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フィリピンのアニラオフォトコン(4th Anilao Underwater Shootout)の期間中、取材のアシスタントとして10歳の次男・颯友を連れて来ていた。何をやらせたのかと言うと、1・自分が審査員なので、動き回って撮影できないから、イベントやジャッジの様子を撮影させる。2・荷物番、3・シャイな自分の代わりに交友関係を広げてもらうと言った感じ。最初から「遊びじゃなくて、仕事だからな」と言っておくと、10歳でもそれなりに役に立とうと頑張ってくれるものだ。
しかし、初日に審査員が乗るダイビングボートに一緒に乗せてもらって出かけたものの、ダイビグできるわけでもなく、私たちが潜っている間は、船上で留守番。ボートクルーはいるけど、一緒に遊んだり、あまり話すでもなく、ボ〜ッとしていたようだ。水面休息中に一緒にスノーケリングはしたものの、待ってる時間が長くて、リゾートに戻って来てからも、「暇だ〜、暇だ〜」と連呼してるし、リゾートもフィリピンにありがちな、外から隔たった狭い敷地内にあり、ダイビングに特化している。プールはあるけど、遊ぶところも無いからすぐに飽きてしまっていた。
審査員が滞在するフォトコンのメイン会場になっているACASIA DIVE & RESORTのゼネラルマネージャーには、事前に日本人、あるいは日本語を話せるインストラクターがいれば、滞在中ジュニアオープンウォーターを取らせたいので、見つけてもらえないかと相談していたけど、「なかなか見つからない」との返事だったので、アニラオには、日本人ダイビングサービスは無いのかなと思っていた。
しかし、到着2日目の夜に開催されたウエルカム・カクテルパーティーで、アニラオにある、日本人ダイビングリゾート、アニラオ・ヴィラ・マグダレナ・ダイブリゾートのオーナー、大沢義生さんと出会い、息子のことを話すと、「何なら、私がJr OW講習しますよ」と言ってくれた。「フォトコンに参加されてるのに、いいんですか?」と聞くと、「大丈夫です。プールは無いけど、ハウスリーフが穏やかだから、そこで限定水域もできるし」ということで、次男に、「どうする?」と尋ねると、二つ返事で、「やる!」との回答。
お言葉に甘えて、早速、翌日からJrOW講習をスタートした。
長男の海友も、10歳の時にJrOWを取得している。奴の時には、一緒に受講する仲間がいたからか、タイのシミランクルーズで、楽しそうに講習を受けていた記憶がある。
https://oceana.ne.jp/webmagazine/201308_thai_family
<機材の扱い方を学ぶ>
<海洋実習では、余裕な感じで、フィンを脱いで砂地の感触を楽しんだりしていた>
さて、次男颯友のJrOW講習は・・・
基本、最大深度が12mまでと、18mまでの違いはあるとはいえ、ほとんどがOWと同じ講習内容。とは言いつつも、インストラクターによって、あるいは、子供のその時の様子によっても、厳しさはそれぞれな印象もある。
今回は、まずは約3時間の教材ビデオを観た。重要な部分は、同じ内容を何度も繰り返す内容でもあるし、大人の自分が付き合っていても長いと感じる。10歳が一人で、3時間このビデオを見続けるのは、かなり退屈だったに違いない。
ビデオを観たあとは、BCDやレギュレーターなど機材のセッティング、取り扱い方を学ぶ。
準備完了!
実際のスキルを実践で学ぶ、限定水域。通常は、プールだけど、今回はハウスリーフで行った。
<水中スクーバユニットの脱着>
<マスク脱着>
<中性浮力>
上記の他、マスククリア、レギュレーターリカバリー、中性浮力で泳ぐ、ホバリング、水中でのウエイト脱着など、30以上のスキル講習を行った。
2日目には、ハウスリーフの水深の深いエリアに移動して、同じスキルを繰り返したあと、周囲をファンダイブ。2ダイブ目には、ノーマスクで1分間泳ぐなんてのもやっていたけど、通常は10歳の子だとなかなかできないんじゃないかなと心配したけど、それなりにこなしていたのには、感心した。
「すごいじゃん!普通大人でも、怖くてなかなかできないよ」とエキジット後に声をかけると、「マスク取るのは大丈夫なんだけど、マスククリアした後が目がしみて痛いんだよ」と余裕な発言も出るほど。最初に少し耳抜きができなかった以外は、ほぼ順調にこなして行った。
午後には、筆記テスト。とは言っても、大沢先生が説明をしてくれて、4択から答えをチェックして行く感じ。ダイビングコンピュータの使い方も教えてもらっていた。
3日目には、ボートダイビングで、バックロールエントリー。これも最初は怖がるかなと思ったけど、躊躇することなく、1回でオッケー。
海中では、たくさんの魚たちに遭遇し、ファンダイビングを楽しんだ
これで、JrOW講習終了。最後に仮の認定証を大沢先生から渡されて、本当の認定証用の顔写真を撮影して無事終了!
<本認定証用の写真撮影>
最後は、お世話になった、大沢先生と奥さん、それにスタッフたちと一緒に記念撮影をして、滞在先のリゾートに戻った。
その後、リゾートでファンダイビングを2本。フィリピン人ガイドが一緒に潜ってくれたので、自分はその横で撮影。
もう耳抜きも問題なくて、ガイドも側で見守っているだけ。ガイドがたまに指差す魚も、しっかり見えているようで、「あの青い、小さい細長いのはウツボの仲間?」「あの灰色のと、白とオレンジのと黒い生き物は何?え?オオモンカカエルアンコウ?なんで全部同じなのに、色が違うの?」と沢山の魚たちに興味津々。ガイドも「取ったばかりとは思えないよ。本当に上手」と褒められて、少し嬉しそうにしているハヤト。ダイビング中に、ゲージやダイブコンピューターを確認しながら、まだちょっと大きめのフィンで一生懸命にダイビングしてる姿に、思わず涙がこみ上げてきた。
長男の時は、まわりに沢山応援して、思いっきり褒めてくれる母がいて、一緒に潜る仲間がいた。でも、こいつの場合は、全部が一人。先生はいるけど、ついているのは、褒めるのが苦手な父親のみ。
一人黙々と講習を続け、父が心配していた耳抜きも、マスククリアも、バックロールエントリーも淡々とこなしていた。
アニラオに来る前とJrOWライセンスを取得して、ファンダイビングを楽しむようになってからのハヤトの顔つきは、明らかに違った。ダイバーになったというだけではない、何かを成し遂げたという、大きな自身に繋がっているのだろうということは、表情を見れば一目瞭然だった。
思いがけない旅先での次男のJrOW取得は、僕にとっての、今年の重大ニュース、いや、ここ数年の重大ニュースになった。
オーストラリアに出発の日の朝、ZIPで、「今年の私の重大ニュース」を、街頭インタビューで聞いていたのを観ていて、妻が、「今年の母の重大ニュースはね〜、海友が中学生になったことと、颯友がダイバーになったことだよ〜」と朝ご飯を食べている颯友に伝えた。同感しながら頷いてみる。もちろん颯友本人もそうだろうと思っていたら、「え、俺はね、友達が道で派手にすっ転んだことかな」。「え〜、そんなこと?ダイバーになったことは?」「ん〜・・・まあ2番目くらい?」と相変わらずクールなのでした。まあ、何はともあれ、おめでとう!これからまた色々一緒に潜りに行けるといいな。
飛鳥Ⅱ下船後、ニューカレドニアのヌメア滞在では、ALIZEの益田君にガイドしてもらってダイビングを楽しんだ後は、市内観光に連れて行ってもらった。今は、フランボヤン(火焔樹)が満開です。
自分が気になったのは、メガロドンの歯の化石を売っているお店。
記念撮影も沢山したけど・・・・、これだと、若いお父さんとお母さんと息子って感じ
「よくよく考えたら、飛鳥でも親子二人だけの写真ってまともなの撮影していなかった」とボソっと言ったら、ガイドの益田君が親子二人の写真を撮影してくれました。
12月17日、飛鳥Ⅱラバウル到着。先月自分が回ったラバウルの観光地を海友と一緒に、飛鳥のツアーに参加して足早に巡った。火山観測所、山本バンカー、太平洋戦争慰霊碑。
「ゼロ戦って何?」とか、「山本さん?知らない」とか言ってるから、「帰国したら両方しらべてみな」と伝えて、「どう思った?」と聞いたら、「あっという間だから、よくわかんないけど、こんなに暑いのに、あのバンカーの中はサウナみたいに蒸し暑かった。そんな中で戦ってなきゃいけなかったなんて信じられないよ。すごいよね。僕には無理だと思う」と素直な感想を述べていた。慰霊碑では、やはりあまり意味を理解していなかったかもしれないけど、献花して手を合わせていた。超平和主義者だから、戦争映画観るのも嫌がるんだけど、そろそろ知っていた方が良い歴史は知っておかないとね。過ちを繰り返さないためにも。
12月21日、約2週間の飛鳥Ⅱでの船旅も終了して、ニューカレドニアのヌメアで下船。本当に沢山の方たちにお世話になり、海友はとっても良い経験と楽しい思い出を沢山頂きました。多くの経験をして、心なしか、一回り大きくなったように感じます。身も心も・・・・と言ったら、「体重は乗船前と変わってない」と反論されました。
明日は、ヌメアのダイビングサービス、ALIZEの益田君にお世話になってダイビングする予定です。あ、もちろん、2回目の講演も240人入るシアターが満席で、「面白かった」と皆さんにおっしゃって頂きました。「人気あったから、また次回もあるわね。またカイト君に会えるわね」と何人もの方から言われましたが、さてそれはどうかな〜。でも、次回があったとしたら、次は天の邪鬼のハヤトが乗船する気満々。
飛鳥Ⅱ出航から二日間、海が荒れて船酔い状態だったカイト。「ずっとメリーゴーランド乗ってるみたい」て言っていた。でも、1人でアトラクションも参加して、おじいちゃん、おばあちゃんのお友達もたくさんできたみたい。一緒に船内歩くと多くの人から、声かけられる。今日やっとプール使用が可能になった。いまだ、波のプールみたいだけど、大喜びでプール入るカイト
飛鳥Ⅱ船上での、第一回目の講演無事終了しました。満席で立ち見も出るくらいだったとか。ダイビングをしない方たちに、しかもシラフで講演するのは、久しぶりなのでどうなるかなと思いましたが、講演後に「面白かった」とか、「もっと聞きたかった」と何人かの方からおっしゃって頂けて少しほっとしました。次回は、ヌーメア入港前の20日に第2回目を行います。今日、話せなかったことも合わせて、新たにスライドを作り直します。海友は、マネージャー兼撮影担当として色々と指示をしてくれました。今日のスライド作ってるときも、「この変なウケ狙いはやめた方がいいんじゃない」とか言われたり。例えば、ミンククジラのリサーチャーとしてクルーズ船に乗船するミンキーガールことを説明するときも、「女性ばっかりだから、ミンキーガールと呼ばれている」の、他に、「しかも、可愛い女性が多い」と書いたら、「え〜そこはいらないよ」と指摘され、しぶしぶ外しました。若手マネージャー手厳しい・・・・・。
撮影:越智海友
2015年12月16日、飛鳥Ⅱ。プールサイドで赤道通過祭が開催され、海の王ネプチューンより、赤道通過の許可をもらうというクルーによる劇が行われた。
何故か結末は、顔にパイをぶつけられて、クルーのほとんどがプールに落とされるのだけど、そこに海友も参加、パイを顔にかけられて、プールに放り込まれた。劇が始まる前に「カイト君、参加してもらっていいですか?」とエンターテーメント担当のクルーに聞かれて、結構シャイだから「いやです」と答えるのかと思ったら、「じゃあ、着替えてきます!」とか言って、最初から飛び込む気満々。この辺の積極性は、自分が子供の頃と全然違うな。ということで、ハウステンボス行ったときに手にいれたマスカレードのマスク被り、パイレーツの帽子を被せてもらい、パイレーツっぽく、自前の赤いシャツ着て、飛び込まされる準備万端で劇に参加。
嬉しそうにプールに飛び込んでいた。そして、最後のクルーとの記念撮影でも、何故かクルーの一員として記念撮影に収まっていました。そのあと、レストランに行ったんだけど、「パイのせいか顔がツルツルする」と言っていた。それはパイのせいもあるかもしれないけど、太ったからじゃないの?もう少し運動しないとね。でも、お疲れ様でした。そして、12月17日、ラバウルに到着。
海友と一緒に飛鳥Ⅱ世界一周南極クルーズ乗船。講師として、ラバウル、ヌメアまで約2週間の船旅。海友は、サンケイエクスプレスのリポートも担当して、飛鳥乗船記を手伝ってもらう予定。まあ、学校でも、皆から「いいなー」と言われた時に、「でも、仕事だから」と言ってきたそうだから、働いてもらわないとね。海友は、10年前にも、飛鳥に乗船した。そのときは、ミナも一緒だったけど。当時は当然、最年少だったけど、今回も12歳で最年少らしい。早速ゲストの方から声かけられまくっていた。懐かしいクルーの皆さんもいて、嬉しい。残念なのは、同伴者一人だから、次男颯友とママはお留守番。次回は、颯友ね。行ってきます
出航!紙テープ回収する海友。
飛鳥2初日は、避難訓練や船内散策。部屋で衣類など、引き出しに入れたりするのも、カイトがしきる。「パパ、どこに何入れたかちゃんとわかるようにいれなよ、ママいないんだから」...「あ、はい」。部屋の鍵を無くし、「あれ、どこやったっけかなー」と探していたら「ジャケットの胸ポケットでしょ」とカイトが言うので、クローゼットのジャケットみたら、確かに胸ポケットに。「あ、本当だー」。「そろそろ避難訓練だよな、俺たちどこ行けばいいのかな〜...?」、「7階の三番だよ。部屋のカードキーに書いてあるでしょ」...「あ、なるほど〜」。食事中に、お手拭き使った後に、グチャグチャにしていたら、「もう少し綺麗にたたんどきなよ」、「あ、は〜い」。...どちらが親か、わからない。家だと母親いるから、立場は僕と一緒なのに。ということで、奴のためにも、ダメ親父を演じることにしようっと。飛鳥2講師紹介には、一色伸幸さんや、茂木健一郎さんなど、著名な方々が。
「ちゃんと講演しないとだね」とカイトに言ったら、「当たり前じゃん、お酒のんでしたらダメだからね」と言われ、「ううう、お前はマネージャーか」と言うような会話で初日は静かに盛り上がりました。
2015/12/8
晩御飯たべてたら、次男の颯友が、「なんかさ〜、クラスでやたら誕生日聞いてくる子(女の子)がいるんだよね。でも、「教えない」って言って教えなかったんだ」というから、「え〜なんで?」(それはもしかしたら、お前のこと好きで、誕生日にプレゼントとかくれようとしてるんじゃないのか?)と口に出して言いそうになったけどやめておいた。で、「なんで、それくらい教えてもいいんじゃないの?」と再度尋ねると、「いや、やっぱ個人情報あまり簡単に人に教えちゃまずいじゃん」。
・・・・「なんだそれ?小学3年生の分際で個人情報は教えたくないって」
「最近、回りの大人が個人情報、個人情報って色々言うから子供達の間でも、「個人情報」が流行ってるみたいだよ」と妻。
「いいじゃん、それくらいの個人情報〜。そっちの個人情報提供は、もしかしたら、いいことの方が多いかもしれないぞ」と再度息子に絡む父
「いや、でも、もう過ぎちゃったし」
どこまで女子に興味ないんだ、お前たちは。興味無い素振りしてるだけかもだけど。娘のいない父としては、ガールフレンドの話とか、そろそろしてもらいたいんだけど。なんなら家に連れてきてもらってもいいんだけど。
長男の海友が、「ただいま〜」と学校から帰ってきたすぐ後に妻が帰ってきた。そしたら、海友に「下でお母さんたちが、海友君挨拶ちゃんとしてて、かわいいわね〜って言ってたよ」と言いながら、海友にハグしていたら、海友が、「ちょ、ちょっとやめてよも〜」と軽く抵抗していた。さすがに小学6年生になると、少し恥ずかしくなってきたのかも。
「それに、最近ますますお父さんに似てきたとも言われてたよ〜」と妻
んんん?それは、つまり、俺も可愛いってことかな?
2015/12/9
旅の間、海友に読んで欲しいからと妻が用意した本は、ミヒャエル・エンデの「ネバーエンディングストーリー」、ウルグアイのムカヒ前大統領の「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」、それにマララ・ユスフザイさんの国連演説から考える石井光太さんの「ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか」。ただ、読むだけでなく、この本を読んで何を感じたかを、海友から聞くことが、旅でのぼくの役割の一つでもある。
想像力で満たされていれば、自分でどこまでも広げることができる空想の世界。「わたしは、自分を貧しいとは思っていない。いまあるもので満足しているだけなんだ」と語るムカヒさんの生き方。「学校へ行きたい」と言ったら、頭を銃で撃たれたマララさんの決意。
正直、あまり大きな期待はしていないけど、そんな話を読んで、海友はどんな思いを持ち、そして語ってくれるのかな。
サン・テグジュペリの「星の王子さま」は次男の颯友が大好きな本。図書館で何度も借りてきていた。兄の旅支度用にと本を買いに行ったら、「これ買って欲しい」と母に懇願して買ってもらったそうだ。
「次は、パパとぼくで二人旅だからね」と兄が小学校卒業だからと、二人旅の権利を兄に譲った颯友。いろいろな本を読んで、すでに一緒に行きたいところは決まっているみたいだから、いつか実現させてやりたいな。
僕は、また「アメリカインディアンの教え」でも、読み直そうかなと、本棚から、カバーのちょっと千切れてしまった、その本を引っ張り出した。
すでに、2ヶ月近くが経過してしまったけど、家族での石垣島旅行part3。竹富島を訪れたときの写真と、海友が石垣島でダイビングしたときの様子。
レンタルサイクルを借りて家族で島巡り。
竹富島といえば、牛車に乗って、石垣のある民家をのんびりと観光するイメージしかなかったんだけど、タイミングが良かったのか、ビーチに行くと潮が引いていて、広々とした砂州が出現していて、とても幻想的だった。
そして最後の観光は、MOSS DIVERSでダイビング。森くんファミリーも一緒で、子供たちが多かったので、生憎風が強くて、湾の外に出ないでダイビングも楽しめるポイントでスノーケルや釣り、ダイビングを楽しんだ。水中写真は、コンデジ借りて撮影。
おもちゃみたいな釣竿で釣りをしていた颯友。ダイビングしていて、これじゃあ釣れないだとうなと海中を見回して思っていたのだけど、ちゃんと釣れてびっくり。
夜には、森家に呼ばれてファミリーパーティー。
森くん、えりちゃん、クロちゃん、お世話になりました。天気はイマイチだったけど、久し振りに会えて楽しかったよ。また行ければいいけどね〜。
西表島から戻った翌日は、石垣島在住の友人、マサの案内で、石垣島北部観光。通常の観光では行けないような穴場ポイントに案内してもらった。
スタートは、シェアハウスとして利用しているマサの家から。隣の空き地には、ヤギのファミリーが。人懐っこいヨシオ君は、撮影のために距離を取ろうとしても、どんどん近寄ってきて、最後は体をペロペロ舐めだす始末。
かわいいのだけど、写真撮らせてよね〜。
そこから向かったのは、明石という場所の牧場?やパラグライダーのスタート地点の展望台。
牧場内には、馬が放牧されていて、海風が爽快な雰囲気。海岸近くには、ガジュマルの木が生い茂り、ちょっとしたパワースポット的な印象。
パラグライダーのスタート地点の展望台から海岸を眺めると黒い物体が・・・、どうやら牛の群れらしい。
気になったので、展望台を降りて、ビーチに向かう。
青い海をバックにビーチにたたずむ牛の群れはなんかシュール。
次に向かったのは、石垣島最北端。風強かったけど、絶景に感動。
最北端の絶景でも感動的だったのに、「野底マーペーはもっと、すごいよ」というマサの言葉に「これ以上なのか!」と期待しながら野底マーペーへ。
登山口からだと2時間かかるんだけど、途中まで車で行けるルートがあって、今回は息子たちもいるし、時間も無いので、そこから山頂へ。約20分はかなり急な山道を登るけど、山頂の眺望は本当に感動的だった。
市街に戻る途中で、ネイチャー石垣島ダイビングサービスに立ち寄り、10数年振りに島本剛君と再会。
最後に荒川の滝で涼んで観光終了
夕食は、マサの家(シェアハウスとして貸し出してもいる)で、たこ焼きならぬ、サイコロステーキ&ソーセージ焼き。食材は、5人分で計2000円とお手ごろな値段。
今までダイビング取材しかしていなかったから、今回の穴場スポット観光で、初めてじっくり石垣島の自然に触れることができた。妻もかなり石垣島が気に入り、「住みたいな〜」と何度も言っていた。
マサ、1日付き合ってくれて、どうもありがとう。本当に楽しかったよ〜
家族で石垣島と西表島に来ています。といっても西表島は一泊だけだったけど。
石垣島では、グランヴィリオというリゾートホテルに宿泊。到着したその日に、デイドリームパラオ時代から交流のある、森君ファミリーと森君が今年からスタートした石垣島のダイビングサービス、MOSS DIVERSのゲストの方たちと一緒にバーベキュー。
久しぶりに会った、ユウタ君と初めて会ったアヤノちゃん。二人ともかわいいな〜。特に女の子の欲しい自分としては、アヤノちゃんの可愛さは、たまらない。でも、だっこして泣かれる悲しくなるので、どうしても遠巻きに見てしまってた。少しづつでもいいから、ヒゲ&メガネに慣れて、最後にはだっこさせてもらえれば嬉しいな〜。
それにしても、なぜカイトはいっつも赤ちゃんや小さな子供にウケがいいんだろう。自分が知る限り、ほとんどの子供がすぐにカイトには懐く。この日もカイトがだっこするとアヤノちゃんは嬉しそうにしてた。
ハヤトはマイペースで、皆に背中を向けて花火。それを真似するユウタ君。
翌日は、ホテルでのんびりして、昼に石垣島の中心街で「Cloud Nine」というお店でマッサージ、そして散歩。このマッサージのお店も、森君の奥さんのエリちゃんに紹介してもらった。100分たっぷりマッサージしてもらった。
この近辺は絵になるお店が多くて、プラプラしながら、iphoneで撮影してみた。
夜は、森君ファミリーがピザを買ってホテルへ来てくれて、部屋で一緒に食事。
翌日はフェリーで西表島へ。
以前ロケで西表島を訪れたときに見学させてもらったことがあり、一度泊まってみたいな〜とは思っていた。今回は、旅の手配は全て妻が行っていて、西表は日帰りくらいで考えていたのだけど、facebookにサカナさんから「西表島にもおいでよ」とメッセージがあり、急遽お伺いすることに。たった1日なのは物足り無くて、特に妻は琉夏をかなり気に入ったみたいなので、またいつかのんびり遊びに来れればいいかな。
この日は、大見謝川でキャニオリングというアトラクションに参加。これも森くんの奥さんのエリちゃんに紹介してもらって、ブルーシーズンというお店のツアーに参加。ガイドをしてくれた海君という男性スタッフが好青年で、しかもカイト、ハヤトの馴れ馴れしい態度にも優しく対応してくれて、申し訳ないやら、ありがたいやら。
とにかく、キャニオリング、思っていた以上に楽しくて、ハマりました。小中学生くらいのお子さんのいる家族にはおすすめですね。
キャニオリングが終わった後は、 オーシャナ取材でお世話になっているうなりざきに挨拶に行きました。
翌日は、天気悪かったけど、SAKANAさんのところでダイビング。海友はファンダイビングで、颯友は体験ダイビング。
颯友はサカナさんが一緒についてくれたんだけど、海も荒れてて寒いのもあってか、2mくらいまで潜ると、耳抜きができないと言って浮上してしまうので、最後は、タンクつけてのスノーケリング。
海友は、サンゴの綺麗なポイントでのダイビングを満喫しました
さかなさん、ありがとうございました〜。
さかなさんが3本目潜ってる間は、ショップでフェリー待ち。GBRロケのときに取材の対応をしてくれたキリンちゃんに再開。
カイトとハヤトはショップにあるサンドバッグで遊んでました。
石垣に戻ってからは、夜、「SHIMALOHAS」というお店で、MOSS DIVERSの森君ファミリーたちとディナー。小さな子供たちがいても楽しめる、とてもアットホームで感じの良いお店でした。
今更ながら、2015年3月に行ったシンガポール旅行のことをアップします。
シンガポール3日目の昨日は、1日中USSでした〜。子供たちが楽しんでくれてるから、まあいいんだけど、仕事してるよりハードスケジュールです。遊んでるときに二人が喧嘩すると、「お前らのために、来てやってるのに、喧嘩するならもうホテルに帰るぞ!」というと、「とか言いながら、パパが一番楽しんでるくせに〜」と、企み笑で颯友に言われると、的を得過ぎていて、ひっぱたきたくなります。今日は、シンガポール在住の友人水中写真家と久しぶりに会い、颯友の友達家族とまた夜に会います。
シンガポール4日目、まずは友人で、シンガポール人水中写真家のWilliam Tan と久しぶりの再会。彼とは、パースのアシカスイム取材も一緒に行ったことがあります。もう15年以上前の話だけどね。いつも優しくて温厚な性格で、オーケストラのバイオリニストでもあります。彼の撮影する水中写真も大好き。今年の6月、小笠原に潜りに来るそうです。日本にいればまた日本で会えたんだけど、いれないのが残念。
シンガポール4日目、最終日の最後は、結局子供たちが大集合。大騒ぎ&大はしゃぎで終了。お互いシンガポール在住の尾石ファミリーと日記ちゃん(高橋)ファミリーを引き合わせることに。これからも交流を続けてくれればいいな。自分にとっては、楽しい&ハードな(笑)最終日でした。夏には、全員の子供を越智家で預かる計画も?まあ、いいけど自分はロケでいないからね。明日帰国します。
シンガポールに到着。空港からタクシーでセントーサ島へ。運転手さんは、75歳のおじいさん。「シンガポールでは50歳、いや40歳でも仕事を見つけるのは大変なんだよ」。と言いながら、長渕剛や中島みゆき、サザンオールスターズのCDを流してくれた。おじいさん運転手さんの話を聞いていたら、「黒い車のタクシーとベンツのタクシーは通常料金の50%増しだから、気をつけてね」とか、まだチャイニーズニューイヤーのイベントやってるのを教えてくれたり、「おいしいシーフードはこことこと」とか「セントーサ島ではタクシー捕まえるなら、カジノの下が捕まえられるよ」とか、「動物園行くなら、ナイトサファリも見たいだろうから、夕方行って、食事してそのままナイトサファリに行った方がいいよ。空港行くより遠いから」とか、とにかく色々アドバイスしてくれた。チェックインしたホテルのレセプションの女性スタッフもすごく感じが良くて、シンガポール到着初日の夜は、と〜っても幸せな気持ちで休むことができそうです。やっぱり、「おもてなし」って大切ですよね。
初日」は、シンガポールに引っ越しした、颯友の幼稚園時代の友達家族と一緒に、セントーサ島のアドベンチャーコーブへ。覚悟はしていたけど、朝開園前にゲートに集合して、閉園時間まで8時間、プールで遊びまわりました。子供たちについて、走り回ったので、足が筋肉痛?なので、あんまり写真撮れなかった(涙)。颯友の幼稚園時代のママ友、パパ友はとても仲良かったので、親同士も当時の話で盛り上がってました。
<海友が顔赤いのは、酔ってるのではなくて、遊びまわって日に焼けたからです>
<開園と同時に波のプールへ、しばらくは、子供たち4人で貸切状態で遊んでた>
<チャイニーズニューイヤーの飾り付けなのかな?セントーサ島にて。それにしても、うちの子、二人とも内股だな〜・・・>
シンガポール2日目の今日は、オーシャナの前身のweb-lueでモデルをしてくれたり、世界不思議発見でミステリーハンターをしていた日記ちゃんファミリーとマレーシアのレゴランドへ。ご主人の学さんの仕事の関係で5年前からシンガポール在住の日記ちゃんファミリー、その間に3人年子で出産。日記ちゃんらしく、3歳になったばかりの長男の名前は「それから」君、1歳の長女は「てのひら」ちゃん、生後3ヶ月の次女は「かいがら」ちゃんという「ら」揃えの一度聞いたら忘れない名前。それから君はすごく海友になついて、ずっと「かいと〜、かいと〜」と言って手をつないで歩いたり、ご飯食べるときも、隣に座ったり。それにしても何故海友は、小さい子に毎回こんなに好かれるんだろう?昨日もそうだったけど、なんか子供に好かれるオーラかフェロモンでも出してるのかな?妻のミナは「今日はバーバに徹するよ」とかいがらちゃんの面倒を見まくっていました。颯友は・・・・相変わらずマイペースに好きなことやっていたけど、皆が手離せなくてかいがらちゃんが泣き出したときには、ベビーカーを押して泣き止まそうとしていたのに感心。日記ちゃん、久しぶりだったけど、3人の子育てにも負けず、相変わらず元気で明るかったな。学さんもよく子供の世話頑張ってました。お疲れ様でした。
<高橋(日記ちゃん)ファミリーと一緒にマレーシアのレゴランドへ。すでに、それから君は、海友と手をつないでて嬉しそう>
<「バーバに徹する」と、妻はかいがらちゃんを日記ちゃんから預かって、日記ちゃんファミリーが4人でプールに行ってる間に抱っこして幸せそうでした。かいがらちゃん、かわいたっかな〜>
<日記ちゃんファミリー3人と海友が電車に乗ってる間、眠っちゃったかいがらちゃんと、眠そうにしてるてのひらちゃんの乗ったベビーカーを預かるミナ>
<日記ちゃん(高橋)ファミリーと一緒にレゴランドの列車に乗る海友。>
<皆で色々乗ったりしてる間も、一人マイペースに遊ぶ颯友。でも、かいがらちゃんが泣き出して誰も相手できない状態のときには、しっかりベビーカーを動かして泣き止まそうとしてたり、てのひらちゃんがぐずってるときには、お菓子あげたりしてくれてた>
マレーシアのレゴランドに一緒に行った日記ちゃんが、ブログにその日のことをアップしてくれました。写真は、2007 年3月、ヤップで海友と遊ぶ日記ちゃん。
それと、今回行ったレゴランド
親子でパースアシカスイム2日目。今日は暖かく、アシカも昨日と同じくらいの頭数いたので、期待したんだけど子供のアシカがいなくて、皆おっさんアシカ。そのせいか、遊びモードにならず、たま〜に海に入ってきても、「既読スルー」的に泳ぎ去っていく。それでも、この日は、一度海に入って慣れたのか、海友も颯友も、積極的にアシカたちにアプローチ。既読スルーするアシカを必死に追いかける。「お!二人とも泳ぐの平気じゃん」って思って感心して見てるのに、アシカが泳ぎ去った途端「パパ〜、船もどろ〜」と二人してしがみついてくる。カメラ持ってるし、ウエイトつけてて重たいし、二人にしがみつかれたら沈みそにうになる。なんで、アシカ追ってるみたいに普通に泳いで船まで帰ってくれないかな。昨日はほとんど海に入らなかった妻もこの日は遊びモードの子アシカが出たときには、積極的に泳ぐ。妻と海友とアシカが仲良く泳ぐシーンを撮影。そうそう、今日は、子マンタくらいある巨大なエイも浅瀬に姿を見せた。
<今日は、ビビらずにアシカに積極的にアプローチしていた颯友>
親子でアシカスイム3日目。僕らのアシカスイムは最終日。
<母子3人とアシカ。水中で3人一緒にアシカと撮影するのは結構大変>
明日はせっかく西オーストラリアに来たので、ピナクルズへ行く予定。べた凪でアシカの数も15頭ほど。息子たちも3日目で相当アシカに慣れたみたいだし、最終日でもあったので、積極的にアシカたちにアプローチ。昨日まではアシカが顔を近づけてくると逃げ腰だった二人。でも、今日は覗き込んで来るアシカをこっちから覗き返す心の余裕が。
っていうか思っている以上に自分たちから接近するので、さすがに「おい、もう少し離れとけ」とちょっと心配になるくらい。あまりにボートが楽しそうなので、様子を見にくるアシカも。
<賑やかなボートと巨大マットに興味を持って様子を見に来たアシカ>
沢山泳げて大満足の1日だった。ということで、息子たちも満足しただろうと、「明日はどこ行こうかな〜」と二人に言うと、「え、ピナクルズ行くくらいなら、その辺の公園で遊んでたい」とか言うし、「じゃあ、コアラ観に行く?」と聞くと「いい、だってコアラあんまり可愛く無いって、いってQで言ってたし、コアラなかカンガルーの方がいいし、でも、明日どんな動物と会いたいかって言われたら、アシカがいい!」・・・・「え〜、別のことしようよ」。「いや、アシカと泳ぎたい!」・・・・・。ということで、明日、どうするか、家族会議を開くことに。夜は自分たちが最終日ということもあり、サンセットディナークルーズを開催してくれた・・・・のに。クルーともハグして「また来年!」って別れの挨拶したのに・・・・。
<アシカスイムの後は、サンセットディナークルーズ。パースの夜景をバックに集合写真。楽しい1日でした>
結局、4日目もアシカ。アシカと家族の写真を撮影したり、カメラを持って、泳ぎ終わった息子たちの手を引いたり、背中に乗せたりしてボートに戻るハードな4日間を過ごし、体はぼろぼろ。「辛い」と愚痴ったら、船に戻る水面で海友が背中をひじでマッサージしてくれた。痛気持ち良いのだけど、そのまま沈んんでしまうんですけど。でコンドミニアムで寝る前に二人して、全身マッサージしてくれてるのだけど、嬉しいんだけど、二人ともフルチンで背中にのっかるのだけはやめてほしい 。
<最初はビビり気味ながらも、アシカとの初スイムを体験した二人。海友はアシカの写真も上手に撮影していた>
オーストラリアのパースに向かうため、朝、車に乗って、家族で空港へ。しかし、空港に到着してすぐに、自分だけパスポート忘れてることに気づく。テレビロケのために、パスポートコピーが必要と言われて、昨晩コピー機に入れたままだったのを思い出す。車を預けるパーキングの方に事情を説明し、妻と息子たちの荷物と、チケット、ホテルのバウチャーを渡し、間に合うかわからないけど一人、自分の荷物だけ車に残し、家にパスポートを取りに戻る。フライトの出発時間は11時50分。チェックイン時間には間に合わないと思いながら、帰宅すると、妻からLINEでメッセージが。
10:05 mina* TG677夕方の17:30の便で行けるように変更してもらうね。
10:07 mina* タイで乗り継ぎ時間いっぱいだから、タイからパースの便は私達と同じのに乗れるよ。
10:09 mina* 運転、急がずに気をつけてね!クラウンパーキングの人にも電話しておくよ。
10:16 mina* 心配だから家に着いたら電話してね。
10:35 mina* 座席は通路側予約してくれたよ。
10:37 mina* TG677 17:30→22:30
ということで、経由地のタイのバンコクで家族と合流することになりました。
家から電話したら、「きっと、私が忘れてたら、パパ、すごく怒ってるよね」と言われた。まあ、そうだったかもしれない。
で、自分は今何してるかというと、出発時刻まで余裕があるので、家で少しのんびりしていて、たまに、妻のLINEを使って、長男の海友がスタンプ送ってくるのに、対抗したりしています。
一人だったら、こうはいきませんでしたね。家族一緒だから対応できたトラブルでした。(2015年2月21日)
<慣れてきて、自分からアシカにアプローチするようになった海友>
西オーストラリアのパースにて、昨日初アシカスイムを体験した二人。「どうだった?」と尋ねたら、「最初近すぎてビビった。それにちょっと寒い」と次男、颯友。早々にボートに戻り、休憩。長男海友は、その後も一緒に泳ぐが、やはり最初は「こっちガン見してるし、近くまで来るから噛まれそうかもって思った」と初遭遇は二人ともビビり気味。でも、皆が平気で泳いでるのを見て、自分から潜ってアプローチするようになりました。気温が上昇して暑くなってからは、大きなマットの上ではしゃぎまくる二人(プラス自分)。
<海に浮かべた大きなマットの上ではしゃぎながら、アシカが接近するのを待つ2人(3人?)>
午後から再度アシカにアプローチするも、居眠りモードで遊んでくれず、港に戻る。颯友も居眠りモードなんだけど、何故そこで寝てる?お前は巻き寿司のはみ出した具か〜!二人とも、今日はもっと積極的に行くかな?(2015年2月24日)
ヌーヌー作りの他にも、ワチュラブ村ではこんな事もしました。
潮が満ちて、海に行けるよういなるまでは、ヤシの木に作ったターザンブランコで遊んだり
ヤップの酋長に頼んで、パチンコを作ってもらいました。
まずは、その辺にある木から、パチンコに適した枝分かれした木を切ってきて、樹皮をはいぎ、ナイフで形を整えます。
弾を込める部分は、パサンちゃんが、自分の革靴を提供してくれて、ゴムの部分は、町に出かけたときに、買ってきたものを使いました。
完成したら、ビーチにターゲットを設置して、
皆で、ターゲットを狙う練習。
上手く当てられたかな?ヤップの人は、これで、実際にフルーツバットや野生化した鶏を仕留めたりするんですよ。自分も持ってるけど、なかなか当たりません。
りょう君、そう君のお父さん、お母さんは、余った木の枝で箸を作ってましたよ。
颯友は、ヤップに来る前からやりたかった、実験を行いました。海水を濾過して、真水を作る実験。
まずは火を起こしてもらい
大きな鍋の中に海水を汲んできて、その真ん中に、空き缶を入れます。ちょっと長かったので、缶は半分に切り、軽くて浮いてしまうので、缶の中には、拾ってきた石を入れて固定しました。
アルミホイルをフタフタの下に敷いて、真ん中に石を乗せて、凹みを作ります。そして、フタをして、鍋を慎重に焚き火の上に敷いた網の上にのっけます。
あとは、沸騰した水から出た蒸気がアルミホイルを伝って、冷やされて、真ん中に置いた缶の中に溜まればオッケー・・・・
のはずが、火が消えかけたりして、網を何度も動かして、火が消えないようにしたりしたので、中の缶がずれてしまったようです。
まあ、それでも、少しは溜まっていたけど。石を洗っていなかったからか、溜まっていた水はちょっと茶色っぽくて、飲む気にはならなかったみたい。
トラックの荷台に乗って、町にも出かけました。
日差しが強いので、バナナの葉っぱで、日陰を確保して、出発!
がたがた道では、スピードが遅くて、暑さにばて気味な子供たちも
舗装道路に出て、スピードが出ると、風が気持ちよくて、爽快!
風を受けて、幸せそうなOちゃんの笑顔。
町では、誰もまったく写真撮りませんでした。
皆が海賊船のレストランで食事してる間、僕と大ちゃんとパサンちゃん、チョメは、大きな木の上に巨人が巨岩を乗っけたと言われる伝説の岩を探しにジャングルへ。
しかし、2時間探しても見つからず、しかもジャングルで道に迷っていました。
後半からは、小学1年生と1歳の男の子と女の子が合流。親も合わせて総勢17名に。
それでも、朝は、当然のように宿題から始まる。
皆、遊びたくて、宿題終わらすのは相当苦労していたみたいだけど。
小学1年生のOちゃん。2010年には、海友、颯友と一緒にヤップに来ていた。そのときのかわいらしい印象が強く残っていた海友にとって、小学1年生になり、スーパー悪ガキ2年生の颯友とそう君に負けず劣らずのマイペースぶりに、「なんか、Oちゃん、性格変わった・・・」と一言。
これに加えて、当然の事ながら、さらにマイペースな1歳児のOちゃんの妹のことはちゃんと、同じく1歳なんだけど、やたら貫禄のあるはるたかさん(貫禄があるので、自分は1歳だけど、さん付けで呼んでました)というメンバー。
Oちゃんのお母さんは、小学生になったOちゃんが、楽しんでくれればと思って連れてきていて、ことはちゃんは今回おまけみたいに思っていたらしいのだけど、思いのほかことはちゃんが楽しんでいたのを見て感動していました。1歳だろうと、自然の中で、何にも気にする事無く、自由に動けるのは気持ちよいものなんだよね〜。
ということで、皆でできる事をって事で、ヌーヌー(花輪)作りをすることに。まあ、一番真剣になっていたのは、ここでもお母さんたちだけど。
続く
リゾートは、バリヤフリーでもなんでもありません。部屋は高床式。なので、りょう君が車いすを下りずに昇り下りできるように、ヤップ人スタッフのチョメが木を組み合わせて即席のスロープを作ってくれました。
大人たちで、完成したスロープを運びます。マホガニーで作ってるから結構重い
階段部分に設置。これで、車いすを下りなくても、大丈夫になりました。
洋服のまま海に入ることもしばしば。びしょ濡れになると、颯友は、素っ裸になって、部屋に着替えを取りに戻ります。
最初は裸になることを少し、恥ずかしがっていたそう君。颯友のあまりの脱ぎっぷりと、素っ裸で気持ち良さそうに走り回っているのを見て、徐々に脱ぎたい衝動にかられていったようです。
夜、停電になったときには、懐中電灯とカメラを使って、光の絵を作って、それが何を描いているのかを当てるゲームをして盛り上がりました。
あんまり上手にはできなかったけど、皆楽しくてしょうがなかったみたい。何度もチャレンジしていました。
隣村を訪れて、ストーンマネーバンクや伝統的な、メンズハウス見学。
大ちゃんの奥さんのナミちゃんが、世界ふしぎ発見のミステリーハンターみたいにクイズを出してくれました。実際、ナミちゃんは、ミステリーハンターだったんだけどね。
問題の出し方が上手いのか、皆一生懸命、クイズに答えていました。
見学の後には、パサンちゃんが作ってくれたローカルフードのランチ。ココナッツジュース、タロイモ、パンの実、陸ガニ、魚のスープ、などなど。
苦手な子もいたけど、どれも美味しかった〜。りょう君は全部美味しい!と言って、おかわりまでしていたよ。
どこかから戻ると、子どもたちはすぐに海へ
ターザンロープで遊んだり
伝統的カヌーに乗らせてもらったり
毎日自然の中で色々な経験をさせてもらいました。
続く
ヤップに来たのだから、当然皆が行きたいのが海。
早速、海にも出かけることにしました。でも、他のリゾートとちょっと違うのは、海に行くのに子どもたちが乗船したのは、手作りの筏。
子どもたちだけでオールで漕いでいたら、スノーケルポイントに着くまでに、かなりの時間がかかってしまって、到着するまでに疲れてしまうので、ボートにロープで括り付けての移動だけど。
それでも、子どもたちは大喜び。スノーケルポイントに到着したら、早速皆で海に飛び込んでスノーケルを楽しみました。
りょう君はヤップ人のパサンちゃんに連れられて浅瀬をお散歩。
奇麗な貝を拾ってもらって大喜び。りょう君、本当に楽しかったみたいで、この後リゾートに戻ってからも、暗くなるまでビーチの浅い海で泳ぎ続けていました。
ヤップ人のチョメが、大きなヒトデやシャコ貝を沢山拾ってきてくれました。シャコ貝は、リゾートに戻ってから、刺身で食べたけど、美味しかった〜。
そして、一度筏を戻して次に向かったのは、マンタの出るダイビングポイント。
スノーケルポイントよりは、当然深くて底が見えない場所もあります。
それでも気にせず、スノーケルする子どもたち。でも颯友は、スノーケルが「うざい」と言って、フィンもスノーケルも付けづに、マスクだけ。
Jr オープンウォーターライセンスを持っている海友は、僕と一緒に、マンタポイントにマンタを探しにダイビング。もう慣れたものです。
りょう君は、ガイドの大ちゃんにフォローされて、体験ダイビングにトライ。
耳抜きが大変だったみたいだけど、初めての経験ができて、本当に嬉しそうでした。
帰りには、下の子たち(颯友とそう君)がボートの操船をちょっとだけやらせてもらったり。
別の日には、ボートで釣りも楽しんだり
りょう君は大きなカスミアジを釣り上げました
もり突きもトライしたけど、なかなか難しくて、結局子どもたちは誰も一匹もつれなかったけど、良い体験になったと思います。
続く
ヤップでは、テレビを見ることも、ゲームをする事も無く、毎日外で遊びまくっていた子どもたち。
しかし、学校を休んで来ていたので、朝はまずは宿題をすることから毎日がスタート。日の出とともに、ベランダで宿題をしました。
日差しが強いときには、部屋のベッドで二人仲良く宿題をしていた颯友とそう君・・・・。と思ったら、いつのまにかプロレスごっこです。当然、親に叱られます。
朝食を終えると、ストーンパス(ヤップに古くからある村と村をつなぐ石畳の小道)見学へ。
途中で、巨大なガジュマルの木を見学。沖縄では、キジムナーという妖精が住んでいると言われるガジュマルの木。根が無数に張り出した、ガジュマルの木の姿、ジャングルで見ると本当に妖精の住処のようです。
木登りの練習もしてみた。ヤシの木には、ナタでステップを作ってもらいそこに足をかけて登ります。ビートルナッツの木の場合は、ビートルナッツの枯れた葉を結んで輪っかを作り、それを足にかけて、ビートルナッツの幹をしっかり固定してよじ登る。ヤップ人はするすると登っていくのだけど、正直僕らはまったく登ることができなませんでした。
ジャングルを歩き回って喉が渇いたので、取れ立てのヤシの実のジュースを飲ませてもらいました。
魚を突くもりを作成。ヤシの実をターゲットに練習。ヤシの実にはしっかり刺さっていたけど、本番では、上手くいくかな〜。
そして、ヤシの葉っぱで作るバスケット作りにもチャレンジ。このバスケットは、隣村に行くときに、「戦う気はありませんよ」という平和の印でもあるので、隣村に行くときには、必ず持っていかなければいけません。
続く
2014年10月14日
ヤップに持って行くので、颯友が公民館に忘れたらしき水筒を、朝から取りに行かせた。妻と兄は、病院に行ってしまって、いない。「颯友、水筒探して来いよ!ヤップに持って行くんだろ?」。「あ!そうだった」。「じゃあ、早く行って来い」。「・・・・・パパ、一緒に来て」。「なんで?」。「だって、エレベーター怖いんだもん」。「な〜に〜?朝で明るいんだから、何も出ないよ」。「違うよ、出るとか、出ないとかじゃなくて・・・、なんか、機械じゃん」。「え?機械だけど、それがどうしたんだよ」。「だって、落ちそうじゃん、お願い!だから一緒に来て!」。「はぁ?」
何故か色々なサバイバル本を持って、ヤップに乗り込む二人
今回は、小学校のクラスメートも一緒に現地に入る。2年生の颯友と、同じクラスのそう君。
5年生の海友と、同じクラスのりょう君。
ヤップで遊びまくりたくて、行きの機内で宿題を終わらそうとする、颯友とそう君。
しかし、当然の事ながら、ほとんど宿題は終わらず、二人でくっついて早々に眠りにつく。
グアムで機体トラブルが発生。夜9時頃にグアムに到着して、1時間ちょっとのトランジットで、ヤップに夜中に到着の予定が、朝8時まで飛行機が飛ばず。しかも、徐々に出発時刻が延期していくので、ホテルにも行けず。
飛行機の中から大量にブランケットを持ち出して、グアム空港内のベンチをくっつけて、ベッドを作り、子どもたちはそこで眠る・・・はずが、合宿状態で大はしゃぎ。結局ほとんど眠らずに過ごす。
遅延してラッキーだったのは、普段は夜中のフライトしか無くて、ヤップを空からまともに見たことが無かったんだけど、今回は、日中のフライトになり、ヤップ島を空から眺めることができたこと。
ハード型の島も見れました。
空港に降り立ち、早速子どもたちの記念写真。しかし、まったくまとまり無し。
海友が逆側から撮った、僕ら両親の写真。親ばか振りが伺えます。撮影は一人でいいんじゃね、的な写真。
ワチュラブ村のリゾートまでは、車で40分くらい。早速、荷物を乗せるトラックの荷台に「のりた〜い!」ということで、子ども4人と僕が荷台に乗る事に・・・。頼むから、暴れるなよ・・・。ドライバーは、ヤップの酋長。
舗装道路では、結構スピード出して移動。
未舗装道路になり、スピードがゆっくりになると、皆前が気になり身を乗り出し始める。「お〜い、危ないからあまり身を乗り出すなよ」と言っても、聞くわけもなく。
最後は、ジャングルを通って、ワチュラブ村へ到着!
台風が通過したので、多分ヤップ行って来ます。久しぶりだな〜。また思いっきり好きな事して遊びまくるんだろうな。久しぶりに、ヤップに子どもたちが集まります。でも、今度は、海友が最年長。大丈夫かな?
YAP RIZE KIDSは、年齢の違う子どもたちが集まって、色々な体験をした事を記事にまとめています。
https://oceana.ne.jp/wordpress/wp-content/uploads/wm_pdf/201010_yap_kids.pdf
2014年9月26日
トンガ王国、ババウ諸島でのホエールスイム継続中テレビロケも終わり、Week7のゲストとスイム中。そして、明日は長男海友の誕生日。一緒にはいれないんだけど、誕生日のお祝いのちょっと長い手紙を妻に送っていて、明日、手渡してもらうことになっている。いつも、周りの人から、「優しい」と言われる海友。この前、家庭科のテストで、100点満点を取ったと妻からメッセージが届いた。「でさ、最後の問題にこんなのがあったんだよ〜」と。「あなたの家で、整理・整とんが必要なところはどこですか?また、その理由を書きましょう」という最後の質問に、海友が書いた答えは「場所」=おとうさんのへや。「理由」=色んな機材が落ちているから。だった。で、先生からの採点は、「丸」だった。・・・わかったよ、帰国したら、掃除すればいいんでしょ。
2014年10月1日
トンガから帰国。早速息子たちと会話。「海友、水泳とか、テニスどう?」って聞いたら、「うん、テニスは楽しいよ。水泳は、4種で1種50mのタイムだから、大変なんだよ〜」。「そうか〜・・・・、で、学校は?」「うん、楽しいよ」
「颯友は?学校は」「何?」「何?じゃなくて、学校はどう?楽しい?」「おらね、2年で多分今一番けんか強いよ」「え?けんかが強い?それは、口げんかか何か?」「口もだけど、全体的に、けんか負けないよ。泣いた事ないもん」「へ〜、家では良く泣いてない?」「でも学校では泣いた事ないんだよ」「けんかって、いじめとかじゃなくて?」「いじめじゃないよ、弱い奴とは戦わないもん。今のところ、ちょっと大変なのは、□□と、▲▲、それに●●くらいかな」「へ〜、お前弱くないの?」「弱くないよ。●●なんかさ、かかって来いって言ったら6人で来たこともあるんだよ。ずるいでしょ。1対6だよ」「それじゃあ、負けたろ」「負けて無いよ、ちょっと泣きそうになったけど、引き分けだったよ」「え?6人に対して、一人だったのに、引き分け?」「うん!すごいでしょ」「そりゃすごいわ」「まあね」と言う会話した直後に、兄にやられて泣いていた。颯友、これは本当の話なのか?
2014年10月2日
トンガから帰って来る前の日の息子たちのやり取りを妻から聞いた。「パパ明日帰って来るんだって」「え〜、まずいな、お菓子食べられちゃうから、隠すか、食べちゃった方がいいよ」「特にアイスはあっと言う間に無くなるからね〜」・・・・、あ〜、そうかい、それならお前らの期待に答えて食ってやるよ。
2014年10月3日
今日、久しぶりに日本に帰国した報告も兼ねて、父と電話で話していて、途中で海友と交代したのだけど、今までは「うん」とか「そう」、「ちがうよ」って口調で祖父と話していたと思っていたのに、今回は横で聞いていたら、「お久しぶりです」とか、「はい、そうです」とか、「いえ、違います」、「元気です」とかバリバリ敬語使っていて驚いた。父も、「いつの間にか中学生みたいにしっかりしたしゃべり方になってたな。きっと、お前がいないから、自分がしっかりしなきゃと思ってるんだろうな」と感心していた。
そして、夜、妻の体調が悪くて自分が息子たちに夕食を作ったのだけど、海友は、「うん、美味しいよ」と全部食べてくれて、おかわりまでしてくれて、おまけに、次男の颯友が、「辛くて食べれない〜」と残してるのを見て、「パパが作ってくれたんだから、残さず食べな。もし、どうしても食べれなくなっても、あと一口ずつ食べなよ」とさとして、気がついたら颯友も全部食べてくれていた。
「食器洗いは、二人でするからいいよ。パパまだ疲れてるでしょ」って言って、二人で交代で洗ってくれた。
こんな優しい二人なのに、期待に答えてアイスを全部食べてしまって、ごめんなさい。
2014年10月6日
台風で外に出れなくて、長男の海友と二男の颯友が、家でおもちゃのヌンチャクの取り合いで喧嘩。結局兄には勝てず、泣きながら寝室へ駆け込んでドアを締めた颯友。しばらくして妻が様子を見に行くと、颯友が、「どうせオラなんか、どうせオラなんか、まだまだケツが青いんだよ〜!」と叫びながら突っ伏していたと聞かされる。お前、本当に泣いているのか?
「ケツが青い話」関連。ちなみに、颯友、こんなに武器持ってるのだから、ヌンチャクくらいは兄に持たしといても良いのではないか・・・・、と思うのが父としての見解でした。まあ、だからって、目の前で喧嘩してたからって、「やめなさい」とか「仲良くしなさい」とかも言わなかったけど。言わなかったって言うか、呆れて何も言う気にならなかっただけだけど。・・・・・体力持て余してるなら、もう晴れたから外に遊びに行きなさいよ。父を室内でのかくれんぼにつき合わせるな!それにしても、何であんな所に隠れられるんだ?あ、ちなみに学校は休校でした。
2014年10月9日
夏休み、山賊キャンプなるものに参加した、カイトとハヤト。そこで、ハヤトが興味持ったのが、火おこし。だって自分で火おこせるなんて、かっこ良く無い!それに、何かあった時に、火おこして、ママに、何か作ってあげれるしね。奴の思考は、常に、非常時。
2014年10月12日
14日から家族でヤップに行く予定だけど、台風微妙・・・。今日水筒を持って外に遊びに行った海友と颯友。颯友が先に戻ってきんだけど、水筒を忘れて帰ってきた。「買ったばっかりなのに!ヤップにも持って行くんだから、持って帰ってきなさい!」っと母に叱られ、取りに行くのかと思ったら、泣き叫んで拒絶。なんでかと思ったら、暗くなってから一人でエレベーターに乗るのが怖いらしい。まじか!と言うことで、自分が一緒に探しに行かなきゃいけなくなりそうだったんだけど、丁度タイミング良く兄の海友が戻って来たので、と〜ても優しい声で、「海友〜颯友につき合って、水筒探しに行ってくれない」と頼む。兄は、「しょうがないな、いいよ」と言って、「ほら、颯友、行くぞ!」と言って出ていった。後ろから絶叫しながら、兄に着いて行く弟は、どや顔で「おら、学年で一番喧嘩が強いよ」と言っていた自信の微塵も感じられない。
ずっと髪の毛を切ることを拒み続ける次男、颯友。髪長いから、たまに後ろからだと女の子に間違えられるらしい。そろそろ髪の毛結べそう・・・。小学2年生の割には、見た目大人っぽくなってきた。でも、食べてるのはたまごぼーろ。
妻と義母と息子たちで富士サファリパークにでかけたときの写真を送ってもらった。その日の事を次男の颯友が絵日記にした。颯友が一番興味を持ったのが、ラクダと黒豹だったみたいで、絵日記には、ラクダと黒豹の事が書いてある。「らくだのこぶには、脈が入っていて、大切な脈です」って、颯友らしい感想。「くろひょうは、ひとなつっこくて、すごく迫力がありました。すごくドキドキしました」。なるほど、黒豹が気に入ったんだな〜・・・・・、ん?「ままとおばあちゃんといっしょに、らくだやくろひょうをみました」・・・・、おいおい、兄の事を書き忘れてないか。と思って、妻に「カイトが書いてないじゃん」と連絡したら、「そうなのよ!ハヤトも書いてる途中で「カイトの名前忘れた!どうしよ!」って言ったんだけど、カイトが「消しゴムで消すとぐちゃぐちゃになるからいいよ〜」って。いつも、弟が余計なちょっかい出して、我慢してるのに。
レストランで、ブッフェの夕食を食べ終えて、デザートを食べているときに、「海友〜、お前はちゃんとしてれば、かっこいいんだよ」と言うと、「え、全然かっこ良くないよ。そんなこと言われたこと無いもん」と答える海友。
「他の人から見たらどうだかわからないけど、パパやママから見れば、すごくかっこいいんだからな」と言うと、ちょっとはにかんで嬉しそうにしたけど、すぐに「デザートまた取って来る」と言って、席を立っていなくなってしまった。
次に、颯友にも「お前もパパとママから見たら、すごくかっこいいんだからな」と言うと、「パパ見て」と言うので、「何?」と尋ねると、
「りす」と言うなり、しゃかしゃかしゃかしゃか・・・・とデザートのクッキーを両手でかかえて激しく食べはじめた。相変わらず、こいつのリアクションの意味がわからない。
またデザートを取って戻ってきた海友に、「海友にとって、かっこいい人ってどんな人の事?」と尋ねると、最初は「え〜分からない」って答えてたけど、「分からないって答えが一番ダメなんだよ、何でも良いから思った事言ってみな」と再度尋ねると、
海友「えっと、顔が、かっこいい、しっかりしてる、仕事を一生懸命してる、人に優しくできる・・・かな〜」
父「なるほど〜、で海友がなりたいかっこいい人は、どんな人なの?」と尋ねると、
海友「人に優しくできる、かっこいい人」と答えた。
父「いいじゃん、皆に優しくできる人はすごくかっこいいよ。海友は、学校でも、4年のときの担任の先生が、海友君は誰とでも、仲良くできて、海友君の周りはいっつも笑顔が溢れていますって言ってたって聞いたよ」
海友「え?何でパパが知ってるの?全然家にいないのに」
父「ママから聞いたんだよ。4年の先生だけじゃなくて、3年の時も、2年の時も、先生がそんな風に言ってくれてたって」と言うと、海友は満面の笑みを見せて、目を輝かせた。
次に、颯友にも「で、お前のかっこいい人ってどんな人?」と尋ねてみた。
颯友「えっとね〜、面白くて、やんちゃで、てきと〜・・・・、あと逃げ足が早い」
父、「おまえやん」
長男の海友が、Jrオープンウォーターを取得したタイでのダイビング以来、久しぶりのダイビング。お願いしたのは、かなり昔に取材や、まだ結婚間もない頃に夫婦でダイビングするときにお世話になった、ブリーズハワイ。
超久しぶりに、当時お世話になったガイドのヒデキさんに連絡を取って、Jrオープンウォーターでも潜れるポイントに連れて行ってもらうことになった。ガイドしてくれたのは、ヒデキさんの奥さんのリツコさん。お二人も同じ年頃の子どもたちがいるということで、海友の態度の悪さや、落ち着きの無さとか、口の悪さなんかにも、とても上手に対応してくれていた。ハワイだから、きっとこういう子連れダイバーも多いんだろうな。
アラモアナビーチパークの西にあるマリーナからダイビングボートに乗船して、10分程でポイントへ。
目の前には、ワイキキのビーチが。
1本目に潜ったのは、タートルキャニオンというポイント。ジャイアントストライドでエントリー。
これは躊躇することは無かったけど、潜降するまでに、ちょっと風邪気味だったのもあり、なかなか耳が抜けなかった様子。最初はちょっと緊張していた様子だった海友を、海中でも上手くエスコートしてくれて、無事、水深10mくらいの海底へ。
そして、アオウミガメの沢山いる小さなリーフへ。
ここでフィーディングして集まってきたソロイモンガラにちょっとビビる。イルカやジンベエザメなら大丈夫なのに・・・、何なんだお前。
リツコさんが、餌あげてみる?みたいに、パンを差し出すのだけど、「いい、いい、遠慮します」のポーズ。
順調に潜れてるかなと思ったけど、コース半ばで「浮上したい」の合図。20分ほどでボートに浮上。どうしたのかと思ったら、「ちょっと頭が痛くなった」とか。
これは2本目は無理かな〜と思ったのだけど、一度港に戻って、休憩してから向かったノーチラスというポイント。「サメ(ホワイトチップシャーク)がいるよ」とリツコさんに言われると、「え、サメ無理、無理、ぜったい無理」とか言ってる。
ジンベエザメだってサメだんなんだよ。メキシコではジンベエザメやマンタとは平気で素潜りしてたくせに、何、このチキンぶりは。こりゃあ、やっぱり潜らなそうだな。
と思ったのだけど、前々から水中の砂を持って帰りたいって言っていて、リツコさんが持ってきてくれたジップロックを渡してもらい、水深12mの砂地で夢中になって、砂をジップロックに詰めたり、リツコさんが見つけてくれたタコのマクラを気に入って、ダイビング終わるまでずっと持ってたり。
途中でホワイトチップに遭遇したときには、また同じように、無理、無理ポーズ取って、リツコさんの後ろに隠れていたけど。結局40分しっかりダイビングして終了。
「海友、ダイビング面白かった?」と尋ねたら、
「うん」と言うので、「何が面白かった?」と聞くと
「えっとね、砂!」。
「え、他には?」。
「砂!」
「・・・・それだけ?」
「だって砂好きなんだもん」
「あ、そうですか」
できればもっと魚に興味持ってくれよとも思ったけど、まあ10歳だし、とりあえず、海底の砂に夢中になるだけでもいいのかな。
ダイビング終了してから、お店に戻って、リツコさんにログ付けしてもらった。魚の名前、教えてもらって書いていたけど、きっと覚えてないうんだろうな〜。
おっとりしてて、何に興味があるのか良くわからない奴だけど、色んな事経験して、自分の好きな事、見つけてくれれば、それでいいんだけどな。
この日記も、いつかは思い出のログになるかもしれないな。
海底の「砂!」が大好きだった、10歳のダイビング
旅の途中。性格の違いが、表情に一目瞭然の二人の写真。基本旅には、ゲームは持っていかせないんだけど(自分の事は棚上げ)、出発間際に「3DSだめでげすか?3DS持っていっちゃだめでげ〜すか?」と最後まで尋ねるのは、二男の颯友。
プールで遊びまくった後、食事に出かけたのだけど、服脱いで、結局海に突っ込んでいく二人。やることは、何年経っても全然変っていない。いや、変ってくれない・・・。
二男の颯友が、隙あらば、「うぎゃ!うぎゃ!うぎゃ〜ぎゃ〜!」と叫びながら、背後から飛びつき、おんぶしてきて、最後には肩車状態になり、暴れ回る。妖怪こなきじじいかお前は。
ご覧のように、陽気な妖怪こなきじじいに取り憑かれてる毎日です。
このメンバーで、アラモアナビーチパークのマジックアイランドでバーベキューをした。オーシャナでも仕事をお願いしている、水中カメラマンの石丸君と、岡田君、それに岡田君の子どもたち。ママたちは、仕事だったり、ショッピングに出かけていたり。初対面の海友と颯友に岡田君とこの子どもたち、あっという間に仲良くなって、一緒に遊んでいたと思ったら・・・いつの間にか、さらに仲間が増えていた。皆で釣り上げたのは、アナゴの仲間。それを、持って「バーベキューにして食べたい!」と近よって来るのを、さばいてバーベキューのするの面倒くさいパパ連中は「可哀想だから逃がしてあげなさい」と偽善的な嘘をつき、難を逃れる。
相変わらず、面白い発言ばかりの海友と颯友(特に颯友)。家にいれば、すぐにfacebookにアップできるのに、外を出歩いているときに、「お!その発言、後でfacebookにアップしちゃおう!」と思っていても、気づくと結構忘れていることが多い。「ねえ、さっきさ〜、なんかすっごく面白い事言ってたじゃん、あれ何て言ってたっけ?」と聞き直しても、「え、知らな〜い、覚えてな〜い」あるいは「覚えてるけど、どうせfacebookにアップするんでしょ。だから教えな〜い」って言われちゃうし、妻にたずねても、「あ、そういえば、何か面白い事言ってたよね〜、何だったっけ?」って感じで、何かと〜っても損した気分になる。そのモヤモヤした気分は、水中でのシャッターチャンスを逃した時に匹敵したりして・・・。
4年振りに、この「ものぼけ」を見た。前回は、お箸だったけど、今回はなが〜いフライドポテト。
ウクレレの無料レッスンにも参加してみました。先生の話を案外真剣に聞いてる海友と、コードを見るのさえ、苦痛な感じの颯友。
成田空港で買った2014年の本屋大賞受賞作「村上海賊の娘、上巻・下巻」を読み終えた。個人的には、2013年の本屋大賞受賞作の「海賊とよばれた男、上巻・下巻」の方が感動したかな。村上海賊は、戦(いくさ)の戦闘シーンの描写がハラハラするけど、「感動する」って感じじゃない。映画化したら、「キルビル」とか「300」みたいになりそうだし。
で、息子たちに「お前らも旅行中に本読めよな、最近本読んでる?」と尋ねたら、「読んでるよ!その本より分厚いの、ね〜カイト!」と自信満々に二男の颯友が言うので、「本当かよ〜?そんなの借りてるの見た事無いけど」と言うと、「パパはそれ、4日くらいで読んだんでしょ?オレなんかそれより分厚い本、5分で読めるよ!ね〜カイト!」と自信満々。海友も「5分じゃ無理だけど、10分くらいなら」とか言ってる。・・・・・、それって「コロコロコミック」の事だろ。にしても、5分は早過ぎる。10分もだけど。
「海友〜、颯友〜、写真撮るから、笑顔で良い顔して〜」と言った後の二人の「良い顔」の意味の認識の違い
・・・・、颯友の顔が、また嫌な予感
やっぱり・・・
「ちゃんと良い顔してくんないかな〜颯友〜」
・・・と言っても変らない。
颯友「もういい?疲れた」
もういいって、良い顔全然してないだろ〜。海友はちゃんとしてくれてるぞ。もう一回!
はい!
・・・・、ごめん海友、また無理だわ。
という感じで、実は、颯友の爽やかな表情を撮影するのは、カエルアンコウがあくびするのを撮影するくらい、至難の業だったりする。
ちょっと前に、「パパと二人でエジプトに行きたい」と言っていた小学校1年の颯友。「行きたいなら、エジプトに関して、色々調べろよな。ちゃんと調べたら連れていってやる」と言っておいた。どうせそんなには調べないだろうくらいに安易に思っていたのだけど、今日、子供部屋に入ったときに、ふと、颯友の勉強机を見ると、図書館から借りてきた、エジプトやアフリカの本が積み上げられていた。えええ〜〜〜!
奴、まじで行きたいらしい。こうなると、連れていかないわけにはいかないかな〜。
最近、二男の颯友(7歳)が、やたらと「パパと二人で旅に出たい」と言い始めた。長男の海友とは、5歳のときに、二人でバハマに1ヶ月半でかけた。だから、同じく5歳のときに、「颯友、一緒に旅に出る?」って尋ねたら、「やだ、ママも一緒じゃなきゃ行かない」と拒んだので、無理に連れていかなかった。食事のときなんかに、弟が「行きたい!」と言うと兄も「おれも行きたい!」と言うのだけど、やっと颯友が、二人で行く気になってくれたので、その熱が覚めないうちに、どこかに連れていこうと思っている。でも、「ねえ、アフリカは?アフリカがいい」と言い出したので、どうにか予定が組めるか思案中。でもアフリカはな〜・・・。遠いしな〜。
ということで、ライオンとかキリンとか、カバとか見たいのかと思ったので、「で、アフリカで何が見たいの?」と尋ねたら、
「え、すごい砂漠とね〜、あとラクダが見たいんだよね。それに砂漠の砂とか掘ってみたい。恐竜の化石とか出て来るかもしれないじゃん。あとはね、ピラミッドと〜、何だっけ,スフィンクス!ピラミッドって中は入れるの?」。
「入れるよ。パパ入ったことあるよ。ラクダも乗ってみたい?」
「じゃあ、入りたい!ラクダも乗ってみたい!」
ということで、行きたいのは、アフリカでもエジプトということなので、
「じゃあ、行きたいならさ〜、エジプトの事調べて、ノートにまとめてみてよ。何があるかとかさ。それ次第で連れて行ってやるよ」
と伝えると
「わかった、じゃあ、調べる!」と言いながら、「世界こども図鑑」を見始めた。
「ピラミッドはさ〜、機械使わずに作られたんだよね〜。人も沢山死んだんでしょ」
「世界のビルと比べると、ピラミッドちいせ〜な〜。スフィンクスちっちゃ!」
とか言ってる。
こいつの興味の対象は、いまだに良くわからない。まあ、建築家になりたいってずっと言ってるから、エジプトの古代遺跡とか見せるのはいい刺激になるのかも。と、思ってみたりもする。
スリランカ、オーストラリアと転戦して、次のバハマまでの2日間、帰宅した。
いない間に、授業参観があり、長男の海友は小学4年生、10歳ということで、「2分の1成人式」というのを行ったと妻から聞かされた。
その席で、子どもたちが将来なりたい職業を発表したのだそうだけど、やはり一番人気はサッカー選手だったり、お医者さんだったり、女優だったり。
そんな中で、海友は「水中カメラマンになりたいです」と発表したそうだ。
幼稚園の年長、5歳の誕生日のときに、幼稚園の先生に作ってもらった絵本に、「おおきくなったらカメラマンになりたい」と書いてくれた海友。
2012年、8歳のとき、にキッザニアに行ったときに経験した仕事の中でも、「カメラマンが一番お気に入りで、たのしくて、大好き」とお仕事カードに沢山シールを張ってくれた。
大きくなったら、きっとなりたいものも変わると思うのだけど、いまだにそう言ってくれるだけでも、本当に嬉しく思う。少なくとも、父の職業を「将来なりたいもの」と言ってくれてるってことは、ほとんど家にいない父親である僕の事を「好きだよ」と言ってくれているのと同じ事だと思うから。
でも、本当は、他になりたいものはあるはずなのも知っている。それなのに、そう言うのは、海友が「父親である僕に気に入られたい」から、というよりも、たまにしか帰って来なくて、家族と離れていて寂しい思いをしてるであろう、父である僕を気遣っての発言だって事も知っている。
僕が家にいれるのが短期間だから、「ちょっと写真撮らせて。暗いから、動かないで」と頼んだら、プールに行く前で慌てていたのに、「ほら、颯友、パパが撮りたいんだって、動くなよ」と動き回る弟をたしなめてくれた。
寝るときも、まだ母親と寝たがる二男とは別に、子ども部屋の「2段ベッドで寝ようよ」と言ってきた。自分が上段、海友が下段。しばらくすると、「寒いから一緒に寝ていい?」と言って布団に潜り込んで来た。
10歳で、もう結構大きいから、なんとなく照れるのだけど、こうして狭いベッドに二人で寝ていたら、5歳のとき、海友と二人でバハマのドルフィンクルーズに1ヶ月半乗船したときの事を思い出した。大人ばかりのクルーズで寂しくなる事も多かったみたいで、ベッドに入ると、「パパ、ぎゅってして」と何ども言われた。きっと母親に逢いたくなった事も何度もあったに違いない。
でも、小さな息子との初めての二人旅に、ちゃんと対応できずに、戸惑い、不甲斐ない父に対して「お家に帰りたい」、「ママに逢いたい」って言葉は一度も発する事は無かった。
それどころか、5歳なのに、船酔いして、横になってるゲストに「大丈夫?」と優しく声をかけていたり、僕のアシスタントとしての役割を一生懸命果たそうとしてくれていた。
父子でバハマ、ディズニーワールドでスカイプで会話する息子たち
近所のお母さんたちからも、「海友くんは優しい」と言われることが多く、学校でも皆の輪に入れない子に声をかけたり、海友の回りにはいつも笑顔があると先生に報告されたりしたとも妻から聞いたことがある。
勉強ができるとか、スポーツができるとか、そういうタイプでは無いのだけど・・・、最近ちょっとぽっちゃりしちゃって、大丈夫かな、このままどんどん横に大きくなっていかないかな・・・・と親として、色々悩みや心配事もあるのだけど・・・・・。
たまにしか遭えないから。
だから、たまには、こんな事書いても許されるかな。
宮古島ロケから戻ってきた。台風が発生して潜れない日もあったために、滞在期間を延長、ロケ期間は10月1日から16日と長期に及んだ。
何のトラブルも無く終わるロケは、取材者としても、現地サイドとしても理想なのだけど、多くの人が思うように、こうしたトラブルがあった方が、人間同士の絆はより深まるように思う。
「次回こそは、お世話になった皆のために、最高の宮古島を伝えたい」という思いを持って、島を離れた。
今回は、宮古島ダイビング事業組合を中心としたロケだった。ロケスケジュールなどのやり取りは、寺山君がしてくれていたので、多忙な自分はほとんど前情報無しに初めての宮古島を訪れた。ホテルやエアの手配に尽力して頂いたのは、組合長である、タイムマリン宮古島の新城さん。東海岸をメインフィールドにしているため、今回はシーズンが合わず、潜れませんでしたが次回はご一緒できればと思います。
最終夜には、居酒屋に関係者が集まり「オトーリ」で今回のロケの打ち上げをしてくれた。24Northの渡真利さんは、オトーリ用の伝統的な祭器まで用意してくれた。
体調が悪いのに、オトーリに参加してくれた、アクアストーリーの國廣さん、飲めないのに参加してくれた宮古島潜水の猪羽さん、ありがとうございました。次回のロケでは是非、一緒に潜りましょう。
トラブルの時に、暗い中、船をピックアップに向かってくれたアイランドブリーズの渡真利さん。通り池の入り口まで車で迎えに来てくれたのみならず、服を貸してくれたり、荒れた暗い海に、ご夫婦で船を出してくれた、伊良部島マリンプロ宮子の富谷さんご夫妻。本当にありがとうございました。
fish a go go!の佐瀬さんには、今回は取材の幹事として、台風で海に出れない時にも、車を出してもらい、島内取材をさせてもらった。特に台風が最接近した日には、取材する必要は無いのに、危険を顧みず、波風の激しい南部エリアへ車で連れて行ってもらった。
最終日、お世話になった、ダイビングサービスの方が、空港まで見送りに来てくれた。
のみならず、こんな風に、色々おみやげまで頂いてしまった。
山本大司潜水案内の山本さんご夫妻からは、宮古島名物のでか渦巻きパン。クリームに入っている砂糖のじゃりじゃりした食感が、駄菓子屋で売っている砂糖入りのクリームみたいで、懐かしい味。
一緒にロケに行った寺山君が、焼いて食べると美味しい!「うんま!」とfacebookで書いていたので、オーブンで焼いて息子たちに食べさせてみた。お腹いっぱいになった夕食後のデザートにしては大き過ぎたと思ったのに、「おいし〜!もっとちょうだい!」と大喜びしていたが、「食べ過ぎは良くないから、明日にしなさい」と妻に注意されていた。
ちなみに、翌日の朝食も、「何食べる?」という妻の問いに、二人とも「昨日のパン、あ、焼いてね」と口をそろえて、注文していた。
もう一つは、実際に、DIVE宮古島のヒロさんが獲ってきたサメから抽出した、ペットボトルに入れたサメの肝油。家に戻ると早速、カプセルとスポイトを買って来て、簡単に飲めるようにしてみたら、早速好奇心旺盛な二男の颯友が、「これな〜に?」と言って、試飲。
「どう?」と聞くと、「飲むときは味しないけど〜・・・・、う、なんかお腹の中に入ったら、生臭いモアモアが広がってきた」と不評。「でも、身体にいいんだぞ〜」と言ってみたものの、「いつも食べてる肝油ドロップがいい」とのこと。まあ、そうだよね。
そして、これも山本さんご夫妻からの嬉しいプレゼント。僕が気に入って購入したMOBY工房のクジラのテールのキーホルダー。それに合わせて、息子たちへのプレゼントをトムさんに頼んで作ってくれていた。
同じ年齢の男の子の息子さんがいる山本さん。山本さんの二男君と三男君が、僕の長男と二男と同じ学年。お互いに共感を感じている部分もあって、作ってくれた。しかも、海友と颯友の名前まで彫ってくれている。こういうのはとっても嬉しいですね。ありがとうございました。
自分は、これほど多くのダイビングサービスの方々にお世話になって、一つのディスティネーションを取材したのは多分今回が初めての事だ。元来人見知りなので、数日間で、毎回違うお店に移動することに、正直ちょっと抵抗を感じていた。宮古島を宣伝すること、お店を宣伝することが目的であるから、お世話になるのは、当たり前の事と思うかもしれないけど、今回は多くの人と関わったからこそ、海だけでなく、宮古島の良さを感じる事ができたような気がします。
いつも思う事ではあるのだけど、宮古島も、いつかは、家族で訪れることができればいいな。
タイに家族で取材に行ったときも、滞在したリゾートのリポートを書いたのだけど、今回もちょっとだけ、滞在した家族向けのリゾートの紹介をしたいと思う。
ムヘーレス島に滞在して、ジンベエスイムを行なった後、菊池家共々、家族でカンクンに移動して滞在したのが、クラウンパラダイスリゾート。カンクンのリゾートとしては定番のオールインクルーシブで、リゾート内でほとんどお金を持つ必要がない。
まあ、それはそれとして、最初に家族で滞在するに当たって、どのリゾートがいいかな〜と悩んでいたときに、カンクンに家族で訪れた事のある、長男の友だちのお母さんから、妻が「リーゾナブルで家族連れにはおすすめ」と情報を聞きつけてきたのが、このリゾート。
カップル中心のオールインクルーシブリゾートが多い中、ここは、完全にファミリーをターゲットにしたリゾート。タイのカオラックで滞在したシービューリゾート同様に、大騒ぎする子どもたちがいても、周囲に気をつかわなくていいし、子ども向けのアトラクションやイベントも多い。
チェックイン時に、スタッフが、VIPブレックファーストを食べて、施設の案内をしてくれて、買い物とアトラクションのクーポンをくれるって言われるのだけど、これはバケーションクラブへの勧誘。興味ある人は聞いてもいいけど、興味無ければはっきり断ったら、あまりしつこくはされなかった。
「キッヅパラダイス」というプールでは、スタッフが見守っている間に、夫婦でリゾートの外にあるショッピングモールに出かけることもできた。中では、スタッフが子どもたちを集めて、ダンスしたり、ゲームしたり、ピザ作りなんていうのもあったし、映画も上映していた。
<ディズニーキャラにはかなわないけど、子ども向けにこんな着ぐるみたちがたま〜にフラフラと姿を見せる>
<他の国の子どもたちと一緒にバスケやフットサルの試合をすることも>
プールは、ビーチに面したメインプールが3カ所。
今回子どもたちが一番利用していた、4歳〜12歳までが利用できるキッズパラダイスプールと、その横には屋内プール。
<キッズパラダイスプール。ここには、アトラクションスタッフがいて、しっかり子どもたちの面倒を見てくれた>
<キッズパラダイスプールの横には、子どもが中で遊ぶ親たちがくつろげる屋内プールが>
ティーン向けウォータースライダーのあるプールに、大人専用プール、3歳以下の子を預かる託児所の中にもプールがある。など、リゾートのあちこちにプールがある。パターゴルフもあって、息子たちは、毎日のように利用していた。
特徴としては、とにかく子どもが多い事。今の僕らにとっては、はしゃぎ回る息子たちの行動をいちいち気にする事なく、過ごすことができるのが何よりも嬉しい。
大人がカクテルをオーダーするバーカウンターも、時には子どもたちが半数を占めていて、ノンアルコールのカクテルを飲んでいたり。カクテルの名前も、「ウィニー・ザ・プーとか、ロビンフッド、ファインディングニモ、ピカチュースペシャル、スポンジ・ボブなど、子どもが好きそうな、色々なキャラクターの名前がついたノンアルコールカクテルが用意されている。
お酒を飲んでいる大人たちも、カウンターチェアーの横に子どもたちが陣取っても、それが当たり前な感じで、笑顔で接してくれることがほとんどだった。
<子どもたちにとっては、ちょっと大人になった気分が味わえる?カウンターの上には、キッズ用カクテルメニューが>
バッフェ用のレストランの他、メキシカン、フレンチ、イタリアン、シーフード、ステーキハウスなどのレストランがあり、2日前から予約可能。今回は、バッフェ、イタリアン、ステーキハウス、シーフードレストランに行ってみた。味は、まあ、こんな感じかな〜というところだけど、「外に出て食べよう」と思うことは無かった。
<ステーキハウスでディナー。各レストランにはちょっとした、ドレスコードがあるけど、ほとんどが、リゾートカジュアルでオッケー>
<ステーキハウスには、ロデオマシーンがあり、大人たちがチャレンジできる>
日本人ゲストリレーションはいないけど、スタッフは皆子どもの扱いに慣れているからか、子どもがちょっとした粗相をしても、おおらかに対応してくれる。他のゲストも「お互い様」と思ってくれるので、親としては、本当に居心地が良かった。
<夜のキッズオンリーのイベントは、要予約。昼間キッズパラダイスプールで働いていたスタッフたちが仮装して対応してくれるので、すでに顔を覚えてくれているから助かる>
部屋には、子ども向けの3段ベッドがある部屋もある。高級感のある大人向けのリゾートを求めてる人には、まったくおすすめできないリゾートだけど、子どもにとって、特に水の大好きな子にとっては、まさに天国のような場所。息子たちも、1日8時間もプール付けになっていた日もあった。
数有るカンクンのリゾートの中で、「小さな子どものいるフェミリー向けで、リーゾナブルなオールインクルーシブリゾート」を求めている、という極限られた人への情報でした〜。
ちなみに、常に息子たちを追いかけながら撮影したので、使用機材はLUMIXの防水カメラ。サーフパンツのポケットに鍵と一緒に入れてられて、プールにも入れるから便利です。なので、写真のクオリティは多めに見て下さい。
今回のジンベエスイムスペシャルトリップには、今年3月のタイのediveの企画したファミリークルーズで一緒だった、菊池ファミリーも参加した。
お父さんの暁君は、以前タイのタオ島にある、ブッダビューというダイビングサービスで日本人マネージャーをしていて、取材で何度かお世話になったことがある。
彼等の子どもたちは、小学校4年生の長女、海ちゃん、2年生の遥君、そして、3歳の空君。僕らの息子の海友が4年生で、二男の颯友が1年生なので、タイのファミリークルーズでも意気投合していたことから、話が盛り上がり、丁度お互いに、こちらの方面に来る機会があったので、スケジュールを合わせて、ムヘーレス島で合流した。
INTO THE BLUE +ocean+αでチャーターするジンベエザメのスペシャルトリップ。結構ファミリーからの参加の問い合わせもあったのだけど、ほんのちょっと見たいだけなら、デイトリップの船が沢山出てますよ。とアドヴァイスしていた。
何故なら、僕らのチャーターは、長く泳ぎたい人、沢山撮影したい人をメインのゲストにと考えていたからだ。
どの船よりも早く出港して、どの船よりも遅くまでいてくれる。だから、ジンベエと泳げる時間は、1日で長くて6時間以上になる。それだけ撮影に集中できるし、沢山泳げるわけだ。
デイトリップの船だと、現場に2時間もいない場合も多い。しかも、泳ぎ慣れていない人の参加が多いから、ガイドと2〜3名のゲストが一緒に入っている間は、他のゲストは船上で待っていなければいけない船が多い。
こちらは、基本的にプロフェッショナルな人を中心にしているから、自己責任ではあるけど、ほとんどの場合、皆、好きにエントリーして泳いでもらっている。
たまたま、現地で仲良くなった日本人ファミリー(上の子が4年生、下の子が1年生)が、「参加させて欲しい」と言ってくれたのだけど、どうしても人数的に無理があったので、デイトリップの会社に参加してジンベエザメを見に行ったのだけど、やはり、順番で入らなくてはいけなくて、しかも、入れるチャンスが2回だけだったとか。それに、ガイドが付きっきりで手を引いているから、思うように動けなくて、下の子はかなり海水を飲んで大変だったそうだ。
海に慣れていない子どもだと、船酔いの心配もあるから、早く帰れるデイトリップの方がおすすめかと思っていた。しかし、今回、自分の子どもや、暁君たちの子どもを乗船させてみて感じたのは、船酔いなどしているのに、少ないチャンスで、順番が来たからと言って無理矢理入れて、ぱっと見ておしまい。
みたいな感じより、長く現場にいて、船酔いが回復したり、僕らや周囲の人が泳いでいるのを見て、徐々に泳ぐ決心をしたり。そういう意味で、子どものペースに合わせられる事は、チャーターのメリットだと感じたこと。
あとは、一人で躊躇していたのに、友だちが入っていると、競争心と安心感が芽生えるのか、結構平気で泳げるようになっていたりとか。
同じ海域で、冬の時期泳ぐバショウカジキは、海が荒れていることが多いからできないけど、このジンベエスイムの夏の時期は、海も穏やかな日が多いから、それも可能だなと感じた。
そして、今回3歳の空君が、ジンベエスイムに初挑戦。4日間のうち、空君が乗船したのは、最後の1日だけ。しかし、その前にお兄ちゃん、お姉ちゃんがジンベエやマンタと泳いだ話を聞いたからか、「僕も泳ぐ」と決意も固く、最終日に船に乗り込んだ。でも、前夜には、「サメが大きいし、ソラは小さいから食べられちゃうかも・・・」と若干弱気になっていたらしいのだけど、いざ船に乗ると、その顔は3歳ながら、「ボク、がんばるぞ!」という気合いで満ちあふれているようだった。
まずは、ボートの上からお父さんに抱っこされて、世界最大の魚、ジンベエザメがどれくらい大きいかを確認。びびるかと思ったけど、意外と平気。
最初は両腕にフロート、ライフジャケット、それにゴーグルを付けて、お父さんに連れられてエントリー。
でも、お父さんが気合い入れて速く泳ぐものだから、呼吸のタイミングが合わず、海水を沢山飲み、鼻からも海水がいっぱい入ってしまって。しばらくダウン。
途中、海に入るのを嫌がっていたけど、他の皆が泳いでいるのを見て、再度入ることを決意。
今度はお姉ちゃんのマスクとスノーケルを借りて、再び、お父さんに抱っこされながら、やって来るジンベエザメにアプローチ。そして、念願のジンベエザメとマンタに遭遇!といっても、3歳で念願だから、贅沢だけど。でも、親としては、そんな小さな息子が、なかなかできない体験をできるは嬉しいもの。僕もなんとか好ポジションに回り込んで撮影を試みた。最初のアプローチでは、暁君が邪魔で空君が見えない。「もう1回!」とチャレンジ、今度は良いタイミングで、ジンベエとそれを水中で見る空君を撮影できた。
「やったね!」とお父さんと空君がハイタッチ。しかも、今まで使った事のなかっらスノーケルもその時に、何も教えていないのに使えるようになっていた。
「空君、ジンベエ、どんなだった?」の質問に
「おおきかった!でも怖くなかったよ」と満面の笑み。
ジンベエザメを見終わって、島に戻ってからの空君、なんかちょっと大人っぽくなった感じだったな。いっつもお姉ちゃんの海ちゃんに、「赤ちゃん」と呼ばれてるのに対しても、「赤ちゃんじゃない!」と抵抗してみたり、遥君や颯友に闘いを挑んでみたり。それまでは、一人マイペースで遊んでいたのに、お兄ちゃん、お姉ちゃんたちの走り回るのに、一緒について行くようになったり。
ジンベエと泳いだ経験は、3歳の空君にとっては、ちょっとお兄ちゃんになった事への大きなステップだったのではないかと感じた。
こういう経験を通して、子どもの心が成長していくのを目の当たりにするのは、大人である自分にしても、本当に嬉しくて、何ものにも代え難い経験だと思った出来事だった。
今年もメキシコ・ムヘーレス島沖に300匹以上と言われるジンベエザメの大集結が始まった。自分が、この驚異的な状況を目の当たりにしたのは今年で3年目になる。
初めてこの300匹ジンベエザメを見たときには、ただ、ただ、呆れて笑うしかなかった。1匹でも見れたら嬉しいジンベエザメが、まるで生け簀の中で飼われているかのように、目の前でうじゃうじゃと蠢いているのだから、「なんなの?この贅沢な状況は!?」と思わずにはいられなかった。
しかし、今年はさらにその上を行く驚くべき状況に!
なんと、300匹ジンベエの群れに、マンタの群れが一緒になって、捕食を行なっていたのだ。
彼等が捕食しているのは、この時期、近海で無数のカツオが大産卵を行い、海に放たれ、海面を覆い尽くすその卵。泳いでいると、髪の毛の中やウエットスルーツの中に卵が沢山付着しているのがわかる。
これまで、このジンベエの群れにたまに単体のマンタや複数個体のモブラが姿を見せるとそれだけでラッキーだったのに、今年に関しては、これにマンタの群れがずっと加わっている。
ジンベエ+マンタのコラボ、これにダイバーを絡める事も不可能ではない。そんなチャンスが、一度でなく、1日中続いているわけだ。
今回は、INTO THE BLUE + ocean+αのスペシャルトリップで、ゲストの他に家族も、ドルフィンクルーズに引き続いて、一緒にジンベエ+マンタスイムを経験した。特に小学校4年生になる長男の海友は、イルカと泳いでいたよりもさらに深く潜れるようになって、マンタやジンベエへのアプローチを繰り返していた。
<海友は、今回で2回目となるジンベエスイム。素潜りも様になってきて、ジンベエザメバックにピースサイン>
小学校1年の二男、颯友は、まだフロートをつけてのトライだけど、底の見えない海でも臆することなく、兄や母親について泳いでいた。
<兄海友がマンタにアプローチするために、素潜りするのを、水面で見守る、二男颯友>
で、僕はというと、去年は、結構お気に入りのジンベエザメとの自分撮りができたので、今回は、マンタとの自分撮りにトライ。
来年のベストシーズンも、ジンベエスペシャルトリップを開催予定です。
期間は、7月6日(日)出発〜7月12日(土)帰国の最短7日間。
ご興味のある方は、お問い合わせ下さい。
今は家族でメキシコのカンクン沖にあるムヘーレス島に滞在して、ジンベエスイムを行なっている。
昨日は、ゲストと家族一緒にセノーテとマヤ遺跡を訪れた。
セノーテでは、海友とミナの良い感じの写真が撮れた。
遺跡は、海岸にあるトゥルム遺跡。ガイドから海で泳げると聞いて、あまりに暑いので、遺跡に入るなり、「海行くぞ〜!!」と駆け出した二人。
「おい!一緒に行くぞ!」という僕の声を振り切って海の方へ。
妻も仕方無く付いて行く。
僕は、ゲストと一緒にメインの遺跡の方へ。
その海側に、唯一、海に降りれる階段が・・・。
先走った海友と颯友は、海にたどりつけず、しばらくの間茫然自失。
やっと自分が見つけて海に連れて行くと、狂喜乱舞。
本当に単純で分かり易い。
そして、その日の夜・・・・・。
相変わらず暴れ回る海友と颯友。
「お〜い!」
「え?な〜に?」
・・・・・・、ひ、一人増えている・・・・。
「カ、カートに乗って帰るぞ!」「オレたち、荷台に乗る〜!」
・・・・・、も、もう一人増えている・・・・。
翌日、「海で遊ぶぞ〜!!」
父「その前に記念写真撮ろう!」
子どもたち「は〜い!」
・・・・・・、さ、さらにもう一人増えている・・・・。
ということで、今年の春休み、タイで一緒に遊んだ菊池ファミリーの子どもたちが合流。
増々騒がしくなりそうだ。
それにしても、海友色黒過ぎるぞ。
・・・・・あ、人のこと言えないか。
バハマのドルフィンクルーズ下船後、ウエストパームビーチでレンタカーをして、車で約2時間半。フロリダ半島中央部にあるオーランドへと向かった。
ほぼ毎回、家族でドルフィンクルーズに乗船した後には、このオーランドを訪れる。目的はもちろん、ディズニーワールド。
今回は、色々な事があったので、どれだけブログに書けるかわからない。
まずは、子どもたちに買ってあげるおもちゃに関して。
毎回、特にディズニーキャラクターのおみやげは買わない。奴ら自身、それほど興味を示さない。日本でも買えるからってのもあるみたいだ。その息子たちが、毎回必ず買うことに決めているのが、Build a Dinoという、恐竜のぬいぐるみ。中に何も詰まっていない外側に綿を詰めてもらって、♡を入れて完成させる。日本でもBuild a Bearっていうお店がお台場かどこかにあるらしいのだけど、それの恐竜版で、ダウンタウンディズニーのT-REX cafeの中で販売している。
これは、舞浜のイクスピアリ内にある、Rain forest cafeの恐竜版のレストラン。
そこの恐竜のぬいぐるみは、二人ともかなり好きならしく、海友は今回で3匹目、颯友は2匹目を購入した。
それ以外には、「あれが欲しい、これが欲しい」と言われても、どうせすぐに飽きるだろうし、基本的には「高いからダメ」と拒絶する。
ただ、もう一つ、購入を認めているのが、LEGO ブロックの詰め合わせ?
最初にこれを見つけたのは、ハワイのアラモアナショッピングセンターの中にあった、LEGO ショップ。
透明の容器に、自分が欲しいLEGOブロックを詰めれるだけ詰めれるというもの。
すでに、何を作るか決まっている高いLEGO商品を買うよりも、色々なブロックを自分で選んで、好きなものを作れるので、創造性を養うにもとても良いと思う。何より、子どもたちが、設計図のある商品を作るよりも、そっちの方が楽しいというので、今回も、それを購入することはオッケーした。
フロリダのLEGOランドでは、透明の容器に詰めるだけ詰めるのではなくて、ジップロックに詰める重さによって値段が決まってしまうスタイルだったから、あまり詰める楽しさは無かった。
でも、ダウンタウンディズニーのLEGOショップでは、このハワイのスタイルと同じで、透明の容器にいくらでも好きなだけ詰めて同じ値段。
Largeで15ドルくらい、Smallで8ドルくらい。子どもたちは、自分が欲しいものを選んで詰めていくのだけど、見てると容器に空間が結構できてて、親としては「この空間がもったいない」と思い、そこに入る小さなブロックなどをさらに詰めていく。
結局最終的には、僕と妻とで必死になって、ギリギリまで詰める。締めるフタの方にも詰める。僕は、ちゃんとフタが絞まる程度しか詰めないけど、妻はフタがしまらない状態まで詰める。
「それ、大丈夫なの?」と聞くと、「あとは笑顔でお願いするよ」と妻。
こういうときって、やっぱり女性の方が良い意味で図々しくなれると思う。
まあ、そんな事はともかく、日本のLEGOショップやLEGOランドでは、こういうバラ売りブロックの詰め合わせってのは、まだ無いらしい。日本でもこういうスタイルのものがあればいいのにと思う。
ホテルの部屋に戻るなり、早速二人で買ってきたブロックで、色々なオリジナルの乗り物などを作っていた。
Week4には、日本から家族が合流して乗船、息子たちは、ゲストやクルーとの船上生活を体験して、野生のイルカたちと泳いだ。
乗船するDOLPHIN DREAM号の柱には、海友と颯友が乗船した年の身長を計った印が刻まれている。海友が最初に乗船したのは、生後6ヶ月、まだ前の船、DREAM TOO号のときだ。DOLPHIN DREAM号のサロンにある棚の側面には、海友が生後18ヶ月、颯友が生後20ヶ月のときに初乗船したときの身長から、9歳と6歳になった今年の身長までが刻まれている。最初はこんなに何年も連れて来れるとは思っていなかったけど、すでに10年も経って、まだ家族一緒にこの海に帰って来れる事は、本当に幸せな事だと思う。
2年前には、僕が浮き輪とカメラを持って、浮き輪の周囲をちょろちょろしながらイルカと泳いでいた長男の海友(9歳)は、もう他のゲストと同じように、マスクとスノーケル、フィンを装着して、普通にイルカの群れを追いかけるようになった。そんなに深くは潜れないけど、たまに、素潜りしてアプローチを試みることも。瞬発力はそれなりにあるけど、まだ自力ではなかなか追いつけないので、イルカが移動を始めると、すぐに僕の手に捕まってくる。だから、やっぱりまだまだ完全に自由に撮影に集中できるわけではない。
手をつないでいれば、当然僕の泳ぐスピードは落ちるし、かなりパワーがいるので、イルカに追いついた時には、もう潜る気力が失せている。まあ、4週間もドルフィンクルーズ船に乗って泳ぎ続けていれば、それだけで相当に疲労がたまっていて、足首は痛むし、足はパンパンになっているから、息子のせいだけではないのだけど。
<ゲストがイルカたちと泳いでいるのを見て、素潜りで接近を試みる海友>
撮影には、正直邪魔になるけど、それ以上に息子たちになかなかできない体験をさせたい。そういう思いがあるから、シャッターチャンスを逃す結果になっても、しょうがないと諦められる。それが、「写真に対しての情熱の無さ」を感じさせてしまうのかもしれないのだけど、写真に対して情熱が無ければ、最初からこんな生活は続けていない。
これでも、5歳くらいのとき、今の颯友(6歳)が身につけていたライフジャケット入りのスーツを着て背中に乗っかられていた時の事を考えると、本当に楽になった。
二男の颯友は、妻が担当して一緒に泳いだ。目の前で一人で泳ぐ兄を見ているからか、奴は妻に手を引かれながらも、基本的にはその手を振りほどき、自力で泳ごうとする。妻が潜ってイルカと泳いでいて少しはぐれたときに、僕が手をつなごうとしても、すぐにその手を振りほどいて、イルカに向かって行った。もちろん泳ぎは遅いけど、誰にも頼らずに自力でイルカに追いつこうと懸命になっている姿は、見ていてちょっと滑稽だけど、感動させられた。
今回のクルーズ乗船で、颯友は、自分がやりたい事をいくつか決めていたようだ。
イルカと泳ぐことはもちろんの事だけど、「釣りがしたい」、「操船したい」、「イルカに触りたい」そして、「トップデッキから飛び込みたい」などなど。
操船は、タイミングを見計らって、スコット船長にお願いしてほんの少しだけさせてもらった。最初は、真剣にやっていたのだけど、「最終的には足で操船できるようにしなとね」とまたノーテンキな妻が笑いながら言うものだから、元来が悪戯好きの颯友、早速足で操船を始めてしまった。
<念願の船の操船をさせてもらい、ご満悦の颯友。後ろはスコットキャプテンとロビンキャプテン>
一番難しいと思っていた、「トップデッキから飛び込みたい」という願望。多分船のトップデッキに登ったら、高過ぎて躊躇するのではないかと思っていた。大人でも少し躊躇する高さだ。しかし、長男の海友が「恐え〜恐え〜、高過ぎ!」とか言いながらも嬉しそうに何度も飛び込む(本人曰く10回)のを見たせいか、ほとんど躊躇することなく、飛び込んだのには、驚いた。
<ランチ休憩の度に、トップデッキから何度も海に飛び込んだ海友>
船上結婚式では、二人とも皆と一緒に船内の飾り付けをしたり、お祝いの絵を描いたり。颯友は、「飾り付けしてる間は、二人に気づかれないように、僕が二人に満天の星を見せて時間かせぎするからね」と作戦を立てて気合いを入れていたけど、明るい間に飾り付けをする事になり、二人にも最初からバレバレだったので、ちょっとがっかりしていた。
ウエディングパーティーでは、自らケーキに顔を押し付けて、ケーキまみれに。
ビミニ島に上陸して、ゴルフカートをレンタルして妻の思い出の場所を巡った。ここは、17年前に妻が数ヶ月住んでいた島。僕はその頃に取材で2週間程訪れた。撮影が終わると、夜な夜なバーに繰り出して、地元の人たちや、観光客と仲良くなり、いつまでも飲み続けた。
そんな二人の思い出の場所の一つが、END OF THE WORLDという名前のバー。別名サンドバー、アンダーウェアバーとも呼ばれていた。掘っ建て小屋のようなバーの中は床が無くて、ビーチの砂がそのまま敷き詰められている感じで、バハマビールのカリックを飲みながら、いっつも素足になって、砂の中に足を埋めていた。ひんやりして気持ちよかった。
でも、昼間なので開いていなくて、たまたま隣のバーのおじさんが顔を出したので、話をしていたら、そちらも閉まっているにも関わらず僕らだけのために店を開けてくれて、ビールとコーラを出してくれた。
<20年髪を切って無いという、レゲエのお兄ちゃんの髪を触らせてもらう母子>
自分で取ったというコンク貝(カリブ海周辺の人にとっては主食のような貝)で新鮮なコンクサラダとコンクフリッターを作ってくれた。息子たちには、釣りをさせてくれて、釣った魚をフライにして食べさせてくれた。おかげで、念願の釣りができて、颯友も大喜びだった。
以前、「老人と海」や「海流の中の島々」の著者、アーネスト・ヘミングウェイの小さなムージーアムがあった、コンプリートアングラーという小さなホテルは、かなり前に全焼して無くなってしまっていた。そのことは日本の新聞記事で読んで知っていたのだけど、実際に訪れてその渋いホテルが暖炉の煉瓦だけを残して無くなっていた。
妻のミナが住み込みでベビーシッターをしていたダイビングサービスのオーナー家族は数年前にフィジーに引っ越していた事もfacebookで知っていた。住んでいた家を訪れると、空き家になっていた。ピンク色の可愛らしい家だったその家が廃墟になっているのを見た妻は、時の流れの早さを感じていたようだった。
クルーズ下船後、長男海友の書く旅行日記を読んでみた。「〜した。楽しかった」「〜した。嬉しかった」「〜した。面白かった」・・・う〜んボキャブラリーが少ない。「〜した。楽しかった」「〜した。嬉しかった」「〜した。面白かった」「〜した。楽しかった」「楽しかった」「楽しかった」・・・。
まあ、何をしても楽しんでいるようなので、良し。そう、子どもたちには旅を通して、世界には色々な出会いがあって、色々な人が生きているということ。地球上には、人間だけじゃなく、多くの生き物たちが住んでいることを実感しててもらえれば、といつも思っている。
それが彼らの世界感を広げる学びの場になれば、それで充分と感じている。人間として、面白い大人に成長してくれるきっかけになれば良いと思っている。
今日、子供たちは、僕が鴨川シーワールドで泊まり込みで撮影している間、一緒に宿泊して、シーワールドを見学させてもらった、お礼の絵を描くことになった。
好きな生物の中心は、やっぱり、イルカ、シャチ、ベルーガ、それにカメやエイ、クマノミの幼魚などなど。
海友の描く絵は、ミナ(ママ)が描くイルカにどことなく似ている。そして、颯友の絵は、そんな兄の描く絵に似ている。特に、二人が描いてるピンクのイルカは、完全にミナ(ママ)の描くイルカそのものだ。
「一番気に入った生き物は何?」と訪ねると、「やっぱイルカが好きだけど、今回はベルーガだったかな〜」と海友。
「どれも好きだけど〜、しいてあげるとすると〜、ベルーガがかわいかった」と颯友。
二人ともベルーガを気に入るとは、ちょっと意外。
そんな気持ちを反映しているのか、海友の絵は、シャチよりベルーガの方が大きく描かれていた。
ちなみに、颯友は、アルビノのエイも気になっていたようだ。
感謝の気持ちは、鴨川シーワールドでお世話になった、皆に届くかな?
僕が鴨川シーワールドで撮影をしている間、数日間は家族が一緒にホテルに泊まり込んで、海友と颯友は、シーワールド内での動物との触れ合い体験を楽しんだり、僕の撮影中の様子を見学したり、色々な事をトレーナーの人に質問したりと、充実した日々を過ごしてくれた・・・はず。
今まで何カ所かの水族館に連れて行った事があるけど、だいたい動物たちを見て終わったり、アトラクションに乗ったりだけだったりで、息子たちが、これだけ色々な体験をさせてもらったのは初めての事だったと思う。
ベルーガの撮影をしているとき、同じ水槽に入れられたネズミイルカを見て、「パパ、あのイルカは、水温の低い海にいるから、ベルーガの水槽が一番水の温度が冷たいからいいんだって。他のイルカの水槽だと暑過ぎるんだよ。あの子はね、房総沖の定置網にかかちゃって弱ってたところを保護されたんだって」と教えてくれた。
他にも、「イルカの眠り方って知ってる?片方の目をつぶって泳ぎながら眠ったり、水面に浮いて眠ったりするんだよ」。
「トレーナーの人が吹いてる笛は、シャチが上手に芸ができたときに鳴らすんだよ。こっちに行きなさいとか、飛びなさいっていう指示を出すために吹いてるんじゃないんだよ」。
「カクレクマノミは、一回に300個くらい卵生むんだって、知ってた?」。「エイはね〜、餌が欲しいと水面をバシャバシャやって、知らせて来るんだって」。「水族館に来たばっかりの生き物や、生まれたばっかりの生き物は、予備の水槽に入れて、大丈夫かチェックしてから、お客さんに見せるんだって」。
「ベルーガは、透明度が悪くても、超音波みたいので、どこに物があるかわかって、それでぶつからないで泳げるんだよ!」
「エイとかサメのオスは、ちんちんが二つあるんだよ!」
「イルカが擦り傷あるときにつける薬は、紫色なんだよ」
「カメは小さい時は、検査しないとオスかメスかわかんないけど、大きくなるとオスのしっぽが長くなるんだって」
「アルビノは肌の色が白くなる病気だけど、ここにいるアルビノのエイは、元気なんだよ」
「タカアシガニは大きいけど、世界で一番じゃないんだって、多分日本では一番大きいと思うんだよね。本では世界で一番大きいって書いてあったけど」
・・・などなど。
見ていて一番印象的だったのは、鴨川シーワールドホテル宿泊客だけが体験できる「夜の水族館探険」のときの二人の行動。
係の人が夜眠りについている動物たちの前で、色々説明してくれた事を必死になって、メモしてる姿だった。
特に颯友は、まだまだ文字を書くのに慣れていないために、皆が次の動物のところに移動した後も、黙々と何かを書き続けていた。
ベルーガやイルカにタッチしての記念撮影。自分はちょっと微妙な気持ちだけど、「ベルーガの頭はぷよぷよしてたよ。イルカにも触れて嬉しかった」と素直に喜んでいるのを見ると、こうして、海の生き物たちに興味を持っていってくれればいいなと感じた。
僕が水槽に入って撮影しているのを見て、「凄い!いいな〜。シャチの水槽、パパだけ入れてずるい。自分も入りたい!」って二人ともずっと思っていたり。
色々な生き物たちと触れ合い、見て、学んで、感じて、生き物に対しての自分なりの考え方を持ってくれればいいな。
ediveでのファミリークルーズを下船して、宿泊したのは、カオラック・ラグーナ・リゾート(Khaolak Laguna Resort)。このリゾートは、2004年の津波から3年で、カオラックエリアで一番最初に復興して、ゲスト受け入れを再開したリゾート。そのことは、周囲の人たちに再びリゾート地としてこの地で頑張って行こうという勇気を与えた。
今現在、このカオラックエリアで唯一日本人ゲストリレーションがいるリゾートでもあり、英語やタイ語が不安な日本人でも安心して宿泊することができる。セールス、マネージャーもとても日本に好意的な人。オムレツ担当のタイ人のおじさんが、とてもフレンドリー。片言の日本語で大きな声で「おはよ〜!」とか「こんにちは〜!」と挨拶してくれるから、最初はちょっとびっくりするけど、その明るさがだんだん嬉しくなってくる。
<子どもたちにも優しくしてくれた、日本人ゲストリレーションの氣賀澤真子(きがさわまいこ)さん(右から2人目)>
ここも、ヨーロッパからのゲストが多く、ハイシーズンには、北欧3国、ローシーズンはドイツからの観光客がメインだそうだ。ローシーズン(雨期)は、ゲストも少なくて、のんびり過ごしたい人には狙い目。雨期と言っても、日本の夏休みの時期などはそれほど雨も降らないらしい。
妻は「今回の取材期間中泊まった中でもリゾート全体の雰囲気は一番好き。ヴィラタイプの部屋の場合、エキストラベッドが2つまで用意してもらえる(有料)。ベッドの大きさもダブルベッドくらいあるので、快適だし、子どもたちと同じ部屋にいられるから安心」とのこと。
プールサイドは、ビーチに面したところにあるだけで、今回泊まったリゾートの中では一番こじんまりしているが、マッサージ、レストラン、スパ、ジムなど全てがこの周囲にあって、便利。
小さな子ども向けの円形のプールを挟むように、大きめのプールが2つあり、ジャグジーコーナーもある。
子どもたちは、「プールの中で座って食事できるから良かった。あと、サッカーゲームやビリヤード、他の国の友だちと遊べたから楽しかった」とのこと。
レセプションの近くには、サッカーゲームと、ビリヤードがあって、フリーで遊べるので、子どもたちには人気。外にあるプレイグランドは、手作り感のある、ブランコやシーソー、ジャングルジムなどがあるが、日中は暑いので遊具が熱くて遊べないので、朝方か夕方以降に利用した方が良い。
今回泊まったリゾートの中で、部屋でフリーWIFIが利用できたのは、ここだけ。
部屋のカテゴリーは3種類。総部屋数は154。ヴィラタイプのオリエンタルヴィラは34部屋。今回はこの部屋に宿泊。エキストラベッドを2つ置ける十分なスペースがあるので、4人家族全員で一部屋に滞在できた。
10室ある、シミランパールは、オーシャンビューのヴィラ。造りはオリエンタルヴィラと同じだけど、調度品が少し違う。
そしてビルディングタイプのサイアムシャレーが110部屋。こちらの部屋の広さも十分。
徒歩圏内に、Phu KhaoLakRestaurantという高級タイレストランがある。値段はちょっと高いけど、お洒落で美味しい。
カオラックから車で2時間のカオソックという観光地撮影から戻ってきて、いよいよ、今日からediveのスミランファミリークルーズに乗船します。何故ファミリークルーズかというと、3ファミリー、子どもは系7人が乗船するクルーズだからです。
このクルーズで、長男の海友と、同じ年の海ちゃんが海洋実習して、Cカードを取得する予定です。
それに先立ち、ediveのショップ内で、学科講習、そして、隣の欧米人ダイビングショップにある、講習用プールでプール講習を行ないました。
学科はともかく?プール講習の方は、二人ともかなり楽しんで進めることができたようです。
ということで、クルーズ行ってきます〜。
カオラックで、僕たちが忘れられない事、忘れてならない事。それは、2004年12月26日に、この地を襲った津波。カオラックではで4000人以上の犠牲者を出し、当時建設ラッシュが続いていた多くのリゾートホテルを津波が飲み込んだ。水中カメラマンとして、頻繁にタイロケに訪れていた自分にとっては、東北に被害をもたらした津波以上に、とても身近に感じた出来事だった。
自分も理事をつとめる三陸ボタンティアダイバーズの代表理事、佐藤寛志さん(くまちゃん)は、タオとカオラックにあるダイビングサービス、BIG BLUEのスタッフとして、この津波のときにも、ボランティア活動に尽力していた。
今回泊まっているリゾートも、当時甚大な被害を受けて、一時期は壊滅状態になった。2003年、長男の海友が生後5ヶ月のときに取材でタイを訪れたときにお世話になったリゾートのスタッフも、津波に飲み込まれてしまったと、津波から3ヶ月後の復興ボランティアクルーズに乗船するために、カオラックを訪れたときにediveの平川恭さん(恭ちゃん)に聞かされた。
恭ちゃんに案内されて、破壊されたカオラックの町を撮影してまわった。初めて岩手を訪れたときの惨状を目の当たりにした時と同じように、身体が震え、言葉に詰まった。その感情を押し殺すかのように、必死になってシャッターを切っていた記憶がある。
報道カメラマンを辞めたから、もう悲惨な状態を無理して撮影しなくてもいいのに。そんな事を思いながらも、シャッターを押すこと以外に自分にできることがなかった。
特に家族で滞在したリゾートの惨状は、家族との楽しい思い出の中に出て来た、小さな海友に優しく親切にしてくれたスタッフたちの笑顔が蘇ってきて、胸が苦しくなった。
あれから、9年。津波後も何度か取材で訪れたカオラックの復興の早さは、目を見張るものがあった。まだまだ更地のままの所もあるのだけど、リゾート開発は急激に進み、多くのリゾートが復興し、レストランやおみやげ屋さんが軒を並べる。今では欧米諸国に人気の一大リゾートとしての地位を確率している。
そんな中、昨日はediveの高見沢昇治さん(昇治くん)に案内してもらって、家族で撮影に訪れたのは、津波で海から2kmも内陸に流されて来た、タイの国境警備船。今現在、津波のメモリアルパークとして、奇麗に整地され、新たなモニュメントの建築が進んでいる。
船に近づくと、妻は被っていた帽子を脱ぎ、一礼をした。子どもたちの反応は、と様子を伺う。うだるような暑さで、早くリゾートに戻ってプールで泳ぎたい二人。長男の海友は、生後5ヶ月の時にここに来て、リゾートのスタッフにお世話になった事、その人たちが津波の被害で亡くなった事を伝えていた。
何も聞かなかったし、何を考えているのかわからなかったけど、モニュメントとなった船によじ上り、嬉しそうに記念撮影をする大人を見て、「あれ、登っていいの?ダメだよね」と不満そうに、ぼそっと口にした言葉からは、津波の犠牲になった人への思いを何かしら感じていたのだろうなと思った。
今もリゾートのあちこちには、津波が発生したときの避難経路を指示する看板が見られる。
東北の復興は、まだまだこれから。今でも仮設住宅住まいの被災者の人も多い。ダイビング業界でも、くまちゃんをはじめ、いまだに、現地でのボランティア活動に尽力している人が沢山いる。なかなか現地に足を運ぶことができてはいなけど、どんな形でもいいから、この復興に携わって行こうという気持ちは、持ち続けていたいと思う。
今回、ediveのお世話になりながら、カオラックにある4カ所のリゾートを回る予定。日本人に人気のプーケットと違い、カオラックのリゾートはどちらかと言うと、その80%〜90%が、ヨーロッパ、特にドイツ、オーストリアや北欧と呼ばれるスカンジナビア3国、ノルウェー、フィンランド、スェーデン等からの観光客。
日本の旅行会社も、取り扱っているところは少ないという。なので、ダイバーの中には、直接ediveの方に宿泊先のリゾートの手配を頼んで来る場合もあるそうだ。
スミラン諸島やリチェリューロックへのダイビングクルーズの玄関口として、日本人ダイバーには多少馴染みのある"カオラック"というリゾート名も、ノンダイバーの間にはほとんど浸透していない。
実際には、プーケット国際空港から、南へ下って、プーケット島へ行くのと、北上してカオラックに行くのでは、交通事情を考えると、両方とも約1時間と、それほど遠い場所ではない。繁華で、人の多いプーケットを選ぶか、遊ぶ場所は少ないけど、カオラックの、のんびりとしたリゾートライフを楽しみたいか、その選択の違いのような気がする。
もちろん、日本人が少ないから、日本人対応のゲストリレーションが無いリゾートも多いので、やはり旅慣れた人におすすめかもしれない。
まず最初にステイしたのは、ムクダラ・ビーチ・ヴィラ&スパ・リゾート(Mukudara Beach Villa & Spa Resort) 。総面積22エーカー(89030.8413㎡)の敷地には、タイ建築を基調とした、ヴィラが建ち、明るい緑に覆われている。
そんなヴィラと緑に囲まれた敷地のセンターには、レセプションからも眺める事ができるメインプールがある。プールバーもあって、大人の姿が多くて、一見、静かに遊ばなければいけないのかなと、緊張してしまうけど、水球で遊べるプールもあって、子どもたちがはしゃいでも、度が過ぎなければ大丈夫な感じ。
ビーチサイドにも、小さめのプールがあり、作りかけの立体パズルのうように、浅い場所やちょっと深い場所、さらに深い場所と色々と別れているので、親や大きな兄弟が一緒にいれば、小さな赤ちゃんでも水遊びが楽しめるようになっている。
目の前にマッサージする場所や、レストラン、バーがあるので、他の大人の目も多く、小さな子はこっちで遊ばせる方が良さそうだ。ちなみに、マッサージは、午後6時までと終わるのが早く、この場所でしかやってくれない。リゾートにしては350バーツと安い。
夜、マッサージしたい人は、リゾートの正面入り口を出るとすぐのところに、1時間250バーツでタイマッサージをしてくれるところもある。目の前には、ミニマートとか、美味しいレストランが多くあり、立地的にも悪くない。カオラック唯一の日本食レストラン「ENZO」も徒歩圏内。
メインプールは、木々に覆われた敷地内の中央にあって、ジャングルに覆われた池で遊んでる印象があるのだけど、長男の海友曰く、「木に囲まれてるから虫が多い。だから、海側のプールがいい」とのこと。虫をまったく気にしない二男、颯友は、「どっちのプールも楽しかったけど、メインプールでボールで遊べるのが良かった」とのこと。
レストランは海に面したTouch Beach Restaurantだけなので、「毎回海を見ながら食事ができて良かった」と息子たち。
妻の感想は、「リゾートの敷地内が落ち着いた感じで、ちょっと英語の通じないスタッフも多かったけど、皆、親切。所々にある、可愛い石像を見ながら、リゾート内を散策するのもいいかな。でも、木が多いから虫除けは必須」。
仕事を持ち込んでる自分としては、部屋でもフリーWIFIが使えることって結構ポイント。ムクダラでは、フロントエリアでは、フリーでWIFI使えたけど、部屋では1日150バーツ。
部屋のカテゴリーは、6つあって、その内4つを撮影させてもらった。今回僕らが宿泊したスタンダードルームは74部屋。2部屋を使用して、コネクティングルームを希望していたのだけど、今回はコネクティングルームが満席だったので、ただの隣部屋だった。できればファミリーで2部屋利用の場合はコネクティングルームをリクエストした方が良い。
ガーデンヴィラが51部屋、
ジャグジーヴィラが13部屋。この2カテゴリーはサイズや作りはほとんど一緒。
ハネムーンプールヴィラ6部屋には、プールがあって、塀で囲まれているので、プライバシーが保たれる。
ちなみに、ediveの東さんがムクダラで結婚式を挙げて、泊まったのが、このハネムーンプールヴィラ。ここで結婚式を挙げたカップルは、リゾート内に植樹ができて、記念のプレートの書かれた柵で守られている。もちろん、東さんと奥さんのアキコさんの植樹も、ご覧の通り。
そしてプレジデンシャルスィート2部屋の総部屋数計148部屋。
ディナーのときに、ダンスなどのイベントのある日もあって、1日レストランでの食事を予約したのだけど、始まる前に子どもたちが眠くなって、見れずに部屋に引き上げた。
ファミリー的には、もう少し早い時間にスタートしてもらえるといいのかなと思ったけど、チェックを済ませて、帰るときに、ランタンを飛ばさせてくれるサービスは、子どもたちも気に入ったようだ。
ediveの東さん、恭ちゃんの子どもたちが、お母さんたちと一緒に遊びに来たときには、海側のプールで遊んでいた。段差があって浅い場所も多いので、小さい子でも安心。
感心したのは、海友がずっとそんな小さな子どもたちを浮き輪に乗せて、遊ばせてあげていたことだ。東さんのところの雄太君は、それまで水を怖がっていたのに、海友がこうして遊ばせてあげたからか、まったく泣きもしないで、「あっち行って、今度はあっちいって」と海友にリクエストしていた。その様子を見て、パパ、ママも感心していた。少し大きな子が何かしてあげると、小さな子って案外今まで恐くてできなかった事ができちゃったりするんですよね。
そういうの見てると、やっぱり年齢の違う子どもたちで、色々遊ぶのはとても必要な事のように思えます。
最初は感心の無かったように見えた颯友も、いつの間にか、兄に習って、小さい子どもたちの浮き輪を引っぱってあげていたし。親や大人はそんな様子を側で見守ってればいい。何かトラブルが発生したときだけ、助け舟を出せばいい。そんな環境が沢山あるといいなと思います。
カオラックのハイシーズン(11月末頃から4月末ころまで)には高い宿泊料金。雨期となるローシーズンには半額になるそうだ。でも、雨期だからと敬遠しがちだけど、「意外と7月から8月は、雨も少なくて、料金も安いからおすすめ」とのこと。この時期に休みが取れる、通の日本人ゲストも宿泊にやってくることもあるとか。
ということで、慣れないリゾート情報を書いてみました。
次に宿泊したのは、ウォータースライダーのある、シービューリゾート。
スミラン諸島は、タイでももっともダイバーに人気のあるダイビングエリア。南北に連なる島々の東側には、白い砂地と、ハードコーラルやカラフルなソフロトコーラルの根が点在する癒しのポイント。西側には、岩がちの豪快な地形が連なる。
メインの島となるスミラン島他、9個の島々からなり、それぞれに名前がついているのだけど、ダイバーの間では、その島を南から北へ、No1~No9と呼ぶ。
この日最初に向かったのは、No4。透明度の高い事は、船上から見ても一目瞭然。船がポイントに接近すると、ダイバーたちが、エントリーの準備を始め、それぞれのガイドに付いて、OKのサインとともに、透き通る海に次々とエントリーしていく。
全てのダイバーのエントリーが終了すると、スノーケルのゲストをディンギーで島のビーチまで送ってくれて、スノーケル開始。
と行きたいところだけど、3時間海を目の前にしながら、泳ぐことができなかった息子たちは、スノーケルギアを付ける前から、「きゃ〜〜〜!」と歓声を上げて海に飛び込み、暴れ回る。お気に入りのサンゴを自慢気に持ってきて、嬉しそうに差し出すので、撮影してやって、「さあ、スノーケルの準備して〜」と言うのも聞かず、また「きゃ〜!」とか言って、そのまま海に飛び込んで行く。
「おい!スノーケルシーンの撮影したいんだから、ちゃんと準備しろよ!」
と言ったところで、
「は〜い」と生返事したまま、さらに歓声を上げて浅瀬で取っ組み合いして暴れ回り続ける。
遊べるのは、ダイバーがエキジットしてくるまでの小一時間。「はやくしろ!」と何度か言って、やっと準備始めるのだけど、そこにきて、「あ、マスク船に忘れた〜」だの、「マスクが顔に合わなくて水が入って来る〜」だの、お前らオレの仕事なめてんのか!と怒鳴りたくなるような事ばかり。撮影の仕事が無ければ、本来は「どーとでも好きにしてろっ」て思えるんだけど、「今回は仕事なんだからな」と何度念押ししても、自然の楽しさにはかなわない。まあ、プロの子役じゃないから、当然か。
どうにかこうにか、撮影の準備ができて、本当は3人一緒のところを撮影したいのだけど、今度は、水中で好き勝手に移動を始める。収集がつかない。
ediveの昇治君に二男の颯友を託し、僕は、海友をともなって、少し深い場所で、まずは素潜りの練習シーンやコンデジで魚なんか撮影してるシーンを撮影。
そこへ昇治君の背中に乗った颯友がやってくると、それを見つけた海友が、「おれも〜」とばかりに、のしかかってく。二人で昇治君の背中の奪い合いを始め、その重みに耐えられなくなった昇治君が僕の目の前で徐々に沈んで行く。
「溺れるかと思いましたよ」と事後、笑いながら呆れる昇治君。
本当〜にすみません。でも、これが「父親」って奴の現実なんだよ。
とにかく、「仲良く浅瀬でスノーケル」のシーンを撮影できた頃には、ダイバーたちが、母船に戻り始めていて、ディンギーが他のスノーケルのゲストをピックアップして、島に僕らを迎えに来た。
「撮影」で苦労したからかもしれないけど、もう少し時間が欲しいところかな。船に戻ると真水のシャワーを浴びます。使い過ぎに注意。
No4からNo7に移動。浅瀬に船をモーリングして、そこで、ランチタイム。朝食を抜いたので、ランチは沢山食べました。この頃には、日差しの強さに、二人とも、全身真っ赤。日焼け止めを塗っても、塗っても、この時期のタイの日差しは強烈なので、日焼け対策はしっかり取っておかないといけません。
ランチを終えると、2本目にダイバーがエントリーする前から海に入る。しかし、流れが強くて、ロープにしがみついているしかない。おかげで透明度は高かったけど。
他のダイバーたちが、エントリーした後、僕らも、ドリフトしながらスノーケルを楽しんだ。海友は、母親に手伝ってもらって、ここでもスノーケルの練習。今までゴーグル、素足でしかほとんど海で遊んだことがなかったから、スノーケルをつけて潜ると、「海水が入ってくる」とちょっと違和感を感じていたけど、すぐに慣れてました。それにしても、お母さんやお父さんがダイバーだと、スノーケルとかも教えてあげれるから、子どもの楽しみも増えます。
流れの強いところから、島影に回り込んで、そこでディンギーがピックアップしてくれるのを待って、船に戻ります。
船に戻るとすぐに、カオラックへ向けて移動を開始。帰るの移動途中でフルーツが出されます。そして、コーラは飲み放題。
帰りの移動では、疲れて爆睡(自分も爆睡していたので、写真撮るの忘れた)。夕暮れ時(6時くらい)にタプラム湾に戻って、解散。
帰り際、船を操船してくれたキャプテンにタイ語で「ありがとうごさいました」と握手してご挨拶。「こっぷるんかる」・・・・ちょっと違うけど、まあ気持ちは通じているでしょう。
行きと同じソンテウに乗ってホテルへ送迎。行きも一緒だった、スイス人カップルと、ダイビングの話で盛り上がる。
そして、この日は、これで疲れて終わりかな〜と思っていたのに、ホテルに戻るなり「プール行く!」と言って、日が暮れるまでプールで遊び続ける二人。本当に水が大好きです。さすがに疲れて付き合いきれませんでした。
次回は、宿泊したリゾートホテルのお話。
二男の颯友が幼稚園を卒園した今年の春休みの期間中、卒園のお祝いも兼ねて、どこか南の暖かい国のビーチリゾートで家族でのんびりしたいと思っていた。
候補地を探している頃に、オーシャナの取材の件で、タイのカオラックにあるediveの平川恭さん(普段は「恭ちゃん」と呼んでいるので、個人的に「さん」付けするのに違和感があるので、以下「恭ちゃん」とさせてもらう)とfacebookでメッセージのやり取りをしていた。
この企画は「どうせ春休み期間の取材なら、家族で来ちゃえば?」という、あまり物事を深く考えずに、その場のフィーリングで発言をしてしまう(ネガティブに書いているようだけど、僕は彼のそういうところが気に入っていて、長年仲良くさせてもらっているので、誤解の無いように)恭ちゃんの一言から始まった。
「え?本当に連れて行っていいの?結構大変だよ、奴ら」
「いいんじゃないっすか〜」
「でも、取材内容はどうするの?」
「そうっすね〜、じゃあ、ファミリー企画ってことで」
「どんな?」
普段は、クルーズ主体の取材を行なっているedive。ここ最近は、タイ国内での取材ではなくて、インドのアンダマン諸島、隣国のミャンマーへのチャータークルーズを取材した。それ以外にも、インドネシアのコモド諸島やラジャアンパット、デラワン・サンガラキクルーズなどを積極的に企画している。
まだダイビングのCカードも持っていない子どもたちを一緒に乗船させて、どんな取材をすればいいのか。
「じゃあさ、クルーズで海友(小学生の長男)にCカード取らせちゃいましょうよ。まあ、本人のやる気次第だけど」
「え〜、どうかな、本人に聞いてみるよ」と言って、海友に「ダイビングのライセンス取りたい?」と訪ねたところ、即答で「取りたい!」と返事が返ってきた。
「取りたいって」
「じゃあ、決まりっすね。後は〜、そうだな〜デイトリップでスノーケル、リゾートステイ、カオソックで川下りやエレファントライドとかかな〜。まあ、適当でいいっすよ」
・・・ダイビングの「ダ」の字も出てこないんだけど、まあ、とにかくそんな感じでファミリー企画がスタート。
で、最初に取材したのは、デイトリップで行く、スミラン諸島でのスノーケル。
カオラックから出ているスミラン諸島へのデイトリップには、大きく分けて、2通りの方法がある。
一つは、スピードボートに乗って行くパターン。そしてもう一つが、デイトリップ用の大型のダイビングボートに便乗して行くパターン。どちらもいつくかのダイビングショップが乗り合いになる。
大きな違いは、スピードボートの場合、シミラン諸島まで約1時間弱で着くのに対して、大型のダイビングボートの場合は、2時間30分から3時間かかるということ。
ただし、スピードボートは早くに現地に着くけど、居住スペースが狭く、海が荒れると、結構跳ねて大変。大型ダイビングボートの場合は、のんびりゆったりで、天気が良ければ船首のスペースなどで居眠りしながら移動ができる。
個人的には、海風を感じながら、のんびりゆったりが好みだけど、果たして子どもたちが長時間の移動をどう感じるのか、多少気になりながらも、大型船でのスミランスノーケルツアーを選択。
まずは、ホテルのフロントに迎えに来てくれた、ソンテウ(ピックアップトラックの荷台を改良して、座席が設置してある、タイでは定番の)送迎車に乗って船の出るタプラム港へ。ソンテウの中で、一緒に乗船するゲストとの間で会話が生まれる。今回一緒だったのは、ドイツからのカップルと、スイスからのカップル。皆ビギナーダイバーなのだけど、「海の中は最高だよ!昨日はカメを見たよ!」とダイビングで経験した感動を嬉しそうに話してくれた。
スイス人の男性は、最近空手を始めて、日本の文化に興味があるので、いつか行ってみたいと話していた。色帯を持つ息子たち、特に二男の颯友は、白帯の男性に対して、ちょっと自慢気な表情を見せる。片や、兄、海友はちょっと恥ずかしそう。
港に停泊中のデイトリップの乗り合い船に乗船。ボート名はディスティニー号。今年できたばかりの新造船。ediveの高見沢昇治さん(以下、昇治君)がガイドとして乗船してくれた。今回は、一緒に乗船してくれたけど、繁忙期などで、ダイビングのゲストが多いときには、ediveのスタッフではなくて、船のスノーケルスタッフ(タイ人)が対応する場合もある。
後方のトップデッキは、すでに、ゲストで満杯なので、船首側に移動。移動時間3時間近くと聞いて、朝早かったので、早速眠る体勢に入る息子たち。
その頃、後方では早速朝食の用意が。今回はリゾートで食べてきたので、スキップ。
さすがに、途中で起き出して、船首で海を眺める。移動途中島も見えないので、もっぱらの感心事は、たまに飛び跳ねるトビウオ。
「あ!トビウオ!」と指をさし、「ねえ、トビウオって何メートル飛べるか知ってる?」と質問してくる颯友。「さあ?どれくらい飛べるんだろう?」と答えると、「100mだよ!100mも飛べるんだよ!だからさ、101mは絶対飛べると思うんだよね〜、どう思うパ〜パ〜?」と言うので、「そうだね。きっと飛べるね」と返事を返した。
後で、ウィキペディアで調べたら、確かに「滑空時は100mくらいは当たり前に飛ぶことができ、水面滑走時の速度は35km/h、空中滑空時の速度は50~70km/h、高さ3~5mに達する(大型のものであれば600m程度滑空するものがある)」と記載されていた。ちゃんと調べてるのね。
移動途中でダイビングのゲストにブリーフィング。魚の写真の沢山載っているブリーフィング用のファイルに興味を示し、やたらとガイドに質問をする颯友。「これ知ってる!これはリーフィーシードラゴンだよね〜?」。「それはニシキフウライウオ。リーフィーはオーストラリアにしかいなんだよ」と優しく答えてくれる、ガイドのランちゃん。ブリーフィングが進まず、申し訳ありませんでした。
太陽の下で、さんざん質問しまくった挙げ句、あまりに質問し過ぎて、喉が乾き、日陰でコーラを飲んでいた兄海友に「オレにもコーラ〜!」と懇願する颯友。「ただなんだから、自分で取って来いよ」と言いながらも、しょうがなく分け与える。船上では、水とコーラは飲み放題。
そして、いよいよスミラン諸島が見えて来た。と書いたところで、あまりに長いので、スノーケルのお話は次回。(ちなみに、スピードボートの場合、ライフジャケットを必ず装着。この船でも、リクエストすれば、子ども用のライフジャケットを用意してくれる)
トンガから帰国した翌日、妻と子どもたちは、ケーキ作りの教室に行き、ピカチュウのケーキを作って帰ってきた。
型にはめるだけみたいだったから、簡単に作れたようで、そのまま食べても良かったのに、二人ともパパと一緒に分けて食べると、家まで持って帰ってくれた。
家族4人で分けて食べる、子どもたち手作りのピカチュウケーキは、どんな高級で美味しい食べ物より美味しい!・・・・とは言わないまでも、疲れて帰ってきた身には、何よりも励みになることは間違いないな。
一昨日は、リムジンバスで、ディズニーランドホテルまで戻ってきて、妻に車でそこまで迎えに来てもらった。車内でいつものように息子たちの話を聞くと、11月に予定していた家族でのヤップ旅行が、微妙になっていることに触れた。
今、中国資本が参入して、ヤップ人の大工さんたちと、自分たちで建てた小さなコテージのあるヤップのワチュラブ村に、巨大リゾートホテルを建設する話が進んでいて、僕らのコテージの真上にそのホテルが建つ予定になっているらしい。4000室の大ホテル。僕らの1階と2階に一部屋ずつの山小屋のようなコテージとは到底比べ物にならない。
今現在、推進派と反対派に別れて、色々な衝突が続いているらしく、反対派から、推進派の議員や中国関係者が襲われたりしているのだそうだ。
当初の予定では、僕らが家族で1年前から11月に行く予定を建てて飛行機のチケットも購入していたんだけど、その頃には、僕らのコテージは取り壊されて、工事が始まっている予定だったらしい。しかし、そうした両派の小競り合いから、着工が先送りになったりもしているとか。
このコテージは、子どもたちと壁のペンキを塗ったり、僕がベッドやテーブルを作ったり、妻と玄関の敷石を作ったり、皆で木を植えたり、そして村の人たちが作るの手伝ってくれた思い出のコテージだから、自分としては、残っていて欲しいと思うのだけど。
それに、巨大リゾートホテルが建てば、子どもたちの楽園だった、楽しくて、小さくて、手つかずの自然が沢山残っていた村は無くなってしまって、すごく快適ではあるのだろうけど、僕個人的には、何の魅力も感じないどこにでもある、高級リゾートに変わってしまう。
直接的では無いにしろ、まさか自分たちが、そういう問題に関わる事になるとは思いもしなかった。でも、日本にいて、いや、ましてやほとんどロケでどこにいるか分からない自分にとっては、現地にいるライズダイビングセンターのオーナーガイド、大ちゃんに任せるしか方法が無い。傍観するしかない。
妻が子どもたちに、11月はヤップ旅行を見合わせることになったと告げると、ずっと楽しみにしていた、大好きな「ヤップ」への旅行だっただけに、二人の失望は大きかったようだ。海友は、小学校の夏休みの自由仮題のテーマを「ヤップ島」にして、色々調べて、提出していたくらいだ。
颯友などは、その理由が、中国が大きなリゾートホテルを建てるからだと聞かされると、「あんなに自然が豊かなのにね〜!」と憤慨していたそうだ。たった5歳なのに。
ヤップのワチュラブ村は、僕だけで無く、僕ら家族にとっても、どんな高級で美味しい食べ物よりも、疲れを癒してくれる、子どもたちが手作りで作ってくれたピカチュウのケーキみたいなものだと思った。
そこに関わった人にしかわからない、大切な物。せめて、ピカチュウのケーキを家族で分けて食べたみたいに、一度くらい、家族で一緒にそのコテージで寝泊まりしたかったな。
ヤップ人の伝統的文化を尊重し、守って行く風習も、失われていくのかな。いずれにせよ、選択するのは、彼ら自身だ。
セブロケ帰国翌日、バハマのリピーターの人たちと、家族ぐるみのキャンプに行って来た。15年も続けていると、子どもの生まれた人たちも多くて、今回は、1組以外は皆子連れ。
でも、まだ小さくて、一番上が海友、2番目が颯友。
今回は特に面白い話とか無いので、写真にそれぞれコメント入れて、個人的な思い出にしときます。
キャンプ場には、川が流れてて、雨も降っていたせいか、水かさが増してる感じで、ところどころ、流れが早くなっていた。水も冷たいけど、子どもたちはおかまい無しで、遊びまくる。
問題なのは、知らない人にまで、水鉄砲で無差別に攻撃を繰り返すことだ。怒る人はいなかったけど、さすがにこちらは、その度に「す、すみません」、「ご、ごめんね〜」と謝らなければいけない。
気づいたら、知らないお兄ちゃんたちに混じって、水の掛け合いしてるし。
体長、1cmくらいの川魚の稚魚を見つけて、捕獲する二人。このときが一番安心して観てられた。
しかし、退屈すると、何故か流れの早いところに行き、流れに飲まれたがる二人。海友はこの前に一人で参加していた、5泊6日の子どもキャンプで、すでに川で流れに飲まれて、岩に頭と鼻の頭を激突して、鼻血出した経験があり、「颯友にも川の恐さを体験させたかった」と訳のわからない発言を繰り返す。
で、颯友が流れに飲まれて転がりまくる見ながら「ハヤト!川こわいだろ!、海よりこわいだろ!」と叫ぶ。
転がる颯友を何とか捕まえて、つかみあげると、颯友も、「こえ〜!川こえ〜!、川の恐さを知ったよ、カイト〜!」と納得してる。
岩にどこもぶつけなかったから良かったけど、自分は、これはちょっとヤバいとマジで思って必死に奴を捕まえた瞬間に、ヒザを岩に強打。いまだに痛みが取れない。
夜には、サプライズで、僕の他、海友や他に9月生まれの人たちにお祝いのケーキが出されたのだけど、真っ先に、ケーキをぐちゃぐちゃにしたのは、11月生まれの颯友だった。これと同じようなシーンを前回のキャンプでも目にしたな。
朝目覚めると、男の子は全員一カ所に集まって密談?ただ、単にこコロコロコミックスを見てるだけだけど。でも、一番見入ってたのは、お父さんの方?
で、女の子はその密談の輪には加わらず、お母さんの側を離れない。
2日目は、日原鍾乳洞に。「写真撮るから、ポーズ撮れ!」と年長組の悪ガキ3人衆(海友、颯友、おーちゃんは、ヤップでも一緒になった事がある)
皆、まとまりなくて、バラバラ。まあ、そういう年頃だよね。男の子だし。
鍾乳洞の中は、10度。最初は寒かったけど、あまりに高低差があり、上り下りばかるするので、海友も颯友も早々に、Tシャツ。
鍾乳洞出たところで、皆で記念撮影。1組だけ、先に帰っちゃってたけど。
洞窟出てから、ベビーキャリーに1歳のあいりちゃんを背負って歩く海友。あいりちゃんも嬉しそう。
食事処に入って、あいりちゃんのママが抱っこしてるのに、何故か「だっこ、だっこ」と海友に抱っこをおねだりする、あいりちゃん。これには僕らもびっくり。海友は、確かに小さい子に好かれるんだけど、こんなに好かれるとか(笑)。それとも、この抱っこが居心地がいいのかな?
さんざん遊び回った二人は、帰りの車の中で爆睡。
夏休み最後の、楽しい思いでになりました。
バハマ出発前日の夕方
午後3時頃、「ねえ、パパと外に遊びに行きたい」と二男の颯友が言い出した。
出発までにやらなければいけないことは沢山あるのだけど、息子たちとの交流も、当然その中の一つ。
頭の中で、時間のやりくりの計算を思い描きながら、1時間か2時間ならいいかと思い「よし!じゃあ行くか!何処行く?」と訪ねると、
「向うのね、海の近くの公園からこ〜う回って、回って、探険するんだよ」
そう行って、でかける準備をしていると、兄の海友が英語のクラスから返ってきた。
「僕も行く!」と行って合流。
最初は、探険のはずだったのだけど、颯友は、背中にサッカーボールの入ったビニール袋を、そして何故か海友は、ぽこぽこ?を持ち出してきた。颯友が幼稚園から持って帰ってきたものだ。
自分も、新たにDLしたアプリ、instagramを試したくて、奴らの行動を撮影しながら一緒に探険をすることにした。
探険の始まりは、何故かこれ。
しかし、その間に颯友は、どんどんと海の方へ
海友と一緒に追いかける「お〜い!颯友〜」
追いついた海友は、一緒に海へと向かう。僕は、ズームで二人を撮影
何で自転車乗ったまま、こんな草むらに入り込む?
海岸の公園で遊んだ後、「もう帰ろう」って言ってるのに、「やだ!」と言って逃走
さらに先へと進んで行く
おいおい、せっかく草むら抜け出したんだから、また戻るのはやめようよ
じゃあ、今度は川だ〜!
「ちょっと待て、もう暗いんだから帰ろうよ!」「やだ〜!」
斜面を滑り台にして遊ぶ
やっと公園まで戻ってきた。海友はそのまま先に一人で帰る。
しかし、颯友は、「パパとサッカーやりたい!」と言ってきかない。
しょうがない、やってやるよ。辺りはもう真っ暗。時間は7時を回っていた。
ゴールを決めて1対1で対戦。
早く帰りたくて9対1で負けてあげた。颯友は自慢気。
「もう帰ろうよ〜」
「これで帰るから、パパ自転車持ってて」
「それで帰られたら、困ります」
結局家に帰りついたのは、8時過ぎ。
パラオから帰国して、久々に家に帰る。息子たちは、パラオに行く前に小学3年生と幼稚園の年長に。新しいクラスの事、友だちの事、色々な話を妻と息子たちから聞いた。やらなければいけないことは山ほどあるのだけど、話したい事は沢山あるようだったし、実際自分も仕事とは関係の無い、そんな話を沢山聞きたかった。
息子たちは、ソファーに横になって疲れを癒す僕にくっついたり、ずっと側にいて遊んだり、僕の身体の上に乗っかたりしながら過ごした。二男はフィリピンに行く準備をする僕に肩車しようとよじ上る。「これが一番やりたかったんだよな〜」とぼそぼそ言いながらよじ上られると、重くて荷物の詰め込み作業ができなくなるんだけど、少し我慢しようと思ったり。
本当はゴールデンウィークは仕事を入れないで、息子たちと一緒にいたかったな。
フィリピンのツバタハへの出発日の今日は、颯友の幼稚園のパパ友たちが主催して行なわれるファミリーバーベキューパーティー。全てをパパが取り仕切り、参加するパパの家族が招待される。本当は自分も家族と一緒に参加する予定だったのだけど、残念ながら僕だけ不参加で、妻と息子たちだけの参加。
もう少し、息子たちの成長を近くで見ていられる時間が持てるようになりたいな。そう思った、1日だけの帰宅だった。
連日のように、リゾートのプールと目の前の海で暴れ回る二人。何かあっては、と付いて回ったのは、2日目くらいまでで、それ以降は、ライフガードの人も沢山いることだし、特に迷子になるほどの広さって訳でもないし、自分たちで僕らのいる場所まで戻ってこれるし、部屋にだって戻れるってことで、ほとんど野放し状態に。 (今回も写真多めです)
8歳の海友はともかく、5歳の颯友も大丈夫なの?って思うかもしれないけど、奴には、ライフジャケット入りの上下がセットになった、ラッシュを着せているので、万が一にも溺れる心配は無い。まあ、唯一心配なことと言えば、トイレに行くときは、背中のジッパーを下ろしてやらないといけないので、もよおした時に、即効で僕らのところに戻って来れるか、あるいは、奴が誰かに頼めるかってことだ。今のところ、問題はおきて無さそう。
二人で遊んでいるときもあれば、それぞれ単独で好き勝手に遊んでるときもあるし、同じように長い滞在で友だちになった子と遊んでる時もある。
しかし、昨日くらいから、海友が始めた事があった。それがバブルリング作り。自分がバハマで船を停泊しているときに、素潜りで作ってみせていたのを思い出して、見よう見まねで練習していた。
その様子をちょっと撮影してみたんだけど、近づくと恥ずかしがって止めてしまう。
夕食の時に、「明日は少しやり方教えてやるよ。だからちょっと一緒に練習してみよう」と伝えると、ちょっと恥ずかしそうに「うん」と返事が返ってきた。
そして翌日、午後はノースショアにウミガメの甲羅干しを見に行く事にしていたから、午前中に練習してみることに。
最初にやってみせて、口の形や、「もう少し優しく、空気を丸めるように出してみて」とか、「プールの手すりに捕まって、水底に水平に寝そべって、落ち着いてからやってみな」と伝えて、何度かやってみた。
最初は、ゴーグルも着けずに、やっていたので、自分の出した空気が、ちゃんと丸くなってるかどうかもはっきり確認できなかったみたいだったけど、おしい感じのが何回か作れた。
「ゴーグルつけてちゃんと確認しながらやってみな。優しくね優しく出すんだよ」そう伝えて、ゴーグルをつけてトライしてみた。何度目かに、何個かちょっといびつだけど、奇麗な輪になったバブルを作ることができた。
「すごいじゃ〜ん!海友、あともうちょっとで、奇麗にできちゃうんじゃないの!」と誉めてたら、5歳の二男の颯友が、「はやともやる〜!はやともバブル作る〜!」と言い始めた。
「え、お前が?まだ無理なんじゃない」と冷静に言うと、「やる〜、やる〜!」と襲いかかってきたので、「わかった!わ〜かった、じゃあ見ててやるから、やってみな」と言って、マスクつけて、潜って待っていたら、プールの階段の手すりに捕まって、水中に入ってきた。
「・・・・・」傍観する父
「ぷっ!」
颯友:「ぷぷぷぷぷ〜〜!」
父:「だ、だめだって、空見上げるみたいに、上見ないと、バブルは作れないよ」
颯友:「やっぱゴーグルつけてやる」
父:「おし、じゃあ、もう一回な」
身体を横にして、水中に入ってくる颯友。
父:(お、良い体勢、そんな感じ、そんな感じ。いいぞ〜)
父:(あ、身体が立ってきてる、もっと倒して、もっと〜)
颯友:「かはっ!」
父:「えっ!?」
颯友:「かはははははは〜〜〜〜〜!」
父:「かはかは言いながら沈むな〜!」
水面に戻ってから、
颯友:「おい、とうちゃ〜ん、どうだった〜(くれよんしんちゃん風に)?」
父:「やる気だけは認める。だから、特訓だな」
颯友:「じゃあもう、やめる〜」
今回の旅行は、フリーになってから初めてのまったく仕事抜きの家族旅行のはずだった。しかし、来る直前に、コンデジのサンプル撮影の仕事を依頼されたと前に書いた。だから、今回撮影している写真は全て、このコンデジで撮影している。
基本は、水中での撮影。しかし、ハワイでは、海に入ってダイビングする事は当初から予定していなかったので、プールで遊ぶ息子たちとか撮影してみた。はたして、これが、サンプル撮影用として、活用できるのかどうか定かでは無いけど。まあ、楽しそうだからいいか。
で、今そのコンデジの様々な撮影モードを使って撮影をしている。ちなみに、画像クリックすれば大きな画像で見れます。普段はあまり大きな画像にしていないですけど。
これが、ジオラマモード。
まあ、今となっては、このモードは普通にコンデジに着いてたりする機能なのかな。あまり使ってないから良くわからないけど。もう一台、愛用しているリコーのGXRにもついている。他のは使ってないから知らない。
それから、これはパノラマモード。
パノラマモードって、昔はただ、フィルムのセンター部分しか写らないようにしてただけだけど、デジタルでは、何枚もの写真を連射してつなぎ合わせて1枚の写真にするため、こんな写真も撮れる。
上手くやらないと、移動途中のこんな映像が合成された写真が撮れてしまう。まあ、これはこれで面白い。
という感じで、コンデジでの撮影を楽しんでいる。
今日はワイキキのビーチでのんびり1日過ごすことに。(写真多めです)
せっかくだからとカタマランのヨットに乗船して、プチクルーズを楽しもうということになった。
最初は人数も少なくて、ロコのかっこいいお兄さんと、その飼い犬と数人のゲストしか乗船していなかった。なので、海友も颯友も広々とした空間で楽しめると喜んでいたのだけど・・・・。
出発直前になって、一気に若い女性客が10数人ほど乗り込んできた。
船はあっという間にガールズのパーティー船状態?
しかし、その状態に露骨に不満気な表情を見せる男が一人・・・
颯友だ。
「おいらは犬と一緒に海に出航したかっただけなのに」
こっちにも、
そして、こっちにも
「女の人ばっかりで、も〜うんざり・・・」
一方、兄海友の方は父と仲良くクルーズを楽しんでいた?
やっとビーチに戻り、父と一緒に砂に穴掘って遊ぶ。
しかし、そこにも犬を連れた可愛いロコの女の子が登場。
「アロ〜ハ!わお、大きな穴ね〜」
「あの、犬はいいんだけど・・・・・・女の人はだめです」
フィクションです。
今日は、DOLEプランテーションの巨大迷路に行ってきました。巨大迷路を制覇した直後くらいから雨が降ってきました。体調が完全で無い海友は、疲れたのと、寒さでまた熱が出てしまいました。
・・・・・、なんか子供の日記みたいだな。
ということで、ワイキキのコンドに戻り、とにかく海友は、後半のメインのホテルで体調を戻す事に専念した方が良いと伝えて、早々と睡眠。
パワーを持て余してる颯友は、僕と一緒に屋上のプールへ。しかし、風が強くて、早々に引き上げる。それでもまだパワーが有り余っている。何かやらせなくては、と思いついたのが、KOKOROKOINOBORIプロジェクトの手描きの鯉のぼり作成。
颯友の幼稚園のパパ友にも、何流か渡して、作成してもらう事になっている。僕らがハワイにいる間に集まって作成してくれるのに、自分たちは、そこに参加できないので、何流か、こちらにも持ってきて、家族で描くつもりでいた。
本当は、海友も元気なときに、全員で描きたかったのだけど、パワー有り余る颯友に早めに描かせることにした。
あんなに落ち着きない颯友だったのに、「被災地の子供たちにプレゼントするんだよ。バハマでも大きいの描いたでしょ」と伝えると、相当に真剣になって描き続けた。
絵も字もへたくそだけど、とにかく何故か字を書きたがった。「がんばれにっぽん・はやと」と書いり、とにかくまとまりは無いけど、一人だけで、一生懸命描いていた。もう寝ればいいのに、「あともうちょっとかこうかな」「あともうちょっとかこうかな」とぶつぶつ言いながら描き続けていた。
夜11時過ぎ、気がついたら、そのままテーブルの横で眠ってしまっていた。
この手描きの鯉のぼりは、多くの人が描いてくれた、大小合わせて、約200の手描きの鯉のぼりと一緒に、5月4日、5日に、岩手県の大船渡市で開催されるけせんフェスの会場で空に舞う予定。
コンドの屋上のプールで朝早くから遊び過ぎて、長男の海友が熱を出した。3月のワイキキは、天気は良くても、風も水温もまだまだ冷たい。特に今年は寒いそうだ。
翌日には、熱も下がってきたのだけど、まあ遠出しないで近くでのんびりしようということになった。
たまたま同じ時期に合わせて、ミナ(妻)のおじさんが、ハワイに遊びに来ていた。というのも、おじさんの息子、ミナの従妹が、ハワイのイタリアンレストランで、エグゼクティブシェフとして働いているからだ。お店の名前はワイキキビーチウォークにある「タオルミーナ」。 相当人気のレストランらしい。
しかし、大変だったのは、そこに行き着くまでの二男、颯友の暴れっぷり。体調もまだ完全でない兄は、さすがに、しっかり母親について歩くのだけど、二男はとにかく寄り道したがるし、どこかに逃走しかねない勢い。
スキあらば、「大人しくしろ!」と注意する僕にパンチと蹴りを入れてくる。一度なんかマジで金的に直撃して、「うっ」という鈍い悲鳴とともに、一瞬しゃべれなくなった。でも、周囲には気づかれないようにしていたけど。映画で、子役が大の大人に金的蹴り入れたくらいで、大した事ないだろうって思っていたけど、入りようによっては、5歳の子供の蹴りでも、相当に効く事を実感した。
どうにか、お店の前でおじさんと合流。店内で従妹のヒロ君と出会って、ランチを食べた。前回に会った時は、まだイタリア修行中だった頃。今はさすが料理長になって、貫禄も出て来た感じ。料理はパスタ中心に。自分はネットでも話題になっていたウニのパスタをオーダー。美味しかった。デザートは、ライチのシャーベットがおすすめ。
ランチ後、また海友の体調を考えて、コンドに戻ることにした。しかし、「ビーチを歩きたい」という二人の要望で、途中からビーチへ。相変わらず、ビーチのかさ上げ工事をしていて、波打ち際には、大きな段差ができている。
息子たちは、海と波を見ただけで、「きゃ〜〜〜!」と歓声を上げて、その段差の下へ。
何か嫌な予感・・・「おい、水着持ってきてないんだから気をつけろよ!」
「きゃ〜〜〜〜!」 ざっぱ〜〜〜〜ン!!!
「・・・・・・・・」
ごろごろごろ・・・・。その後も周囲で見てる人が心配になって、「おい、両親、ほっといて大丈夫なのか?」という不安そうな顔を僕らに向けるくらい、服のまま波に飲まれまくる二人。
途中で颯友が、「砂が入って気持ち悪いから、全部脱いでいい?」と聞いてきたけど、さすがに、ここでマッパはやめてくれと懇願。さすがに、海友はもう恥ずかしいらしく、脱ごうとはしなかったけど。
結局砂だらけになり、ビーチの冷たいシャワーを浴びて、で、着替えるものも、タオルも無く、そのままコンドへ。
戻ったところで、ハワイに住む友人から電話が入った。僕らがハワイに着く直前に、二人目の子供が産まれて、バタバタしてるから、会えないかなと思っていたのだけど、今日なら時間作れるから大丈夫なら会いましょうって事になり、迎えに来てもらって、ローカルに人気の(というか友人が好きで良く行く)BIG CITY DINNERへ、連れて行ってもらった。ただの大衆食堂かと思いきや、「ベストレストランアンダー$20」という賞も受賞している人気店だった。っていうか、前に来た時にも連れて来てもらったな。
しかし、すでに遅めのランチでたらふくイタリアンを食べていた僕らは、このボリューム満点の美味しい、早めのディナーを堪能できる程の胃袋は残っていなかった。はずなのに、ロコモコとフライドライスを頼んで、結構食べれてしまった。おまけに最後にデザートのアイスとケーキも。
ということで、この日1日で、お気に入りのTシャツが着れなくなるくらいに体重が増量した感じ。
その後、もう一件行こうと思っていた場所があったのだけど、子供たちが眠くなってしまったので、そちらに行くのは諦めて、コンドに戻った。しかし、そこでも何故か眠りから目覚めた二男は暴れ回る。
あまり触れてはいないけど、あまりの傍若無人な奴を反省させるために、5分間の黙祷を課した。
しかし、空手で慣れているせいか、あっさり5分をクリア。しかもベッドの上だし。あまり効果の無いまま、終了し、そのまま暴れ続けたのだった。
3月20日、息子たちが春休みに入った翌日、家族でハワイに到着。実は、新聞社を辞めてから(つまり結婚してから)、全く仕事が絡まずに、家族で海外旅行するのは、今回が初めてだった。結構色々な場所に連れて行ってはいるけど、全て仕事が絡む(と言っても、端から見ると、ただ、楽しそうに写真撮ってるだけって思われるかもしれないけど)旅行。
で、今回は「絶対仕事用のカメラ持っていかない!」と心に決めていた。確かに、いつも仕事でメインで使っているカメラは一台も持って来なかった。だけど、これも実は出発間際まで、どうしようか相当に悩んだ。だって、今まで海外に行くのに、メインのカメラを持っていかなかった事なんてなかったから。
直前まで、カバンから出したり、入れたりを繰り返していたのだけど、最後の最後に、断腸の思い(大げさ)で、全てカバンから取り出した。
もちろん、家族との時間をのんびり過ごしたかったって言うのもあるのだけど、実は、この旅行直前に、某メーカーのタフモデルのコンデジのサンプル撮影を頼まれたからというのもある。某メーカーって言っても、下の写真見ればどこのカメラかは一目瞭然だけど。
過去にも何度か頼まれたことがあったのだけど、だいたい「メインの撮影の合間に撮る」って感じで、どうしてもベストの撮影環境の時に撮影することができていなかった。それがいつも気になっていたので、今回は、基本全部このカメラで撮影するって決心するためにも、持って来るのをやめた。・・・・・とか言いながら、同じメーカーのミラーレス一眼は2台持って来ちゃったけど。でも、とにかく軽いのは嬉しい。息子たち暴れ回るし。
息子たちの写真も基本LUMIXのDMC-FT4で撮影。・・・・、ということで、サンプル撮影をするので、結局まったく仕事無しにはならなくなってしまったのでした。
ちなみに、出発日間違えたのは、21日の午前12時20分発のフライトだったから。羽田空港に遅くに到着して、眠そうな二男、颯友。
妻の話によると、初日、プールで遊び、ビーチで遊び、食事して、かき氷食べただけで、「いいな〜、ハワイいいな〜、プールや海で遊べるし、暖かいし、楽しいし、かき氷食べれるし、ハワイで産まれてたら良かったのにな〜」と嬉しそうにしていたらしい。「じゃあ、生まれ変わったら、ハワイに産まれてくればいいね」と妻が言ったら、「あ、でもいいんだ、そのうち、仕事で来れるようになるから」とえらく自信満々に言ってたらしいけど、いったい、どんな仕事に着く気なのか。ちなみに、颯友にとっては、今回が初ハワイ。
ワイキキのビーチで、ロングボードを持った男性とすれ違う、長男、海友。海友は、1歳になりたての頃、一度だけマーシャル諸島からの帰りにハワイに来たことがある。本人はもちろん覚えていないけど、奴が歩けるようになったのは、このオアフ島だった。
海友も、大喜びしながらも、写真でもわかるよに、何かメモしながら、ビーチを徘徊していた。どうやら、気になった事とか、感じた事を忘れないようにメモしているらしい。まあ、書いてあることは、「海がきれい」とか、「裸足で歩くと砂が気持ち良い」とか、そんな感じだったけど。
自分が気になったのは、ワイキキのビーチに沢山の砂が積み上げてあったこと。どうやら、海岸の砂が浸食してしまって、そのかさ上げ工事用の砂らしい。景観は悪くなるので、ちょっとがっかり。最初は津波の影響なのかと思っていた浸食は、このサイトを見て、長年の浸食の結果だと知った。
まあ、取りあえず、滞在も長いので、仕事も多少抱えているけど、基本的には、家族の時間を大切にしたいと思います。
12月17日土曜日と18日の日曜日には、パーティーが続いた。一つは、岩手のガレキ撤去作業を続けている、くまちゃんと、三陸ボランティアダイバーズの忘年会。熱海の温泉宿で泊まりで開催された。40人程のメンバーが集まり、仮装大会?やビンゴゲームなどをして盛り上がった。
後半、津波後の活動を綴ったビデオでは、感激して涙を流す人たちも。それに、最後の挨拶では、三陸VDをNPO法人として、認可させた立役者の早乙女君(副理事)が、くまちゃんを信じて、ここまでやってきた事、活動に参加してくれた人たちに涙を流しながら、感謝の言葉を述べた。
自分は、お酒を沢山つがれて、早々に顔赤くしていただけだったけど(これでも一応理事になっている)。おまけに、ずるしてビンゴの景品を2つもらい、宴会で皆が残したみかんを、「子供が好きだから」と紙袋に沢山いれて、持ち帰ったりしてた。
宴会が終わった後も、それぞれの部屋で2次会とかが行なわれたのだけど、翌日も家の方でホームパーティーがあったので、別の部屋に行って、早めに寝かせてもらった。
朝5時に起きて、熱海6時30分発の新幹線に乗り、新浦安の家に帰り着いたのは、8時くらい。2時間弱で帰れちゃうんだな〜と感心。でも、せっかくの温泉宿なのに、温泉に入らずに帰ったのは、ちょっと残念だったかな。
で、日曜日には、近所の赤ちゃんのいる家族とホームパーティー。しかも、双子2組。海友と颯友がお兄ちゃんになった日。
と言っても、海友は、近所のお母さんたちにも感心されるくらい、赤ちゃんや小さい子の面倒を見るのが好きなので、この日もこんな感じで赤ちゃんを抱っこしたりしていた。でも、あまりに赤ちゃんが多過ぎて、誰の面倒を見れば良いのかちょっと途方に暮れていた感じでもあった。
今日家に遊びに来てくれたご家族は、震災の後、妻がマーケットで物資を購入し、レジでお金を払おうとしたら、財布を忘れていて、途方に暮れていた。それに気づいて、わざわざ離れたレジにいて、お姉ちゃんと双子の赤ちゃんを連れていたにも関わらず、お金を貸しに来てくれたのがご縁で、仲良くなった。自分も子供たち連れて物資購入に来ている大変な時でさえ、災時とはいえ、まったく知らない他人の事を思いやってくれたその気持ちに、妻は本当に感謝していた。
三陸VDの人たちとも、このご家族とも、あの地震をきっかけに知り合いになった人たち。「誰かのために、何かをしてあげたい」と心と身体が自然に動いて、それを当たり前のようにできる人たち。
色々な人たちとの、色々な出会いがあるけど、こういう縁は、いつまでも大切にしていきたいと思う。
前にも書いたが、自分がトンガから帰国したとき、長男の海友は風邪をこじらせていた。今はやりの咳が出続ける風邪。学校も1週間近く休むことになった。
特に夜中、激しく咳をして、苦しそうな長男を見ているのは本当に辛かった。やっと最近復調してきたけど、代りに自分がもらってしまったようだ。
本当は、海友が直接見せたかったのだろうけど、体調が悪くて寝込んでいた海友に代って、ある日、妻がそっと見せてくれたのが、小学校の自由研究で描いた絵日記。タイトルは「ぼくが会った海の生き物2011」
ジンベエスイム2日目、僕の家族も全員がボートに乗り込んで出発。昨日ほど凪ではなくて、できることなら、昨日息子たちを乗せておけば良かったかな〜と少し後悔した。とは言っても、多少の波があるだけで、悪いコンディションではなかった。
昨日10時間プールと海で遊び続けた二人は、6時30分に起こされて、超不機嫌そう。それでもジンベエザメと泳ぎたいという一心から、ダレダレながら僕らについてホテルを出発。二人とも日焼けで真っ黒、というか茶褐色?になっていて、そのせいかまぶたも腫れぼったい。
皆と一緒にボートに乗り込んだけど、二人ともあっという間に眠ってしまった。昨日はジンベエの群れをすぐに発見できたけど、今日は多少波もあるせいか、昨日と同じポイントに着いてもなかなかジンベエザメが見つからなかった。しかし、そのポイントよりもさらに沖合いでジンベエ発見の連絡を受けて直行。
そこには、昨日同様に無数のジンベエザメが背びれと尾びれを水面に出して捕食を続けていた。
いざ入る段階になると、海友も颯友もあっという間に眠りから覚めて「はやく入ろう〜!」とまだ僕らが誰もエントリーしてないのに、ラダーから海に入って行こうとする颯友。ボートの最後尾から飛び込もうとする海友。
「ちょっと待て、まだパパとか準備できてからにしろよ」
と言って、待たせると
「早くはいりた〜い、早くはいりた〜い!!」と言ってまたラダーから降りようとする。
「だから、まだだって!」(少しは初めて見た巨大なサメにビビってくれよ。しかも群れだし。。。)そう思いながら慌てて準備して、海に飛び込んだ。
すると颯友と海友が次々に海い入ってきて、僕にしがみついてきた。
「あ〜、うざい!くっつきすぎるな!」そう言って払いのけようとするのだけど、「やだ〜!」とか言って絶対に離れようとしない。
(こいつら、本当はちょっとはびびってるんだな)というのがわかって嬉しくなった。まあ、7歳と4歳で初めてこんなでかいサメに水中で会うわけだから、当然のことだとは思ったけど。
それでも、ビビっていたのは,最初の遭遇だけで、一度水中で見て全然襲って来ないことを確認すると、海友は、自分の方から積極的にアプローチし始めるようになった。
しかし、この辺から二人のジンベエザメに対する"思い"の違いが行動に現れ始める。
元々出発前から「ジンンベエザメ、見てみたい!」と言っていた海友は、「ずっと海にいたい!」と言って、通過していくジンベエザメに何度も自分からアプローチを続けた。おそらく奴が水中で目撃できたジンベエザメの数は、30匹は下らないだろう。
それだけ長く海の中にいてジンベエザメを見続けた。
一方颯友の方は、数匹のジンベエザメを見るともう満足したのか「寒いから上がる」と言って、上がったまま、結局最後まで海には入らなかった。まあ、それでも水面にいるときに、数匹ものジンベエザメには近づいているのだけど。
そして、ボートに戻ると、スイカとメロンを食べまくり。そして、「ねえ、ビールちょうだい」と言いながら、ジンベエを肴に、コーラを美味しそうに飲み続けていた。
この日は、少し波があったために、昨日水面に浮遊していたプランクトンがかき混ぜられて、少し沈殿しているせいか、ジンベエザメも、海面だけを移動しているのではなくて、少し水面下で口を開けて捕食しているものも多かった。
おかげで、色々違うアングルの撮影ができた。
僕らが朝7時前にホテルを出て、港に向かった直後子供たちは起き出して、早速ホテルのプールに直行したらしい。
僕らが3時過ぎに戻ってきたときにも、二人はプールではしゃいでいた。
「ただいま〜!」と声をかけると
「あ、とーちゃん、あのさ〜、カニがいるよ、カニ。プールにカニがいるんだよ!ちょっと見てみる。海友が見つけたんだよ!」と颯友が大声で叫んだ。
「え〜、カニがプールに?」
そう思って、プールサイドに歩いて行くと、周囲にいるホテルのゲストの人たちが、妙に優しい笑顔を僕に向けて挨拶してくれる。年配のカップルや若いカップル、まだ会った事無い人たちなのに。なんでかな〜と思って、息子たちと一緒にホテルに残っていた妻に訪ねると、
「カニの写真をね、見せまくってたんだよ」
「え?カニの写真?」
「そう、海友が潜ってプールの底にいたカニの写真を撮ったの。それを、颯友が自慢気にプールにいた人全員に見せて回ってたんだよ。それで皆、仲良くなったの」
「なるほど〜。相変わらず人見知りしない奴らだな」
で、これがその写真を見せまくってる颯友の写真。
で、これが海友が潜ってプールの底で撮影したカニの写真。
これは、ビーチで拾ってきた貝殻などをプールの底に並べて撮影したもの。
最終的にカニは海友が捕まえて、ビーチに逃がしてあげたのだけど、僕らが戻ってくるまでは、見せたかったらしく、プールの海底に沈んでいた。
それに奴らは,僕らが戻って来るまで、プールとビーチからまったく離れなかったそうだ。まるで主みたいになっていて、ゲストの人たちも一度出かけて戻ってきたら、まだ遊んでいたので、完全に「Water boys」として認知されていたようだ。
ランチも「プールで食べる!」ということで、残っていたカップラーメンをプールサイドに持ってきて食べていた。僕も食べたかったな。
僕らが戻ってからも、夕食の前までずっとプールで遊びまくった二人。洋平君、グレッグ、ジョン・ジョンともおおはしゃぎ。
あんまり騒がしくなると「し〜!静かに!」と注意したけど、すでに子供たちが、周りのゲストと仲良くなっていたからか、全員がとても好意的に笑顔で見てくれていた。
迷惑をかけてる度合いって、その人たちを知っているか、知らないかで、不満に思う度合いも違ってくるものだと思った。奴らからしてみれば、こんな楽しい状況ではしゃぐのを抑制するのはなかなか難しいわけで、じゃあ、どうすればいいかと言えば、先に皆と友好関係を築いてしまうことで、"許される"許容範囲を自ら広げたわけだ。
前に、Twitterでこんなつぶやきを見つけた。
日本の親は、「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、インドでは、「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそう。前者は、息苦しさを、後者には、ホッとするものを感じる。迷惑かけずに生きられるわけない。
つまり、迷惑をかける分、まずは他人のことも受け入れないさいということ。そういう意味では、このインド人の教えを、息子たちは自然に行なっていたわけだ。インド人が人に迷惑をかける分、他人にもやさしくしてくれてるかは定かでは無いけど(笑)。
今日は、家族も船に乗船して、ジンベエの海へ向かう。
オーランドのディズニーワールドから、ヒューストン経由でメキシコの一大リゾート地、カンクンの沖にある、イスラムヘーレスへ家族で移動した。
最大の目的は300匹も群れるというジンベエザメ。とりあえずリサーチのつもりだけど、すでに先に入った人たちからは、相当数出ているという情報が入っていた。
セールフィッシュのときに、乗船したのと同じフェリーに乗船して、イスラムヘーレスを目指す。
その間、息子たちの旅の記録を撮影しようとカメラを向けるのだが、二男の颯友は、まったく笑顔を見せない。なんとかまともに撮影できたので、この写真。
あとは、不機嫌そうな不良って感じの表情しか見せてくれない。別に不機嫌な訳では無くて、ただ、カメラに対してそういうポーズを取りたがるだけなんだけど。
そういうとき、僕たちは、「また颯友が尖っている」と表現している。
目をつぶってしまう、これもある意味「尖っている」写真。子供にとっての基本形の尖り具合。
不意をつかれて、「尖り」きれなかったときの写真(上記)。
相当来合い入れて「尖ってみた」写真。
まあ、「尖って」みたところで、所詮はこんな感じである。
ということで、尖った男は、尖ったまま、メキシコのムヘーレス島へ上陸。
夜は島のメインストリートに食事に出かけた。
島内のいたるところで、「ジンベエスイム」の看板を見かける。さあ、はたして、「尖った男」はジンベエと泳げるかな。
バハマのクルーズ下船後から、メキシコへの移動までの間、家族と共に滞在していたのは、オーランドのディズニーワールド。しかし、その間、足を運んだテーマパークは、ブリザードビーチとタイフーンラグーンというウォーターパークのみ。暑いので、その他のテーマパークはパス。唯一タイフーンラグーンの入り口にいた、スティッチと記念撮影をしただけ。
問題なのは、二人ともあっと言う間に姿をくらますことだ。しかも、二人別々に。海友は、チューブ系のアトラクション一人で乗りまくり、朝から夕方まで水に浸かりっ放し。タイフーンラグーンの大波が発生すると足のつかない深場まで泳いで行って一人で姿をくらまし、「おぼれそうだったよ〜」と嬉しそうに戻ってくる。
颯友の行動範囲は海友ほどでは無いにしても、まだまともに泳げないのに、こんなウォーターパークで姿をくらませられても困るんだけど。まあ、そのために、ライフジャケット付きのラッシュを着せているのだけど。
二人ともたまに合流すると「よっ」とか、「あ、パパ〜!」。「とうちゃん、どうしたの?」とか言って、しばらくは一緒にいるけど、またいつの間にか姿をくらます。まあ、それだけ成長したってことだな。
テーマパークに行かない日とかには、目の前のダウンタウンディズニーとかで時間を潰した。無料だから。とは言っても、「CARS2」の映画見たり、おもちゃ欲しいとか言って、結局はそれなりに浪費する。
困るのは、レストランや館内と外の温度差が激し過ぎること。もう冷凍保管庫にも入れられた気分だ。映画館では、こんな感じで映画を鑑賞。遊び疲れた颯友は、途中から爆睡。
ここでは、ディズニーキャラでなくて、ハーレーグッズ専門店で本物のハーレーにまたがっての記念撮影。
そして、二人して購入したおもちゃは、Build the Dinoという、自分で外側を選んで、ハートと綿を詰めてもらって、作り上げる、恐竜のぬいぐるみ。2009年に僕と海友が二人で来たときに、海友が作って、「ハヤト」と恐竜に名付けて、旅の間、ずっと一緒に寝ていたのと同じもの。
今回、海友はT-REX GOLDという名前とつけ、颯友は「カイト」とつけるのかと思ったら、「ハヤト2」と自分の名前をつけていた。
CARS2の映画を観た後に、立ち寄った、カスタムラジコンカーを作れるお店(ってか映画館の隣)では、CARS2キャラクターのラジコン買うのかと思いきや、海友はマックミサイルだったけど、颯友が購入したのは、この写真のラジコン。まったく映画とは関係無いんだけど。
でも、どうやら、「トランスフォーマーの車」だからなのだとか。
フロリダに住む友達と食事をしたのも、このダウンタウン。
一家族は、パナマシティから7歳と4歳の息子のお母さんとおばあちゃん。ドルフィンセラピーをしているデニーの奥さんのナタリーと子供たちだ。行動が海友と颯友そっくり。ということは、母親ののうてんきな性格も一緒ってことかな。まあ、どちらかと言うと、海友と颯友の方が人見知りしない感じだけど(ってか少しはしろよ、人見知り)。
もう一家族は、元ドルフィンドリームのクルー、アンディの奥さんのニッカちゃんと娘のネネちゃん、それに、義弟さんと娘さん(8歳)。二人が日本から遊びに来たので、一緒にディズニーに遊びに来たのだそうだ。相変わらず、海友は小さなネネちゃんに優しい。自分の,息子ながら、本当にこんなに赤ちゃんや小さい子に優しい男の子は珍しいかも。
颯友にだけは例外だけどね。
本当はナタリーたちとは、タイフーンラグーンで一緒に遊ぼうと思っていたのだけど、この年齢の子供たちと一緒に行動していて、まともに、スケジュール通りに行動できる方がおかしいというもので、結局スケジュールがまとまらず、この二家族は初対面にも関わらず、12人全員一緒に食事することに。
食事の席に着いた子供たちの記念写真を撮ろうとカメラをむける
僕「はい、みんな〜写真撮るからこっち向いて〜」パシャ!
「・・・・・・、ははは〜、今のはカメラチェック。はい次はちゃんと向いてね〜、はい!行くよ〜!」パシャ!
「・・・・あれ〜、おかしいな〜。みんな、カメラ見てないね〜、はははは〜」
こんなにカメラ目線をもらえないカメラマンも珍しいのではと思う今日このごろ。
5週目出発前には、ステネラのキャプテンピーターと奥さんのカズヨちゃん、二人の娘の5歳になるハナちゃん、以前ドルフィンドリーム号のクルーだったアンディと奥さんのニッカちゃん、それに二人の娘のネネちゃん(2歳)が遊びに来てくれた。ネネちゃんは2週続けて遊びに来てくれた。小さな子の面倒を見るのが好きな海友がネネちゃんの手を引いて二人で散歩する微笑ましいシーンも。そして、ハナちゃんと颯友が妙に意気投合して、別れ際にはハナちゃんから颯友が熱烈なキス&ハグをされて、颯友が照れていたのには父親ながら相当に感動した。
今は、バハマドルフィンクルーズ最終週も終了して、無事フロリダのウエストパームビーチに戻ってきている。息子たちは、ホテルのプールでも延々と泳ぎ続けている。
今週は過去2年間続いた連続スイム記録が継続されるかどうかという週だったのだけど、初日からイルカたちが見つからない状況に。
先週連続記録が途絶えるかと諦めていたのに、奇跡の天候復活を果たして、気を緩めていたのがいけなかったのか。。。通常午後8時にはイルカを探すのは諦める。その時刻が刻々と迫ってきていたときに、キャプテンスコットに、過去2年間は全ての日程で日中イルカを見つけてくれていたんだよと告げた。単純に2年間と言っても、チャーターした回数は9回ある。それに今年のチャーターの4週目まで合わせると13週。計65日間。ちなみに、2008年は4週目の4日目にまったく泳げない日が1日だけあったとの記録があったから、71日間連続で泳げているわけだ。2008年も、その1日だけなので、18週、90日間(2008、2009、2010、2011の4週目までの合計日数)で泳げた日が89日間という相当な遭遇率。
さすがにスコットも驚いていた。まあ、記録はいつか途絶えるものだからと諦めていたのに、7時50分、イルカの群れに遭遇。本当にギリギリでイルカたちと泳ぐことができた。さすがにスコットも僕もイルカを見つけたときには、満面の笑みで喜んだ。
この週もお触りイルカたちは健在で、特に2日目は朝から泳ぎ続けた。
海友は、4週目終了後の下船時にゴーグルでなくて、マスクとスノーケルを買ってもらい、それをつけて海に入った。浮き輪は持って入るものの、浮き輪に着いたロープを持っているだけで、輪の中には身体を通さない。顔をつけたまま呼吸ができるようになった分、浮き輪から離れてイルカに接近することが多くなった。
当然のことながら、僕が近くに来たイルカにタイミングを合わせて泳いでいると、海友も浮き輪そっちのけで、イルカの撮影に熱中したりしていて、泳げるようになったのは嬉しいことだけど、ライフジャケットも何もつけていないから、それはそれで、心配になる。
この週では、僕が後押しする事無く、海友自らフレンドリーイルカに接することができた。そのことが彼に取っては、とても大きな自信につながったように感じた。最初の頃はイルカが接近する度に猛ダッシュで触ろうとしていた海友。しかしなかなか触れないで、ちょっとがっくりしている事が多かった。それもそのはず、海友は2年前、5歳の時に苦労して苦労して初めてイルカに触れたのに、弟の颯友は、4歳で「あれ、触れちゃった」と言いながら野生のイルカに触れることができちゃったわけだから、自分は兄としてその上を行きたいわけだ。だから、僕の手を借りずに、自分でイルカたちに触れたい。そう強く思っていたに違いない(本人は何も言わないけど)。
しかし、イルカたちだって、急にバタバタと近寄られたら、びっくりするに決まっている。「バタバタと無理に近づかずに、静かに一緒に泳いでいれば、触れる距離まで向うが近づいてくれるから」そうアドヴァイスした直後に、ゆっくり泳いでいる海友の目の前に、いつものフレンドリー君が近づいてきた。海友は慌てる事無く(きっとはやる気持ちを相当に押えていたとは思うけど)、ゆっくり泳ぎ、手を伸ばす(ここはちょっとこらえ切れなかったのか、さすがにゆっくりと手を伸ばすという感じではなかったけど)と、その手はイルカの左脇腹に触れた。ほんの一瞬だったけど、僕は初めて少し離れた場所から、その瞬間を写真に納めることができた。
「触れた!自分で触れたよ!」海友は嬉しそうに歓声を揚げた。この無邪気で素直な喜び様は、二男の颯友には無い。イルカに対する二人の違いを見ているだけでも面白い。この日、海友は自分の力だけで2回イルカに触れることができた。
ちなみに下の写真は、イルカの群れが来たタイミングで海に飛び込んで、海友が群れを指差した瞬間に、「イルカに触れたと思ったら、魚だった」と言っていたときの写真。自分もエントリー直後に撮影していて気づかなかったけど、確かに、一番近くにいるのはイルカでなくて、ツムブリだ。イルカに触るより、ツムブリに触る方が相当に難しいと思う。
そのことが大きな自信になった。なったのはいいのだけど、クルーズが終了して、ホテルに戻ってからも、朝から晩まで、ず〜っとプールに入りっぱなしなのは困る。このブログを書いている今も、海友と颯友がプールではしゃぐ声が聞こえてくる。
「パパ〜!一番深いところ(8feet)まで普通に潜れるようになったよ!見て!」と報告に来る海友。「とうちゃん!はやともジャンプでプールに入れるようになったよ!」と続けて報告に来る颯友。
この旅のはじめから、颯友は、僕の事を「とうちゃん」、妻(ミナ)の事を「かあちゃん」と呼ぶことが多くなった。もちろんクレヨンしんちゃんの影響である。しかし、奴に「パパ、ママ」と呼ばれるより、「とうちゃん、かあちゃん」と呼ばれる方があまりに自然な感じなので、直させることも無く、そう呼ばせている。
話が脱線しまくるが、結局苦労したけど、この週も5日間連続でイルカと泳ぐことができた。今年を含めた3年間は毎日イルカたちと泳ぎ続けることができた。
鯉のぼりの方は、5週目でポケモンバージョンを更に参加してくれたゲストの皆が描き足してくれて、相当に沢山のポケモンで埋め尽くされた。
上の写真が、5週目最初の頃の4つの鯉のぼりの写真。
で、下が最後の下船時の写真。ポケモンの数が相当多くなっているのは一目瞭然。
5週目の皆様、ポケモンの絵を沢山描いてくれてあっりがとうございます。それから、素っ裸ではしゃぎ(暴れ)回る息子たちに笑顔で付き合ってくれて本当にありがとうございました。また、5週目で疲れ果てて、あまり対応できずにすみませんでした。
僕らは、しばらく家族水入らずの時間を過ごした後に、メキシコに移動して、今度はジンベエスイムにチャレンジします。ちょっと臆病な海友が海に入れるかどうかはまだ疑問ですけど。
1週目から、5週目まで参加して頂いた皆様、本当にありがとうございました。実は、来年(2012年)だけでなく、今回はすでに2013年のクルーズ日程まで決めておいてと言われていたので、後日、そちらも一緒に告知させて頂きます。
それでは。また。
家族が合流して、2008年振りに家族全員でバハマのドルフィンクルーズに乗船した。今回は、スコット船長の奥さんのロビンと娘のホリーも乗船して、子供3人のクルーズ。クルー8人、ゲスト12人の計20人の大所帯(普段はクルー4人なので計16人)になった。
海友と颯友は、相当にテンションも高く、クルーズ初日、海が多少荒れているにも関わらず、「海に入る〜!海に入る〜!」と気合い十分。しかし、ちょっとエキジットが大変そうだったので、3人ともこの日エントリーは見送っていた。
しかし、その夜スコット船長から良からぬ報告が・・・・。「北に熱低が発生して、ゆっくりとこっちに向かっている。最悪3日目はウエストエンドの港に戻らなければいけないかも」とのこと。とうとうこの日が来てしまったか〜と、連続スイム記録も終わり、過去最悪の状況になるものとそのときは諦めた。どうせ、港に戻るのならば、グランドバハマ島の中心地、フリーポートやポートルカヤなんかのランドツアーでもしちゃおうかとゲストと話していたくらいだった。自分も久しぶりだし、それもいいかなと思っていたのだけど、翌日には、その熱低が方向を変えて、北東に離れ始めたとのこと。
透明度はいまいちなものの、徐々に穏やかになり、一番最悪と思われていた3日目には、べた凪状態に、その後も最終日まで快晴で穏やかなコンディションが続いた。最終日には、本当にめちゃくちゃ透明度も良くてべた凪の状態でイルカたちと泳ぐことができた。
もちろんお触り君も登場。結局連続スイム記録はそのまま更新!
さて、子供たちはと言うと、船上でも海の上でも勝手気まま。しかし、颯友が初日に熱が出て嘔吐すると、海友、ホリーと1日違いで、同じように熱を出した。ゲストにも同じ症状になる人が続出。それでも、翌日には皆回復していたので、そんなに強いウィルスでは無かったようだ。
それに、子供たちが丁度1日づつ泳げない状況だったのは、こちらからすると、負担が軽減されて実はちょっとラッキーだったかも。自分も4週目で相当に足に疲労を貯めていたし。1週目はマッサージできる人が沢山いて良かったな〜と心の中で思いながら、船内を見渡すが、やってもらうのが好きな人は沢山いても、マッサージ得意な人は皆無だった。がっくり。
2日目、颯友がダウンしている頃、長男の海友を連れて、海へ。早速おさわり君が登場して、海友は、2009年に二人で来たときとは違い、早々にイルカにタッチすることができて満足気だった。
そして、3日目には海友がダウン。颯友を連れて海へ。午前中は、イルカに接近するもなかなか触ることができないでいる颯友。しかも海友のように積極的でも無い。若いイルカが来るとちょっと手をなんとな〜く伸ばしているのだけど、年配のイルカが来ると明らかに手を引っ込めている。完全にえり好みしている。。。。
今年は、お触りイルカが相当に多くて、どのイルカもいつもより距離が近い。だから、自分が認識しているお触りイルカが近くに来ると「颯友!お触りできるイルカだよ」と伝えているにも関わらず、えり好みしている。海友のような気合いが感じられない。
しかも、自分で手引っ込めていながら、「やっぱ触れないだよね〜。触れないんだよね〜」と言いながら自分で足を動かすでも無く、浮き輪に乗って、されるがままに、引っ張られている。
午後もそのような状態が続いた。またお触りイルカたちがやってきてくれていた。僕ら親子の周りを何度も何度も小さな円を描いて回ってくれるイルカたち、しかしマダラのあるイルカたちだ。明らかに触れる距離なのに、もう少し!と思った途端に、手を引っ込める。「こいつ、またえり好みしてる。。。。」。
来る前は海友と二人して「イルカに触りたい」って言っていたのに。本当は触る気ないんじゃないのか?また「さっわれないんだよね〜、無理なんだよね〜」とぶつぶつ言ってる。そこへちょっと若いイルカが登場。また僕らの周りを回り始めた。ちょっと遠心力をつけて浮き輪を回転させてみた。僕とイルカの間に颯友の乗った浮き輪が入り込み、軽く手を出していた颯友に数秒感触れた。
「やった!触れたじゃん!颯友!」と僕が興奮して喜んでいるのに、「あ、さわれちゃった」と触った手を見つめながら、やたら冷静な颯友。僕が「やったじゃん!」とハイタッチを求めても、だるそ〜にハイタッチ。海友の素直な喜びようとは大違いだ。「こいつ、外見はママ似だけど、中味は完全に俺に似ている」そう思ったのは言うまでも無い。
さて、早々に目的を達成した二人。僕も気持ちに余裕が出て来た。と言っても、奴らが海に入るときには、やはり一緒に入り続けないければと思っていたので、今年のクルーズの中では一番海に入っている時間が長かった。
4日目には、海友、颯友二人そろって海に入っている時間が長かったので、海友を僕が、颯友をミナ(妻)が連れて泳いだ。時には背中に乗りたがった颯友。男の僕でも相当に負担になるスタイル。それでも、ミナは楽しそうに颯友を連れて泳いでいた。
ロビンもホリーを連れて海に出ていた。こちらはスクーターを使っていたときもあて、楽そうだな〜と少しうらやましく思ったりもした(笑)。海友と颯友は基本フィンをあまり履かせたく無いという考えからゴーグルで素足で泳がせていたのだけど、フィンとマスクゴーグルをつけて泳いでいるホリーを見ていると、やっぱりそちらの方が楽そうに見えた。
特にナイトドルフィンは電気が消されるまで入り続ける二男に付き合って入り続けた。おまけに、イルカでなくて、網で「魚やイカ取って」と言うので、網持って海に入り、イルカが近づいてきてるのに、毎回イカ取りしてた。ゲストの皆もイカ取りに夢中になていた。
魚は最後には逃がしたてあげたけど、イカは黒谷さんにさばき方を教わりながら、イカ刺しにして食べた。
ナイトドルフィンならぬ、イ(ル)カナイト。でも、相当に楽しくて、実は自分も夢中になってイカを捕まえていた。子供がいると、こういう展開になるのが面白い。イルカだけじゃなくて、いろんな生き物に興味を持つのは子供の方が上かな。
LOVE UP プロジェクトの鯉のぼりは、4週目で2つとも完成させてしまった。一つはハートメイン、もう一つは子供たちの希望でポケモンキャラ鯉のぼり。5週目はやることなくなっちゃったかな。
なんか盛りだくさんで、長くなってしまった。5週目も楽しいクルーズだといいな。
4週目の皆さん、子供たちが騒ぎ回り、ご迷惑をおかけしました。また、色々遊びに付き合って頂いて、本当にありがとうございます。
朝起きて、長男の海友はすぐにプールに行く!と飛び出したのだけど、二男の方は、すでに自分が持ってきていて、船に預けてしまった荷物の中に海パンが入れてあったので、隣のターゲットに買いに行くことにした。
しかし、そこには、まずいものが。。。。。そう、カーズ2グッズである。
前に、このカーズ2グッズの事を書いたのだけど、その後僕のHPで検索ワードのダントツトップを走っているのが、この「カーズ2」なのだ。2位の「越智隆治」とか「イルカ」とかの4倍以上の大差を付けて、「カーズ2」なのだ。だから、HPのアクセス数を増やす手段として、今「カーズ2」というワードは、結構自分に関係無くない上に有効なのである。
おまけに、妻は出発前に子供たちの友達のお母さんから、いくらか渡されて、「これで買えるだけのカーズ2グッズを買ってきて」と頼まれていたのだ。だから、いずれにしてもそのコーナーには遅かれ早かれ行かなければいけない。
であれば、映画で人気が再燃して、欲しいキャラが無くなる前に購入してしまった方が、後でストレスが無いと考えて、そのコーナーへ向かうことに決めた。
色々理由を書いたけど、要するに、自分が購入したいだけなんだけど。
実は、この日をどれだけ待ちわびていたことか。ちなみに、今日までまったくおもちゃは購入していないとだけはここに断言しておく。
で、結局のところ、お友達用のものを沢山購入していると、やっぱり我慢できなくなって、気がついたら息子たちの(自分の)ものを手に握りしめていたりするわけだ。建前上妻に対しては、海友と颯友のなんだけどさ。
で、海友に購入した、(僕の)カーズグッズは、日本のレーシングカーも含めたパッケージシリーズ、など。(この「など」がポイント。ここ重要です)
颯友に購入した、(僕の)カーズグッズは、4台の車が格納される、カーズのプライベートジェット機。
早速箱をボロボロにして、ガンガン落としたり、ガンガンぶつけたりしながら遊ぶ二人を横目に見ながら、乗船前の最後の仕事をするのでした。
たたた〜たたた〜、たたたたたた〜、たたた〜たたた〜、たたたたたたた〜
(ゴジラのテーマソング)
空港で待っている間、頭の中には、ずっとこの音楽が流れてました。
そして奴らが登場したときには、そのボリュームがピークに達しました。
だだだ〜っ!、だだだ〜っ!、だだだだだだだ〜!!!、
だだだ〜っ!、だだだ〜っ!、だだだだだだだ〜!!!
がお〜!がお〜!
がお〜!!!がお〜!!!!
がお〜〜!!!がお、がお〜〜!!!
もう夜中の1時なんだから、隣に迷惑だから静かにしろ!!!!
がお〜!!!!がおがお〜〜〜〜〜〜!!!!!
寝ろーーーーーーーっt!!!!!
で、結局ぼくの叱る声が、一番大きいと、ミナ(妻)に注意されました。
バハマドルフィンクルーズに乗船するために、フロリダのウエストパームビーチに到着した。到着は金曜日の深夜。翌日は、夕方港に行って、船に乗船するので、皆近くのモールなどにショッピングに行ったりして、時間を潰している。天気は、ちょっと風ある感じだけど、良い感じに晴れている。
自分も毎年宿泊しているホテル隣のターゲットに行ってきた。実は、気になるものがあったから。それは、ディズニー映画、「カーズ2」グッズが発売されていないかということ。前回行った時は、とにかく親子してこれにはまってしまい、海友と僕しかいなかったので、ミニカー購入に歯止めをかけてくれる人がいなかったから、結構な量、買いまくってしまったのだ。
で、店内に入って、おもちゃ売り場に行ってみると、、、案の定,ご覧の通り!!「カーズ2」のコーナーがでかでかと設置してあった。
「・・・・や、やばい」
カーズ、カーズ、カーズ!どこもカーズ!「やばいよ〜、やばい」
何がやばいって、実は、今年は4週目と5週目、妻と一緒に、息子たちがアメリカ本土上陸するのだ。個人的には、2匹のミニラが上陸するようなものだ。他人には、わからないかもしれないけど、そんな心境だ。
そして、2匹のミニラがこの光景を目にしたときの、興奮状態が目に浮かぶ。そして、1個1個はそれほどの値段ではないのだけど、いかんせん、キャラクターが多過ぎるのだ。塵も積もれば山となる。だから、やばいのだ。
「やばい、やばい、やばい〜」
と心の中でつぶやきながら、何故か、すぐに売り切れてしまいのうなキャラクターを2個ほど、ほぼ無意識につかんで、レジに向かおうとしている自分に気がづいた。
やばいのは、息子たちではなくて、父の方なのでした。
でも、買うのは我慢したけどね。これ、本当。
2010年7月には完成の予定だった、ヤップの家(秘密基地)、諸々の事情で、遅れに遅れて、未だに未完成。さすがヤップ。ほんと〜にのんびりしています。大工さんも全員ヤップ人で彼らへの収入になればと思い作り始めたのだけど、すでに1年近く完成が遅れている。
当初は、こんなジャングルの一角を切り開いて、スタートした建設。
去年12月に家族で訪れたときには、結構進んだと思ったのだけど。
http://takaji-ochi.com/kids_diary/2010/12/post-287.html
http://takaji-ochi.com/kids_diary/2010/12/2-6.html
http://takaji-ochi.com/kids_diary/2010/12/3-3.html
http://takaji-ochi.com/kids_diary/2010/12/post-288.html
で、今はこんな感じという写真画像がやっと大ちゃんから送られてきた。
すでに、あれから6ヶ月たったけど、あんまり進んでいないような。
大ちゃんが、そのときに、3月に借りたい人いるから、貸していい?」って言っていたから、「うん、いいよ!」ってっ答えておいたんだけど、無理だったし。
その後メールで「GWに、東京から避難するために、借りたいっていう人がいるんだけど、貸していい?」って言っていたので、「別にいいけど」って言ってたんだけど、無理だったし。
この写真と一緒に「7月に借りたいって人いるんだけど、貸していい?」みたいに連絡がきたけど「別にいいけど」って返事しといたけど、多分無理だし。
ヤップで、「半年くらいで完成するよ」って言われても、2年くらいは考えておいた方が良いということを学びました。
GW最後の週末には、千葉の房総のとある場所で、家族で一泊旅行に出かけた。ある人の別荘だったのだけど、深い森の中にありながら、生い茂る木々の間からは、海が眺望できる。波の音と、木々の枝葉が風になびく音が、ざわざわと心地良く、朝にはウグイスの鳴き声で目を覚ました。
自然の中にいると、息子たちは、ヤップにいるときの事を思い出すのか、俄然、テンションがあがる。「ここヤップみたいだね」と言いながら、森の中を好き勝手に探索に出かける。それも、二人別々にだ。
交代交代でついていくこちらの身にもなって欲しい。
今回の目的の中の一つに、その人の所有する畑で、サツマイモを植えようということになっていた。全ては、その人が用意してくれたので、僕は畝を作り、海友と颯友が、肥料をまき、妻と海友が、苗を植えて行った。
子供たちは、面倒くさいとか言いながらも、色々手伝ってくれたし、とにかく、田舎の生活を満喫していた。
この日、畑で自分たちで収穫した、まだ根の小さな大根の葉っぱを、ごま油で炒めたり、ソラマメを煮込んだりして食べた。ここまでは、親としても、自然に触れる機会があったと本当に満足していた。
暴れ回って、その人の家族に迷惑かけてはいたけど、まあ人見知りしないから、全然平気でその人たちと話をしたりと、まあ、無邪気に想定内な行動を取っていた海友と颯友。しかし、その後が・・・・。
近くに海水浴場があるから昼食用意している間に連れて行きなさいということになった。
天気は良いとはいえ、強い海風が吹いているし、はっきり言って、まだまだ水は冷たい。
なのに奴らは、気がついたら、「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
とか叫びながら、すでにズボンを脱いでいた。
なんか嫌な予感。
父「おい、お前ら寒くないのか?」そう聞くと
海颯「さむくな〜い!!!」
と即答し、そしてあっという間に、パンツどころかTシャツまでびしょ濡れ。
父「お、お〜い!、遠く行き過ぎ!それに、ぬれ過ぎ!!タオル持ってきてないんだぞ!」
海颯「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
と叫びながら、また戻ってきたかと思うと、
海颯「ねえTシャツ脱いでいい?」
父「え〜・・・」
海颯「ねえ、脱いでいい?」
父「しょうがないな〜、風邪引くからTシャツは脱いでいいよ」
海颯「おぱんつは?」
父「え?」
海颯「パパ、おぱんつも脱いでいい?」
父「だめ、それは絶対だめ。ここはヤップじゃないんだって。ヤップでだってフルチンはお前らだけだろう。絶対だめ!」
海颯「ほほ〜い」
父「くれよんしんちゃんのモノマネもだめ!あっ」そう言い終わる前に、すでに二人は海の中へと突っ込んでいた。
海颯「うぉ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
海颯「うぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!、うぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
父「ばかか、あいつらは・・・」
結局15分くらいで、風が寒くて、僕らが引き上げたくなったので、「帰るぞ!」と言うまで、二人とも、
「うぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!、うぉ〜〜〜〜〜〜〜!!!」と打ち寄せる波に
向かって、叫び続けていた。驚いたのは、颯友はさすがに鳥肌立っていたのに、海友は、まったく鳥肌が立っていなかったことだ。どんんだけ皮膚強いんだよ,お前。
と、とにかく、海岸でまっぱになる危機的状況だけは免れた。
海岸では、免れた。確かに、免れたんだけど・・・・・
結局、森の中でまっぱになり、森の妖精のように、まっぱで走り回る二人。
「うぉ〜〜〜〜〜!!!、うぉ〜〜〜〜〜〜!!!」
「うぉ〜〜〜〜!!じゃねーよ!」
子供たちには、悪いけど、色々やらなければいけない事も多くて、GW期間中、あまり遠出をしなかった。でも、日帰りで近場には出かける日もあった。
ある日には市原ぞうの国にでかけた。以前、颯友が生まれる前に、当時3歳だった海友と、はじめて二人で遠出した場所だった。思えばこれも、5歳になったら、息子と二人旅がしたいという、父親としての一つの夢をかなえるための予行演習と考えていたと思う。
しかし、今回は家族4人。良く海友が、「パパと一緒にゾウを見に行った。ゾウに乗った」と弟に自慢していて、颯友はその度に「颯友は行った事がない〜。行きたい〜」と不満をもらしていたので、前日になって、「じゃあ、行こう」ということになった。
海友と二人で行ったときは、平日でほとんど人がいなかったから、その印象もあって、気軽に出かけた。ゾウに乗るのも、普通にできるものと思っていたら、思いのほか混雑していて、ゾウに乗るチケットは到着したときには、すでに売り切れていた。しょうがないから、巨大なぞうのぬいぐるみでお茶を濁す。
他の動物園に行くより、動物たちとの距離が近かったり、触れ合えたり、という事ができるので子供連れには人気。園名のとおり、特にゾウの多さや、ゾウのショーが売りになっている。この日は、このゾウの国で生まれて、4歳になる夢花ちゃんというメスのゾウの誕生日ということで、彼女の得意技である、ダンスやお絵描きが披露された。
決めのポーズで片足を上げて、おどけたように首を左右に振る仕草の可愛らしさと滑稽さがウケていた。
子供たちも、ゾウに対しても興味を持っていたけど、何故か一番くいついていたのが、「かぴばらさんち」で不機嫌そうに眠るカピバラ。「うわ、でけ〜、カピバラでけ〜!」。「うぉ!ねてる〜。不機嫌そうにねてる〜!」と二人して興奮。ゾウの方が全然大きいのに。
しかし、今日、僕を困惑させたのは、この二人ではなかった。
「カピバラってげっぱ類なんだって〜。すごいね〜」
そう、楽しそうに息子たちに語りかけたのは、僕の妻。
「え?げっぱ類?」
と僕。
「うん、ほら、ここに書いてあるよ。げっぱ類って」
と、またまた楽しそうに言う妻。
「....それは、げっし類(げっ歯類)と読みます」
と僕。
「あ、そ〜なんだ〜。げっし類か〜、どおりでおかしいと思った〜。げっぱ類なんてね〜。あはははは」と妻。
僕「・・・・。」
「カピバラはげっぱ類なんだって」。「かぴばらはげっぱるいなんだって」とすでに、息子たちは、間違って植え付けられた知識を周囲の知らない子供たちに、伝えまくっていた。
そんな脳天気な家族に、かぴばらさんちのかぴばらさんは、ちょっと冷めた目線を投げかけて、また静かな眠りにつくのでした。
オーストラリアから帰国して、成田空港まで家族が迎えに来てくれたときの車内でのこと。長男の海友は、小学校でこんな事したとか、水泳教室で、背泳ぎが難しいとか、サッカーの事とか、ポケモンゲームの事とか、友達のこととか、とにかく色々な事を話して聞かせてくれた。「パパ、今度は何日寝たらいなくなっちゃうの?」と聞かれて、ちょっと胸が痛くなった。でも、「今度は2週間以上いれるよ」と言うと、「本当に!!」じゃあ、いろんなことできるね」と嬉しそうに笑顔を見せてくれた。
「ところで、颯友は、幼稚園どうなの?」と訪ねる、、、、、、無言、、。「ねえ、颯友!聞いてる?ママ、颯友寝てるの?」と後部座席に一緒に座る妻に訪ねると「ええ、いびきかいてます。目を開けたまま」
「え?どういうこと?」と訪ねると
颯友が「ぐ〜、ぐ〜」といびきの音をわざと大きくして、寝ている事を主張する。4歳で今度は狸寝入りだよ、、、、。
しかも、「おい、そんな嘘のいびきはダメだぞ、ちゃんと質問に答えろ」と僕が言い、妻が「そうよ、ハヤトちゃん、寝てるふりしてないで答えなさい」と妻が優しく言っただけなのにも関わらず、急に身体を左右に激しく振って、号泣(と言っても、涙は一切出ていない)して、「寝ちゃいけないんだったら、一番後ろに座るか、お菓子ちょうだい〜!!わ〜、ママが寝ちゃいけないって言った〜!!寝ちゃいけないんだったら、一番後ろに座るか、お菓子ちょうだい〜!!」
、、、、誰も寝るなとは言ってない。この理不尽な交渉術はいつの間に習得したのか、、、。第一、一番後ろの座席はスーツケースを積んでいて、シートベルトできないから、危ないし、それに警察に捕まるかもしれないからダメだし、お菓子も誰も持っていない。
「何こいつ?」と呆れて妻に訪ねると
「ね〜、最近いっつもこんな交渉するんだよ。ほんとう、疲れるよ」と妻。確かに、その後も奴に都合の良い、理不尽な交渉が何度も交わされた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
家に帰ってからは、ソファーで横になる僕に、海友と颯友がまとわりついてきて、最初は嬉しいんだけど、だんだん重くてうざくなってくる。2日目ですでに嫌気がさしている。
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ソファーのカバーを洗い、ソファーの下に掃除機をかけるので、動かしていたら、二人が「わ〜!!」と言いながら、移動したソファーに潜り込み、その上にカバーを外したクッションを乗せて、「サンドイッチになりたい!サンドイッチになりたい!」と叫び始めた。
どいてくれないと、ソファーを元の位置に戻せない。それどころか、「パパ写真撮って!写真〜!」と最近は撮ろうとしても、逃げるくせに、こういう時だけ撮影をせが見やがって!
で、さっさとどいて欲しいから、結局撮影したんだけど、その後も二人の占拠は続き、妻が「どきなさい!」と言っても抵抗を続け、最終的には、基地にされていた。
なんだか、まったく旅の疲れは癒されない日々が、帰国して、ここ2日間ほど続いている。僕の安息の場所はどこにあるのだろうか。
これも、ちょっと前の事。家族でヤップに旅行に出かけたときに、途中から友達家族が合流したときの話だ。
3歳になる男の子の家族が、島の中のストーンパスという伝統的な石畳の道を見学に行ったときに、道がわからなくなり、長男の海友がそれに気づいて、道案内をしたそうだ。そのときの事を、メールで教えてくれた内容を以下に掲載します。
「YAPでは本当にお世話になりました。
HPにも書き込みさせてもらいましたが、
旺太郎は本当にあの5日間(実質3日間)で成長しました。
帰ってからの表情が全然違います。
ボートも絶対乗れないかと思ったのに
海友くんと颯友くんが乗っているから
乗れたようです。
海にもあんなに躊躇なく入っていくなんて
驚きました。
海友くんは本当にいいお兄ちゃんでした。
細かいところまで気配りして、旺太郎をいたわってくれました
。
そればかりか、ストーンパスでは、とても頼もしいガイドをし
てくれました。
ミナには話したけれど、海友くんの心優しい言動に
私は何度も涙がでそうなくらい感動しました。
一番印象的だったのは
「ねぇ、おうちゃんが怪我とか病気したら、つらい?」
と、突然、ストーンパスからの帰りに建築中の家へ寄った時に
聞いてきたのです。
「もちろんだよ~自分が怪我や病気するよりつらいよ。
海ちんのパパやママもそうだと思うよ」
と答えたら、
「うん。あのさ、宝物だから、大切だから、だよね」
と言ったのです。
あとでミナに聞くと、海友くんのお友達で、石が目のそばに当
たって、怪我をしてしまった時にミナがそういう風に
言い聞かせたみたいですね。
本当に素直で優しい、そして元気で逞しい
とってもいい子に成長していますね!!
旺太郎にもぜひそうなってもらいたいです。
ほんと、できることなら、越智家に入門?させたいものです(
笑)
颯友くんは、まだ旺太郎が遊びのルールを守れないのに
もどかしさを感じることがあるようでした。
でも、それも仕方ないことなんだ、とわかってくれているよう
で優しくしてくれましたよ。
ぜひ今後も、一緒に遊ばせてください!!」
子供の成長は、親だけでなく、周囲にいる人全員で見守っていける、そういう社会であればいいなと思っています。オーちゃん、また、一緒にヤップやキャンプに行こうね。
後半は、男の子3人でつるみ始めた。Oちゃんが、家の暴れん坊たちから、悪い影響を受けなければいいがと心配したが、やはり、小さな子供には、奴らの自由奔放な生き方は刺激的だったらしい。。。
昨年末のヤップでの冬休み。後半には、バハマのリピーター数名が遊びに来てくれた。その中には、2歳のOちゃんもいた。前にも何度か会っているので、海友や颯友と一緒に遊ぶのが大好き。最初は、海に入るのも、ボートに乗るのも怖がって泣いていたんだけど、少し大きなお兄ちゃんたちが平気で入っているのを見ていたら、いつの間にか平気になって、一緒になって遊んでいた。都会から、自然の中にやって来ると、これくらいの年齢の子が、皆、新たな環境で成長していくのが手に取るようにわかる。ちょっとの間で、Oちゃんも、沢山成長していたね。
その後も、ヤップでの秘密基地作りと、自然の中での子供たちの暴れっぷりは、続いていた。どの村に行っても、颯友は、その辺にいる、犬だけでなく、豚まで可愛がる。餌をあげたいと、せがむ。しまいには、犬たちと一緒に外で寝ると言う始末。
そして、長男の海友は、7歳にして、初めてのダイビングに挑戦した。もともと、ダイビングより、スキンダインビングで海に慣れて欲しいと思っていたので、特に今回もダイビング用の機材やマスク、フィンなどは持ってきていなくて、あるのは、ゴーグルだけ、それに、潜るのも、僕の装着した機材のオクトパスをくわえて一緒に潜った。
水自体は怖がらないのだけど、さすがにゴーグルでは鼻がカバーできないから、無理かなと思ったのだけど、最初の1回だけ、「耳がいたい」と言うので、耳抜きの方法を教えたら、すぐに覚えたらしく、怖がらずに、どんどん下まで降りていった。最終的には、水深10m砂の海底まで潜行。
海底まで付くと、嬉しそうに裸足で砂の感触を楽しんだり、手にすくったりしていた。しかし、突然、指を上に向けて激しく浮上の合図を出した。1秒でも早く浮上したそうだったのだけど、落ち着かせるように、ゆっくりゆっくり浮上した。
ボートに戻ると、「どうした、大丈夫か?」とたずねると、「のどが乾く、これ〜!水ちょうだい!」と言って,水筒の水をがぶ飲み。そのご、「面白い!ねえ、もう一回、もう一回!」と何度もダイビングしたいとせがみ始めた。
しかし、やはり喉は乾くらしく、5分くらいで浮上。喉の乾きさえ、クリアすれば、ゴーグルでこれだけ潜れるのであれば、一人で潜れるようになる日もそう遠くないな。
二人とも、なんだか、日々たくましくなっている。
海友は、ダイビングしたのが本当に嬉しかったのか、海から戻ってくると、ダイビングしたことを絵日記にしていた。
5日目、6日目、7日目、8日目と写真日記を付けるのを忘れていたので、その数日間で行なったことを並べてみる。
相変わらず、朝はヤドカリ取りから始まる。
隣村や街までは、トラックの荷台に乗って、出かける。
ゲストのランドツアーについて行き、ストーンマネーと一緒に記念撮影。
戻ってきたら、早速素っ裸になって、海で遊ぶ。
日が暮れるまで、遊ぶ。
颯友は相変わらず、犬たちを可愛がっている。犬たちも、そんな颯友に心を許しているのか、いっつも、しっぽを振りながら、颯友に近寄っていく。
秘密基地の方は、ジョンが家の前の木々を伐採してくれて、眺めが良くなった。
アグリカルチャーからもらってきた植物を植えてみた。プルメリアは、枝を切って、それを植えれば成長するよって言われたので、言われた通りにしてみたけど、大丈夫かな?
本日、ヤップから帰国しました。現地では、ネット環境が悪くて、一つのブログをアップするのに、2時間近くもかかってました。電話回線で他にも利用しているので、なかなか使えず、結局2週間いたのに、最初の3日感だけで精一杯。でも、せっかくなので、続けてヤップでの冬休みの日々をアップしていきます。
毎日部屋の前で寝ている犬たちに、朝の挨拶をする颯友。
朝食を食べに出たのに、いつの間にか二人とも素っ裸でビーチで遊び始めた。まるで、海洋ほ乳類の子供たちのようなはしゃぎよう。
朝食を食べ終わると、建築中の家まで行って、ペンキ塗りと、土壌を耕す作業をすることに。日差しが暑いので、子供たちは日陰でペンキで遊び始めた。
男性陣は中庭に植物を植えるために土壌を掘り返す。ここに木屑なども混ぜて、土壌を肥えさせる。炎天下では、重労働。あっという間に汗が吹き出した。
女性陣は、飲み物の調達。それに、ヤップ人のシンディーの家に、あらたに植えたい植物をチェックしに出かけた。このヤシの実、甘くて,最高に美味しかった。
気づいたら、子供たちは、自分たちのサンダルにまでペンキを塗り始めていた。これじゃあ、しばらく履けないよ。
サンダルだけじゃなくて、手もペンキだらけ。でも、めちゃくちゃ嬉しそう。
と、思っていたら、颯友はおもむろに、両手をペンキの中に付けて、まるで、水色のビニールグローブ状態に。おいおい、、、、
と呆れていたら、またまたおもむろに、「このやろ〜!!」と叫びながら、スタッフのミカちゃんの服にそのペンキをなすり付け始めた。このやろ〜はお前だ!「ア〜!何て事するんだ、颯友!」。と叫ぶと、「いいんですよ。自分でも付けてるし」と優しいミカちゃん。
作業が終わると、暑いから早速海へ出かける
二人とも超楽しそう。遊んでいる間に、ジョンが、今晩の食事用の魚を突いてくれていた。
夕食後、部屋に戻ると、颯友の勉強を海友が教えてあげていた。
朝から、二人でヤドカリ探し。朝のヤドカリ探しは毎日の日課に。子供って何でヤドカリが好きなんだろう。
ほら、こんなに見つかったよ。捕まえては逃がして、また翌日捕まえてを繰り返しているから、きっと毎日捕まっているヤドカリもいるんだろうな。
「ほら、見てママ!」と、成果を母親にも報告。
街に出かける前は、兄弟でビーチで水遊び。おさがりの海パンを着ている颯友、サイズが合わずにずり落ちてばっかり。
足りなかったペンキと、家のフロアーに敷くタイルを見に街へ出かける。ついでに政府観光局にも立ち寄って、今後の打ち合わせ。
アグリカルチャーでは、20個以上苗木をもらう場合は、ただで譲ってくれる。庭に沢山の花と果物を植えたいというミナの意見で、苗木をもらいに行った。
譲ってもらった苗木の種類は12種類、27苗。マウンテンアップル、シトラス(レモン)、ハイビスカス、コーヒー、ジャパニーズマンゴー、バニヤンツリー、パンの木、ドランゴンフルーツ、ヴァニラ、火炎樹、グレープ、ハワイアンチェリー。
パパイヤやバナナ、ココナッツなどは、すでにその辺に自生している。
また、欲しくなったら、取りに来て下さいと、言われた。
できれば、家の側に大きな木を育てたい。次はマホガニーの木ももらって来ようと思っている。
戻って来てから、釣りに行くか、ペンキ塗りするかで、意見が別れたのだけど、色々立ち寄っていたら、遅くなって来たので、ペンキ塗りをすることに。今日は、二人は、ハケを使って、土台の柱にペンキを塗った。
大人たちは、ロールにエクステンションを付けて、高い部分に、下地のペンキを塗る。
夕暮れ時、ロフト部分で、記念撮影。
なかなかペンキ塗りが終わらずに、退屈し始めて、車の上でゴロゴロ。暗くなってきたし、そろそろ帰ろうか。
ヤップに来て、とても犬を可愛がる颯友に「日本でも犬飼いたくなった?」とたずねたら、「いい」という返事。「何で?」と聞くと、「だって、飼ったらさ〜、犬残していろんなところに行くの、可哀想でしょ。だ〜から、犬はヤップのでいい」。う〜ん、4歳にしては、なかなか大人な回答。。。。しかし、、、いろんな所に行くつもりらしい。。。。
夕食の後は、DVDのトムとジェリーを観て過ごす。
朝、捕まえてきたヤドカリをレストランのテーブルの上に乗せて遊ぶ。
他に子供もいなくて、しょっちゅう、喧嘩もするけど、いっつも二人で遊んでる。
朝食の食べ残しを犬たちにあげたいという颯友。残りを外に持って行くと、あっという間に犬たちに食べられてしまった。
朝食の後は、バルコニーでお絵描きしたり、
ターザンロープで遊んだり、
ヤシの木登りをしたり、
ヤップの伝統的カヌーに乗ったり、
カヤックに乗ったりして遊んだ。
午後からは、家に塗るペンキを街に買いに行き、ペンキ塗り。ライズダイビングセンターのスタッフが手伝ってくれる。子供たちは、しばし、お昼寝。
お昼寝が終わって、犬たちと一緒に子供たちがやってきた。
早速、「塗りた〜い!!」ということで、下地のペンキ塗りを始めた。
高い場所は、エクステンションの棒を使って。
奇麗に、下地を塗り終えた壁。ヤップ滞在中、秘密基地と呼んでいる、海の見える丘の上に建つ、この小さな家の建築を、家族で手伝っていくことになる。
12月14日、海友と颯友は、小学校と幼稚園を少し早めのお休みを取って、父の仕事に付き合って、ミクロネシアのヤップにやってきました。
成田から出国の際、飛行機に搭乗するときに、空港警備員の人に4人のチケットを渡すと「オチハヤトさんはどなたですか?」と4歳のハヤトだけが呼び止められる。「え?ハヤトですか?ハヤトはこいつですけど」とハヤトを指差すと、警備員の人は「すみません、セキュリティーチェックさせてください」と申し訳なさそに颯友に伝える。「え?ハヤトだけですか?」とたずねると、「ええ、ハヤトさんだけです」とのこと。ハヤトは自分だけチェックを受けるのを、とっても自慢気で、嬉しそうにしていた。それどころか、協力的で、一通りチェックが終わったのに、「くつは脱がなくていいんですか〜?」とたずねて、「脱がなくていいですよ」と断られてちょっとがっくりしていた。
4歳の二男だけがチェックを受けてる状況がおかしくて妻は写真を撮ろうとしてたけど、こういう場面の撮影は、当然の事だけど、禁止されてるので、「写真はちょっと〜」と断られて、こちらもちょっとがっくりしていた。
何故颯友だけチェックされたかと言うと、飛行機のボーディングチケットにssssと4つのsが付いていると、要セキュリティチェックの意味で、今回のチケットでは、颯友のチケットにだけ付いたいたからだ。別にチェックインのときに、奴だけ、怪しいと思われて付けられたのではなくて、このマークはランダムに付けられる。とは言っても、チェックインのときも、搭乗のときも、4人の中で言動が怪しかったのは、颯友が一番だったのには間違いないのだけど。
成田でヤップのダイビングサービスのオーナーの大ちゃんとスタッフの女性のミカちゃんと合流。経由地のグアムに到着。海友と颯友の二人は、トランジットの間、二人で走り回っていた。
ミナは、おみやげを買いに、DUTY FREEへ、僕は最後のメールチェックでラウンジへ。その間、大ちゃんとミカちゃんに海友と颯友を見ていてもらうことに。
で、戻ってきたら、海友が走り回りすぎて、足首を捻挫したという。ミカちゃんが、自分のハンカチを濡らして、海友の足首に巻いてくれていた。
現場を見ていなかった僕は、どれだけ痛いのかが想像がつかず、痛いからだっこしてと泣く海友に「もう小学生なのに、抱っことか言うな!いつまでも泣くんじゃない!」と厳しくしていた。ヤップ到着が深夜だったせいで、眠かったこともあり、海友は片足を引きづりながら、さらにぐずぐず。どうやら、本当に痛いらしい。。
ヤップ到着初日、早速お気に入りの犬のケチャと遊ぶ二男、颯友
海友は、ビーチにあるターザンロープがお気に入り。足痛くて、ぐずぐずだったのに、朝になったら、足引きづりながら、遊び回っていた。
午後からは、ボートに乗って、海へ。僕らがダイビングしている間は、ミルチャネルで水遊び。
帰り、海友はしばらくボートを操船させてもらう。車の運転もそうだけど、こういう場所だから、させてもらえる楽しみもある。
遊び終わったら、ヤシの木から実を取ってもらい、そのまま果汁を飲む。
果汁を全部飲み終わったら、半分に割ってもらって、中の果肉を食べる。ココナッツは、海友の大好物だ。
颯友は、いっつもお気に入りのケチャと一緒。
リゾートの上の丘に造っている秘密基地を見学に行く。ロフト部分は子供たちの遊び場になるのかな?海が見渡せて、眺めは最高。
昨日は、僕の父方の祖父の37回忌だった。毎回、忌日、年忌の法要は、欠かさずおつとめをしていた。今回もロケで不在がちな自分の都合の良い日程で、法事の日取りを決めてくれていた。
富士山の近くにある、祖父のお墓に、両親、兄弟家族でお墓参りに行き、一緒に食事をした。最近では、正月でもあまり会わなくなったりしているから、兄弟家族と会うのは本当に久しぶりのことだった。
海友と颯友と一緒に写っている、まりあも、2年前にヤップに行って以来。
別に自分が信心深いという分けではないのだけど、子供たちには、先祖を敬う気持ちは、しっかり持っていて欲しいと思うので、こういう事にはなるべく参加させることにしてる。
しかし、ご法要の部屋に入るなり、読経をして頂く僧侶の方がすでに、いるにも関わらず、二人は、杢魚の鉢と、鈴の鈴棒をわしづかみにして、杢魚と鈴を嬉しそうに叩き始めた。
慌てて止めに入り、「す、す、すみません」と謝ると、「家の子も、同じでしたよ」と優しい言葉をかけて頂いて、ほっとした。
そのちょっと前、高速のサービスエリアで、僕が焼き鳥を買っているときに、颯友が姿を現したので、「颯友、焼き鳥いる?」とたずねると、一瞬並んでいる焼き鳥を見て、「いらな〜い!」と大声で即答。焼き鳥を売っていた年配のご夫婦らしきお店の人たちが、そのあまりの元気の良さに笑い出してしまった。
「欲しくなったら、お父さんのもらえばいいからな」そうおじさんが笑顔で言っているのもまともに聞かずに、走り去って行った。
その直後に、今度は海友が姿を見せたので、「海友、焼き鳥いる?」とたずねると、やはりしばらく眺めてから、遠慮がちに、「僕は別に欲しいものがあるんだよね」と言ってまた走り去って行った。
「・・・す、す、すみません」二人に拒絶され、立つ瀬の無い、僕は、お店の人に申し訳なくて、謝った。
お店のご夫婦の奥さんらしき人の方は、笑顔で「なんか、いじりたくなる子供たちね」と言ってくれた。「す、すみません、やんちゃなんで・・・」と言うと、「そうじゃないわよ、子供らしくて可愛いってことよ」と言ってくれたので、ほっとした。おじさんも、にこにこしながら、「いいね、子供はあ〜じゃなきゃね」と言いながら、焼き鳥を詰めてくれていた。
焼き鳥を受け取り、車に戻って中を確認すると、焼き鳥が1本大目に入っていた。おまけに、タレも大量にかかっていた。
サービスの焼き鳥は、子供たちのためだったのかもしれないけど、子供たちには、あげずに、黙って僕が全部食べた。
週末、毎年キャンプを企画してくれている仲間たちと一緒に、サンタクロースの森「サンタヒルズ」へ出かけた。キャンプは毎年子供たちも楽しみにしている。今年は、海友、颯友より小さな男の子2人も参加して、合計22人もの大所帯。
トンガは6週間の滞在。ゲストの送迎以外は、ほぼ毎日クジラを探すために、海に出ている。しかも今年は、毎晩のように、ゲストとの飲みに付き合っている。去年までは、少しでも体調を整えるためにほとんど夜は付き合わないで早めに寝ていた。
それが、今年は1週目に飲む人が多くて、誘われて付き合っていた。遅くまで飲んで、朝早くに起きてクジラを探しに海に出るのは結構きつかった。だから、2週目は飲まないと決めたつもりなのに、結局2週目も、そして3週目も、飲む人が多くて、今日3週目のメンバーが皆帰国するまで、毎晩飲んでいた。
身体を十分に休めていた、昨年までよりも、当然の事ながら、疲労はたまっているはずだ。でも、この生活パターンに慣れてしまったような気もする。
いずれにして、疲労がたまり、ホームシックになると、いつも家族の写真や動画を一人ベッドの上で眺めて、「明日も頑張って良いクジラを探そう!」と心に誓う。
ベッドの上で息子たちの写真や動画を見ているときは、端から見ると、多分かなりニヤニヤしていて気持ち悪いに違いない。
今回は、写真だけでなく、クジラが少なくて心が萎えたときに、見るものがある。それが息子たちの描いてくれた絵と短い手紙だ。出発する前に、妻がこっそりスーツケースに忍ばせていてくれた。
虹と太陽と海と海洋生物たちと船の絵。クジラにシャチ、イルカ、イッカク、カメ、イカ、クラゲ、それにタコ。最近海友は、近くに出来た公民館の図書館や学校の図書室から、本を沢山借りてくる。そのほとんどが「海」に関わる本。だから、自然と海の動物の写真や絵を見ることが多くて、こんなに色々描いてくれるのだろう。
おそらくほとんど長男の海友が描いたものだとは思うのだけど、絵の上に書かれた手紙には、「ぱぱへ、おたんじょうびおめでとう。きをつけてね。かいとはやとより」と二人の名前が書かれている。
海友は絵に虹を描くことが多いような気がする。これは、きっと妻の影響なんだろうなと思う。
まだ誕生日には少し早いんだけど、この絵を見て、そして、i-phonから流れるFunky Monkey Babys の「ヒーロー/明日へ」を聞きながら、家族の事を思い、今日も海に出て、クジラを探す。
「最寄り駅の改札抜ければ、いつもよりちょっと勇敢なおとうさん」
「ダディ、その背中に、愛する人の声がする」
「家族にとってのヒーローになるため、転んでもまた立ち上がるんだぜ」
「家で待つファミリー、その愛しい笑顔がある限り」
「人知れずに世の中にファイティングポース」
。。。。このどうしようもない程のノウテンキな笑顔に、どれだけ心が救われていることか。まだちょっと早いけど、海友、颯友、そしてママ、誕生日のプレゼント、どうもありがとう。
今日も頑張ります。
ある南の島に、家を建築中です。本当は3月スタートで、7月には完成してる予定だったのですが、ある理由で大幅に遅れてしまったようです。
前はこんなジャングルの中でした。 これが敷地への入り口部分
これが家を立てる場所
いつできるのかな~。まあ、のんびりした島だから。って、台風ですぐに壊れたりして。。でも、丘の上にあるから、海が一望できて、眺望は良さそうです。
2010年のドルフィンクルーズから帰国して、成田空港に迎えに来てくれた家族と再開した。子どもたち、特に兄の海友は、小学校に入ってからというもの、外で遊びまくっているせいか、かなり日に焼けていて、まるで一緒にバハマに出かけていたかのような黒さになっていた。
二人とも、怪我をした顔の傷はほとんど目立たなくなっていたけど、なんだかたくましく、より面白くなったみたいで、嬉しかった。
車で、もうほとんど家に着く直前になって、二人もとも「パパと公園で遊びたい!」と言いはじめた。自分はもう疲れているし、天気も悪くてちょっと小雨だったので、「今日はもう、だめだよ〜」と伝える。妻も「パパはもう疲れているんだから。それに、雨降ってるから、だめよ」とフォローしてくれる。
しかし、「雨降ってる」事に対して、「え、でも人間は歩いているよね」と海友。「そうだよ、人間はいっぱいあるいているよ」と颯友。
「ほら、あそこにも人間あるいている、こっちにも、あっちにも!」と海友。「そう、人間い〜っぱい歩いてるよ。雨だいじょうぶじゃん」と颯友。
人間、人間って、。。。お前ら、妖怪か?。。。。。いや、猿か。。。
ということで、妖怪か、猿かわからないけど、人間じゃない子の意見は聞き入れられず、その日は家から出ることなく、風呂に入り、ご飯食べて、眠りに着いた。朝2時には目が覚めたけど。
フィリピンのボホールに滞在していたときに、コンビニで様々なお土産が売っていた。「お土産は買ってこなくていいから」といつも妻に言われているので、あまり気にせずに、ブラブラと眺めていた。
昨日は、長男の小学校、二男の幼稚園、両方遠足だった。僕ら夫婦は、二男の幼稚園の遠足に参加。遠足と言っても、自転車で行ける距離にある運動公園だったので、3人でその公園まで自転車で出かけた。
4月に引っ越しをする。今回のロケの帰国直後。出発前には引っ越し屋さんから、沢山の段ボール箱が届いていた。「少しづつ、詰めようか?」と妻に訪ねたら、僕がロケに出てからやるからいいとの返事。
カオラックからプーケットに移動して、今日からD.O.で取材。ここのオーナーのナカちゃんは、相変わらず良くしゃべる。で、海友や颯友と同じくらいの子供が3人いる。
昨日、タイのシミランクルーズから下船した。カオラックにあるediveのショップに到着すると、少しして、ガイドのキョウちゃんの生後1ヶ月ちょっとの娘のこももちゃんと、かずえちゃんがやってきた。
その日の水中撮影を終えて、部屋に戻り、一人でいるときにいつも思い浮かべるのは、元気な息子たちの笑顔。今年で、長男の海友は小学校入学。二男の颯友も幼稚園に入園する。
パースから戻ってきて間もないけど、明日からパラオのペリリューへ3週間のロケにでかける。しかも、今回は家族は一緒ではなくて、一人。初めてこの島に家族を連れて行ってから、早5年の歳月が流れた。当時1歳だった長男も、今は6歳。今年から小学生だ。
2010年1月31日、フロリダから帰国した。妻からはフロリダ出発前に、「皆で空港まで迎えに行くよ~」というメールが届いていた。いつも、長男の幼稚園での行事が重ならない限りは、こうやって、毎回家族で車で成田まで迎えに来てくれるのが、僕たち家族の間では当たり前の事になっていた。
先日、今年最後のロケ先、パラオから帰国した。空港には、前回同様、長男の海友を幼稚園バスに送ってから、妻と二男の颯友が空港まで車で迎えに来てくれた。今回も、颯友が車から降りて来て、僕に駆け寄り、そのままスルーしていくことを期待しながら車に駆け寄る。
今回のパラオロケも2週間以上の滞在。ロケ中もたまに妻とは、メールでやり取りしているのだけど、いつも頼んでいるのは、携帯の画像でもいいから、子供たちの元気な写真を送って欲しいということ。子供たちの写真を見るだけで、元気になれるから。
ヤップ滞在中、州都のコロニアでは、カヌーフェスティバルが開催されていて、皆で見学に出かけた。夜には、子供たちや、男性、女性のヤップダンスも披露された。
ゲストの少ない日などには、家族もボートに乗せてもらって、ダイビングポイントまで遊びに行くこともあった。しかし、今回はあんまりマンタが出なくて、最後まで仕事モード(?)を崩せなくて、子供たちとなかなか遊んであげる機会がつくれなかった(精神的にも)ことが心残り。
ライズの隣に住んでいる、ポールとマギーの長男、デンゼル1歳。前回訪れた今年3月のときは、まだよちよち歩きで、海友や颯友にいいように扱われていたのだけど。今回は二人にも対抗できるくらいに成長。
ほぼ自給自足生活を送っている、隣村のパサンちゃんの家に遊びに行った。ちなみに、写真は台所。写っているのは、元ライズのスタッフで、今はパサンちゃんとこの同居人の、トーマスおじさん。トーマスおじさんの寝床は、この台所。
兄、海友は、2歳になる前から、カメラを向けると、いつの間にかウィンクするようになっていた。何がきっかけで、ウィンクできるようになったのかわからないけど、とにかく、小さい頃から、かなり多くの写真に、ウィンクして写ってる。幼稚園の集合写真でも、まじめな顔で写っている子供たちの中で、一人ウィンクしてたり。
ちょっと、アップが遅くなりましたけど、今年2度目のヤップ。そして、颯友にとっては、6月のバハマ出発のときに、母親と一緒に留守番することに気がついて、悔し涙を流して、「ばかちん~!ばかちん~!」と絶叫して暴れ回っていた悪しき思い出の場所を無事家族で通過。
長いトンガ滞在の間、妻からは子供たちの今日の出来事などの報告が、携帯メールから送られてくる。海友の素直さと、颯友のあまのじゃくさが際立って、ついついにやけてしまう。
今日は、友人に誘われて、一緒に千葉の太東にサーフィンをしに出かけた。子供たちも行きたいというので、連れて行くことに。太東は海水浴場に隣接して、波乗りするポイントがあるので、子供たちは海水浴場で、僕らはその横でサーフィンをするつもりだったのだけど、、、。
1ヶ月半に及ぶ、長男海友とのドルフィンクルーズも無事に終了して、帰国した。自分一人で5歳の息子の面倒を見ながら、ゲストのケアをして、クルーズ生活を行い、イルカの撮影をする。正直かなり大変だった。
2009年3週目のクルーズも無事終了して、現在フロリダのオーランドに滞在している。今週も海友はゲストの人たちに本当によくしてもらった。そして何よりも嬉しかったことは、日本からこちらに来る前からの海友が「バハマに来てしたいこと」の中の一番難しいリクエストだった、「野生のイルカに触りたい」という夢がかなったことだ。
2週目のドルフィンクルーズも無事終了して、フロリダに戻ってきた。こちらに来る頃から、風邪を引いていた海友。体調を心配していたのだけど、もう元気に回復している。逆に僕の方が、風邪になってダウン。
ドルフィンクルーズから戻って、ホテルに入ると、無線ランが使えるので、スカイプで家に連絡を入れる。お互いの顔が見れるので、子供たちも面白がっっているし、妻は元気な海友の顔が見れるだけで嬉しいようだ。
父子2人で乗船した初めてのバハマドルフィンクルーズ。無事終了して、フロリダに戻ってきた。ゲストの人たちのやクルーの人たちの優しさに甘えさせてもらい、海友も、母親のいないクルーズを楽しんだ。
2009年5月30日、1年ぶりにドルフィンドリーム号に乗船した。乗船時は曇天で、雨が降っていたけど、日が暮れていくにつれて、無風になり、雲も無くなってきた。
あと少しでバハマのドルフィンクルーズに出発する。少し前にも書いたけど、今回は5歳の長男海友と、僕の二人で、1週目のゲストの人たちとバハマに向かう。
ペリリューでは、いろんな子供の家にお邪魔していた、海友と颯友。そこには、大抵の場合おとうさんとおかあさんだけでなく、おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に暮らしている家が多かった。
ペリリューとヤップに行く前、長男の海友は、補助無しの自転車に、乗れるような乗れないような、微妙な状態だった。真直ぐな間は進めるのだけど、カーブが曲がれない。坂道は猛スピードで駆け下りるくせに、カーブが曲がれない・・・。完全な猪突猛進だった。
昨日、長かったペリリュー、ヤップでの家族を伴っての取材旅行から帰国した。ペリリューではどうにかブログをアップしていけていたのだけど、ヤップではネット回線が悪くて、なかなか現地でアップすることが難しかった。
すでにパラオのペリリューを離れて、僕たち家族は、ミクロネシアのヤップに来ています。回線状態が悪くてなかなかブログをアップすることができないでいます。ペリリューでは、本当に沢山の人たちに優しくしてもらって、今回も子供たちは元気よく、島中を走りまわっていました。
ペリリュー島の友人、ランダが、pre school(幼稚園)見学に誘ってくれた。クラスは、3~4歳の子供たち9人。想像以上の設備にちょっとびっくり。
昨日は、ペリリュー島よりさらに南にあるアンガウル島まで、撮影で出かけた。ダイビングは1本のみ、後は島に上陸して陸撮ということで、モデル役で家族も一緒にという遠藤さんの配慮で、家族全員ででかけることに。
今日はホワイトデーだった。忘れていたわけではないのだけど、まともなお店などないペリリューでは、駄菓子のようなお菓子を買ってあげるくらいしかできない。旅の前にプレゼント用の何かを用意するほど、用意周到でもない。
ペリリュー島には、あちこちに雑草のようにバナナの木が林立していたりする。民家の軒先にも、たわわに実ったバナナが沢山あるのだけど、雑草のように生えているにも関わらず、一応なんとなく所有者が決まっているらしく、僕らが勝手に取っちゃうのは、あまりよろしくないみたいだ。
最近、連日の早朝ダイビングを含む、4本のダイビングと子供たちと一緒に遊ぶことで疲れ果て、それにネット環境の問題で、なかなかブログをアップする余裕も無く過ごしている。
今日は、ちゃんと3本潜ってきました。でも、話の中心は子供たちです。子育て日記だから当然だけど。海の話はフォトグラファー日記に載せるので、そっちもちゃんと見てくださいね。初日にしてまたまたバショウカジキ2本見ました。
今日、パラオのペリリューに到着しました。今日1日の行動を、写真と一緒に紹介したいと思います。と思ったのですが、ネット環境の問題で、写真をアップするのが困難なので、文章だけになります。最初の2カットアップするだけで精一杯でした(笑)。
今はオーストラリアに行く途中のシンガポールにいる。オーストラリア出発に際して、いつものように、妻と二人の息子たちが空港まで見送りに来てくれた。来てくれるのは嬉しいのだけど、いっつも、荷物によじ登りたがるか、肩車してとせがむ。