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長男の海友が小学校卒業して、今年から中学生になる。小学校卒業という節目に、過去一緒に過ごした思い出を振り返り、これから先どんな生き方してくれるのかな、と思いを巡らせたりもするのだけど、正直なところあまり過度な期待はしていない。どっちらかといえば、自分が本当に好きでやりたいことをやって生きていってくれれば、いいんじゃないかなと思っている。人に対しての思いやりはある方だとは思う。でも、かなりのんびりした性格だから、一般社会の荒波についていく器用さは持ち合わせてはいないかもしれない。
お腹の中にいるときから、撮影旅行に連れていき、バハマのイルカたちとは、母親のお腹の中にいるときから一緒。自宅で水中出産。赤ちゃんのときにも、フロリダのマナティ、バハマのイルカたち、パラオやヤップ、タイ、マーシャルなどあちこちの海を見て、沢山の生き物と触れ合って、多くの人たちに優しくしてもらった。でも、そうしたからって、自分が理想とし、期待しているような成長をしてくれているかって言ったら、正直なところ「う〜〜ん」と思うところも多々ある。ちょっとぽっちゃりしちゃって、ベイマックスって言われることもあるし(笑)。
勉強の要領も良いとはいえないし、スポーツがメチャクチャできるわけでもないし・・・。
それでも、今日この日まで元気に生きてきてくれて、はにかんだり、ときにはちょっとイタズラな、そして優しい笑顔を僕らに見せてくれると、もう、それだけで十分だなと思う。
でも、この日、調子に乗った海友の、母子食事会での、妻に対する言動を聞いて、つい頬をひっぱたいてしまった。目を潤ませながら僕の顔を見上げる海友の顔を見ていると、胸が締め付けられる思いがした。でも、海友は僕がなぜ厳しくしかったかを、ちゃんと理解してくれただろうか。
そう思いながらスリランカに向かう。成田までのリムジンバスの中で母親のIphoneを使って「カイトだよ。昨日はゴメンなさい。パパお仕事頑張ってね」というLINEのメッセージとスタンプが送られてきた。もしかしたら、母親に言われて書いたのかもしれないけど、正直、本当に嬉しかった。
どうか人に対しての思いやりの気持ちをけっして忘れないで、そして自由に生きていってください。12年間生きてきてくれて、いつも優しい笑顔を見せてくれて、本当にどうもありがとう。卒業おめでとう。
11月21日、今日は息子たちの通う小学校の学校祭を見学に行ってきた。愛想のなくなってきた息子たちより、友人の可愛い娘たちと一緒に見学できたのが楽しかった父。と言ってたら、珍しく颯友がいい顔で写真に収まってくれた。いつもそういう感じでお願いしますよ〜颯友さん〜。
11月7日、浦安市の作品展に、カイトが作成した「将来の夢」が入選していた。素潜りで、魚を撮影する、未来の自分。「この前、プラグラマーになりたいとか言って無かったっけ?」と尋ねたら、「そうだよ、でも、水中カメラマンにもなりたいんだよ。今は、仕事一つに決めなくてもいい(時代)でしょ?」...確かに、そうだよね。「それに、プログラマーだと、地味な感じ(の作品)になるでしょ」...た、確かに。5歳の誕生日の時に「大人になったら、カメラマンになりたい」と、誕生日カードに書いてあったときのような泣きそうになるほどの感動は無いけど、「なるほど、ちゃんと成長しているなー」と思わせてくれた。欲を言えば、できれば、被写体、イルカかアシカくらいにしてほしかったな。まあ、父を作ってくれたわけじゃないか。あと、できれば、もー少し丁寧に、作って...、あ、いや、十分うれしかったよ。ありがとう。ラバウル行って来ます。
ハヤトは、今日(11月3日)誕生日。どこ行きたい?とたずねたら、友達の車椅子テニス大会に行きたいというので、茨城で開催されてる、テニス大会へ。昼休みには、介助犬のデモンストレーションがあり、デモンストレーション体験にも、積極的に参加。午後からは、ニューミックス大会に参加予定。ニューミックスって?
浦安市の作品展に、カイトが作成した「将来の夢」が入選していた。素潜りで、魚を撮影する、未来の自分。「この前、プラグラマーになりたいとか言って無かったっけ?」と尋ねたら、「そうだよ、でも、水中カメラマンにもなりたいんだよ。今は、仕事一つに決めなくてもいい(時代)でしょ?」...確かに、そうだよね。「それに、プログラマーだと、地味な感じ(の作品)になるでしょ」...た、確かに。5歳の誕生日の時に「大人になったら、カメラマンになりたい」と、誕生日カードに書いてあったときのような泣きそうになるほどの感動は無いけど、「なるほど、ちゃんと成長しているなー」と思わせてくれた。欲を言えば、できれば、被写体、イルカかアシカくらいにしてほしかったな。まあ、父を作ってくれたわけじゃないか。あと、できれば、もー少し丁寧に、作って...、あ、いや、十分うれしかったよ。ありがとう。ラバウル行って来ます。
今日(11月21日)は息子たちの通う小学校の学校祭を見学に行ってきた。愛想のなくなってきた息子たちより、友人の可愛い娘たちと一緒に見学できたのが楽しかった父。と言ってたら、珍しく颯友がいい顔で写真に収まってくれた。いつもそういう感じでお願いしますよ〜颯友さん〜。
今日(11月25日)は、ヤップの大ちゃんと会議中
今日は、今から息子たちの小学校の運動会。二人の親子競技にも参加するのだけど、それに加えて海友の友達の4つ子ちゃんとこの女の子一人の父親役としても競技に参加しないといけないことになってるので、けっこう忙しそう。別のお父さんと競技に参加する上での、その子のリクエストは「かっこいいお父さんがいい」との事だとか・・・・・。オレでいいのか?
運動会の親子競技に出ようと、集合場所に行って、レースの順番とコースを書いた大きな表が貼り出されているのを見て、二男颯友の順番とコースを探したが、見つからない。友だちパパや妻に「颯友いないけど?」と尋ねると、「この空欄でバツ印がついてるのが颯友なんだよ〜。誤植だって」と妻。なんで颯友だけ無記名でバツ?とちょっと思ったのだけど、「颯友、これみて、『なんでオレだけバツなんだよね〜』って大喜びしてたよ」とこれまた嬉しそうに笑いながら話す妻。
運動会で、明らかに必死に走らない颯友を見て、「お前なんでマジで走らないんだよ?」とたずねると、「追いかけられないと、やる気にならないんだよね〜。オレ、逃げ足は、誰にも負けないんだよね。多分学校一だよ」と、どや顔で意味のよくわからない返事を返してきた。父としては、できれば、徒競走で学校一になって欲しい。
運動会は、今年もてっきり9月だと思っていて(昨年までは9月だった)本当は、今朝のフライトで久米島へ出発する予定だった。しかし、取材先のEstivant の川本さんに事情を説明したところ、「それは絶対運動会に出てあげて下さい」と言って頂き、夜羽田発、沖縄行きのフライトに変更してもらった。那覇で一泊して、翌朝のフライトで久米島に入ります。川本さん、家族のイベントを優先させて頂き、本当ありがとうございます。久米島ロケ、頑張らないと。
今日は、海友と颯友が通う小学校の学校祭に行ってきた。
まずは、1年生の颯友の教室を訪れた。1年生の展示のテーマは、「あきであそうぼう」。颯友のクラスは、「秋のすごろく屋さん どんぐりとなかよし」ってことで、ドングリや松ぼっくり、子供たちが「くっつき虫」と呼ぶオナミモなどを使って、けん玉やコマ、ダーツなどのゲームを作って遊ぶというもの。
机を並べたコーナー毎に、子供たちが、方法を説明してゲームをして遊ぶのだけど、松ぼっくりでつくったけん玉で遊ぶコーナー担当だった颯友のところへ行くと、「説明まかせたぜ!」と女の子に説明は任せて、自分は後ろに回り込む。う〜ん、たいていの男の子はこんな感じだと思うけど、自分の子供の頃にそっくり。絶対前に出ようとしなかった。
そして、4年生のテーマは、「すべての人が住みやすい社会を!」というのが大きなテーマ。4組あるクラスのテーマが、それぞれ「ボッチャを体験しよう」、「車いす体験」、「認知症って、どんなの?〜クイズをといて、ゴールを目指せ!!〜」、「視覚障害者体験」。
へ〜、こんなテーマで展示をするんだと感心。しかも、どの教室も大盛況で、子供も大人も、多くの人が、車いす体験やボッチャをして遊んだりしていた。
海友のクラスは、生徒たちが、「認知症の人には、思いやりを持って接して下さい」という小劇を演じ、その劇を見た後に段ボールが沢山積まれた迷路の途中で出される認知症関係のクイズを解いて、ゴールを目指すといもの。
最近では、どこの小学校もこういうテーマで展示なり発表会をしているのかもしれないけど、素晴らしいことだなと感心した。それに、多くの子供たちが、実際に興味を持って体験していたのを見ていて、こういう福祉の気持ちを育みながら、成長していくのはとても良いことだと思った。
ちなみに、市で行なわれる作品展に選ばれた、颯友の絵が展示されていた。
絵のタイトルは「まてまておにだよつかまえるぞ、おにごっこにじうお」。
なが!
ドルフィンクルーズがオフの間、自分はフォートローダーデール近くにある、コンドミニアムで記事書いたりしている。Weston という、どちらかと言うと、海ではなくて、内側にある新興住宅地。町も奇麗で、日本からの駐在の人も多く住んでいる場所だとか。一人で寛ぐには丁度良かったかもしれない。
そして、船から降りている間、妻からは子どもたちの写真や、何をしてるかのメールが届く。スカイプとかで、直接家族と話してもいいんだけど、そうすると、だらだらと話が長くなったり、あるいは、子どもたちが話す気が無いときなどは、ちょっとがっかりしちゃう事もあると思う。だから、こうして、簡潔に、面白いと思った事などを写真撮って送ってもらった方が、「早く会いたい」という気持ちも強くなる。
そうして送られてきた写真を、ブログやfacebookとかでアップしてるのだけど、この前颯友が図鑑に凝っていて、それを宿題などで活用してるって書いたら、お世話になった出版社の編集者の方から、新しい図鑑を送って頂いたそうだ。そんなつもりは毛頭無かったのだけど、こうしてお世話になった方が、見ていてくれて、こんな嬉しくて、タイムリーなプレゼントを送ってくれるなんて、と感動した。しかも直筆の手紙。ありがとうございます。
そういえば、自分がfacebookをやるようになったのも、震災直後、fecebookで世界中に物資援助を呼びかけたら、大量に物資が送られてきた事がきっかけだったな。
そしてまた妻からメールが送られてきた。
「ハヤト、今日は小学校の図書館からこんな本借りて来たよ」
やっぱり、鴨川シーワールドでの体験の影響が大きいのかな(笑)。
個人的には、もっと子どもたち自身の写真、見たいけどね。
最近、二男の颯友は、図鑑に凝っている。図書館で借りて来る本も、ご覧のようにほとんど図鑑系。
そんな図鑑をどんな風に活用しているかというと・・・
学校で出される平仮名のドリル。そこに、「○○」のつく、えをかきましょう。というおまけのような問題が。
初期の頃の絵。「くらげ」、字が反対。まあ、入学したての小学1年生ならこれくらいか
で、次は、「ぐるくん」。海の生き物で統一する事に決めたらしい。
次は「ようじうお」に「せみほうぼう」。この辺は僕の写真など見て、名前聞いてきたりしてたので、「お、けっこう覚えてるじゃん。えらい、えらい」って感じ。まあ、せみほうぼうには見えないけど。先生にも「くわしいね」と誉められて、調子にのりそうな予感。・・・・、ちなみに、「よろめしあ〜」でいいのか?○もらってはいるけど・・・。
が、次「ぬ、ぬたうなぎ」・・・、意地でも、魚系で統一したいらしい。
そして、「そ、そーどてーる?」。父も良く知らない。「そらすずめだい」とかじゃダメなのか?
さらには、「や、やしぶか?」。「颯友、何やしぶかって?」
「サメだよ、メジロザメの別名。パパ知らないの?」
「い、いや〜・・・、知ってるよ、あ、そうそう、メジロザメの別名だろ、知ってるさ〜」・・・・実際には知らない。
で、颯友の持っていた、魚図鑑のサメのページを開いてみると、確かに、メジロザメの事を「やしぶか」と呼ぶと書いてあった。
前に、タイ行ったときに、トビウオが飛ぶのを見て、「トビウオって、100mも飛ぶんだよ」って言ってたのも、図鑑から得た知識だったし。
徹底的に図鑑読みまくってるな、こいつ・・・。将来「さかな君」みたいになったりして。あ、でも借りて来る図鑑は魚に限らないから、さらに上行くか(笑)。そういえば、「トリ君」とかもいたよな。
今日は颯友の入学式だった。この日は日本にいれるように、ロケ日程も調整していた。
幼稚園から、一緒だったお友達。
幼稚園は別だけど、空手の道場や水泳教室で一緒だったお友達。
兄、海友と同級生のお兄ちゃんがいて、一緒に良く遊んでたお友達
マンションが一緒で、遊んでいたお友達
初めて出会うお友達
色んなお友達と、一緒になって、これから小学校生活がスタートします。
なんか初日から、仲の良さそうに暴れていたこのメンツ。意外とアイドル系?かな。1年生不良グループを形成しそうな雰囲気ムンムン。
そして、颯友の座席は、名簿順とはいいながらも、廊下側の一番後ろ。う〜ん、やっぱり不良の位置。ちなみに、兄海友は、真ん中の一番前だった。
自分もどんなに席替えして、前の席になっても、机ごとこの位置、あるいは窓際の端っこに勝手に移動してたな〜。不良ではなかったけど。
仲良しの男の子とだと、看板の前での記念撮影も、まともには、撮れない。まあ、それぐらいが良い感じだけど。
とにかく、おめでとう。
バハマのタイガーシャーククルーズから帰国した3月16日の翌日、17日の朝、二男の颯友は、幼稚園を卒園した。
長男の海友のとき以上に、なかなか幼稚園の催しに参加してあげることができなかったから、「卒園式と入学式だけは、なんとしても出る」と、ちょっと前に、颯友と男の約束していた。
前にもこんな事があったから
「うそつきんこ」と言われた日
前日、飛行機もスケジュール通り無事に到着して、時差もあり、ほとんど寝ずにリビングで作業していたら、寝室から妻が起きてきた。
妻「チチ、明日さ〜、海友を病院に連れて行ってくれないかな〜」
自分「え?どうしたの?」
妻「なんかね、怪我してそのままにしていた指がね、結構腫れてきちゃってるんだよね。もうすぐタイに行くし、一度お医者さんに見といてもらった方がいいと思って。忙しいし、時間も無いから、チチがいるときに分担して行っといた方がいいと思って」
自分「え?でもオレ、明日颯友の卒園式の後、すぐ寺山君が来て、オーシャナロケで鳥取だけど」
妻「うん、だからね卒園式行かないで、病院連れて行ってもらえないかな」
正直、一瞬返答に窮した。「男の約束」を二男としたのに・・・・。でも、長男が楽しみにしているタイロケ(旅行)で、もし指が化膿して潜れなくなるのは可哀想だし。
妻はこの卒園式の後、「さよならの集い」みたいなのが、先生と子どもたちと、お母さんたちだけであって、その卒業対策委員会の担当者だったから、この日のために、ほぼ母子家庭状態にも関わらず、徹夜で色々な作業をしてきていて、こと卒園式に対しての思い入れが強い。
長男を病院に連れて行ったら、自分は間違いなく、二男の卒園式にはまったく出れない。
しばらく葛藤した挙げ句、妻にこう提案してみた。
「オレが卒園式でて、ミナが病院連れていけば。それでも、さよならの集いは間に合うでしょ。もし、病院が長引くようなら、卒園式終わったら、交替するし・・・」
しかし、この発言は、車登園が禁じられていて、今まで雨の日も風の日も、そして雪の日も、大震災のときも、一緒に幼稚園に自転車と徒歩で通い続けた二男の晴れの舞台を、当然見るものと思っていた妻を呆れさせてしまった。
でも、自分には、これが最善の方法だと思った。、「颯友との約束を守ること」、「海友がタイで海に入れなくなっては可哀想だということ」、「卒園式にかける妻の思い」。
自分が帰国したばかりで、フラフラで、卒園式が終わったら、その直後に車で鳥取にロケに行かなければいけないという、ハードな状態であるということは、その葛藤の中には、入れる余地も無かった。
こんな些細な事でも、全ての事を完全に全員が満足行く結論を出すことがなかなかできないな〜と感じた。
大げさかもしれないけど、家族や身近の人とのこういう約束事すら守れない、ちゃんと対処する事を避けて、「面倒くさい」と逃げ出しているようでは、社会に出ても同じ事をしてしまうような気がするんです。
自分「じゃあ、わかった。自分が海友を病院に連れていくよ。卒園式出れないのは残念だけど」
そう答えると、しばらくして、妻が「やっぱ卒園式出ていいよ。さよならの集いが終わるのが、病院が閉まるギリギリ前だから、何とかダッシュで帰ってきて、海友病院に連れて行くよ」と言ってくれた。
そして、晴れて?僕も卒園式に出ることができ、先に家に戻り、海友が小学校から帰ってきたのを確認して、寺山君が車で僕を迎えに来て、鳥取まで9時間かけてたどり着いた。
移動中、気になって妻に電話してみた。「海友の病院は間に合った?」
「結局、間に合わなかったよ。でも、いいよ、そんな痛がってないし。明日か明後日、ちょっと学校行くの遅くして病院に連れて行くよ」
単純に合理的に考えれば、「なんだ別の日に行ける余裕があるんじゃん」って事なんだけど、そうじゃない部分が人との関わりには沢山あるのだということも、考えなければいけないって事ですね。
颯友、卒園おめでとう。そして、もうすぐ小学校の入学式。
北海道から戻ってきた翌日の土曜日、妻が風邪気味ということもあり、二男颯友を幼稚園に送りに行った。颯友の通う幼稚園では、土曜日登園のときに、たまに「すくすくパパ」というプログラムがあり、園児たちとパパだけが園内で遊べる。ママは入れない。
忙しかった事もあるのだけど、3年間の幼稚園生活で自分がすくすくパパに参加できたのは、過去に一回だけ。
「今回が、颯友が幼稚園にいる間の最後のすくすくパパだよ。行ってくれば、颯友もきっとよろこぶよ」と妻に言われたこともあり、行くことにした。
自転車の後ろに颯友を乗せて幼稚園に行くと、沢山のおとうさんたちが園庭にいた。パパ飲み会で顔なじみになった人も多く、子どもたちとドッジボールしたり、缶蹴りしたり、はじめの一歩したり遊び回った後に、女の子対パパで障害物競走、男の子対パパで障害物競走が園庭全体を使って行なわれた。
男の子のとき、うみぐみとそらぐみ、それにパパチームの3チームで競争したのだけど、うみぐみの一番手が颯友だったので、パパチームの一番手で一緒に走ることにした。
手を抜いたところで、当然一番なので、手加減して走っていた。ゴールに近づいて、颯友の姿が見えないことに気がついた。どうやら、園庭後方にあるの山の裏側で転倒したらしく、ヒザを擦りむき左足を引きづりながら、顔の右目の横を擦りむいているのを隠しながら、姿を見せた。
「大丈夫か!?」と声をかけた途端、顔がくしゃくしゃになり、泣き始めた。皆から「はやとがんばれ〜!」「はやと君がんばって〜!!」と声援が飛ぶ。颯友は、余計に悔しくなって、さらに顔をくしゃくしゃにした。僕は、手をかす事なく、颯友がゴールして、次の子にタッチするまで見守った。
走った後、隣に座って「良く頑張ったな」と言って、頭を撫でた。放心したように前を見つめる颯友の身体は小刻みに震えていた。
何人かの女の子が近よってきて、「はやと君だいじょうぶ?」と言って、スパッツについた泥をはたいてくれたり、頭を撫でてくれたりした。「やさしいね。ありがとうね」とお礼を言ったけど、こういうのって、やられる本人にとっては、余計に悔しかったりするだろうなと颯友を横目で見る。颯友は、何も言わず、放心したように前を見つめたままだった。
「きっとパパに良いとこ見せたくて頑張ったのに失敗しちゃったのが悔しかったんだね」。家に戻ってから妻に言われた。
幼稚園の運動会も参加できたのは、3年間で一回。一緒に遊べることが少なかったからか、ロケから帰ると、執拗に肩車して欲しいとせがんだ事を思い出した。
肩車してやると、決まって長男の海友に、「かいと〜!見て〜!いいだろう〜!!」と自慢していた。
今日の朝、リビングのソファーに座っていたら、起きてきた颯友が僕の側にピッタリとくっついてきた。
「颯友、昨日パパがすくすくパパに参加して嬉しかった?」と訪ねると、ちょっと恥ずかしそうに頷いた。
「もっと沢山来て欲しかったんだよ。だけどさ・・・・」そう言ったまま黙り込んだ。
幼稚園の頃、ストレートに嬉しさを表現していた長男に比べて、二男はおちゃらけて、自分の思いをはぐらかそうとする性格だなと分かっていた。損な性格だな。そんなところは、自分にそっくりだ。
「ごめんな。でも、卒園式と小学校の入学式には絶対出るからね」と言うと、照れた笑いを見せながら「うん」と頷いた。そして、「パパ、一緒にレゴやろう」と珍しく一緒に遊ぼうと自分から言ってきた。
颯友が、幼稚園で誕生日のお祝いメッセージの入った絵本を持って帰ってきた。
これって、海友が幼稚園の時も年少、年中、年長と毎年持って帰ってきていた。
海友が6歳の頃、丁度今の颯友と同じ年長の時の「おおきくなったらなにになりたい?」という欄には、「カメラマン」と書かれていた。長男でもあるし、こんな事を6歳の息子に書かれたことに、正直感動して、涙腺がゆるんだ。
なので、颯友がその欄に何て書いているのか、すごく気になった。
でも、もし「カメラマン」って書いてあっても、きっと今回は泣かないだろうなと思っていた。2度目ということもあるけど、それ以上に奴のキャラクターによるところも大きい。過去に、颯友の行動に笑わせられた事は何度もあるのだけど、海友と違って、そ〜んなに感動させられた事が無い。
なので、どちらかと言うと意外な職業とか期待していた。
どれどれ・・・
・・・、か、からてのせんせい〜?
確かに意外だった。でも、笑えない。面白くはない。
それにしても、そんなに気合い入れて空手やってるようには見えないのだけど。何故空手の先生なのか?かなり低姿勢になって、「お願い、何でか教えて!」と何度か訪ねてみたけど、まったく教えてくれない。本人はただ単にウケを狙ったつもりなのか、それとも真剣なのか?ちゃんと理由を聞いてみたい。
あ!もしかして、棒術をオレに指導したので、得意になっちゃったかな?
以下、数日前のfbへの書き込み
空手の昇級試験後、家では、3人で型などの復習をしている。通常の型は教えられるのだけど、棒術(大城の棍)は、自分が子どものときに習ってなかった。なので、順番を覚えるのに戸惑っていると、幼稚園児の颯友に、「そこ、順番が違うよ。こうやって、こうやって、それからこうだよ」と棒を奪われ、指導を受ける。
「こうで、こうで、こう?」とやってみせると、「まあ、そんな感じ」と偉そう。「ありがとうございます。颯友先生!」と言うと、下を向いたまま、にやりと笑う。鼻の穴が大きくなっていて、ドヤ顔してるのがわかる。
「次は、どうですか、颯友先生?」とさらに追い打ちをかけると、もう満面ドヤ顔で見上げて来る。おかしくてかわいい。まるでチョッパーみたいだ。
昨日は午後から雨。風邪を引いてる妻の代わりに、二男颯友の幼稚園の送り迎え。行きは曇りだったので自転車だけど、帰りは雨。車での送り迎えは禁止の幼稚園なので、家から10分くらい傘さして歩いてお出迎え。行きは徒歩10分なのに、二人で歩くと、帰りは徒歩30分。雨で寒くても、寄り道しそうになるのを、「ほら、行くぞ!」と何度も方向修正しながら歩く。でも、しばらく前向いて歩いてて、後ろ振り返ると、あっという間に姿が見えない。しっかり飛行編隊組んでるつもりが、すぐに無言で離脱していく。僕の背中を見ながら、「にや」っと笑う颯友の顔が目に浮かぶ。
スリランカと次のニューカレドニア&バヌアツロケの合間、颯友の運動会と、海友と颯友二人の空手演武会があった。
当初の予定では、両方とも参加できると思っていたのだけど、スリランカロケの帰国日を自分が勘違いして、1日前に帰国できるはずが、運動会当日の帰国になってしまって、運動会には参加できず。颯友が楽しみにしていた親子騎馬戦は、友だちのジェームスが代わりに参加してくれて、颯友は大活躍できて大喜びだったそうだ。
前にも子育て日記にも書いた事があるのだけど、ジェームスは震災直後、妻がやっと開いたスーパーに買い出しに出かけたときに、財布を忘れてレジで困っていたら、離れたレジにいて買い物をしてたのに、わざわざお金を貸しに来てくれたのがきっかけで仲良くなった。ジャームスもそのとき、奥さんと、小さな3人の娘を連れての買い出しで大変だったろと思うのだけど、そういう優しさのある人たちだった。
今回も、一番上の女の子は違う幼稚園に通っていて、運動会に来る必要の無い立場であるにも関わらず、家族皆でやって来てくれて、ジェームズはしっかり助っ人役を果たしてくれた。
そんな頃、自分はスリランカから日本へ向かう飛行機の中。「雨降って、運動会延期になってないかな〜」と少し思ったりもしていた。帰宅してから、嬉しそうに騎馬戦の話をする颯友を見ていると、嬉しいような、残念なようなちょっと複雑な気持ちではあったけど、こういうのを快く手伝ってくれる友だちがいてくれた事に感謝した。
そして、その翌日は、雨。「雨が降るの1日遅かったな〜」と思いながらも、今日の空手の演武会は、何が何でも見にっいてあげないと、と思っていた。場所は、代々木体育館。子どもたちが通う礼心会は、極真からの分派なので、その極真の全国大会で披露する演武会だった。
久しぶりに、実践空手の組み手を見学して、自分も楽しめた。いつか海友や颯友もこんな実践組み手の大会に出たりする事があるのかな。できれば、途中で止めないで頑張ってもらいたいけど。
皆が緊張してる演武会のステージの上でも、余裕な表情の海友。
追記
後で聞いた話なのだけど、この演武が終わった後、空手の先生は、涙を流していたそうだ。自分は目の前にいたのだけど、体育館内が暑いから、汗かいてるのを拭いているだけなのかと思っていた。
何で泣いていたかと言うと、キッズクラスで、いっつも暴れ回っていたり、ダラダラしてまとまりの無い、ちびっ子たち、つまり颯友のような幼稚園児たちが、想像以上にしっかり演武を成し遂げてくれた事に感激していたのだそうだ。
確かに、たま〜に見学に行く道場では、だらだらしてる事が多くて、先生はとにかく声をからして、叱っているシーンを良く目にした。
望遠ズームで覗いていた海友も、颯友も、いつも以上にしっかりと演武しているのに、自分も感心した。・・・・だけど、普段からあれだけしっかりやってくれてれば、いいことなんだけどね。
昨日は、新橋にあるBOXでスライド&トークショーだった。多くの方に来て頂き、本当に感謝しています。ありがとうございました。
しかし、「いつもの事」とは言われるものの、今回は本当にギリギリまでスライドが完成しなかった。というよりは、実際には予定していたテーマのスライドショーを完成させることができなったので、早々にビールを飲んで酔っぱらって、その勢いでごまかして乗り切った。
言い訳をするようだけど、今回はかなり急な事だったし、直前に岩手にボランティアの取材に行っていたので、写真セレクトがスライドショーの前日、スライドを作り始めたのが、当日の朝4時くらいからだった。
なんとか時間までに間に合わせようと思っていたら、前日寝る前に「明日は颯友の表現の集いと、海友の学校の学校祭で、社会見学発表会があるからよろしくね」との妻の一言に、「え〜〜〜、明日だったけ?」。
妻「何?何かあるの?」
僕「だって、スライドショー、明日だって言っておいたじゃん」
妻「まだできてないの?表現の集いと学校祭も明日だって言っておいたよ」
僕「無理だよ、無理、スライド間に合わない」
妻「え〜〜〜、颯友の発表会と、海友の発表会、ギリギリで両方見れるんだよ」
僕「だって、スライド作らないと、なんとか徹夜で頑張ってみるけど、ダメだったら,行けないよ〜。だから明日の朝判断するよ」
妻「もう〜、じゃあ、カメラだけ借りてもいいの、用意しておいてね」
というようなやり取りが行なわれた直後、「徹夜で頑張る」と言っていた僕は、あっと言う間に睡魔に襲われ、気づいたら、いつものように9時には眠りにつき、夜中の12時に慌てて目を覚まして、写真セレクトと、スライドショーの作成に取りかかったのだった。
で、翌日の朝は激しい雨。まだスライドはできていないけど、こんな状態で子供たちの発表会を妻一人に任せるのは、あまりにも申し訳ないし、子供たちのが終わってから、時間までに何とか完成させるアイディアを考えて、朝起きて来た妻に「大丈夫、両方とも行くよ」と伝えた。
実際、見に行きたかったし。しかし、妻が「分担して行こうよ。私が颯友の方見に行くから、父は海友の方に行って。雨だし、間に合わないといけないから」と言ってくれた。
ということで、この日は、颯友は、劇と音楽発表会。
普段見慣れている小ちゃい二男の颯友も、こうして写真で見ると、かなりしっかりして見えるときもあるな。
そして、海友は以前颯友の通う幼稚園を友達と一緒に社会見学に行ったときの発表会をそれぞれ行なった。
日本にいれる間は少しでもこういう行事に参加してあげないとと思う。特に長男の海友の方は、今すごく自分に色々見てもらいたい、という気持ちが強いような気がするから。
これは、自分の発表会が終わって、兄の小学校にやってきた颯友が、あさりちゃん(?)という千葉のキャラクターと一緒に撮った記念写真。
これを撮影した直後に、3人を置いて自分だけ家に戻り、スライド作成作業に戻ったのでした。
ちなみに、こんな写真で自分の心境を表現してみました。写真は、救助信号用の黄色い液が漏れだして、どうしようもできないでいる某デイドリームの僕の尊敬するガイド、S子さんと、ちょっと引き気味に、一体どうするのだろうと、様子を伺うゲストダイバーの人たち。
もちろん、トーク中のアルコールは必須でした。
ええ、酔わないとやってられませんから。
今回は、3組の子供連れの参加者も。BOXの二階席でくつろいで、スライドショーを楽しんで頂きました。
ありがとうございました〜。
ロケの合間に帰国する短い期間で、最近たま〜に、颯友の幼稚園の友達のお父さんたちと、飲んだりすることがあった。いつも4人くらいのメンバーだったのだけど、前回の飲み会のときに、「次回は、もう少し集めてみるか」ということになり、幹事役の良く幼稚園の行事に参加しているお父さんに声掛けをお願いしていたところ、なんと13人ものお父さんが参加することになった。
最初は、そんなに多くなったんだ〜、大丈夫かな。初めて会うお父さんもいるのに、会話が盛り上がるだろうか。。。と不安に思っていた。それに、飲み会当日は、強風に大雨。飲み会の会場は、新浦安駅前。なんかちょっと行くのどうしようかなという気持ちがふつふつと沸いてきていたのだけど、幹事のお父さんは、同じマンションに住んでるし、一度電話してみたら、「一緒にバスで行きましょう!」ということに。しかも、隣のマンションのお父さんの奥さんが、車で送るので僕らを乗せていってくれると妻にメールが入った。皆結構行く気満々だったので、今更「行くの辞めよっかな〜」とも言えない状況になり、車で送ってもらい、駅前の飲み屋さんに。
3人が到着したときは、まだ時間より早くて、誰も来ていなかった。もしかしたら、同じように思っていて、来ないお父さんもいるかな〜と思っていたら、7時のスタート時間3分過ぎには、「来る」と言っていた、お父さんは全員そろうという皆勤振り。この強風と雨の中、歩いて来たというお父さんもいたりして。
幹事のお父さんは、すでに顔見知りばっかりなんだろうけど、その日集まったお父さんで自分が知っていたのは、前に飲んだ事のある4人だけ。
しかし、不安をよそに、飲み会は、自己紹介から結構盛り上がり、サッカーチーム作ろうとか、お揃いのTシャツやユニフォーム作ろうとか、Jリーグ観戦や、ダイビング行こうとか、何か皆で、悪戯しようという、まったく子供の話とは関係無いネタで相当に盛り上がった。なんと、ダイビング始めたばっかのお父さんや、すでに200本潜ってるお父さん、昔沖縄のシーサーでガイドをしていたとうお父さんまでいて、ダイビングの話で盛り上がったのも意外だった。
「2次会に行く人!」と決を取ったら、こちらも全員参加。
おまけに、途中のゲーセンで見つけたプリクラで、初めて会ったお父さんもいるにも関わらず、男12人(一人は2次会から参加)でこんなプリクラ撮影までしてるし。。。。
しかも、カップル用のプリクラに12人て。。。「二人が付き合って10年」というコメントの中に12人の男の顔が入ってるし。ハートマークの中におさまりきらないし、黒目大きくて気持ち悪いし。普通撮らないだろう!って感じだけど、自分だけでなく、皆もやっぱり相当に楽しかったのかもしれない。 あ、でも、こんな写真掲載して大丈夫かな? 次回は一人3人づつ新たに連れて来る事!みたいな感じで言われたけど、そしたら、39人じゃん。。。第一、そんなにお父さん知らないし。プリクラに入り切らないし。。。、あ、まあプリクラはどうでもいいか。
結局7時に地元の駅前で始まった、「パパ飲み会デラックス」(誰かが、お母さんたちの間で、そんな風に噂され,結構今回の飲み会の動向が注目されているらしいとのことだった)は、5時間も盛り上がり、夜中12時過ぎにお開きになった。
なんか予想外に面白かったので、また是非集まりたいな。
先週の土曜日は、二男颯友の幼稚園の運動会だった。天気も良く、運動会日和。年少の時の運動会には行けなかったので、今回は是が非でも参加しなくてはと思っていた。
長男、海友の運動会は、年少、年長は出れたけど、小学校に入ってからの2年間はいずれも観に行くことができていない。
最近は特に子供たちも、友達と遊びに行く事の方が多くなってきたから、なんだか以前より疎遠になってきているような印象がある。だから,今回は何としても観に行かなければと思って参加したのだけど、疲労と、風邪で体調は最悪だった。
それでも、無邪気にはしゃぐ颯友の楽しそうな笑顔を見ていると、「来て良かったな〜」と心の底から思った。
特に親子競技のときに、自分と一緒にデカパンを履いて走る颯友の嬉しそうな笑顔が印象的だった。普段は自分にはいたずらな笑顔は見せるけど、こんな無邪気で楽しそうな笑顔はなかなか見せてくれないから。
今日は、二男颯友の幼稚園で、「パパが人気ものになれる日」SUK SUKパパの日というイベントがあって、行ってきた。
要するに、登園後に、普段あまり遊べないパパと遊ぶ時間を設けて、一緒に遊ぶというものだ。中には知り合いになって、お酒を飲みに行ったこともあるお父さんも少しはいるので、人見知りな自分も多少は安心しながら参加した。
最初は、中当てや、相撲とか色々やって遊んでいたのだけど、途中から颯友は仲の良い友達と二人で、砂場に大量に水を流し込んでどろんこになり始めた。手も足もべちゃべちゃのドロドロだ。
「あ〜あ」と思っていたのだけど、どうせいつもこんななんだろうな〜と思いながら、一緒に遊んでいると、一つ上の年長の子が、泥砂遊びしながら、僕に話しかけてきた。
その子「ねえ、ほうしゃせいぶっしつって知ってる?」
僕「え?ほ、放射性物質?うん、知ってるけど(何?何?)」
その子「今からこの穴に、このほうしゃせいぶっしつの入った水を流し込みます」
僕「ほほ〜、はい、流し込んだ〜。で?」
その子「これでほうしゃせいぶっしつのプールの完成です」
僕「なるほど〜。そこが放射性物質のプールになっていて、外に出ないように溜め込んでいるんだね〜」
その子「そう、これに入るとどうなるか知ってる?」
僕「え、やばいんじゃないの」
その子「よごれちゃんうだよ。すっごくよごれちゃうんだよ。だから入っちゃいけないんだよ」と語気を荒げる。
僕 「そ、そうだよね〜。さすが年長さん!」と言いながら、横目で颯友とその友達を眺めると、すいでに奴らは、その"ほうしゃせいぶっしつ"の入ったプールに、足と手を突っ込み、めちゃくちゃに汚れているところだった。
その子「あ、だめだよ!よごれちゃうよ〜!!」とマジ顔で止めに入る。
僕 「いいの、この子らは、もうすでに汚れてるし、第一、そんな事で死ぬタマじゃないから」
その後、そのプールからドロドロの砂を書き出した颯友は、
「パパ〜、これで泥団子作って〜」と俺まで汚染させようとしたのは言うまでもありません。
冗談にでもしてないとやってられませんね。撮影は禁止だったので、こんな写真にしてみました。
ここ数日間、家にはいたのだけど、色々バタバタしていた。写真集や夏の写真展の事、救援物資の対応、新たに作成するカメラハウジングの打ち合わせなどなど。
まず、デイドリームの依頼でパラオのペリリューに滞在しているときに、いつも子供たちと沢山遊んでくれたソアイが、婚約者の女性を連れて家に遊びに来てくれた。すでにデイドリームは退社してしまったそうだ。デイドリームを辞めてしまったことは、ちょっと残念だけど、これから新たな人生を歩んで行くことは、応援してあげないといけない。
ペリリューでは、海友は、本当に良く遊んでもらっていた。
きっと日本にいる間、沢山の人が会いたがっているに違いない。わざわざ浦安まで会いに来てくれたことは、家族全員、本当に嬉しかった。
救援物資に関しては、今は極力現地に直接送ってもらうようにお願いしている。自分は、今現在どこが何を求めているかを確認して、協力してくれている人に、岩手に送って下さいとか、石巻に送って下さいとか、そういう指示を出させてもらっている。
おかげで、家に届く救援物資の数は以前よりは少なくなった。僕がいない間の仕分けは本当に大変だったと妻が言っていた。
最近は、衣類などよりも、生成食料品や野菜などが求められている。だから、買い置きはできないから、購入したら、すぐに送るように手配しなければいけない。皆にお願いするよりは、こちらで購入して、送った方が効率がいいので、今はそうすることにしている。
石巻でボランティア活動しているOWSの理事、田中さんからは、資材が全て流されてしまった、対策本部などにPCが必要だったり、被災状況を保険会社に伝えるために、デジタルカメラの貸し出しをしたいというので、中古のパソコンや、中古のコンデジを、提供することにした。
今まで、物資援助に協力してくれていた方にも、メーリングリストで連絡して、数台づつだけど、提供してくれる人が現れた。
22日、海潜隊のとおるさんが、物資などを持って、牡鹿半島に炊き出しに行くというので、僕の提供するパソコンとコンデジを引き取りに来てくれた。
また、新たな現地情報を提供してくれることになっている。
岩手のくまちゃんの方には、救援物資の他、中古の洗濯機を探して、GWにボランティアで海中清掃に行く、クマちゃん基金を立ち上げた、早乙女君が、トラックで運んでくれることになった。
この他、仙台にあるドルフィンというダイビングサービスが、支援物資の配給などの活動をしているため、その資金援助として、そこで作成している「がんばろうTOHOKU」タオルを何本か購入した。こちらで販売して売れたら、また購入して、活動資金の援助をしようと思っている。
今日は、海友の小学校の授業参観だった。海友のクラスは、音楽と国語。皆は先生の方を見てるのに、海友は、僕や妻と目が合う度に、何度も手を振って来る。それに姿勢が悪い。一番前に座っているのだけど、あれは、どう見ても、一番後ろの窓際に陣取る、ちょっと不良な感じの学生って感じだ。
颯友も連れてきていたのだけど、途中で退屈したので、僕が連れて帰ることに。町の中は、まだまだ液状化で道路に体積した泥を入れた土嚢が積み上げたままになっている。新しく出来た公民館も、まだ利用できない状態だ。
学校のグランドも照明が使えないので、サッカーの練習はいまだ再会していない。
最近、やっと駅前のプール教室が再会して、昨日は海友を連れて、プールに行ってきた。
明日は、浦安市議会選挙の投票日。
震災から3日目、昨日は、体調を崩してまったく役に立たなかった自分だけど、今日は少しでもと思い、給水場の小学校まで水をもらいに行った。
震災の瞬間は、車に乗っていて、幕張から浦安に戻る途中の橋の上にいた。最初は突風が吹いているのかと思ったのだけど、道の左右のライトが激しく揺れているのを見て、地震だとわかり、とにかく橋を渡り切って、上に何も無いところで停止した。他の車も同様に止まっていた。
しばらくして、揺れが収まったので、すぐに家に戻るが、あちこちで道に亀裂が入り、液状化現象で道路には、泥水が溢れ出していた。マンションの駐車場に入ろうとしたが、駐車場の入り口が破壊されていて、中に入れないので、路駐して家に戻ろうとしたら、海友の同級生のお母さんに声をかけられ、妻と颯友は海友を迎えに小学校に行ったらしいというので、そちらに向い、合流することができた。
あの時間帯で、家族全員がすぐに合流できただけでも、本当に幸いだった。ただでさえ、海外に出てることが多いから。
この日の夜は、停電だったので、ロウソクと懐中電灯の光で過ごした。
しかし、その日の夜から、僕は急激に体調が悪くなり、高熱と下痢と嘔吐に見まわれた。上下水道が被災して、使えない状況で,トイレはバスにあるバケツにビニールを敷いてしなければいけない。大と小は分けていたのだけど、子供たちには分けてしろと言っても、大人の自分でさえ、難しいのになかなか出来る訳が無い。
翌日の買い出しは、妻が隣の人と一緒に行くことにした。家の前にあるスーパーマーケットは、食料や飲料水を求める人で大混雑だったそうだ。その人と手分けして、お隣の人が水を担当、妻が食料を担当して開店と同時に二手に別れて店内に飛び込んだそうだ。
しかし、ほとんどの人が水目当てだったので、ストレートに水売り場に向かった人はたどり着くのが困難で、食料担当で迂回して反対側から回った妻の方が誰よりも先にそこにたどり着いて、難なく、2家族分飲料水を確保できたそうだ。相変わらず運の良い人だと思った。
その後も、僕はお風呂の仮設トイレで、嘔吐と下痢を繰り返し、まったく役に立たない始末。悪寒もしてきたので、厚着をして布団の中にくるまっていた。出かける度に、給水の情報や、新たな物資を調達してくる妻に、「ごめんね」と謝ると、「一緒にいるから、子供たち残して、買い出しに行けるんだよ」と言われた。
2日目は、そんな妻の孤軍奮闘で終わった。他のエリアでは、下水道も破損しているのに、トイレを使用してバケツの水で流していたので、汚水が溢れ出して異臭を放っているとも聞いた。お風呂で、バケツをトイレ代わりにしていたのは、そんな理由もあった。
サランラップを沢山買ってきた妻は、「これをお皿に被せて食事してね。そうすれば、そんなに洗わないで何度も使えるから。
ペット用の強力消臭デオシートの購入は、一緒に買い出しに行った、ペットの犬を飼っているお隣さんのアイディア。これを使ってトイレに利用すればいいということだった。
身体を拭くのは、水に浸したタオルではなくて、もう着ないだろうTシャツなどの衣類を使った。そうすることで、洗濯しないで済むようにして、洗濯物を出さないようにつとめた。
3日目、嘔吐や下痢、悪寒は収まった。この日、自衛隊が船で300トンの水を浦安に届けに来るという連絡が入った。
体調もかなり回復したので、この日は給水場の小学校に水をもらいに行くのと、この近辺で唯一給油をしてくれるというガソリンスタンドにガソリンを入れに行った。しかし、20リットルの制限つきだ。幸い、そんなにガソリンは減っていなかったので、12リットルで満杯になった。
レギュラー1リットル140円だった。
妻の実家も、義姉夫婦の家も、この新浦安にあるから、どこも同じように、断水している。このエリアの上下水道の復旧作業は,17日をメドに進められている。多くの近隣の人たちが、ホテルに宿を取ったり、実家に戻ったりしていると聞いた。
家があって、電気がついても、水が無い生活は、相当ストレスになるのだろう。皆、お風呂には入りたいらしい。しかし、僕ら二人とも、ヤップとか様々な場所で、結構なサバイバル生活を余儀なくされた経験があるからか、あまり苦と感じない。子供たちも今のところ、特に不平は言わない。
それよりも、40リットルも給水してもらい、家に戻ってバスタブに入れたら、1/5にも満たないのを見て、いかに普段ふんだんに水を使えているかを思い知らされた。
海友の通う小学校には、仮設トイレが設置されていたけど、女性や子供がするには、やはり抵抗があるように思えた。
この日は、僕と入れ替わりに、海友が体調を崩し、吐き続けていた。夜には回復していたけど。
この地震の前まで、ちょっと地震が起きるだけで、「あ、地震だ」と言って、一人テーブルの下にいそいそと隠れていた颯友は、その後余震が起きても、「たいしたことないね」と言って、黙々と遊び続けていた姿が印象的だった。普通は逆じゃないのか。
とにかく、自分たちは被災者と言っても、東北の人たちに比べれば、暖も取れる家もあるし、電気も付くし、水もどうにか確保できる。もっと、もっと、救いの手を差し伸べなければ行けない人たちが沢山いる。
昨日は、今年のバハマ1週目の参加者の人たちが、沢山のお料理と、子供たちへのおみやげを持って、家に遊びに来てくれた。
ただでさえ、テンションの高い二人。特に3歳児の暴れん坊、颯友の勢いに拍車がかかり、家の中で皆を捕まえては暴れ回っていた。
長男の通っていた幼稚園も、どちらかと言えば、自由奔放に好きなことをやらせる方針のところを選んで入園させたのだけど、今颯友が通っている幼稚園は、そこにも増して、さらに自由奔放に遊ばせているらしい。脳天気な妻が、たまに、「これで大丈夫かしら。。?」とちょと不安になるくらいらしいから、相当なものだと思う。
これにはちゃんと理由があって、小さい頃に、「あれはダメ、これはダメ」とやりたいことを押さえつけることで、子供たちはストレスがたまり、将来「キレ易く」なるということらしい。そのため、小さい頃は、とにかくやりたい事をやらして、パワーを発散させることで、「キレにくい」子供に育てて行くという方針なのだそうだ。
幼稚園での活動を妻に聞くたびに、「面白そうなことしてるな〜、いいな〜」と自分は思ってしまうのだが、人によっては、きっと、「そんな事してるの?」と呆れてしまう人もいるのかもしれない。
まあ、おかげで二男は、かなりやんちゃで面白いキャラクターになっていることは間違いない。これで、本当にキレない子供に成長してくれれば、今の苦労はたいしたことじゃないと思うことにしている。
そんな成長っぷりを見て、遊びに来てくれた人たちはどう思ったんだろう。笑顔で対応してくれていたけど、大丈夫だたのかな?色々ご迷惑おかけしてすみませんでした。来年のバハマをちょっとだけ心配しつつ、長男がお兄ちゃんになって、しっかりしてくれていることだけを願っている。今から、二男が大人しくなるとは到底思えないから。
昨日は長男の学校開放日だった。家で仕事していたので、妻と一緒に見学に行くことにした。まだ建って数年の校舎は、船をテーマにしたおしゃれなデザインで、ところどころに遊び心が満載だから、たまに行くと自分も楽しくなってくる。
そんな校舎の廊下の壁に、沢山のカラフルなゾウの絵が展示してあった。子供たちの描いた、ゾウのエルマーの絵だ。カラフルで、個性的なエルマーたちが、壁いっぱいになっていて、見ているだけで楽しくなった。カメラを持っていっていなかったので、携帯で自分の気に入ったエルマーを撮影していたら、4クラスあるので、結構な数になってしまった。でも、せっかくだから撮影したしたもの全部アップしよう。皆さんはどのエルマーが好きですか?
ジャングルの奥に、楽しそうに暮らすぞうの群れがありました。ぞうたちはみな同じぞう色ですが、その中でエルマーだけがつぎはぎ、まだらのぞう。体は、きいろ、だいだいいろ、あか、ももいろ、むらさき、あお、みどり、くろ、そして、しろ......と、ぞう色ではありません。みんなを笑わせる主役はいつもエルマー。でもエルマーにとって、自分だけ違っていることは悩みのたねでした。そこである日、エルマーは「ほかの ぞうと おなじいろに なりたいな」と考えて、こっそり群れを抜け出します。
体中、あふれるばかりの色でいっぱいのエルマーはジャングルの人気者。自分だけまわりと違うことに悩み、なんとか同じになろうと試みます。違っていることが個性であり魅力であることに気づかず、まわりに同化しようとするエルマーの姿はちょっぴり悲哀的。けれども、本来の明るい性格が仲間たちとの融合を招き、みんなで一緒に「違い」をお祝いする「エルマー記念日」がお話の最後を飾ります。お互いがお互いを認め合い、楽しく晴れやかな気分でお祭りのパレードするぞうたちの姿には、個性の尊重が象徴されているとも言えるでしょう。カラフルなエルマーは、小さな子供たちの人気者になること間違いなし。いろいろな模様の、いろいろな色のぞうが登場する「エルマー記念日」。これを祝うぞうたちの表情がすてきです。
一昨日は、二男颯友の通う幼稚園での「夕涼み会」だった。
その準備のために、男手が必要ということで、僕と、同じマンションに住む颯友のお友達のお父さんが、かり出された。「僕も手伝う〜」と長男の海友も一緒に幼稚園へ。
果たして、ちゃんと手伝ってくれるのかと心配したが、クラスの催し物が、ヨーヨーだったので、すでに用意されていたヨーヨーを運び、プールに水を張るだけだったので、特に問題は無し。
その後、幼稚園の子どもたちが到着して、盆踊り(?)を2曲ほど踊って、それぞれのクラスでお母さんたちと、先生によって用意されたアトラクションを子どもたちが楽しんでいた。
夕涼み会の後は、仲の良いママ友達家族4組で、隣のマンションのスカイラウンジの一室を借り切って、ファミリーパーティーをした。子どもたちは騒ぎまくり。僕は、なかなか家にいなくて交流の機会が少ないのだけど、こういうのも悪くは無い。
その一室からは、ディズニーランド、観覧車、都心の風景が一望できる。
と、ここまで書いて、特にネタが無いことに気づく。。。。もしかしたら、あったかもしれないんだけど、一昨日の事だから、すっかり忘れてしまった。
なんか惰性で書いてるみたいになってきた。う〜、、、
あ、そうだ、昨日はダイビングで知り合った人の結婚式の撮影を頼まれていた。7月の炎天下での撮影(外での撮影も少しあった)で、僕はシャツがしぼれるほど、汗でびっしょりになった。
「僕の日本にいるタイミングで式の日取りを決める」と言ってくれていたので、中途半端な事はできなかったから、久しぶりに、マジで結婚式の撮影をした感じ。でも、喜んでもらえる撮影ができたか、いつも心配になる。今回も同じ。アルバムにした写真を見て、喜んでもらえると嬉しいな。
結婚式の撮影は嫌いじゃない。皆が幸せそうにしてるから。そういうのを、客観的にファインダーを除きながら眺めているのが、僕にはとても幸せで心地よい。中心にいるよりも、自分の性に合ってるんだろうなといつも思う。
末永くお幸せに。
二男、颯友が、最近やけに「キャップある〜、ねえ、キャップある〜?」というので、何の事かと妻に聞いてみたら、颯友の幼稚園で、「エコキャップ運動(捨ててしまうペットボトルのキャップをリサイクルし、発展途上国に寄付しワクチンに変える)」という活動を行なっているそうだ。