INTOTHEBLUE 水中写真家  越智隆治

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Photographers Diary

オウム真理教教祖麻原彰晃逮捕、その日の話し4

2006.12.19 / Author.

僕は電送車に駆け込んだ。、各撮影位置の同僚たちから、現場の状況を無線で知らされていた現場キャップの照○さんは、「他は全滅だよ。お前らに期待するしかないな」。そう言って、僕からフィルム受け取ると、現像機に通した。
(どうか写っていますように・・・)フィルムが出てくるまでの間、天に祈るような気持ちで待った。
ロールのまま現像機から出てきた3本のネガフォルムを、照○さんがルーペを使ってチェックした。「写ってないっすか?」と問う僕に、「う~ん・・・だめかな~」。そういって、再度同じフィルムを入念にチェックした。

「あれ!・・・、これ、そうかな・・、お~!写ってるよ!写ってる!これ送れ!送れ!」「写ってるんですか!?」。「お~、顔全部じゃないけど、これ、お前のか?」と聞かれ、ネガフィルムを覗き込む。前後のカットから、僕のものではないことがわかった。「いえ、これは○典さんのです。でもすげ~!」。多少の悔しさもあったが、それよりもあの状況で撮影できたことを早く本人に知らせたいと思った。
無線で現場に連絡を入れる「○典さん、写ってますよ、麻原!」。「まじかよ!写ってる!よ~し!」と叫ぶ先輩の後方で、他のカメラマンたちのどよめきが無線から聞こえてきた。
「○経新聞は、麻原の写真を撮った!」その情報は、現場だけでなく、東京にある報道機関全社にあっという間に広まった。それもそのはず、その場所で麻原のまともな顔写真を撮影できたのは、その1カットだけだったからだ。
現場では、○典さんが、冗談まじりに「まあ、こんなもんよ、こんなもん、がはははは」と他社のカメラマン達を前に、陽気に、自慢していたそうだ。もう一人の先輩の雑感写真もしっかり撮影できていた。僕の方は、残念ながら、口元は写っていたのだが、目が見えていなかったが、3バカトリオとしての汚名挽回、面目躍如。自分が撮影したわけではないけど、(何で遅刻して登場した奴らに撮れて、自分たちは撮れないんだ)と他のカメラマンに思われるだけでも嬉しかった。
各社騒然となった。もう後は護送車が東京の警視庁に入る瞬間を狙うしかない。東京までは、ヘリやバイク、ハイヤーなどが護送車を追跡していたシーンは、記憶している人も多いだろう。○経新聞も、バイクで追跡を行っていた。追跡担当者から、逐一どこを移動しているかの連絡は入っていた。各社はかなりの人数のカメラマンを警視庁に向かわせた。
上九一色村で撮影ができてしまっていた、○経は、警視庁へのカメラマンの派遣も出遅れて指示を出した。本社から3人の先輩カメラマンが向かったのだが、すでにアリの這い出る隙間も無いくらいに報道陣が詰め掛けていて、撮影できる状態ではなかったそうだ。しかし、他社の知り合いのカメラマンになんとか狭い場所を譲ってもらって、麻原の入りを狙った。適当に撮影に向かったにも関わらず、ここでも、他の新聞社、テレビ局が顔を撮り逃したにも関わらず、○経新聞だけが、あっさりと麻原彰晃の写真を撮影してしまったのだ。しかも今度は顔全部がはっきり写っていた。まじめにやろうが、適当にやろうが、写真は運次第。そう強く実感させられた事件取材だった。
その年の新聞協会賞を受賞したのは、麻原彰晃逮捕のこの日の写真だった。しかし受賞したのは、○典さんでも、警視庁で撮影した先輩でもなく、山梨日日新聞のカメラマンが撮影した、車内の麻原の写真。
地元地方紙の山梨日日新聞社のカメラマンは、護送車が高速の料金所で停車する瞬間を狙って、一人でその場所に張り込んで撮影していたのだ。その写真は、逮捕当日、自社カメラマンが撮影できなかった共同通信社から全国に配信された。
賞はもらえなかったものの、とにかくこの事件に関しては、他社を出し抜くことができたことで、その点に関しては、しばらくは最高の気分だった。しかし、落ち着いてから寝坊の理由を聞いたら、もう6時に強制捜査が入ることもわかっているし、上九一色村での張り込みもこの日が最後になるだろうということで、是が日でも誰かが美人3姉妹をものにしようと、ほぼ徹夜で卓球大会を開催したのだという。(・・・ある程度予想はしていたけど、そのおかげで寝坊かよ・・・)。
で、落とせたのかといえば、当然、徹夜の卓球大会ごとき(しかも自分家の旅館で、親(お上さん)もいるのに)で落ちるはずがないわけで、本件の方は大勝利で凱旋したが、そちらの方は惨敗に終わり、皆空しく帰路についた。
僕個人的には参戦もせず帰路に着かされたわけだから、さらに納得がいかなかったのは言うまでも無い。
これは、適当な生き方していても、人生どうにかなるもんですね。という教訓のお話です。長々とご拝読頂きまことにありがとうございました。

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