INTOTHEBLUE 水中写真家  越智隆治

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Photographers Diary

1枚の写真を振り返る:こんな写真は使えない(Jリーグ)

2006.11.22 / Author.


新聞社時代、しばらくJリーグの担当をしていたことがある。特に専属チームがあるわけではなかったのだけど、個人的に好きだったのは、浦和レッズ。

当時のサポーターは和製フーリガンとか呼ばれたりして、Jリーグのサポーターの中でも特に過激な応援が良く話題になっていた。
しかも、その頃のレッズは、とにかく弱くて、野球でいうと一時期の阪神みたいな感じ。ファンは熱狂的だけど、常に負けるのが当たり前という常負チームだった。だから、浦和レッズが好きでありながら、いつも撮影位置は、レッズ側のゴールライン。つまり、相手チームがレッズのゴールにシュートを決めるところを撮影しなければいけない位置。仕事とはいえ、好きなチームが負けるのを当然のことのように予測して、その場所にいるのは、なんとも悲しかった。
ある雨の日の試合。確か埼玉の大宮グランド。ここは、サッカー専用のグランドで、サッカーフィールドのすぐ側まで観客席が迫っていて、サポーターと選手たちの距離がかなり近かった。対戦チームがどこだったか覚えてないけど、その日も僕はレッズ側のゴールラインで、当時のゴールキーパー土田が守るはずのゴールのすぐ横でカメラを構えて撮影をしていた。当然のこながら、その日もすでにほぼ負けが決定してるような試合。選手たちの覇気も感じられず、一人守護神の土田が、大声を出してチームメートを空しく鼓舞していた。
そしてまたゴールを決められる。雨の降りしきる中、土田は芝生を蹴り上げる。僕は後ろのサポーターたちに試合が見えなくならないように、目深に傘を差し、500mmの望遠レンズのついたNIKON F4に一脚をつけてその様子をファインダー越しに追う。(悔しいだろうな・・・)。望遠レンズだから、ファインダー越しに彼の表情がはっきりと見て取れる。
彼らは、レッズサポーターからの罵声にも、もう慣れっこになってる。そのとき、すぐ後方から、「悔しくね~のかよ~!悔しくね~のかよ~!お前らそれで飯食ってんだろ~!悔しくね~のかよ~!おい、土田~!!」という罵声が何度も聞こえてきた。ファインダーで、彼の辛そうな表情を間近に見ていた僕は、その罵声が、的を得すぎていて、悔しくて悔しくて我慢できなかくなっていった。
(悔しくね~わけ・・・)「ね~だろ~~~~!!!」と僕は「ね~だろ~!」の部分だけ声に出して、傘を振り下ろして後ろを振り返った。しかし、自分では精一杯大声を張り上げたつもりだったのだけど、僕のその叫び声は、サポーターたちの大きな罵声にかき消されて、彼らに気づかれることは無かった。
その日もレッズは試合に負け、和製フーリガンたちは、試合後暴徒と化していた。

Jリーグの試合、普通は遠くは400mmや600mm、手前選手たちが来れば、は80~200mmのズームレンズなどを使用して、撮影するのが普通のパターンだった。しかし、僕は選手たちが目の前に来ても、カメラを持ち代えることなく、お気に入りの500mmレンズで撮影を続けることが多かった。それも、選手の顔をまったく撮影せずに、ボールと、それを追う選手の足だけを追いかけていた。
「お前の写真には、シュートシーンよりも足のアップの方が多いな。新聞じゃ使えないよ」と会社に戻ってから、何度も言われた。要するに、会社が必要とする写真を撮ることを放棄して、自分の撮影したいシーンを狙ってしまっていたわけだ。
(まともにシュートシーンも撮影できないくせに、凝った撮影してるんじゃないよ)。デスクにそう言われているように感じることも多かったけど、結局会社を辞めるまで、その足(撮影)癖(?)は直らなかった。
辞めたのは、2002年日韓共催のワールドカップが開催される3年前。次期ワールドカップでは、メインカメラマンの中の一人として担当してもらうと言われていた。辞めるときも、そのことを強く言われたのだけど、独立してフリーの道を選んでしまった。そのことをまったく後悔していないかと言えば、そんなことはない。
2002年の日韓共催ワールドカップの時期、僕はバハマでドルフィンクルーズの船に乗船していた。

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