INTOTHEBLUE 水中写真家  越智隆治

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Photographers Diary

ライフスタイルの原点の国、オーストラリア

2008.05.09 / Author.

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先の日記で、子供の頃の家族でのオーストラリア放浪、大学時代に4駆を日本から持っていって、砂漠地帯を横断した話に触れた。たまたま、ブルームに滞在中に、何人かの方から、友人などの結婚のお祝いに、僕の撮影した写真をプレゼントしたいけど、どうしたらよいかと問い合わせをもらったので、外付けのハードディスクに持ってきていた写真をちょっと調べていたら、ちょうどその頃の写真が見つかった。

そんな時代の写真まで外付けハードディスクに保存して持ち歩いているのかと驚かれるかもしれないが、これはたまたま、講演などを依頼されたときに使用した写真を持ってきたHDに保存していたものだ。
小中学生の頃、小さな日本車で、家族5人で荷物と一緒にすし詰めになりながら、オーストラリアとニュージーランドを放浪した。テントの貼り付けや、食事の用意は全て子供の僕たちの役目だった。
父は運転と、その日にかき集めた資料のチェックや整理のために、テントではなく、車の運転席で眠る。実際には、オーストラリアに来た当初、父は車の免許を持っていなくて、放浪途中でこちらで取得した。それまでは、母が一人で運転を担当していたのだ。今考えると、よくやってたな~と関心させられる。写真を見てもらえばわかるように、5人で寝るには小さいテント。母と3人兄弟のうちの二人が入れば、ぎゅうぎゅう詰めだ。
誰かがはじき出されて、外で眠ることになる。晴れていればいいけど、雨など降ったらしゃれにならない。荷物の詰まった荷台にまるで冬眠するリスのように丸くなって眠った。
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望遠鏡を覗いているのが僕で、その横にいるのが弟。僕は広島ファンだったけど、弟は巨人ファンだったはず。家族は弟を除いて全員が広島ファンだった。これは、エアーズロックの頂上に登り、周囲を眺めているところだ。360度水平線が見渡せる状況に、子供ながらに驚愕したのを覚えている。日本に帰国したときに、道の狭さに自分の家の位置がわからなくなるくらいに。あれから、今までに、4回、エアーズロックに登った。
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そして、この写真は、大学時代に、ネイチャーカメラマンのアシスタントドライバーとして、エアーズロックから、西オーストラリアのミカサラという町まで抜ける軍用道路、ガンバレル(銃身)ハイウエイを横断したときに僕がそのカメラマンの人にカメラを借りて撮影した写真だ。フィルムの入れ方もわからずに、見よう見まねで撮影した。
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車の上に上って、撮影するカメラマンの姿を「かっこいいな」と興味を覚えたものの、この頃はまだ写真にはまったく興味は無かった。
明日からのキンバリー、バングルバングルを通過して、ダーウィンまでの道のり、これを完走しれば、オーストラリア放浪のルートが1周、完全につながる。それを目前にして、たまたま結婚式のプレゼントにと頼まれた写真をさがしていて、この写真が出てきたことは、個人的には感慨深い。
何十年もかけてつながる長い道のり。とてもののんびりとした、本当にのんびりした完結編への出発が、明日スタートする。

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