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イルカやクジラと泳ごう!INTO THE BLUE > Kid's Diary > 震災3日目の新浦安
震災から3日目、昨日は、体調を崩してまったく役に立たなかった自分だけど、今日は少しでもと思い、給水場の小学校まで水をもらいに行った。
震災の瞬間は、車に乗っていて、幕張から浦安に戻る途中の橋の上にいた。最初は突風が吹いているのかと思ったのだけど、道の左右のライトが激しく揺れているのを見て、地震だとわかり、とにかく橋を渡り切って、上に何も無いところで停止した。他の車も同様に止まっていた。
しばらくして、揺れが収まったので、すぐに家に戻るが、あちこちで道に亀裂が入り、液状化現象で道路には、泥水が溢れ出していた。マンションの駐車場に入ろうとしたが、駐車場の入り口が破壊されていて、中に入れないので、路駐して家に戻ろうとしたら、海友の同級生のお母さんに声をかけられ、妻と颯友は海友を迎えに小学校に行ったらしいというので、そちらに向い、合流することができた。
あの時間帯で、家族全員がすぐに合流できただけでも、本当に幸いだった。ただでさえ、海外に出てることが多いから。
この日の夜は、停電だったので、ロウソクと懐中電灯の光で過ごした。
しかし、その日の夜から、僕は急激に体調が悪くなり、高熱と下痢と嘔吐に見まわれた。上下水道が被災して、使えない状況で,トイレはバスにあるバケツにビニールを敷いてしなければいけない。大と小は分けていたのだけど、子供たちには分けてしろと言っても、大人の自分でさえ、難しいのになかなか出来る訳が無い。
翌日の買い出しは、妻が隣の人と一緒に行くことにした。家の前にあるスーパーマーケットは、食料や飲料水を求める人で大混雑だったそうだ。その人と手分けして、お隣の人が水を担当、妻が食料を担当して開店と同時に二手に別れて店内に飛び込んだそうだ。
しかし、ほとんどの人が水目当てだったので、ストレートに水売り場に向かった人はたどり着くのが困難で、食料担当で迂回して反対側から回った妻の方が誰よりも先にそこにたどり着いて、難なく、2家族分飲料水を確保できたそうだ。相変わらず運の良い人だと思った。
その後も、僕はお風呂の仮設トイレで、嘔吐と下痢を繰り返し、まったく役に立たない始末。悪寒もしてきたので、厚着をして布団の中にくるまっていた。出かける度に、給水の情報や、新たな物資を調達してくる妻に、「ごめんね」と謝ると、「一緒にいるから、子供たち残して、買い出しに行けるんだよ」と言われた。
2日目は、そんな妻の孤軍奮闘で終わった。他のエリアでは、下水道も破損しているのに、トイレを使用してバケツの水で流していたので、汚水が溢れ出して異臭を放っているとも聞いた。お風呂で、バケツをトイレ代わりにしていたのは、そんな理由もあった。
サランラップを沢山買ってきた妻は、「これをお皿に被せて食事してね。そうすれば、そんなに洗わないで何度も使えるから。
ペット用の強力消臭デオシートの購入は、一緒に買い出しに行った、ペットの犬を飼っているお隣さんのアイディア。これを使ってトイレに利用すればいいということだった。
身体を拭くのは、水に浸したタオルではなくて、もう着ないだろうTシャツなどの衣類を使った。そうすることで、洗濯しないで済むようにして、洗濯物を出さないようにつとめた。
3日目、嘔吐や下痢、悪寒は収まった。この日、自衛隊が船で300トンの水を浦安に届けに来るという連絡が入った。
体調もかなり回復したので、この日は給水場の小学校に水をもらいに行くのと、この近辺で唯一給油をしてくれるというガソリンスタンドにガソリンを入れに行った。しかし、20リットルの制限つきだ。幸い、そんなにガソリンは減っていなかったので、12リットルで満杯になった。
レギュラー1リットル140円だった。
妻の実家も、義姉夫婦の家も、この新浦安にあるから、どこも同じように、断水している。このエリアの上下水道の復旧作業は,17日をメドに進められている。多くの近隣の人たちが、ホテルに宿を取ったり、実家に戻ったりしていると聞いた。
家があって、電気がついても、水が無い生活は、相当ストレスになるのだろう。皆、お風呂には入りたいらしい。しかし、僕ら二人とも、ヤップとか様々な場所で、結構なサバイバル生活を余儀なくされた経験があるからか、あまり苦と感じない。子供たちも今のところ、特に不平は言わない。
それよりも、40リットルも給水してもらい、家に戻ってバスタブに入れたら、1/5にも満たないのを見て、いかに普段ふんだんに水を使えているかを思い知らされた。
海友の通う小学校には、仮設トイレが設置されていたけど、女性や子供がするには、やはり抵抗があるように思えた。
この日は、僕と入れ替わりに、海友が体調を崩し、吐き続けていた。夜には回復していたけど。
この地震の前まで、ちょっと地震が起きるだけで、「あ、地震だ」と言って、一人テーブルの下にいそいそと隠れていた颯友は、その後余震が起きても、「たいしたことないね」と言って、黙々と遊び続けていた姿が印象的だった。普通は逆じゃないのか。
とにかく、自分たちは被災者と言っても、東北の人たちに比べれば、暖も取れる家もあるし、電気も付くし、水もどうにか確保できる。もっと、もっと、救いの手を差し伸べなければ行けない人たちが沢山いる。
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心配してました。家族みんなが無事で良かったです。何か出来ることないでしょうか?遠慮無く言って下さい!!
颯友くん、たくましいですね^^
とにかく越智さんも海友くんも今は体調が回復した用で何よりです。
越智さんが国内に居たことがとてもご家族にとって一番良かったことですから、ミナさんが言うように、体調を崩してしまっていても、すごく家族の励みになったと思います。
まだまだ不便かと思い、胸が痛いです。
家族が明るく笑顔で居られるよう、そして何よりもの早い復旧を願っております。
現地で戦い続けるのに疲れたら、こっちにおいでよ。エスケープする事も、家族や心には大切な事だと思います。
どうもありがとうございます。明るさだけが取り柄の家族なので、今のところは大丈夫です(笑)。
めぐちゃん、どうもありがとう。ミナは、「大丈夫だよ。行ってきなよ」と言われますが,21日からの次のロケ、行くかどうか悩んでいるところです。
越智家のみなさんが無事で安心しました。
海外にいることが多い中、この時期に越智さんが日本にいたことは、
ミナさんやカイちゃん、ハッティにとって、すごく安心で、心強いことだと思います。
そちらも大変なことになっているんですね。
こちらも地震直後に停電になり、しばらく蝋燭と懐中電灯の生活でした。
地震はしょっちゅうおこるから、今まであんまり危機感を感じたことはなかったけど、今回の地震で甘く見てはいけないということを実感しました。
停電だけであんなに大変だったのに、水のない生活は相当不便なんだろうと思います。今日から計画停電も始まり、ますます不便になると思いますが、越智家や被災された方々が無事に過ごせることを祈っています。
何かできることがあったら言ってくださいね。
もーりー、ありがとう。皆元気だよ。 水が出ないのは、そんなに苦じゃないんだけど(南の島で慣れているから)、給水場から持ってきた水も、本当に少しづつしか使えないのがね。下水道管も壊れているから、流せないんだよね。それが問題かな。しかsも、それって自分の家でどうこうできる問題じゃないからね。同じマンションの人全員が気をつけないといけないことだからさ。
でも、なんとかやっています。ありがとうね。
この度の被災、心よりお見舞い申し上げます。
同じ千葉県なのに、被災状況がこんなにも違うとは驚きです。
地震がおこった時、越智さんが日本にいる時で良かったのよね・・・・
野田市は大きな被害は免れましたが、給油渋滞、食品不足は同様です。
でも、まわりに惑わされずに様子を伺っていこうと思います。
生きてるだけで丸儲け!!ですよね。
一日も早く浦安および各地のライフラインの復旧と、このパニックが終息することを祈りつつ・・・・
お互い、なんとか生き延びましょう!!
この度の被災、心よりお見舞い申し上げます。
同じ千葉県なのに、被災状況がこんなにも違うとは驚きです。
地震がおこった時、越智さんが日本にいる時で良かったのよね・・・・
野田市は大きな被害は免れましたが、給油渋滞、食品不足は同様です。
でも、まわりに惑わされずに様子を伺っていこうと思います。
生きてるだけで丸儲け!!ですよね。
一日も早く浦安および各地のライフラインの復旧と、このパニックが終息することを祈りつつ・・・・
お互い、なんとか生き延びましょう!!
エリーさん、お久しぶりです。お元気ですか?新浦安や幕張など、埋め立て地は、液状化現象がひどくて、復旧のメドが立っていないのが実情です。命に別状は無いですけど、このまま上下水道が直らなければ、きっとみな精神的にきついくなって来るでしょうね。でも、僕らは、今のところ大丈夫そうです。どうもありがとうございます。お互い頑張りましょう。