'; ?>
長男の海友が小学校卒業して、今年から中学生になる。小学校卒業という節目に、過去一緒に過ごした思い出を振り返り、これから先どんな生き方してくれるのかな、と思いを巡らせたりもするのだけど、正直なところあまり過度な期待はしていない。どっちらかといえば、自分が本当に好きでやりたいことをやって生きていってくれれば、いいんじゃないかなと思っている。人に対しての思いやりはある方だとは思う。でも、かなりのんびりした性格だから、一般社会の荒波についていく器用さは持ち合わせてはいないかもしれない。
お腹の中にいるときから、撮影旅行に連れていき、バハマのイルカたちとは、母親のお腹の中にいるときから一緒。自宅で水中出産。赤ちゃんのときにも、フロリダのマナティ、バハマのイルカたち、パラオやヤップ、タイ、マーシャルなどあちこちの海を見て、沢山の生き物と触れ合って、多くの人たちに優しくしてもらった。でも、そうしたからって、自分が理想とし、期待しているような成長をしてくれているかって言ったら、正直なところ「う〜〜ん」と思うところも多々ある。ちょっとぽっちゃりしちゃって、ベイマックスって言われることもあるし(笑)。
勉強の要領も良いとはいえないし、スポーツがメチャクチャできるわけでもないし・・・。
それでも、今日この日まで元気に生きてきてくれて、はにかんだり、ときにはちょっとイタズラな、そして優しい笑顔を僕らに見せてくれると、もう、それだけで十分だなと思う。
でも、この日、調子に乗った海友の、母子食事会での、妻に対する言動を聞いて、つい頬をひっぱたいてしまった。目を潤ませながら僕の顔を見上げる海友の顔を見ていると、胸が締め付けられる思いがした。でも、海友は僕がなぜ厳しくしかったかを、ちゃんと理解してくれただろうか。
そう思いながらスリランカに向かう。成田までのリムジンバスの中で母親のIphoneを使って「カイトだよ。昨日はゴメンなさい。パパお仕事頑張ってね」というLINEのメッセージとスタンプが送られてきた。もしかしたら、母親に言われて書いたのかもしれないけど、正直、本当に嬉しかった。
どうか人に対しての思いやりの気持ちをけっして忘れないで、そして自由に生きていってください。12年間生きてきてくれて、いつも優しい笑顔を見せてくれて、本当にどうもありがとう。卒業おめでとう。
すでに、2ヶ月近くが経過してしまったけど、家族での石垣島旅行part3。竹富島を訪れたときの写真と、海友が石垣島でダイビングしたときの様子。
レンタルサイクルを借りて家族で島巡り。
竹富島といえば、牛車に乗って、石垣のある民家をのんびりと観光するイメージしかなかったんだけど、タイミングが良かったのか、ビーチに行くと潮が引いていて、広々とした砂州が出現していて、とても幻想的だった。
そして最後の観光は、MOSS DIVERSでダイビング。森くんファミリーも一緒で、子供たちが多かったので、生憎風が強くて、湾の外に出ないでダイビングも楽しめるポイントでスノーケルや釣り、ダイビングを楽しんだ。水中写真は、コンデジ借りて撮影。
おもちゃみたいな釣竿で釣りをしていた颯友。ダイビングしていて、これじゃあ釣れないだとうなと海中を見回して思っていたのだけど、ちゃんと釣れてびっくり。
夜には、森家に呼ばれてファミリーパーティー。
森くん、えりちゃん、クロちゃん、お世話になりました。天気はイマイチだったけど、久し振りに会えて楽しかったよ。また行ければいいけどね〜。
11月21日、今日は息子たちの通う小学校の学校祭を見学に行ってきた。愛想のなくなってきた息子たちより、友人の可愛い娘たちと一緒に見学できたのが楽しかった父。と言ってたら、珍しく颯友がいい顔で写真に収まってくれた。いつもそういう感じでお願いしますよ〜颯友さん〜。
ハヤトは、今日(11月3日)誕生日。どこ行きたい?とたずねたら、友達の車椅子テニス大会に行きたいというので、茨城で開催されてる、テニス大会へ。昼休みには、介助犬のデモンストレーションがあり、デモンストレーション体験にも、積極的に参加。午後からは、ニューミックス大会に参加予定。ニューミックスって?
浦安市の作品展に、カイトが作成した「将来の夢」が入選していた。素潜りで、魚を撮影する、未来の自分。「この前、プラグラマーになりたいとか言って無かったっけ?」と尋ねたら、「そうだよ、でも、水中カメラマンにもなりたいんだよ。今は、仕事一つに決めなくてもいい(時代)でしょ?」...確かに、そうだよね。「それに、プログラマーだと、地味な感じ(の作品)になるでしょ」...た、確かに。5歳の誕生日の時に「大人になったら、カメラマンになりたい」と、誕生日カードに書いてあったときのような泣きそうになるほどの感動は無いけど、「なるほど、ちゃんと成長しているなー」と思わせてくれた。欲を言えば、できれば、被写体、イルカかアシカくらいにしてほしかったな。まあ、父を作ってくれたわけじゃないか。あと、できれば、もー少し丁寧に、作って...、あ、いや、十分うれしかったよ。ありがとう。ラバウル行って来ます。
今日(11月21日)は息子たちの通う小学校の学校祭を見学に行ってきた。愛想のなくなってきた息子たちより、友人の可愛い娘たちと一緒に見学できたのが楽しかった父。と言ってたら、珍しく颯友がいい顔で写真に収まってくれた。いつもそういう感じでお願いしますよ〜颯友さん〜。
今日(11月25日)は、ヤップの大ちゃんと会議中
西表島から戻った翌日は、石垣島在住の友人、マサの案内で、石垣島北部観光。通常の観光では行けないような穴場ポイントに案内してもらった。
スタートは、シェアハウスとして利用しているマサの家から。隣の空き地には、ヤギのファミリーが。人懐っこいヨシオ君は、撮影のために距離を取ろうとしても、どんどん近寄ってきて、最後は体をペロペロ舐めだす始末。
かわいいのだけど、写真撮らせてよね〜。
そこから向かったのは、明石という場所の牧場?やパラグライダーのスタート地点の展望台。
牧場内には、馬が放牧されていて、海風が爽快な雰囲気。海岸近くには、ガジュマルの木が生い茂り、ちょっとしたパワースポット的な印象。
パラグライダーのスタート地点の展望台から海岸を眺めると黒い物体が・・・、どうやら牛の群れらしい。
気になったので、展望台を降りて、ビーチに向かう。
青い海をバックにビーチにたたずむ牛の群れはなんかシュール。
次に向かったのは、石垣島最北端。風強かったけど、絶景に感動。
最北端の絶景でも感動的だったのに、「野底マーペーはもっと、すごいよ」というマサの言葉に「これ以上なのか!」と期待しながら野底マーペーへ。
登山口からだと2時間かかるんだけど、途中まで車で行けるルートがあって、今回は息子たちもいるし、時間も無いので、そこから山頂へ。約20分はかなり急な山道を登るけど、山頂の眺望は本当に感動的だった。
市街に戻る途中で、ネイチャー石垣島ダイビングサービスに立ち寄り、10数年振りに島本剛君と再会。
最後に荒川の滝で涼んで観光終了
夕食は、マサの家(シェアハウスとして貸し出してもいる)で、たこ焼きならぬ、サイコロステーキ&ソーセージ焼き。食材は、5人分で計2000円とお手ごろな値段。
今までダイビング取材しかしていなかったから、今回の穴場スポット観光で、初めてじっくり石垣島の自然に触れることができた。妻もかなり石垣島が気に入り、「住みたいな〜」と何度も言っていた。
マサ、1日付き合ってくれて、どうもありがとう。本当に楽しかったよ〜
今更ながら、2015年3月に行ったシンガポール旅行のことをアップします。
シンガポール3日目の昨日は、1日中USSでした〜。子供たちが楽しんでくれてるから、まあいいんだけど、仕事してるよりハードスケジュールです。遊んでるときに二人が喧嘩すると、「お前らのために、来てやってるのに、喧嘩するならもうホテルに帰るぞ!」というと、「とか言いながら、パパが一番楽しんでるくせに〜」と、企み笑で颯友に言われると、的を得過ぎていて、ひっぱたきたくなります。今日は、シンガポール在住の友人水中写真家と久しぶりに会い、颯友の友達家族とまた夜に会います。
シンガポール4日目、まずは友人で、シンガポール人水中写真家のWilliam Tan と久しぶりの再会。彼とは、パースのアシカスイム取材も一緒に行ったことがあります。もう15年以上前の話だけどね。いつも優しくて温厚な性格で、オーケストラのバイオリニストでもあります。彼の撮影する水中写真も大好き。今年の6月、小笠原に潜りに来るそうです。日本にいればまた日本で会えたんだけど、いれないのが残念。
シンガポール4日目、最終日の最後は、結局子供たちが大集合。大騒ぎ&大はしゃぎで終了。お互いシンガポール在住の尾石ファミリーと日記ちゃん(高橋)ファミリーを引き合わせることに。これからも交流を続けてくれればいいな。自分にとっては、楽しい&ハードな(笑)最終日でした。夏には、全員の子供を越智家で預かる計画も?まあ、いいけど自分はロケでいないからね。明日帰国します。
シンガポールに到着。空港からタクシーでセントーサ島へ。運転手さんは、75歳のおじいさん。「シンガポールでは50歳、いや40歳でも仕事を見つけるのは大変なんだよ」。と言いながら、長渕剛や中島みゆき、サザンオールスターズのCDを流してくれた。おじいさん運転手さんの話を聞いていたら、「黒い車のタクシーとベンツのタクシーは通常料金の50%増しだから、気をつけてね」とか、まだチャイニーズニューイヤーのイベントやってるのを教えてくれたり、「おいしいシーフードはこことこと」とか「セントーサ島ではタクシー捕まえるなら、カジノの下が捕まえられるよ」とか、「動物園行くなら、ナイトサファリも見たいだろうから、夕方行って、食事してそのままナイトサファリに行った方がいいよ。空港行くより遠いから」とか、とにかく色々アドバイスしてくれた。チェックインしたホテルのレセプションの女性スタッフもすごく感じが良くて、シンガポール到着初日の夜は、と〜っても幸せな気持ちで休むことができそうです。やっぱり、「おもてなし」って大切ですよね。
初日」は、シンガポールに引っ越しした、颯友の幼稚園時代の友達家族と一緒に、セントーサ島のアドベンチャーコーブへ。覚悟はしていたけど、朝開園前にゲートに集合して、閉園時間まで8時間、プールで遊びまわりました。子供たちについて、走り回ったので、足が筋肉痛?なので、あんまり写真撮れなかった(涙)。颯友の幼稚園時代のママ友、パパ友はとても仲良かったので、親同士も当時の話で盛り上がってました。
<海友が顔赤いのは、酔ってるのではなくて、遊びまわって日に焼けたからです>
<開園と同時に波のプールへ、しばらくは、子供たち4人で貸切状態で遊んでた>
<チャイニーズニューイヤーの飾り付けなのかな?セントーサ島にて。それにしても、うちの子、二人とも内股だな〜・・・>
シンガポール2日目の今日は、オーシャナの前身のweb-lueでモデルをしてくれたり、世界不思議発見でミステリーハンターをしていた日記ちゃんファミリーとマレーシアのレゴランドへ。ご主人の学さんの仕事の関係で5年前からシンガポール在住の日記ちゃんファミリー、その間に3人年子で出産。日記ちゃんらしく、3歳になったばかりの長男の名前は「それから」君、1歳の長女は「てのひら」ちゃん、生後3ヶ月の次女は「かいがら」ちゃんという「ら」揃えの一度聞いたら忘れない名前。それから君はすごく海友になついて、ずっと「かいと〜、かいと〜」と言って手をつないで歩いたり、ご飯食べるときも、隣に座ったり。それにしても何故海友は、小さい子に毎回こんなに好かれるんだろう?昨日もそうだったけど、なんか子供に好かれるオーラかフェロモンでも出してるのかな?妻のミナは「今日はバーバに徹するよ」とかいがらちゃんの面倒を見まくっていました。颯友は・・・・相変わらずマイペースに好きなことやっていたけど、皆が手離せなくてかいがらちゃんが泣き出したときには、ベビーカーを押して泣き止まそうとしていたのに感心。日記ちゃん、久しぶりだったけど、3人の子育てにも負けず、相変わらず元気で明るかったな。学さんもよく子供の世話頑張ってました。お疲れ様でした。
<高橋(日記ちゃん)ファミリーと一緒にマレーシアのレゴランドへ。すでに、それから君は、海友と手をつないでて嬉しそう>
<「バーバに徹する」と、妻はかいがらちゃんを日記ちゃんから預かって、日記ちゃんファミリーが4人でプールに行ってる間に抱っこして幸せそうでした。かいがらちゃん、かわいたっかな〜>
<日記ちゃんファミリー3人と海友が電車に乗ってる間、眠っちゃったかいがらちゃんと、眠そうにしてるてのひらちゃんの乗ったベビーカーを預かるミナ>
<日記ちゃん(高橋)ファミリーと一緒にレゴランドの列車に乗る海友。>
<皆で色々乗ったりしてる間も、一人マイペースに遊ぶ颯友。でも、かいがらちゃんが泣き出して誰も相手できない状態のときには、しっかりベビーカーを動かして泣き止まそうとしてたり、てのひらちゃんがぐずってるときには、お菓子あげたりしてくれてた>
マレーシアのレゴランドに一緒に行った日記ちゃんが、ブログにその日のことをアップしてくれました。写真は、2007 年3月、ヤップで海友と遊ぶ日記ちゃん。
それと、今回行ったレゴランド
仕事部屋でスライド作ってると気が滅入ってくるので、リビングのソファーに移動して作成を続けていると、なぜか隣でゲームを始める海友と、肩車状態でそのゲームに見入る颯友。別に、こっち(写真)に興味がないのであれば、他でやってもらいたいんだけど・・・、あるいは、もう寝るとか。(11月27日)
妻に颯友のれんらくちょうを見せられた。「今ね〜先生の描いてくれるこのぶた丸が欲しくって、字を丁寧に書いてくる子が多いんだって。二重丸より、ぶた丸の方が上なんだって。友達のS君は100回以上連続でぶた丸なんだぞって、まるで自分が取ったみたいに颯友が自慢してるんだよ」。「へ〜、で颯友は?」「たま〜にもらうくらいかな〜。なんか、おらは別にぶた丸に興味ね〜とか言ってるけど」「へ〜」ここからそばにいる颯友に聞こえないように小声で(でも、これ、ただの丸に自分でぶたの絵描いたんだよ)颯友作、一番下の写真の偽ぶた丸 ぶた丸、欲しいんじゃん (11月27日)
今日は家族で神奈川の実家へ。子供たちは、おじいちゃんとおばあちゃんにおもちゃ買ってもらう気満々。仕事部屋に来て後ろから、「ねえ、早く行こうよ、早く行こうよ〜」と急かす海友。「わかったよ、ちょっと待って」と振り返ると、セブで買ったライト付きメガネをこんな風にかけてた。「あ、それ面白いからちょっと撮らせて」というと、「え〜、早く行こうよ〜」と海友。お前がそんな面白いことしてるから、また出発が遅くなるんだぞ。と、なかなか出かけられないのを子供のせいにする父。(12月6日)
実家に帰って、買ってもらったのは、海友がWiiの大乱闘で、颯友がLEGO。家に戻って早速リビングでゲームを始める海友と、LEGOを組み立て始める颯友。別にいいんだけど、リビングにLEGOの細かいパーツが散乱して、うっかりしていると、踏みつけてしまい、足痛めるし、録画していた番組見れないし。リビングでくつろぎたい父としては、まったく何のメリットもない。海友が「パパ、大乱闘一緒にやる?」とか言ってきたけど、前にちょっとやってみたけど、海友どころか、颯友にも、全然勝てないから、まったく面白くないので、「やだ」と言って、「ね〜、それより録画したワンピース見ようよ〜」と言ってみたが、まったく賛同を得ることができなかった。まあ、別にいいんだけど。・・・・・それよか、颯友、お前のその髪型、伸ばしたいのはわかるんだけど、最近マッシュルームカットみたいで、女の子にしか見えないからそろそろどうにかしたら?(12月7日)
たったいま、たったったと、子供の走る音が聞こえてきた。近所の子が家に来て、外のインターフォン押して、「はやと〜あそべる?」と言ってるのが聞こえてきて、間髪入れずにインターフォン越しに「あそべない!」と颯友が返事しているのが聞こえてきた。おまえ〜、もう少し「ごめん、今日出かけるから遊べないんだ」とか、「あそびたいんだけどさ〜、出かけるんだ」くらいの配慮はないのかと思った直後に、「は〜い」と返事してその子もたったったっと足早に去って行った。配慮もへったくれも無い、この潔さ。見習いたい。(12月8日)
一昨日くらいから、右足首に激痛が走り、昨晩はとうとう、何もしなくても激痛が止まないし、寝れない。もちろん、まともに歩けないので、今日病院に行った。その間相談していた人からは、痛風の疑いが濃いのではないかと言われていたのだけど、医師の診断結果は、アキレス腱付着部症というもの。痛風は40~50歳台の特に男性に多いんだけど、アキレス健付着部症は、10〜30歳台のアスリートに多いとか書いてあった。つまり、運動のしすぎで、アキレス腱の骨液包なるものが炎症化しているのだという。
それを読むと、痛風よりは、アキレス健付着部症の方が嬉しいような。同じ激痛なのに、ちょっとドヤ顔で病院から帰ってきた。しばらく安静にしていれば治るらしいのだけど、明日、鴨川シーワールドでオーシャナのクリスマスパーティがあって、結構動かなければいけないので、松葉杖を借りてきた。まあ、すぐに返すことになると思うけど、明日は松葉杖。・・・・で、それを家に置いておいたら、学校から帰ってきた海友と颯友が、「お〜〜〜!松葉杖じゃん、パパ大丈夫なの?」と心配してくれて、「うん、まあ、大丈夫だよ。痛風じゃなくて、アキレス健付着部症って言って、若い人がなる病気なんだぞ」と、多分言っても意味を理解しない息子たちにまで、自慢してみたりした。当然、息子たちは、「ふ〜ん」と返事しながら、「ちょっと松葉杖かして〜」と言って遊び始めた。自分は、スライド作る作業してて、しばらくして、さあ、ちょっと移動しようと思い、松葉杖を掴んで移動しようとしたら、倒れそうになった。長さがメチャクチャ短くなっていていたのだ。
そう、自分が作業してる間に、海友と颯友が、松葉杖で遊んで、自分サイズに合わせて短くしていやがったのだ。おかげで、さらにひどい怪我をするところだった。
どうにか、倒れずに踏みとどまったけど。
松葉杖、二度と貸してやんない。 (12月12日)
ヌーヌー作りの他にも、ワチュラブ村ではこんな事もしました。
潮が満ちて、海に行けるよういなるまでは、ヤシの木に作ったターザンブランコで遊んだり
ヤップの酋長に頼んで、パチンコを作ってもらいました。
まずは、その辺にある木から、パチンコに適した枝分かれした木を切ってきて、樹皮をはいぎ、ナイフで形を整えます。
弾を込める部分は、パサンちゃんが、自分の革靴を提供してくれて、ゴムの部分は、町に出かけたときに、買ってきたものを使いました。
完成したら、ビーチにターゲットを設置して、
皆で、ターゲットを狙う練習。
上手く当てられたかな?ヤップの人は、これで、実際にフルーツバットや野生化した鶏を仕留めたりするんですよ。自分も持ってるけど、なかなか当たりません。
りょう君、そう君のお父さん、お母さんは、余った木の枝で箸を作ってましたよ。
颯友は、ヤップに来る前からやりたかった、実験を行いました。海水を濾過して、真水を作る実験。
まずは火を起こしてもらい
大きな鍋の中に海水を汲んできて、その真ん中に、空き缶を入れます。ちょっと長かったので、缶は半分に切り、軽くて浮いてしまうので、缶の中には、拾ってきた石を入れて固定しました。
アルミホイルをフタフタの下に敷いて、真ん中に石を乗せて、凹みを作ります。そして、フタをして、鍋を慎重に焚き火の上に敷いた網の上にのっけます。
あとは、沸騰した水から出た蒸気がアルミホイルを伝って、冷やされて、真ん中に置いた缶の中に溜まればオッケー・・・・
のはずが、火が消えかけたりして、網を何度も動かして、火が消えないようにしたりしたので、中の缶がずれてしまったようです。
まあ、それでも、少しは溜まっていたけど。石を洗っていなかったからか、溜まっていた水はちょっと茶色っぽくて、飲む気にはならなかったみたい。
トラックの荷台に乗って、町にも出かけました。
日差しが強いので、バナナの葉っぱで、日陰を確保して、出発!
がたがた道では、スピードが遅くて、暑さにばて気味な子供たちも
舗装道路に出て、スピードが出ると、風が気持ちよくて、爽快!
風を受けて、幸せそうなOちゃんの笑顔。
町では、誰もまったく写真撮りませんでした。
皆が海賊船のレストランで食事してる間、僕と大ちゃんとパサンちゃん、チョメは、大きな木の上に巨人が巨岩を乗っけたと言われる伝説の岩を探しにジャングルへ。
しかし、2時間探しても見つからず、しかもジャングルで道に迷っていました。
後半からは、小学1年生と1歳の男の子と女の子が合流。親も合わせて総勢17名に。
それでも、朝は、当然のように宿題から始まる。
皆、遊びたくて、宿題終わらすのは相当苦労していたみたいだけど。
小学1年生のOちゃん。2010年には、海友、颯友と一緒にヤップに来ていた。そのときのかわいらしい印象が強く残っていた海友にとって、小学1年生になり、スーパー悪ガキ2年生の颯友とそう君に負けず劣らずのマイペースぶりに、「なんか、Oちゃん、性格変わった・・・」と一言。
これに加えて、当然の事ながら、さらにマイペースな1歳児のOちゃんの妹のことはちゃんと、同じく1歳なんだけど、やたら貫禄のあるはるたかさん(貫禄があるので、自分は1歳だけど、さん付けで呼んでました)というメンバー。
Oちゃんのお母さんは、小学生になったOちゃんが、楽しんでくれればと思って連れてきていて、ことはちゃんは今回おまけみたいに思っていたらしいのだけど、思いのほかことはちゃんが楽しんでいたのを見て感動していました。1歳だろうと、自然の中で、何にも気にする事無く、自由に動けるのは気持ちよいものなんだよね〜。
ということで、皆でできる事をって事で、ヌーヌー(花輪)作りをすることに。まあ、一番真剣になっていたのは、ここでもお母さんたちだけど。
続く
リゾートは、バリヤフリーでもなんでもありません。部屋は高床式。なので、りょう君が車いすを下りずに昇り下りできるように、ヤップ人スタッフのチョメが木を組み合わせて即席のスロープを作ってくれました。
大人たちで、完成したスロープを運びます。マホガニーで作ってるから結構重い
階段部分に設置。これで、車いすを下りなくても、大丈夫になりました。
洋服のまま海に入ることもしばしば。びしょ濡れになると、颯友は、素っ裸になって、部屋に着替えを取りに戻ります。
最初は裸になることを少し、恥ずかしがっていたそう君。颯友のあまりの脱ぎっぷりと、素っ裸で気持ち良さそうに走り回っているのを見て、徐々に脱ぎたい衝動にかられていったようです。
夜、停電になったときには、懐中電灯とカメラを使って、光の絵を作って、それが何を描いているのかを当てるゲームをして盛り上がりました。
あんまり上手にはできなかったけど、皆楽しくてしょうがなかったみたい。何度もチャレンジしていました。
隣村を訪れて、ストーンマネーバンクや伝統的な、メンズハウス見学。
大ちゃんの奥さんのナミちゃんが、世界ふしぎ発見のミステリーハンターみたいにクイズを出してくれました。実際、ナミちゃんは、ミステリーハンターだったんだけどね。
問題の出し方が上手いのか、皆一生懸命、クイズに答えていました。
見学の後には、パサンちゃんが作ってくれたローカルフードのランチ。ココナッツジュース、タロイモ、パンの実、陸ガニ、魚のスープ、などなど。
苦手な子もいたけど、どれも美味しかった〜。りょう君は全部美味しい!と言って、おかわりまでしていたよ。
どこかから戻ると、子どもたちはすぐに海へ
ターザンロープで遊んだり
伝統的カヌーに乗らせてもらったり
毎日自然の中で色々な経験をさせてもらいました。
続く
ヤップに来たのだから、当然皆が行きたいのが海。
早速、海にも出かけることにしました。でも、他のリゾートとちょっと違うのは、海に行くのに子どもたちが乗船したのは、手作りの筏。
子どもたちだけでオールで漕いでいたら、スノーケルポイントに着くまでに、かなりの時間がかかってしまって、到着するまでに疲れてしまうので、ボートにロープで括り付けての移動だけど。
それでも、子どもたちは大喜び。スノーケルポイントに到着したら、早速皆で海に飛び込んでスノーケルを楽しみました。
りょう君はヤップ人のパサンちゃんに連れられて浅瀬をお散歩。
奇麗な貝を拾ってもらって大喜び。りょう君、本当に楽しかったみたいで、この後リゾートに戻ってからも、暗くなるまでビーチの浅い海で泳ぎ続けていました。
ヤップ人のチョメが、大きなヒトデやシャコ貝を沢山拾ってきてくれました。シャコ貝は、リゾートに戻ってから、刺身で食べたけど、美味しかった〜。
そして、一度筏を戻して次に向かったのは、マンタの出るダイビングポイント。
スノーケルポイントよりは、当然深くて底が見えない場所もあります。
それでも気にせず、スノーケルする子どもたち。でも颯友は、スノーケルが「うざい」と言って、フィンもスノーケルも付けづに、マスクだけ。
Jr オープンウォーターライセンスを持っている海友は、僕と一緒に、マンタポイントにマンタを探しにダイビング。もう慣れたものです。
りょう君は、ガイドの大ちゃんにフォローされて、体験ダイビングにトライ。
耳抜きが大変だったみたいだけど、初めての経験ができて、本当に嬉しそうでした。
帰りには、下の子たち(颯友とそう君)がボートの操船をちょっとだけやらせてもらったり。
別の日には、ボートで釣りも楽しんだり
りょう君は大きなカスミアジを釣り上げました
もり突きもトライしたけど、なかなか難しくて、結局子どもたちは誰も一匹もつれなかったけど、良い体験になったと思います。
続く
ヤップでは、テレビを見ることも、ゲームをする事も無く、毎日外で遊びまくっていた子どもたち。
しかし、学校を休んで来ていたので、朝はまずは宿題をすることから毎日がスタート。日の出とともに、ベランダで宿題をしました。
日差しが強いときには、部屋のベッドで二人仲良く宿題をしていた颯友とそう君・・・・。と思ったら、いつのまにかプロレスごっこです。当然、親に叱られます。
朝食を終えると、ストーンパス(ヤップに古くからある村と村をつなぐ石畳の小道)見学へ。
途中で、巨大なガジュマルの木を見学。沖縄では、キジムナーという妖精が住んでいると言われるガジュマルの木。根が無数に張り出した、ガジュマルの木の姿、ジャングルで見ると本当に妖精の住処のようです。
木登りの練習もしてみた。ヤシの木には、ナタでステップを作ってもらいそこに足をかけて登ります。ビートルナッツの木の場合は、ビートルナッツの枯れた葉を結んで輪っかを作り、それを足にかけて、ビートルナッツの幹をしっかり固定してよじ登る。ヤップ人はするすると登っていくのだけど、正直僕らはまったく登ることができなませんでした。
ジャングルを歩き回って喉が渇いたので、取れ立てのヤシの実のジュースを飲ませてもらいました。
魚を突くもりを作成。ヤシの実をターゲットに練習。ヤシの実にはしっかり刺さっていたけど、本番では、上手くいくかな〜。
そして、ヤシの葉っぱで作るバスケット作りにもチャレンジ。このバスケットは、隣村に行くときに、「戦う気はありませんよ」という平和の印でもあるので、隣村に行くときには、必ず持っていかなければいけません。
続く
2014年10月14日
ヤップに持って行くので、颯友が公民館に忘れたらしき水筒を、朝から取りに行かせた。妻と兄は、病院に行ってしまって、いない。「颯友、水筒探して来いよ!ヤップに持って行くんだろ?」。「あ!そうだった」。「じゃあ、早く行って来い」。「・・・・・パパ、一緒に来て」。「なんで?」。「だって、エレベーター怖いんだもん」。「な〜に〜?朝で明るいんだから、何も出ないよ」。「違うよ、出るとか、出ないとかじゃなくて・・・、なんか、機械じゃん」。「え?機械だけど、それがどうしたんだよ」。「だって、落ちそうじゃん、お願い!だから一緒に来て!」。「はぁ?」
何故か色々なサバイバル本を持って、ヤップに乗り込む二人
今回は、小学校のクラスメートも一緒に現地に入る。2年生の颯友と、同じクラスのそう君。
5年生の海友と、同じクラスのりょう君。
ヤップで遊びまくりたくて、行きの機内で宿題を終わらそうとする、颯友とそう君。
しかし、当然の事ながら、ほとんど宿題は終わらず、二人でくっついて早々に眠りにつく。
グアムで機体トラブルが発生。夜9時頃にグアムに到着して、1時間ちょっとのトランジットで、ヤップに夜中に到着の予定が、朝8時まで飛行機が飛ばず。しかも、徐々に出発時刻が延期していくので、ホテルにも行けず。
飛行機の中から大量にブランケットを持ち出して、グアム空港内のベンチをくっつけて、ベッドを作り、子どもたちはそこで眠る・・・はずが、合宿状態で大はしゃぎ。結局ほとんど眠らずに過ごす。
遅延してラッキーだったのは、普段は夜中のフライトしか無くて、ヤップを空からまともに見たことが無かったんだけど、今回は、日中のフライトになり、ヤップ島を空から眺めることができたこと。
ハード型の島も見れました。
空港に降り立ち、早速子どもたちの記念写真。しかし、まったくまとまり無し。
海友が逆側から撮った、僕ら両親の写真。親ばか振りが伺えます。撮影は一人でいいんじゃね、的な写真。
ワチュラブ村のリゾートまでは、車で40分くらい。早速、荷物を乗せるトラックの荷台に「のりた〜い!」ということで、子ども4人と僕が荷台に乗る事に・・・。頼むから、暴れるなよ・・・。ドライバーは、ヤップの酋長。
舗装道路では、結構スピード出して移動。
未舗装道路になり、スピードがゆっくりになると、皆前が気になり身を乗り出し始める。「お〜い、危ないからあまり身を乗り出すなよ」と言っても、聞くわけもなく。
最後は、ジャングルを通って、ワチュラブ村へ到着!
台風が通過したので、多分ヤップ行って来ます。久しぶりだな〜。また思いっきり好きな事して遊びまくるんだろうな。久しぶりに、ヤップに子どもたちが集まります。でも、今度は、海友が最年長。大丈夫かな?
YAP RIZE KIDSは、年齢の違う子どもたちが集まって、色々な体験をした事を記事にまとめています。
https://oceana.ne.jp/wordpress/wp-content/uploads/wm_pdf/201010_yap_kids.pdf
息子たちから、誕生日のお祝いの絵と、7月にバハマに一緒にいった、ミウちゃんとマナちゃんからメーッセージが届いた。最高!の誕生日プレゼント。ありがとう〜。
今日は、海友と颯友が通う小学校の学校祭に行ってきた。
まずは、1年生の颯友の教室を訪れた。1年生の展示のテーマは、「あきであそうぼう」。颯友のクラスは、「秋のすごろく屋さん どんぐりとなかよし」ってことで、ドングリや松ぼっくり、子供たちが「くっつき虫」と呼ぶオナミモなどを使って、けん玉やコマ、ダーツなどのゲームを作って遊ぶというもの。
机を並べたコーナー毎に、子供たちが、方法を説明してゲームをして遊ぶのだけど、松ぼっくりでつくったけん玉で遊ぶコーナー担当だった颯友のところへ行くと、「説明まかせたぜ!」と女の子に説明は任せて、自分は後ろに回り込む。う〜ん、たいていの男の子はこんな感じだと思うけど、自分の子供の頃にそっくり。絶対前に出ようとしなかった。
そして、4年生のテーマは、「すべての人が住みやすい社会を!」というのが大きなテーマ。4組あるクラスのテーマが、それぞれ「ボッチャを体験しよう」、「車いす体験」、「認知症って、どんなの?〜クイズをといて、ゴールを目指せ!!〜」、「視覚障害者体験」。
へ〜、こんなテーマで展示をするんだと感心。しかも、どの教室も大盛況で、子供も大人も、多くの人が、車いす体験やボッチャをして遊んだりしていた。
海友のクラスは、生徒たちが、「認知症の人には、思いやりを持って接して下さい」という小劇を演じ、その劇を見た後に段ボールが沢山積まれた迷路の途中で出される認知症関係のクイズを解いて、ゴールを目指すといもの。
最近では、どこの小学校もこういうテーマで展示なり発表会をしているのかもしれないけど、素晴らしいことだなと感心した。それに、多くの子供たちが、実際に興味を持って体験していたのを見ていて、こういう福祉の気持ちを育みながら、成長していくのはとても良いことだと思った。
ちなみに、市で行なわれる作品展に選ばれた、颯友の絵が展示されていた。
絵のタイトルは「まてまておにだよつかまえるぞ、おにごっこにじうお」。
なが!
11月3日は、二男颯友の7歳の誕生日。ハロウィンでスパイダーマンの仮装をしたのを知って、本物のスパイダーマンが、スパイダーマンのケーキを持って、お祝いに駆けつけてくれた。ちなみに、颯友のおじいちゃんも今日が77歳の誕生日。二人ともおめでとう〜
ハロウィーン当日は、前に住んでいたマンションのハローウィンイベントに行って来た。すでに引っ越して4年が経つけど、いまだに子どもたちは、毎年ハローウィンには、ここに来て、旧友たちと再会するのを楽しみにしてる。
8年前、同じマンションの5家族が一緒になって始めたイベント。今では、3家族が引っ越してしまったけど、今だに、100人以上の子どもたちが参加して、大賑わい。ここでも、海友ミニヨンは、大人気であっという間に子どもたちに取り囲まれた。
歴代、二人のハロウィーンコスチューム。
そして、昨日はディズニーのハロウィーンに行って、中抜けして自宅マンションのハロウィーンパーティーに参加して、再度ディズニーに戻って夜まで・・・・。本当はディズニー諦めてたけど(自分が人ごみ苦手だから)、ディズニー大好きJames family(James本人は「好きだけど、そんなに好きじゃない」と言ってたけど)に、昨日は付き合ってみました。僕は撮影担当。
「ディズニーのハロウィーンに出かける前に、宿題終わらせときなさい!」というママの一言で、宿題に取り組む、ダースベーター・・・、もとい、二男の颯友。さっきまで、素だったのに、いつのまに・・。
「宿題終わったら、急いでご飯たべちゃいなさい!」とママに言われて、「へーい」と返事をして、ゆっくりとご飯を食べるマイク・ワゾウスキー・・・、さっきまでダースベーダーだったじゃんか!そんな余裕があるなら、さっさとやること終わらせてくれ。
Jamesが、兄海友用の仮装コスチュームを完成させて持ってきてくれた。で、試着中。Jamesの娘たちは、シンデレラとか、やっぱりお姫様系。そして颯友は、モンスターズ・インクのマイク・ワゾ・・・・、あれ?スパイダーマン?颯友、朝ダースベーターで、そのあと、マイク・ワゾウスキーだったじゃん。いつの間にスパイダーマン?お前は怪人20面相か?
そしてディズニーへ、で、ディズニーは、・・・・マイク・ワゾウスキーだらけ・・・・
Jamesのオビ・ワンは、注目の的。「あ、ジェダイ!オビ・ワン!ピクチャー、オッケー?」と羨望の眼差しで、皆が声をかけてくる。すごいな〜。去年は一緒に写真撮りたい人たちで行列ができたそうです。
ディズニーを中抜けして、自宅マンションで行なわれたハロウィーンイベントに参加。仮装もディズニーキャラから衣装替えして、海友ミニオン&颯友スパイダーマン!ここでは、Jamesの作ってくれたミニオンが大人気!
再び、ディズニーへ。新たに、もうone family 合流し、子どもたちのテンションMax!、結局夜10時まで・・・・。
台風一過のこの日、海友も颯友も、遠足だった。もうすぐハロウィン、二人とも、すでにカボチャでおばけを作ってたんだけど、手伝ってくれたのは、ジェームス。いつもありがとね。
颯友が、「ねえ、ママ〜、パパ今度はどれくらいいれるの?」と訪ねてる。妻が、「今度はね〜、結構長くいれるんだよ」と答える。
颯友「え?やった!颯友の誕生日までいれる?」
妻「いれるよ、だからハロウィンもいれるんだよ」
颯友「わかってるよ〜、誕生日よりハロウィンの方が先だもん」
海友と颯友は今一緒にお風呂に入ってる。風呂場から、オペラ歌手のような颯友の歌が聞こえてくる・・・。
宮古島ロケから戻ってきた。台風が発生して潜れない日もあったために、滞在期間を延長、ロケ期間は10月1日から16日と長期に及んだ。
何のトラブルも無く終わるロケは、取材者としても、現地サイドとしても理想なのだけど、多くの人が思うように、こうしたトラブルがあった方が、人間同士の絆はより深まるように思う。
「次回こそは、お世話になった皆のために、最高の宮古島を伝えたい」という思いを持って、島を離れた。
今回は、宮古島ダイビング事業組合を中心としたロケだった。ロケスケジュールなどのやり取りは、寺山君がしてくれていたので、多忙な自分はほとんど前情報無しに初めての宮古島を訪れた。ホテルやエアの手配に尽力して頂いたのは、組合長である、タイムマリン宮古島の新城さん。東海岸をメインフィールドにしているため、今回はシーズンが合わず、潜れませんでしたが次回はご一緒できればと思います。
最終夜には、居酒屋に関係者が集まり「オトーリ」で今回のロケの打ち上げをしてくれた。24Northの渡真利さんは、オトーリ用の伝統的な祭器まで用意してくれた。
体調が悪いのに、オトーリに参加してくれた、アクアストーリーの國廣さん、飲めないのに参加してくれた宮古島潜水の猪羽さん、ありがとうございました。次回のロケでは是非、一緒に潜りましょう。
トラブルの時に、暗い中、船をピックアップに向かってくれたアイランドブリーズの渡真利さん。通り池の入り口まで車で迎えに来てくれたのみならず、服を貸してくれたり、荒れた暗い海に、ご夫婦で船を出してくれた、伊良部島マリンプロ宮子の富谷さんご夫妻。本当にありがとうございました。
fish a go go!の佐瀬さんには、今回は取材の幹事として、台風で海に出れない時にも、車を出してもらい、島内取材をさせてもらった。特に台風が最接近した日には、取材する必要は無いのに、危険を顧みず、波風の激しい南部エリアへ車で連れて行ってもらった。
最終日、お世話になった、ダイビングサービスの方が、空港まで見送りに来てくれた。
のみならず、こんな風に、色々おみやげまで頂いてしまった。
山本大司潜水案内の山本さんご夫妻からは、宮古島名物のでか渦巻きパン。クリームに入っている砂糖のじゃりじゃりした食感が、駄菓子屋で売っている砂糖入りのクリームみたいで、懐かしい味。
一緒にロケに行った寺山君が、焼いて食べると美味しい!「うんま!」とfacebookで書いていたので、オーブンで焼いて息子たちに食べさせてみた。お腹いっぱいになった夕食後のデザートにしては大き過ぎたと思ったのに、「おいし〜!もっとちょうだい!」と大喜びしていたが、「食べ過ぎは良くないから、明日にしなさい」と妻に注意されていた。
ちなみに、翌日の朝食も、「何食べる?」という妻の問いに、二人とも「昨日のパン、あ、焼いてね」と口をそろえて、注文していた。
もう一つは、実際に、DIVE宮古島のヒロさんが獲ってきたサメから抽出した、ペットボトルに入れたサメの肝油。家に戻ると早速、カプセルとスポイトを買って来て、簡単に飲めるようにしてみたら、早速好奇心旺盛な二男の颯友が、「これな〜に?」と言って、試飲。
「どう?」と聞くと、「飲むときは味しないけど〜・・・・、う、なんかお腹の中に入ったら、生臭いモアモアが広がってきた」と不評。「でも、身体にいいんだぞ〜」と言ってみたものの、「いつも食べてる肝油ドロップがいい」とのこと。まあ、そうだよね。
そして、これも山本さんご夫妻からの嬉しいプレゼント。僕が気に入って購入したMOBY工房のクジラのテールのキーホルダー。それに合わせて、息子たちへのプレゼントをトムさんに頼んで作ってくれていた。
同じ年齢の男の子の息子さんがいる山本さん。山本さんの二男君と三男君が、僕の長男と二男と同じ学年。お互いに共感を感じている部分もあって、作ってくれた。しかも、海友と颯友の名前まで彫ってくれている。こういうのはとっても嬉しいですね。ありがとうございました。
自分は、これほど多くのダイビングサービスの方々にお世話になって、一つのディスティネーションを取材したのは多分今回が初めての事だ。元来人見知りなので、数日間で、毎回違うお店に移動することに、正直ちょっと抵抗を感じていた。宮古島を宣伝すること、お店を宣伝することが目的であるから、お世話になるのは、当たり前の事と思うかもしれないけど、今回は多くの人と関わったからこそ、海だけでなく、宮古島の良さを感じる事ができたような気がします。
いつも思う事ではあるのだけど、宮古島も、いつかは、家族で訪れることができればいいな。
バハマ、フロリダ、メキシコの2ヶ月間の撮影旅行を終えて帰国。しかし、次のトンガGBRの2ヶ月近くに及ぶ旅まで、日本にいれるのは、1週間。昨日はバハマのリピーターファミリーが家に遊びに来てくれた。
1週間の間には打ち合わせが沢山入っている。本当は昨日も打ち合わせを入れてしまっていたのだけど、妻から「この日は皆が集まってくれるって前に伝えてあったでしょ」と言われた。だけど、はっきり言って、このハードなスケジュール状況で、全てを把握しておけるはずもなく、最初は「もう断れないよ」とは言ったものの、なんとか日程を合わせて頂いていた、打ち合わせ先の方にお願いして、日にちを変更してもらった。本当に申し訳無いことをした。
9歳から生後数ヶ月まで、11人の子どもたちが集まったバハマリピーターのホームパーティー。総勢24人。
しかし、せっかく集まってくれたのに、自分が起きていられたのは、最初の2時間くらい(?)で、後は皆が帰る直前まで極度の時差ボケと疲労蓄積(?)で爆睡。断片的に、ママチームの悲鳴のような盛り上がりと、子どもたちのドタバタ走り回る音が記憶にあるだけ。最後に「皆帰るよ〜」と起こされて、「あ、じゃあ集合写真撮りましょう」と撮影だけして皆とお別れの挨拶。皆さん、すみませんでした。
やはり長期で撮影旅行に行った場合、1週間は元の感覚に戻らないですね。でも、その1週間後には、トンガとGBRに2ヶ月近く行くことになるのですけど・・・。
タイに家族で取材に行ったときも、滞在したリゾートのリポートを書いたのだけど、今回もちょっとだけ、滞在した家族向けのリゾートの紹介をしたいと思う。
ムヘーレス島に滞在して、ジンベエスイムを行なった後、菊池家共々、家族でカンクンに移動して滞在したのが、クラウンパラダイスリゾート。カンクンのリゾートとしては定番のオールインクルーシブで、リゾート内でほとんどお金を持つ必要がない。
まあ、それはそれとして、最初に家族で滞在するに当たって、どのリゾートがいいかな〜と悩んでいたときに、カンクンに家族で訪れた事のある、長男の友だちのお母さんから、妻が「リーゾナブルで家族連れにはおすすめ」と情報を聞きつけてきたのが、このリゾート。
カップル中心のオールインクルーシブリゾートが多い中、ここは、完全にファミリーをターゲットにしたリゾート。タイのカオラックで滞在したシービューリゾート同様に、大騒ぎする子どもたちがいても、周囲に気をつかわなくていいし、子ども向けのアトラクションやイベントも多い。
チェックイン時に、スタッフが、VIPブレックファーストを食べて、施設の案内をしてくれて、買い物とアトラクションのクーポンをくれるって言われるのだけど、これはバケーションクラブへの勧誘。興味ある人は聞いてもいいけど、興味無ければはっきり断ったら、あまりしつこくはされなかった。
「キッヅパラダイス」というプールでは、スタッフが見守っている間に、夫婦でリゾートの外にあるショッピングモールに出かけることもできた。中では、スタッフが子どもたちを集めて、ダンスしたり、ゲームしたり、ピザ作りなんていうのもあったし、映画も上映していた。
<ディズニーキャラにはかなわないけど、子ども向けにこんな着ぐるみたちがたま〜にフラフラと姿を見せる>
<他の国の子どもたちと一緒にバスケやフットサルの試合をすることも>
プールは、ビーチに面したメインプールが3カ所。
今回子どもたちが一番利用していた、4歳〜12歳までが利用できるキッズパラダイスプールと、その横には屋内プール。
<キッズパラダイスプール。ここには、アトラクションスタッフがいて、しっかり子どもたちの面倒を見てくれた>
<キッズパラダイスプールの横には、子どもが中で遊ぶ親たちがくつろげる屋内プールが>
ティーン向けウォータースライダーのあるプールに、大人専用プール、3歳以下の子を預かる託児所の中にもプールがある。など、リゾートのあちこちにプールがある。パターゴルフもあって、息子たちは、毎日のように利用していた。
特徴としては、とにかく子どもが多い事。今の僕らにとっては、はしゃぎ回る息子たちの行動をいちいち気にする事なく、過ごすことができるのが何よりも嬉しい。
大人がカクテルをオーダーするバーカウンターも、時には子どもたちが半数を占めていて、ノンアルコールのカクテルを飲んでいたり。カクテルの名前も、「ウィニー・ザ・プーとか、ロビンフッド、ファインディングニモ、ピカチュースペシャル、スポンジ・ボブなど、子どもが好きそうな、色々なキャラクターの名前がついたノンアルコールカクテルが用意されている。
お酒を飲んでいる大人たちも、カウンターチェアーの横に子どもたちが陣取っても、それが当たり前な感じで、笑顔で接してくれることがほとんどだった。
<子どもたちにとっては、ちょっと大人になった気分が味わえる?カウンターの上には、キッズ用カクテルメニューが>
バッフェ用のレストランの他、メキシカン、フレンチ、イタリアン、シーフード、ステーキハウスなどのレストランがあり、2日前から予約可能。今回は、バッフェ、イタリアン、ステーキハウス、シーフードレストランに行ってみた。味は、まあ、こんな感じかな〜というところだけど、「外に出て食べよう」と思うことは無かった。
<ステーキハウスでディナー。各レストランにはちょっとした、ドレスコードがあるけど、ほとんどが、リゾートカジュアルでオッケー>
<ステーキハウスには、ロデオマシーンがあり、大人たちがチャレンジできる>
日本人ゲストリレーションはいないけど、スタッフは皆子どもの扱いに慣れているからか、子どもがちょっとした粗相をしても、おおらかに対応してくれる。他のゲストも「お互い様」と思ってくれるので、親としては、本当に居心地が良かった。
<夜のキッズオンリーのイベントは、要予約。昼間キッズパラダイスプールで働いていたスタッフたちが仮装して対応してくれるので、すでに顔を覚えてくれているから助かる>
部屋には、子ども向けの3段ベッドがある部屋もある。高級感のある大人向けのリゾートを求めてる人には、まったくおすすめできないリゾートだけど、子どもにとって、特に水の大好きな子にとっては、まさに天国のような場所。息子たちも、1日8時間もプール付けになっていた日もあった。
数有るカンクンのリゾートの中で、「小さな子どものいるフェミリー向けで、リーゾナブルなオールインクルーシブリゾート」を求めている、という極限られた人への情報でした〜。
ちなみに、常に息子たちを追いかけながら撮影したので、使用機材はLUMIXの防水カメラ。サーフパンツのポケットに鍵と一緒に入れてられて、プールにも入れるから便利です。なので、写真のクオリティは多めに見て下さい。
今回のジンベエスイムスペシャルトリップには、今年3月のタイのediveの企画したファミリークルーズで一緒だった、菊池ファミリーも参加した。
お父さんの暁君は、以前タイのタオ島にある、ブッダビューというダイビングサービスで日本人マネージャーをしていて、取材で何度かお世話になったことがある。
彼等の子どもたちは、小学校4年生の長女、海ちゃん、2年生の遥君、そして、3歳の空君。僕らの息子の海友が4年生で、二男の颯友が1年生なので、タイのファミリークルーズでも意気投合していたことから、話が盛り上がり、丁度お互いに、こちらの方面に来る機会があったので、スケジュールを合わせて、ムヘーレス島で合流した。
INTO THE BLUE +ocean+αでチャーターするジンベエザメのスペシャルトリップ。結構ファミリーからの参加の問い合わせもあったのだけど、ほんのちょっと見たいだけなら、デイトリップの船が沢山出てますよ。とアドヴァイスしていた。
何故なら、僕らのチャーターは、長く泳ぎたい人、沢山撮影したい人をメインのゲストにと考えていたからだ。
どの船よりも早く出港して、どの船よりも遅くまでいてくれる。だから、ジンベエと泳げる時間は、1日で長くて6時間以上になる。それだけ撮影に集中できるし、沢山泳げるわけだ。
デイトリップの船だと、現場に2時間もいない場合も多い。しかも、泳ぎ慣れていない人の参加が多いから、ガイドと2〜3名のゲストが一緒に入っている間は、他のゲストは船上で待っていなければいけない船が多い。
こちらは、基本的にプロフェッショナルな人を中心にしているから、自己責任ではあるけど、ほとんどの場合、皆、好きにエントリーして泳いでもらっている。
たまたま、現地で仲良くなった日本人ファミリー(上の子が4年生、下の子が1年生)が、「参加させて欲しい」と言ってくれたのだけど、どうしても人数的に無理があったので、デイトリップの会社に参加してジンベエザメを見に行ったのだけど、やはり、順番で入らなくてはいけなくて、しかも、入れるチャンスが2回だけだったとか。それに、ガイドが付きっきりで手を引いているから、思うように動けなくて、下の子はかなり海水を飲んで大変だったそうだ。
海に慣れていない子どもだと、船酔いの心配もあるから、早く帰れるデイトリップの方がおすすめかと思っていた。しかし、今回、自分の子どもや、暁君たちの子どもを乗船させてみて感じたのは、船酔いなどしているのに、少ないチャンスで、順番が来たからと言って無理矢理入れて、ぱっと見ておしまい。
みたいな感じより、長く現場にいて、船酔いが回復したり、僕らや周囲の人が泳いでいるのを見て、徐々に泳ぐ決心をしたり。そういう意味で、子どものペースに合わせられる事は、チャーターのメリットだと感じたこと。
あとは、一人で躊躇していたのに、友だちが入っていると、競争心と安心感が芽生えるのか、結構平気で泳げるようになっていたりとか。
同じ海域で、冬の時期泳ぐバショウカジキは、海が荒れていることが多いからできないけど、このジンベエスイムの夏の時期は、海も穏やかな日が多いから、それも可能だなと感じた。
そして、今回3歳の空君が、ジンベエスイムに初挑戦。4日間のうち、空君が乗船したのは、最後の1日だけ。しかし、その前にお兄ちゃん、お姉ちゃんがジンベエやマンタと泳いだ話を聞いたからか、「僕も泳ぐ」と決意も固く、最終日に船に乗り込んだ。でも、前夜には、「サメが大きいし、ソラは小さいから食べられちゃうかも・・・」と若干弱気になっていたらしいのだけど、いざ船に乗ると、その顔は3歳ながら、「ボク、がんばるぞ!」という気合いで満ちあふれているようだった。
まずは、ボートの上からお父さんに抱っこされて、世界最大の魚、ジンベエザメがどれくらい大きいかを確認。びびるかと思ったけど、意外と平気。
最初は両腕にフロート、ライフジャケット、それにゴーグルを付けて、お父さんに連れられてエントリー。
でも、お父さんが気合い入れて速く泳ぐものだから、呼吸のタイミングが合わず、海水を沢山飲み、鼻からも海水がいっぱい入ってしまって。しばらくダウン。
途中、海に入るのを嫌がっていたけど、他の皆が泳いでいるのを見て、再度入ることを決意。
今度はお姉ちゃんのマスクとスノーケルを借りて、再び、お父さんに抱っこされながら、やって来るジンベエザメにアプローチ。そして、念願のジンベエザメとマンタに遭遇!といっても、3歳で念願だから、贅沢だけど。でも、親としては、そんな小さな息子が、なかなかできない体験をできるは嬉しいもの。僕もなんとか好ポジションに回り込んで撮影を試みた。最初のアプローチでは、暁君が邪魔で空君が見えない。「もう1回!」とチャレンジ、今度は良いタイミングで、ジンベエとそれを水中で見る空君を撮影できた。
「やったね!」とお父さんと空君がハイタッチ。しかも、今まで使った事のなかっらスノーケルもその時に、何も教えていないのに使えるようになっていた。
「空君、ジンベエ、どんなだった?」の質問に
「おおきかった!でも怖くなかったよ」と満面の笑み。
ジンベエザメを見終わって、島に戻ってからの空君、なんかちょっと大人っぽくなった感じだったな。いっつもお姉ちゃんの海ちゃんに、「赤ちゃん」と呼ばれてるのに対しても、「赤ちゃんじゃない!」と抵抗してみたり、遥君や颯友に闘いを挑んでみたり。それまでは、一人マイペースで遊んでいたのに、お兄ちゃん、お姉ちゃんたちの走り回るのに、一緒について行くようになったり。
ジンベエと泳いだ経験は、3歳の空君にとっては、ちょっとお兄ちゃんになった事への大きなステップだったのではないかと感じた。
こういう経験を通して、子どもの心が成長していくのを目の当たりにするのは、大人である自分にしても、本当に嬉しくて、何ものにも代え難い経験だと思った出来事だった。
今は家族でメキシコのカンクン沖にあるムヘーレス島に滞在して、ジンベエスイムを行なっている。
昨日は、ゲストと家族一緒にセノーテとマヤ遺跡を訪れた。
セノーテでは、海友とミナの良い感じの写真が撮れた。
遺跡は、海岸にあるトゥルム遺跡。ガイドから海で泳げると聞いて、あまりに暑いので、遺跡に入るなり、「海行くぞ〜!!」と駆け出した二人。
「おい!一緒に行くぞ!」という僕の声を振り切って海の方へ。
妻も仕方無く付いて行く。
僕は、ゲストと一緒にメインの遺跡の方へ。
その海側に、唯一、海に降りれる階段が・・・。
先走った海友と颯友は、海にたどりつけず、しばらくの間茫然自失。
やっと自分が見つけて海に連れて行くと、狂喜乱舞。
本当に単純で分かり易い。
そして、その日の夜・・・・・。
相変わらず暴れ回る海友と颯友。
「お〜い!」
「え?な〜に?」
・・・・・・、ひ、一人増えている・・・・。
「カ、カートに乗って帰るぞ!」「オレたち、荷台に乗る〜!」
・・・・・、も、もう一人増えている・・・・。
翌日、「海で遊ぶぞ〜!!」
父「その前に記念写真撮ろう!」
子どもたち「は〜い!」
・・・・・・、さ、さらにもう一人増えている・・・・。
ということで、今年の春休み、タイで一緒に遊んだ菊池ファミリーの子どもたちが合流。
増々騒がしくなりそうだ。
それにしても、海友色黒過ぎるぞ。
・・・・・あ、人のこと言えないか。
自分がバハマにいる間の息子たち。最近は、頻繁に同じマンションに引っ越して来た友人のジェームスの家を訪れる。
そこでジェームスと一緒に作ったのは、ドナルドのケーキとカップケーキ。男の子だけど、こんな遊び心満載のお料理教室なら、きっと楽しいはず。
で、これは小学校の課題なのかわからないのだけど、二人ともミシンを使って裁縫してるらしい。
で、作ったものはというと、海友は、ワンピース柄の袋
颯友は、タイトル「シロイルカたち」だそうです。
あれ?颯友、彼女できたのか?
昨日、4人の娘のいる友達の一番下の女の子のクレアちゃんを預かった。上の3人のお姉ちゃんたち(といってもまだ小さいんだけど)をママが新体操の教室に連れて行き、パパが仕事から帰って来るまでの数時間。クレアちゃんは、写真撮影してあげたり、引っ越した後に家に遊びに行ったときにも会っていて、だっこしたりしてたから、その話を聞いて、家で仕事していた僕は、「早く来ないかな〜。だっこしたいな〜」とわくわく。
妻が「じゃあ、行ってくるね〜」と家を出て、「連れてきたよ〜」と帰って来ると、「わ〜い!」と早速カメラを持って、リビングへ
お、いるいる、ク〜レアちゃん。いらっしゃ〜い。とGH3のモニターを見ながら、笑顔の苦手な自分としても精一杯の笑顔で、近づきながら、シャッターを切る。
ク〜レアちゃん。・・・・の様子がおかしい。
僕の顔を見るなり、な、なんか泣きべそ。そして、視線をそらせたと思ったら・・
「うぎゃ〜〜〜!!」とツップして泣き出した。「あああああ〜〜れれれれ〜〜〜(汗)」
「クレアちゃん、大丈夫?」と妻が慌てて抱きかかえる。
その間も撮影を続ける僕。「パパの事忘れちゃったかな〜。はいはい」と笑顔であやすも、泣き止まない。
泣き止まないので、妻から、「パパ、ちょっとクレアちゃんから見えないところに行って!」と笑顔で言われ、しぶしぶ、仕事部屋へ引き返す。
そうこうしているうちに、海友と颯友が帰宅。「クレアちゃ〜ん!」と駆け寄るのに便乗して、再度リビングに行ってみる。
「クレアちゃん、パパ見ると泣いちゃうから、パパがいること気づかれないようにしてくれる?」と海友と颯友に告げる妻。りょうか〜いと息子たち。複雑な心境の僕。
早速颯友が、自分たちが小さい頃遊んでいたぬいぐるみの詰まった袋を持ってきて、クレアちゃんの目の前に、ぬいぐるみを「うぉりゃっ!」とバラバラとぶちまける。
クレアちゃんがこっちを気にしないように、優しい海友がクレアちゃんの顔をのぞき込んで、話しかける。
ちらっ。「うっ、気づいた?」
すかさず、妻がクレアちゃんの視線を遮るように、前に出て、難を逃れる。
ここで、動かずにいればいいのに、カメラマンの性ってやつで、(撮りたいものが見えないんじゃ、位置変えるしかないだろ〜)と無意識の内にクレアちゃんの顔が見える位置に回り込み、ぱしゃぱしゃ。
ちらっ。「うう、しまった、気づかれたか!(当たり前だろ)」
機転を聞かせて、海友が、「クレアちゃん、ぬいぐるみいっぱいあるよ〜」と目の前にぬいぐるみを積み重ね始める。
海友、な〜いす! 「ほら、まだまだあるよ〜」とさらにぬいぐるみを積み重ねる海友
しかし、今度はぬいぐるみが邪魔で顔が見えなくなってきた。
ここで、動かずにいればいいのに、カメラマンの性ってやつで、(撮りたいものが見えないんじゃ、位置変えるしかないだろ〜)と無意識の内にクレアちゃんの顔が見える位置に回り込み、ぱしゃぱしゃ。
ぬいぐるみと優しい海友の顔とを見ながら、安心しきったクレアちゃん。か〜わい〜〜。パシャパシャ。
ちらっ。「う、気がついた。近寄りすぎたか?(だから当たり前だろっつ〜の!)
とっさに、父を見えなくするために、目隠しする海友。
しかし、時すでに遅し。「うぎゃぎゃ〜〜〜!」とまたもやツップして、泣き始めるクレアちゃん。
「大丈夫だよ、パパは怖そうだけど、怖くないよ」と何となく納得のいかないなだめ方をする海友。
しかし、結局泣き止まないので、「パパ、ちょっと見えないところ行って」と言われ、退場。
その後、パパのジェームスが迎えに来るまで、僕は仕事部屋、出禁になりました。
言い訳するようだけど、ジェームスと、ママの愛子ちゃん、お姉ちゃんたちがやって来てからは、泣かなくなって、ずっと抱っこしてました。ほら、これがその証拠しゃしん。あ〜良かった。
昨日の夕焼けは奇麗でしたね。
スリランカにいる間の子どもたちの様子を知りたいとメールしてしばらくして、妻からこんな写真が送られてきた。
あの手こ、の手を使って、甲斐甲斐しく可愛い妹の面倒見る、兄二人の図
・・・・・ではなくて、4人姉妹の娘がいる友人が、同じマンションに引っ越してきて、その引っ越しの間、一番下の女の子を家で預かっていたときの様子だそうだ。
クレアちゃんは、前に僕が写真を撮影してあげた事のある可愛い赤ちゃん。
長男の海友が赤ちゃん好きなのは、前々から知っていたので、まああまり驚かなかったのだけど、なんと今回、あまり年下の子にそれほど興味を示さなかったと思っていた弟の颯友が、エプロンシアターをクレアちゃんに披露。
妻曰く、「動画で撮影して見せたかったよ」というくらいの奮闘ぶりだったらしい。見たかったな〜。
しかし、二人のあまりの溺愛振りに、クレアちゃんは、すでに二人が見向きもしなくなった、自分たちのぬいぐるみで、覆われて、少々困惑気味な表情?
これから、頻繁に家で預かりそうな予感。
カオラックから車で2時間のカオソックという観光地撮影から戻ってきて、いよいよ、今日からediveのスミランファミリークルーズに乗船します。何故ファミリークルーズかというと、3ファミリー、子どもは系7人が乗船するクルーズだからです。
このクルーズで、長男の海友と、同じ年の海ちゃんが海洋実習して、Cカードを取得する予定です。
それに先立ち、ediveのショップ内で、学科講習、そして、隣の欧米人ダイビングショップにある、講習用プールでプール講習を行ないました。
学科はともかく?プール講習の方は、二人ともかなり楽しんで進めることができたようです。
ということで、クルーズ行ってきます〜。
facebookに書いた家族の小話シリーズ。facebookだけに載せてると、見つからなくなってしまうので、昨年11月、12月のつぶやき小話シリーズに続き、こちらにも載せておこうと思います。
パート1
「ドラえもんの寝床」
年末年始実家に戻っていたミナ(妻)から届いた今年最初の息子の写真とメッセージ。「ハヤトが実家の押入れを見て「ドラえもんみたいにココで寝たい!」って言い張って押し入れにお泊まりしたよ」。今年も相変わらずマイペースです。
パート2
「13時間睡眠」
昨日メキシコから帰国して、眠れず、妻に録画してもらった1ヶ月分のドラマとかアニメ(ワンピース)とか、逃走中とか観てたら、朝に。で、眠くなったのは、朝7時過ぎ。で、目覚めたのは、夜8時・・・。13時間寝てた。
パート3
「母子のちょっとした変態プレイ」
二男、颯友が目の前に靴下を脱ぎ散らかしたので、「おい!これちゃんと冷蔵庫に入れろよ!」と間違えて言っちゃったら、嬉々として戻ってきて、「冷蔵庫に入れちゃうぞ!」と言って、まじで冷蔵庫に入れた。「やめなさい!」と言う妻に取り出した靴下をくっつけて、「ねえ、冷たい?冷たい?」と迫る。「きゃ〜、やめてよ〜!」と言ってるけど、まざらでも無さそうに見える。母子のちょっとした変態プレイだ。そんな父母弟のバカなやり取りの間中も、長男海友は、ずっと本を読み続けてる。
パート4
「クチが悪過ぎる納豆」
セブ滞在中。朝御飯のとき、ハヤトが納豆のパックを見て、ゲラゲラ笑いながら「ママ見てよこれ~!『あけろ』だって~。クチが悪すぎだよね~。」ってすごく嬉しそう。
と妻から写メが届いた。
パート5
「バブルリング17回連続」
北海道ロケから帰宅。録画してあった、イッテQを家族で観てたら、イモトがベルギーでバブルリング作る映像が出てきた。妻が、「そういえば、海友バブルリングすごいんだよ〜。お風呂だけど沢山つくれるんだよ」と言うので、海友(小3)に「すごいじゃん、どれくらい作れるの?」って訪ねたら、「息しないで、最高17個」だって。い、いつのまに、そんなに・・・。
パート6
「バブルリング17回連続は難しい」
朝風呂で、昨日帰宅したときに、長男の海友がお風呂でだけど、バブルリング最高17回連続(もちろんちゃんとできてないときもあるけど)できたって言われたので、試しに一人で入ってるときに、トライしてみた。・・・・・17回連続って、バブルリング云々より、普通にぼっ、ぼって息は来出すだけでも、大変だということに気がついた。
パート7
「寂しがりやは、パパ」
昨日、夜長男の海友が、9時前に「パパ、一緒に寝よう」と言ってきた。妻と二男の颯友はまだ寝ないので、きっと一人では寂しいんだなと思って「ん、いいよ」と答えてベッドに行こうとしたら、「パパ、結構寂しがりやだもんね。だから一緒に寝てあげるよ」と言われた。・・・・俺か、寂しいのは(笑)。
パート8
「"イケメン"は、悪口?」
人から「イケメンだね」と言われるのは、僕らの世代では、褒め言葉で、自分は言われること無いのだけど、きっと「イケメンですね」って言われたら、悪い気はしなくて、「うれしかね〜ぞ!このやろ〜」とチョッパーみたいな反応をして照れそうなのだけど、息子たちの世代では、「イケメン」は悪口ならしく、もし言われたら、「ふざけんな、このやろ〜!」と巻き舌気味に対抗してしまうくらいムカつく言葉だそうだ。
パート9
友だちの4番目の女の子の写真撮影を頼まれました。生後3ヶ月のクレアちゃん。かわいい〜な〜。最近悪ガキになってきた息子たちを思うと、なんか、こんな可愛い赤ちゃん、また欲しくなるな〜。
ちなみに、クレアのパパは、颯友の運動会に帰国できなかった、僕の代わりに、騎馬戦に出てくれた。今回はそのお礼。
http://takaji-ochi.com/kids_diary/2012/10/post-22.html
パート10
友だちの赤ちゃん、クレアちゃんを撮影し終わって、ほっこりしているところに「ただいま〜!」と帰ってきたのが、チビッコギャングの颯友。この前転んだ時にできたスリ傷もかさぶたになって、直りかけ中。久しぶりに、カメラを向けると、「とるんじゃね〜!」と巻き舌ですごむ。
あ〜、こいつでは、もうあんな平穏な癒しは感じられないよな〜。
パート11 「誰がパパ?」
昨日は妻が友だちと夜遅くまで会うので、「後子どもたちのこと、よろしくね。ちゃんと寝かせてね。大丈夫?」と言われて「大丈夫」と答えておきながら、疲れてリビングのソファーで寝入ってしまっていたら、9時過ぎに長男の海友から「パパ、そんなところで寝ちゃうから、疲れが取れないんだよ。ちゃんとベッドで寝なよ。あ、その前にちゃんと歯磨くんだよ」と起こされて、「ふぁ〜い」と言って歯磨いてベッドに入ったら、「眼鏡も外して、布団もちゃんとかけなよ」と布団をかけられた。当然、ベッドルームの電気をしっかり消したのも、長男だった。
パート12
「おとといまえのことです」
卒園する二男、颯友が幼稚園で描いた、絵本などをもって帰ってき、読んでみてと、差し出して来た。
おとといまえのことです。
じんべいざめもうみのせいぶつです。
いるかもみました。
しかもさ、
くらげもみました。
さかなもみました。
おしまい。
パート13
「ガリガリ君」
乗車するリムジンバスの時間が決まったので、妻に連絡して、そこまで迎えに来てもらおうと思ったら、運転中だったらしく、二男の颯友が出た。「あ〜、ぱぱ〜」、「あ、はやと〜。ただいま〜」、「今ね、イトーヨカドーにむかってんの〜。何かほしいものある〜?」、「う〜ん、とくには・・・」、「ガリガリ君?」、「え?」「ガリガリ君でしょ、欲しいの〜」、「う、うん、じゃあ、ガリガリ君買っといて〜」、「うん、わかった〜、じゃ〜ね〜」ガチャ。・・・・到着時間を伝えるの忘れた。 ちなみに、明日は颯友の卒園式。
パート14
「泣くな、はらちゃん観る?」
バハマのタイガーシャーククルーズから家に戻ってきた。ロケから帰宅してすぐに、妻に録画してもらっている番組を息子たちと観るのが毎回の楽しみなのだけど、いままでは「パパ、ワンピース観る?」と真っ先に聞いてきていた二人。だけど、ここ最近、颯友は「パパ、泣くな、はらちゃんとってるよ」と言ってくる。あの漫画から飛び出したキャラクターたちの反応が奴にはとても、ハマるらしい。ガリガリ君食べながら、「泣くな、はらちゃん」観ながら、一人で「にゃはははは〜」と楽しんでいる。成長したな〜。
北海道から戻ってきた翌日の土曜日、妻が風邪気味ということもあり、二男颯友を幼稚園に送りに行った。颯友の通う幼稚園では、土曜日登園のときに、たまに「すくすくパパ」というプログラムがあり、園児たちとパパだけが園内で遊べる。ママは入れない。
忙しかった事もあるのだけど、3年間の幼稚園生活で自分がすくすくパパに参加できたのは、過去に一回だけ。
「今回が、颯友が幼稚園にいる間の最後のすくすくパパだよ。行ってくれば、颯友もきっとよろこぶよ」と妻に言われたこともあり、行くことにした。
自転車の後ろに颯友を乗せて幼稚園に行くと、沢山のおとうさんたちが園庭にいた。パパ飲み会で顔なじみになった人も多く、子どもたちとドッジボールしたり、缶蹴りしたり、はじめの一歩したり遊び回った後に、女の子対パパで障害物競走、男の子対パパで障害物競走が園庭全体を使って行なわれた。
男の子のとき、うみぐみとそらぐみ、それにパパチームの3チームで競争したのだけど、うみぐみの一番手が颯友だったので、パパチームの一番手で一緒に走ることにした。
手を抜いたところで、当然一番なので、手加減して走っていた。ゴールに近づいて、颯友の姿が見えないことに気がついた。どうやら、園庭後方にあるの山の裏側で転倒したらしく、ヒザを擦りむき左足を引きづりながら、顔の右目の横を擦りむいているのを隠しながら、姿を見せた。
「大丈夫か!?」と声をかけた途端、顔がくしゃくしゃになり、泣き始めた。皆から「はやとがんばれ〜!」「はやと君がんばって〜!!」と声援が飛ぶ。颯友は、余計に悔しくなって、さらに顔をくしゃくしゃにした。僕は、手をかす事なく、颯友がゴールして、次の子にタッチするまで見守った。
走った後、隣に座って「良く頑張ったな」と言って、頭を撫でた。放心したように前を見つめる颯友の身体は小刻みに震えていた。
何人かの女の子が近よってきて、「はやと君だいじょうぶ?」と言って、スパッツについた泥をはたいてくれたり、頭を撫でてくれたりした。「やさしいね。ありがとうね」とお礼を言ったけど、こういうのって、やられる本人にとっては、余計に悔しかったりするだろうなと颯友を横目で見る。颯友は、何も言わず、放心したように前を見つめたままだった。
「きっとパパに良いとこ見せたくて頑張ったのに失敗しちゃったのが悔しかったんだね」。家に戻ってから妻に言われた。
幼稚園の運動会も参加できたのは、3年間で一回。一緒に遊べることが少なかったからか、ロケから帰ると、執拗に肩車して欲しいとせがんだ事を思い出した。
肩車してやると、決まって長男の海友に、「かいと〜!見て〜!いいだろう〜!!」と自慢していた。
今日の朝、リビングのソファーに座っていたら、起きてきた颯友が僕の側にピッタリとくっついてきた。
「颯友、昨日パパがすくすくパパに参加して嬉しかった?」と訪ねると、ちょっと恥ずかしそうに頷いた。
「もっと沢山来て欲しかったんだよ。だけどさ・・・・」そう言ったまま黙り込んだ。
幼稚園の頃、ストレートに嬉しさを表現していた長男に比べて、二男はおちゃらけて、自分の思いをはぐらかそうとする性格だなと分かっていた。損な性格だな。そんなところは、自分にそっくりだ。
「ごめんな。でも、卒園式と小学校の入学式には絶対出るからね」と言うと、照れた笑いを見せながら「うん」と頷いた。そして、「パパ、一緒にレゴやろう」と珍しく一緒に遊ぼうと自分から言ってきた。
石垣島のうなりざきの森君ファミリーとディズニーに行ったときのこと。森君とこの赤ちゃん、ゆうたは生後9ヶ月。
小さな子の面倒を見るのが好きな海友は、いっつもゆうたを抱っこして歩きたがった。とは言っても、僕ら大人でさえずっと抱っこしているのは大変なので、当然僕らや森君、奥さんのエリちゃんと交替交替。
僕が抱っこすると、不安そうな顔をするゆうた。でも、何故か海友が抱っこすると、安心したように、笑顔を見せる。
ゆうたに限らず、小さな子は、海友を見たり、海友に抱っこされたりすると、何故か笑顔を見せる。こんなに小さい子に好かれるのは、何故なんだろうといつも疑問に思う。方や、颯友は、まったく無関心でマイペースに遊び続ける。
それはそれで見ていて面白い。
できれば、海友には、いつまでも優しい子でいて欲しいな。そして、颯友はこのまま、マイペースに生きていって欲しい。
森ファミリー in ディズニーランド
ディズニーでマイナーだけど、何故か海友、颯友が好きなキャラがいる。本人たち名前も知らないらしいんだけど。いっつも、アドベンチャーランドで遭遇するジャングルブックに出て来る悪戯不良サル軍団。
どうも、似た匂いを感じるのか、ディズニーキャラの中でも一番に絡みたがる。
この日は、いつにも増して、数が多くふてぶてしい感じで登場したサル軍団。見つけるなり、海友は、森君とこのゆうた君を連れて記念撮影をしようと近よるのだけど、重くてこける。その横で、颯友は、嬉々として早速サルのしっぽをわしづかみでゲット。
他の子どもたちの記念撮影のリクエストに答えている間も、しっぽを握り続けて、嬉しそうにしている颯友。
で、当然、見つかる。
「あ、お前何やってるんだ、ウキー!悪戯好きの俺たちに悪戯するとは見上げた根性だ!ウキー!、ウキー!」と悪戯で注目された事が相当嬉しそうな颯友。
「おい、こいつ、どうする?ウキー!」
「そうだな〜、俺たちと同じサルにしてやろうか、ウキー!」
「そうだ、二度と人間には戻れないぜ!ウキー!」
と相談されている感じ。
で、颯友は、
「是非、そうして下さい、ウキー!」と答えてる感じ。
海友も、颯友も、結構習い事をしている。小学3年生の海友は、空手、水泳、ラグビー、そして英語。自分は小学生のときに習っていたのは、剣道、野球、英語、絵画教室。まあ、似た様なものと言えば、似た様な感じだ。しかし、小学生3年生の海友はともかく、まだ幼稚園児の颯友の習い事は、今現在、空手、水泳、テニス、そしてラグビーとスポーツ系ばっかり4つ。
自分が幼稚園の頃は、絵画教室だけだった事を考えると、多過ぎる気がするのだけど、父親である自分がいない事が多いので、一緒に遊んであげれないから、家でだらだらするより、少しでも外で身体を動かして欲しいという妻の希望でもある。
水泳、テニスは、それなりの月謝なのだけど、空手とラグビーは「え?そんな金額でいいんですか?」というくらい安い。ラグビーなどは、ラグビー好きのお父さんたちが集まって、ボランティアで教えてくれているので、1月の月謝は1000円以下。習いに来る子どもが100人を越えてるのは、それだけではなくて、校長(監督)を始め、ボランティアで教えてくれるお父さんたちが、とても熱心で情熱的でもあるから。先日初めて見学に行ったけど、学年別に別れて練習しても、十分なくらいの人数。
颯友が本当に楽しそうにしてるのが印象的だった。
新浦安は、同世代の子どもたちが多くて、子どもたちの習い事に関しては、本当に様々な種類があって、親も子どもたちも、「これも習いたい、習わせたい、あれも習いたい、習わせたい」という選択肢が多くて大変。
今は本人たちが「やりたい」と言いだしたものをトライさせてみるようにはしてるけど、できればいつかその中から本当にやりたい物を見つけ出していってくれればいいなと思っている。
正直、海友などはおっとりしていて、遠慮がちなので、今はスポーツには向いているようには見えないのだけど、まあそれはそれとして、好きなものを取捨選択できる環境にいるだけでも、ありがたい事だと思う。
12月2日には、二人とも空手の昇級試験がある。その日、パラオロケに出発なので、見に行けないのが残念だけど、頑張って欲しいな。
「オレがやる!」「オレがやる!」「ずるい!今度はオレがやる!」「ハヤトはちゃんとできないからダメだよ!オレがやる!」「え〜!何で〜!昨日もカイトがやったじゃん!ずるいよ〜!」・・・・・海友と颯友が言い争う声が聞こえる。
何を争っているのかと妻に訪ねたら
「トイレ掃除をね、自分がやるって取り合いしてるの」との返事。
「え〜、トイレ掃除争奪戦なの?」と僕
「そう、ここ最近ね」と妻。
何て感心な、と思ったが、絶対に裏があるに決まっている。で、妻に、「何で、トイレ掃除争奪?」と再度訪ねた。
「お手伝いをした、お駄賃がね、他は10円なんだけど、トイレ掃除だけ20円にしたの」
「20円・・・・、まあ、確かに倍だけど・・・」20円のために、争奪戦か〜。
しかし、確かに、自分が帰って来てからというもの、トイレ掃除以外にも何かと手伝っている二人。どうやら、お駄賃を集めることを競争しているようだ。
二人の財布を見せてもらったが、海友はもうすぐ5000円、颯友は1000円ちょっと。その差は歴然としているのだけど、一体何がそんなに二人をお手伝いに駆り立てているのか?
それにしても、10円や20円で1000円貯めるには、100回くらい何か手伝わないと行けない。5000円だと500回、まあたまに50円とか100円とかもらってることもあるだろうけど、それにしても300回くらいは何か手伝わないといけないよな〜と単純計算。
1日に何かを5回手伝ったとして、それなりの日数はかかる。ニューカレドニア行く前は、そんなに顕著にお手伝いしているようには見えなかったけど。
よくよく考えると、海友、颯友、お互いの誕生日のときに、600円と1000円くらいのプレゼントをこのお手伝いしてためたお駄賃の中から出して、それぞれ、買ってあげてたわけだから、まあそれは感心なことだなと思った。
で、先日、会社のmeetingを自宅でしたときに、一緒に仕事してる二人が家に来たのだけど、玄関に二人が姿を見せるなり、海友が玄関までやってきて、「いらっしゃいませ」と言って深々と頭を下げた。(何、何?この礼儀正しい挨拶は?)と驚いたのだけど、その後も、席に着いた二人に、お手拭きように、ティッシュ渡したり、妻が出そうとしていた、お茶を「ママ、僕がお出しするよ」と、言って、持ってくるし。
何、この子?どうしちゃったの?
くらいに驚いたのだけど・・・・
要するに、お客さんに対して、そういう対応をしていたのも、どうやら、「お駄賃」をもらいたいがためだったようだ。
なるほど、(言い方悪いけど)二人は、お駄賃をもらうためのダシに使われたってことだな。
それにしても、見事なまでに、あからさま過ぎるな。どこで覚えたんだよ「僕がお出しする」なんて葉が浮きそうな言い方。
で、二人が帰った翌日、海友が小銭だらけの財布取り出して、お金を計算しながら、
「あ、これで、100円になるよね」と10円玉10枚を100円にかえてっと
「これで、1000円になるよね」と100円玉10枚を1000円にかえてっと
「え〜っとこれも、50円になるし、こっちの50円と足して、残りの900円で1000円で〜、1000円が1、2、3、4、5・・・!やった!これで、5000円札一枚と交換できる!
ママ〜、交換して〜!!」
「はい、5000円」と母親に渡されて、
「やった、5000円札〜!颯友、見て5000円札〜(嬉)!」と弟に自慢気に見せつける。
それを見て、颯友は号泣。「だから、トイレ掃除さしてって、言ったのに〜、やらせてくれないからじゃん〜!!」
兄がいる時はトイレ掃除できないから、いないときを見計らって、颯友なりにトイレ掃除してたらしいのだけど、海友が帰ってきたら、また海友も掃除してたらしい。そんなに1日何回もしなくてもいいんだけど。
で、5000円札を手に入れた海友はというと、どうやら満足したらしく、今日はまったく何かを手伝う姿を見ることがなかった。
目標を持って何かに取り組みことはいいことなんだけど、できれば「お手伝い」はエンドレスで続けてもらいたいんだけど。トイレ掃除争奪戦は、またしばらく見れないのかな。自分も今日からセブに行っちゃうし。
追記1>
早くに起きて来た海友に、「5000円貯めたから、もうお手伝いは終了なの?」と訪ねた。すると、「ううん、するよ」と答えた。「でも、昨日はあんまりしてなかったんじゃない?」と聞くと、
「それは、颯友が、お手伝いして、お小遣い貯めたがっているから、全部譲ってあげてるんだよ。しばらくは、そうすることにしたんだ」との答え。
う、・・・・・海友、颯友の事をちゃんと考えていたのか〜・・・
追記2>
今朝、自分のブログを読んだ妻が、「チチ、あのおもてなしは、お小遣いのためじゃないよ。あの後、海友は、お小遣いちょうだいなんて、一言も言ってこなかったよ。あれは、海友が、本当に二人をもてなそうとして、やってたんだよ」と言われた。
う・・・・・、海友、疑ってごめんなさい。来てくれた二人も、「ダシ」だなんて言ってごめんなさい。
結局、自分が一番懐疑心があったってことですね。反省・・・・。
スリランカと次のニューカレドニア&バヌアツロケの合間、颯友の運動会と、海友と颯友二人の空手演武会があった。
当初の予定では、両方とも参加できると思っていたのだけど、スリランカロケの帰国日を自分が勘違いして、1日前に帰国できるはずが、運動会当日の帰国になってしまって、運動会には参加できず。颯友が楽しみにしていた親子騎馬戦は、友だちのジェームスが代わりに参加してくれて、颯友は大活躍できて大喜びだったそうだ。
前にも子育て日記にも書いた事があるのだけど、ジェームスは震災直後、妻がやっと開いたスーパーに買い出しに出かけたときに、財布を忘れてレジで困っていたら、離れたレジにいて買い物をしてたのに、わざわざお金を貸しに来てくれたのがきっかけで仲良くなった。ジャームスもそのとき、奥さんと、小さな3人の娘を連れての買い出しで大変だったろと思うのだけど、そういう優しさのある人たちだった。
今回も、一番上の女の子は違う幼稚園に通っていて、運動会に来る必要の無い立場であるにも関わらず、家族皆でやって来てくれて、ジェームズはしっかり助っ人役を果たしてくれた。
そんな頃、自分はスリランカから日本へ向かう飛行機の中。「雨降って、運動会延期になってないかな〜」と少し思ったりもしていた。帰宅してから、嬉しそうに騎馬戦の話をする颯友を見ていると、嬉しいような、残念なようなちょっと複雑な気持ちではあったけど、こういうのを快く手伝ってくれる友だちがいてくれた事に感謝した。
そして、その翌日は、雨。「雨が降るの1日遅かったな〜」と思いながらも、今日の空手の演武会は、何が何でも見にっいてあげないと、と思っていた。場所は、代々木体育館。子どもたちが通う礼心会は、極真からの分派なので、その極真の全国大会で披露する演武会だった。
久しぶりに、実践空手の組み手を見学して、自分も楽しめた。いつか海友や颯友もこんな実践組み手の大会に出たりする事があるのかな。できれば、途中で止めないで頑張ってもらいたいけど。
皆が緊張してる演武会のステージの上でも、余裕な表情の海友。
追記
後で聞いた話なのだけど、この演武が終わった後、空手の先生は、涙を流していたそうだ。自分は目の前にいたのだけど、体育館内が暑いから、汗かいてるのを拭いているだけなのかと思っていた。
何で泣いていたかと言うと、キッズクラスで、いっつも暴れ回っていたり、ダラダラしてまとまりの無い、ちびっ子たち、つまり颯友のような幼稚園児たちが、想像以上にしっかり演武を成し遂げてくれた事に感激していたのだそうだ。
確かに、たま〜に見学に行く道場では、だらだらしてる事が多くて、先生はとにかく声をからして、叱っているシーンを良く目にした。
望遠ズームで覗いていた海友も、颯友も、いつも以上にしっかりと演武しているのに、自分も感心した。・・・・だけど、普段からあれだけしっかりやってくれてれば、いいことなんだけどね。
24日の昨日は、南伊豆の神子元にハンマー狙いで潜りに行く予定だった。しかし、前日に神子元ハンマーズの真君に連絡を取ると、「24日は悪天候でクローズの可能性が」とのことだったので、潜りに行くのをやめた。おかげで、帰国してからも連日ハードなスケジュールだったのが、これで少し身体を休められる!と喜んでいたのもつかの間、妻から「明日はディズニーシーに行く」と宣言された。
確かに、前々から、ディズニーがハロウィンバージョンの間に、新しくシーにできた「トイストーリーマニア」を体験したいという子どもたちからのリクエストがあって、この日を逃したら、確実に、ハロウィン前に行くことは不可能だった。で、ちょっと前に「24日に行こう」と妻と話ていた事をうっかり忘れていたわけだ。
体力的には、「一難去って、また一難」だったけど、行かない訳にはいかない。というよりも、もし「神子元がクローズしそうなので、明日は見合わせましょう」という連絡をもらえてなかったら、完全にダブルブッキングしているところだった。危ない・・・。
で、前夜、妻からシーに到着してからの作戦が念入りに伝えられた。作戦って?と思う人もいるかもしれないのだけど、あまり混雑しないシーにあって、このトイストーリーマニアの登場は、その認識を180度覆す程の人気振りらしく、オープン1時間以内にその日のファストパスは無くなってしまい、順番待ち300分はザラ、時には500分とかいう「ふざけんな!」状態になるらしい・・・ということを延々と妻が説明していたらしいのだけど、何をしていたか忘れたけど、自分はほとんど上の空で聞いていた。
作戦ってのは、「なるべく開園前にエントランスに到着して並ぶ。そして、開園と同時に、全員分のチケットを受け取った僕か妻が、猛ダッシュでファストパスの列に並ぶ。その間に他の皆は、トイストーリーマニアの列に並び、300分待ちはザラなこのアトラクションを1日2回やる作戦」。と、内容は単純なんだけど、長い作戦名を付けてみた。
で、「大丈夫?」と妻に聞かれたのだけど、どうせ大した事無いだろうと「うん、大丈夫〜」とまた上の空で返事を返していた。体力的疲労の重なっている自分は、子どもたちと順番の列に並び、シーの内部事情に詳しい妻にファストパスを取りに行ってもらえばいいやくらいに思っていた。
が、当日になって、その考えが浅はかであった事に気づく。っていうかいかに大変かって事をちゃんと聞いていなかった自分がいけなかったんだけど、その日、お友達家族もシーに来るという事を聞き逃していた僕は、開園前の入り口ゲートで、そのお友達たちと合流。その数合計8名(子ども6名、お母さん2名)。・・・・、んんん?子ども6名、お母さん2名? ちなみに、僕らは、子ども2名、お母さん1名、お父さん1名(自分)。で、合計すると、子ども8名、お母さん3名、お父さん1名(自分)。
計12名・・・・、でもお父さん1名(自分)。・・・・ぶ、分が悪い。
ということで、必然的に僕が12名分のチケットを受け取り、ファストパス確保のために、猛ダッシュする事に。
「すみませ〜ん」と言うお母さんたちに、「あ、だ、大丈夫です!」と答えると、「あの、サメのテレビ番組観ましたよ〜。あれは無理って主人が言ってました。身体鍛えてそうですもんね」と言われ、(特に鍛えてないんだけど、で、そのご主人は今日はどこに?)と内心思いながらも、家族だけならともかく、お友達のファストパスも任されるとなると、取れなかったらマズいという責任感に囚われ、気づいたら、開園前から一番ピリピリした人になっていた。
で、開園。11人一人一人からチケットを受け取り、猛ダッシュ。地図ではもっと近いものかと思っていたけど、これが意外に遠い。早くから並んでいた人たち皆がファストパスと、トイストーリーマニアの順番待ちの列めがけて、民族大移動。ダッシュを続けていた自分は、正直途中で息が上がりそうになった。
が、ようやくファストパスの列最後尾に到着。ここからが、またちょっとした小競り合い。如雨露状に、どんどん列が細くなっていくために、ここで悠長に構えていたら、どんどん先を越されてしまう。なので、少しでも早く進むために、皆が押し合いをしている。時に、「押すな!」「押してない!」の小競り合いも見受けられた。
ここで多少もみくちゃにされながら、どうにか13時台に入れる12人分のファストパスをゲットし、皆が待つ、順番待ちの列の方へ。開園と同時に並んだにも関わらず、1時間待ちだった。それでも300分に比べれば、全然楽だけど。
(自分だけなら、絶対こんなの並ばないな)と思ったのだけど、まあ、とにかくミッションは完了。そして、自分はこの時点で完全に「燃え尽きて」いた。
のだけど、トイストーリーマニア、入ってみて初めて思い出したけど、これフロリダのディズニーワールドで一回やっていた。そして、かなり面白い。おまけに普段は、海友か颯友が横に乗るのだけど、この日は、海友が友だちと乗りたがり、颯友は妻と乗りたがったので、人数の関係上、僕は、海友のお友達の4つ子ちゃん(男の子1人、女の子3人)の中の女の子と乗ることに。
娘のいない僕は、「男の子なら大丈夫なんだけど、女の子は、何話せばいいのかな」と内心ちょっと緊張しながらも、列に並びながら、暴れ回る男の子と、お母さんたちの近くにいる女の子たちを見比べながら、(あ〜、やっぱ女の子はいいな〜)と思いながら、その違いを眺めていた。
その後、海友は他の6人と一緒に行動し、僕は妻と颯友と3人で移動。なので、写真も颯友のものが多いのだけど、何故か、僕が撮ろうと、妻が撮ろうと、この日は、こんな厳しい表情しか見せない颯友なのでした。
とりあえず、最後は、海友も合流して家族でアトラクションを楽しんだのだけど、自分は途中で本当に疲れて倒れそうだった。座ってみる3Dシアターなどのアトラクションの時には、完全に爆睡。
体力的には、相当にハードな1日でした。
セブロケ帰国翌日、バハマのリピーターの人たちと、家族ぐるみのキャンプに行って来た。15年も続けていると、子どもの生まれた人たちも多くて、今回は、1組以外は皆子連れ。
でも、まだ小さくて、一番上が海友、2番目が颯友。
今回は特に面白い話とか無いので、写真にそれぞれコメント入れて、個人的な思い出にしときます。
キャンプ場には、川が流れてて、雨も降っていたせいか、水かさが増してる感じで、ところどころ、流れが早くなっていた。水も冷たいけど、子どもたちはおかまい無しで、遊びまくる。
問題なのは、知らない人にまで、水鉄砲で無差別に攻撃を繰り返すことだ。怒る人はいなかったけど、さすがにこちらは、その度に「す、すみません」、「ご、ごめんね〜」と謝らなければいけない。
気づいたら、知らないお兄ちゃんたちに混じって、水の掛け合いしてるし。
体長、1cmくらいの川魚の稚魚を見つけて、捕獲する二人。このときが一番安心して観てられた。
しかし、退屈すると、何故か流れの早いところに行き、流れに飲まれたがる二人。海友はこの前に一人で参加していた、5泊6日の子どもキャンプで、すでに川で流れに飲まれて、岩に頭と鼻の頭を激突して、鼻血出した経験があり、「颯友にも川の恐さを体験させたかった」と訳のわからない発言を繰り返す。
で、颯友が流れに飲まれて転がりまくる見ながら「ハヤト!川こわいだろ!、海よりこわいだろ!」と叫ぶ。
転がる颯友を何とか捕まえて、つかみあげると、颯友も、「こえ〜!川こえ〜!、川の恐さを知ったよ、カイト〜!」と納得してる。
岩にどこもぶつけなかったから良かったけど、自分は、これはちょっとヤバいとマジで思って必死に奴を捕まえた瞬間に、ヒザを岩に強打。いまだに痛みが取れない。
夜には、サプライズで、僕の他、海友や他に9月生まれの人たちにお祝いのケーキが出されたのだけど、真っ先に、ケーキをぐちゃぐちゃにしたのは、11月生まれの颯友だった。これと同じようなシーンを前回のキャンプでも目にしたな。
朝目覚めると、男の子は全員一カ所に集まって密談?ただ、単にこコロコロコミックスを見てるだけだけど。でも、一番見入ってたのは、お父さんの方?
で、女の子はその密談の輪には加わらず、お母さんの側を離れない。
2日目は、日原鍾乳洞に。「写真撮るから、ポーズ撮れ!」と年長組の悪ガキ3人衆(海友、颯友、おーちゃんは、ヤップでも一緒になった事がある)
皆、まとまりなくて、バラバラ。まあ、そういう年頃だよね。男の子だし。
鍾乳洞の中は、10度。最初は寒かったけど、あまりに高低差があり、上り下りばかるするので、海友も颯友も早々に、Tシャツ。
鍾乳洞出たところで、皆で記念撮影。1組だけ、先に帰っちゃってたけど。
洞窟出てから、ベビーキャリーに1歳のあいりちゃんを背負って歩く海友。あいりちゃんも嬉しそう。
食事処に入って、あいりちゃんのママが抱っこしてるのに、何故か「だっこ、だっこ」と海友に抱っこをおねだりする、あいりちゃん。これには僕らもびっくり。海友は、確かに小さい子に好かれるんだけど、こんなに好かれるとか(笑)。それとも、この抱っこが居心地がいいのかな?
さんざん遊び回った二人は、帰りの車の中で爆睡。
夏休み最後の、楽しい思いでになりました。
バハマ、メキシコと転戦して、久しぶりに帰国して、2日が経った。さすがに長期での撮影やゲストの対応などで、身体は疲弊しきっている。空手の道場には2日間、付き合ったけど、時差ぼけもあって、まだ子どもたちと遊ぼうという気力が沸かない。
でも、もう子どもたちは夏休みで、毎日のように近所の子どもたちと遊んでいる。
極力外で遊ぶようにと妻が伝えてはいるのだけど、暑いから家に来て遊ぶ時間もある。で、今回2日間で遊びに来たお友達が、両方とも上が海友と同学年、下が颯友と同い年の男の子2人の兄弟。
どちらかが、学校が違ったり、幼稚園が違ったりするのだけど、何故かやたらと気が合うらしく、家にいるのが少ない自分でも顔なじみのお友達たちだ。
で、大抵4人くらいが集まって部屋で遊ぶときにするのが、4人でできるWiiだったりする。「10分だけね」と妻が言うと「は〜い」と返事はするものの、当然10分では終わらない。まあ、いいんだけど、まだ2日間とはいえ、毎日同じシーンを目にしてるのもな〜。
これが、昨日で
これが今日。
違うのは、服装とお友達だけ
あ〜、時差ぼけで眠くなってきた〜
今日、海友と颯友の友だちが家に遊びに来た。
子どもたち「ねえ、パパ〜、ひみつきち作るの手伝って〜」
父「よっしゃ〜!」
数分後
父「完成!」
子どもたち「すげ〜!!オレここ、オレはここ!」
父「ふふふふふ」
父「・・・・・あっ」
で、出られなくなった。
ハワイから戻ってきて、翌日から3日間、池袋のサンシャインで開催されている、マリンダイビングフェアに、新統合サイトocean+α(オーシャナ)のブースを出展しているために、連日会場へと通っている。
2日目の土曜日、マリンダイビングフェアの会場に行く前に、二男颯友の通う幼稚園のパパ友数名が集まって、子供たちと一緒にKOKOROKOINOBORIプロジェクトで、5月4日、5日と、東北の空にあげる予定の鯉のぼりを描いてくれた。すでに、手描きの鯉のぼりの数は約200流集まっていて、今は、現地での設置、撤去作業をどのように行なうか、かかる費用などに関しての見積もりなどを行なっています。
鯉のぼりの作成に協力してくれた皆さん、ありがとうございました〜。
昨日は、ここに住む前に住んでいた所で子供たちのクリスマスパーティーがあり、妻と海友と颯友ででかけた。
夜8時過ぎに、帰ってきたのは、妻と5歳の二男、颯友だけだった。プレゼントと一緒に抱きかかえられて戻ってきたから、二人とも遊び疲れて眠ってしまって、車で起きないから、先に颯友だけ連れてきたのかと思ったら、海友はお泊まりだとのこと。
颯友は、朝起きて、早速そのパーティーでもらったプレゼントを開けて遊び出した。なんか暗闇でお化けを撃つシューティングゲーム。かなり気に入ったらしく、何度も何度も繰り返し遊んでいた。
「良かったじゃん、サンタさんからもらっただろ、それ〜」
と訪ねると、「違うよ、ニセサンタだよ」との返事。
「え〜、本物じゃないの〜?でないとニセのサンタさんが颯友にプレゼントくれる理由が無いじゃん」
と言うと、
颯友「違うよ、誰かが、ニセサンタのおじさんに先におもちゃ買って渡したんだよ!」
父「でもさ〜、何でニセってわかるの?第一誰がその人にプレゼント渡したのさ?」
颯友「だって、あのサンタ洋服の下に別の服着てたよ。本物なら、別の服なんか着てないよね〜。誰がプレゼント渡したかはわからないけど、あれは絶対本物じゃないよ!」
5歳で、もうサンタを信じなくなっているのは、兄や年上の友だちがいるからなのかとちょっとがっかりしたのだけど、その直後に、
颯友「本物のサンタさんはね〜、見ちゃいけないんだよ。見えないんだよ!」と語気を荒げて言うのを聞いて少し嬉しくなった。
まあ、偽サンタのプレゼントであろうとも、相当に気に入って遊んでいるから、それはそれで良かったのかな。
ちなみに、これは今日の東京湾
曇天だけど、こんな空も悪く無いですね。
12月17日土曜日と18日の日曜日には、パーティーが続いた。一つは、岩手のガレキ撤去作業を続けている、くまちゃんと、三陸ボランティアダイバーズの忘年会。熱海の温泉宿で泊まりで開催された。40人程のメンバーが集まり、仮装大会?やビンゴゲームなどをして盛り上がった。
後半、津波後の活動を綴ったビデオでは、感激して涙を流す人たちも。それに、最後の挨拶では、三陸VDをNPO法人として、認可させた立役者の早乙女君(副理事)が、くまちゃんを信じて、ここまでやってきた事、活動に参加してくれた人たちに涙を流しながら、感謝の言葉を述べた。
自分は、お酒を沢山つがれて、早々に顔赤くしていただけだったけど(これでも一応理事になっている)。おまけに、ずるしてビンゴの景品を2つもらい、宴会で皆が残したみかんを、「子供が好きだから」と紙袋に沢山いれて、持ち帰ったりしてた。
宴会が終わった後も、それぞれの部屋で2次会とかが行なわれたのだけど、翌日も家の方でホームパーティーがあったので、別の部屋に行って、早めに寝かせてもらった。
朝5時に起きて、熱海6時30分発の新幹線に乗り、新浦安の家に帰り着いたのは、8時くらい。2時間弱で帰れちゃうんだな〜と感心。でも、せっかくの温泉宿なのに、温泉に入らずに帰ったのは、ちょっと残念だったかな。
で、日曜日には、近所の赤ちゃんのいる家族とホームパーティー。しかも、双子2組。海友と颯友がお兄ちゃんになった日。
と言っても、海友は、近所のお母さんたちにも感心されるくらい、赤ちゃんや小さい子の面倒を見るのが好きなので、この日もこんな感じで赤ちゃんを抱っこしたりしていた。でも、あまりに赤ちゃんが多過ぎて、誰の面倒を見れば良いのかちょっと途方に暮れていた感じでもあった。
今日家に遊びに来てくれたご家族は、震災の後、妻がマーケットで物資を購入し、レジでお金を払おうとしたら、財布を忘れていて、途方に暮れていた。それに気づいて、わざわざ離れたレジにいて、お姉ちゃんと双子の赤ちゃんを連れていたにも関わらず、お金を貸しに来てくれたのがご縁で、仲良くなった。自分も子供たち連れて物資購入に来ている大変な時でさえ、災時とはいえ、まったく知らない他人の事を思いやってくれたその気持ちに、妻は本当に感謝していた。
三陸VDの人たちとも、このご家族とも、あの地震をきっかけに知り合いになった人たち。「誰かのために、何かをしてあげたい」と心と身体が自然に動いて、それを当たり前のようにできる人たち。
色々な人たちとの、色々な出会いがあるけど、こういう縁は、いつまでも大切にしていきたいと思う。
昨日は、新橋にあるBOXでスライド&トークショーだった。多くの方に来て頂き、本当に感謝しています。ありがとうございました。
しかし、「いつもの事」とは言われるものの、今回は本当にギリギリまでスライドが完成しなかった。というよりは、実際には予定していたテーマのスライドショーを完成させることができなったので、早々にビールを飲んで酔っぱらって、その勢いでごまかして乗り切った。
言い訳をするようだけど、今回はかなり急な事だったし、直前に岩手にボランティアの取材に行っていたので、写真セレクトがスライドショーの前日、スライドを作り始めたのが、当日の朝4時くらいからだった。
なんとか時間までに間に合わせようと思っていたら、前日寝る前に「明日は颯友の表現の集いと、海友の学校の学校祭で、社会見学発表会があるからよろしくね」との妻の一言に、「え〜〜〜、明日だったけ?」。
妻「何?何かあるの?」
僕「だって、スライドショー、明日だって言っておいたじゃん」
妻「まだできてないの?表現の集いと学校祭も明日だって言っておいたよ」
僕「無理だよ、無理、スライド間に合わない」
妻「え〜〜〜、颯友の発表会と、海友の発表会、ギリギリで両方見れるんだよ」
僕「だって、スライド作らないと、なんとか徹夜で頑張ってみるけど、ダメだったら,行けないよ〜。だから明日の朝判断するよ」
妻「もう〜、じゃあ、カメラだけ借りてもいいの、用意しておいてね」
というようなやり取りが行なわれた直後、「徹夜で頑張る」と言っていた僕は、あっと言う間に睡魔に襲われ、気づいたら、いつものように9時には眠りにつき、夜中の12時に慌てて目を覚まして、写真セレクトと、スライドショーの作成に取りかかったのだった。
で、翌日の朝は激しい雨。まだスライドはできていないけど、こんな状態で子供たちの発表会を妻一人に任せるのは、あまりにも申し訳ないし、子供たちのが終わってから、時間までに何とか完成させるアイディアを考えて、朝起きて来た妻に「大丈夫、両方とも行くよ」と伝えた。
実際、見に行きたかったし。しかし、妻が「分担して行こうよ。私が颯友の方見に行くから、父は海友の方に行って。雨だし、間に合わないといけないから」と言ってくれた。
ということで、この日は、颯友は、劇と音楽発表会。
普段見慣れている小ちゃい二男の颯友も、こうして写真で見ると、かなりしっかりして見えるときもあるな。
そして、海友は以前颯友の通う幼稚園を友達と一緒に社会見学に行ったときの発表会をそれぞれ行なった。
日本にいれる間は少しでもこういう行事に参加してあげないとと思う。特に長男の海友の方は、今すごく自分に色々見てもらいたい、という気持ちが強いような気がするから。
これは、自分の発表会が終わって、兄の小学校にやってきた颯友が、あさりちゃん(?)という千葉のキャラクターと一緒に撮った記念写真。
これを撮影した直後に、3人を置いて自分だけ家に戻り、スライド作成作業に戻ったのでした。
ちなみに、こんな写真で自分の心境を表現してみました。写真は、救助信号用の黄色い液が漏れだして、どうしようもできないでいる某デイドリームの僕の尊敬するガイド、S子さんと、ちょっと引き気味に、一体どうするのだろうと、様子を伺うゲストダイバーの人たち。
もちろん、トーク中のアルコールは必須でした。
ええ、酔わないとやってられませんから。
今回は、3組の子供連れの参加者も。BOXの二階席でくつろいで、スライドショーを楽しんで頂きました。
ありがとうございました〜。
ロケの合間に帰国する短い期間で、最近たま〜に、颯友の幼稚園の友達のお父さんたちと、飲んだりすることがあった。いつも4人くらいのメンバーだったのだけど、前回の飲み会のときに、「次回は、もう少し集めてみるか」ということになり、幹事役の良く幼稚園の行事に参加しているお父さんに声掛けをお願いしていたところ、なんと13人ものお父さんが参加することになった。
最初は、そんなに多くなったんだ〜、大丈夫かな。初めて会うお父さんもいるのに、会話が盛り上がるだろうか。。。と不安に思っていた。それに、飲み会当日は、強風に大雨。飲み会の会場は、新浦安駅前。なんかちょっと行くのどうしようかなという気持ちがふつふつと沸いてきていたのだけど、幹事のお父さんは、同じマンションに住んでるし、一度電話してみたら、「一緒にバスで行きましょう!」ということに。しかも、隣のマンションのお父さんの奥さんが、車で送るので僕らを乗せていってくれると妻にメールが入った。皆結構行く気満々だったので、今更「行くの辞めよっかな〜」とも言えない状況になり、車で送ってもらい、駅前の飲み屋さんに。
3人が到着したときは、まだ時間より早くて、誰も来ていなかった。もしかしたら、同じように思っていて、来ないお父さんもいるかな〜と思っていたら、7時のスタート時間3分過ぎには、「来る」と言っていた、お父さんは全員そろうという皆勤振り。この強風と雨の中、歩いて来たというお父さんもいたりして。
幹事のお父さんは、すでに顔見知りばっかりなんだろうけど、その日集まったお父さんで自分が知っていたのは、前に飲んだ事のある4人だけ。
しかし、不安をよそに、飲み会は、自己紹介から結構盛り上がり、サッカーチーム作ろうとか、お揃いのTシャツやユニフォーム作ろうとか、Jリーグ観戦や、ダイビング行こうとか、何か皆で、悪戯しようという、まったく子供の話とは関係無いネタで相当に盛り上がった。なんと、ダイビング始めたばっかのお父さんや、すでに200本潜ってるお父さん、昔沖縄のシーサーでガイドをしていたとうお父さんまでいて、ダイビングの話で盛り上がったのも意外だった。
「2次会に行く人!」と決を取ったら、こちらも全員参加。
おまけに、途中のゲーセンで見つけたプリクラで、初めて会ったお父さんもいるにも関わらず、男12人(一人は2次会から参加)でこんなプリクラ撮影までしてるし。。。。
しかも、カップル用のプリクラに12人て。。。「二人が付き合って10年」というコメントの中に12人の男の顔が入ってるし。ハートマークの中におさまりきらないし、黒目大きくて気持ち悪いし。普通撮らないだろう!って感じだけど、自分だけでなく、皆もやっぱり相当に楽しかったのかもしれない。 あ、でも、こんな写真掲載して大丈夫かな? 次回は一人3人づつ新たに連れて来る事!みたいな感じで言われたけど、そしたら、39人じゃん。。。第一、そんなにお父さん知らないし。プリクラに入り切らないし。。。、あ、まあプリクラはどうでもいいか。
結局7時に地元の駅前で始まった、「パパ飲み会デラックス」(誰かが、お母さんたちの間で、そんな風に噂され,結構今回の飲み会の動向が注目されているらしいとのことだった)は、5時間も盛り上がり、夜中12時過ぎにお開きになった。
なんか予想外に面白かったので、また是非集まりたいな。
自分がいる間に、息子たちが、家族でどうしても行きたい所が2カ所あった。まあ、定番と言えば定番なんだけど、ディズニーランドとキッザニアだ。ディズニーランドは何回か一緒に行ってるのだけど、キッザニアはまだ一緒には行った事が無かったが、海友と颯友とミナ(妻)は、前に一度行った事があった。
特に長男の海友が、父母、両方一緒の方が良いと主張するのは、やりたい仕事が弟の颯友と違う場合に、どうしても颯友のやりたい仕事を優先して、一緒にやらなければいけないのが不満らしい。妻は別れるとなれば、やはり年下の颯友を見ていないといけないからというのが、理由だった。まあ、前回は二人ともまだ小さかったけど、今なら海友は一人でも好きな仕事行けるからその必要も無いとも思うんだけど。
自分は、ディズニー同様にメチャクチャ混雑するというキッザニアに行く事に、相当に抵抗を感じていたのだが、ネットで混雑具合をチェックした妻の情報により、「この日が一番空いている!」という日に急遽でかけることになった。
同じ年代の子供を持つ親なら、多分行った事がある人もいると思うが、とにかく混む。1部が午前9時オープンで午後3時まで。2部が午後4時から午後9時までの完全入れ替えの2交代制。1日で両方とも遊ぶ事もできるが、料金は2回分かかる。前回行った時は、午後だけで、4つの仕事しか体験できなかったそうだ。キッザニア通のお母さんと知り合いになった妻からの情報では、この日は「本当に空いてる」らしかったのだが、自分にしてみれば、(これ以上混んでたら、死ぬかも)と思うくらいに混んでた。
しかし、今回は、1部、2部ともいたとはいえ、人気の仕事を含めて、なんと13個(1部で7個、2部で6個)もできちゃったというのは、相当に効率良く仕事をこなせたのではないかと思う。とは言っても、パビリオン(お仕事)は、全部で50個以上あるのだそうだ。今回は、二人が体験した1部の7個、2部の6個の仕事を、順番に紹介していこう。
まずは、1部の一番最初に体験したのは、パン屋さんでのパン作り。
本当は、すぐ近くにあった、お菓子工場の"僕の好きな"ハイチュウ作りを真っ先にやりたかったのだけど、この"僕の好きな"ハイチュウ作り、キッザニアでは、ダントツ人気で(そ〜だろ、そ〜だろ〜)、開園後、あっと間に人数制限に達してしまうために、相当早くに並ぶ必要がある。僕らが入場したのも、決して遅くな無かったけど、もう1部の入場は受付は終了していた。
まあ、"僕の好きな"ハイチュウ作りを筆頭に、何か食べ物を作る仕事は人気がある。バン作りもそれなりに人気のある仕事。生地はもう出来上がっているものを、クロワッサンの形にしたりして、オーブンに入れて焼くところまでが体験できる。後は時間かかるので、最後にちゃんとスタッフの人が焼いたパンを何個かもらえるので、これで朝の腹ごしらえを終了して、次のお仕事へ。
このパン作りを子供たちがやっている間に、妻が2部の整理券をもらいにでかけた。これを持っておけば、並ばずに、優先的に先に入ることができる。そのためにも、子供を見てる係と整理券をもらいに行く係、父母、二人戦力がいるわけだ。まあ、海友はもう、別に見てなくても良い年齢になっているのだけど。
妻は2番目に入場できる整理券を手に入れた。これで、午後の部は真っ先に"僕の好きな"ハイチュウ作りに並べば、完璧?だ。
その後は時系列に体験した仕事を紹介して行くと,次に向かったのは、おもちゃ工房で、おもちゃを入れるパッケージ作り体験。キッザニアオリジナルのミニカーかりかちゃん人形を入れる箱のデザインを作って、最後にそのおもちゃをもらうというもの。
しかし、この仕事が体験できるまでに、すでに60分以上待ちだったので、その時間を予約して、その間にできる仕事を探しに町に出る。何て働き者な二人。とうことで、見つけたすぐにできる仕事は、建設現場での作業。
今は、スカイタワー建設ということで、参加者全員で力を合わせてクレーンを持ち上げたり、橋を作ったりする。最後に皆で記念撮影して、時間ギリギリで、おもちゃ工房へ走ってもどる。何て仕事好きな二人。
おもちゃ工房でのパッケージデザインが終了すると、「火事を消したい」と前回行った時にも体験した消防署での消防隊員体験を申込に行く。ここでも、60分待ちだったので、再び、少しの空き時間でも仕事をしようと、町に繰り出し、仕事を探す,仕事熱心な二人。
で、海友は生活救急車の救急隊員となって、ビルメンテナンスのお仕事。颯友は、宅配センターで、宅急便の仕事を見つけてくるが、颯友は仕事直前になって、「やっぱり辞めさせて下さい!」と依願退職願を出して、兄のビルメンテナンスの視察に向かった。
本当は颯友もこのビルメンテナンスの仕事がしたかったそうだが、ビル登りがあり、入社資格として、身長120センチ以上無いとダメということで、泣く泣く諦めた。
ビルメンテナンスが終了すると、消防署へ急行して、消防隊員に。
消防車で、火災現場に急行!
そしてビルの火災を力を合わせて鎮火。
火災を鎮火すると、空港に急行して、パイロットの仕事を申し込むが、また1時間以上の待ち時間があったので、その間にランチを取り、腹ごしらえをしてから再び空港へ。
こちらは、親はモニターでしか体験している様子が確認できないので、記念写真を購入。
モニターで覗く限りでは、パイロット疑似体験では、海友はしっかり操縦していたけど、颯友は何度も墜落していたようだった。
そして、1部終了間際、まだできる仕事は無いかと町を探しまわるが、もうほとんどが、申込受付を終了していた。集英社に向い、マンガ描く仕事はまだ空いて無いか確認すると、あと一人だけ仕事があるということで、海友が申し込んだ。
マンガのページの一部を描き足すという仕事。今回は、ワンピースの一部を描き出すのだけど、しっかり同じうように描く子もいれば、まったく違うキャラクターを描く子もいて、見ていて性格が出て面白かった。
ちなみに、海友が描いたのは、このページ
のこの部分と
この部分
疲れて目の下にくま作ったルフィィ?
ということで、1部で体験した仕事を時系列に紹介してみました。特にオチはありません。ただ、記録のためです。次はその2。
11月3日は、二男颯友の5歳の誕生日と七五三だった。七五三のお参りは、氏神様でもある清瀧神社でご祈祷をお願いしていたので、家族4人で出かけた。長男、海友は8歳になるのだけど、以前住んでいた所の氏神様は小さくて、ご祈祷などちゃんとしてもらっていなかった事もあり、浦安に移り住んでから、改めて七五三のご祈祷をしてもらうことに。
ご祈祷自体はすぐに終わって、頂いた絵馬を境内にある奉納場所で、お願い事を書いてから、奉納することに。多くの子供たちのお願い事が書かれている絵馬を眺めながら、息子たちがどんなお願い事を書くのかな〜と思っていたら、母親に手伝ってもらってお願い事を書いた颯友は、迷いも無く「イルカとおよげますように」と書いてと母親にせがんだ。
長男と違って、今年のバハマでは、あまりイルカと泳ぐ事に積極的で無かったように見えた二男だけど、実は、とても楽しかったのかもしれない。それに、最近水泳教室にも通い出したから、今度は浮き輪とライフジャケットでなくて、兄と同じように、自力でイルカたちと泳ぎたいのかもしれない。
もっと意外だったのは、兄の願い事の方。自分で絵馬に書いた願い事は「ぱぱとりょこうにいきたいです」。もっと、学校での勉強ができるようになるとか、やっているスポーツが上手くなる事とか、何かが欲しいとか、そういう事を書くのかと思っていた。
正直、嬉しかった。もしかしたら、成長するとともに、一緒に旅行することを面倒くさいと思い始めるかもしれないと思っていたから。学校の友達と遊ぶ方が面白いと思うようになると思っていたから。
二人とも、小さいながらに自分たち夫婦が「色々な事を経験させてあげたい」という思いから、彼らにしてきた育て方を、拒むことなく、「今一番楽しい事、今一番したい事」として受け止めてくれていることが、何よりも嬉しかった。
颯友と同じ11月3日が誕生日の僕の父に、一応お祝いの電話を入れた。父は、僕がロケで海外に行っている間に、家に遊びに来ていたときの息子たちの印象を話してくれた。
特に、長男の海友の方が、今までの無邪気なだけの子供とは違った、何かを持ち始めてると感じたと言っていた。一体どこが違うのかと訪ねたら、「とても感覚的な事で、具体的にこうとは言えないけど、やはり小さい頃から、様々な経験をしてきたからか、同じ世代の他の子供たちよりも、多分本人もまだ漠然とはしているのだろうけど、何か進むべき方向性を直感的に感じているように思えた」という。
自分には、良くわからない。おじいちゃんが孫に対してひいき目に見ている部分もあるのかもしれない。しかし、自分もそうなのだけど、僕の父も母も、どちらかと言うと、相当に自分の子供たちを客観的に傍観している印象の強い親だったのは確かだ。
確かに、最近海友は、帰国したときに、僕に以前より多く色々な事を質問して来るようになった。特に印象に残っているのは、「パパは、何をしている時が楽しいの?パパは何が好きなの?」という質問だ。最近何度かこの質問をされて、一瞬戸惑う事があった。
しかし、その質問をあやふやにしてはいけないと思い、ちょっと考えてちゃんと答えてあげるようにしている。時には、答えが違う時があっても、答えるようにしている。その質問の答えを、ちゃんと答えてあげる度に、少し答えが違っていて、ちょっと首をかしげる時もあるのだけど、海友は嬉しそうに頷いてくれている。
そして、長男の心の成長が著しい分、二男のわんぱく振りがさらに強烈に印象に残る今日このごろ。七五三の帰りに、家族でお寿司を食べに行った。そのときに妻がこんな話をしてくれた。幼稚園の友達数名と、友達の家でご飯を食べたときに、とてもかわいくて、しっかりしていて、スポーツ万能で頭もよくて、まるでどらえもんに出て来る「出来過ぎ君」みたいな子が一緒だったそうだ。その子のお母さんはそのときにいなくて、「もう悪戯ばっかりする子だから悪戯したら、叱ってね」と言っていたそうなのだが、比の打ち所が無いくらいに、しっかりしていて叱りようが無かったのだそうだ。
それまで、颯友を筆頭に三バカトリオを結成していた、仲良し三人組の母親(妻を含む)は、「本当、家の子、大丈夫かな〜」、「大丈夫、大丈夫、いい子に育ってるよ」とお互いに励まし合っていたのだけど、出したご飯を、パンツ一枚になって、「まじ〜、いらね〜」とか、「くえね〜」とか言ってる息子たちの横で、きちんと正座して、「おいしです」とご飯を食べてくれるその子を見て、あまりの違いに愕然としたそうだ。
そして、トリオのうちの一人の、2歳になったばかりの弟が、自分たちの食べているお菓子を食べたそうに寄ってきたときに、その子は「はい、どうぞ」と言って、自分のお菓子を分けてあげていたのを見て、「颯友たちも、小さい子にお菓子、分けてあげなさいよ!」と言ったところ、その三バカがパンツ一枚で発した答えは、「無理〜!、サファリパ〜ク〜」だったそうだ。
七五三のこの日も、暴れて何度も転んで、服は泥だらけになり、膝は擦りむき、挙げ句の果てには、ビオトープに落っこちて、泥水に浸かり、とても七五三のお参りをしてきたとは思えない姿になって、帰宅したのだった。
フィリピンに行ってきます。
一昨日、色々あって1日半遅れて帰国。そして、昨日唯一日本にいれる間に、写真展会場「海獣たちとにらめっこ」展に家族を連れて足を運ぶことができました。
トークショーにも多くの皆さんに足を運んで頂き、本当にありがとうございました。ダレダレなトークで本当にすみませんでした。本当はもっと何日も会場にいて、見に来て頂ける皆さんとゆっくりお話できれば良かったのですけど。
イルカやマンタに、こうやってゴロゴロしてくれると嬉しいな。イルカもマンタも等身大です。
初めて目にした写真展会場は、本当に海の中にいるような雰囲気で、落ち着く空間でした。帰国したばかりの子供たちは、まだハイテンションのまま、会場内を走り回って、遊んでいました。
サイコロ写真は子供の目線に合わせて展示してくれています。
お友達と一緒に、楽しいしかけで遊びました。
颯友は、途中で疲れて写真の前で眠ってしまいました。
海友が何かを会場内のボードに描き始めました。
数時間だけだけど、会場に、長男の海友の海の絵が加わりました。また、この絵と「ありがとう」の言葉でしばらくは頑張っていけます。
自分は、今日からまたトンガに向けて出発しますが、写真展は9月4日まで続きます。作家不在ではありますが、またお友達を誘って足を運んで頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
では、行ってきます。
バハマのクルーズ下船後から、メキシコへの移動までの間、家族と共に滞在していたのは、オーランドのディズニーワールド。しかし、その間、足を運んだテーマパークは、ブリザードビーチとタイフーンラグーンというウォーターパークのみ。暑いので、その他のテーマパークはパス。唯一タイフーンラグーンの入り口にいた、スティッチと記念撮影をしただけ。
問題なのは、二人ともあっと言う間に姿をくらますことだ。しかも、二人別々に。海友は、チューブ系のアトラクション一人で乗りまくり、朝から夕方まで水に浸かりっ放し。タイフーンラグーンの大波が発生すると足のつかない深場まで泳いで行って一人で姿をくらまし、「おぼれそうだったよ〜」と嬉しそうに戻ってくる。
颯友の行動範囲は海友ほどでは無いにしても、まだまともに泳げないのに、こんなウォーターパークで姿をくらませられても困るんだけど。まあ、そのために、ライフジャケット付きのラッシュを着せているのだけど。
二人ともたまに合流すると「よっ」とか、「あ、パパ〜!」。「とうちゃん、どうしたの?」とか言って、しばらくは一緒にいるけど、またいつの間にか姿をくらます。まあ、それだけ成長したってことだな。
テーマパークに行かない日とかには、目の前のダウンタウンディズニーとかで時間を潰した。無料だから。とは言っても、「CARS2」の映画見たり、おもちゃ欲しいとか言って、結局はそれなりに浪費する。
困るのは、レストランや館内と外の温度差が激し過ぎること。もう冷凍保管庫にも入れられた気分だ。映画館では、こんな感じで映画を鑑賞。遊び疲れた颯友は、途中から爆睡。
ここでは、ディズニーキャラでなくて、ハーレーグッズ専門店で本物のハーレーにまたがっての記念撮影。
そして、二人して購入したおもちゃは、Build the Dinoという、自分で外側を選んで、ハートと綿を詰めてもらって、作り上げる、恐竜のぬいぐるみ。2009年に僕と海友が二人で来たときに、海友が作って、「ハヤト」と恐竜に名付けて、旅の間、ずっと一緒に寝ていたのと同じもの。
今回、海友はT-REX GOLDという名前とつけ、颯友は「カイト」とつけるのかと思ったら、「ハヤト2」と自分の名前をつけていた。
CARS2の映画を観た後に、立ち寄った、カスタムラジコンカーを作れるお店(ってか映画館の隣)では、CARS2キャラクターのラジコン買うのかと思いきや、海友はマックミサイルだったけど、颯友が購入したのは、この写真のラジコン。まったく映画とは関係無いんだけど。
でも、どうやら、「トランスフォーマーの車」だからなのだとか。
フロリダに住む友達と食事をしたのも、このダウンタウン。
一家族は、パナマシティから7歳と4歳の息子のお母さんとおばあちゃん。ドルフィンセラピーをしているデニーの奥さんのナタリーと子供たちだ。行動が海友と颯友そっくり。ということは、母親ののうてんきな性格も一緒ってことかな。まあ、どちらかと言うと、海友と颯友の方が人見知りしない感じだけど(ってか少しはしろよ、人見知り)。
もう一家族は、元ドルフィンドリームのクルー、アンディの奥さんのニッカちゃんと娘のネネちゃん、それに、義弟さんと娘さん(8歳)。二人が日本から遊びに来たので、一緒にディズニーに遊びに来たのだそうだ。相変わらず、海友は小さなネネちゃんに優しい。自分の,息子ながら、本当にこんなに赤ちゃんや小さい子に優しい男の子は珍しいかも。
颯友にだけは例外だけどね。
本当はナタリーたちとは、タイフーンラグーンで一緒に遊ぼうと思っていたのだけど、この年齢の子供たちと一緒に行動していて、まともに、スケジュール通りに行動できる方がおかしいというもので、結局スケジュールがまとまらず、この二家族は初対面にも関わらず、12人全員一緒に食事することに。
食事の席に着いた子供たちの記念写真を撮ろうとカメラをむける
僕「はい、みんな〜写真撮るからこっち向いて〜」パシャ!
「・・・・・・、ははは〜、今のはカメラチェック。はい次はちゃんと向いてね〜、はい!行くよ〜!」パシャ!
「・・・・あれ〜、おかしいな〜。みんな、カメラ見てないね〜、はははは〜」
こんなにカメラ目線をもらえないカメラマンも珍しいのではと思う今日このごろ。
家族が合流して、2008年振りに家族全員でバハマのドルフィンクルーズに乗船した。今回は、スコット船長の奥さんのロビンと娘のホリーも乗船して、子供3人のクルーズ。クルー8人、ゲスト12人の計20人の大所帯(普段はクルー4人なので計16人)になった。
海友と颯友は、相当にテンションも高く、クルーズ初日、海が多少荒れているにも関わらず、「海に入る〜!海に入る〜!」と気合い十分。しかし、ちょっとエキジットが大変そうだったので、3人ともこの日エントリーは見送っていた。
しかし、その夜スコット船長から良からぬ報告が・・・・。「北に熱低が発生して、ゆっくりとこっちに向かっている。最悪3日目はウエストエンドの港に戻らなければいけないかも」とのこと。とうとうこの日が来てしまったか〜と、連続スイム記録も終わり、過去最悪の状況になるものとそのときは諦めた。どうせ、港に戻るのならば、グランドバハマ島の中心地、フリーポートやポートルカヤなんかのランドツアーでもしちゃおうかとゲストと話していたくらいだった。自分も久しぶりだし、それもいいかなと思っていたのだけど、翌日には、その熱低が方向を変えて、北東に離れ始めたとのこと。
透明度はいまいちなものの、徐々に穏やかになり、一番最悪と思われていた3日目には、べた凪状態に、その後も最終日まで快晴で穏やかなコンディションが続いた。最終日には、本当にめちゃくちゃ透明度も良くてべた凪の状態でイルカたちと泳ぐことができた。
もちろんお触り君も登場。結局連続スイム記録はそのまま更新!
さて、子供たちはと言うと、船上でも海の上でも勝手気まま。しかし、颯友が初日に熱が出て嘔吐すると、海友、ホリーと1日違いで、同じように熱を出した。ゲストにも同じ症状になる人が続出。それでも、翌日には皆回復していたので、そんなに強いウィルスでは無かったようだ。
それに、子供たちが丁度1日づつ泳げない状況だったのは、こちらからすると、負担が軽減されて実はちょっとラッキーだったかも。自分も4週目で相当に足に疲労を貯めていたし。1週目はマッサージできる人が沢山いて良かったな〜と心の中で思いながら、船内を見渡すが、やってもらうのが好きな人は沢山いても、マッサージ得意な人は皆無だった。がっくり。
2日目、颯友がダウンしている頃、長男の海友を連れて、海へ。早速おさわり君が登場して、海友は、2009年に二人で来たときとは違い、早々にイルカにタッチすることができて満足気だった。
そして、3日目には海友がダウン。颯友を連れて海へ。午前中は、イルカに接近するもなかなか触ることができないでいる颯友。しかも海友のように積極的でも無い。若いイルカが来るとちょっと手をなんとな〜く伸ばしているのだけど、年配のイルカが来ると明らかに手を引っ込めている。完全にえり好みしている。。。。
今年は、お触りイルカが相当に多くて、どのイルカもいつもより距離が近い。だから、自分が認識しているお触りイルカが近くに来ると「颯友!お触りできるイルカだよ」と伝えているにも関わらず、えり好みしている。海友のような気合いが感じられない。
しかも、自分で手引っ込めていながら、「やっぱ触れないだよね〜。触れないんだよね〜」と言いながら自分で足を動かすでも無く、浮き輪に乗って、されるがままに、引っ張られている。
午後もそのような状態が続いた。またお触りイルカたちがやってきてくれていた。僕ら親子の周りを何度も何度も小さな円を描いて回ってくれるイルカたち、しかしマダラのあるイルカたちだ。明らかに触れる距離なのに、もう少し!と思った途端に、手を引っ込める。「こいつ、またえり好みしてる。。。。」。
来る前は海友と二人して「イルカに触りたい」って言っていたのに。本当は触る気ないんじゃないのか?また「さっわれないんだよね〜、無理なんだよね〜」とぶつぶつ言ってる。そこへちょっと若いイルカが登場。また僕らの周りを回り始めた。ちょっと遠心力をつけて浮き輪を回転させてみた。僕とイルカの間に颯友の乗った浮き輪が入り込み、軽く手を出していた颯友に数秒感触れた。
「やった!触れたじゃん!颯友!」と僕が興奮して喜んでいるのに、「あ、さわれちゃった」と触った手を見つめながら、やたら冷静な颯友。僕が「やったじゃん!」とハイタッチを求めても、だるそ〜にハイタッチ。海友の素直な喜びようとは大違いだ。「こいつ、外見はママ似だけど、中味は完全に俺に似ている」そう思ったのは言うまでも無い。
さて、早々に目的を達成した二人。僕も気持ちに余裕が出て来た。と言っても、奴らが海に入るときには、やはり一緒に入り続けないければと思っていたので、今年のクルーズの中では一番海に入っている時間が長かった。
4日目には、海友、颯友二人そろって海に入っている時間が長かったので、海友を僕が、颯友をミナ(妻)が連れて泳いだ。時には背中に乗りたがった颯友。男の僕でも相当に負担になるスタイル。それでも、ミナは楽しそうに颯友を連れて泳いでいた。
ロビンもホリーを連れて海に出ていた。こちらはスクーターを使っていたときもあて、楽そうだな〜と少しうらやましく思ったりもした(笑)。海友と颯友は基本フィンをあまり履かせたく無いという考えからゴーグルで素足で泳がせていたのだけど、フィンとマスクゴーグルをつけて泳いでいるホリーを見ていると、やっぱりそちらの方が楽そうに見えた。
特にナイトドルフィンは電気が消されるまで入り続ける二男に付き合って入り続けた。おまけに、イルカでなくて、網で「魚やイカ取って」と言うので、網持って海に入り、イルカが近づいてきてるのに、毎回イカ取りしてた。ゲストの皆もイカ取りに夢中になていた。
魚は最後には逃がしたてあげたけど、イカは黒谷さんにさばき方を教わりながら、イカ刺しにして食べた。
ナイトドルフィンならぬ、イ(ル)カナイト。でも、相当に楽しくて、実は自分も夢中になってイカを捕まえていた。子供がいると、こういう展開になるのが面白い。イルカだけじゃなくて、いろんな生き物に興味を持つのは子供の方が上かな。
LOVE UP プロジェクトの鯉のぼりは、4週目で2つとも完成させてしまった。一つはハートメイン、もう一つは子供たちの希望でポケモンキャラ鯉のぼり。5週目はやることなくなっちゃったかな。
なんか盛りだくさんで、長くなってしまった。5週目も楽しいクルーズだといいな。
4週目の皆さん、子供たちが騒ぎ回り、ご迷惑をおかけしました。また、色々遊びに付き合って頂いて、本当にありがとうございます。
明後日には、バハマに出発する。その前に家族で浦安を巡る事にした。というのも、以前に、自分の住んでいるマンションで防災訓練(震災前)があったときに、その後の自治会で海友が湯巡り万華鏡のチケットが当てて、その期限が昨日までだったからというのもある。
その前には舞浜のイクスピアリに行って食事をした。
岩手や南三陸町の比では無いにしても、浦安も未だに完全に復興しているとは言えない被災地。自分はしばらく日本にいれなくなるけど、岩手、宮城、福島などの被災地同様に、自分の住む街の少しでも早い復興を願っている。駅前のビルには「頑張ろう!浦安!」の大きな文字の入った垂れ幕がいまだに目を引く。
外から初めて来る人には、決まって「想像していた以上に被災してますね」と未だに言われる。街では、様々な復興支援活動が行われ、選挙の時の立候補者の政策は、誰も一緒で、「浦安の復興を最優先に!」と掲げるものだから、一体誰に投票していいのかさっぱりわからなくなっていた。
ここに引っ越してきて、まだ間もないけど、妻の実家や義姉の家は、この新浦安地区にあり、仲良くそろって被災した。自分にとってはそんなに馴染みのある街ではなくても、妻にとっては、幼少の頃から住んでいた大好きな街。
彼女と結婚していなかったら、自分はこの街の良さとか知らずに生きていたと思うけど、やっぱり住んでみて、これほど住み易いと感じる街は今まで無かったと思う。それは被災した今でも変わらない。
さて、湯巡り万華鏡は、平日ということもあり、とても空いていた。息子たちは、人が少ないのを良い事に、沢山ある湯船を移動しながらはしゃぎまわっていた。自分も「他の人に迷惑かけるなよ〜」と言いながらも、奴らの姿を目で追いつつも、ゆっくりさえてもらおうとくつろいでいた。
ミストサウナにいることを海友に告げて、しばらく中で目を閉じてリラックスしていると、外から海友と颯友の他に、若い男性たちの声が聞こえてきた。
「わ〜!!」
「お〜〜!!」
「おほ〜!つめて〜!!」
「おし、こっち来い!こっち!」
「やだ〜よ〜だ!!」
ばしゃ〜ん!!ばしゃ〜ん!!
「きゃ〜!!!」
「あははははは!!!」
「えいっ!!」
「あ、つめて〜!やったな〜!」
「それ!!」
ばしゃ〜ん!!ばしゃ〜ん!!
「ぎゃはははは!!!」
ミストサウナにいる父「何?......」
そう思ってサウナから出ると、金髪やピアスした大学生くらいの若者7〜8人に混じって、海友と颯友が、サウナから出た後の水風呂を取り合って、暴れているところだった。
父、しばらく愕然。
父「こらー!!他の人の迷惑になるからやめなさい!」
若者たち「すみませ〜ん」
海颯「パパ〜!!!」
父「何?」
ばしゃ〜ん!!!
父「うおっ!!つ、冷たて〜!」
全員「ぎゃはははは!!」
父「こら〜!!」
全員「わ〜〜!」
と言って四散。
バハマ出発前、まったくくつろげなかった事は言うまでもありません。
お風呂にはカメラ持って入れなかったので、その惨状は、写せなかったので、入り口での記念撮影のみです。
今日は、二男颯友の幼稚園で、「パパが人気ものになれる日」SUK SUKパパの日というイベントがあって、行ってきた。
要するに、登園後に、普段あまり遊べないパパと遊ぶ時間を設けて、一緒に遊ぶというものだ。中には知り合いになって、お酒を飲みに行ったこともあるお父さんも少しはいるので、人見知りな自分も多少は安心しながら参加した。
最初は、中当てや、相撲とか色々やって遊んでいたのだけど、途中から颯友は仲の良い友達と二人で、砂場に大量に水を流し込んでどろんこになり始めた。手も足もべちゃべちゃのドロドロだ。
「あ〜あ」と思っていたのだけど、どうせいつもこんななんだろうな〜と思いながら、一緒に遊んでいると、一つ上の年長の子が、泥砂遊びしながら、僕に話しかけてきた。
その子「ねえ、ほうしゃせいぶっしつって知ってる?」
僕「え?ほ、放射性物質?うん、知ってるけど(何?何?)」
その子「今からこの穴に、このほうしゃせいぶっしつの入った水を流し込みます」
僕「ほほ〜、はい、流し込んだ〜。で?」
その子「これでほうしゃせいぶっしつのプールの完成です」
僕「なるほど〜。そこが放射性物質のプールになっていて、外に出ないように溜め込んでいるんだね〜」
その子「そう、これに入るとどうなるか知ってる?」
僕「え、やばいんじゃないの」
その子「よごれちゃんうだよ。すっごくよごれちゃうんだよ。だから入っちゃいけないんだよ」と語気を荒げる。
僕 「そ、そうだよね〜。さすが年長さん!」と言いながら、横目で颯友とその友達を眺めると、すいでに奴らは、その"ほうしゃせいぶっしつ"の入ったプールに、足と手を突っ込み、めちゃくちゃに汚れているところだった。
その子「あ、だめだよ!よごれちゃうよ〜!!」とマジ顔で止めに入る。
僕 「いいの、この子らは、もうすでに汚れてるし、第一、そんな事で死ぬタマじゃないから」
その後、そのプールからドロドロの砂を書き出した颯友は、
「パパ〜、これで泥団子作って〜」と俺まで汚染させようとしたのは言うまでもありません。
冗談にでもしてないとやってられませんね。撮影は禁止だったので、こんな写真にしてみました。
GW最後の週末には、千葉の房総のとある場所で、家族で一泊旅行に出かけた。ある人の別荘だったのだけど、深い森の中にありながら、生い茂る木々の間からは、海が眺望できる。波の音と、木々の枝葉が風になびく音が、ざわざわと心地良く、朝にはウグイスの鳴き声で目を覚ました。
自然の中にいると、息子たちは、ヤップにいるときの事を思い出すのか、俄然、テンションがあがる。「ここヤップみたいだね」と言いながら、森の中を好き勝手に探索に出かける。それも、二人別々にだ。
交代交代でついていくこちらの身にもなって欲しい。
今回の目的の中の一つに、その人の所有する畑で、サツマイモを植えようということになっていた。全ては、その人が用意してくれたので、僕は畝を作り、海友と颯友が、肥料をまき、妻と海友が、苗を植えて行った。
子供たちは、面倒くさいとか言いながらも、色々手伝ってくれたし、とにかく、田舎の生活を満喫していた。
この日、畑で自分たちで収穫した、まだ根の小さな大根の葉っぱを、ごま油で炒めたり、ソラマメを煮込んだりして食べた。ここまでは、親としても、自然に触れる機会があったと本当に満足していた。
暴れ回って、その人の家族に迷惑かけてはいたけど、まあ人見知りしないから、全然平気でその人たちと話をしたりと、まあ、無邪気に想定内な行動を取っていた海友と颯友。しかし、その後が・・・・。
近くに海水浴場があるから昼食用意している間に連れて行きなさいということになった。
天気は良いとはいえ、強い海風が吹いているし、はっきり言って、まだまだ水は冷たい。
なのに奴らは、気がついたら、「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
とか叫びながら、すでにズボンを脱いでいた。
なんか嫌な予感。
父「おい、お前ら寒くないのか?」そう聞くと
海颯「さむくな〜い!!!」
と即答し、そしてあっという間に、パンツどころかTシャツまでびしょ濡れ。
父「お、お〜い!、遠く行き過ぎ!それに、ぬれ過ぎ!!タオル持ってきてないんだぞ!」
海颯「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
と叫びながら、また戻ってきたかと思うと、
海颯「ねえTシャツ脱いでいい?」
父「え〜・・・」
海颯「ねえ、脱いでいい?」
父「しょうがないな〜、風邪引くからTシャツは脱いでいいよ」
海颯「おぱんつは?」
父「え?」
海颯「パパ、おぱんつも脱いでいい?」
父「だめ、それは絶対だめ。ここはヤップじゃないんだって。ヤップでだってフルチンはお前らだけだろう。絶対だめ!」
海颯「ほほ〜い」
父「くれよんしんちゃんのモノマネもだめ!あっ」そう言い終わる前に、すでに二人は海の中へと突っ込んでいた。
海颯「うぉ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
海颯「うぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!、うぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
父「ばかか、あいつらは・・・」
結局15分くらいで、風が寒くて、僕らが引き上げたくなったので、「帰るぞ!」と言うまで、二人とも、
「うぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!、うぉ〜〜〜〜〜〜〜!!!」と打ち寄せる波に
向かって、叫び続けていた。驚いたのは、颯友はさすがに鳥肌立っていたのに、海友は、まったく鳥肌が立っていなかったことだ。どんんだけ皮膚強いんだよ,お前。
と、とにかく、海岸でまっぱになる危機的状況だけは免れた。
海岸では、免れた。確かに、免れたんだけど・・・・・
結局、森の中でまっぱになり、森の妖精のように、まっぱで走り回る二人。
「うぉ〜〜〜〜〜!!!、うぉ〜〜〜〜〜〜!!!」
「うぉ〜〜〜〜!!じゃねーよ!」
ここ数日間、家にはいたのだけど、色々バタバタしていた。写真集や夏の写真展の事、救援物資の対応、新たに作成するカメラハウジングの打ち合わせなどなど。
まず、デイドリームの依頼でパラオのペリリューに滞在しているときに、いつも子供たちと沢山遊んでくれたソアイが、婚約者の女性を連れて家に遊びに来てくれた。すでにデイドリームは退社してしまったそうだ。デイドリームを辞めてしまったことは、ちょっと残念だけど、これから新たな人生を歩んで行くことは、応援してあげないといけない。
ペリリューでは、海友は、本当に良く遊んでもらっていた。
きっと日本にいる間、沢山の人が会いたがっているに違いない。わざわざ浦安まで会いに来てくれたことは、家族全員、本当に嬉しかった。
救援物資に関しては、今は極力現地に直接送ってもらうようにお願いしている。自分は、今現在どこが何を求めているかを確認して、協力してくれている人に、岩手に送って下さいとか、石巻に送って下さいとか、そういう指示を出させてもらっている。
おかげで、家に届く救援物資の数は以前よりは少なくなった。僕がいない間の仕分けは本当に大変だったと妻が言っていた。
最近は、衣類などよりも、生成食料品や野菜などが求められている。だから、買い置きはできないから、購入したら、すぐに送るように手配しなければいけない。皆にお願いするよりは、こちらで購入して、送った方が効率がいいので、今はそうすることにしている。
石巻でボランティア活動しているOWSの理事、田中さんからは、資材が全て流されてしまった、対策本部などにPCが必要だったり、被災状況を保険会社に伝えるために、デジタルカメラの貸し出しをしたいというので、中古のパソコンや、中古のコンデジを、提供することにした。
今まで、物資援助に協力してくれていた方にも、メーリングリストで連絡して、数台づつだけど、提供してくれる人が現れた。
22日、海潜隊のとおるさんが、物資などを持って、牡鹿半島に炊き出しに行くというので、僕の提供するパソコンとコンデジを引き取りに来てくれた。
また、新たな現地情報を提供してくれることになっている。
岩手のくまちゃんの方には、救援物資の他、中古の洗濯機を探して、GWにボランティアで海中清掃に行く、クマちゃん基金を立ち上げた、早乙女君が、トラックで運んでくれることになった。
この他、仙台にあるドルフィンというダイビングサービスが、支援物資の配給などの活動をしているため、その資金援助として、そこで作成している「がんばろうTOHOKU」タオルを何本か購入した。こちらで販売して売れたら、また購入して、活動資金の援助をしようと思っている。
今日は、海友の小学校の授業参観だった。海友のクラスは、音楽と国語。皆は先生の方を見てるのに、海友は、僕や妻と目が合う度に、何度も手を振って来る。それに姿勢が悪い。一番前に座っているのだけど、あれは、どう見ても、一番後ろの窓際に陣取る、ちょっと不良な感じの学生って感じだ。
颯友も連れてきていたのだけど、途中で退屈したので、僕が連れて帰ることに。町の中は、まだまだ液状化で道路に体積した泥を入れた土嚢が積み上げたままになっている。新しく出来た公民館も、まだ利用できない状態だ。
学校のグランドも照明が使えないので、サッカーの練習はいまだ再会していない。
最近、やっと駅前のプール教室が再会して、昨日は海友を連れて、プールに行ってきた。
明日は、浦安市議会選挙の投票日。
トラックで石巻へ向かった海潜隊のとおるさんから写真が届きました。週末に無事に物資を届けて、戻ってきました。以下、とおるさんからの報告です。
家族で写っていただいたのは、石巻市伊原津(いばらつ)地区で、2日に一回炊き出しを始めた秋山家の方々です。この地域は、避難所から自宅に帰って半壊した家を片付けながら、生活を始めた家族も多く、この地域をまとめているリーダー的な家族です。この家に先日のチャリティイベントでみんなに書いてもらった旗を飾ってもらいました。旗を見て、「涙が出る」と喜んでもらいました。
この日の炊き出しのお手伝いもさせていただきました。もう一つの集合写真は、石巻の牡鹿半島で壊滅的な被害が有った小渕地区の漁師さんや漁協が対策本部を作り、物資をまとめて、均等に地域住民に支援物資を渡している場所で働く漁師のみなさんです。一緒に写っている女性は、OWSの理事で、ボランティアとして石巻に入っている田中さん。
この二ヶ所に重点的に支援物資を届けてきました。残った支援物資は、石巻の災害対策本部がある石巻専修大学の支援物資保管所においてきました。
物資を下ろすのをボランティアの方々が、手伝っていただいたところの写真も添付します。皆さんには、支援物資をいただいた方々に報告をするので、ネットに乗せてよいですか?とお聞きした上で、写真を撮らせていただきました。よかったらブログに使ってください。よろしくお願いします。
皆さんにご協力頂いた援助物資は、直接必要としている皆さんに届けられました。ご協力頂いた皆様,本当にありがとうございました。また、月末に物資を届ける予定でいます。まだまだ、困難な生活を余儀なくされている方々が多くいること、忘れないで頂ければばと思います。
また、岩手への物資援助も引き続き行なっています。
少しでも良いので、ご協力の方、継続して願いできれば幸いです。
必要な物資に関しましては、また追って、ご連絡させて頂きます。
昨晩、海潜隊の方たちが、トラックで援助物資を引き取りに来ました。
海潜隊に集まった物資、僕の方に集まった物資で満杯になり、宮城県の石巻の方へと向いました。予定では、石巻にある程度物資を預けた後、被災していて、まだ物資が行き届いていない牡鹿半島方面へも、物資を持って行く予定だそうです。
物資援助にご協力頂いた皆様、ありがとうございました。海潜隊の方では、今月末にもトラックでの物資搬送を予定しています。現地で情報を集めて、より不足しているものを送ることになると思います。
また、岩手の方でも引き続き、援助物資の希望があるようです。継続してご協力頂ける方、よろしくお願いいたします。
皆さんから届いた物資は段ボール100個を越えました。自分のところ以外にも、海潜隊の事務所にも、100個くらいの物資が届いているそうです。
明日、トラックで運ぶのですが、全部が持っていけない可能性があるので、昨日今日で、妻の友達にも来てもらい、石巻と岩手へと送る物資の仕分けを行い、岩手の方で必要と現地で確認した物資に関して、とりあえず、15箱ほどの段ボール箱を発送しました。
明日どれだけ積み込めるかによって、残った物資に関しては、岩手に送るか、次の石巻への物資輸送に追加するか決める予定です。
物資に関して、ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございます!
石垣島より、越智隆治
岩手のくまちゃんへの援助物資を送る作業も、現地から「一段落しました」という連絡をもらい、こちらにあった物資も全部岩手と、福島の南相馬市に送りだした。
ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございました。
これで終わりかと思ったのだけど、今度は最大の被災地、宮城県の石巻への物資援助の話が持ち上がり、またfacebookで、物資の依頼を載せたり、岩手の時に協力して頂いた方たちに、再度の協力を依頼したところ、また徐々に物資が集まり始めている。
今回は、沢山集まった時点でトラックなどで、現地に持って行くことになっている。仕分けして、大きめの段ボールに極力同じ内容の物資を詰めていく作業。自分がやろうとするのだけど、「パパは下手だから、私がやるよ。他にもやることあるでしょ」と妻に静止されることしばしば。
段ボール等を開けると、被災者の方宛の応援のメッセージなども入っていた。また、WEB-LUEのデザイナーのPanari design さんのところから送られてきたメッセージなどもいくつか届いている。
次の機会に、被災地に送ることにする。
岩手のくまちゃんに援助物資を送ってくれた、facebookの知り合い、MONAさんの友人達が、手作りの日本のヒーローになって、香港で日本への募金活動を行なってくれています。
今日は、小人をせがまれることなく、1日が終わった。というのも、クジラの写真集の原稿の締め切りが迫っているから、今日は1日仕事部屋に缶詰状態だった。
妻が気を利かせて、子供たちを友達の家に遊びに連れて行ってくれた。
本当は、この写真集に使う紙が、石巻の日本製紙の工場で作られていて、津波で全て流されたと聞いていた。しかし、実際には、写真集に使うその紙だけ、津波前に持ち運ばれて無事だったらしいと聞かされた。
それが本当だったら、こういう時に言うのは不謹慎かもしれないけど、個人的には運が良かったと言わざるおえない。タイトルは決まったけど、表紙の写真をどれにするかで、なかなか編集スタッフと僕の間で、意見が一致せず、4月に出版予定なのに、まだ決まっていない。もちろん、候補は何点かあるけど。
英文も入れるというので、苦労している。翻訳家でもある父の協力を得ながらの作業。週末の間には、提出しなければ間に合わない。しかし、援助物資の受付や、仕分け、震災チャリティスライドショーの問い合わせの対応などにも追われて、結構ギリギリになってしまった。
海外からの物資も届き始めた。中には、このようにイラストを描いて送ってくれた台湾のダイバーもいた。きっと現地の被災者の人たちにも元気を与えるのではと思って、物資の入った段ボールの外に,大きくコピーして貼付けておいた。
今日はこの他にも、個人的に嬉しいことがあった。
あとは、災害救助法が浦安市にも適用されて、少しは、被災地として認められたようだ。だからと言って,何かが変わるのかわからないけど,少なくとも、計画停電のリストからは外れるのではということだった。
これで、停電小人は、二度と出てこないはず。
21日から予定していたインドロケはキャンセルした。家族を残して行くことはできない。ロケ先の、ediveの恭ちゃんからは「僕らもカオラックで経験してる事。もう独身じゃないんだから、今は家族の皆と一緒に居てあげてください。また越智家の皆に会える日を楽しみにしてます」とメールをもらう。
16日、二男颯友の友達母子が家に来た。男の子3人、上は海友と同じ年。合計男の子5人。外で遊べないから、家で大暴れしている。外で遊べないから、皆家の中でも、激しく遊びたがるが、あまり強くは叱れない。やっとどらえもんのDVD見せて落ち着かせた。
この日は、何度か大きな余震があった。子供たちは、その度に海友の勉強机の下に一斉に避難していた。
近くのスーパーでは、品物は少ないものの、何とか最小限の食料は手に入る。しかし、水が使えないから、レトルロ品やカップラーメンを食べることが多い。ラーメンのスープも、流せないから、残さず飲み干す。
関西から、懐中電灯やLEDランプ、食料など沢山送ってくれた方たち、ありがとう。感謝します。
17日復旧をメドに上下水道管工事を行なう予定だったが、まだ水は出ないし、排水もできない。洗濯物も溜まってきた。排水できれば手洗いもできるのに。
被災してから、下水道管がやられて、排水できない状態。多分1日に4人家族で1.5リットルのペットボトル分も流していない。手はウエットティッシュやテッシュを水に浸して拭いたり、食べるときには、サランラップをお皿に巻いて、洗わないで済むようにしている。いつまで続くのかな~。
17日、結局、輪番停電に組み込まれ、今日の2時半から3時間程度、計画停電が行なわれることになった。やっと、写真集の写真セレクトする環境が整ったのに。しょうがないから、子供と遊ぶことにした。
昨日まで、空いているからと少し離れた給水場へ車で水をもらいに行っていたけど、ガソリンの事もあるし、今日から一番近い給水場で水をもらうことにした。ちょっと並ぶけど、これくらい我慢しないといけない。
仕事の電話がかかって来る度に、「え、そんな状況なんですか?」と皆に被災してるとも思われていない中途半端な立場。そう思っていたけど、おかげで、節水もガソリンの節約も、被災してから暖房も一切使わず厚着してるし、資源の節約を実行できてるのかもしれない。
午後6時前、計画停電が終わった。停電前に、また颯友の別の友達母子が遊びに来ていた。何もできないので、巨大な段ボールハウスを子供たちに作ってあげた。3人が十分に入れる大きさだ。僕が入ろうとしたら「壊れるからパパはダメ!」とダメ出し。。。
暗くなってからは、関西から送ってもらった懐中電灯やLEDライドが役に立った。今後も輪番停電があり、18日にも夜7時から停電の予定だ。
僕らは、LEDライトも送ってもらったし、お風呂をトイレにしているからいいけど、公園や仮設トイレまで用を足しに行く人たちは、暗闇の中、外に出て行かなければいけないから、不安に違いない。
お風呂でやるトイレにもかなり慣れてきた。最初はビニールの中にちゃんと出来るか心配だったけど、今はしっかりピンポイントで処理できる。これだけビニールがあるのも、妻が買い物した時のを捨てずに取っていたからだ。
携帯を1日車の中に置き忘れている間に、沢山の人から携帯メールをもらっていた。返事したいけど、携帯メール面倒なので、時間かかります。ごめんなさい。気仙沼での結婚式4月に行なう予定が、11月に延期になったというメールもあった。ロケで参加できなかったんだけど、延期で参加可能に。複雑。
震災4日目、原発が不安な中、車で南行徳まで銭湯に入りに行く。何人かの方に、「家に入りに来れば」と連絡をもらっていたが、なかなか外にも出れない息子たちの事を考えると、広い温泉スタイルのお風呂の方が良いと考えてのことだ。
給水場への給水は、毎日の日課になった。ガソリンスタンドはほとんどが閉まっていて、開いてるスタンドも長蛇の列。震災5日目に見たあるスタンドでは、レギュラーが1リットル180円になっていた。数日で40円のアップ。。
計画停電の中に新浦安地域も含まれていたので、LEDライトや電池を買いに行ったが、どこに行っても、売っていなかった。ミナが関西方面の人にお願いしたけど、やはり手に入らないとの報告。どうしようと思っていたが、ダイビング用の水中ライトが家に沢山あったので、それがライトとして代用できるので、購入を諦めた。
津波の被害を受けた被災地、千葉県の旭市で計画停電を実行されて、避難所の電気が消えた事が報道された。その後、浦安地域は、被災地として、計画停電のリストから除外された。
18日金曜日まで、新浦安地区の幼稚園、小学校は休校と決まった。実質そのまま春休みに突入する。卒園式、卒業式も延期。
自分も21日からのインドロケをキャンセルすることにした。
地震よりも、原子力発電所の報道に、振り回されている。海外の友達からも、まだ日本にいるつもりかという連絡をもらう。
外で見る報道は、その渦中にいるよりも、深刻に感じてしまうものだ。しかし、今回の件に関しては、徐々に回復しているのではなくて、徐々に悪くなっている。「今の段階では」と識者はテレビで繰り返し言うが、じゃあ、この状況で最悪を場合はどんな事になるのかってことは、僕の聞いている限りでは言っていないように思う。
子供たちに、放射能の危険性を問われるが、説明してもピンと来ないようだ。
今も下水道管は詰まっていて、水を流すことができない。給水場へは毎日1回行っているので、問題無いけど、流せないから本当に少しづつしか使えない。長男の海友は、水を運ぶのを毎回手伝ってくれている。
別の場所への移動も考えてはいるけど、なかなか決断できずにいるのは、妻の家族が皆、新浦安にいて、同じような状況にあるからでもある。
上の写真は、大人の身長くらいまで、地面から飛び出してしまった、下水管とマンホール。元は地面に埋まっていた。
facebookなどで知り合った人や海外の友人などから、「家族の元気な姿を見せて下さい」と連絡を度々もらうので、facebookに子供たちの写真をアップしたりした。良かったと、100人くらいの人から、連絡をもらう。
国内の人からも、連絡をもらう。僕らはまだ、そうした善意の声や行動が届くところにいる。感謝できるところにいる。それだけでもありがたい。
子供たちは、相変わらず騒がしくてうんざりするのだけど、こういうときだからこそ、無邪気な笑顔にすくわれる。
これも、ちょっと前の事。家族でヤップに旅行に出かけたときに、途中から友達家族が合流したときの話だ。
3歳になる男の子の家族が、島の中のストーンパスという伝統的な石畳の道を見学に行ったときに、道がわからなくなり、長男の海友がそれに気づいて、道案内をしたそうだ。そのときの事を、メールで教えてくれた内容を以下に掲載します。
「YAPでは本当にお世話になりました。
HPにも書き込みさせてもらいましたが、
旺太郎は本当にあの5日間(実質3日間)で成長しました。
帰ってからの表情が全然違います。
ボートも絶対乗れないかと思ったのに
海友くんと颯友くんが乗っているから
乗れたようです。
海にもあんなに躊躇なく入っていくなんて
驚きました。
海友くんは本当にいいお兄ちゃんでした。
細かいところまで気配りして、旺太郎をいたわってくれました
。
そればかりか、ストーンパスでは、とても頼もしいガイドをし
てくれました。
ミナには話したけれど、海友くんの心優しい言動に
私は何度も涙がでそうなくらい感動しました。
一番印象的だったのは
「ねぇ、おうちゃんが怪我とか病気したら、つらい?」
と、突然、ストーンパスからの帰りに建築中の家へ寄った時に
聞いてきたのです。
「もちろんだよ~自分が怪我や病気するよりつらいよ。
海ちんのパパやママもそうだと思うよ」
と答えたら、
「うん。あのさ、宝物だから、大切だから、だよね」
と言ったのです。
あとでミナに聞くと、海友くんのお友達で、石が目のそばに当
たって、怪我をしてしまった時にミナがそういう風に
言い聞かせたみたいですね。
本当に素直で優しい、そして元気で逞しい
とってもいい子に成長していますね!!
旺太郎にもぜひそうなってもらいたいです。
ほんと、できることなら、越智家に入門?させたいものです(
笑)
颯友くんは、まだ旺太郎が遊びのルールを守れないのに
もどかしさを感じることがあるようでした。
でも、それも仕方ないことなんだ、とわかってくれているよう
で優しくしてくれましたよ。
ぜひ今後も、一緒に遊ばせてください!!」
子供の成長は、親だけでなく、周囲にいる人全員で見守っていける、そういう社会であればいいなと思っています。オーちゃん、また、一緒にヤップやキャンプに行こうね。
後半は、男の子3人でつるみ始めた。Oちゃんが、家の暴れん坊たちから、悪い影響を受けなければいいがと心配したが、やはり、小さな子供には、奴らの自由奔放な生き方は刺激的だったらしい。。。
昨年末のヤップでの冬休み。後半には、バハマのリピーター数名が遊びに来てくれた。その中には、2歳のOちゃんもいた。前にも何度か会っているので、海友や颯友と一緒に遊ぶのが大好き。最初は、海に入るのも、ボートに乗るのも怖がって泣いていたんだけど、少し大きなお兄ちゃんたちが平気で入っているのを見ていたら、いつの間にか平気になって、一緒になって遊んでいた。都会から、自然の中にやって来ると、これくらいの年齢の子が、皆、新たな環境で成長していくのが手に取るようにわかる。ちょっとの間で、Oちゃんも、沢山成長していたね。
朝、捕まえてきたヤドカリをレストランのテーブルの上に乗せて遊ぶ。
他に子供もいなくて、しょっちゅう、喧嘩もするけど、いっつも二人で遊んでる。
朝食の食べ残しを犬たちにあげたいという颯友。残りを外に持って行くと、あっという間に犬たちに食べられてしまった。
朝食の後は、バルコニーでお絵描きしたり、
ターザンロープで遊んだり、
ヤシの木登りをしたり、
ヤップの伝統的カヌーに乗ったり、
カヤックに乗ったりして遊んだ。
午後からは、家に塗るペンキを街に買いに行き、ペンキ塗り。ライズダイビングセンターのスタッフが手伝ってくれる。子供たちは、しばし、お昼寝。
お昼寝が終わって、犬たちと一緒に子供たちがやってきた。
早速、「塗りた〜い!!」ということで、下地のペンキ塗りを始めた。
高い場所は、エクステンションの棒を使って。
奇麗に、下地を塗り終えた壁。ヤップ滞在中、秘密基地と呼んでいる、海の見える丘の上に建つ、この小さな家の建築を、家族で手伝っていくことになる。
昨晩は、新橋のBOXで、2011年のカレンダーの引き渡し,及びバハマやトンガの参加者の人たちを中心に、忘年会+(スライドショーも少し)を開催してもらった。
僕らは家族で参加したのだけど、妻が近所の友達が引っ越しするというので、その送別会とバッティングして来れるかどうかわからず、子供たち二人を連れて車でかけた。一応遅れて合流するということだったのだけど、確証が無かったので、それまではお酒を控えていた。
BOXでこういうイベントを開催してもらったのは、これで3回目。あまり飲みに出ない自分としては多い方なのではと思う。
しかも、司会役の人が、喉をやられ、しゃべれないというので、一人で進行役もやってと言われ、息子たちは店内で暴れ回り、お酒も飲めない。仕方なく、しらふでマイク持ってしゃべっていると、「何かしゃべらせて〜」と息子たちが何度も来るので、マイク渡すと、二人ともその度に「あ〜〜!」しか言わないし。。。もっと気の利いたことしゃべって、父をフォローしろよ。結局、勢いもつかず、途方に暮れて、立ちすくんでいたら、影の仕切り役、KTさんから、「各テーブルを回れ」の指示が出る。
おそるおそる、最初のテーブルに付き、話し込んでいて、ちらっとKTさんの方を見ると、「一つのテーブルに腰を落ち着けないで、他のテーブルも回れ」の指示。
その指示の元、各テーブルを回り、合間合間で短いスライドショーを行なった。スライドショーを行なったと言っても、ただ流すだけで、自分はマイクでブツブツ独り言を言っていただけなのだけど。
その合間合間にも妻に何度か電話してみたが、まったくつながらず、結局お開きになる30分前まで、エネルギー充填できずに、しらふのままだった。
やっと電話がつながり、もうすぐ着くからということで、一気にビールを飲み、「さあ、これから!」というときにはお開きに。相変わらず、息子たちは暴れ回ってるし。
ということで、来て頂いたにも関わらず、ほとんどの人と、あまり落ち着いて話できなくて、すみませんでした。カレンダー、ご購入頂き、ありがとうございました。今度は、家にも遊びに来て下さい。と言っても、12月半ばから、3月末まで、僕はほとんど日本にはいない予定なのですけど。
それから、最後に撮影した記念写真、僕はカメラ持っていって無かったので、どなたか、頂けないでしょうか。写真が無いから、写真はベランダから見た、今日の朝日です。まあまあ奇麗でしたよ。
僕ら家族は明後日からヤップに出かけ、クリスマスもあちらで過ごします。
ということで、参加して頂いた多くの皆さん、また、来年もよろしくお願いします。それから、多くの方から、沢山のプレゼント(特に息子たちへ)を頂きました。慌ただしくてその場でまともにお礼もできませんでしたが、この場を借りて、お礼させて頂きます。本当にありがとうございました。
それでは、また。
昨日は、バハマのドルフィンクルーズに参加してくれたことのある人たちが、子供たちを連れて、家に遊びに来てくれた。長年クルーズをやっていると、こういう家族ぐるみの友達も増えてくる。ここ最近は、バハマチームのベビーラッシュが続いている。
海友と颯友は、その中でも年長者。年長と言っても、海友が7歳で颯友は4歳になったばかりだけど。この日やってきたのは、2歳の男の子2人に、生後4〜5ヶ月の男の子と女の子。
皆が来ると言うので、朝から頑張って片付けた部屋も、あっという間に、ご覧のありまさ。まあ、大勢いようが、海友と颯友しかいなかろうが、だいたい、ほぼ毎日、こんな感じだけど。
散らかしては片付け、また散らかしては片付けの連続。特に男の子だからか、「片付ける」という文字は、奴らの頭の中の辞書には、無いらしい。
小学校1年の兄の海友は、子供たちとあまり絡むこと無く、近所の友達の家に遊びに出かけてしまった。
そうなると、いつもはきかん坊で暴れん坊の颯友が、一応年齢的にはリーダーになるのだけど、どう考えても、仕切って一緒に遊ぶ年齢ではないので、写真のように、それぞれが自分のテリトリーで、プラレールを作って遊んでいた。
まあ、それまでは散らかるだけで、良かったのだけど、たま〜に、それぞれが領海侵犯して、他の子供のテリトリーに侵入してくる。特に颯友の作ったプラレールに興味を持った、下の子たちが、レールの上で違うものを、颯友の意図しない方向とかに走らせ始めると、こだわりの強い奴としては、どうにも我慢ができないらしい。
しかし、普段は兄が相手だから、ただ向かって行って、叩き合い、蹴り合いの喧嘩をすればいいだけのことなんだけど、この日はそうはいかない。あまりに、自分の思い通りにいかなくて、「そこは、そうじゃないんだよ!」と頭かかえて、自分の窮状を訴えかけるような顔をしている。
奴なりに我慢に我慢を重ね、とうとう我慢できなくなって、母に泣きつき、我関せずと颯友のプラレールで遊んでいた年下の男の子たちに、一瞬蹴りを入れそうになった。
一瞬「あ!」と思ったが、しかし、奴は、寸止めでその蹴りを止めて引っ込めた。きっとそこに兄、海友がいたら、間違いなくあの横蹴りは、顔面か脇腹にヒットして、大げんかになっていたに違いない。
周囲には、大人たちの目があるし、何より自分より小さな子供たちだから、暴力で打ち負かしてはいけない(。まあ、暴力で打ち負かしちゃう子もいるのだろうけど)颯友は、奴なりに、下の子を叩いたり、蹴ったりしてはいけないと認識しているようだった。
その代わりに、暇(他の子の相手をしていない)お父さんに絡んでは、肩車をせがみ、上から、バシバシ叩き、ガシガシ蹴り入れていたけど。しかも、とても嬉しそうに。。。
生後数ヶ月の二人は、そんな颯友の葛藤とはまったく関係無く、平和に(?)過ごしていた。大人たちは、そんな二人の<笑顔>の写真を撮影しようと必死に頑張ったのだけど、この年齢の二人が上手いタイミングで笑ってくれるというのは、無理があった。
その内、海友が学校の友達を連れて家に戻ってきて、挨拶もそこそこに、その散乱した部屋に座り込んで「トムとジェリー」を観始めた。おかげで、他の子たちもDVDを見入って、静かにはなったけど。写真は、帰り際に皆で集合写真撮影してるところだけど、子供たちは皆、「トムとジェリー」視線は釘付け。颯友は、相も変わらず、大人たちに飛びかかっていっていた。
ドタバタで大変な1日だったけど、楽しかった。もっと、大きくなったら、皆で近所の海の公園にバーベキューをしに行きたいな。また、遊びに来てね。
週末、毎年キャンプを企画してくれている仲間たちと一緒に、サンタクロースの森「サンタヒルズ」へ出かけた。キャンプは毎年子供たちも楽しみにしている。今年は、海友、颯友より小さな男の子2人も参加して、合計22人もの大所帯。
昨日は、今年のバハマ1週目の参加者の人たちが、沢山のお料理と、子供たちへのおみやげを持って、家に遊びに来てくれた。
ただでさえ、テンションの高い二人。特に3歳児の暴れん坊、颯友の勢いに拍車がかかり、家の中で皆を捕まえては暴れ回っていた。
長男の通っていた幼稚園も、どちらかと言えば、自由奔放に好きなことをやらせる方針のところを選んで入園させたのだけど、今颯友が通っている幼稚園は、そこにも増して、さらに自由奔放に遊ばせているらしい。脳天気な妻が、たまに、「これで大丈夫かしら。。?」とちょと不安になるくらいらしいから、相当なものだと思う。
これにはちゃんと理由があって、小さい頃に、「あれはダメ、これはダメ」とやりたいことを押さえつけることで、子供たちはストレスがたまり、将来「キレ易く」なるということらしい。そのため、小さい頃は、とにかくやりたい事をやらして、パワーを発散させることで、「キレにくい」子供に育てて行くという方針なのだそうだ。
幼稚園での活動を妻に聞くたびに、「面白そうなことしてるな〜、いいな〜」と自分は思ってしまうのだが、人によっては、きっと、「そんな事してるの?」と呆れてしまう人もいるのかもしれない。
まあ、おかげで二男は、かなりやんちゃで面白いキャラクターになっていることは間違いない。これで、本当にキレない子供に成長してくれれば、今の苦労はたいしたことじゃないと思うことにしている。
そんな成長っぷりを見て、遊びに来てくれた人たちはどう思ったんだろう。笑顔で対応してくれていたけど、大丈夫だたのかな?色々ご迷惑おかけしてすみませんでした。来年のバハマをちょっとだけ心配しつつ、長男がお兄ちゃんになって、しっかりしてくれていることだけを願っている。今から、二男が大人しくなるとは到底思えないから。
昨日は長男の学校開放日だった。家で仕事していたので、妻と一緒に見学に行くことにした。まだ建って数年の校舎は、船をテーマにしたおしゃれなデザインで、ところどころに遊び心が満載だから、たまに行くと自分も楽しくなってくる。
そんな校舎の廊下の壁に、沢山のカラフルなゾウの絵が展示してあった。子供たちの描いた、ゾウのエルマーの絵だ。カラフルで、個性的なエルマーたちが、壁いっぱいになっていて、見ているだけで楽しくなった。カメラを持っていっていなかったので、携帯で自分の気に入ったエルマーを撮影していたら、4クラスあるので、結構な数になってしまった。でも、せっかくだから撮影したしたもの全部アップしよう。皆さんはどのエルマーが好きですか?
ジャングルの奥に、楽しそうに暮らすぞうの群れがありました。ぞうたちはみな同じぞう色ですが、その中でエルマーだけがつぎはぎ、まだらのぞう。体は、きいろ、だいだいいろ、あか、ももいろ、むらさき、あお、みどり、くろ、そして、しろ......と、ぞう色ではありません。みんなを笑わせる主役はいつもエルマー。でもエルマーにとって、自分だけ違っていることは悩みのたねでした。そこである日、エルマーは「ほかの ぞうと おなじいろに なりたいな」と考えて、こっそり群れを抜け出します。
体中、あふれるばかりの色でいっぱいのエルマーはジャングルの人気者。自分だけまわりと違うことに悩み、なんとか同じになろうと試みます。違っていることが個性であり魅力であることに気づかず、まわりに同化しようとするエルマーの姿はちょっぴり悲哀的。けれども、本来の明るい性格が仲間たちとの融合を招き、みんなで一緒に「違い」をお祝いする「エルマー記念日」がお話の最後を飾ります。お互いがお互いを認め合い、楽しく晴れやかな気分でお祭りのパレードするぞうたちの姿には、個性の尊重が象徴されているとも言えるでしょう。カラフルなエルマーは、小さな子供たちの人気者になること間違いなし。いろいろな模様の、いろいろな色のぞうが登場する「エルマー記念日」。これを祝うぞうたちの表情がすてきです。
24日は、国立科学博物館で開催されている、大哺乳類展〜海のなかまたち〜の会場へでかけた。トンガで一緒のトニーが講演するからということもあり、前に会場に行った人たちから、「子どもでも楽しめるよ」という話を聞いていたので、連れて行くことにした。
しかし、兄海友は、プールの進級テストがあるから休めないというので、僕と二男の颯友が車で先に行き、後から妻と海友が電車で上野の国立博物館に来て、合流することになった。
二男と二人だけで、車で東京まで出かけるのは、多分初めての事。特に3歳の奴は、自分が不在がちなこともあり、今現在「超ママっ子」。まあ、それでも、最近は良く一緒に遊んでいるからか、母親がいないことにあまり不満を感じずに車に乗車した。
その理由は、「沢山骨が見たいから」。。。。
で、道中、同じ年齢の頃の海友に訪ねた、同じ質問をしてみた。
父「颯友〜、ママのお腹の中にいたときのこと覚えてる〜?」
颯友「え、おぼえてない!」。。。。きっぱり断言。。。。そして、無言。
父「本当に覚えて無いの〜?」
一瞬睨みつけて、無視。
しょうがないので、別の質問。
父「幼稚園でさ〜、好きな女の子できた?」
颯友「え、いない」。。。。また断言だよ。。。
父「でもさ〜、一人くらいはいるんじゃない?」
一瞬睨みつけて、無視。
父「わかったよ〜、じゃあ、男の子では?」と言うと急に嬉しそうに、して
颯友「えっとね、○くりまさと」と何故か小声で答えた。
父「え、なんでそんなひそひそ声になるの?なんで、○くりまさと君が好きなの?」
と訪ねると、
颯友「だってね、○くりまさとは、ハヤトの事、ばかにするから」とまたひそひそ声で答える。
父『え?バカにするから?。。。。バカにするから好きなの?」
颯友「うん」
。。。やはり、こいつは変わりものだな。とそれ以上の質問はせずに、車を走らせた。後日、その事を妻に報告すると、その子は颯友と同じように、海友と同い年のお兄ちゃんがいる。お兄ちゃんのいる幼稚園児は、いない幼稚園児より、趣味とかが、「すすんでいる」から気が合うんじゃないとのこと。「バカにするというのは、きっとそれだけ、すすんでいるから」ではないかということだった。
そういうものなのかな?
後日、何かのきっかけで、やつに、また同じ質問をした。
父「颯友は、○くりまさと君が好きなんだよね?」
颯友「え、別に好きじゃないよ」
父「え、だって、この前○くりまさと君にバカにされるのが好きって言ってたじゃん」
颯友「あれは、そう言えば、パパが喜ぶかなと思ったから言っただけ」
父「。。。あ、そうなの」
何故、あの場で、こいつが僕を喜ばせようとしたのかが不明だ。でも、本当に喜ばせたかったのなら、好きな女の子の名前を出してくれれば良かったのに、、と思った。
会場では、トニーが講演する中、その反対側にあった、スナメリが口からバブルリング吐き出す、機械のボタンを押すのに夢中になっていた。骨ではなくて。。。トニーお疲れさま〜。
先日、デイドリームペリリューステーションのガイドだった、遠藤さん一家が、自宅まで遊びに来てくれた。長男のリク君と、6月下旬に生まれたばかりの、長女ルルカちゃんと奥さんのマサちゃん。
マサちゃんも、デイドリームペリリューステーションでガイドしていた頃からお世話になっていた。
久しぶりの新生児。抱っこしたいんだけど、やっぱりすぐに壊れちゃいそうで、躊躇してしまう。でも、見てると、やっぱり女の子欲しくなってくる。
長男の海友は、かなり年下の子の面倒を見るのが好きみたいで、リク君には、おもちゃを持ってきてあげたり、ルルカちゃんの様子を何度も覗き込んで見ていたりしていた。
リク君の方も、何故か海友が目の前を通ると、笑顔を見せる。自分が近寄ると、目がうるるになって、後ずさりされてしまったけど。
で、颯友はというと、、、寝てた。
別の日、海友は習字教室に母親と一緒に出かけた。
颯友の夏休みに毎日やる決まり事は、「おはなにみずをあげる」
で、水あげてるんだけど、暑いから真っ裸。最初は花に水あげてるんだけど、
裸でも暑いから、結局自分で水を浴び始める。
それはいいんだけど、後ろから見ると、、、やっぱり内股だ。
昨晩は、バハマのリピーターの人たちと新橋のBOXで飲み会。そこで子どもたちへのプレゼントをもらう。
ゲームとTシャツ。朝起きると、早速二人で、ゲームを始めた。
頂いたTシャツはこんな感じ。二人とも同じデザイン。
颯友は早速気に入ったイルカの入ったTシャツを着る。まだ少し大きいけど。バックにもイルカが着いていた。
ちょっとかっこ良く撮影してみたつもり。
海友は,最近撮られるのを嫌がる。プールに行くと言って、逃げさってしまった。
プレセント、どうもありがとうございました。
先日、引っ越しをしてから、初めて氏神様のところにご挨拶に出かけた。4月に引っ越して、すぐにでもお参りに行きたかったのだけど、自分の仕事の都合で、バハマから帰国するまでは、家族で行く機会が無かった。
この地域の氏神様は清瀧神社。浦安三社(清瀧神社、豊受神社、稲荷神社)のうちの一つ。
祭られているのは、「海路安全、漁業繁栄、海の神」である、大綿積神(おおわたづみのみこと)。今の自分の仕事にも多いに関係深い御祭神でもある。
その他に、境内には末社として、龍神社の豊玉比古神(とよたまひこのみこと)、安産、子育ての神、浅間神社の木花咲耶姫命(このはなさくひめのみこと)、厄除け、災難除けの神、建速須佐之男神(たてはやすさのをのみこと)が祭られている。
以前住んでいた場所でもそうだけど、お参りに行くのは、大きな神社ではなくて、地域に根ざした、氏神様のところへ、まずは足を運ぶことにしている。
2拝2拍手、ご挨拶とお願い事をして、最後に1拝。子どもたちは、見よう見まねで参拝の方法を覚えている。だけど、自分は小さい頃から、出雲大社に良くお参りに連れて行かれていたので、どうしても4拍手してしまいそうになる。
自分の名前は、親や祖父母にではなくて、出雲大社の神主様に付けて頂いた。そんな縁もあるわけだ。だからと言って、神道に深く傾倒しているというわけではないのだけど。
ご挨拶に伺った後は、家の近くの公園で水遊びしてた。
知らないお兄さんたちに、馴れ馴れしく水をかけまくる二人に、ちょっとヒヤヒヤしたけど。まじにかけまくってたから。優しいお兄さんたちだったから良かったけど。
昨日は、今年バハマに来てくれたゲスト4人が、家に遊びに来てくれた。
遠くまで、どうもありがとう。
これは、その時撮影してくれた写真。
ちなみに、最近の颯友の会話
「な、な、なんだあれ、な、なんだあれ?」
「バ、バ、バナナほしい、バ、バナナほしい」
「お、お、おは、おはよう、おは、おはよう」
何、ラッパーになってるんだよ?と訪ねると、
「え、ス、ス、スパイクだよ」と言う回答。何の事かと思ったら、リロ&スティッチに出て来た、エイリアンで、ラップをする子の事だそうだ。
結構、面白いので、「颯友、またやって、な、な、なんだあれ」と言うと、
案の定、「い、い、いや」という微妙な返事がかえってきた。
ある南の島に、家を建築中です。本当は3月スタートで、7月には完成してる予定だったのですが、ある理由で大幅に遅れてしまったようです。
前はこんなジャングルの中でした。 これが敷地への入り口部分
これが家を立てる場所
いつできるのかな~。まあ、のんびりした島だから。って、台風ですぐに壊れたりして。。でも、丘の上にあるから、海が一望できて、眺望は良さそうです。
一昨日は、二男颯友の通う幼稚園での「夕涼み会」だった。
その準備のために、男手が必要ということで、僕と、同じマンションに住む颯友のお友達のお父さんが、かり出された。「僕も手伝う〜」と長男の海友も一緒に幼稚園へ。
果たして、ちゃんと手伝ってくれるのかと心配したが、クラスの催し物が、ヨーヨーだったので、すでに用意されていたヨーヨーを運び、プールに水を張るだけだったので、特に問題は無し。
その後、幼稚園の子どもたちが到着して、盆踊り(?)を2曲ほど踊って、それぞれのクラスでお母さんたちと、先生によって用意されたアトラクションを子どもたちが楽しんでいた。
夕涼み会の後は、仲の良いママ友達家族4組で、隣のマンションのスカイラウンジの一室を借り切って、ファミリーパーティーをした。子どもたちは騒ぎまくり。僕は、なかなか家にいなくて交流の機会が少ないのだけど、こういうのも悪くは無い。
その一室からは、ディズニーランド、観覧車、都心の風景が一望できる。
と、ここまで書いて、特にネタが無いことに気づく。。。。もしかしたら、あったかもしれないんだけど、一昨日の事だから、すっかり忘れてしまった。
なんか惰性で書いてるみたいになってきた。う〜、、、
あ、そうだ、昨日はダイビングで知り合った人の結婚式の撮影を頼まれていた。7月の炎天下での撮影(外での撮影も少しあった)で、僕はシャツがしぼれるほど、汗でびっしょりになった。
「僕の日本にいるタイミングで式の日取りを決める」と言ってくれていたので、中途半端な事はできなかったから、久しぶりに、マジで結婚式の撮影をした感じ。でも、喜んでもらえる撮影ができたか、いつも心配になる。今回も同じ。アルバムにした写真を見て、喜んでもらえると嬉しいな。
結婚式の撮影は嫌いじゃない。皆が幸せそうにしてるから。そういうのを、客観的にファインダーを除きながら眺めているのが、僕にはとても幸せで心地よい。中心にいるよりも、自分の性に合ってるんだろうなといつも思う。
末永くお幸せに。
昨日、友人から頼まれて、BSの番組の中で使用するイメージカットで、子供とその友達が遊んでいるシーンを撮影したいということで、某所で海友の幼稚園時代の友達たちと一緒に撮影を行なった。
明日、引っ越しをする。つとめていた新聞社を辞めて、フリーになる決心をすると同時に、眺望の良さが決めてで、悩む事なく、住み始めた場所。長男の海友も、二男の颯友も、自宅出産だったから、病院ではなくて、この公団のマンションの一室で産声をあげた。
カオラックからプーケットに移動して、今日からD.O.で取材。ここのオーナーのナカちゃんは、相変わらず良くしゃべる。で、海友や颯友と同じくらいの子供が3人いる。
昨日、タイのシミランクルーズから下船した。カオラックにあるediveのショップに到着すると、少しして、ガイドのキョウちゃんの生後1ヶ月ちょっとの娘のこももちゃんと、かずえちゃんがやってきた。
フォトグラファー日記にも書きましたが、今日は新橋のBOXでスライド&トークショーでした。知らない人も多いと聞いていたので、なるべく、そういう人たちとも話せるような企画を考えて、臨みました。
長男の海友も、今年で幼稚園を卒園する。お世話になった先生の似顔絵を、同じ組の子供たちが描いて、それをまとめたものを、先生に渡すことになった。その表紙を妻が担当することになったそうだ。
後から、後から、子供たちが仮装して姿を見せた。「トリックオアトリート!」。「お菓子くれなきゃ、悪戯するぞ~!」と母親から教えられた合い言葉(?)をどちらかと言えば小声で、発しながら、お菓子を受け取って、次の家へと移動していく。
5時過ぎ、子供たちが次々にお母さんに伴われて、やってきた。このイベントに参加しているご家庭は、家以外に4件。9階1、8階に2、7階に1、4階に1。13階建てのマンションの中層は、階段や廊下を仮装して動き回る、子供たちで溢れていた。
ヤップから、帰国してモルジブロケまでの短い日本滞在期間に、ハロウィンがあった。昨年のハロウィンでも、いくつかのご家庭と話し合って、カボチャを彫って、飾り付けして、近所の子供たちに、家まで遊びに来てもらい、用意したお菓子を配った。
ライズの隣に住んでいる、ポールとマギーの長男、デンゼル1歳。前回訪れた今年3月のときは、まだよちよち歩きで、海友や颯友にいいように扱われていたのだけど。今回は二人にも対抗できるくらいに成長。
ほぼ自給自足生活を送っている、隣村のパサンちゃんの家に遊びに行った。ちなみに、写真は台所。写っているのは、元ライズのスタッフで、今はパサンちゃんとこの同居人の、トーマスおじさん。トーマスおじさんの寝床は、この台所。
今日は、友人に誘われて、一緒に千葉の太東にサーフィンをしに出かけた。子供たちも行きたいというので、連れて行くことに。太東は海水浴場に隣接して、波乗りするポイントがあるので、子供たちは海水浴場で、僕らはその横でサーフィンをするつもりだったのだけど、、、。
昨日、三保のロケから帰宅した。昨日はもうすぐ出産予定の杏奈ちゃんとその旦那さん、それに数人の友人が家に遊びに来てれた。ロケから戻ったばかりでかなり眠かったから、途中からエンジン切れちゃって申し訳なかったんだけど。
ペリリュー島の友人、ランダが、pre school(幼稚園)見学に誘ってくれた。クラスは、3~4歳の子供たち9人。想像以上の設備にちょっとびっくり。
今日はホワイトデーだった。忘れていたわけではないのだけど、まともなお店などないペリリューでは、駄菓子のようなお菓子を買ってあげるくらいしかできない。旅の前にプレゼント用の何かを用意するほど、用意周到でもない。
最近、連日の早朝ダイビングを含む、4本のダイビングと子供たちと一緒に遊ぶことで疲れ果て、それにネット環境の問題で、なかなかブログをアップする余裕も無く過ごしている。
昨日の節分、どうにか父親の威信回復のために作戦を立てた。いつもハロウィンや、クリスマスなのどのイベントのときには、お化けやサンタになってもらうお願いをしている階下に住んでいるお兄さんに、今回も「お願い、鬼になって」と懇願し、豆と一緒についてきた鬼のお面を渡した。