきたいと思う。
今でも新浦安や舞浜の公園とか、地震の液状化で壊れてしまった箇所がそのままの状態になっているところも多い。
それでも、気にせずに子供たちは元気に遊んでいる。
ちなみに、長男の海友は今、前歯の乳歯が2カ所抜けている。
二男の颯友は、微妙に反抗期な今日このごろ。何を言っても、この顔で返事する。
父「颯友、ちゃんとご飯たべろよ!」
颯友「へん!」
父「颯友、遊んだらちゃんと片付けろよ!」
颯友「へん!」
父「颯友、そろそろお風呂は入れよ!」
颯友「へん!」
父「颯友、かっこいいじゃ〜ん!」
颯友「へん!」
父「かわいいじゃ〜ん」
颯友「へん!」
・・・・、別に反抗期はいいんだけど、今までみたいな、バリエーションに富んだリアクションが見れなくて、父としてはちょっと欲求不満だ。
この日も晩ご飯食べていて、箸芸を始めた。
颯友「パパ〜見て〜」
父「何?」
颯友「きば!」
父「・・・・・」
で、普通ならここで、「食事中に箸で遊ぶのはやめろ!」というのが普通の親なのだと思うのだけど、実はこのネタは最近何度か見てて、特に面白くも無かったので、
父「なんか、最近、同じネタばっかでつまらなくない?」
と伝えると、ちょっと、愕然とした表情で固まる颯友。
それはまずいと思ったのか、急に箸で連続瞬間芸を始める颯友
颯友「目キバ!」
颯友「横に広がったキバ!」
父「・・・・、ダメ、イマイチだな。キバネタ自体がいまいちだ」
その言葉に、再度愕然とし、落ち込む二男なのだった。
そうじゃなくて、食事中に箸で遊ばせる事自体がダメだったと、このブログを書いていてちょっと反省した。
昨日は、新橋にあるBOXでスライド&トークショーだった。多くの方に来て頂き、本当に感謝しています。ありがとうございました。
しかし、「いつもの事」とは言われるものの、今回は本当にギリギリまでスライドが完成しなかった。というよりは、実際には予定していたテーマのスライドショーを完成させることができなったので、早々にビールを飲んで酔っぱらって、その勢いでごまかして乗り切った。
言い訳をするようだけど、今回はかなり急な事だったし、直前に岩手にボランティアの取材に行っていたので、写真セレクトがスライドショーの前日、スライドを作り始めたのが、当日の朝4時くらいからだった。
なんとか時間までに間に合わせようと思っていたら、前日寝る前に「明日は颯友の表現の集いと、海友の学校の学校祭で、社会見学発表会があるからよろしくね」との妻の一言に、「え〜〜〜、明日だったけ?」。
妻「何?何かあるの?」
僕「だって、スライドショー、明日だって言っておいたじゃん」
妻「まだできてないの?表現の集いと学校祭も明日だって言っておいたよ」
僕「無理だよ、無理、スライド間に合わない」
妻「え〜〜〜、颯友の発表会と、海友の発表会、ギリギリで両方見れるんだよ」
僕「だって、スライド作らないと、なんとか徹夜で頑張ってみるけど、ダメだったら,行けないよ〜。だから明日の朝判断するよ」
妻「もう〜、じゃあ、カメラだけ借りてもいいの、用意しておいてね」
というようなやり取りが行なわれた直後、「徹夜で頑張る」と言っていた僕は、あっと言う間に睡魔に襲われ、気づいたら、いつものように9時には眠りにつき、夜中の12時に慌てて目を覚まして、写真セレクトと、スライドショーの作成に取りかかったのだった。
で、翌日の朝は激しい雨。まだスライドはできていないけど、こんな状態で子供たちの発表会を妻一人に任せるのは、あまりにも申し訳ないし、子供たちのが終わってから、時間までに何とか完成させるアイディアを考えて、朝起きて来た妻に「大丈夫、両方とも行くよ」と伝えた。
実際、見に行きたかったし。しかし、妻が「分担して行こうよ。私が颯友の方見に行くから、父は海友の方に行って。雨だし、間に合わないといけないから」と言ってくれた。
ということで、この日は、颯友は、劇と音楽発表会。
普段見慣れている小ちゃい二男の颯友も、こうして写真で見ると、かなりしっかりして見えるときもあるな。
そして、海友は以前颯友の通う幼稚園を友達と一緒に社会見学に行ったときの発表会をそれぞれ行なった。
日本にいれる間は少しでもこういう行事に参加してあげないとと思う。特に長男の海友の方は、今すごく自分に色々見てもらいたい、という気持ちが強いような気がするから。
これは、自分の発表会が終わって、兄の小学校にやってきた颯友が、あさりちゃん(?)という千葉のキャラクターと一緒に撮った記念写真。
これを撮影した直後に、3人を置いて自分だけ家に戻り、スライド作成作業に戻ったのでした。
ちなみに、こんな写真で自分の心境を表現してみました。写真は、救助信号用の黄色い液が漏れだして、どうしようもできないでいる某デイドリームの僕の尊敬するガイド、S子さんと、ちょっと引き気味に、一体どうするのだろうと、様子を伺うゲストダイバーの人たち。
もちろん、トーク中のアルコールは必須でした。
ええ、酔わないとやってられませんから。
今回は、3組の子供連れの参加者も。BOXの二階席でくつろいで、スライドショーを楽しんで頂きました。
ありがとうございました〜。
先日のパパ飲み会デラックスで、「ワンピース読んでる人!」と訪ねたら、誰も手を挙げてくれなかったのがちょっと悲しかった。結構会社経営する上でのノウハウ本としても、話題になっているので、読んでみても良いと思うのだけど。
で、最近、妻と息子たちに、ワンピースの映画を見せてみたら、あっという間にハマった。特に息子たち。
最近では、二人して同じ映画を何度も何度も見返している。
そこで、当然どのキャラが好きかって話題になると思うのだけど、先日取材で訪れていた、フィリピンのBLUE CORALのヒロさんの8歳になる息子さん(ちなみに、海友と同い年)は、やっぱり一番強い船長のルフィーが好きなのだそうだ。で、ヒロさんの方は、「ナミ、最高やで!」とのこと。
同じくBLUE CORALのガイドのアンナちゃんによると、高校生くらいになると、男子の間では、ゾロ派かサンジ派で別れるらしい。高校生くらいになると、ルフィーはちょっと子供っぽいのだとか。なるほど、納得。で、どちらかと言うと、硬派なゾロの方が人気があるとか。
パラオのDAY DREAMペリリュースエーションのガイド、大地君は、悪役で好きな奴がいるって言ってたけど、何だったか忘れた。ちょっとメールして聞いておこう。
そこで、家族に、好きなキャラは?と訪ねてみた。まず自分は、サンジ。あのマイペースで、皆が苦戦しているときに、時に単独行動に出て、的の弱点を付いて、皆を救出する参謀みたいなタイプ。それでいて、自己犠牲的で、人情味がある。「女は絶対蹴らない!」という硬派というか、単純に女に弱い、尊女主義的ところも、まあ、好感が持てるかな。自分はあそこまでストレートにメロメロにはならないけど。
あるいは、エース。死んじゃったけど、ルフィーの義理の兄でもある。
で、妻の好きなキャラは、定番と言えば定番のチョッパー。
その可愛さから、ご当地キューピーならぬ、ご当地チョッパーも販売されているくらいの人気。
で、それではと、海友と颯友にそれぞれ、どのキャラが好きか訪ねてみた。まず海友。
海友、「え、あのガイコツの、よほほほほ〜って笑って、あの、パンツ見せてもらってもいいですか?って変態の人!」
えぇえええ〜〜。ブルック〜〜。できれば一番行って欲しくないキャラじゃないか〜。
父「ルフィーとかサンジとかは?」
海友「あ〜、あの女の人見るとクルクル回転しちゃうところとか、好きだけど、やっぱり、よほほほほ〜、あの、パンツ見せてもらってもいいですか?の変態の人がいい」
父「そ、そうなの〜」
そして、しばらくして別のところで颯友にも好きなキャラを訪ねる。お前は、クールなゾロか、あるいはサンジ当たりだろう。絶対に!
颯友「え?あのね〜、よほほほほ〜って言ってね、女の人見ると、あの、パンツ見せてもらってもいいですかって言うガイコツ!あれ、いいよね〜」
父「お、。。。。。お前もかよ」
ちょっと、父親としては、ショックなチョイス。でも、それ以降、二人は何度も映画を見返しては、「よほほほほ〜」とか、「ずば!やはず切り!」とか、「あの、おパンツ見せてもらってもいいですか〜ン?」とか言いながら自らパンツになったりしている。
一番困るのは、相当にブルックに興味を持ったらしい、二男の颯友が、執拗にブルックの経歴などを聞きたがる事だ。
「ねえ、なんでガイコツなの?」「ねえ、昔はどんな顔してたの?」「ねえ、何で、ルフィーの仲間になったの?」「ねえ、何の実を食べたの?」「ねえ、蘇れるのに、何で骨になっちゃったの?」「ねえ、なんでパンツ見たがるの?」「背高いよね?」「ねえ、何食べてるの?」「ねえねえねえ」
父「そんなに気になるんか〜〜!!」
ということで、しょうがないから、Wikipediaで検索してみたら、ちゃんとブルックとして掲載されていた。ちなみに、ワンピースのキャラは、皆Wikipediaでも紹介されています。以下、ブルックのページ
プリントアウトしてみたら、A4で5ページ分もブルックのデータが載っていた。ちなみに、サンジは11ページ、ルフィーに至っては、プリントすると、17ページ分にもなる。
父「颯友〜、サンジとかさ〜、ゾロとか、せめて、フランキーとかどう、フランキーとか」
と問いつめてみたが、「よほほほ〜のガイコツがいい!」と椅子の下に逃げ込んでまで、父による、好きなキャラの執拗な変更要求に抵抗する二男、颯友なのであった。
ワンピース、貴方は、どのキャラが好きですか?
1部が終了すると、一度園内から全員が出されて、また順番待ちの長い行列に並ばなければならない。しかし、午前中に2部の整理券を獲得していたので、優先して並ぶことができた。でも、少しはのんびりできるのかと思ったら、3時に出て、もう3時20分にはその列に並ばなければいけないと言われ、どっかでお茶しようなんて暇は無かった。
整理券2番目、1番目は妻が整理券の順番待ちで知り合った、キッザニア通のお母さんとその息子さんたち2人。再入園すると、両家族が真っ先に向かったのが、お菓子工場。その後にも、多くの子供たちが真っ先にこのお菓子工場にやってきて、4時の2部スタート前には、すでに、定員締め切り。
4時スタートと同時に、"僕の好きな"ハイチュウ作りがスタート。何をするかと言うと、板状の、ハイチュウ(イチゴ味)とその外周りの白い部分を、クルクルと手巻き寿司みたいに丸めて、均等に伸ばして、渦巻き状のイチゴハイチュウを完成させるというもの。できれば、青リンゴ味にしてもらいたかったけど、それでも、子供たちの手作りハイチュウが食べれるので、自分もワクワクしていた。
記念撮影が終わって、工場から出て来た二人の作った"僕の好きな"ハイチュウの写真を撮影して、試食。
試食しながら、筆記具屋さんに行って、ボールペン作りを予約し、待ってる間に、プロサッカー選手に。でも、一緒に練習したのは、全員中学校のお姉さんたち。なんかなでしこJAPANの練習に特別参加させてもらった、小学生と幼稚園児みたいな。
それにしても、颯友のポーズは、腕組みというよりは、ウィッシュ!に近いのでは。。。
二人だけでも記念撮影をしてもらい、これが雑誌の表紙みたいになって、販売されていた。この販売作戦に思いっきりのせられて、1500円で購入。
シュート練習が終わって、筆記用具屋に戻って、ボールペン作り。これも名前を入れてくれるので、記念になって、結構人気の仕事だそうだ。
次は、アイスクリーム作り。まあ、これは、コーンにアイスを入れてトッピングするだけなんだけど。要するにアイスが食べたかっただけだ。ちなみに、海友は、この仕事してる間に、上の前歯が抜けた。
最後にボトリング社でコカコーラ作りの仕事をチョイス。待ち時間の間に、ハトバスでキッザニア観光。まあ、これはお客さんとして乗り込んだので、仕事とは言えないか。
そして、コカコーラ作り。
ペットボトルに、コーラを入れて、フタを締める行程が、システムになっていて、最後は瞬間冷却器に入れて、飲めるくらいの冷たさにして終了。
普段コーラを飲まない海友も、自分で作ったコーラだったので、少しだけ飲んだ。
仕事して、もらった給料は銀行に貯金
以上で2部終了。1部、2部合わせて、13個の仕事をこなし、車に乗り込むなり、二人とも爆睡。あまりに長かったのと、すでに日がたってしまったので、二人とした会話なども忘れてしまったので、本当にただの体験報告になってしまった。
自分がいる間に、息子たちが、家族でどうしても行きたい所が2カ所あった。まあ、定番と言えば定番なんだけど、ディズニーランドとキッザニアだ。ディズニーランドは何回か一緒に行ってるのだけど、キッザニアはまだ一緒には行った事が無かったが、海友と颯友とミナ(妻)は、前に一度行った事があった。
特に長男の海友が、父母、両方一緒の方が良いと主張するのは、やりたい仕事が弟の颯友と違う場合に、どうしても颯友のやりたい仕事を優先して、一緒にやらなければいけないのが不満らしい。妻は別れるとなれば、やはり年下の颯友を見ていないといけないからというのが、理由だった。まあ、前回は二人ともまだ小さかったけど、今なら海友は一人でも好きな仕事行けるからその必要も無いとも思うんだけど。
自分は、ディズニー同様にメチャクチャ混雑するというキッザニアに行く事に、相当に抵抗を感じていたのだが、ネットで混雑具合をチェックした妻の情報により、「この日が一番空いている!」という日に急遽でかけることになった。
同じ年代の子供を持つ親なら、多分行った事がある人もいると思うが、とにかく混む。1部が午前9時オープンで午後3時まで。2部が午後4時から午後9時までの完全入れ替えの2交代制。1日で両方とも遊ぶ事もできるが、料金は2回分かかる。前回行った時は、午後だけで、4つの仕事しか体験できなかったそうだ。キッザニア通のお母さんと知り合いになった妻からの情報では、この日は「本当に空いてる」らしかったのだが、自分にしてみれば、(これ以上混んでたら、死ぬかも)と思うくらいに混んでた。
しかし、今回は、1部、2部ともいたとはいえ、人気の仕事を含めて、なんと13個(1部で7個、2部で6個)もできちゃったというのは、相当に効率良く仕事をこなせたのではないかと思う。とは言っても、パビリオン(お仕事)は、全部で50個以上あるのだそうだ。今回は、二人が体験した1部の7個、2部の6個の仕事を、順番に紹介していこう。
まずは、1部の一番最初に体験したのは、パン屋さんでのパン作り。
本当は、すぐ近くにあった、お菓子工場の"僕の好きな"ハイチュウ作りを真っ先にやりたかったのだけど、この"僕の好きな"ハイチュウ作り、キッザニアでは、ダントツ人気で(そ〜だろ、そ〜だろ〜)、開園後、あっと間に人数制限に達してしまうために、相当早くに並ぶ必要がある。僕らが入場したのも、決して遅くな無かったけど、もう1部の入場は受付は終了していた。
まあ、"僕の好きな"ハイチュウ作りを筆頭に、何か食べ物を作る仕事は人気がある。バン作りもそれなりに人気のある仕事。生地はもう出来上がっているものを、クロワッサンの形にしたりして、オーブンに入れて焼くところまでが体験できる。後は時間かかるので、最後にちゃんとスタッフの人が焼いたパンを何個かもらえるので、これで朝の腹ごしらえを終了して、次のお仕事へ。
このパン作りを子供たちがやっている間に、妻が2部の整理券をもらいにでかけた。これを持っておけば、並ばずに、優先的に先に入ることができる。そのためにも、子供を見てる係と整理券をもらいに行く係、父母、二人戦力がいるわけだ。まあ、海友はもう、別に見てなくても良い年齢になっているのだけど。
妻は2番目に入場できる整理券を手に入れた。これで、午後の部は真っ先に"僕の好きな"ハイチュウ作りに並べば、完璧?だ。
その後は時系列に体験した仕事を紹介して行くと,次に向かったのは、おもちゃ工房で、おもちゃを入れるパッケージ作り体験。キッザニアオリジナルのミニカーかりかちゃん人形を入れる箱のデザインを作って、最後にそのおもちゃをもらうというもの。
しかし、この仕事が体験できるまでに、すでに60分以上待ちだったので、その時間を予約して、その間にできる仕事を探しに町に出る。何て働き者な二人。とうことで、見つけたすぐにできる仕事は、建設現場での作業。
今は、スカイタワー建設ということで、参加者全員で力を合わせてクレーンを持ち上げたり、橋を作ったりする。最後に皆で記念撮影して、時間ギリギリで、おもちゃ工房へ走ってもどる。何て仕事好きな二人。
おもちゃ工房でのパッケージデザインが終了すると、「火事を消したい」と前回行った時にも体験した消防署での消防隊員体験を申込に行く。ここでも、60分待ちだったので、再び、少しの空き時間でも仕事をしようと、町に繰り出し、仕事を探す,仕事熱心な二人。
で、海友は生活救急車の救急隊員となって、ビルメンテナンスのお仕事。颯友は、宅配センターで、宅急便の仕事を見つけてくるが、颯友は仕事直前になって、「やっぱり辞めさせて下さい!」と依願退職願を出して、兄のビルメンテナンスの視察に向かった。
本当は颯友もこのビルメンテナンスの仕事がしたかったそうだが、ビル登りがあり、入社資格として、身長120センチ以上無いとダメということで、泣く泣く諦めた。
ビルメンテナンスが終了すると、消防署へ急行して、消防隊員に。
消防車で、火災現場に急行!
そしてビルの火災を力を合わせて鎮火。
火災を鎮火すると、空港に急行して、パイロットの仕事を申し込むが、また1時間以上の待ち時間があったので、その間にランチを取り、腹ごしらえをしてから再び空港へ。
こちらは、親はモニターでしか体験している様子が確認できないので、記念写真を購入。
モニターで覗く限りでは、パイロット疑似体験では、海友はしっかり操縦していたけど、颯友は何度も墜落していたようだった。
そして、1部終了間際、まだできる仕事は無いかと町を探しまわるが、もうほとんどが、申込受付を終了していた。集英社に向い、マンガ描く仕事はまだ空いて無いか確認すると、あと一人だけ仕事があるということで、海友が申し込んだ。
マンガのページの一部を描き足すという仕事。今回は、ワンピースの一部を描き出すのだけど、しっかり同じうように描く子もいれば、まったく違うキャラクターを描く子もいて、見ていて性格が出て面白かった。
ちなみに、海友が描いたのは、このページ
のこの部分と
この部分
疲れて目の下にくま作ったルフィィ?
ということで、1部で体験した仕事を時系列に紹介してみました。特にオチはありません。ただ、記録のためです。次はその2。
フィリピンから帰国するなり、「もう〜、今年はちゃんと年末の大掃除しするからね!」と妻に宣言されて、息子たちも、掃除に駆り立てられている。
しかし、僕は「え、でも、俺やらなければいけないことがあるんだけど。。」と小声で言いかえすと、「だったら、リビングのソファーじゃなくて、自分の部屋かベランダで仕事しなさい!」と言われ、天気が良いのでベランダで仕事することにした。
長男の海友は部屋の掃除したり、洗い物したり。二男の颯友が妻に命じられたのは、僕のいるベランダの掃除。
しばらくは、自分の目の前でタイルを磨いていたのだけど、急に「かいとずるい〜!ねえ、ママ、かいと、ずるい〜!」と網戸に顔を押し付けて部屋の中にいる兄を指差して叫んでいる。
兄が部屋の掃除で、自分がベランダの掃除(ある意味格下)を命じられた事が気に入らなかったのか?
(まあ、しょうがないだろう、お前じゃ部屋の中逆にちらかすだけなんだから)
と横目で見ながら様子を伺っていたら、
「かいと、ずるい〜!おれもおパンツになりたい〜!おれもおっぱんつになりたい〜!」
と連呼しはじめた。
(そこかよ。。。お前がずるいと思うのは。。。。)
確かに、部屋を覗くと、海友は上はTシャツだけど、下はトランクスのパンツ姿だった。
あ、こんな事書いてる場合ではないんだった。
11月3日は、二男颯友の5歳の誕生日と七五三だった。七五三のお参りは、氏神様でもある清瀧神社でご祈祷をお願いしていたので、家族4人で出かけた。長男、海友は8歳になるのだけど、以前住んでいた所の氏神様は小さくて、ご祈祷などちゃんとしてもらっていなかった事もあり、浦安に移り住んでから、改めて七五三のご祈祷をしてもらうことに。
ご祈祷自体はすぐに終わって、頂いた絵馬を境内にある奉納場所で、お願い事を書いてから、奉納することに。多くの子供たちのお願い事が書かれている絵馬を眺めながら、息子たちがどんなお願い事を書くのかな〜と思っていたら、母親に手伝ってもらってお願い事を書いた颯友は、迷いも無く「イルカとおよげますように」と書いてと母親にせがんだ。
長男と違って、今年のバハマでは、あまりイルカと泳ぐ事に積極的で無かったように見えた二男だけど、実は、とても楽しかったのかもしれない。それに、最近水泳教室にも通い出したから、今度は浮き輪とライフジャケットでなくて、兄と同じように、自力でイルカたちと泳ぎたいのかもしれない。
もっと意外だったのは、兄の願い事の方。自分で絵馬に書いた願い事は「ぱぱとりょこうにいきたいです」。もっと、学校での勉強ができるようになるとか、やっているスポーツが上手くなる事とか、何かが欲しいとか、そういう事を書くのかと思っていた。
正直、嬉しかった。もしかしたら、成長するとともに、一緒に旅行することを面倒くさいと思い始めるかもしれないと思っていたから。学校の友達と遊ぶ方が面白いと思うようになると思っていたから。
二人とも、小さいながらに自分たち夫婦が「色々な事を経験させてあげたい」という思いから、彼らにしてきた育て方を、拒むことなく、「今一番楽しい事、今一番したい事」として受け止めてくれていることが、何よりも嬉しかった。
颯友と同じ11月3日が誕生日の僕の父に、一応お祝いの電話を入れた。父は、僕がロケで海外に行っている間に、家に遊びに来ていたときの息子たちの印象を話してくれた。
特に、長男の海友の方が、今までの無邪気なだけの子供とは違った、何かを持ち始めてると感じたと言っていた。一体どこが違うのかと訪ねたら、「とても感覚的な事で、具体的にこうとは言えないけど、やはり小さい頃から、様々な経験をしてきたからか、同じ世代の他の子供たちよりも、多分本人もまだ漠然とはしているのだろうけど、何か進むべき方向性を直感的に感じているように思えた」という。
自分には、良くわからない。おじいちゃんが孫に対してひいき目に見ている部分もあるのかもしれない。しかし、自分もそうなのだけど、僕の父も母も、どちらかと言うと、相当に自分の子供たちを客観的に傍観している印象の強い親だったのは確かだ。
確かに、最近海友は、帰国したときに、僕に以前より多く色々な事を質問して来るようになった。特に印象に残っているのは、「パパは、何をしている時が楽しいの?パパは何が好きなの?」という質問だ。最近何度かこの質問をされて、一瞬戸惑う事があった。
しかし、その質問をあやふやにしてはいけないと思い、ちょっと考えてちゃんと答えてあげるようにしている。時には、答えが違う時があっても、答えるようにしている。その質問の答えを、ちゃんと答えてあげる度に、少し答えが違っていて、ちょっと首をかしげる時もあるのだけど、海友は嬉しそうに頷いてくれている。
そして、長男の心の成長が著しい分、二男のわんぱく振りがさらに強烈に印象に残る今日このごろ。七五三の帰りに、家族でお寿司を食べに行った。そのときに妻がこんな話をしてくれた。幼稚園の友達数名と、友達の家でご飯を食べたときに、とてもかわいくて、しっかりしていて、スポーツ万能で頭もよくて、まるでどらえもんに出て来る「出来過ぎ君」みたいな子が一緒だったそうだ。その子のお母さんはそのときにいなくて、「もう悪戯ばっかりする子だから悪戯したら、叱ってね」と言っていたそうなのだが、比の打ち所が無いくらいに、しっかりしていて叱りようが無かったのだそうだ。
それまで、颯友を筆頭に三バカトリオを結成していた、仲良し三人組の母親(妻を含む)は、「本当、家の子、大丈夫かな〜」、「大丈夫、大丈夫、いい子に育ってるよ」とお互いに励まし合っていたのだけど、出したご飯を、パンツ一枚になって、「まじ〜、いらね〜」とか、「くえね〜」とか言ってる息子たちの横で、きちんと正座して、「おいしです」とご飯を食べてくれるその子を見て、あまりの違いに愕然としたそうだ。
そして、トリオのうちの一人の、2歳になったばかりの弟が、自分たちの食べているお菓子を食べたそうに寄ってきたときに、その子は「はい、どうぞ」と言って、自分のお菓子を分けてあげていたのを見て、「颯友たちも、小さい子にお菓子、分けてあげなさいよ!」と言ったところ、その三バカがパンツ一枚で発した答えは、「無理〜!、サファリパ〜ク〜」だったそうだ。
七五三のこの日も、暴れて何度も転んで、服は泥だらけになり、膝は擦りむき、挙げ句の果てには、ビオトープに落っこちて、泥水に浸かり、とても七五三のお参りをしてきたとは思えない姿になって、帰宅したのだった。
フィリピンに行ってきます。
今日、パラオから帰国した。本当は午前中に帰国のはずが、パラオからグアムへのフライトの遅延で朝のグアム〜成田の飛行機に乗り継げず、帰国は夜7時30分に。
この日、子供たちは、浦安に来る前に住んでいた友達たちの所で1日早いハロウィーンのイベントを行なってきていた。
昨年の仮装は、ヘビメタ。今年はあまり用意する暇が無かったらしく海賊バージョンの二人。一応、今人気のワンピースバージョン?去年のヘビメタバージョンの方がインパクトはあったかな〜。
今日は、そのイベントの後に、成田空港まで3人で迎えに来てくれた。
3人で食べた夕食の続き。
父「ところでさ〜、今度ディズニー行くじゃん、二人は誰か一緒に行きたい子とかっているのかな?」
海友「え、だいち君に、しん君に、ゆうき君に、だいちゃん、それにはると君に。。。」
颯友「まさとに、ケイタロウ!」
海友「あとリッキーとれん君!」
父「違うんだよな〜」
海颯「え?何が」
父「何て言うの、こ〜、男の子じゃなくてさ〜、女の子でいないの、女の子で」
海友「え、いない」(きっぱり)
父「え〜、そうなの〜。颯友もいないの?」
颯友 無言
父「。。。じゃあさ〜、こう男の子と女の子で妙に仲良しの子っている?妙に仲良しの子」
海友「え、知らない」(きっぱり)颯友 無言
父「お前らな〜、少しは女の子とかにさ〜、こう興味持たないかな〜」
海友「だって、面倒くさいんだもん。な!」 颯友 無言で頷く。
父「この前空手の帰りに、手振ってた女の子いたじゃん、あの子は?」
海友「え、そんな子いたっけ?」 颯友 無言
父 「いたじゃん、道の向う側歩いてた子だよ」
海友 「あ、ディズニー一緒に行きたい子、まだいた、るいちゃん!」
父「何!、るいちゃん、るいちゃんって子、どんな(女の)子なの?」
(なんだよ〜、ちゃんといるじゃないか〜。やっと少し進歩したな)
海友 「かわいいんだよね〜。すごくかわいいんだよね〜」
父「何,何、何、そんなに可愛い(女の)子なの〜。今度会わせてよ」
海友「パパ見た事あるよ」
父「え、いつ?いつ?最近?」
颯友「でもさ〜、ちょっと危ないんだよね〜」
父(お、颯友には、ちょっと年上で危なっかしい感じの大人の女性って感じなのか〜?)と心の中で思う父。
海友「そう、可愛いんだけど、ちょっと危ないんだよね〜、最近。なんかすぐ物投げてくるんだけど、結構投げるの早いんだよ。このへんまではフラフラ〜って感じなんだけど、頭の上に持ち上げた途端にビュン!って、ビュン!ってなるんだよ。」
父「え???」
海友「それでさ〜、ふえ〜、ふえ〜、って、ふえ〜、ふえ〜って付いて来るんだよね。それが可愛いんだけどさ、物渡すとビュン!ビュン!って来るからさ〜、痛いんだよ。危ないんだよ」
颯友「この前なんか颯友、ルイちゃんに思いっきりおもちゃぶつけられていたかった」
父「え???」
海友「そうそう、この前颯友すっごい目の前でぶつけられてすっごく痛そうだったんだよ(笑)」
颯友「でも、と〜ちゃんがさ〜、前に(地震の後の)黙祷のときに『男は人前で泣くな!』って言ってたから、おいら泣かなかったんだよ!」
父「そうか〜颯友〜、そんな事覚えてたのか〜。偉いぞ〜!」
颯友「幼稚園でもまだ泣いた事無いんだよ!」
父「すごいじゃん颯友〜!」
父「ところで、ルイちゃんってのは、聞いている限りでは、赤ちゃんなのね?」
海友「パパ、何度も会ったことあるじゃん、はるととまさとの弟のるいと、ルイちゃんだよ」
父「。。。しかも男かよ」
父「で、女の子ではいないの?」
海友「え、いない」 颯友 無言
ばくばく(ごはんを黙々と食べる音)
と、こんな感じで、男3人の夕食の会話は続くのでした。
長男の海友、僕に続き、今度はミナ(妻)が風邪をこじらせてしまった。さすがに、両親同じタイミングで引いてしまうのは、一番不味い。
自分も体調はまだ万全では無いのだけど、昨日は海友、颯友を道場に連れて行き、夜は3人で食事をして会話した。
海友と颯友の仲の良い友達に、3人男兄弟がいる。その話から、
「ママは3人"おんなきょうだい"だよね〜」と海友と颯友が言うので、
「そうだよ、ママのお姉ちゃんたちの名前覚えてる?」
と訪ねると、「なこちゃんとちかちゃん!」と元気に答える二人。
「そう、なこちゃんとちかちゃんは、ママのお姉さんだね。お前らのおばさんだよ」
「ふ〜ん」と二人。
「じゃあ、英語でおばさんは?」と僕。
「え?」と二人。
僕「え?じゃなくて、英語でおばさんは何ていうの?」
海颯「え〜っと、グ、グランマ?」と微妙な声で答える二人。
僕「それは、"おば〜ちゃん" パパが聞いたのは"おばさん"」
海颯「う〜ん、う〜ん。。」
僕「アントでしょ」
海颯「アント。。。。アリ?」
僕「うん、まあ、アリみたいな。。。じゃあ、"おじさん"は?」
海颯「おじさん?。。。グ、グランパ?」
僕「違う!それは"おじ〜ちゃん"でしょ!"おじさん"は、アンコー(アンクル)!」
海颯「アンコー!アンコー!?おばさんはアリで、おじさんはアンコウなんだね」
僕「。。。いや、違うけど、まあそう覚えておけばいいか」
海颯「アンコウはさ〜、人食べちゃうんでしょ。でっかいんでしょ?」
僕「え?いや〜、まあでかいけど、どっちかって言うと人の方がアンコウ食べちゃうかな。そ、そんな事より、じゃあパパの兄弟の名前覚えてる?」
颯友「え?海友と颯友〜」
僕「。。。。俺はお前らと兄弟じゃないよ。お前らは、パパの息子たち、"サン"だろ!で、パパは君らのファザーね、ファザー。ブラザーじゃないんだよ、ブラザーじゃ!」
颯友「え、海友と颯友、パパの兄弟じゃないんだ」
僕「。。。当たり前だろう!そうじゃなくて、パパの兄弟、お前らのおじさんの名前知ってる?」
海颯「え?パパって兄弟いたの?」
僕「。。。。。。え?お前ら何度も会ってるだろ!まりあちゃんのお父さんと、いっつもダックスって犬連れてるおじさん!」
海颯「え〜!あれ、パパの兄弟だったの〜?言ってくれないから、わからなかった〜」
僕「"あれ"じゃね〜よ!」
海颯「ははは〜!」ぱくぱく(ご飯を勢い良く食べる音)
体調悪くて、痛み止め飲んで、食事しながらした、息子たちとの楽しい会話は、こんな感じで続いた。
つづく
前にも書いたが、自分がトンガから帰国したとき、長男の海友は風邪をこじらせていた。今はやりの咳が出続ける風邪。学校も1週間近く休むことになった。
特に夜中、激しく咳をして、苦しそうな長男を見ているのは本当に辛かった。やっと最近復調してきたけど、代りに自分がもらってしまったようだ。
本当は、海友が直接見せたかったのだろうけど、体調が悪くて寝込んでいた海友に代って、ある日、妻がそっと見せてくれたのが、小学校の自由研究で描いた絵日記。タイトルは「ぼくが会った海の生き物2011」
先週の土曜日は、二男颯友の幼稚園の運動会だった。天気も良く、運動会日和。年少の時の運動会には行けなかったので、今回は是が非でも参加しなくてはと思っていた。
長男、海友の運動会は、年少、年長は出れたけど、小学校に入ってからの2年間はいずれも観に行くことができていない。
最近は特に子供たちも、友達と遊びに行く事の方が多くなってきたから、なんだか以前より疎遠になってきているような印象がある。だから,今回は何としても観に行かなければと思って参加したのだけど、疲労と、風邪で体調は最悪だった。
それでも、無邪気にはしゃぐ颯友の楽しそうな笑顔を見ていると、「来て良かったな〜」と心の底から思った。
特に親子競技のときに、自分と一緒にデカパンを履いて走る颯友の嬉しそうな笑顔が印象的だった。普段は自分にはいたずらな笑顔は見せるけど、こんな無邪気で楽しそうな笑顔はなかなか見せてくれないから。
今日は、息子たちが習い始めた空手教室に一緒に出かけた。長男の海友は、引いていた風邪が完治していなくて稽古には出れそうになかったので、二男の颯友と二人で稽古に参加することに。
まだ白帯だけど、子供の道着姿は凛々しく見えて我が子ながら感心。家の中ではダラダラしていたけど、外に出ると、4歳なのに、それなりに颯爽として見えるから不思議だ。
下校途中の小学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちを気にする事も無く、道場へと向かう。
稽古中の写真は撮れなかったけど、2時間の稽古時間中、他の4歳くらいの子供たちが途中で飽きてしまう中、何故かいつもダレダレな颯友は、最後まで飽きる事無く、稽古に打ち込んでいた。もしかして、本当に上達するかもと親心に淡い期待を持たせてくれた。
無事2時間の稽古も終わり、帰宅。
これは、まったくその空手の話とは関係無いのだけど、この日の朝、一緒に朝食を食べていたときに、どのような脈略でそんな事になったのか忘れたけど、急に颯友が、何を思い出したのか、「だからあのときは、ママがブチぎるからだよ〜!!」と急に椅子から飛び降りて、床にうずくまり、泣き叫ぶ。
「え、何泣いてるんだよ?ママが怒ったの?何で?いつのこと?」と訪ねても、颯友は突っ伏したまま、顔を上げない。「何だよ、そんなにママが怒るような事したのかよ」と聞いてもまったく反応がない。
その横で、風邪気味で辛そうな兄の海友が「ママがもうやめなさいって言うのに、颯友がゲーム止めないから、ママが怒ってスイッチ切っちゃったんだよ」。
「あ、それでママがブチぎれたって事?」
「違うよ、途中で保存しないでゲームのスイッチ切っちゃう事を"ブチぎり"って言うんだよ」と海友。
「あ〜、そういう事なのか〜」と僕。
「今じゃ子供たち、普通に皆使ってるんだよ」と妻。
「なるほどね〜、要するに、今の颯友は、いくら言ってもゲーム止めない事にブチぎれたママにゲームブチぎられた事を突然思い出して、自分がブチぎれて、床に突っ伏してるわけだね」と僕。
「そういう事」と海友。
・・・・・、話聞いていたときには、ちょっと面白いかもって思ったんだけど、書いてみると、特に面白くも無いネタであったと、たった今気づいた。でも、もう書いちゃったから、新たに別のネタ考えるのも面倒だし、とりあえず、オチも考えずに、このまま終わることにする。
久しぶりに子育て日記アップしたのに、な〜んか、モヤモヤしたものが晴れない気分。
ジンベエスイム2日目、僕の家族も全員がボートに乗り込んで出発。昨日ほど凪ではなくて、できることなら、昨日息子たちを乗せておけば良かったかな〜と少し後悔した。とは言っても、多少の波があるだけで、悪いコンディションではなかった。
昨日10時間プールと海で遊び続けた二人は、6時30分に起こされて、超不機嫌そう。それでもジンベエザメと泳ぎたいという一心から、ダレダレながら僕らについてホテルを出発。二人とも日焼けで真っ黒、というか茶褐色?になっていて、そのせいかまぶたも腫れぼったい。
皆と一緒にボートに乗り込んだけど、二人ともあっという間に眠ってしまった。昨日はジンベエの群れをすぐに発見できたけど、今日は多少波もあるせいか、昨日と同じポイントに着いてもなかなかジンベエザメが見つからなかった。しかし、そのポイントよりもさらに沖合いでジンベエ発見の連絡を受けて直行。
そこには、昨日同様に無数のジンベエザメが背びれと尾びれを水面に出して捕食を続けていた。
いざ入る段階になると、海友も颯友もあっという間に眠りから覚めて「はやく入ろう〜!」とまだ僕らが誰もエントリーしてないのに、ラダーから海に入って行こうとする颯友。ボートの最後尾から飛び込もうとする海友。
「ちょっと待て、まだパパとか準備できてからにしろよ」
と言って、待たせると
「早くはいりた〜い、早くはいりた〜い!!」と言ってまたラダーから降りようとする。
「だから、まだだって!」(少しは初めて見た巨大なサメにビビってくれよ。しかも群れだし。。。)そう思いながら慌てて準備して、海に飛び込んだ。
すると颯友と海友が次々に海い入ってきて、僕にしがみついてきた。
「あ〜、うざい!くっつきすぎるな!」そう言って払いのけようとするのだけど、「やだ〜!」とか言って絶対に離れようとしない。
(こいつら、本当はちょっとはびびってるんだな)というのがわかって嬉しくなった。まあ、7歳と4歳で初めてこんなでかいサメに水中で会うわけだから、当然のことだとは思ったけど。
それでも、ビビっていたのは,最初の遭遇だけで、一度水中で見て全然襲って来ないことを確認すると、海友は、自分の方から積極的にアプローチし始めるようになった。
しかし、この辺から二人のジンベエザメに対する"思い"の違いが行動に現れ始める。
元々出発前から「ジンンベエザメ、見てみたい!」と言っていた海友は、「ずっと海にいたい!」と言って、通過していくジンベエザメに何度も自分からアプローチを続けた。おそらく奴が水中で目撃できたジンベエザメの数は、30匹は下らないだろう。
それだけ長く海の中にいてジンベエザメを見続けた。
一方颯友の方は、数匹のジンベエザメを見るともう満足したのか「寒いから上がる」と言って、上がったまま、結局最後まで海には入らなかった。まあ、それでも水面にいるときに、数匹ものジンベエザメには近づいているのだけど。
そして、ボートに戻ると、スイカとメロンを食べまくり。そして、「ねえ、ビールちょうだい」と言いながら、ジンベエを肴に、コーラを美味しそうに飲み続けていた。
この日は、少し波があったために、昨日水面に浮遊していたプランクトンがかき混ぜられて、少し沈殿しているせいか、ジンベエザメも、海面だけを移動しているのではなくて、少し水面下で口を開けて捕食しているものも多かった。
おかげで、色々違うアングルの撮影ができた。
僕らが朝7時前にホテルを出て、港に向かった直後子供たちは起き出して、早速ホテルのプールに直行したらしい。
僕らが3時過ぎに戻ってきたときにも、二人はプールではしゃいでいた。
「ただいま〜!」と声をかけると
「あ、とーちゃん、あのさ〜、カニがいるよ、カニ。プールにカニがいるんだよ!ちょっと見てみる。海友が見つけたんだよ!」と颯友が大声で叫んだ。
「え〜、カニがプールに?」
そう思って、プールサイドに歩いて行くと、周囲にいるホテルのゲストの人たちが、妙に優しい笑顔を僕に向けて挨拶してくれる。年配のカップルや若いカップル、まだ会った事無い人たちなのに。なんでかな〜と思って、息子たちと一緒にホテルに残っていた妻に訪ねると、
「カニの写真をね、見せまくってたんだよ」
「え?カニの写真?」
「そう、海友が潜ってプールの底にいたカニの写真を撮ったの。それを、颯友が自慢気にプールにいた人全員に見せて回ってたんだよ。それで皆、仲良くなったの」
「なるほど〜。相変わらず人見知りしない奴らだな」
で、これがその写真を見せまくってる颯友の写真。
で、これが海友が潜ってプールの底で撮影したカニの写真。
これは、ビーチで拾ってきた貝殻などをプールの底に並べて撮影したもの。
最終的にカニは海友が捕まえて、ビーチに逃がしてあげたのだけど、僕らが戻ってくるまでは、見せたかったらしく、プールの海底に沈んでいた。
それに奴らは,僕らが戻って来るまで、プールとビーチからまったく離れなかったそうだ。まるで主みたいになっていて、ゲストの人たちも一度出かけて戻ってきたら、まだ遊んでいたので、完全に「Water boys」として認知されていたようだ。
ランチも「プールで食べる!」ということで、残っていたカップラーメンをプールサイドに持ってきて食べていた。僕も食べたかったな。
僕らが戻ってからも、夕食の前までずっとプールで遊びまくった二人。洋平君、グレッグ、ジョン・ジョンともおおはしゃぎ。
あんまり騒がしくなると「し〜!静かに!」と注意したけど、すでに子供たちが、周りのゲストと仲良くなっていたからか、全員がとても好意的に笑顔で見てくれていた。
迷惑をかけてる度合いって、その人たちを知っているか、知らないかで、不満に思う度合いも違ってくるものだと思った。奴らからしてみれば、こんな楽しい状況ではしゃぐのを抑制するのはなかなか難しいわけで、じゃあ、どうすればいいかと言えば、先に皆と友好関係を築いてしまうことで、"許される"許容範囲を自ら広げたわけだ。
前に、Twitterでこんなつぶやきを見つけた。
日本の親は、「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、インドでは、「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそう。前者は、息苦しさを、後者には、ホッとするものを感じる。迷惑かけずに生きられるわけない。
つまり、迷惑をかける分、まずは他人のことも受け入れないさいということ。そういう意味では、このインド人の教えを、息子たちは自然に行なっていたわけだ。インド人が人に迷惑をかける分、他人にもやさしくしてくれてるかは定かでは無いけど(笑)。
今日は、家族も船に乗船して、ジンベエの海へ向かう。
バハマのクルーズ下船後から、メキシコへの移動までの間、家族と共に滞在していたのは、オーランドのディズニーワールド。しかし、その間、足を運んだテーマパークは、ブリザードビーチとタイフーンラグーンというウォーターパークのみ。暑いので、その他のテーマパークはパス。唯一タイフーンラグーンの入り口にいた、スティッチと記念撮影をしただけ。
問題なのは、二人ともあっと言う間に姿をくらますことだ。しかも、二人別々に。海友は、チューブ系のアトラクション一人で乗りまくり、朝から夕方まで水に浸かりっ放し。タイフーンラグーンの大波が発生すると足のつかない深場まで泳いで行って一人で姿をくらまし、「おぼれそうだったよ〜」と嬉しそうに戻ってくる。
颯友の行動範囲は海友ほどでは無いにしても、まだまともに泳げないのに、こんなウォーターパークで姿をくらませられても困るんだけど。まあ、そのために、ライフジャケット付きのラッシュを着せているのだけど。
二人ともたまに合流すると「よっ」とか、「あ、パパ〜!」。「とうちゃん、どうしたの?」とか言って、しばらくは一緒にいるけど、またいつの間にか姿をくらます。まあ、それだけ成長したってことだな。
テーマパークに行かない日とかには、目の前のダウンタウンディズニーとかで時間を潰した。無料だから。とは言っても、「CARS2」の映画見たり、おもちゃ欲しいとか言って、結局はそれなりに浪費する。
困るのは、レストランや館内と外の温度差が激し過ぎること。もう冷凍保管庫にも入れられた気分だ。映画館では、こんな感じで映画を鑑賞。遊び疲れた颯友は、途中から爆睡。
ここでは、ディズニーキャラでなくて、ハーレーグッズ専門店で本物のハーレーにまたがっての記念撮影。
そして、二人して購入したおもちゃは、Build the Dinoという、自分で外側を選んで、ハートと綿を詰めてもらって、作り上げる、恐竜のぬいぐるみ。2009年に僕と海友が二人で来たときに、海友が作って、「ハヤト」と恐竜に名付けて、旅の間、ずっと一緒に寝ていたのと同じもの。
今回、海友はT-REX GOLDという名前とつけ、颯友は「カイト」とつけるのかと思ったら、「ハヤト2」と自分の名前をつけていた。
CARS2の映画を観た後に、立ち寄った、カスタムラジコンカーを作れるお店(ってか映画館の隣)では、CARS2キャラクターのラジコン買うのかと思いきや、海友はマックミサイルだったけど、颯友が購入したのは、この写真のラジコン。まったく映画とは関係無いんだけど。
でも、どうやら、「トランスフォーマーの車」だからなのだとか。
フロリダに住む友達と食事をしたのも、このダウンタウン。
一家族は、パナマシティから7歳と4歳の息子のお母さんとおばあちゃん。ドルフィンセラピーをしているデニーの奥さんのナタリーと子供たちだ。行動が海友と颯友そっくり。ということは、母親ののうてんきな性格も一緒ってことかな。まあ、どちらかと言うと、海友と颯友の方が人見知りしない感じだけど(ってか少しはしろよ、人見知り)。
もう一家族は、元ドルフィンドリームのクルー、アンディの奥さんのニッカちゃんと娘のネネちゃん、それに、義弟さんと娘さん(8歳)。二人が日本から遊びに来たので、一緒にディズニーに遊びに来たのだそうだ。相変わらず、海友は小さなネネちゃんに優しい。自分の,息子ながら、本当にこんなに赤ちゃんや小さい子に優しい男の子は珍しいかも。
颯友にだけは例外だけどね。
本当はナタリーたちとは、タイフーンラグーンで一緒に遊ぼうと思っていたのだけど、この年齢の子供たちと一緒に行動していて、まともに、スケジュール通りに行動できる方がおかしいというもので、結局スケジュールがまとまらず、この二家族は初対面にも関わらず、12人全員一緒に食事することに。
食事の席に着いた子供たちの記念写真を撮ろうとカメラをむける
僕「はい、みんな〜写真撮るからこっち向いて〜」パシャ!
「・・・・・・、ははは〜、今のはカメラチェック。はい次はちゃんと向いてね〜、はい!行くよ〜!」パシャ!
「・・・・あれ〜、おかしいな〜。みんな、カメラ見てないね〜、はははは〜」
こんなにカメラ目線をもらえないカメラマンも珍しいのではと思う今日このごろ。
5週目出発前には、ステネラのキャプテンピーターと奥さんのカズヨちゃん、二人の娘の5歳になるハナちゃん、以前ドルフィンドリーム号のクルーだったアンディと奥さんのニッカちゃん、それに二人の娘のネネちゃん(2歳)が遊びに来てくれた。ネネちゃんは2週続けて遊びに来てくれた。小さな子の面倒を見るのが好きな海友がネネちゃんの手を引いて二人で散歩する微笑ましいシーンも。そして、ハナちゃんと颯友が妙に意気投合して、別れ際にはハナちゃんから颯友が熱烈なキス&ハグをされて、颯友が照れていたのには父親ながら相当に感動した。
今は、バハマドルフィンクルーズ最終週も終了して、無事フロリダのウエストパームビーチに戻ってきている。息子たちは、ホテルのプールでも延々と泳ぎ続けている。
今週は過去2年間続いた連続スイム記録が継続されるかどうかという週だったのだけど、初日からイルカたちが見つからない状況に。
先週連続記録が途絶えるかと諦めていたのに、奇跡の天候復活を果たして、気を緩めていたのがいけなかったのか。。。通常午後8時にはイルカを探すのは諦める。その時刻が刻々と迫ってきていたときに、キャプテンスコットに、過去2年間は全ての日程で日中イルカを見つけてくれていたんだよと告げた。単純に2年間と言っても、チャーターした回数は9回ある。それに今年のチャーターの4週目まで合わせると13週。計65日間。ちなみに、2008年は4週目の4日目にまったく泳げない日が1日だけあったとの記録があったから、71日間連続で泳げているわけだ。2008年も、その1日だけなので、18週、90日間(2008、2009、2010、2011の4週目までの合計日数)で泳げた日が89日間という相当な遭遇率。
さすがにスコットも驚いていた。まあ、記録はいつか途絶えるものだからと諦めていたのに、7時50分、イルカの群れに遭遇。本当にギリギリでイルカたちと泳ぐことができた。さすがにスコットも僕もイルカを見つけたときには、満面の笑みで喜んだ。
この週もお触りイルカたちは健在で、特に2日目は朝から泳ぎ続けた。
海友は、4週目終了後の下船時にゴーグルでなくて、マスクとスノーケルを買ってもらい、それをつけて海に入った。浮き輪は持って入るものの、浮き輪に着いたロープを持っているだけで、輪の中には身体を通さない。顔をつけたまま呼吸ができるようになった分、浮き輪から離れてイルカに接近することが多くなった。
当然のことながら、僕が近くに来たイルカにタイミングを合わせて泳いでいると、海友も浮き輪そっちのけで、イルカの撮影に熱中したりしていて、泳げるようになったのは嬉しいことだけど、ライフジャケットも何もつけていないから、それはそれで、心配になる。
この週では、僕が後押しする事無く、海友自らフレンドリーイルカに接することができた。そのことが彼に取っては、とても大きな自信につながったように感じた。最初の頃はイルカが接近する度に猛ダッシュで触ろうとしていた海友。しかしなかなか触れないで、ちょっとがっくりしている事が多かった。それもそのはず、海友は2年前、5歳の時に苦労して苦労して初めてイルカに触れたのに、弟の颯友は、4歳で「あれ、触れちゃった」と言いながら野生のイルカに触れることができちゃったわけだから、自分は兄としてその上を行きたいわけだ。だから、僕の手を借りずに、自分でイルカたちに触れたい。そう強く思っていたに違いない(本人は何も言わないけど)。
しかし、イルカたちだって、急にバタバタと近寄られたら、びっくりするに決まっている。「バタバタと無理に近づかずに、静かに一緒に泳いでいれば、触れる距離まで向うが近づいてくれるから」そうアドヴァイスした直後に、ゆっくり泳いでいる海友の目の前に、いつものフレンドリー君が近づいてきた。海友は慌てる事無く(きっとはやる気持ちを相当に押えていたとは思うけど)、ゆっくり泳ぎ、手を伸ばす(ここはちょっとこらえ切れなかったのか、さすがにゆっくりと手を伸ばすという感じではなかったけど)と、その手はイルカの左脇腹に触れた。ほんの一瞬だったけど、僕は初めて少し離れた場所から、その瞬間を写真に納めることができた。
「触れた!自分で触れたよ!」海友は嬉しそうに歓声を揚げた。この無邪気で素直な喜び様は、二男の颯友には無い。イルカに対する二人の違いを見ているだけでも面白い。この日、海友は自分の力だけで2回イルカに触れることができた。
ちなみに下の写真は、イルカの群れが来たタイミングで海に飛び込んで、海友が群れを指差した瞬間に、「イルカに触れたと思ったら、魚だった」と言っていたときの写真。自分もエントリー直後に撮影していて気づかなかったけど、確かに、一番近くにいるのはイルカでなくて、ツムブリだ。イルカに触るより、ツムブリに触る方が相当に難しいと思う。
そのことが大きな自信になった。なったのはいいのだけど、クルーズが終了して、ホテルに戻ってからも、朝から晩まで、ず〜っとプールに入りっぱなしなのは困る。このブログを書いている今も、海友と颯友がプールではしゃぐ声が聞こえてくる。
「パパ〜!一番深いところ(8feet)まで普通に潜れるようになったよ!見て!」と報告に来る海友。「とうちゃん!はやともジャンプでプールに入れるようになったよ!」と続けて報告に来る颯友。
この旅のはじめから、颯友は、僕の事を「とうちゃん」、妻(ミナ)の事を「かあちゃん」と呼ぶことが多くなった。もちろんクレヨンしんちゃんの影響である。しかし、奴に「パパ、ママ」と呼ばれるより、「とうちゃん、かあちゃん」と呼ばれる方があまりに自然な感じなので、直させることも無く、そう呼ばせている。
話が脱線しまくるが、結局苦労したけど、この週も5日間連続でイルカと泳ぐことができた。今年を含めた3年間は毎日イルカたちと泳ぎ続けることができた。
鯉のぼりの方は、5週目でポケモンバージョンを更に参加してくれたゲストの皆が描き足してくれて、相当に沢山のポケモンで埋め尽くされた。
上の写真が、5週目最初の頃の4つの鯉のぼりの写真。
で、下が最後の下船時の写真。ポケモンの数が相当多くなっているのは一目瞭然。
5週目の皆様、ポケモンの絵を沢山描いてくれてあっりがとうございます。それから、素っ裸ではしゃぎ(暴れ)回る息子たちに笑顔で付き合ってくれて本当にありがとうございました。また、5週目で疲れ果てて、あまり対応できずにすみませんでした。
僕らは、しばらく家族水入らずの時間を過ごした後に、メキシコに移動して、今度はジンベエスイムにチャレンジします。ちょっと臆病な海友が海に入れるかどうかはまだ疑問ですけど。
1週目から、5週目まで参加して頂いた皆様、本当にありがとうございました。実は、来年(2012年)だけでなく、今回はすでに2013年のクルーズ日程まで決めておいてと言われていたので、後日、そちらも一緒に告知させて頂きます。
それでは。また。
朝起きて、長男の海友はすぐにプールに行く!と飛び出したのだけど、二男の方は、すでに自分が持ってきていて、船に預けてしまった荷物の中に海パンが入れてあったので、隣のターゲットに買いに行くことにした。
しかし、そこには、まずいものが。。。。。そう、カーズ2グッズである。
前に、このカーズ2グッズの事を書いたのだけど、その後僕のHPで検索ワードのダントツトップを走っているのが、この「カーズ2」なのだ。2位の「越智隆治」とか「イルカ」とかの4倍以上の大差を付けて、「カーズ2」なのだ。だから、HPのアクセス数を増やす手段として、今「カーズ2」というワードは、結構自分に関係無くない上に有効なのである。
おまけに、妻は出発前に子供たちの友達のお母さんから、いくらか渡されて、「これで買えるだけのカーズ2グッズを買ってきて」と頼まれていたのだ。だから、いずれにしてもそのコーナーには遅かれ早かれ行かなければいけない。
であれば、映画で人気が再燃して、欲しいキャラが無くなる前に購入してしまった方が、後でストレスが無いと考えて、そのコーナーへ向かうことに決めた。
色々理由を書いたけど、要するに、自分が購入したいだけなんだけど。
実は、この日をどれだけ待ちわびていたことか。ちなみに、今日までまったくおもちゃは購入していないとだけはここに断言しておく。
で、結局のところ、お友達用のものを沢山購入していると、やっぱり我慢できなくなって、気がついたら息子たちの(自分の)ものを手に握りしめていたりするわけだ。建前上妻に対しては、海友と颯友のなんだけどさ。
で、海友に購入した、(僕の)カーズグッズは、日本のレーシングカーも含めたパッケージシリーズ、など。(この「など」がポイント。ここ重要です)
颯友に購入した、(僕の)カーズグッズは、4台の車が格納される、カーズのプライベートジェット機。
早速箱をボロボロにして、ガンガン落としたり、ガンガンぶつけたりしながら遊ぶ二人を横目に見ながら、乗船前の最後の仕事をするのでした。
たたた〜たたた〜、たたたたたた〜、たたた〜たたた〜、たたたたたたた〜
(ゴジラのテーマソング)
空港で待っている間、頭の中には、ずっとこの音楽が流れてました。
そして奴らが登場したときには、そのボリュームがピークに達しました。
だだだ〜っ!、だだだ〜っ!、だだだだだだだ〜!!!、
だだだ〜っ!、だだだ〜っ!、だだだだだだだ〜!!!
がお〜!がお〜!
がお〜!!!がお〜!!!!
がお〜〜!!!がお、がお〜〜!!!
もう夜中の1時なんだから、隣に迷惑だから静かにしろ!!!!
がお〜!!!!がおがお〜〜〜〜〜〜!!!!!
寝ろーーーーーーーっt!!!!!
で、結局ぼくの叱る声が、一番大きいと、ミナ(妻)に注意されました。
明後日には、バハマに出発する。その前に家族で浦安を巡る事にした。というのも、以前に、自分の住んでいるマンションで防災訓練(震災前)があったときに、その後の自治会で海友が湯巡り万華鏡のチケットが当てて、その期限が昨日までだったからというのもある。
その前には舞浜のイクスピアリに行って食事をした。
岩手や南三陸町の比では無いにしても、浦安も未だに完全に復興しているとは言えない被災地。自分はしばらく日本にいれなくなるけど、岩手、宮城、福島などの被災地同様に、自分の住む街の少しでも早い復興を願っている。駅前のビルには「頑張ろう!浦安!」の大きな文字の入った垂れ幕がいまだに目を引く。
外から初めて来る人には、決まって「想像していた以上に被災してますね」と未だに言われる。街では、様々な復興支援活動が行われ、選挙の時の立候補者の政策は、誰も一緒で、「浦安の復興を最優先に!」と掲げるものだから、一体誰に投票していいのかさっぱりわからなくなっていた。
ここに引っ越してきて、まだ間もないけど、妻の実家や義姉の家は、この新浦安地区にあり、仲良くそろって被災した。自分にとってはそんなに馴染みのある街ではなくても、妻にとっては、幼少の頃から住んでいた大好きな街。
彼女と結婚していなかったら、自分はこの街の良さとか知らずに生きていたと思うけど、やっぱり住んでみて、これほど住み易いと感じる街は今まで無かったと思う。それは被災した今でも変わらない。
さて、湯巡り万華鏡は、平日ということもあり、とても空いていた。息子たちは、人が少ないのを良い事に、沢山ある湯船を移動しながらはしゃぎまわっていた。自分も「他の人に迷惑かけるなよ〜」と言いながらも、奴らの姿を目で追いつつも、ゆっくりさえてもらおうとくつろいでいた。
ミストサウナにいることを海友に告げて、しばらく中で目を閉じてリラックスしていると、外から海友と颯友の他に、若い男性たちの声が聞こえてきた。
「わ〜!!」
「お〜〜!!」
「おほ〜!つめて〜!!」
「おし、こっち来い!こっち!」
「やだ〜よ〜だ!!」
ばしゃ〜ん!!ばしゃ〜ん!!
「きゃ〜!!!」
「あははははは!!!」
「えいっ!!」
「あ、つめて〜!やったな〜!」
「それ!!」
ばしゃ〜ん!!ばしゃ〜ん!!
「ぎゃはははは!!!」
ミストサウナにいる父「何?......」
そう思ってサウナから出ると、金髪やピアスした大学生くらいの若者7〜8人に混じって、海友と颯友が、サウナから出た後の水風呂を取り合って、暴れているところだった。
父、しばらく愕然。
父「こらー!!他の人の迷惑になるからやめなさい!」
若者たち「すみませ〜ん」
海颯「パパ〜!!!」
父「何?」
ばしゃ〜ん!!!
父「うおっ!!つ、冷たて〜!」
全員「ぎゃはははは!!」
父「こら〜!!」
全員「わ〜〜!」
と言って四散。
バハマ出発前、まったくくつろげなかった事は言うまでもありません。
お風呂にはカメラ持って入れなかったので、その惨状は、写せなかったので、入り口での記念撮影のみです。
今日は、二男颯友の幼稚園で、「パパが人気ものになれる日」SUK SUKパパの日というイベントがあって、行ってきた。
要するに、登園後に、普段あまり遊べないパパと遊ぶ時間を設けて、一緒に遊ぶというものだ。中には知り合いになって、お酒を飲みに行ったこともあるお父さんも少しはいるので、人見知りな自分も多少は安心しながら参加した。
最初は、中当てや、相撲とか色々やって遊んでいたのだけど、途中から颯友は仲の良い友達と二人で、砂場に大量に水を流し込んでどろんこになり始めた。手も足もべちゃべちゃのドロドロだ。
「あ〜あ」と思っていたのだけど、どうせいつもこんななんだろうな〜と思いながら、一緒に遊んでいると、一つ上の年長の子が、泥砂遊びしながら、僕に話しかけてきた。
その子「ねえ、ほうしゃせいぶっしつって知ってる?」
僕「え?ほ、放射性物質?うん、知ってるけど(何?何?)」
その子「今からこの穴に、このほうしゃせいぶっしつの入った水を流し込みます」
僕「ほほ〜、はい、流し込んだ〜。で?」
その子「これでほうしゃせいぶっしつのプールの完成です」
僕「なるほど〜。そこが放射性物質のプールになっていて、外に出ないように溜め込んでいるんだね〜」
その子「そう、これに入るとどうなるか知ってる?」
僕「え、やばいんじゃないの」
その子「よごれちゃんうだよ。すっごくよごれちゃうんだよ。だから入っちゃいけないんだよ」と語気を荒げる。
僕 「そ、そうだよね〜。さすが年長さん!」と言いながら、横目で颯友とその友達を眺めると、すいでに奴らは、その"ほうしゃせいぶっしつ"の入ったプールに、足と手を突っ込み、めちゃくちゃに汚れているところだった。
その子「あ、だめだよ!よごれちゃうよ〜!!」とマジ顔で止めに入る。
僕 「いいの、この子らは、もうすでに汚れてるし、第一、そんな事で死ぬタマじゃないから」
その後、そのプールからドロドロの砂を書き出した颯友は、
「パパ〜、これで泥団子作って〜」と俺まで汚染させようとしたのは言うまでもありません。
冗談にでもしてないとやってられませんね。撮影は禁止だったので、こんな写真にしてみました。
先週の土曜日、家族でディズニーランドに行ってきた。週末なのに、やはり空いているようで、土曜日にも関わらず、かなり色々なアトラクションに乗ることができた。
とは言っても、まだ4歳の颯友と、ちょっと恐がりで慎重な兄海友と一緒なので、自分が乗りたいものには乗れないのだけど。
でも、二人が楽しんでくれていたので、まあそいれで良しとしよう。一応、父親だし。
子供たちが一番観たがっていたのは、最新のアトラクション、フィルハーマジックという3Dシアター。総投資額は60億円だとか。まあ、沢山の子供に夢を与えるのに、必要な費用なのかもしれないけど、そんなお金をかけないと、喜ばなくなってしまった子供たちに、多少不安を感じます。
まあ、それはそれとして、子供たちは朝から晩まで園内を走り回り、僕らはヘトヘトになるまで遊びまくった。
そんな中で、印象的だったことは、、、
またもやパレードの度に海友が、「カメラ貸して〜」とせがみ、移動している山車の中、タイミング良く下からミッキーとミニーに狙いを定めて、こんな決定的瞬間をしっかりモノにしてるのがすごい。動いてる山車で、上見上げてて、しかも1〜2秒の出来事だったから。構図もバッチリで、「なんだこいつ〜」と思ってしまった1枚です。
構え方も、教えてもいないのに、様になっているような。。。
そして、
ミッキーが通過しようが、バズが通過しようが、スティッチが通過しようが、まったく興奮する事も無く、とても投げやりな態度で見送る颯友。まったく手も振らないし。。。
「あ、もしもし、俺だけど、何で今更かけてくるんだよ〜」
「お前が、お前がもう終わりにしようって言ったんだろ。だから、俺、何で今更...そっちから電話かけてくんだよ〜〜」
と言ってるように見えるのは、自分だけか、やっぱり。
おしまい。
先日、プリンターを購入した。最近はプリンターもどんどん価格が安くなっていることに、びっくり。購入したEPSONのプリンターも1万円台だった。
でも自分が使えるわけではなく、妻が今まで撮影した子供たちの写真をプリントするプリンターが壊れたので購入したものである。僕はセッティングしただけ。
まあ、そんなことはどうでもいいことなんだけど。大きな段ボールが来ると、喜ぶのは海友と颯友。早速、有効活用を始めた。
といっても、二人で入るには相当狭い段ボールに仲良く入り込んで、「どらえもん」を鑑賞する二人。
狭くないのか?最近は、普段喧嘩ばっかりなのに、なんと仲むつまじいことか。。。
でも、なんか、それだけではないような。。。。
颯友:「あ、かいと〜、はやと、ちょっとおしっこするから、どらえもん、止めておいて。い〜い?止めておいてね」
海友:「(ほぼ無言に近い小声での返事)ん」。
っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ
あ、寝る前に書いてたら、ついうとうとしてしまって、キー押したままになってしまった。
っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっl
あ、やばいやばい。早く寝よ。
じゃなくて、最後の1枚
「颯友くん、全身、ビニールにも覆われてたのだね・・・・」
・・・・・・、いまいちだな。
寝よ。朦朧としてきた。
PS/キー押したままだと、はみ出すんだな。ちゃんと改行しないといけないことを知りました。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
PS2/また寝ちゃったんだけど、「、」の場合は」はみ出さないね。不思議〜。
子供たちには、悪いけど、色々やらなければいけない事も多くて、GW期間中、あまり遠出をしなかった。でも、日帰りで近場には出かける日もあった。
ある日には市原ぞうの国にでかけた。以前、颯友が生まれる前に、当時3歳だった海友と、はじめて二人で遠出した場所だった。思えばこれも、5歳になったら、息子と二人旅がしたいという、父親としての一つの夢をかなえるための予行演習と考えていたと思う。
しかし、今回は家族4人。良く海友が、「パパと一緒にゾウを見に行った。ゾウに乗った」と弟に自慢していて、颯友はその度に「颯友は行った事がない〜。行きたい〜」と不満をもらしていたので、前日になって、「じゃあ、行こう」ということになった。
海友と二人で行ったときは、平日でほとんど人がいなかったから、その印象もあって、気軽に出かけた。ゾウに乗るのも、普通にできるものと思っていたら、思いのほか混雑していて、ゾウに乗るチケットは到着したときには、すでに売り切れていた。しょうがないから、巨大なぞうのぬいぐるみでお茶を濁す。
他の動物園に行くより、動物たちとの距離が近かったり、触れ合えたり、という事ができるので子供連れには人気。園名のとおり、特にゾウの多さや、ゾウのショーが売りになっている。この日は、このゾウの国で生まれて、4歳になる夢花ちゃんというメスのゾウの誕生日ということで、彼女の得意技である、ダンスやお絵描きが披露された。
決めのポーズで片足を上げて、おどけたように首を左右に振る仕草の可愛らしさと滑稽さがウケていた。
子供たちも、ゾウに対しても興味を持っていたけど、何故か一番くいついていたのが、「かぴばらさんち」で不機嫌そうに眠るカピバラ。「うわ、でけ〜、カピバラでけ〜!」。「うぉ!ねてる〜。不機嫌そうにねてる〜!」と二人して興奮。ゾウの方が全然大きいのに。
しかし、今日、僕を困惑させたのは、この二人ではなかった。
「カピバラってげっぱ類なんだって〜。すごいね〜」
そう、楽しそうに息子たちに語りかけたのは、僕の妻。
「え?げっぱ類?」
と僕。
「うん、ほら、ここに書いてあるよ。げっぱ類って」
と、またまた楽しそうに言う妻。
「....それは、げっし類(げっ歯類)と読みます」
と僕。
「あ、そ〜なんだ〜。げっし類か〜、どおりでおかしいと思った〜。げっぱ類なんてね〜。あはははは」と妻。
僕「・・・・。」
「カピバラはげっぱ類なんだって」。「かぴばらはげっぱるいなんだって」とすでに、息子たちは、間違って植え付けられた知識を周囲の知らない子供たちに、伝えまくっていた。
そんな脳天気な家族に、かぴばらさんちのかぴばらさんは、ちょっと冷めた目線を投げかけて、また静かな眠りにつくのでした。
家族で夕食を食べているときに、同じマンションに住む颯友の友達の家に、妻が遊びに行くという話をしていたときのこと。ご主人に聞きたいことがあるから、「ねえ、ヤース(ご主人の事をこう呼んでいる)に聞きたいことあるから、今度食事でもしましょうって言っておいてね」と妻に伝えると、息子たちが、
海友:「え!ニャースと知り合いなの?ニャースと一緒に食事!?それはいつのことなのにゃ?海友も一緒に食事したいのにゃ!」
颯友:「颯友もしたいのにゃ!」
父:「それは、ポケモンに出てくるニャースで、パパが言ってるのは、Mちゃんのパパのヤース」と言うと、
海颯「にゃ〜んだ」
という会話で一旦終わる。
しばらくすると颯友が
颯友:「ねえ、パ〜パ〜。グレッグって友達いたよね〜?」
海友:「いるよ、フロリダに」
父:「おお、今度バハマ行ったときに会うんじゃない」
颯友:「グレッグって、こんな事いってたよね」
父「何?何言ってたの(最近会って無いから、相当昔の話でもするのかな?)」
颯友「む〜、む〜、む〜、む〜って、言ってたよね」
父:「え?(何それ?)」
海友:「そうそう、む〜、む〜、む〜、む〜って言ってたよね」
父:「。。。。それは、もしかして、グレッグルのことでは?」
海颯:「そうそう、グレッグル。む〜、む〜、む〜、む〜。む〜、む〜、む〜、む〜」
父:「食事中に無表情でむ〜む〜言いながら、グレッグルの真似するのはやめないさい」
そう言いながら、友人のグレッグが、無表情で「む〜、む〜」言ってるのを想像してしまう父なのであった。
ポケモン、知らない人には、わからないネタですみません。
昨日は海友のプールの進級テストがあった。無事合格。バハマまでに、沢山泳げるようになっていればいいな。
ここ数日間、家にはいたのだけど、色々バタバタしていた。写真集や夏の写真展の事、救援物資の対応、新たに作成するカメラハウジングの打ち合わせなどなど。
まず、デイドリームの依頼でパラオのペリリューに滞在しているときに、いつも子供たちと沢山遊んでくれたソアイが、婚約者の女性を連れて家に遊びに来てくれた。すでにデイドリームは退社してしまったそうだ。デイドリームを辞めてしまったことは、ちょっと残念だけど、これから新たな人生を歩んで行くことは、応援してあげないといけない。
ペリリューでは、海友は、本当に良く遊んでもらっていた。
きっと日本にいる間、沢山の人が会いたがっているに違いない。わざわざ浦安まで会いに来てくれたことは、家族全員、本当に嬉しかった。
救援物資に関しては、今は極力現地に直接送ってもらうようにお願いしている。自分は、今現在どこが何を求めているかを確認して、協力してくれている人に、岩手に送って下さいとか、石巻に送って下さいとか、そういう指示を出させてもらっている。
おかげで、家に届く救援物資の数は以前よりは少なくなった。僕がいない間の仕分けは本当に大変だったと妻が言っていた。
最近は、衣類などよりも、生成食料品や野菜などが求められている。だから、買い置きはできないから、購入したら、すぐに送るように手配しなければいけない。皆にお願いするよりは、こちらで購入して、送った方が効率がいいので、今はそうすることにしている。
石巻でボランティア活動しているOWSの理事、田中さんからは、資材が全て流されてしまった、対策本部などにPCが必要だったり、被災状況を保険会社に伝えるために、デジタルカメラの貸し出しをしたいというので、中古のパソコンや、中古のコンデジを、提供することにした。
今まで、物資援助に協力してくれていた方にも、メーリングリストで連絡して、数台づつだけど、提供してくれる人が現れた。
22日、海潜隊のとおるさんが、物資などを持って、牡鹿半島に炊き出しに行くというので、僕の提供するパソコンとコンデジを引き取りに来てくれた。
また、新たな現地情報を提供してくれることになっている。
岩手のくまちゃんの方には、救援物資の他、中古の洗濯機を探して、GWにボランティアで海中清掃に行く、クマちゃん基金を立ち上げた、早乙女君が、トラックで運んでくれることになった。
この他、仙台にあるドルフィンというダイビングサービスが、支援物資の配給などの活動をしているため、その資金援助として、そこで作成している「がんばろうTOHOKU」タオルを何本か購入した。こちらで販売して売れたら、また購入して、活動資金の援助をしようと思っている。
今日は、海友の小学校の授業参観だった。海友のクラスは、音楽と国語。皆は先生の方を見てるのに、海友は、僕や妻と目が合う度に、何度も手を振って来る。それに姿勢が悪い。一番前に座っているのだけど、あれは、どう見ても、一番後ろの窓際に陣取る、ちょっと不良な感じの学生って感じだ。
颯友も連れてきていたのだけど、途中で退屈したので、僕が連れて帰ることに。町の中は、まだまだ液状化で道路に体積した泥を入れた土嚢が積み上げたままになっている。新しく出来た公民館も、まだ利用できない状態だ。
学校のグランドも照明が使えないので、サッカーの練習はいまだ再会していない。
最近、やっと駅前のプール教室が再会して、昨日は海友を連れて、プールに行ってきた。
明日は、浦安市議会選挙の投票日。
先日、家族でシェフミッキーに行ってきた。自分は多分これで2回目か3回目。当然の事だけど、いつも、食べるてるか、記念撮影を撮影する担当。
アンバサダーホテルに入るなり、二人とも大喜び。興奮して無邪気にはしゃぐ子供たちを見てると、「連れてきて良かったね〜」と妻は言うが、自分からすると奴らは常に"興奮して無邪気にはしゃいでいる"と思うのだけど。。。まあ、でも本当に嬉しそうだからそんな事は口に出さないようにしておいた。
シェフミッキー、知ってる人は知ってると思うけど、食事するテーブルに、ミッキーやミニー、ドナルドなどのキャラクターが各テーブルを回って、挨拶してくれたり、一緒に記念写真を撮ってくれたり、頼めばサインもしてくれる。
だいたい、2時間の食事時間の間に、同じキャラが2往復してくれる(今回はそうだった)ようだ。子供たちはもとより、大人もそんなキャラクターがテーブルに来てくれるのを楽しみに食事をしている。なので、順番が回ってくるタイミングでトイレとかブッフェに食べ物を取りに行っていると、撮影ができなくて、困るので、気をつけ無ければいけない。
さて、家の子供たちも、そのタイミングを逃さないように、席に着かせるようにしてはいたのだが、とにかくはしゃぎ回っていて、いつの間にかどこかに消えてしまう。しかも、それぞれ別の場所にいるので困る。颯友は良くキャラの後方に忍び寄るように、つきまとい、まるでストーカーのよう。
海友は僕のカメラを奪い取り、キャラの撮影に熱中している。ちなみに、海友が撮影した写真はこんな感じ。
ちなみに、海友の最近のお気に入りのカメラはPanasonic LUMIX GF1
今回、僕が撮影に使っていたのはRICHOのGXR
そして、ミッキーやミニーがテーブルに近づいて来ると、慌てて呼び戻す。まず、ドナルドがやってきた。息子たちは、仲の良い友達に接するように、気さくに話しかけ、記念撮影をした。
次に来たのは、ミッキー。ドナルドの時と違って、ちょっと緊張気味な二人。「ミッキーに対しては、二人とも尊敬の念を持っているようだ」というのが妻の見解。記念撮影もちょっとかしこまった感じでの撮影。
次にやって来たのは、ミニー。長男の海友は、どちらかと言うと、ドナルドと同じような接し方をしていたのだけど、二男の颯友は、ミニーが来る度に、柱の後ろに姿をくらまし、ミニーが行き過ぎるのを待って、テーブルに戻って来る。だから、奴とミニーが一緒に写真は撮れなかった。
妻によると「最近、テレビでも、女の子もののアニメとかになると、恥ずかしくて、見てられなくて、隠れちゃうんだよ」とのこと。もしかしたら、海友より先に、彼女とか連れてくるうようになるのだろうか。
そして最後にやってきたのは、プルート。「あ、犬だ、プルートだ!」と何故か目を輝かせる二人。
テーブルにやって来るなり、両サイドから、何故かば〜し!ば〜し!とプルートをたたき始める。最初は避けたりしておどけていたプルートも途中からちょっとマジになって、二人を止めに入り、最後は押さえ込んで記念撮影。その3人?2人と1匹?の興奮振りは、見てるこちらが呆れてしまうくらいだった。
それにしても、どんなに、叩かれようが、カメラ目線をキープしていたプルートはすごい。
その後もプルートはテンション上げ上げなままで隣のテーブルへ。それを見送りながら、颯友のおやじのような一言「いや〜、犬は元気だな〜」。
で、このローテーションがもう一回続いたのだけど、きっと次は警戒してくると思った二人は、プルートがやって来たら「その頭の帽子、骨みたいだね」と指差して、プルートが頭を下げた瞬間を狙って、ば〜し!ば〜し!とまたたたき始めた。
海友も、プルートの時だけ撮影を忘れて夢中になってはしゃいでいた。
そして最後には和解して(?)記念撮影。
本当に迷惑な二人である。このテーブルに来るなり、またまたプルートもテンションがあがり、そのまま隣のテーブルへ。そして、その後ろ姿を見送りながら、颯友、「やっぱ、犬は元気だな〜」の一言。
写真沢山使いすぎてしまった。。。
震災後に始めた息子たちの黙祷。今ではすっかり彼らの日課になり、自ら進んでするようになったと妻から聞かされていた。
朝、学校があってできないときには、写真のように、夜寝る前に。
学校が無いときには、以前のように朝起きてから。
違うのは、極力両方が揃った時に行なうことにしたことだ。
ただ、朝は海友の方がかなり早く起きて、その後颯友が起き出してくるから、当然颯友の方が、心に余裕が無い、まだ眠い状態で始まる。
その違いが以下の写真によ〜く現れている。
「うっ、ちょっと待って!」
「何がうっ、ちょっと待って!だ!そのまま続けろ!」
「手でパタパタ足をたたくのを止めろ!」
「何、失敗したんだよ、何を〜。今はいいから、落ち着いて黙祷続けろ!」
「ふ、ふぁ、ふあ〜」
「あくびも我慢!」
「お腹かくな、お腹!」
「背中もかくな!」
「くっ〜」
「挫折するな!」
小声で「パ、パ、お、おしっこ」
「後もうすこ〜し!」
「ねむ」
「だめ!」
皆さんから届いた物資は段ボール100個を越えました。自分のところ以外にも、海潜隊の事務所にも、100個くらいの物資が届いているそうです。
明日、トラックで運ぶのですが、全部が持っていけない可能性があるので、昨日今日で、妻の友達にも来てもらい、石巻と岩手へと送る物資の仕分けを行い、岩手の方で必要と現地で確認した物資に関して、とりあえず、15箱ほどの段ボール箱を発送しました。
明日どれだけ積み込めるかによって、残った物資に関しては、岩手に送るか、次の石巻への物資輸送に追加するか決める予定です。
物資に関して、ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございます!
石垣島より、越智隆治
今日も、多くの救援物資が海外から送られてきた。直接現地に送っても良いのだけど、やはりある程度仕分けしてあげていた方が、チェックしやすいと思い、同じものは、同じ段ボールに入れるようにして、ウエットティシュの箱、下着類の箱、お菓子の箱などなそ、極力内容物を一本化している。前に手書きの応援イラストを描いてくれた、台湾のSTARさんが、今度はイラストレーターで、応援メーッセージを送ってくれたので、また物資の段ボールに貼って、現地に送った。
今日は、物資援助に協力してくれている方から、「同じものが多くあって、現地で足りているのであれば、福島県の南相馬にも物資を送って欲しい」という依頼を受けたので、市役所の方に連絡を取って、物資を送ってよいか確認して、それぞれ、ウエットティシュ、使い捨ての下着、乾電池の入った段ボールを4箱、現地に送った。
ただ、対応している方が、行政の方なので、具体的にどのように利用されるのかは、あまり明確には見えてこない。しかしここは、津波のだけでなく、原発被害の最前線避難場所でもある。無事でいて欲しいと願わずにはいられない。
暴れん坊の息子たち、何故こんなに大量の物資が送られてきて、仕分けしてるのかが良く理解できていないようだった。しかし、長男の海友の方は、「もっと大変な思いをしている人たちに送るんだよ」と説明したら、「僕、手伝う」と言って、仕分けと梱包を手伝ってくれた。
いつもは、9時に眠ってしまうのに、一昨日の夜は3人で、夜中の12時過ぎまで仕分けと梱包をして、多分海友が生まれてから初めて、3人で12時過ぎに夜食を食べた。二男の方は、9時過ぎにあっと言う間に眠りについていたけど。
物資援助の協力をしてくれている、DIVING MEMORY さんが、WEB-LUEの応援ロゴを作ってくれた。ありがとうございます。
自分も数日前に、くまちゃんから「皆にメッセージを下さい」と言われたので、同じようにステッカーを作って、物資に貼ってみた。現地で不評だったら、やめるともりだけど。
昨日、息子たちが朝食を食べるとき、自分はすでに仕事部屋で仕事してたのだけど、颯友が「パ〜パ〜、きて〜、パ〜パ〜、きて〜」とリビングからしつこく呼んでくる。
最初は「は〜い、今忙しいの」と言って無視してたのだけど、仕事部屋まで呼びに来て、
「すごく見せたいものがあるからちょっとだけきて〜」と手を引っぱるので、しょうがなく、リビングへ。
「いい、見ててね、今からパンがマンタになります」
「はあ。。。」
「パク!」
「はい、マンタのできあがり!」
「え、これ?」
「そう、しっぽのなくなったマンタ」
「ほ〜〜〜、、、、で、仕事にもどっていいかな?」
今日も海外から、特に台湾から沢山の援助物資が届いた。日本郵便の配送担当の方は、「今日は大きいのが12個あるので、3往復しますね」と言って、1階から13階まで、3往復して、物資を運び込んでくれた。
もう顔なじみだ。ここから岩手に援助物資を送ると言ったら、以前新潟の震災の時には、対策本部とかまでであれば、配送料がただになっていたと聞かされた。もしかしたらと思い日本郵便のHP調べたけど、そのような記載は見当たらなかった。
多分今回の震災は規模が大き過ぎて、そんな対応も難しいのかもしれない。無料でなくてもいいから、安くしてくれれば、助かるのだけど。
今は、家の玄関が物資で溢れていて、大変なことになっている。妻も仕分けするのに、あまりに多過ぎて途方に暮れている。ありがたいのだけど、対応が追いついていかなくなりそうでちょっと不安になってくるくらいに沢山の援助物資を送ってくれる。
ほとんどが会った事も無い、知らない人たちばかり。本当に嬉しいと感じるとともに、facebookの影響力の大きさに、いまさらながらに感心した。実は、去年の9月のトンガまでは、40人くらいしか友達登録していなかった。
それが、台湾のダイバーの人と知り合ったのをきっかけに、どんどんと登録が増えて来た。その人には、「台湾のダイバーの間では、あなたは有名ですよ」と言われた。本当かな〜と思ったけど、それをきっかけに、特に台湾の人からの登録、友達紹介が増えて、自分も勢いで友達を増やしていったら、いつの間にか1000人を越えていた。台湾では、facebookがかなり浸透しているらしいかった。
そのおかげで、今回世界中の人に、物資の協力を呼びかけることができたわけだ。今では、台湾だけでなく、フランスやカナダ、アメリカなどで、物資や義援金の援助をするために、多くの人に、このプロジェクトへの協力を呼びかけてくれている人がいる。
その第一弾が台湾からの大量の援助物資につながっている。
日本でも、協力してくれる人を捜さないと行けないかもしれない。
何せ、春休みなのに、どこにも行けないパワーを持て余した息子たちの妨害をかいくぐりつつの作業なだけに、本当に疲れる。
第一、お前ら、この寒いのに、何で全部服脱ぎ捨てて素っ裸なんだよ!
「き〜!き〜!」「きき〜!うきき〜!!」
「身も心もサルになるのはやめろ!。。お願いだから」
何回か書いたけど、震災直後から、退屈で暴れ回る子供たちの精神を少し鍛えた方が良いと思い、毎朝朝起きて来たら、まず正座して挨拶、そのあと黙祷させて、最後に腕立て伏せ15回。これを決まり事にした。
なんど叱っても、まったく懲りない二人だから、きっと続かないだろうなと思ったのに、初めてからすでに2週間近くたつのに、まだ続いている。しかも、二人とも自ら進んでやっている。
今はまだ早起きの海友しか起きていない。だいたい、毎日海友が先に終わらせて、颯友が9時過ぎくらいに、のそのそ起きてきて、ちょっとしょうがなさそ〜にしながら正座をして、挨拶して、黙祷をする。
今日は、今までより2分長く、4分間の黙祷にした。ちょっと前まで、正座させるだけで、クスクスと笑いを必死にこらえていた、海友も、それくらいの長さは平気になってきた。姿勢も悪くないかな。
あれだけ落ち着き無いのに、良く続いている。
ーーー追記ーーー
9時過ぎて、ようやく起きて来た、4歳の颯友も、自ら黙祷を始めた。
ーーー追追記ーーー
今日も、国内外から沢山の援助物資が届きました。特に台湾からは、大量に送られてきます。他にも、フランス、アメリカ、香港、ロシア、マレーシア、中国などなどから、沢山の物資が送られてきています。
ほとんどの人が、まだ僕自身、一度も出会った事も無いような方たちからの援助物資。どれだけ、多くの人が日本のために、何かしてあげたいと思っているかを実感した。
今後も続々と物資が届く予定だ。
前回、停電すると出て来る小人の話を書いた。暴れる息子たちを寝かしつけるために思いついた作戦だったのだが、予想外の展開を見せ始めた。
翌朝、正座して挨拶、2分間の黙祷、腕立て伏せを終えて、朝食を食べ終えた後の事。
海友「ねえ、パパ、小人ってどんな感じだったの?」
父「え?小人?」
長男の海友が聞いてきた。
海友「そう、小人、見たんでしょ?」
父(お、おまえ〜、まさか、、、し、信じてたのか?)「お、おお、まあ、見たよ」
海友「じゃあさ、どんな感じだったか描けるでしょ。描いてみせてよ」
父「え?描くの?」
海友「うん、そう」颯友「ハヤトも見た〜い!」
父「・・・まずはだな、お前らが想像して描いてみな。パパ、今忙しいから」
海颯「え〜〜」
父「いいから描けって言ってんだろ!」と言いながら、二人に眼を飛ばす。
しぶしぶながら、画用紙に描き始めた二人。
颯友「ね〜パ〜パ〜、こんな感じ?」
父「う〜ん、もっとこう、ムッとしてるっていうの」また描き始める。
颯友「じゃあ、こんな感じ?」
父「う〜ん、もうちょい、恐い感じ?」
颯友「じゃあ、これは?」
父「う〜ん、近い!かなり近くなてきた〜!」と平気で嘘をつく。
海友「で、身体はどんな感じだったの?」
父「う〜んと、え〜っと、ちょっと太ってる感じで〜、あたまにハートの形のあるかぶり物みたいの被ってたかな〜」とまたまた平気で嘘をつく。
しばらくして、
海友「こんな感じ?」
父「そうじゃないんだな〜、もう少しこう、頭のさきっぽが長くてその先がハートっていうの?」
海友「じゃあ、これは?」
父「お、大分近くなってきた!そんな感じ、そんな感じ!」嘘つき。。。
海友「でも、槍も持ってたって言ってたよね?」
父「そうそう、持ってた、持ってた。危なかったんもん。あれで目つつかれたら痛いぞ〜、きっと。だから布団に隠れてないとだめなんだよ」
しばらくして、
海友「じゃあ〜、こんな感じはどう?」
父、「ピンポン,ピンポン、ピンポ〜ン!はい,正解。それ、まさにそれ!顔もそんな感じ!」
海颯、「え〜、本当に、なんかさ〜、もう忙しくないんでしょ。ずっとここにいるもんね〜。パパも描いてよ〜」
父「え〜、しょうがないな〜」
しばらくして
父「はい、これ、こんな感じ、ちょっとムッとしてるっていうの?」
海颯「え?これ?全然恐くないじゃん」
父「だから恐いとは言ってないだろ、ムッとしてるだけだって言ってるじゃん」
颯友「これ、かわいいじゃん。こわくないね」
そう言うと、しばらくして二人が、「ねえパ〜パ〜、小人んとこ行こ」とせがむ。まだ昼過ぎだ。
父「だから〜、あの小人は、停電にならないと出て来ないんだよ。だから今日は停電無くなったし、停電になっても明るい時間帯だと見れないと思うよ」
と言うと、
海颯「お部屋真っ暗にすればいいでしょ。ねえ、(小人の)部屋に行こうよ〜。行こうよ〜」としつこくせがみ始める。しまった、こんなに食いつきが良いとは思わなかった。。。。
父「わかったよ。じゃあ、毛布もってきて〜、、、、って言うか、海友、その格好は何?」
海友「え、だって槍投げてくるんでしょ?だからこれで、ガードしてるんだよ」
父「、、、、お、お前、信じてなさそうだったのに、バリバリ信じてたのね、、、、」
海友「え?何?」
父「い、いえ、何でもありません。でも、停電じゃないからきっといないって」
海颯「だって停電じゃなくてもでるかもしれないじゃん」と結局、小人見るまでは、引き下がらない息子たちに付き合って、昼間っから「停電になると、小人の出る部屋へ」。
1時間以上、布団に隠れて結局小人は姿を見せない。
父「な〜だから言っただろ。小人さんは、停電して周りが真っ暗にならないとやって来ないんだって」 大嘘。
海颯「明日、停電にならないかな〜」
父(そうそう、なってもらっては困ります)
今日も沢山の救援物資が皆さんから届きました。海外からの物資も届き始めています。バッテリーや衣類。ありがとうございます。責任を持って、被災地に送ります。
一昨日、写真集の打ち合わせと、インタビュー取材で、震災後初めて東京に行った。ところどころ、節電で地下鉄のホームも暗い感じだし、エスカレーター止まっているし、なんだか、学生時代、ベルリンの壁崩壊後に、放浪した当時の東欧諸国のような印象だった。
この震災で、写真集に使う予定だった紙が、石巻の工場で作られているもので、全部流されたと聞いていたので、出版できなくなるのではと諦めていた。しかし、継続して作るということに決まったと聞いて、少しほっとした。
インタビューは、中国版の写真雑誌、キャパの取材だった。
昨日も7時から、計画停電で暗くなった。今回まで、どうせ水が出なかったから気がつかなかったけど、停電になると僕らの住むマンションは、どうやら水も出なくなるらしい。昨晩の停電で、妻は「停電になったら、水も出ないみたい」というので初めて知った。
まあ、そんな事はどうでもいいや。Twitterでもつぶやいたけど、停電になって困るのは、暗くなって、エレベーターも使えなくなり、階段で仮設トイレまで行かなければいけないことでも、水が使えなくなる事でもない。
息子たちが、急に興奮して、サルみたいになってしまうことだ。夜7時、一番子供たちには、微妙な時間帯。興奮するのもわかるけど、はっきり言って、静かにしていて欲しい。
そこで、思いついたのが、停電になると、普段誰も使っていない部屋に、小人が現れるという作り話。LEDライトを灯して、その部屋い行くと、小人が動き回っているらしく、ライトを照らして、目が合うと、まぶしくて、ちょっとムッとした顔をしているのだ。
もちろん、目撃者は僕一人なんだけど。そして、さすがに小学校1年の海友は、「え〜うそでしょ」と言いつつも、興味があるらしい。一番効果てきめんなのが、4歳の颯友だ。"見たいけど、恐い"らしく、「パパ、一緒に行こ!」と言う。
「一人で行って来いよ」というと、
「やだ、恐い〜!一緒じゃないと恐い〜」
と言うので、「じゃあ、あの部屋のベッドから、布団に隠れて様子見てみようか、静かにしてると、出て来るかもしれないから。ライトはつけちゃダメだぞ。照らすと怒るから」
そう言って、3人で布団を被って、くっついてじっとしている。
「ねえ、パパ、いた?」と小声で颯友が聞いて来る。
「いや、いないな〜。もっと静かにしてないとダメなんじゃないか」
声をひそめる3人。しばらくして
「ねえ、パパ、まだ、いない?」
「、、、、、し、静かに!今そっちで何か動いた!」
「え〜!!!、どこどこ!どこ!」
「颯友、見てこいよ」
「え、やだよ〜、やばいじゃん!」
「じゃあ、パパが見てくるよ」
「だめだよ!危ないよ!怒ってるんでしょ、隠れてないとダメだよ!」
「それじゃあ、見えないよ。いいの?」
そう言うと、意を決したように、ライトを着けて、布団をはぎ取り、起き上がって、
「どこだ〜!!、出てこ〜い!!、俺が恐いのか〜!!」
と叫んですぐに、布団の中に潜り込んで来た。恐いのはお前だろ〜。
「どう、パパ、どう?」颯友が必死に聞いてくる。その横で海友は半信半疑ながら笑いをこらえている。
「あんな大声出したから、小人、ムッとしながらドアの下から出てっちゃったよ。多分皆が寝る部屋に行ったと思う」そう言うと、
「え、まじで、じゃあパパ、ハヤトたちも、ベッドに行こ!行こ!」と言って、3人でベッドへ。
「ここでも暗くしてないと、小人,出てこないぞ。静かにしてろよ」と言って、黙らせる。そうしているうちに、眠ってしまう。
と、こういう作戦で、どうにか眠りにつかせている。
キーポイントは、小人は、"ちょっとムッとしている"点だ。"優しそう"だと、探しまわるし、"メチャクチャ恐い"と、夜悪夢を見かねない。ということで、"ちょっとムッとしている"わけだ。
問題なのは、子供だけ寝かしつける作戦のはずが、自分も一緒に眠ってしまうことだ。
朝の正座して挨拶、2分の黙祷、そのあとの腕立て伏せは、意外にもまだ二人とも飽きずに続けている。
21日から予定していたインドロケはキャンセルした。家族を残して行くことはできない。ロケ先の、ediveの恭ちゃんからは「僕らもカオラックで経験してる事。もう独身じゃないんだから、今は家族の皆と一緒に居てあげてください。また越智家の皆に会える日を楽しみにしてます」とメールをもらう。
16日、二男颯友の友達母子が家に来た。男の子3人、上は海友と同じ年。合計男の子5人。外で遊べないから、家で大暴れしている。外で遊べないから、皆家の中でも、激しく遊びたがるが、あまり強くは叱れない。やっとどらえもんのDVD見せて落ち着かせた。
この日は、何度か大きな余震があった。子供たちは、その度に海友の勉強机の下に一斉に避難していた。
近くのスーパーでは、品物は少ないものの、何とか最小限の食料は手に入る。しかし、水が使えないから、レトルロ品やカップラーメンを食べることが多い。ラーメンのスープも、流せないから、残さず飲み干す。
関西から、懐中電灯やLEDランプ、食料など沢山送ってくれた方たち、ありがとう。感謝します。
17日復旧をメドに上下水道管工事を行なう予定だったが、まだ水は出ないし、排水もできない。洗濯物も溜まってきた。排水できれば手洗いもできるのに。
被災してから、下水道管がやられて、排水できない状態。多分1日に4人家族で1.5リットルのペットボトル分も流していない。手はウエットティッシュやテッシュを水に浸して拭いたり、食べるときには、サランラップをお皿に巻いて、洗わないで済むようにしている。いつまで続くのかな~。
17日、結局、輪番停電に組み込まれ、今日の2時半から3時間程度、計画停電が行なわれることになった。やっと、写真集の写真セレクトする環境が整ったのに。しょうがないから、子供と遊ぶことにした。
昨日まで、空いているからと少し離れた給水場へ車で水をもらいに行っていたけど、ガソリンの事もあるし、今日から一番近い給水場で水をもらうことにした。ちょっと並ぶけど、これくらい我慢しないといけない。
仕事の電話がかかって来る度に、「え、そんな状況なんですか?」と皆に被災してるとも思われていない中途半端な立場。そう思っていたけど、おかげで、節水もガソリンの節約も、被災してから暖房も一切使わず厚着してるし、資源の節約を実行できてるのかもしれない。
午後6時前、計画停電が終わった。停電前に、また颯友の別の友達母子が遊びに来ていた。何もできないので、巨大な段ボールハウスを子供たちに作ってあげた。3人が十分に入れる大きさだ。僕が入ろうとしたら「壊れるからパパはダメ!」とダメ出し。。。
暗くなってからは、関西から送ってもらった懐中電灯やLEDライドが役に立った。今後も輪番停電があり、18日にも夜7時から停電の予定だ。
僕らは、LEDライトも送ってもらったし、お風呂をトイレにしているからいいけど、公園や仮設トイレまで用を足しに行く人たちは、暗闇の中、外に出て行かなければいけないから、不安に違いない。
お風呂でやるトイレにもかなり慣れてきた。最初はビニールの中にちゃんと出来るか心配だったけど、今はしっかりピンポイントで処理できる。これだけビニールがあるのも、妻が買い物した時のを捨てずに取っていたからだ。
携帯を1日車の中に置き忘れている間に、沢山の人から携帯メールをもらっていた。返事したいけど、携帯メール面倒なので、時間かかります。ごめんなさい。気仙沼での結婚式4月に行なう予定が、11月に延期になったというメールもあった。ロケで参加できなかったんだけど、延期で参加可能に。複雑。
震災4日目、原発が不安な中、車で南行徳まで銭湯に入りに行く。何人かの方に、「家に入りに来れば」と連絡をもらっていたが、なかなか外にも出れない息子たちの事を考えると、広い温泉スタイルのお風呂の方が良いと考えてのことだ。
給水場への給水は、毎日の日課になった。ガソリンスタンドはほとんどが閉まっていて、開いてるスタンドも長蛇の列。震災5日目に見たあるスタンドでは、レギュラーが1リットル180円になっていた。数日で40円のアップ。。
計画停電の中に新浦安地域も含まれていたので、LEDライトや電池を買いに行ったが、どこに行っても、売っていなかった。ミナが関西方面の人にお願いしたけど、やはり手に入らないとの報告。どうしようと思っていたが、ダイビング用の水中ライトが家に沢山あったので、それがライトとして代用できるので、購入を諦めた。
津波の被害を受けた被災地、千葉県の旭市で計画停電を実行されて、避難所の電気が消えた事が報道された。その後、浦安地域は、被災地として、計画停電のリストから除外された。
18日金曜日まで、新浦安地区の幼稚園、小学校は休校と決まった。実質そのまま春休みに突入する。卒園式、卒業式も延期。
自分も21日からのインドロケをキャンセルすることにした。
地震よりも、原子力発電所の報道に、振り回されている。海外の友達からも、まだ日本にいるつもりかという連絡をもらう。
外で見る報道は、その渦中にいるよりも、深刻に感じてしまうものだ。しかし、今回の件に関しては、徐々に回復しているのではなくて、徐々に悪くなっている。「今の段階では」と識者はテレビで繰り返し言うが、じゃあ、この状況で最悪を場合はどんな事になるのかってことは、僕の聞いている限りでは言っていないように思う。
子供たちに、放射能の危険性を問われるが、説明してもピンと来ないようだ。
今も下水道管は詰まっていて、水を流すことができない。給水場へは毎日1回行っているので、問題無いけど、流せないから本当に少しづつしか使えない。長男の海友は、水を運ぶのを毎回手伝ってくれている。
別の場所への移動も考えてはいるけど、なかなか決断できずにいるのは、妻の家族が皆、新浦安にいて、同じような状況にあるからでもある。
上の写真は、大人の身長くらいまで、地面から飛び出してしまった、下水管とマンホール。元は地面に埋まっていた。
facebookなどで知り合った人や海外の友人などから、「家族の元気な姿を見せて下さい」と連絡を度々もらうので、facebookに子供たちの写真をアップしたりした。良かったと、100人くらいの人から、連絡をもらう。
国内の人からも、連絡をもらう。僕らはまだ、そうした善意の声や行動が届くところにいる。感謝できるところにいる。それだけでもありがたい。
子供たちは、相変わらず騒がしくてうんざりするのだけど、こういうときだからこそ、無邪気な笑顔にすくわれる。
震災から3日目、昨日は、体調を崩してまったく役に立たなかった自分だけど、今日は少しでもと思い、給水場の小学校まで水をもらいに行った。
震災の瞬間は、車に乗っていて、幕張から浦安に戻る途中の橋の上にいた。最初は突風が吹いているのかと思ったのだけど、道の左右のライトが激しく揺れているのを見て、地震だとわかり、とにかく橋を渡り切って、上に何も無いところで停止した。他の車も同様に止まっていた。
しばらくして、揺れが収まったので、すぐに家に戻るが、あちこちで道に亀裂が入り、液状化現象で道路には、泥水が溢れ出していた。マンションの駐車場に入ろうとしたが、駐車場の入り口が破壊されていて、中に入れないので、路駐して家に戻ろうとしたら、海友の同級生のお母さんに声をかけられ、妻と颯友は海友を迎えに小学校に行ったらしいというので、そちらに向い、合流することができた。
あの時間帯で、家族全員がすぐに合流できただけでも、本当に幸いだった。ただでさえ、海外に出てることが多いから。
この日の夜は、停電だったので、ロウソクと懐中電灯の光で過ごした。
しかし、その日の夜から、僕は急激に体調が悪くなり、高熱と下痢と嘔吐に見まわれた。上下水道が被災して、使えない状況で,トイレはバスにあるバケツにビニールを敷いてしなければいけない。大と小は分けていたのだけど、子供たちには分けてしろと言っても、大人の自分でさえ、難しいのになかなか出来る訳が無い。
翌日の買い出しは、妻が隣の人と一緒に行くことにした。家の前にあるスーパーマーケットは、食料や飲料水を求める人で大混雑だったそうだ。その人と手分けして、お隣の人が水を担当、妻が食料を担当して開店と同時に二手に別れて店内に飛び込んだそうだ。
しかし、ほとんどの人が水目当てだったので、ストレートに水売り場に向かった人はたどり着くのが困難で、食料担当で迂回して反対側から回った妻の方が誰よりも先にそこにたどり着いて、難なく、2家族分飲料水を確保できたそうだ。相変わらず運の良い人だと思った。
その後も、僕はお風呂の仮設トイレで、嘔吐と下痢を繰り返し、まったく役に立たない始末。悪寒もしてきたので、厚着をして布団の中にくるまっていた。出かける度に、給水の情報や、新たな物資を調達してくる妻に、「ごめんね」と謝ると、「一緒にいるから、子供たち残して、買い出しに行けるんだよ」と言われた。
2日目は、そんな妻の孤軍奮闘で終わった。他のエリアでは、下水道も破損しているのに、トイレを使用してバケツの水で流していたので、汚水が溢れ出して異臭を放っているとも聞いた。お風呂で、バケツをトイレ代わりにしていたのは、そんな理由もあった。
サランラップを沢山買ってきた妻は、「これをお皿に被せて食事してね。そうすれば、そんなに洗わないで何度も使えるから。
ペット用の強力消臭デオシートの購入は、一緒に買い出しに行った、ペットの犬を飼っているお隣さんのアイディア。これを使ってトイレに利用すればいいということだった。
身体を拭くのは、水に浸したタオルではなくて、もう着ないだろうTシャツなどの衣類を使った。そうすることで、洗濯しないで済むようにして、洗濯物を出さないようにつとめた。
3日目、嘔吐や下痢、悪寒は収まった。この日、自衛隊が船で300トンの水を浦安に届けに来るという連絡が入った。
体調もかなり回復したので、この日は給水場の小学校に水をもらいに行くのと、この近辺で唯一給油をしてくれるというガソリンスタンドにガソリンを入れに行った。しかし、20リットルの制限つきだ。幸い、そんなにガソリンは減っていなかったので、12リットルで満杯になった。
レギュラー1リットル140円だった。
妻の実家も、義姉夫婦の家も、この新浦安にあるから、どこも同じように、断水している。このエリアの上下水道の復旧作業は,17日をメドに進められている。多くの近隣の人たちが、ホテルに宿を取ったり、実家に戻ったりしていると聞いた。
家があって、電気がついても、水が無い生活は、相当ストレスになるのだろう。皆、お風呂には入りたいらしい。しかし、僕ら二人とも、ヤップとか様々な場所で、結構なサバイバル生活を余儀なくされた経験があるからか、あまり苦と感じない。子供たちも今のところ、特に不平は言わない。
それよりも、40リットルも給水してもらい、家に戻ってバスタブに入れたら、1/5にも満たないのを見て、いかに普段ふんだんに水を使えているかを思い知らされた。
海友の通う小学校には、仮設トイレが設置されていたけど、女性や子供がするには、やはり抵抗があるように思えた。
この日は、僕と入れ替わりに、海友が体調を崩し、吐き続けていた。夜には回復していたけど。
この地震の前まで、ちょっと地震が起きるだけで、「あ、地震だ」と言って、一人テーブルの下にいそいそと隠れていた颯友は、その後余震が起きても、「たいしたことないね」と言って、黙々と遊び続けていた姿が印象的だった。普通は逆じゃないのか。
とにかく、自分たちは被災者と言っても、東北の人たちに比べれば、暖も取れる家もあるし、電気も付くし、水もどうにか確保できる。もっと、もっと、救いの手を差し伸べなければ行けない人たちが沢山いる。
4歳になる二男の颯友が、僕の耳元で、「からてならいた〜い、からてならいた〜い」と何度も小声でつぶやき続けるので、近所で行なわれている空手教室の見学に行くことにした。それにしても、何で耳元で小声?
極真の流れを組む流派だそうで、フルコンタクトの組み手もあると聞いた。この日はキッズクラスの見学だったので、幼稚園の子や小学校低学年の子供たち中心。最初は見学だけということで行ったのだけど、その場に到着すると、また耳元で、ささやくように「やりた〜い、やりた〜い」とのたまうので、「あの、見学だけじゃなくて、実際に参加してもいいんでしょうか?」と訪ねると、「大丈夫ですよ」ということだったので、実際に体験もしてみることにした。稽古の時間はトータルで2時間。
しかし、その前に先生の方から、「もし途中で飽きてしまって、お父さんお母さんのところに戻ってきても、叱らないであげて下さい。10分でも15分でも頑張ったら、それを誉めて上げて下さいね」といわれた。誉めることで、空手への興味を高めて欲しいということだった。
この日は、他にも体験の子が5人ほどいた。皆最初は颯友同様に、一緒に最後列に並んでいたのだけど、やはり10分、15分で飽きて、後ろで遊び始めた。初めての稽古に参加して、2時間は、この年齢の子たちには正直長過ぎると思った。1時間くらいでいいのではと思ったのだけど、元々、落ち着きの無いところを鍛え直してもらいたいという願望もあったので、まあ少し飽きるくらいの長さでもいいのかもしれない。
そんな中、颯友は参加者のお母さんが側についていれくれた事もあってか、30分以上続けて稽古に参加し、途中から、友達と遊び終わって姿を見せた兄、海友の姿を見つけるまでは体験者の中では一番長く稽古に集中してくれていた。
本当は颯友より兄、海友に習ってもらいたいと思う父と母なのだけど。優しいんだけど、気弱なところがあるし、最近ちょっとダレ気味だから。
「お前もやれよ」と海友に言うと、僕の背中に隠れてしまう。「じゃあ、来週も見学来るから、やるか?」と訪ねると「来週ならやる」という返事。何事にも慎重ですぐには手を出さない。結構「石橋たたいて渡る」系の兄。それに比べて弟は、全て「やる〜、やる〜、やる〜、やる〜!」と言い続け、実際にやってみて、「やっぱ無理」と一度判断すると、とことんやらない弟。
まあ、海友はプール教室とサッカースクールにも通っているし、とは思ったものの、会費も安いし、できれば二人で空手着来て、稽古に参加して欲しいと思う父なのだった。
一旦は飽きて、兄と遊び出してしまったものの、1時間後に棒術の稽古に変わった途端に、また耳元で、小声で「やりた〜い、ぼうほし〜、やりた〜い、ぼうほし〜」とのたまい始めたので、「あの、体験者は、棒はまずいですよね」と訪ねると「振り回さないようにしてもらえれば大丈夫ですよ」とのこと。じゃあ、お願いしますということで、棒を借りる。他の体験の子たちもそれを見て、次々棒を借りて再度参加。
やっぱり、棒には子供たちが惹かれるの何かがあるんだろうな。
結局2時間まるまる稽古見学を終えて、先生や、面倒を見てくれていたお母さんから説明を聞いて、子供が入会していれば、お父さんは無料で稽古に参加できると聞いて、俄然自分がやる気になっていた。
会費に関しては、特に自分のようにほとんど出ることができない者にしれみれば、ネックではあったのだけど、「半年に1回のペースでお子さんと参加されるお父さんもいますよ」ってことだったし、会費無料なら、是非参加したい。
「本当に会費無しでいいんですか?」と再度訪ねると、「お父さんたちには、大会とか進級テストの時とかに、何かとお手伝いして頂くこともあると思うので、そういうことも考えてそのような対応をさせて頂いています」といのこと。なるほど〜、とても良心的。
ということで、見学に来て、一番空手熱が上がったのは、子供たちではなくて、自分だったかもしれない。しかし、そう思っている横で,妻が「あたしもやろうかな〜、はっ、はっ!」と嬉しそうに突きのまねごとしてたので、(あなたは、ゴスペルだけでいいんじゃない)と思いながら横目でそれを見ていたんだけど、何も口にはしないことにしておいた。
さあ、子供たちは、やる気になってくれてるのかな?もう少し体験で通って様子を見てみようと思っている。
オーストラリアから帰国して、成田空港まで家族が迎えに来てくれたときの車内でのこと。長男の海友は、小学校でこんな事したとか、水泳教室で、背泳ぎが難しいとか、サッカーの事とか、ポケモンゲームの事とか、友達のこととか、とにかく色々な事を話して聞かせてくれた。「パパ、今度は何日寝たらいなくなっちゃうの?」と聞かれて、ちょっと胸が痛くなった。でも、「今度は2週間以上いれるよ」と言うと、「本当に!!」じゃあ、いろんなことできるね」と嬉しそうに笑顔を見せてくれた。
「ところで、颯友は、幼稚園どうなの?」と訪ねる、、、、、、無言、、。「ねえ、颯友!聞いてる?ママ、颯友寝てるの?」と後部座席に一緒に座る妻に訪ねると「ええ、いびきかいてます。目を開けたまま」
「え?どういうこと?」と訪ねると
颯友が「ぐ〜、ぐ〜」といびきの音をわざと大きくして、寝ている事を主張する。4歳で今度は狸寝入りだよ、、、、。
しかも、「おい、そんな嘘のいびきはダメだぞ、ちゃんと質問に答えろ」と僕が言い、妻が「そうよ、ハヤトちゃん、寝てるふりしてないで答えなさい」と妻が優しく言っただけなのにも関わらず、急に身体を左右に激しく振って、号泣(と言っても、涙は一切出ていない)して、「寝ちゃいけないんだったら、一番後ろに座るか、お菓子ちょうだい〜!!わ〜、ママが寝ちゃいけないって言った〜!!寝ちゃいけないんだったら、一番後ろに座るか、お菓子ちょうだい〜!!」
、、、、誰も寝るなとは言ってない。この理不尽な交渉術はいつの間に習得したのか、、、。第一、一番後ろの座席はスーツケースを積んでいて、シートベルトできないから、危ないし、それに警察に捕まるかもしれないからダメだし、お菓子も誰も持っていない。
「何こいつ?」と呆れて妻に訪ねると
「ね〜、最近いっつもこんな交渉するんだよ。ほんとう、疲れるよ」と妻。確かに、その後も奴に都合の良い、理不尽な交渉が何度も交わされた。
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家に帰ってからは、ソファーで横になる僕に、海友と颯友がまとわりついてきて、最初は嬉しいんだけど、だんだん重くてうざくなってくる。2日目ですでに嫌気がさしている。
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ソファーのカバーを洗い、ソファーの下に掃除機をかけるので、動かしていたら、二人が「わ〜!!」と言いながら、移動したソファーに潜り込み、その上にカバーを外したクッションを乗せて、「サンドイッチになりたい!サンドイッチになりたい!」と叫び始めた。
どいてくれないと、ソファーを元の位置に戻せない。それどころか、「パパ写真撮って!写真〜!」と最近は撮ろうとしても、逃げるくせに、こういう時だけ撮影をせが見やがって!
で、さっさとどいて欲しいから、結局撮影したんだけど、その後も二人の占拠は続き、妻が「どきなさい!」と言っても抵抗を続け、最終的には、基地にされていた。
なんだか、まったく旅の疲れは癒されない日々が、帰国して、ここ2日間ほど続いている。僕の安息の場所はどこにあるのだろうか。
これも、ちょっと前の事。家族でヤップに旅行に出かけたときに、途中から友達家族が合流したときの話だ。
3歳になる男の子の家族が、島の中のストーンパスという伝統的な石畳の道を見学に行ったときに、道がわからなくなり、長男の海友がそれに気づいて、道案内をしたそうだ。そのときの事を、メールで教えてくれた内容を以下に掲載します。
「YAPでは本当にお世話になりました。
HPにも書き込みさせてもらいましたが、
旺太郎は本当にあの5日間(実質3日間)で成長しました。
帰ってからの表情が全然違います。
ボートも絶対乗れないかと思ったのに
海友くんと颯友くんが乗っているから
乗れたようです。
海にもあんなに躊躇なく入っていくなんて
驚きました。
海友くんは本当にいいお兄ちゃんでした。
細かいところまで気配りして、旺太郎をいたわってくれました
。
そればかりか、ストーンパスでは、とても頼もしいガイドをし
てくれました。
ミナには話したけれど、海友くんの心優しい言動に
私は何度も涙がでそうなくらい感動しました。
一番印象的だったのは
「ねぇ、おうちゃんが怪我とか病気したら、つらい?」
と、突然、ストーンパスからの帰りに建築中の家へ寄った時に
聞いてきたのです。
「もちろんだよ~自分が怪我や病気するよりつらいよ。
海ちんのパパやママもそうだと思うよ」
と答えたら、
「うん。あのさ、宝物だから、大切だから、だよね」
と言ったのです。
あとでミナに聞くと、海友くんのお友達で、石が目のそばに当
たって、怪我をしてしまった時にミナがそういう風に
言い聞かせたみたいですね。
本当に素直で優しい、そして元気で逞しい
とってもいい子に成長していますね!!
旺太郎にもぜひそうなってもらいたいです。
ほんと、できることなら、越智家に入門?させたいものです(
笑)
颯友くんは、まだ旺太郎が遊びのルールを守れないのに
もどかしさを感じることがあるようでした。
でも、それも仕方ないことなんだ、とわかってくれているよう
で優しくしてくれましたよ。
ぜひ今後も、一緒に遊ばせてください!!」
子供の成長は、親だけでなく、周囲にいる人全員で見守っていける、そういう社会であればいいなと思っています。オーちゃん、また、一緒にヤップやキャンプに行こうね。
西オーストラリアのパースに着いたらすぐにアップしようと思っていたんだけど、マックのACアダプターを忘れてきて、それを手に入れるまで何もできなかったので、ちょっと前の事だけど、アップします。
話は、ミャンマーから帰国直後の妻の誕生日。リビングのソファーで寝ていたら、朝早く、なんと5時に起きてきた長男の海友が、「パパ、おかえり〜。あのね、一緒に作ってもらいたいものがあるんだよ。ママが起きて来る前に」というので、「何?」と聞くと、「折紙で、リングをつなげて、お誕生日のお祝いに飾り付けしたいんだよ」と言いながら、少し作りかけのリングを持ってきて僕に見せた。
「了解」本当は、帰国したばかりで、少しでも長く眠っていたいくらいに身体はだるかったのだけど、息子が母親の誕生日をお祝いしようと、一生懸命何かをしようとしているのを、疲れているからと言って断るのは良く無いよなと思い、眠いのを我慢して起き上がり、一緒にリングをつなげ始めた。
同時に海友は、切り絵をいくつも作って、壁に貼付け始めた。リングをキッチンとリビングの間の天井に飾り付けて、最後に、折紙一つ一つに「マ」「マ」「お」「た」「ん」「じ」「ょ」「う」「日」「お」「め」「で」「と」「う」「か」「い」「と」「と」「ぱ」「ぱ」と自分で書いて、ウインドウに貼付けた。
ちょうどタイミング良く、妻が二男の颯友を連れて起きて来た。「ママ、お誕生日おめでとう!見て!パパと一緒に作ったんだよ!」と嬉しそうに妻に告げる。当然、妻は大喜びで、「かいと〜ありがとう〜、ママすっごく嬉しいよ」と言って海友を抱きしめていた。
僕は、また疲れ果てて、ソファーに倒れ込む。何故か、その顔の上に、寝起きの悪い二男の颯友が覆いかぶさり、呼吸が苦しくなりながらも、二人で二度寝を始める。
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学校から帰ってきて、夕食を食べる前に、海友が「ママにお誕生日のお祝いのサンドイッチを作ってあげる」と言って、ハムとチーズ、マヨネーズを塗ったパンを作って、トースターに入れて,パンを焼き、取り出したそのパンに、「ママ、おたん」まで書いたところで、スペースが無くなった。
それを4等分して、4人で分けて食べた。二男の颯友は、まだ小さいのもあるけど、食べるだけ。それにしても、ママの誕生日のお祝いに兄が作ってくれたサンドイッチなんだから、もっと、こう、ちゃんと食べれないのかな。
後半は、男の子3人でつるみ始めた。Oちゃんが、家の暴れん坊たちから、悪い影響を受けなければいいがと心配したが、やはり、小さな子供には、奴らの自由奔放な生き方は刺激的だったらしい。。。
昨年末のヤップでの冬休み。後半には、バハマのリピーター数名が遊びに来てくれた。その中には、2歳のOちゃんもいた。前にも何度か会っているので、海友や颯友と一緒に遊ぶのが大好き。最初は、海に入るのも、ボートに乗るのも怖がって泣いていたんだけど、少し大きなお兄ちゃんたちが平気で入っているのを見ていたら、いつの間にか平気になって、一緒になって遊んでいた。都会から、自然の中にやって来ると、これくらいの年齢の子が、皆、新たな環境で成長していくのが手に取るようにわかる。ちょっとの間で、Oちゃんも、沢山成長していたね。
その後も、ヤップでの秘密基地作りと、自然の中での子供たちの暴れっぷりは、続いていた。どの村に行っても、颯友は、その辺にいる、犬だけでなく、豚まで可愛がる。餌をあげたいと、せがむ。しまいには、犬たちと一緒に外で寝ると言う始末。
そして、長男の海友は、7歳にして、初めてのダイビングに挑戦した。もともと、ダイビングより、スキンダインビングで海に慣れて欲しいと思っていたので、特に今回もダイビング用の機材やマスク、フィンなどは持ってきていなくて、あるのは、ゴーグルだけ、それに、潜るのも、僕の装着した機材のオクトパスをくわえて一緒に潜った。
水自体は怖がらないのだけど、さすがにゴーグルでは鼻がカバーできないから、無理かなと思ったのだけど、最初の1回だけ、「耳がいたい」と言うので、耳抜きの方法を教えたら、すぐに覚えたらしく、怖がらずに、どんどん下まで降りていった。最終的には、水深10m砂の海底まで潜行。
海底まで付くと、嬉しそうに裸足で砂の感触を楽しんだり、手にすくったりしていた。しかし、突然、指を上に向けて激しく浮上の合図を出した。1秒でも早く浮上したそうだったのだけど、落ち着かせるように、ゆっくりゆっくり浮上した。
ボートに戻ると、「どうした、大丈夫か?」とたずねると、「のどが乾く、これ〜!水ちょうだい!」と言って,水筒の水をがぶ飲み。そのご、「面白い!ねえ、もう一回、もう一回!」と何度もダイビングしたいとせがみ始めた。
しかし、やはり喉は乾くらしく、5分くらいで浮上。喉の乾きさえ、クリアすれば、ゴーグルでこれだけ潜れるのであれば、一人で潜れるようになる日もそう遠くないな。
二人とも、なんだか、日々たくましくなっている。
海友は、ダイビングしたのが本当に嬉しかったのか、海から戻ってくると、ダイビングしたことを絵日記にしていた。
5日目、6日目、7日目、8日目と写真日記を付けるのを忘れていたので、その数日間で行なったことを並べてみる。
相変わらず、朝はヤドカリ取りから始まる。
隣村や街までは、トラックの荷台に乗って、出かける。
ゲストのランドツアーについて行き、ストーンマネーと一緒に記念撮影。
戻ってきたら、早速素っ裸になって、海で遊ぶ。
日が暮れるまで、遊ぶ。
颯友は相変わらず、犬たちを可愛がっている。犬たちも、そんな颯友に心を許しているのか、いっつも、しっぽを振りながら、颯友に近寄っていく。
秘密基地の方は、ジョンが家の前の木々を伐採してくれて、眺めが良くなった。
アグリカルチャーからもらってきた植物を植えてみた。プルメリアは、枝を切って、それを植えれば成長するよって言われたので、言われた通りにしてみたけど、大丈夫かな?
本日、ヤップから帰国しました。現地では、ネット環境が悪くて、一つのブログをアップするのに、2時間近くもかかってました。電話回線で他にも利用しているので、なかなか使えず、結局2週間いたのに、最初の3日感だけで精一杯。でも、せっかくなので、続けてヤップでの冬休みの日々をアップしていきます。
毎日部屋の前で寝ている犬たちに、朝の挨拶をする颯友。
朝食を食べに出たのに、いつの間にか二人とも素っ裸でビーチで遊び始めた。まるで、海洋ほ乳類の子供たちのようなはしゃぎよう。
朝食を食べ終わると、建築中の家まで行って、ペンキ塗りと、土壌を耕す作業をすることに。日差しが暑いので、子供たちは日陰でペンキで遊び始めた。
男性陣は中庭に植物を植えるために土壌を掘り返す。ここに木屑なども混ぜて、土壌を肥えさせる。炎天下では、重労働。あっという間に汗が吹き出した。
女性陣は、飲み物の調達。それに、ヤップ人のシンディーの家に、あらたに植えたい植物をチェックしに出かけた。このヤシの実、甘くて,最高に美味しかった。
気づいたら、子供たちは、自分たちのサンダルにまでペンキを塗り始めていた。これじゃあ、しばらく履けないよ。
サンダルだけじゃなくて、手もペンキだらけ。でも、めちゃくちゃ嬉しそう。
と、思っていたら、颯友はおもむろに、両手をペンキの中に付けて、まるで、水色のビニールグローブ状態に。おいおい、、、、
と呆れていたら、またまたおもむろに、「このやろ〜!!」と叫びながら、スタッフのミカちゃんの服にそのペンキをなすり付け始めた。このやろ〜はお前だ!「ア〜!何て事するんだ、颯友!」。と叫ぶと、「いいんですよ。自分でも付けてるし」と優しいミカちゃん。
作業が終わると、暑いから早速海へ出かける
二人とも超楽しそう。遊んでいる間に、ジョンが、今晩の食事用の魚を突いてくれていた。
夕食後、部屋に戻ると、颯友の勉強を海友が教えてあげていた。
朝から、二人でヤドカリ探し。朝のヤドカリ探しは毎日の日課に。子供って何でヤドカリが好きなんだろう。
ほら、こんなに見つかったよ。捕まえては逃がして、また翌日捕まえてを繰り返しているから、きっと毎日捕まっているヤドカリもいるんだろうな。
「ほら、見てママ!」と、成果を母親にも報告。
街に出かける前は、兄弟でビーチで水遊び。おさがりの海パンを着ている颯友、サイズが合わずにずり落ちてばっかり。
足りなかったペンキと、家のフロアーに敷くタイルを見に街へ出かける。ついでに政府観光局にも立ち寄って、今後の打ち合わせ。
アグリカルチャーでは、20個以上苗木をもらう場合は、ただで譲ってくれる。庭に沢山の花と果物を植えたいというミナの意見で、苗木をもらいに行った。
譲ってもらった苗木の種類は12種類、27苗。マウンテンアップル、シトラス(レモン)、ハイビスカス、コーヒー、ジャパニーズマンゴー、バニヤンツリー、パンの木、ドランゴンフルーツ、ヴァニラ、火炎樹、グレープ、ハワイアンチェリー。
パパイヤやバナナ、ココナッツなどは、すでにその辺に自生している。
また、欲しくなったら、取りに来て下さいと、言われた。
できれば、家の側に大きな木を育てたい。次はマホガニーの木ももらって来ようと思っている。
戻って来てから、釣りに行くか、ペンキ塗りするかで、意見が別れたのだけど、色々立ち寄っていたら、遅くなって来たので、ペンキ塗りをすることに。今日は、二人は、ハケを使って、土台の柱にペンキを塗った。
大人たちは、ロールにエクステンションを付けて、高い部分に、下地のペンキを塗る。
夕暮れ時、ロフト部分で、記念撮影。
なかなかペンキ塗りが終わらずに、退屈し始めて、車の上でゴロゴロ。暗くなってきたし、そろそろ帰ろうか。
ヤップに来て、とても犬を可愛がる颯友に「日本でも犬飼いたくなった?」とたずねたら、「いい」という返事。「何で?」と聞くと、「だって、飼ったらさ〜、犬残していろんなところに行くの、可哀想でしょ。だ〜から、犬はヤップのでいい」。う〜ん、4歳にしては、なかなか大人な回答。。。。しかし、、、いろんな所に行くつもりらしい。。。。
夕食の後は、DVDのトムとジェリーを観て過ごす。
朝、捕まえてきたヤドカリをレストランのテーブルの上に乗せて遊ぶ。
他に子供もいなくて、しょっちゅう、喧嘩もするけど、いっつも二人で遊んでる。
朝食の食べ残しを犬たちにあげたいという颯友。残りを外に持って行くと、あっという間に犬たちに食べられてしまった。
朝食の後は、バルコニーでお絵描きしたり、
ターザンロープで遊んだり、
ヤシの木登りをしたり、
ヤップの伝統的カヌーに乗ったり、
カヤックに乗ったりして遊んだ。
午後からは、家に塗るペンキを街に買いに行き、ペンキ塗り。ライズダイビングセンターのスタッフが手伝ってくれる。子供たちは、しばし、お昼寝。
お昼寝が終わって、犬たちと一緒に子供たちがやってきた。
早速、「塗りた〜い!!」ということで、下地のペンキ塗りを始めた。
高い場所は、エクステンションの棒を使って。
奇麗に、下地を塗り終えた壁。ヤップ滞在中、秘密基地と呼んでいる、海の見える丘の上に建つ、この小さな家の建築を、家族で手伝っていくことになる。
12月14日、海友と颯友は、小学校と幼稚園を少し早めのお休みを取って、父の仕事に付き合って、ミクロネシアのヤップにやってきました。
成田から出国の際、飛行機に搭乗するときに、空港警備員の人に4人のチケットを渡すと「オチハヤトさんはどなたですか?」と4歳のハヤトだけが呼び止められる。「え?ハヤトですか?ハヤトはこいつですけど」とハヤトを指差すと、警備員の人は「すみません、セキュリティーチェックさせてください」と申し訳なさそに颯友に伝える。「え?ハヤトだけですか?」とたずねると、「ええ、ハヤトさんだけです」とのこと。ハヤトは自分だけチェックを受けるのを、とっても自慢気で、嬉しそうにしていた。それどころか、協力的で、一通りチェックが終わったのに、「くつは脱がなくていいんですか〜?」とたずねて、「脱がなくていいですよ」と断られてちょっとがっくりしていた。
4歳の二男だけがチェックを受けてる状況がおかしくて妻は写真を撮ろうとしてたけど、こういう場面の撮影は、当然の事だけど、禁止されてるので、「写真はちょっと〜」と断られて、こちらもちょっとがっくりしていた。
何故颯友だけチェックされたかと言うと、飛行機のボーディングチケットにssssと4つのsが付いていると、要セキュリティチェックの意味で、今回のチケットでは、颯友のチケットにだけ付いたいたからだ。別にチェックインのときに、奴だけ、怪しいと思われて付けられたのではなくて、このマークはランダムに付けられる。とは言っても、チェックインのときも、搭乗のときも、4人の中で言動が怪しかったのは、颯友が一番だったのには間違いないのだけど。
成田でヤップのダイビングサービスのオーナーの大ちゃんとスタッフの女性のミカちゃんと合流。経由地のグアムに到着。海友と颯友の二人は、トランジットの間、二人で走り回っていた。
ミナは、おみやげを買いに、DUTY FREEへ、僕は最後のメールチェックでラウンジへ。その間、大ちゃんとミカちゃんに海友と颯友を見ていてもらうことに。
で、戻ってきたら、海友が走り回りすぎて、足首を捻挫したという。ミカちゃんが、自分のハンカチを濡らして、海友の足首に巻いてくれていた。
現場を見ていなかった僕は、どれだけ痛いのかが想像がつかず、痛いからだっこしてと泣く海友に「もう小学生なのに、抱っことか言うな!いつまでも泣くんじゃない!」と厳しくしていた。ヤップ到着が深夜だったせいで、眠かったこともあり、海友は片足を引きづりながら、さらにぐずぐず。どうやら、本当に痛いらしい。。
ヤップ到着初日、早速お気に入りの犬のケチャと遊ぶ二男、颯友
海友は、ビーチにあるターザンロープがお気に入り。足痛くて、ぐずぐずだったのに、朝になったら、足引きづりながら、遊び回っていた。
午後からは、ボートに乗って、海へ。僕らがダイビングしている間は、ミルチャネルで水遊び。
帰り、海友はしばらくボートを操船させてもらう。車の運転もそうだけど、こういう場所だから、させてもらえる楽しみもある。
遊び終わったら、ヤシの木から実を取ってもらい、そのまま果汁を飲む。
果汁を全部飲み終わったら、半分に割ってもらって、中の果肉を食べる。ココナッツは、海友の大好物だ。
颯友は、いっつもお気に入りのケチャと一緒。
リゾートの上の丘に造っている秘密基地を見学に行く。ロフト部分は子供たちの遊び場になるのかな?海が見渡せて、眺めは最高。
昨日は、僕の父方の祖父の37回忌だった。毎回、忌日、年忌の法要は、欠かさずおつとめをしていた。今回もロケで不在がちな自分の都合の良い日程で、法事の日取りを決めてくれていた。
富士山の近くにある、祖父のお墓に、両親、兄弟家族でお墓参りに行き、一緒に食事をした。最近では、正月でもあまり会わなくなったりしているから、兄弟家族と会うのは本当に久しぶりのことだった。
海友と颯友と一緒に写っている、まりあも、2年前にヤップに行って以来。
別に自分が信心深いという分けではないのだけど、子供たちには、先祖を敬う気持ちは、しっかり持っていて欲しいと思うので、こういう事にはなるべく参加させることにしてる。
しかし、ご法要の部屋に入るなり、読経をして頂く僧侶の方がすでに、いるにも関わらず、二人は、杢魚の鉢と、鈴の鈴棒をわしづかみにして、杢魚と鈴を嬉しそうに叩き始めた。
慌てて止めに入り、「す、す、すみません」と謝ると、「家の子も、同じでしたよ」と優しい言葉をかけて頂いて、ほっとした。
そのちょっと前、高速のサービスエリアで、僕が焼き鳥を買っているときに、颯友が姿を現したので、「颯友、焼き鳥いる?」とたずねると、一瞬並んでいる焼き鳥を見て、「いらな〜い!」と大声で即答。焼き鳥を売っていた年配のご夫婦らしきお店の人たちが、そのあまりの元気の良さに笑い出してしまった。
「欲しくなったら、お父さんのもらえばいいからな」そうおじさんが笑顔で言っているのもまともに聞かずに、走り去って行った。
その直後に、今度は海友が姿を見せたので、「海友、焼き鳥いる?」とたずねると、やはりしばらく眺めてから、遠慮がちに、「僕は別に欲しいものがあるんだよね」と言ってまた走り去って行った。
「・・・す、す、すみません」二人に拒絶され、立つ瀬の無い、僕は、お店の人に申し訳なくて、謝った。
お店のご夫婦の奥さんらしき人の方は、笑顔で「なんか、いじりたくなる子供たちね」と言ってくれた。「す、すみません、やんちゃなんで・・・」と言うと、「そうじゃないわよ、子供らしくて可愛いってことよ」と言ってくれたので、ほっとした。おじさんも、にこにこしながら、「いいね、子供はあ〜じゃなきゃね」と言いながら、焼き鳥を詰めてくれていた。
焼き鳥を受け取り、車に戻って中を確認すると、焼き鳥が1本大目に入っていた。おまけに、タレも大量にかかっていた。
サービスの焼き鳥は、子供たちのためだったのかもしれないけど、子供たちには、あげずに、黙って僕が全部食べた。
昨日の子供たちの集まりで、颯友が皆に披露したがったのが、このヘビメタの仮装。ハロウィーンのときに、ブログアップしたけど、あれは携帯で撮影したものだったので、鮮明なのをアップしてみました。
二人ともかなりノリノリでなりきってる感があります。
特に颯友の、微妙に揺れる、横ヘッドバンギングは、見物。あんな首の動き、普通できなさそうなんだけど。。。今度動画で押えておきたいシーンの一つ。
「ちょっとやってみて」とたった今、伝えたところ、二人してヘッドバンギングで、攻撃してきた。「うぉ〜!!」「うぉ〜!!」
痛い!まじ痛いからやめろっつーの!
昨日は、バハマのドルフィンクルーズに参加してくれたことのある人たちが、子供たちを連れて、家に遊びに来てくれた。長年クルーズをやっていると、こういう家族ぐるみの友達も増えてくる。ここ最近は、バハマチームのベビーラッシュが続いている。
海友と颯友は、その中でも年長者。年長と言っても、海友が7歳で颯友は4歳になったばかりだけど。この日やってきたのは、2歳の男の子2人に、生後4〜5ヶ月の男の子と女の子。
皆が来ると言うので、朝から頑張って片付けた部屋も、あっという間に、ご覧のありまさ。まあ、大勢いようが、海友と颯友しかいなかろうが、だいたい、ほぼ毎日、こんな感じだけど。
散らかしては片付け、また散らかしては片付けの連続。特に男の子だからか、「片付ける」という文字は、奴らの頭の中の辞書には、無いらしい。
小学校1年の兄の海友は、子供たちとあまり絡むこと無く、近所の友達の家に遊びに出かけてしまった。
そうなると、いつもはきかん坊で暴れん坊の颯友が、一応年齢的にはリーダーになるのだけど、どう考えても、仕切って一緒に遊ぶ年齢ではないので、写真のように、それぞれが自分のテリトリーで、プラレールを作って遊んでいた。
まあ、それまでは散らかるだけで、良かったのだけど、たま〜に、それぞれが領海侵犯して、他の子供のテリトリーに侵入してくる。特に颯友の作ったプラレールに興味を持った、下の子たちが、レールの上で違うものを、颯友の意図しない方向とかに走らせ始めると、こだわりの強い奴としては、どうにも我慢ができないらしい。
しかし、普段は兄が相手だから、ただ向かって行って、叩き合い、蹴り合いの喧嘩をすればいいだけのことなんだけど、この日はそうはいかない。あまりに、自分の思い通りにいかなくて、「そこは、そうじゃないんだよ!」と頭かかえて、自分の窮状を訴えかけるような顔をしている。
奴なりに我慢に我慢を重ね、とうとう我慢できなくなって、母に泣きつき、我関せずと颯友のプラレールで遊んでいた年下の男の子たちに、一瞬蹴りを入れそうになった。
一瞬「あ!」と思ったが、しかし、奴は、寸止めでその蹴りを止めて引っ込めた。きっとそこに兄、海友がいたら、間違いなくあの横蹴りは、顔面か脇腹にヒットして、大げんかになっていたに違いない。
周囲には、大人たちの目があるし、何より自分より小さな子供たちだから、暴力で打ち負かしてはいけない(。まあ、暴力で打ち負かしちゃう子もいるのだろうけど)颯友は、奴なりに、下の子を叩いたり、蹴ったりしてはいけないと認識しているようだった。
その代わりに、暇(他の子の相手をしていない)お父さんに絡んでは、肩車をせがみ、上から、バシバシ叩き、ガシガシ蹴り入れていたけど。しかも、とても嬉しそうに。。。
生後数ヶ月の二人は、そんな颯友の葛藤とはまったく関係無く、平和に(?)過ごしていた。大人たちは、そんな二人の<笑顔>の写真を撮影しようと必死に頑張ったのだけど、この年齢の二人が上手いタイミングで笑ってくれるというのは、無理があった。
その内、海友が学校の友達を連れて家に戻ってきて、挨拶もそこそこに、その散乱した部屋に座り込んで「トムとジェリー」を観始めた。おかげで、他の子たちもDVDを見入って、静かにはなったけど。写真は、帰り際に皆で集合写真撮影してるところだけど、子供たちは皆、「トムとジェリー」視線は釘付け。颯友は、相も変わらず、大人たちに飛びかかっていっていた。
ドタバタで大変な1日だったけど、楽しかった。もっと、大きくなったら、皆で近所の海の公園にバーベキューをしに行きたいな。また、遊びに来てね。
The real story of a inspirational love between a father and a son. More info: www.teamhoyt.com Based on the videos: http://www.youtube.com/watch?v=IPSUrR3ipQc & http://www.youtube.com/watch?v=Fs1tcRqedgk
この人のようには、できないけど、子供たちのために、家族のために、できる限りの事をしてあげたいと思っています。
週末、毎年キャンプを企画してくれている仲間たちと一緒に、サンタクロースの森「サンタヒルズ」へ出かけた。キャンプは毎年子供たちも楽しみにしている。今年は、海友、颯友より小さな男の子2人も参加して、合計22人もの大所帯。
最近、ゴスペルを習いに行っているミナ(妻)の調子がかなりいい。調子がいいというのは、歌が上手くなったとか、そういうことではなくて、とても上機嫌だということだ。
クリスマスコンサートが近いからなのか、自分はヤップに行く予定だから、参加はしないにも関わらず、家でも歌を歌い続けたり、録音した皆の歌声を流したりし続けている。
楽しそうにしているから、それはいいのだけど、あまりに楽しそう過ぎて、対応に困るときがある。昨日も、僕が仕事部屋で写真集用の写真の整理をしていると、突然姿を現し、「ねえ、歌ってあげようか」と嬉しそうに言う。
僕が、チラ見したあと、すぐに背中を向けて作業しながら、「え、う、うん」と曖昧な返事をしているときには、既に,ミナ(妻)はとても嬉しそうに声高らかにゴスペルを歌い出している。超楽しそうな笑顔で、身体を左右に振りながら。。。
その声を聞きつけた、子供たちが、リビングから仕事部屋に走ってやってくる。しばらくはそんな妻を見上げているのだけど、二男の颯友が突然、「ママ、こわ〜い〜、ママこ〜わ〜い〜」と叫びだす。
長男の海友は、僕の机の下に潜り込む。僕は無言で背中を向けて、どうしていいのかわからず、半笑いを続けている。
それでも、ミナは僕の後方でさらに嬉しそうに歌い続ける。
「ママこわ〜い〜、ママこわ〜い〜」と颯友が、叫び続け、海友はさらに机の奥に潜り込む。
「あら、こわいかしら〜ららら〜」とミナは、自分の足にしがみつく颯友に顔を覗き込み、ゴスペルというよりは、まるでミュージカルのような口調で話しかけている。
「あはははは、あはははは、ママこ〜わ〜い〜、ママこ〜わ〜い〜。あはははは」。あまりに恐過ぎたのか、颯友はこらえ切れずに笑い出してしまっていた。
これが、我が家の日常。いつも子供のことばかり書いているけど、実はネタとしてかなり色々やってくれるのは、ミナ(妻)だったりする。まあ、そのおかげで、家の中はいつも明るいんですけどね。
ちなみに、写真は、まったく関係無い、子供たちの家での散髪シーン等です。
昨日は、二男颯友の誕生日だった。急遽決まったパラオロケで、ハロウィーンも、誕生日にも一緒にいてあげることはできなかった。幼稚園の入園式も、運動会もいれなかった。あまりに父親不在のせいで、ぐれないか心配。そのせいか、幼稚園の制服の着方もどことなく、不良っぽい。
「ハッピーハローウィーン!」
というメールと一緒に写真が送られてきた。どうやら、二人ともヘビメタらしい。でも、颯友、かぼちゃ被ってるけど。。。妻がどうしても、今回を最後に、毎年颯友の恒例だったかぼちゃを着せたいとか、パラオ出発前から言っていたけど、まさかこの出立ちとは。。。おしゃれ男子の颯友、気にならないのか?あるいは、奇抜な格好を気に入っているのだろうか。。
昨日は、今年のバハマ1週目の参加者の人たちが、沢山のお料理と、子供たちへのおみやげを持って、家に遊びに来てくれた。
ただでさえ、テンションの高い二人。特に3歳児の暴れん坊、颯友の勢いに拍車がかかり、家の中で皆を捕まえては暴れ回っていた。
長男の通っていた幼稚園も、どちらかと言えば、自由奔放に好きなことをやらせる方針のところを選んで入園させたのだけど、今颯友が通っている幼稚園は、そこにも増して、さらに自由奔放に遊ばせているらしい。脳天気な妻が、たまに、「これで大丈夫かしら。。?」とちょと不安になるくらいらしいから、相当なものだと思う。
これにはちゃんと理由があって、小さい頃に、「あれはダメ、これはダメ」とやりたいことを押さえつけることで、子供たちはストレスがたまり、将来「キレ易く」なるということらしい。そのため、小さい頃は、とにかくやりたい事をやらして、パワーを発散させることで、「キレにくい」子供に育てて行くという方針なのだそうだ。
幼稚園での活動を妻に聞くたびに、「面白そうなことしてるな〜、いいな〜」と自分は思ってしまうのだが、人によっては、きっと、「そんな事してるの?」と呆れてしまう人もいるのかもしれない。
まあ、おかげで二男は、かなりやんちゃで面白いキャラクターになっていることは間違いない。これで、本当にキレない子供に成長してくれれば、今の苦労はたいしたことじゃないと思うことにしている。
そんな成長っぷりを見て、遊びに来てくれた人たちはどう思ったんだろう。笑顔で対応してくれていたけど、大丈夫だたのかな?色々ご迷惑おかけしてすみませんでした。来年のバハマをちょっとだけ心配しつつ、長男がお兄ちゃんになって、しっかりしてくれていることだけを願っている。今から、二男が大人しくなるとは到底思えないから。
昨日は長男の学校開放日だった。家で仕事していたので、妻と一緒に見学に行くことにした。まだ建って数年の校舎は、船をテーマにしたおしゃれなデザインで、ところどころに遊び心が満載だから、たまに行くと自分も楽しくなってくる。
そんな校舎の廊下の壁に、沢山のカラフルなゾウの絵が展示してあった。子供たちの描いた、ゾウのエルマーの絵だ。カラフルで、個性的なエルマーたちが、壁いっぱいになっていて、見ているだけで楽しくなった。カメラを持っていっていなかったので、携帯で自分の気に入ったエルマーを撮影していたら、4クラスあるので、結構な数になってしまった。でも、せっかくだから撮影したしたもの全部アップしよう。皆さんはどのエルマーが好きですか?
ジャングルの奥に、楽しそうに暮らすぞうの群れがありました。ぞうたちはみな同じぞう色ですが、その中でエルマーだけがつぎはぎ、まだらのぞう。体は、きいろ、だいだいいろ、あか、ももいろ、むらさき、あお、みどり、くろ、そして、しろ......と、ぞう色ではありません。みんなを笑わせる主役はいつもエルマー。でもエルマーにとって、自分だけ違っていることは悩みのたねでした。そこである日、エルマーは「ほかの ぞうと おなじいろに なりたいな」と考えて、こっそり群れを抜け出します。
体中、あふれるばかりの色でいっぱいのエルマーはジャングルの人気者。自分だけまわりと違うことに悩み、なんとか同じになろうと試みます。違っていることが個性であり魅力であることに気づかず、まわりに同化しようとするエルマーの姿はちょっぴり悲哀的。けれども、本来の明るい性格が仲間たちとの融合を招き、みんなで一緒に「違い」をお祝いする「エルマー記念日」がお話の最後を飾ります。お互いがお互いを認め合い、楽しく晴れやかな気分でお祭りのパレードするぞうたちの姿には、個性の尊重が象徴されているとも言えるでしょう。カラフルなエルマーは、小さな子供たちの人気者になること間違いなし。いろいろな模様の、いろいろな色のぞうが登場する「エルマー記念日」。これを祝うぞうたちの表情がすてきです。
昨日、「家にいて、ダラダラしてるのなら、颯友と一緒に公園行って、どんぐりとまつぼっくり拾って来て」と妻に言われた。確かに、南アフリカ出発前なので、家で行なう作業してたり、打ち合わせもSkypeやメール、電話で済ませたりしてるんだけど、決して仕事してないわけじゃないんだけど。。。。でも、公園はともかく、なんでどんぐりとまつぼっくりなの?
でも、まあいいかと、二男を連れて車で公園へ出かけた。公園の名前は、「オムレツ公園」。なんでオムレツ公園なのかと言うと、写真のような、黄色くて巨大なジャングルジムがあるから。
で、その公園の中に植えてある樹木に、どんぐりや松の木があるので、拾って来てというのだ。この公園、颯友の通う幼稚園の目の前。時間帯的(午後3時前)に、まだ幼稚園からの帰りに、談笑しているお母さんと子供たちが集まって会話していた。
同じ幼稚園に通う子供たちのお母さんだし、これからこの公園で、ビニール袋持って、隅っこをうろうろするから、怪しい者では無いですよという意思表示も含めて、「こんにちは〜」とは言ったものの、小声だったので、きっと、聞こえてなかったに違い無い。
逆にその行動が不信に思われてたかも。
颯友は、しばらくはどんぐり拾いに付き合っていたものの、すぐに飽きて、オムレツで遊び始めた。だから、ビニール袋を持って、一人で木の下をうろうろする僕は、さらに不信な感じになった。ヒゲも伸ばしっぱなしだし。。まだ、落ちていない、まつぼっくりを枝からはらい落とそうにも、な〜んかお母さんたちの視線が気になる。
「あの人、何やってるのかしらね〜」とか言いながら、こっち見てる(ように見える。多分被害妄想なんだと思うけど)。同じクラスのお母さんたちなら、「あら、颯友く〜ん。あ、颯友君のパパですか?今日はミナちゃんは?」と声かけてもらえるのだけど、帽子の色が違うから、違うクラスのお母さんたちだ。
ちなみに、最近出会う、颯友の友達のお母さんたちは、皆、「颯友くんのママ」と言わずに「ミナちゃん」とか、「ミナ」とか言う。。。どんだけ仲良しなんだ。
まあ、そんな事はどうでも良くて、とにかくどんぐりとまつぼっくりを拾い続けた。で、途中でどれくらい拾えばいいのか気になって、妻に電話してみた。何故欲しいのかというと、長男の海友が小学校で、今年の夏育てたアサガオの蔓で、クリスマスリースを作るためのものだという。
「なんだ、最初からそう言ってくれればいいのに」と俄然やる気になった僕は、今までのように、理由もわからず、良い年して、ビニール袋にどんぐりとまつぼっくり集めてたのとは違い、正当な理由が見つかって、もし不審尋問されても、「いやは〜、息子が小学校で、クリスマスリースを作るための素材集めてしてるんですよほ〜」と言えるな、と自信を持った。おかげでお母さんたちの視線があまり気にならなくなった。
颯友も、オムレツで遊ぶのに、飽きて、一緒に拾い始めた。「颯友、どんぐりとまつぼっくりだけじゃなくて、いろんな実、集めようぜ」。
「え、いいけど」。
。。。長男の海友なら、「うん、いいよ」と言うのだけど、何故かこの3歳の二男はストレートに返事しない。やっぱり自分に似てるのか。。こう言ってるときって、本当は結構"それ"をしたかったりするときなんだよね。多分。
そして、颯友は、「これはママ、好きかな〜。ママにあげるんだ〜」と小さな花も摘んで来た。父親としては、「なんて優しい子なんだ」と思うのが普通なんだけど、最近の二男の言動を間近で聞いてるからか、「また自分だけ、ママに気に入られようとして、ずるいんじゃないの」とちょっと心の中で思ったりして。
ということで、多分二人で頑張って色々集めて持って帰った。その成果を見て、「あら、こんなに、すごいじゃな〜い!」と妻に誉められた。その成果がこれ。
何故か颯友は"ねこじゃらし"が好きである。
最近、facebookにハマっている。まあ、友達登録してくれている人たちからの反応が多いからというのもあるのだけど。
そんな中で、You Tubeからの、こんな映像がアップされているのを見つけた。
Soldier homecoming surprise mix
自分がハグするのは苦手だけど、これ見てたら、子供たちと沢山ハグをしたくなった。
今、伝説の人気番組「水曜どうでしょう」のミスターこと、鈴木貴之の「ダメ人間」ー溜め息ばかりの青春期ーを読み始めた。
その中で、小学校6年生の時に、クラスの皆の前で、皆と違う答えを発言したことで、先生から異常に誉められたという下りがある。「物事は一つではありません。違う立場から見ると他の考え方も出てくるものです。物事を一つに決めつけるのではなく、いろいろな角度から検証してみることはとても大事なことです」
と教師に言われた鈴木少年は、ただ、人と同じになりたくないという単純な思いから出た答えでヒーローに祭り上げられ、鼻高々だったそうだ。
それからというもの、人が言うことを違った側面から探る子供になった。誉められても簡単には喜ばない。何か裏があるのではないかと疑ってしまう。人々と同調したくないから、思ってもいないことを口走ることもあった。
"人とは違うんだ"ということが全てになった。斜めから物を見るのが正しいことだと信じ込んでしまった。12歳にして、鈴木少年は「天の邪鬼」になった。
。。。。。。。。だ、誰かの事を言っているような。。。。
奴の変わった言動を僕らが面白がるからいけないのか、、、。でも、確かに面白い。「水曜どうでしょう」も面白かったし。。。
トンガに行っている間、妻と子どもたちがどんな風に過ごしていたかを話して聞かせてくれたことがあった。
それは、長男海友の事。普段はいっつも、弟がちょかいを出してきて、最初は我慢しているのだけど、あまりにしつこいので、我慢できなくなって、結局喧嘩になるというパターンがしょっちゅうある。
ほとんど日常茶飯事的にそういう光景を見ることになる。こいつらの仲は大丈夫なのかなと不安になるときもある。
しかし、弟の颯友の悪戯が激し過ぎて、妻がかなりきつく叱ったりすることも度々あるそうだ。僕がいるときには、前にも書いたんだけど、どちらかが厳しくしたら、どちらかが受け止め役になるようにしているのだけど、僕が撮影で海外に出てしまっているときなどは、そうはいかないわけだ。妻としては、叱った時の受け止め役がいないのは、正直、辛いと言っていた。
特に、3歳のこの時期、颯友の悪戯は度を越していると思える事も増えてきた。海友の同じ年の頃に比べても、かなり激しい。当然、叱り方も少し感情的になり、声を荒げてしまうこともあると妻は言う。
「でもね、この前も車の中で悪戯が過ぎたので、厳しく叱って、颯友が泣き出した時に、バックミラーで様子を伺っていたら、海友が颯友の頭を優しくなでていたんだよ」
「へ〜、そうんなんだ。あんなにいっつも喧嘩してるのにね」
「他にも、3人でお出かけしたときに、やっぱり颯友が悪戯したんで、厳しく叱ったの。それで、私がおこって、泣いている颯友を置いて、海友と一緒に、先に歩いて行ったんだよね。そうしたら、泣きながらどんどん離れていく颯友の所に,海友が戻って行って、手をつないで一緒に歩いてるんだよ〜」
「本当に?」
「うん、きっとパパが出かける前に、いっつも、海友に、『パパの代わりに、ママを守って、颯友に優しくするんだぞ』って言ってるの、ちゃんとわかってるんだよね。優しいよね。いっつもちょっかい出されて辛い思いさせられてるのにね」
聞いていて、ちょっと涙が出そうになった。
ちょと、調子に乗りすぎるところはあるけど、本当に優しい子に成長しくれている。これで、心の強い子に成長してくれれば、本当に嬉しい。
そういう話を聞いている側から、二男は長男にしつこいまでにちょっかいを出して、我慢できなくなった、兄から、何度もマジ蹴りをもらっている。
幼稚園から戻ってきた、二男。おもちゃのちらしを見ながら、独り言を言っていた。
颯友「なんか変なんだよね〜。。。。」
父「。。。。。。。。」
颯友「なんか変なんだよね〜。。。。。」
(ソックスはいて、すっぱだかな、お前が変なんじゃないの。。。)と思う父。
颯友「何が変なのかな〜。。。。。」
父「。。。。。。。。。」
颯友「ねえ、マ〜マ〜、何が変なのかな〜?」
父「だから!お前のその格好が変なんだよ!」
颯友「あ、これこれ、はやと、これが欲っしいんだよね〜」
父「聞いてるのか!おい!」
24日は、国立科学博物館で開催されている、大哺乳類展〜海のなかまたち〜の会場へでかけた。トンガで一緒のトニーが講演するからということもあり、前に会場に行った人たちから、「子どもでも楽しめるよ」という話を聞いていたので、連れて行くことにした。
しかし、兄海友は、プールの進級テストがあるから休めないというので、僕と二男の颯友が車で先に行き、後から妻と海友が電車で上野の国立博物館に来て、合流することになった。
二男と二人だけで、車で東京まで出かけるのは、多分初めての事。特に3歳の奴は、自分が不在がちなこともあり、今現在「超ママっ子」。まあ、それでも、最近は良く一緒に遊んでいるからか、母親がいないことにあまり不満を感じずに車に乗車した。
その理由は、「沢山骨が見たいから」。。。。
で、道中、同じ年齢の頃の海友に訪ねた、同じ質問をしてみた。
父「颯友〜、ママのお腹の中にいたときのこと覚えてる〜?」
颯友「え、おぼえてない!」。。。。きっぱり断言。。。。そして、無言。
父「本当に覚えて無いの〜?」
一瞬睨みつけて、無視。
しょうがないので、別の質問。
父「幼稚園でさ〜、好きな女の子できた?」
颯友「え、いない」。。。。また断言だよ。。。
父「でもさ〜、一人くらいはいるんじゃない?」
一瞬睨みつけて、無視。
父「わかったよ〜、じゃあ、男の子では?」と言うと急に嬉しそうに、して
颯友「えっとね、○くりまさと」と何故か小声で答えた。
父「え、なんでそんなひそひそ声になるの?なんで、○くりまさと君が好きなの?」
と訪ねると、
颯友「だってね、○くりまさとは、ハヤトの事、ばかにするから」とまたひそひそ声で答える。
父『え?バカにするから?。。。。バカにするから好きなの?」
颯友「うん」
。。。やはり、こいつは変わりものだな。とそれ以上の質問はせずに、車を走らせた。後日、その事を妻に報告すると、その子は颯友と同じように、海友と同い年のお兄ちゃんがいる。お兄ちゃんのいる幼稚園児は、いない幼稚園児より、趣味とかが、「すすんでいる」から気が合うんじゃないとのこと。「バカにするというのは、きっとそれだけ、すすんでいるから」ではないかということだった。
そういうものなのかな?
後日、何かのきっかけで、やつに、また同じ質問をした。
父「颯友は、○くりまさと君が好きなんだよね?」
颯友「え、別に好きじゃないよ」
父「え、だって、この前○くりまさと君にバカにされるのが好きって言ってたじゃん」
颯友「あれは、そう言えば、パパが喜ぶかなと思ったから言っただけ」
父「。。。あ、そうなの」
何故、あの場で、こいつが僕を喜ばせようとしたのかが不明だ。でも、本当に喜ばせたかったのなら、好きな女の子の名前を出してくれれば良かったのに、、と思った。
会場では、トニーが講演する中、その反対側にあった、スナメリが口からバブルリング吐き出す、機械のボタンを押すのに夢中になっていた。骨ではなくて。。。トニーお疲れさま〜。
数日前は、3人で虫取りに出かけた。ターゲットはバッタとトンボ。
海友は網と虫かご、颯友は、穴の空いた網を持って、近くの公園へ。
さすが6歳にもなると、器用にバッタを捕まえていく。合計で15匹くらい一人で捕まえていた。
その横で、「このやろ〜、でてこい〜!かかってこい〜!、おれがこわいのか〜!」と網を振り回している颯友。そうじゃなくて、お前が捕まえられないだけだろう。
餌を運ぶアリを見つけた。「アリが餌を運んでいるよ」と二人に伝える。海友は、「ほんとうだ〜」と僕と二人しゃがんで様子を見てる。そこへやってきた颯友、「ば〜ん!」といいながら、アリを踏みつぶした。
父「あっ」、海友「あっ」
父、海友「何すんだよ〜!颯友〜!!」
颯友「このやろ〜!かかってこい〜!おれがこわいのか〜!」
海友「こわいのかじゃなくて、もう死んでるよ」
颯友「ここ何もいないじゃん、はやと、あっちの山の方に行きたい〜!!」
海友「ここ沢山いるから、ここでいいよ〜」
颯友「はやと、あっちに、い〜っちゃうんだ〜」
颯友、移動中に鳩の死骸を発見。
颯友「あ、こんなところに、鳥が死んでる〜」といって、つかんでしまう。
父「あ、さわるなよ!そのままにしておきなさい!」
颯友「でも、死んでるよ。ほらね」と言って、わしづかみで、見せに来る。
父「おまえ、それどうしたいの?」と訪ねると、
颯友「ん、パパに見せたかっただけ〜」と言って、元の場所に戻す。
しばらくして、結局なかなか捕れないので、海で網で魚を捕りたいと言い始める。
そんな大きな穴の空いた網で捕れるわけがない。
父「おさかな、捕まえてどうするの?」
颯友「捕まえてね、食べたいんだよね〜」
父「食べたいんだ〜、そうか〜」
颯友「でもね、クジラは食べないんだよ!!!」とやたら、断言するように
突如そんな事を言い始めた。
父「お、な、なんで?やっぱりクジラさんが好きだから?」
颯友「だってね、大き過ぎて、おさかな焼く網にのっからないでしょ。だ〜か〜ら!
たべな〜い!!」
父「あ、さ、左様ですか。。。」
海友が15匹くらい捕まえて満足したので、帰ることに。
颯友「や〜、疲れたね〜。いっぱい捕ったからね〜」
海友「え、颯友は一匹も捕ってないじゃん」
颯友「ええ〜、颯友、2匹くらい捕まえたよね、パ〜パ〜」
父「いえ、一匹たりとも捕まえていません」
捕まえたバッタたちは、家で待つ母親に成果を見せた後に、また逃がしてあげに出かけた。
トンガから帰国してから、何度か子どもたちと外に遊びに出かけているのだけど、この豊洲のキッザニアに出来かけた時には、僕は都内で打ち合わせで、一緒に行くことはできなかった。
子どもたちにとっては、初めてのキッザニア体験で、行く前は、「ディズニーの方がいい〜な〜」とつぶやいていたそうだが、色々体験して帰ってきたら、「今度は別の仕事してお金ためるんだ〜」と嬉しそうにしていた。
子どもたちが体験したのは、ラジオのDJ、ピザーラの店員、ジュース屋さんの店員、それに消防士だったそうだ。
まず最初に、DJ。
台本を渡されて、オンエア中にしゃべるのだけど、海友と、颯友と颯友の幼稚園のお友達の3人でやる予定だったのに、途中から颯友は抜け出してしまったそうだ。帰ってきてから「何で?」と訪ねたら「だって、しゃべるとこ長過ぎるんだもん」とのこと。要するに台詞が長かったらしい。でも、妻が持ち帰った、海友とお友達がDJしてる様子が録音されているCD聞いた限りでは、別にそんなに長くなかったんだけど。。。要するにあきたらしい。
音楽がなってる途中で出て来たらしく、いっちばん最初の方に、マイクにささやくように「はやと」とぼそっと声が入っていた。録音されたCDに不可思議な声が入っていて、幽霊の声ではと騒がれてるのがあるけど、あんな感じ。後で妻に聞いたら、音楽がなってる時には、もう出ちゃってたから、きっとリハーサルでしゃべった、「はやと」ってささやいていた声だけ入れてくれたんだよ。とのこと。
そして、次はピザーラの店員。
ピザを作って食べるのだけど、生地を作った時点で母親に自慢気にその生地を見せてるところ。最後にはそれを食べたらしいんだけど、海友は「おいしい」と完食したらしいのだが、颯友は「ぱぱにおみやげ〜、はやとが作ったピザだよ」とのこと。お〜、なんて優しいんだ〜、と感動したのだけど、「だってまずいから、残しちゃったんだ〜。だからパパ食べていいよ」って、そういうことかよ。
ジュース屋さんの様子は、カメラの調子鵜が悪くなって写真が撮れてないそうなので、最後の消防士。
火災が発生して、消化に向かう。皆寸足らずのユニフォームを着て、現場で消火活動。他の子が火に向かって一斉に水をかける中、颯友は、ホースの水を好き勝手な方向に飛ばしまくる。記念写真を撮影してくれた、カメラマンさんにも水かけまくったりと、相変わらずのやんちゃ振りだったそうだ。
まあ、颯友のお友達も同じような感じだったので、6歳の海友はその二人の面倒を見ながらだったから、やはり我慢しなければいけないことも多かったようで、「次行くといきは、パパも一緒にきて、パパと海友とママと颯友とか、パパと颯友とか、ママと海友とかでもいいんでしょ」としきりに訪ねてきた。まあ、母親から見ると、しっかり面倒見てくれていたようだけど、まだ6歳。やっぱり好きなことしたいよね。
トンガは6週間の滞在。ゲストの送迎以外は、ほぼ毎日クジラを探すために、海に出ている。しかも今年は、毎晩のように、ゲストとの飲みに付き合っている。去年までは、少しでも体調を整えるためにほとんど夜は付き合わないで早めに寝ていた。
それが、今年は1週目に飲む人が多くて、誘われて付き合っていた。遅くまで飲んで、朝早くに起きてクジラを探しに海に出るのは結構きつかった。だから、2週目は飲まないと決めたつもりなのに、結局2週目も、そして3週目も、飲む人が多くて、今日3週目のメンバーが皆帰国するまで、毎晩飲んでいた。
身体を十分に休めていた、昨年までよりも、当然の事ながら、疲労はたまっているはずだ。でも、この生活パターンに慣れてしまったような気もする。
いずれにして、疲労がたまり、ホームシックになると、いつも家族の写真や動画を一人ベッドの上で眺めて、「明日も頑張って良いクジラを探そう!」と心に誓う。
ベッドの上で息子たちの写真や動画を見ているときは、端から見ると、多分かなりニヤニヤしていて気持ち悪いに違いない。
今回は、写真だけでなく、クジラが少なくて心が萎えたときに、見るものがある。それが息子たちの描いてくれた絵と短い手紙だ。出発する前に、妻がこっそりスーツケースに忍ばせていてくれた。
虹と太陽と海と海洋生物たちと船の絵。クジラにシャチ、イルカ、イッカク、カメ、イカ、クラゲ、それにタコ。最近海友は、近くに出来た公民館の図書館や学校の図書室から、本を沢山借りてくる。そのほとんどが「海」に関わる本。だから、自然と海の動物の写真や絵を見ることが多くて、こんなに色々描いてくれるのだろう。
おそらくほとんど長男の海友が描いたものだとは思うのだけど、絵の上に書かれた手紙には、「ぱぱへ、おたんじょうびおめでとう。きをつけてね。かいとはやとより」と二人の名前が書かれている。
海友は絵に虹を描くことが多いような気がする。これは、きっと妻の影響なんだろうなと思う。
まだ誕生日には少し早いんだけど、この絵を見て、そして、i-phonから流れるFunky Monkey Babys の「ヒーロー/明日へ」を聞きながら、家族の事を思い、今日も海に出て、クジラを探す。
「最寄り駅の改札抜ければ、いつもよりちょっと勇敢なおとうさん」
「ダディ、その背中に、愛する人の声がする」
「家族にとってのヒーローになるため、転んでもまた立ち上がるんだぜ」
「家で待つファミリー、その愛しい笑顔がある限り」
「人知れずに世の中にファイティングポース」
。。。。このどうしようもない程のノウテンキな笑顔に、どれだけ心が救われていることか。まだちょっと早いけど、海友、颯友、そしてママ、誕生日のプレゼント、どうもありがとう。
今日も頑張ります。
先日、デイドリームペリリューステーションのガイドだった、遠藤さん一家が、自宅まで遊びに来てくれた。長男のリク君と、6月下旬に生まれたばかりの、長女ルルカちゃんと奥さんのマサちゃん。
マサちゃんも、デイドリームペリリューステーションでガイドしていた頃からお世話になっていた。
久しぶりの新生児。抱っこしたいんだけど、やっぱりすぐに壊れちゃいそうで、躊躇してしまう。でも、見てると、やっぱり女の子欲しくなってくる。
長男の海友は、かなり年下の子の面倒を見るのが好きみたいで、リク君には、おもちゃを持ってきてあげたり、ルルカちゃんの様子を何度も覗き込んで見ていたりしていた。
リク君の方も、何故か海友が目の前を通ると、笑顔を見せる。自分が近寄ると、目がうるるになって、後ずさりされてしまったけど。
で、颯友はというと、、、寝てた。
別の日、海友は習字教室に母親と一緒に出かけた。
颯友の夏休みに毎日やる決まり事は、「おはなにみずをあげる」
で、水あげてるんだけど、暑いから真っ裸。最初は花に水あげてるんだけど、
裸でも暑いから、結局自分で水を浴び始める。
それはいいんだけど、後ろから見ると、、、やっぱり内股だ。
昨晩は、バハマのリピーターの人たちと新橋のBOXで飲み会。そこで子どもたちへのプレゼントをもらう。
ゲームとTシャツ。朝起きると、早速二人で、ゲームを始めた。
頂いたTシャツはこんな感じ。二人とも同じデザイン。
颯友は早速気に入ったイルカの入ったTシャツを着る。まだ少し大きいけど。バックにもイルカが着いていた。
ちょっとかっこ良く撮影してみたつもり。
海友は,最近撮られるのを嫌がる。プールに行くと言って、逃げさってしまった。
プレセント、どうもありがとうございました。
朝、目覚めると、ベッドが血だらけに、、、。何事かと思ったら、二男の颯友が鼻血を出していたらしい。しかも、家族で寝てるベッド全体に弧を描くように、血痕が残っている。
どう考えても、ベッドの上を、鼻血出しながら、ぐるっと一周したらしい。寝相の悪さが血痕によって上手く表現された、ある意味、アートな状況?その血痕の真ん中で、最後まで熟睡している颯友、、、、おい、起きろよ、、、。
午前中、家の中で何やら楽しげに歌を歌っていた。しかも素っ裸で。
突如、「さいきょうのおチンチンになりたいか〜!」「お〜!」と叫ぶ。
「何なんだよ、お前」と思う暇もなく、奴のドスの効いたシュプレヒコールは続く、
「さいきょうのおしりになりたいか〜!」「お〜!」
「さいきょうのおならになりたいか〜!」「お〜!」
「、、、、、お〜!じゃね〜よ。」暑過ぎて、おかしくなっちゃったか、、、。
お昼に、きつねうどんを食べる。
「颯友は、かまぼこはいらないよね?」
「たまぼこはいるよ」
「いや、かまぼこはいらないよね?」
「たまぼこはいるよって」
「たまごじゃないよ、かまぼこだよ?」
「だから、たまぼこはいるって、いってんじゃん」
「あ、はいはい、たまぼこいるのね」
で、食べてる最中に、
「何、これ、いらな〜い」
「だから、これがたまぼこじゃん!」
夕方、家族で近所のヨーカドーに行く。長男海友は、男の子に今絶大な人気の「イナズマイレブン」のカードゲームがやりたくて、順番待ちしてる。
「やっぱ、颯友も、イナズマイレブン?それとも、仮面ライダーの「ガンバライド」かな?」と訪ねる間も無く、
「はやと、これがいい〜」と言って、静かに順番待ちを始めた。
プリィティとか、スイーツとか画面に表示されてんだけど、自分でさえ興味まったく無かったのでタイトル覚えてないんだけど、、
「おい、男はやと、3歳、そんなに真剣に待つなよ、、、、お願いだから、待たないでくれよ〜、、、、!」
カードゲームが終わって、フードコートでマックを食べる。食べ終わると、近くの柱の周りを歌歌いながら回りはじめた颯友。
ふと気がつくと、、、、
「おい、ハヤト、お前ズボン、前後ろ、逆にはいてるじゃん、、、履き替えろよ!」と言う僕に対して。
「もう家出るときに、言ったよ。でもあれがいいんだって」と妻。、、、、おしゃれ男子のこだわりの着こなしだったのか、、、、。
家に帰ってから、自分もジーパンを前後ろ反対に着て、鏡見てみた。ルーズな感じが、意外と悪くないかも、、、。でも、ハヤトのゴムパンみたいなのじゃないと、トイレ行くとき、不便だな。
マックを食べた後、僕のメガネを買いに行く。僕がメガネを色々かけてるのを、横で見ている、長男、海友に対して、颯友は、、、
「はやとこれがいい〜。お、これもいい〜」と言って、次から次へとメガネをかけまくり、嬉しそうにしながら、お店を抜け出そうとする。しかも、そのメガネがかなり派手なものばっかり。
そんな二男を、妻は何度も止めに走る。派手なメガネに、前後ろ逆のズボンに、ボホールで買った大人用の帽子、それに、背中にはお気に入りのリュック。違和感があるようでいて、何故か、似合っているから不思議だ。
まだまだ、色々あったのだけど、多過ぎて忘れてしまった。毎日、こんな感じ。素直な長男に対して、常にトリッキーな行動をする二男。いっつも、次に何をしでかしてくれるのか、ワクワクしながら一緒に過ごしている。
先日、引っ越しをしてから、初めて氏神様のところにご挨拶に出かけた。4月に引っ越して、すぐにでもお参りに行きたかったのだけど、自分の仕事の都合で、バハマから帰国するまでは、家族で行く機会が無かった。
この地域の氏神様は清瀧神社。浦安三社(清瀧神社、豊受神社、稲荷神社)のうちの一つ。
祭られているのは、「海路安全、漁業繁栄、海の神」である、大綿積神(おおわたづみのみこと)。今の自分の仕事にも多いに関係深い御祭神でもある。
その他に、境内には末社として、龍神社の豊玉比古神(とよたまひこのみこと)、安産、子育ての神、浅間神社の木花咲耶姫命(このはなさくひめのみこと)、厄除け、災難除けの神、建速須佐之男神(たてはやすさのをのみこと)が祭られている。
以前住んでいた場所でもそうだけど、お参りに行くのは、大きな神社ではなくて、地域に根ざした、氏神様のところへ、まずは足を運ぶことにしている。
2拝2拍手、ご挨拶とお願い事をして、最後に1拝。子どもたちは、見よう見まねで参拝の方法を覚えている。だけど、自分は小さい頃から、出雲大社に良くお参りに連れて行かれていたので、どうしても4拍手してしまいそうになる。
自分の名前は、親や祖父母にではなくて、出雲大社の神主様に付けて頂いた。そんな縁もあるわけだ。だからと言って、神道に深く傾倒しているというわけではないのだけど。
ご挨拶に伺った後は、家の近くの公園で水遊びしてた。
知らないお兄さんたちに、馴れ馴れしく水をかけまくる二人に、ちょっとヒヤヒヤしたけど。まじにかけまくってたから。優しいお兄さんたちだったから良かったけど。
昨日は、今年バハマに来てくれたゲスト4人が、家に遊びに来てくれた。
遠くまで、どうもありがとう。
これは、その時撮影してくれた写真。
ちなみに、最近の颯友の会話
「な、な、なんだあれ、な、なんだあれ?」
「バ、バ、バナナほしい、バ、バナナほしい」
「お、お、おは、おはよう、おは、おはよう」
何、ラッパーになってるんだよ?と訪ねると、
「え、ス、ス、スパイクだよ」と言う回答。何の事かと思ったら、リロ&スティッチに出て来た、エイリアンで、ラップをする子の事だそうだ。
結構、面白いので、「颯友、またやって、な、な、なんだあれ」と言うと、
案の定、「い、い、いや」という微妙な返事がかえってきた。
一昨日は、二男颯友の通う幼稚園での「夕涼み会」だった。
その準備のために、男手が必要ということで、僕と、同じマンションに住む颯友のお友達のお父さんが、かり出された。「僕も手伝う〜」と長男の海友も一緒に幼稚園へ。
果たして、ちゃんと手伝ってくれるのかと心配したが、クラスの催し物が、ヨーヨーだったので、すでに用意されていたヨーヨーを運び、プールに水を張るだけだったので、特に問題は無し。
その後、幼稚園の子どもたちが到着して、盆踊り(?)を2曲ほど踊って、それぞれのクラスでお母さんたちと、先生によって用意されたアトラクションを子どもたちが楽しんでいた。
夕涼み会の後は、仲の良いママ友達家族4組で、隣のマンションのスカイラウンジの一室を借り切って、ファミリーパーティーをした。子どもたちは騒ぎまくり。僕は、なかなか家にいなくて交流の機会が少ないのだけど、こういうのも悪くは無い。
その一室からは、ディズニーランド、観覧車、都心の風景が一望できる。
と、ここまで書いて、特にネタが無いことに気づく。。。。もしかしたら、あったかもしれないんだけど、一昨日の事だから、すっかり忘れてしまった。
なんか惰性で書いてるみたいになってきた。う〜、、、
あ、そうだ、昨日はダイビングで知り合った人の結婚式の撮影を頼まれていた。7月の炎天下での撮影(外での撮影も少しあった)で、僕はシャツがしぼれるほど、汗でびっしょりになった。
「僕の日本にいるタイミングで式の日取りを決める」と言ってくれていたので、中途半端な事はできなかったから、久しぶりに、マジで結婚式の撮影をした感じ。でも、喜んでもらえる撮影ができたか、いつも心配になる。今回も同じ。アルバムにした写真を見て、喜んでもらえると嬉しいな。
結婚式の撮影は嫌いじゃない。皆が幸せそうにしてるから。そういうのを、客観的にファインダーを除きながら眺めているのが、僕にはとても幸せで心地よい。中心にいるよりも、自分の性に合ってるんだろうなといつも思う。
末永くお幸せに。
2010年のドルフィンクルーズから帰国して、成田空港に迎えに来てくれた家族と再開した。子どもたち、特に兄の海友は、小学校に入ってからというもの、外で遊びまくっているせいか、かなり日に焼けていて、まるで一緒にバハマに出かけていたかのような黒さになっていた。
二人とも、怪我をした顔の傷はほとんど目立たなくなっていたけど、なんだかたくましく、より面白くなったみたいで、嬉しかった。
車で、もうほとんど家に着く直前になって、二人もとも「パパと公園で遊びたい!」と言いはじめた。自分はもう疲れているし、天気も悪くてちょっと小雨だったので、「今日はもう、だめだよ〜」と伝える。妻も「パパはもう疲れているんだから。それに、雨降ってるから、だめよ」とフォローしてくれる。
しかし、「雨降ってる」事に対して、「え、でも人間は歩いているよね」と海友。「そうだよ、人間はいっぱいあるいているよ」と颯友。
「ほら、あそこにも人間あるいている、こっちにも、あっちにも!」と海友。「そう、人間い〜っぱい歩いてるよ。雨だいじょうぶじゃん」と颯友。
人間、人間って、。。。お前ら、妖怪か?。。。。。いや、猿か。。。
ということで、妖怪か、猿かわからないけど、人間じゃない子の意見は聞き入れられず、その日は家から出ることなく、風呂に入り、ご飯食べて、眠りに着いた。朝2時には目が覚めたけど。
バハマのドルフィンクルーズ中、子どもたちがどうしてるか、妻に連絡して聞いてみた。旅先で、家族の様子を訪ねるのは、いつものことなんだけど。
夕方、海友が公園で口元をケガしちゃって、公園でみんなでボール鬼してて、小さい子エリアのフェンスにぶつかったみたい。口元がえぐれた感じになってて、縫ってふさがなきゃって言われて、病院に行ったの。5時すぎてしまったから救急で応急処置だけだったの。でも縫った方がいいと言われて、翌朝は形成外科に行くことになったの。
海友は痛くて何も食べれなくて、颯友はさんざん待たされてお腹もペコペコでぐずぐず...疲れて寝ちゃって。海友も眠ったんだけど、10時半頃にお腹が痛いと起きて嘔吐して。
夜中に寝ている颯友をおいていけないから、ママにうちにきてもらったの。夜中に二度も救急病院に行ったの。急性胃腸炎だって。
そんな状態でも口元のケガは、指示通り朝一で縫ってもらいにヘロヘロの海友を連れて形成外科に行ったんだけど、時間が経ちすぎているから縫合はできなかったの。でもくっつけるようにテープでふさいでいたから!?縫わなくても閉じたように傷がふさがってて、治ればあまり目立たなそうだよ。すごい回復力って感じ!子供の自然治癒力はすごいね!海友はすごく怖がっていたからしなくてよかったよ。
いまはすっかり元気になったよ!
急性胃腸炎は「明日は縫わなきゃ」っていう恐怖が一番大きかったんじゃないかな?針さされるのヤダってすごく怖がっていたから。
とりあえずざっと書いたから、心配かもしれないけど、もう元気になってきたから大丈夫だよ!
というメールの数日後には、
海友と颯友と3人で一度救急車に乗ったよ!颯友が買い物中に転んで、カートにぶつかって目の横を切ったの。けっこう血が出たからお店の人がよんだの。5時頃だったんだけど、頭だからってレントゲンとったりして...、日曜日で混んでいたせいか、夜の11時までかかったよ。
怪我で...というより待ちくたびれて眠くて、2人ともグズグズだったよ。
海友の場合は小学生になって子供だけで遊ぶようになったから、「気をつけて!」って声かける大人がいないとやっぱりケガがふえるよね。
颯友のケガは、全然勢いがなくてヨロヨロ〜ってカートに寄りかかって転んで...たまたま打ち所が悪くて切れちゃったって感じ。
って、怪我の報告ばかりが続いた。僕が出発する直前にも、海友は、自転車運転中に、公園の入り口に無造作に止めてあった自転車に激突したらしく、激しく転倒して肘と膝をかなり擦りむいて帰ってきたりしていた。
颯友も、しょっちゅう椅子から転落してた。まあ、奴の椅子の使い方が基本的に間違ってることが多いんだけど。
男の子だし、やんちゃでまったく構わない。顔に傷の一つや二つあっても構わないとは思うけど、二人とも、かなり猪突猛進なので、本当に見ていてひやひやする。
それよりも何よりも、僕がいない間にそんな二人の面倒を一人で見てる妻がいかに大変かの想像がついて、申し訳ない。
それにしても、ヨロヨロ〜ってカートに寄っかかって、転倒して、救急車で病院に運ばれるくらいの流血シーンってどんなだったのか、ちょっと側にいたかったかも。
二男、颯友が、最近やけに「キャップある〜、ねえ、キャップある〜?」というので、何の事かと妻に聞いてみたら、颯友の幼稚園で、「エコキャップ運動(捨ててしまうペットボトルのキャップをリサイクルし、発展途上国に寄付しワクチンに変える)」という活動を行なっているそうだ。
フィリピンのボホールに滞在していたときに、コンビニで様々なお土産が売っていた。「お土産は買ってこなくていいから」といつも妻に言われているので、あまり気にせずに、ブラブラと眺めていた。
昨日は、長男の小学校、二男の幼稚園、両方遠足だった。僕ら夫婦は、二男の幼稚園の遠足に参加。遠足と言っても、自転車で行ける距離にある運動公園だったので、3人でその公園まで自転車で出かけた。
昨晩、母親が止めるのも無視して、家の中ではしゃぎまくり、走り回る二人を叱りつけた。「下の階の人に迷惑になるから、ドタバタするのはやめろ〜!」と言うと、一応「は〜い」とは言うのだけど、しばらくすると、またドタバタと走り回り始める。
ちなみに、入学式は自分もスーツでした。黒くて無精ヒゲはやしてて浮いてたかも。周囲見回した限りでは、ヒゲはやしてるお父さんは一人もいなかった。。。
インドから帰国して、すぐに引っ越しをすることになっていた。引っ越し業者が来てくれる前に、縁起の良い日に、少しだけ荷物を自分たちで運び込んだ。二男はともかく、長男の海友は、あまり引っ越しに乗り気ではなかった。仲の良い友達と離ればなれになってしまうから。
4月に引っ越しをする。今回のロケの帰国直後。出発前には引っ越し屋さんから、沢山の段ボール箱が届いていた。「少しづつ、詰めようか?」と妻に訪ねたら、僕がロケに出てからやるからいいとの返事。
その日の水中撮影を終えて、部屋に戻り、一人でいるときにいつも思い浮かべるのは、元気な息子たちの笑顔。今年で、長男の海友は小学校入学。二男の颯友も幼稚園に入園する。
パースから戻ってきて間もないけど、明日からパラオのペリリューへ3週間のロケにでかける。しかも、今回は家族は一緒ではなくて、一人。初めてこの島に家族を連れて行ってから、早5年の歳月が流れた。当時1歳だった長男も、今は6歳。今年から小学生だ。
フォトグラファー日記にも書きましたが、今日は新橋のBOXでスライド&トークショーでした。知らない人も多いと聞いていたので、なるべく、そういう人たちとも話せるような企画を考えて、臨みました。
今、家では、Wiiがブーム。Wiiフィットに、桃太郎電鉄、ポケモンパークなどのソフトが人気。特に、海友は、ポケモンパークにかなりハマっている。ちなみに僕がハマっていたのは桃太郎電鉄。でも、ほんの少しの間で、もうマナティーの前の、ポンペイロケに行く前くらいからは、ほとんどやってなかった。
妻が長男の海友を幼稚園バスに送り出して、そのまま買い物に出かけた。家には、3歳の二男颯友と、僕だけになった。しばらくはテレビを観て、時間を潰していたのだけど、だんだんそわそわし始める颯友。玄関の方をちらちらと覗き始めた。
雪が積もった。ちょっとだけだけど。朝、目をこすりながら起きてきた、長男海友に「外見てみな」と伝える。眠い目をこすりながら、窓に近寄り、外に目をやった瞬間「わ~!!!すげ~!!ママ~!ハヤト~!!真っ白!、雪だよ雪~!!!」とまだ寝ている母親と弟に大声で知らせに走る。
2010年1月31日、フロリダから帰国した。妻からはフロリダ出発前に、「皆で空港まで迎えに行くよ~」というメールが届いていた。いつも、長男の幼稚園での行事が重ならない限りは、こうやって、毎回家族で車で成田まで迎えに来てくれるのが、僕たち家族の間では当たり前の事になっていた。
長男の海友も、今年で幼稚園を卒園する。お世話になった先生の似顔絵を、同じ組の子供たちが描いて、それをまとめたものを、先生に渡すことになった。その表紙を妻が担当することになったそうだ。
悪戯や喧嘩をして、叱られたときの息子たちの反応に関して、以前書いたことがある。いくら叱られても、へらへらして、あまり気にしてなさそうな二男に比べて、長男は、いつも涙で目を潤ませて、ポロポロと大粒の涙を流す。
2010年最初の子育て日記。そろそろ、子供たちもナイーブな年頃になってきた。あまり変な写真を載せるとふてくされるので、注意しないといけない。だから、これからは、文章だけとか、差し障りの無い写真とか、イラスト?とかを使った日記が増えると思う。
最近、子育て日記に写真を掲載しないのは、子供たちが暴れ回り過ぎて、撮影している余裕が無いのと、奴らの前にカメラを出すと、とても危険だから、などの理由が上げられる。家にいて、一緒にテレビ観てるときなんか、痛くて番組の内容なんかまともに把握できない。
先日、今年最後のロケ先、パラオから帰国した。空港には、前回同様、長男の海友を幼稚園バスに送ってから、妻と二男の颯友が空港まで車で迎えに来てくれた。今回も、颯友が車から降りて来て、僕に駆け寄り、そのままスルーしていくことを期待しながら車に駆け寄る。
今回のパラオロケも2週間以上の滞在。ロケ中もたまに妻とは、メールでやり取りしているのだけど、いつも頼んでいるのは、携帯の画像でもいいから、子供たちの元気な写真を送って欲しいということ。子供たちの写真を見るだけで、元気になれるから。
某雑誌に、こんなことが書いてありました。デンマークのあるお母さんは、「母親の一番大切な仕事は、子供を笑わせることよ」と言ったそうです。笑いの溢れた家庭。思っただけで楽しくなってきます。
え、おはようございます。越智颯友先生による、「正しいスノーケルの脱着」講座のお時間です。本日、颯友先生は、鼻風邪で、少しふらふらしていますが、インフルエンザではありません。それでは、颯友先生、よろしくお願いします。
海外ロケから帰国した日は、だいたい子供たち二人と一緒にお風呂に入るようにしている。しかし、最近6歳と3歳になって身体も大きくなってきたし、お風呂の中での暴れっぷりも激しくなってきたので、帰ってきて息子たちと一緒に久々のお風呂に入って、疲れを癒すという感じにはならない。
パラオから朝、帰国した。空港には、兄海友を幼稚園バスに送り届けた後、妻と二男の颯友が迎えに来てくれた。車寄せに到着した車を見つけて、小走りに駆け寄ると、僕の姿に気づいた颯友も車から飛び降りるのが見えた。
モルジブから帰国したときのこと、二男の颯友が、自慢気に「パパ~、見て~」と言ってきた。何かなと思ったら、なんと、ヤップでは、不完全だった、ウィンクができるようになっていた。
でも、ちょっと辛そうではあるのだけど。。。
後から、後から、子供たちが仮装して姿を見せた。「トリックオアトリート!」。「お菓子くれなきゃ、悪戯するぞ~!」と母親から教えられた合い言葉(?)をどちらかと言えば小声で、発しながら、お菓子を受け取って、次の家へと移動していく。
5時過ぎ、子供たちが次々にお母さんに伴われて、やってきた。このイベントに参加しているご家庭は、家以外に4件。9階1、8階に2、7階に1、4階に1。13階建てのマンションの中層は、階段や廊下を仮装して動き回る、子供たちで溢れていた。
ヤップから、帰国してモルジブロケまでの短い日本滞在期間に、ハロウィンがあった。昨年のハロウィンでも、いくつかのご家庭と話し合って、カボチャを彫って、飾り付けして、近所の子供たちに、家まで遊びに来てもらい、用意したお菓子を配った。
ヤップ滞在中、州都のコロニアでは、カヌーフェスティバルが開催されていて、皆で見学に出かけた。夜には、子供たちや、男性、女性のヤップダンスも披露された。
ゲストの少ない日などには、家族もボートに乗せてもらって、ダイビングポイントまで遊びに行くこともあった。しかし、今回はあんまりマンタが出なくて、最後まで仕事モード(?)を崩せなくて、子供たちとなかなか遊んであげる機会がつくれなかった(精神的にも)ことが心残り。
ライズの隣に住んでいる、ポールとマギーの長男、デンゼル1歳。前回訪れた今年3月のときは、まだよちよち歩きで、海友や颯友にいいように扱われていたのだけど。今回は二人にも対抗できるくらいに成長。
ほぼ自給自足生活を送っている、隣村のパサンちゃんの家に遊びに行った。ちなみに、写真は台所。写っているのは、元ライズのスタッフで、今はパサンちゃんとこの同居人の、トーマスおじさん。トーマスおじさんの寝床は、この台所。
兄、海友は、2歳になる前から、カメラを向けると、いつの間にかウィンクするようになっていた。何がきっかけで、ウィンクできるようになったのかわからないけど、とにかく、小さい頃から、かなり多くの写真に、ウィンクして写ってる。幼稚園の集合写真でも、まじめな顔で写っている子供たちの中で、一人ウィンクしてたり。
ちょっと、アップが遅くなりましたけど、今年2度目のヤップ。そして、颯友にとっては、6月のバハマ出発のときに、母親と一緒に留守番することに気がついて、悔し涙を流して、「ばかちん~!ばかちん~!」と絶叫して暴れ回っていた悪しき思い出の場所を無事家族で通過。
台風一過、快晴の昨日は、海友の幼稚園最後の運動会だった。かけっこに、鼓笛隊に、綱引きにと頑張っていた、兄、海友。それを応援すべく、駆けつけた弟、颯友は。
明日、日曜日は、長男海友の6歳の誕生日。幼稚園に入ってからは、毎年誕生日には、先生からおめでとうのメッセージの入った、絵本をプレゼントされて、家に持ってかえってくる。そこには、普段僕があまり海友には聞かないこととかが、書いてある。
トンガから帰国した。1ヶ月半振りの家族との再会。空港から家までの車内では、助手席に座った海友と、後部座席に妻と一緒に座っている颯友が、留守の間の出来事を、「パパあのね~なんだよ」、「パパあのね~だったんだよ」としゃべり続ける。
長いトンガ滞在の間、妻からは子供たちの今日の出来事などの報告が、携帯メールから送られてくる。海友の素直さと、颯友のあまのじゃくさが際立って、ついついにやけてしまう。
今日は、友人に誘われて、一緒に千葉の太東にサーフィンをしに出かけた。子供たちも行きたいというので、連れて行くことに。太東は海水浴場に隣接して、波乗りするポイントがあるので、子供たちは海水浴場で、僕らはその横でサーフィンをするつもりだったのだけど、、、。
バハマのドルフィンクルーズから帰国して、しばらくは何も書く気力が無くなっていた。だって、帰国直後は日本の方が暑かったし、、で、思わず新たにクーラーを購入してしまったら、また梅雨みたいな天気になって、あんまりクーラー使う機会が無い。
1ヶ月半に及ぶ、長男海友とのドルフィンクルーズも無事に終了して、帰国した。自分一人で5歳の息子の面倒を見ながら、ゲストのケアをして、クルーズ生活を行い、イルカの撮影をする。正直かなり大変だった。
2009年3週目のクルーズも無事終了して、現在フロリダのオーランドに滞在している。今週も海友はゲストの人たちに本当によくしてもらった。そして何よりも嬉しかったことは、日本からこちらに来る前からの海友が「バハマに来てしたいこと」の中の一番難しいリクエストだった、「野生のイルカに触りたい」という夢がかなったことだ。
2週目のドルフィンクルーズも無事終了して、フロリダに戻ってきた。こちらに来る頃から、風邪を引いていた海友。体調を心配していたのだけど、もう元気に回復している。逆に僕の方が、風邪になってダウン。
ドルフィンクルーズから戻って、ホテルに入ると、無線ランが使えるので、スカイプで家に連絡を入れる。お互いの顔が見れるので、子供たちも面白がっっているし、妻は元気な海友の顔が見れるだけで嬉しいようだ。
父子2人で乗船した初めてのバハマドルフィンクルーズ。無事終了して、フロリダに戻ってきた。ゲストの人たちのやクルーの人たちの優しさに甘えさせてもらい、海友も、母親のいないクルーズを楽しんだ。
2009年5月30日、1年ぶりにドルフィンドリーム号に乗船した。乗船時は曇天で、雨が降っていたけど、日が暮れていくにつれて、無風になり、雲も無くなってきた。
食事中、海友と颯友がはしゃぎ過ぎて、コップの水をぶちまけた。まあ、いつものことなんだけど、その後、母親にしかられるときの、二人のは反応の違いが面白い。「何やってるの!も~!」という妻の声に、長男の海友は、即座に「ごめなんさ~い」と謝る。
あと少しでバハマのドルフィンクルーズに出発する。少し前にも書いたけど、今回は5歳の長男海友と、僕の二人で、1週目のゲストの人たちとバハマに向かう。
明日から、沖縄ロケ。出発前に終わらせておかなければいけないことが多くて、ここ数日間ほとんど外にまともに出ていない。たまに、子供たちを連れて公園に行くくらい。最近、目の前のバラ園のバラがピークを迎えていて、子供たちが入りたいというので、連れていった。
天気が良ければ、海か山にでも行こうと思っていたのだけど、予報通りの雨。しょうがないので、曇天のときのに室内で子供たちが楽しめるイベントは、と考えていたのが、また一昨日のシンケンジャーショーを開催したデパートとは別のデパートで開催された仮面ライダーディケイドショー・・・・。
GW初日、妻の実家に帰る(と言っても車で15分くらいだけど)前に、実家近くのデパートで催された侍戦隊シンケンジャーショーに子供たちを連れていくことになった。最近の子供たちのお気に入りは、このシンケンジャーと仮面ライダー・・・。
ペリリューでは、いろんな子供の家にお邪魔していた、海友と颯友。そこには、大抵の場合おとうさんとおかあさんだけでなく、おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に暮らしている家が多かった。
ペリリューとヤップに行く前、長男の海友は、補助無しの自転車に、乗れるような乗れないような、微妙な状態だった。真直ぐな間は進めるのだけど、カーブが曲がれない。坂道は猛スピードで駆け下りるくせに、カーブが曲がれない・・・。完全な猪突猛進だった。
昨日、長かったペリリュー、ヤップでの家族を伴っての取材旅行から帰国した。ペリリューではどうにかブログをアップしていけていたのだけど、ヤップではネット回線が悪くて、なかなか現地でアップすることが難しかった。
すでにパラオのペリリューを離れて、僕たち家族は、ミクロネシアのヤップに来ています。回線状態が悪くてなかなかブログをアップすることができないでいます。ペリリューでは、本当に沢山の人たちに優しくしてもらって、今回も子供たちは元気よく、島中を走りまわっていました。
ペリリュー島の友人、ランダが、pre school(幼稚園)見学に誘ってくれた。クラスは、3~4歳の子供たち9人。想像以上の設備にちょっとびっくり。
昨日は、ペリリュー島よりさらに南にあるアンガウル島まで、撮影で出かけた。ダイビングは1本のみ、後は島に上陸して陸撮ということで、モデル役で家族も一緒にという遠藤さんの配慮で、家族全員ででかけることに。
今日はホワイトデーだった。忘れていたわけではないのだけど、まともなお店などないペリリューでは、駄菓子のようなお菓子を買ってあげるくらいしかできない。旅の前にプレゼント用の何かを用意するほど、用意周到でもない。
昨日、オーストラリアから帰国した。経由地のシンガポールでは携帯のメールに「海友が前日沢山吐いて大変だったから、心配していたけど、元気になったから迎えに行くよ」というメッセージが入っていた。
今はオーストラリアに行く途中のシンガポールにいる。オーストラリア出発に際して、いつものように、妻と二人の息子たちが空港まで見送りに来てくれた。来てくれるのは嬉しいのだけど、いっつも、荷物によじ登りたがるか、肩車してとせがむ。
先日、子供たちの好きな戦隊物番組の「ゴーオンジャー」が終了した。そして新たに始まったのが、シンケンジャーという戦隊物番組。まだ一話しかやってないんだけど。
昨日の節分、どうにか父親の威信回復のために作戦を立てた。いつもハロウィンや、クリスマスなのどのイベントのときには、お化けやサンタになってもらうお願いをしている階下に住んでいるお兄さんに、今回も「お願い、鬼になって」と懇願し、豆と一緒についてきた鬼のお面を渡した。
最近、海中で虫の目レンズを装着して撮影するのが、ちょっとブームになってたりする。で、最近よく使っているPanasonic LUMIX G1に装着できないかと思い、試しにつけてみた。
ちょっと前に、カメラの仕事関係の方から、妻や子供たちにいろいろなプレゼントの詰め合わせを頂いていた。その中に、「JURASSIC CHOCOLATE」というチョコレートが入っていた。
昨日から長男の海友は幼稚園。幼稚園のバス停まで、妻が送り迎えに行っている間、二男颯友を見ていてねと言われ、二人だけでほんの束の間留守番することに。