最近、自宅にいて、写真や昔の記事を見返すことが多くなっている。今でも、日経新聞夕刊のコラム記事のネタ探しや、オーシャナで開催しているオーシャナLIVEのネタ探しに色々な記事を引っ張り出していた。その中に、以前月刊ダイバーでインタビューしてもらった記事が出てきた。
「水中写真家という生き方」センス・オブ・ワンダーの橋渡し役 越智隆治 月刊ダイバー2016年3月号
僕の水中カメラマンとしての生き方の根幹にある思いを、100%伝えてくれている。今でもとても大切にしているインタビュー記事だ。インタビューを担当してくれたのは、曽田さんというライターで、今は無き、月刊ダイビングワールドの編集者時代からの付き合いなので、もうかれこれ20年以上前からになる。僕が当時中堅水中カメラマンで、若手、ベテランと3者で対談して、「たかが写真、されど写真」と発言して、他の水中カメラマンを呆れさせた時のインタビユーも担当してくれていた。もう忘れていたかと思ったけど、曽田さんはそのときの事も覚えてくれていた(多分)。今でもそのインタビュー記事がダイバーオンラインのアーカイブに残っている。それが以下。
https://diver-online.com/archives/camera_photo_movie/1339
そして、今回、月刊ダイバーの「クジラ大回遊」特集で、僕にインタビューしてくれたのが、元月刊ダイビングワールドの編集長で、良く一緒に仕事をした宇都宮さん。当時は水中カメラマン、編集長、そして編集者の間柄だったのだけど、今では、お二人は結婚して田舎の古民家で一緒に暮らして、今でもライター業を二人で続けている。個人的には、「まさか!あの二人が?」と結婚の報告を聞いた時には驚いたのだけど、今では、その二人の関係が、なんとなく、さっぱりしていて、勝手に良い感じなんだろうなと感じている。
二人とも、別にその後会ってるわけでもなく、基本的にメールや電話だけで、仕事を済ませるので、全く飲みに行ったりする仲でも無い。
二人のインタビューのスタイルは、以前と変わらない。曽田さんは、こちらの思いを自然に引き出してくれる雰囲気を持っていて、安心して話ができた記憶がある。宇都宮さんは、元々が報道に憧れがあり、月刊ダイビングワールド編集長当時、産経新聞写真記者だった僕に、「いいな〜仕事交換しません?」とよく冗談で言われたのを覚えている。マーシャル諸島のビキニ環礁に核実験で沈んだ第二次世界大戦で活躍した戦艦の取材を依頼してきたのも、僕が報道関係だったから、そういう視点で、取材してくれそうな水中カメラマンだったからという理由だった。ある意味、この取材をきっかけに、僕は新聞社を辞めて、フリーの道を歩き始めた。そんな報道に憧れていた宇都宮さんだからか、こちらの思いを予測して、その発言を少し強引に導き出そうとするところがある。上辺の下に隠れる、より本音の部分を知りたいという思いからだろう。
インタビュアーによって、色々なのは、新聞社で記者に同行してインタビューを横で聴きながら撮影していたから、良くわかる。いつも相手の発言に同意している人、上手く誘導して、自分の好みの発言をするようにする人、そういう駆け引きを横で聞いているのも面白かった。
今回、自分の人生観や海洋生物へのアプローチに対しての想いを、このご夫婦にインタビューしてもらえたことは、自分の短い水中写真家の人生の中では、とても感慨深いものになった。
別にそんなに一緒に取材に行ったわけではないのだけど、この二人と同じ業界で生きてきていたんだな(途中二人は別の記事も書いていたみたいだけど)、そして、今も同じところにいるんだなと。
自分は決して付き合いの良い方でもなく、多分友達を大切にする方でもない。どちらかと言えば「来るものは拒まず、去るものは追わず」というスタンスだ。だから、心を割って話し合える親友というものはいないと思っている。でも、頻繁に会わなくても、死ぬまで大して連絡を取り合わなくても、なんとなく、共感できる人間はいて、場所は違っても、一緒に戦っている。
二人は、僕のことをどう思っているかわからないけど、僕は、この夫婦のことを、そう感じている。決して会わなくても、思いを共感できている。・・・会わないから、勝手に良いイメージが僕の中に蓄積しているだけなのかもしれないけど(笑)
そういう奴がいるだけで、自分は生きる勇気を与えてもらってるのだと思う。たとえ、自分の大いなる誤解だったとしても、それでいいと思っている。
他人との通信手段が発達した世の中で、常に誰かと繋がっていないと耐えられない不安を感じてしまう人が多いのだけど、会わない人に対して、そういう考えをしてみるのも悪くないんじゃないのかなと僕は思う。
遥か海のかなたにいる、あなたの事をずっと想っています。
いつまでもずっと、幸せでいてくれますようにって。