INTOTHEBLUE 水中写真家  越智隆治

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Photographers Diary

岩手で潜る。最終日、「一歩ずつ前へ!」

2011.05.27 / Author.

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3日目、岩手での海中ガレ撤去作業は、今まで潜っていた綾里(りょうり)地区エリアの隣になる、越喜来(おきらい)地区の浜崎漁港に潜った。くまちゃんがダイブサイトとして良く利用するビーチポイントがある地区。そのビーチポイント周辺には、民家などは無いものの津波が押し寄せて、崖が崩れ落ち、何本もの木々が倒壊して海岸に横たわっていた。
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くまちゃんとしては、早く自分の仕事場でもあるポイントでも、撤去作業をしていきたいところだろうけど、まだまったく手つかずの状態だ。まずは、漁協との友好関係を維持するために、漁師の人たちの生活の中心となる、漁港のガレ撤去作業を優先しなければならない。
日本でファンダイビングをする場所を開拓するためには、その地の漁協、漁師さんたちとの友好関係、信頼関係無くしては、あり得ないのが、今の日本のダイビングの現状。「海は漁師のもの」という意識がこれほど強い国も珍しいのではないかと思う。
宮城の南三陸町で人気のダイビングサービス、グラントスカルピンの佐藤長明さんが、人気のダイビングスポットを開拓してきた経緯にも、地元漁師の人たちとの長い時間をかけて築き上げてきた信頼関係があったからこそだ。その関係を築くのに、7年の歳月を要したとも聞いた。
ただ単純に、「ここ、良さそうだから、今日からダイブサイトとして利用しちゃおう」とはいかないのだ。
くまちゃんの海中清掃ボランティアも、最終的には自分が潜れるポイントを取り戻すために行っている活動ではあるかもしれないけど、そのために無償でこれだけの撤去作業を長い期間をかけて自ら買って出るという事は、並大抵の人間ではできるものでは無い。自分の地元の海を愛する思い、漁師の人たちに、心の底から何かの役に立ちたい。その思いが彼を突き動かしている。
すでに、3日目となり、モルジブのガイド、カオリータも、初日の不安そうな動きとは打って変わって、陸上から漁師の人が投げ込むロープを受け取り、テキパキともやい結びでガレに結びつけては、引き上げてもらう作業を続けた。ロープを結びつけた後、ガレに乗っかっていたウニを、一緒に引き上げられてしまわないように、指示棒でそっと払いのけてあげていた。プロの職業ダイバーには無いであろう、海の生き物に対する繊細な優しさを垣間見た瞬間だった。
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どうやら、今回作業をしていたエリアには、湾の近くにあった民家が流されてきていたようで、海底には、沢山の屋根瓦が散在し、テレビや扇風機などの家庭用の電化製品や食器類なども多く見つかった。
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その中で、小学校入学の記念写真とおぼしき写真の入った額を見つけた。かわいらしい女の子の写真。カオリータと顔を見合わせ、撮影をしてから引き上げた。どうか、この子が無事生きていてくれと願わずにはいられなかった。
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自分にとって、最後の夜。綾里の漁協の窓口、ボランティアの拠点にもなっている、亘理さんの漁具置き場(今は亘理さんの仮設住宅)での最後の晩餐。普段あまり飲まないと聞いていたお父さんがビールを飲み始めた。津波のときに、息子さんと一緒に船を沖に走らせて、生還することができた魚船の進水式のときのDVDを見せてくれた。お祝いにもらったという大量の大漁旗が、支援物資で届いたテレビ画面いっぱいに広がった。
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この旗も、津波で家ごとほとんど流されてしまったのだそうだ。その話で盛り上がっていたら、2階から、お母さんが手元に残っていた旗を持って降りてきた。
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「これ、残った船で沢山大漁旗あげて、俺たちは大丈夫だぞ!頑張るぞ!」ってアピールするのってどうですかね」と訪ねてみた。
しかし、綾里地区で、500以上はあった船のうち、まともに使える船は50隻も無くて、亘理さんにしても、多くの親戚縁者が今回の津波で亡くなり、周囲の事を考えると、今はそんな事できる心境では無いとお母さんに言われた。
返す言葉が無かった。
帰り際、お父さんに「今度は家族を連れて来いよ」と言われた。自分にとって、その言葉は最高の見送りの言葉だ。
「はい、また、必ず来ます」と、お父さん、お母さんと握手をした別れ際、不覚にも涙があふれて来そうになった。暗がりだったから、誰にも気づかれずに済んだ。
今回一緒に潜水作業をした3人の活動は、まだ後数日続く。カオリータは、今月30日に、一度東京に戻ってから、また岩手に戻ると決めた。
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3人との別れの挨拶は、明るくなった翌朝の事だったから、笑いを取って、ごまかし、早々に車を走らせて、皆が見えなくなったところで車を止めて荷物の整理をした。
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帰路、宮城の気仙沼や南三陸町を回って、東京へと戻った。

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