INTOTHEBLUE 水中写真家  越智隆治

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Photographers Diary

オウム真理教教祖麻原彰晃逮捕、その日の話し3

2006.12.18 / Author.

しばらくすると、僕らへのちょっとした疑惑も晴れ、報道関係者らは皆警官隊が入っていったサティアン内の動向に注目し続けていた。僕らも準備は完了。いつ麻原が逮捕され、建物の中から外に連行されても撮影できる体勢が整っていた。
警察側からも、麻原を「引き回す」という情報が入っていた。報道関係者の間で専門用語になっているこの言葉。これは報道関係者が撮影できるように、顔が見えるようにじっくり時間をかけて連行することである。要するに「江戸時代とかの市中引き回しの刑」から来ている。犯罪者の人権問題が取りざたされる昨今にしては、異例のことだった。自分自身、この業界にいて「引き回す」という言葉を現場で聴いたのは実はこのときが初めてだった。

だからという訳では無いが、「ほんの一瞬見える顔を逃さず撮影しなければいけない」という緊張感はこのとき、ほとんどのカメラマンには無かったはずだ。僕自身、同僚がこれだけいれば(確か8人くらいで狙っていたはず)、誰か撮影してくれるだろうし、自分も撮り逃がすことなんて絶対ないと思っていた。
「そろそろ出るらしいぞ!」。誰かが発したその言葉で、現場は一瞬にして緊張感に包まれた。3バカトリオの僕らも、このときばかりは周囲の人たちと冗談を言うことも無く、カメラを構え、ファインダーを覗き、ピントなどを確認していた。普通なら、余裕で撮影できる仕事・・・誰もがそう思っていた。
ところが、いつしか小雨が止み、何故か生暖かい空気が漂ってきた。それと同時に、あたり一面に濃霧が立ち込め、数メートル先が見えない状態になってしまったのだ。(昨日の月明かりの雨といい、この急に立ち込めた濃霧といい、いったいなんなんだよ~、この天気は~。どうでもいいけどこれじゃあ、まったく見えないじゃんかよ)。
周囲からも、「おいおい、全然みえないぞ~!」。「はやくどけろよ、この霧~!」。と濃霧に対して不満を言うカメラマンたちの声が聞こえる。しかし、晴れる気配はまたくない。そのうち、その濃霧の向こう側で「ボッ、ボッ」とストロボが光っている気配がなんとなく感じ取れた。麻原彰晃が建物から出てきて、車に乗り込むところを警察の撮影担当者がストロボをたいて撮影しているのだ。
「おい!出てきてるぞ!、これじゃあ撮れない!」皆騒然となった。空しく望遠レンズを覗き込みながら、何もできないでいる。このままショートズームのレンズをつけたカメラを持って、サティアンの敷地内に走りこもうかとさえ思ったが、すでに麻原彰晃は車中の人となってしまっているはず。もうどうすることもできない。1000人もの報道陣が囲って注視していながら、この状況で誰一人撮影するどころか、姿を見ることすらできていなかった。テレビ局などは、長い張り込み期間を経て、この日の瞬間のために、おそらく数千万円、あるいは億に届くの費用を投じていたに違いない。それがまったく無駄骨になってしまったのだ。
しかし、不思議なことは続くもので、麻原が車に乗り込んだ直後に、波が引くようにさ~っと濃霧が引いて視界が開け、彼が乗り込んだ車もはっきりと見ることができるようになったのだ。なんだか特殊な力を誇張するみたいで嫌ではあるけど、これは作り話でもなんでもない。僕がその場で体験した事実だ。この事実を公的に語った報道関係者はその当時はおそらく、いなかっただろう。
また雨が降り始め、その中を護送車はゆっくりと僕らがカメラを構えるサティアンの出口、に向かって移動を始めた。「おい、見えるか!?」。「見えません!」「3列目、カーテンの後ろじゃないの!」。余裕の撮影のはずが、これが撮影の最初で最後のチャンスになってしまった。残る手段は、車中にいる麻原の顔を確認したほんの一瞬の間に、強烈な光量を発するストロボを発光して、撮影するしかない。しかし、誰にも麻原の顔が確認できていなかったようだった。僕も、先輩たちも・・・。「越智!見えなくてもいいから撮りまくれ!」。「はい!」。
まるで見えない敵に対して「自動小銃を連射しろ!」と命令されたかのように、僕は、感と運だけを頼りに、ストロボのバッテリーチャージを確認しながらシャッターを切り続けた。それは○典さんも一緒だった。ほとんどのカメラマンが、この状況で冷静さを欠いていたに違いない。
降りしきる雨の中、護送車は僕らの手前で左手に曲がり、ぬかるんだ道をゆっくりと東京の警視庁へと向かって移動していった。左折した瞬間、紫色のサマナ(服)が擦り窓ガラス越しに見えるのが確認できただけだった。
「だめだ~!撮れね~!」「おい、どうすんだよ!」「本社に連絡しろ!」と現場が騒然となっている中、僕は自分と、先輩2人のフォルムを受け取って、最前線に待機中の現場キャップがいる、電送車までダッシュした。
当時は、デジカメはまだ普及していなかったから、皆フィルムでの撮影。それを現場で現像し、社に電送するための専用機材が設置されたバスを各新聞者が配置していた。「まあ、撮れてね~と思うけど、一応持っていってくれよ」と○典さんに渡されたフィルム。自分も撮れてる自信なんてまったくなかった。もう一人の先輩は雑感写真担当だったので、あの紫のサマナがはっきり見えていて、報道陣が手前から見送る写真はしっかり撮れていると言っていた。しかし顔は当然のことながら見えていない。
泥道を走る僕の足取りが重かったのは言うまでもなかった。
続く

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