INTOTHEBLUE 水中写真家  越智隆治

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レイテからの避難民。笑顔の子供たち

2013.11.15 / Author.

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11月15日、午前10時頃、約3000人のレイテ島、タクロバン市からの被災者を乗せた軍の輸送船が、マクタン島の軍港RAFAEL RAMOSに到着した。これだけ多くの被災者が、一度に島から脱出したのは台風後、初めての事。入港時には、大歓声が沸き起こった。
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親戚や頼れる友人のいる人たちは、迎えに来た車に乗って、それぞれが、避難する家等に向かった。そういう親戚、知人のいない人たちは、マクタンやセブシティーに用意された、避難所に一時的に身を寄せることになる。
BLUE CORALのヒロさん、ガイドのロジャーと一緒に軍港に向かうと、外で待つ車に乗るための、被災者の列が。輸送船が到着した桟橋の目の前には、支援物資を配るテントが設置され、多くのボランティアたちが、「援助物資で〜す、名前と個数を記載して、持って行って下さい〜!」と声を張り上げていた。
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自分たちが、物資を運び込んでいる民放テレビ局ABS-CBNのテントもあり、被災者たちに物資が届けられていた。
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タクロバンでの、物資の壮絶な奪い合いの報道とは違い、人々は、順番を守り、支援物資を受け取っていた。
地獄のようなレイテ島から逃れることができた安堵感からか、人々の表情には、笑顔がこぼれることも。特に、子供たちの見せる笑顔に、少なからず、自分も胸をなで下ろした。
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タクロバン市から、東へ11kmにある、レテ州、パロ市、ギンダプナンという村から逃れて来た、バンティリスさんファミリーに話を聞いた。
彼の家は、海岸から2kmも入ったところにあったが、ガレキを伴った海水が、腰の部分まで達したそうだ。「村の99%は壊滅した。物資はタクロバン市内で滞ってしまっていて、近隣の私たちの村には、まったく届いていなかった。家族15人で、スクーター4台に便乗して、タクロンバンの港を目指し、この船に全員乗ることができた。途中、多くの遺体が、そのまま放置され、拳銃を持って、物資を求める人々が徘徊していて、怖かった」と語った。
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彼等は、この後、ご主人の両親の住むマニラへと向かう。
「島から出れて、幸せでしたか?」との問いに、安堵したように、家族全員が頷いた。
セブまでの、寿司詰めの輸送船の旅は、24時間に及んだ。最初は土砂降りが降っている中で、屋根の無い船上で過ごした後は、炎天下で、喉が乾いてしょうがなかったそうだ。
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被災者が後にした、輸送船の中は、船内で配られた、支援物資を食べ散らかしたゴミだらけになっていた。このゴミを掃除すると、またセブから支援物資を積み込んで、現地レイテ島へと向かう。同じサイズの輸送船は2隻あり、支援物資の運搬と、避難民の受け入れを繰り返す予定。
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午後からは、BLUE CORALのヒロさんたちと、支援物資の購入と、受け入れ先への搬送に向かう。
引き続き、支援金のご協力は、
ジャパンネット銀行

すずめ支店

普通口座
2048472

ド)イーストブルー
重ね重ね、皆様のご協力に感謝いたします。

BLUE CORAL代表・下釜宏 

EAST BLUE(オーシャナ)代表・越智隆治

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