INTOTHEBLUE 水中写真家  越智隆治

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Photographers Diary

2006年マーシャル取材、アクシデント続きの3環礁クルーズ4

2006.09.21 / Author.


開拓ダイビングでの小さなアクシデントその4。プチ漂流
アウル環礁での開拓ダイビングを終えて、アルノ環礁へ。1本目のダイビングでは、ノースポイント。ガット氏が「まるでフィッシュスープの中にいるみたいなダイビングだ!!」と興奮するくらいの群れ群れ群れ!!しかし、その直後に・・・・。

アウル環礁での2日間の開拓ダイビングを終了して、8時間かけて次の目的地アルノ環礁へ。ここでのファーストダイブは前回のクルーズでも潜った絶世のサンゴフィールドが広がるノースポイント、群れ狙いのイリアム、砂地が美しいアルノアルノなどの定番ポイントを潜る。
しかし、撮影チームは、1本目のノースポイントでの通常ダイビングコースに潜らず、ここでも開拓ダイビングを行うことになった。ノースポイントはアルノ環礁最北端の島の外洋側に広々としたサンゴのリーフが広がっている。そのリーフは島から2マイル以上も張り出していて、その先端が好漁場になっているのだ。島の近くでは水深5mくらいのリーフも、先端に近づくにしたがって当然のことながら、深度が徐々に落ち込んでいく。その先はブルーウォーターと島影一つ見えない大海原が広がっている。
丁度大潮周りで、このとき、潮の流れは島からリーフ先端に向かって激しく流れていた。僕たち4人は、通常はこれ以上リーフの先に行くと、潮の流れとはまったく逆方向の外洋からのうねりがリーフにぶつかり、複雑な波を起こすため、普段は潜らないポイントからエントリーしてリーフのドロップオフに沿って先端を目指すことにした。
エントリーと同時に、目の前にツムブリやインドオキアジの群れが姿を現し、周囲には、グレーリーフ、ブラックフィン、シルバーティップなどのサメがうろうろしていた。後で聞いた話しでは、最低100匹はサメがいただろうというくらいサメの数は多かった。先端に進むにしたがって、群れの数は半端でなくなり、常に群れの中にいるような状態。ツムブリ、インドオキアジの他にもカスミアジ、バラクーダ、ウメイロモドキ、タカサゴなどの群れが僕たち4人を取り巻いて、そこにサメたちがアタックをかけてくる。ガットは読みがあたったことで興奮して両こぶしをあげて大喜びしていた。スティーブは、群れの中接近してくるサメやマダラトビエイを延々ビデオに撮影し続けた。僕も114カット撮影可能なCFをほとんど撮りきるくらいに、興奮して撮影を続けていた。とにかく、これほどの群れに囲まれて泳ぎ続けたのは久しぶりのことだ。ボートに戻ってから、ガットが「まるでフィッシュスープの中を泳いでいるみたいだった」と言っていたが、本当にそんな感じだった。

しかし、僕は撮影しながらも、多少浮上後のことを心配していた。なぜなら、以前うねりが入っているときに潜ったときも、このリーフ上の波の高さが、エントリーポイントの穏やかさに比べて、半端なく激しかったことがあったからだ。
途中までボートの音を確認していた。しかし、頭上を見上げるとすでに波がかなりうねっていることがわかった。ボートの音も聞こえない。不安がよぎる。予定のダイビングタイム40分をすでにオーバーしていた。通常エキジット時にはガットがフロートを上げるのだが、このときは自分のフロートを早く上げなければという不安に駆られて、BCのポケットからフロートを出した。その様子を見ていたガットが、自分が上げるから大丈夫とオッケーサインをした。フロートを上げ、しばらく安全停止をしながら徐々に深くなっていくリーフ上を浮遊していた。しかし、やはりボートのエンジン音は聞こえない。
水面に浮上し周囲を見渡す。うねりは3mくらいになっていて、しかも潮の向きや風向きでリーフ上はかなり複雑な波になっていたし、4人の誰からもボートが見えないのは歴然だった。「Oh,oh~, Don`t be panic.It`s all light」と言うガットの表情にもいつもの陽気さはなかった。下半身から力が抜ける感じがした。
うねりの上に上った瞬間に、母船がはるかかなたに見えるのはわかるのだが、ダイビング用のボートは僕にはまったく見当たらない。僕はうねりの上に上がった瞬間に、自分のBCについているホーンをできるだけ高く上げて、何度も何度も鳴らした。普通なら側で聞いたら「うるさい!」と言われるくらいの音だが、そのときは誰も文句も言わず、僕がホーンを鳴らし続けるのを黙って聞いていた。
横ではカルロが自分のフロートにもエアを入れていた。スティーブは「僕がタイガーシャークが来ないかチャックするから、皆はボートをチェックしててくれ」と言いながら、マスクを付けて水中を見続けている。僕はカルロに「ボートは見えるか?」と尋ねた。しばらく静かに島の方を見ていたカルロが、「見えた」と答えた。「どれくらい遠い?」と尋ねると、「2マイル以上向こうだな」と半ばやけくそ気味に答えた。僕も自分のフロートにエアを入れた。見るとスティーブも下を気にしながら自分のフロートにエアを入れていた。
4本のフロートを立てて、僕らは大きなうねりの中を漂っていた。ガットが、「ウエイトが重いから捨てたいな」とぼそって言ったがそのままウエイトを付けていた。多分最初に捨てるのは嫌だったのだろう。僕は「俺も重いから、捨ててもいい?」と尋ねると、「じゃあ一緒に捨てようか」と言ってウエイトベルトをはずして、「Bye bye weight belt」と言いながら同時に手を離した。この時、ある程度自分の中ではこのまま漂流してしまうかもしれないという覚悟をしていたのかもしれない。次に何を手放すか、考えていたように思う。
すでにリーフは見えなくなっていて、僕たちの足元にはブルーウォーターが広がっていた。この先に島影は一つも見えない。スティーブが「フロートをもっと高く上げろ」と何度も皆に促す。僕は残りのエアのことも考えて、無駄にホーンを鳴らすのはやめて、フロートを高く上げてみたり、振り回してみたりしていた。
今までにも、エキジットしたときにボートが見えなくて僕は何度か漂流した経験がある。取材だと普通と違う潜り方をするから、しょうがないのかもしれないが、そういうときはエントリー時から決まって嫌な予感がしていた。ただ、今までは波が穏やかで、島やリーフ伝いに流されたり、流される先に島があったのだが、今回は、うねりも高く、先に島影も見えなかったのだ。
家族のことを考えた。もうすぐ生まれてくる子供を見ないで死ぬわけにはいかないな、と少しだけ考えたりもしていた。ただ、少なくとも、どんなに流されたとしても、絶対に最後まで諦めないようにしようという気持ちだけは強く持ち続けようと決心していた。しかし、それと同時にまだボートが気づいてくれるのを諦めるのは早すぎるという気持ちも持っていた。今後の体力の消耗を避けるために、無駄に動きまわる気は毛頭なかったが、とにかくフロートを頭上で振り回し続けた。
しばらくすると、カルロがタガログ語で叫んだ。「どうした?」と聞くと、ボートがこっちに向かって来ているみたいだ」と答えた。「フロートをもっと高く上げろ!」とガットが叫ぶ。僕は力いっぱいフロートを振り回していた。
しばらくするとうねりの中、僕の耳にもボートが接近してくる音が聞こえてきた。「助かった!」正直本当に嬉しかった。ガットは接近してくるボートを見ながら「さあ、ボートに上がったらまずキャプテンに蹴りを入れるか、抱きついてキスするかどっちにする?」と言ったので、僕は「両方」と答えた。
これは、エキジットしてから2時間程の出来事だった。母船に戻ってから、カルロと話したときに、彼は「怖くなかったか?」と聞いてきた。僕は「少しだけ」と答えると、「俺は怖かった。俺がいなくなった後の家族の事を考えたよ。お前は考えなかったのか?」と言われたとき、あの状況がいかに危ない状況だったかを再確認させられた気がした。彼には5人の子供がいる。妻や子供たちを養うために、遠くマーシャルに来てダイビングクルーズ船のガイドをしてるわけだ。きっと子供たちのことをとても愛している良き父親なのだろう。
屈強なカルロでさえ、ただ漂うことしかできない状況。自然の恐ろしさを痛切に感じた出来事だった。ただ、もしあの状況で流され続けたとしても、ガット、スティーブ、カルロと一緒であれば、極力冷静さを欠かずにいれただろうなということは想像できた。何にしても、生きて帰れれば済んでしまったことだ。他人に足しては、自分の笑い話のネタがまた一つ増えたと考えることにした。それと同時に大自然に対しての感謝と謙虚さんを忘れないようにしなければいけないと再認識させられた出来事でもあった。

カルロの背中

漂流ダイビングの後潜った超癒し系ポイント、アルノアルノの美しい白砂。この上無くリラックスしてダイビングが楽しめた

この美しい砂地では、誰もが裸足になって、走ってみたくなってしまう

3環礁クルーズのゲストとスタッフ。お世話になりました

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