INTOTHEBLUE 水中写真家  越智隆治

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Photographers Diary

日本帰国前に、スピスの墓参り

2010.03.10 / Author.

昨日、日本に帰国した。一昨日の午前中に、ペリリュー島を離れ,コロールのデイドリームオフィスへ。午前中はひっそりとしていたオフィスも、午後には、ダイビングに出かけていたボートが戻ってきて、賑わい出した。この日、ゲストの数は50人程。

そんな忙しい中、コロールに戻ってきたら、しておきたいことをマネージャーの秋野さんに一つだけお願いしておいた。それは、以前デイドリームのスタッフだった、スピスのお墓参り。
忙しいそうだから、車だけでも借りて、自分だけで行こうかなと思っていたんだけど、場所がわかりづらいからと、スタッフのデュディウが連れて行ってくれることになった。
スピスは今年の1/31日に火災が原因で亡くなった。その事は、当時パラオのクルーズコントロールに潜りに行っていた友人からメールで連絡を受けていた。ショックだった。
僕ら夫婦が彼に初めて会ったのは、2006年2月。僕の2回目のペリリューステーションロケの時。まだ彼がステーションスタッフになる前、青空がまぶしい、人気の少ない町中を自転車に乗ってフラフラしていたときだった。
「どこから来たの?」彼は長男を連れた僕らに、日本語で話しかけてきた。一瞬「え?」と
思ったが、その後も彼は流暢な日本語で、僕らにぺらぺらと話し続けたのを覚えている。そのときには、「面白い子だな」と思ったのだけど、次のロケで訪れたときには、その「面白い子」がペリリューステーションのスタッフとして、働いていたので、妻と二人して笑ってしまった。
お調子者、おっちょこちょい、寝坊ばかりする、半人前。当時のステーションのマネージャーの秋野さんからは、色々な事で、ダメ出しをされていた。ある日なんか、ダイビングの仕事があるはずなのに、ステーションに顔を出さず、無断欠勤。また秋野さんを怒らせていた。
海に出ないで陸撮をしていた僕ら家族の前に、以前のように自転車でフラフラと姿を現したので、「スピス、何やってるんだよ!今日仕事じゃないの?」と妻と一緒に訪ねると、ちょっと慌てながらも、僕らが呆れて笑っているのを見て「秋野さんには内緒ね」と言ってウィンクして見せた。当時まだ、15〜6歳。
でも、いつも家族で訪れる僕らにとっては、息子たちの良き遊び相手だった。一緒に絵を描いてくれたり、子供アニメ番組を子供たちと一緒に食い入るように観ていたり。絵を描くのは本当に上手かったな。子供たちも、特に長男は良くなついていた。彼がいるおかげで、大人たちだらけのステーションでも、息子たちは楽しむことができいたと思う。
だから、秋野さんに叱られているのを見てても、心の中では「頑張れ〜、負けるな!」といつも応援していた。翌年、訪れたら、スピスがペリリューステーションをやめていたと聞いて、二人してがっかりしたのを覚えている。
訃報を聞いて、泣いた妻からも、「時間があったら、お墓参りに行ってあげてね」と言われていたので、最終日で、皆もバタバタしているのも承知していたけど、ムリを行って、連れて行ってもらった。
お墓はバベルダオブ島の空港の先、途中で舗装道路の無くなる山の中の小さな墓地にあった。遥か先に青い海が見渡せた。お墓の前には、ダイビングタンクが半分だけ埋められていた。いくつかの花輪が雨風で倒れていたので、起こして少しだけ奇麗にしてあげた。デュディウが、二つに割って、石灰を詰めたビンローの実を、お墓の上にお供えした。
手を合わせ、色々な事を思いめぐらしていた。まだ20歳だった。おそらく、酔っぱらって帰宅して、火に何かをかけたまま、眠ってしまったのではないかと聞いた。亡くなり方が、あまりにスピスらしくて、悲しかった。
いつも、僕の持つカメラを欲しがって、持ち出しては、「撮っていい?」と言ってシャッターを切っていた。土砂降りの雨を撮りたいと、カメラで一生懸命雨粒を撮影していた事を今でも鮮明に覚えている。
パラオに行く度に、いつもちょとはにかむような笑顔で、迎えてくれた。パラオに来ると、僕らに対して、当たり前だった、そんな彼の行為には、もう出会うことはない。
当たり前かもしれないけど、身近な人の死は、テレビ番組で何百人もの死者を出した自然災害報道よりも、より沢山の事を思い起こさせる。「死」を身近に感じる。
スピス、いつも、子供たちに優しくしてくれて、どうもありがとう。

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