INTOTHEBLUE 水中写真家  越智隆治

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オウム真理教教祖麻原彰晃逮捕、その日の話し1

2006.12.13 / Author.

1995年5月15日夜、僕は当時の上九一色村(2006年3月1日2分割され、北部の梯・古関地区は甲府市に編入され、南部の精進・本栖・富士ヶ嶺地区は富士河口湖町に編入された。五千円札の富士山の画像が、この付近を写しているのは有名である)にあるオウム真理教の第6サティアンの入り口前にいた。
深夜を過ぎ、空には月が輝いているのに、何故か横殴りの雨が吹き付けるという、不気味な天候。僕は空にある月を見上げながら、(何でこんなことになるんだよ・・・)と張り込み用に設置した椅子に腰かけて、防寒具のフードを目深に被り、両手を、ほっかいろを入れたポケットに突っ込んで、ちじこまっていた。目の前には、強力な光量を発光することができる、巨大ストロボと望遠レンズを設置したカメラが三脚に備え付けてあった。

「明日(16日)早朝6時にこの第6サティアンに、警視庁の強制捜査が入る」という情報は、すでに、マスコミには周知されるところとなっていた。しかし、「万が一に備えて、午前3時の朝刊締め切りまでは、誰かをサティアン前に張り込ませてくれ」という本社からの指示で、貧乏くじを引いたのは、僕だった。
現場には僕と同じように貧乏くじを引いた、各社の記者やカメラマンが、同じように身をかがめて、横殴りの雨を避けていた。ちろん、中には好んで残っている人もいたと思うけど。ほとんどの人が無言で、風雨に耐えていたが、僕の隣にはTBSの年配のカメラマンがいて、この不気味な天候について、二言三言会話を交わしたのを覚えてる。
1ヶ月程前からこの日まで、サティアンには麻原逮捕のXデーまでに、何人もの同僚が、本社から派遣され、入れ替わり立ち代り交代しながら、張り込みを続けていた。僕が現場に派遣されてから、すでに1週間が経過していた。他の同僚たちは、近くに宿が無いので、車で30分ほど離れた旅館にいて身体を休め明日に備える手はずになっていた。
上九一色村張り込み開始当初から利用していたこの旅館には、美人3姉妹がいて、僕が現地に派遣される前から本社で話題になってた。中には、「誰が最初に彼女たちとデートするか」と争ってる若手記者やカメラマンなどもいたと聞いた。
しかし、僕が派遣されたのは、本当に状況が佳境に差し掛かっていて、現場に派遣される同僚の中では、当時は若手から数えた方が早いくらいの位置にいたので、基本的に到着してからは、僕はほとんど彼女たちの顔を直接見ることもなく、深夜の張り込みを担当していた。そして、地方の旅館にはお決まりの卓球台があり、連日のように3姉妹を交えて卓球をしていたという話も聞いたが、僕は一度も彼女たちと一緒に卓球した記憶はない。
「午前3時を回ったら、現場近くに停めてあるハイヤーの中で仮眠取って朝まで待機してくれ。6時の一斉捜査の前に旅館から皆で現場に来て、お前を起こすから」と現場キャップに言われ、キーを渡されていた。
午後3時、当時、現場からは携帯の電波は届かず、本社や旅館のキャップに確認を入れることなく隣のTBSのカメラマンに「お疲れ様です」と言って、その場を離れることにした。その人は一晩中張り込めと指示されていたらしく「え、いっちゃうの?」と驚いたような、寂しそうな顔で僕を見送っていた。僕は「ええ、すみません」と言いながらも満面の笑みを浮かべて、その場を離れた。
ハイヤーは抜かるんだ泥道を歩いて5分くらいのところにある空き地に停車していた。ドアを開けると、車のエンジンをつけて、時計を確認し、暖房を入れて、少しだけ窓を開け、後部座席に移動して泥のように眠ってしまった。
続く

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